水に憑いたのならば 作:猛烈に背中が痛い
この世界には「闘気」というものが存在している。正確に言うならば「生命力」や「気配」とでも言い換えた方が良いだろうか。
これは例え生まれたての赤ん坊であっても備えている物だ。そのほか虫や植物、無機物以外のありとあらゆるものが持っている。そしてそれを感知する方法は人間には基本的に備わっていない。
感知するためには所謂”第六感”などの常識を外れた能力が必要ではあるが、それでも圧倒的強者と相対した場合、何の訓練もしていない人間だろうと必ず畏怖というものを覚える。
即ち、本能的な恐怖。自身より上位の捕食者を嗅ぎ分ける生来の警鐘。
それが今俺の中でけたたましく鳴り響いていた。
「………………」
「スゥゥゥゥゥゥゥゥゥ………」
静かな訓練場内で小さく聞こえる全集中の呼吸音。一見隙だらけの自然体のようでいて、絶対に攻めるなと直感が叫んでいる。一歩でも不用意に踏み込めば即座に刈り取られると。
俺と相対している女性の
「――――【雪の呼吸 参ノ型】」
「ッ――――!!」
女性の持つ木刀がブレた。正確な造形が一瞬で捉えられなくなり、次の瞬間には女性の踏み込みと共に不可視とも言える幻惑染みた技巧が容赦なく撃ち放たれた。
「【
幻の如き連撃が視界を覆った。
俺は今、客間でひょっとこ面を付けた男と相対していた。面を付けた男の名は鉄穴森鋼蔵、十八歳。刀鍛冶の里に住む、一人前になったばかりの刀鍛冶である。
そして鉄穴森さんは、静かな威圧感を放ちながら正座している俺を凝視してくる。怒っている。地味にではあるが、結構怒っている。
理由はまあ、どう考えてもアレだろう。
「……まさかたった一ヶ月で刀を折るとは思いませんでした」
「すみません……」
刀というのは当然ながら作るのにとても手間がかかる。素材となる良質な玉鋼を選別し、不純物を取り除いて純度の高い鋼に仕上げ、幾度となく折り返しながら鋼を粘り強くし、形を仕上げ……素人の俺では理解しきれない程膨大な手間と時間がかかる。
日本刀が一種の芸術品と言われる所以もその膨大な工程と作業から生み出される美しさにあると言っても過言では無いだろう。つまり刀鍛冶に取って刀が折れるのは己が作り上げた芸術品が不出来だったという事実を突きつけられたに等しい。
職人は偏屈人だらけというが、刀鍛冶の里の職人は更に一際濃い変人が多い。それだけ己の腕に誇りを持つ職人気質とも言えるだろうが……。
「結構力作だったんですけどねぇ。相手が十二鬼月だったという事もあるでしょうが、やはりまだまだ私は未熟のようです」
「いえ、そんなことは決して。一応ちゃんと攻撃も捌けていましたし、刀を折られたのは俺の未熟で……」
「違いますよ。折られるような鈍を作った私が悪いのです。認められたばかりで、少々調子に乗っていたことも否めませんしね」
刀は決して鈍と呼べるような物では無かったはずだ。現に、痣を発現した際には問題無く下弦の陸の攻撃を正面から凌ぎ切れていたのだから。つまり刀が折れたのは俺が原因だと、何度言っても鉄穴森さんは自分が悪いと譲らない。
恐らく刀鍛冶の里の長の教えによるものだろうが、やはり何も悪くない相手が自ら責任を負おうとするのはこちらとしても肩身が狭い気分になる。
「では早速こちらの刀をどうぞ。前より頑丈に、そして切れ味も可能な限り落とさぬ様仕上げています」
「…………おぉ」
鉄穴森さんが俺の前に差し出した木箱から二代目となる刀を掴み、シャリンと音を立てながら慣れた動作で抜き放つ。刀の色は当然前と変わらない黒混じりの深い青。
よく見れば、強度の底上げのためか刀身の厚みが前のと比べてほんの少し増している。軽く振ってみるが、重量の差異による違和感もほとんどない。
実に見事な仕上がりだ。
「ありがとうございます、鉄穴森さん。今度こそは大切に扱います」
「はい、そうしていただけると私もありがたいです」
「刀は剣士の半身とも言えますからね。今度は折らない様に気を付けてくださいね、冨岡君?」
「はい、雫さ――――ん?」
そこまで言って、言葉が止まる。
え? と頭の中を疑問符で埋め尽くしながら、まるで壊れた人形のようにギギギと隣を見れば……何故か見覚えのある女性が湯呑両手に座っていた。
「ぎゃぁぁああああああああああああ―――――――っっ!!??」
「あらあら。人を見て急に叫び出すなんて、失礼ですね」
驚きのあまり鉄穴森さんは反射的に近くに居た俺に抱き付きながらその場から跳び退いた。いや、突然隣に居ないはずの誰か現れれば誰だって叫ぶだろう。既に体験済みの俺にとって鉄穴森さんの驚きは想像に難くなかった。
というか雫さん、この登場の仕方気に入ってるのだろうか。正直心臓に悪いのでやめて欲しい。
「誰!? 誰なの!? 怖いよぉ!」
「あ、鉄穴森さん。この人は水柱の漣雫さんですよ」
「み、水柱……?」
雫さんの正体を聞いてようやく落ち着きを取り戻したのか、鉄穴森さんは荒げた息を整えながら何か深く考え込むように顎に手を当てながら首を傾げた。どうしたのだろうか。
「え……? でも確か、水柱は十年近く代替わりしていないと聞いたような……」
「……は? 十年!?」
柱はおおよその場合、半年に一度は入れ替わりが発生すると聞く。その理由は、平隊員では任せられない過酷で危険な任務を多く任されているためであり、故に死亡率も高いからだ。いや、柱以外の隊員の死亡率も決して低い訳ではないというかむしろ高いのだが。
ともかくそんな理由故に柱は就いて一年持てば良い方で、二年続けば歴戦となり、三年以降は間違いなく強者の証とされる。にも関わらず、水柱は十年間その座から不動。
どんな冗談だ、それは。
「それに任命時の年齢が低かったとも聞かないので、推定三十路前後にしては見た目が若すぎ――――」
「…………………ふふっ」
そこまで行った鉄穴森さんの言葉が詰まる。ふと雫さんの顔を見てみるが、特に変わりはない。
しかし鉄穴森さんは何かを察知したのか面の下から滝のような汗を流しながら「ナンデモナイデス」と震え声で呟きながらそれ以上話題には出さなかった。何故だろう、途端に雫さんの笑顔が恐ろしい何かに見えてきた。
「それで雫さん、何故此処に? 任務はもう終わったんですか?」
「いえ、実は次の任務に向かう途中でして。それを伝えるために寄った次第です。すみません、冨岡君。せっかく継子にしておきながら、鍛えるための時間がなかなか取れず」
「それはまあ、仕方ないかと」
何度も言ったと思うが、柱は平隊員と比べて倍以上に多忙だ。担当区域内のみとはいえあちらこちらを己の足で駆けずり回り各地に蔓延る鬼共を直接討伐しなければならないのだから、私的な時間を捻出するのは中々難しい事なのだろう。
お館様辺りに言えば休みを取れるかもしれないが、態々そんな事をしてまで休みたいと思う様な者が柱になっている訳がない。俺だって必要以上に休むくらいならその時間を使って鬼を一匹でも多く滅殺する。
「あ、あの水柱様! 失礼ですが貴方様の刀を見せていただけませんでしょうか!?」
短い時間ですっかり気を取り直した鉄穴森さんが手を上げながら興奮気味に雫さんに話を持ちかけた。というか大分興奮している。テンションの落差が凄いなこの人。
「ええ、構いませんよ。はいどうぞ」
「お、おぉぉぉぉぉっ……! こ、これが鉄珍様の打った最高の一振り……!! すばらしいっ、すばらしい刀だこれはぁぁぁっ!! うひょぉぉおおおお!!」
「……凄い」
鞘から抜き放たれた雫さんの刀は、刀についてはズブの素人の俺ですら魅了されるほど美しいものであった。
細身の女性を思わせるような、微かな乱れも無い美しい反りと極薄の刀身。深海の如き深く純粋な青色の刀身と合わさって、まるで浮世絵の激しい波のようにも見える美麗な刃紋。
だが見た目の美しさだけでなく、その切れ味もまた最上。少し動いただけで空気を裂くような音が耳に届くほど洗練された刃は、相応しい使い手が握ればどんなに硬い鬼の頸であろうと一刀で断ち切るだろうと確信できてしまうと感嘆を覚える代物だった。
時代が時代なら、国宝指定されてもおかしくない。鉄穴森さんの興奮する気持ちが今更ながら深く理解出来てしまった。これは、凄いものだ。
「ところで冨岡君、機能回復訓練はもう行いましたか?」
「いえ。これから行う予定ですが」
雫さんに声をかけられて、俺はやっと刀から意識を外せた。
――――人の肉体というものは当然ながら長期間の間適度な運動を行わないでいると、”鈍る”。しかし日常に支障をきたすほどでは無く、一般人が普通に暮らす分には問題無い程度だしそこそこ身体を動かしていれば自然と元に戻る。
だが、鬼殺隊に属する隊士の場合は話が異なってくる。
鬼と互角に渡り合うためには呼吸技術はほぼ必須であるが、それは土台である肉体をおろそかにしていた場合は十全な機能を果たさなくなるのだ。呼吸はあくまでも身体能力を増幅させるだけ。素の身体能力が低ければ、その効力は想像をはるかに下回る。
長期間の治療によって生じた隊士たちの肉体の鈍り、それを解消するために発案され行われ続けた訓練。それが機能回復訓練だ。
「見た所、適度に固まった筋肉を伸ばすだけで良さそうですね。不格好ながらも常中を行っているおかげでしょう」
「そうですか」
しかし、俺の場合は他の新人隊士より少し事情が違ったようだ。
全集中の呼吸は前述した通り身体機能の増幅を行ってくれるが、これには制限時間があるわけでは無い。呼吸が持続すれば効果も併せて持続する。つまり理論上は朝から晩まで一日中行うことも可能なのだ。
そして全集中の呼吸は大なり小なり身体の負担となる。呼吸をするだけで適度な運動と等しい効果を得られることができるという訳だ。つまり、寝ている間も全集中の呼吸を行っていれば、筋肉の劣化は最小限に留めることができる。
今の俺は未熟故に寝ている間も、という訳にはいかなかったが起きている間は基本的に浅い全集中の呼吸を常に行っていた。そのおかげで身体機能の低下は極限まで抑えられ、訓練によって態々筋肉を取り戻す必要性は比較的薄くなったのだろう。
「ではせっかくなので、この際今日中に完全な常中を実現しておきましょうか」
「はい。……はい?」
さらりと雫さんは信じられないことをおっしゃった。
今日中? 一週間じゃなく、今日中と言ったかこの人。……もしや俺の耳がまだ回復しきっておらず難聴になっているのかもしれない。
「大丈夫です。死ぬ気で頑張れば今日中に会得するのも不可能じゃないです」
「いや、そりゃそうでしょうけど……」
どうやら難聴では無かったようだ。
下地は出来ているのだから死に物狂いでやれば可能ではあるだろう。しかしやはり今日中に物にしろと言うのは無茶が過ぎる。
……だが、俺は彼女と「死に物狂いで鍛えろ」と約束を交わした身。これを違えるのは男じゃない。
「勿論、私も可能な限り手助けしますから。大船に乗った気持ちでいなさいな」
「……ん? あの、これから任務なのでは?」
「ええ。ですからちょっと助っ人を呼んできました。――――真白ちゃーん! 入っておいで~」
雫さんの呼びかけに答えるように部屋の障子が開いた。
その向こうに居たのは、隊服の上から真っ白な装束に身を包んだ……真っ白な髪と血の様な赤い目を持った女性。即ち、
「雫さん……用と言うのは、この子の事で?」
「ええ。今日だけでも構いませんから、死ぬほど扱き回してほしいのですよ」
「はぁ」
「あの雫さん、この人は……?」
そんな俺の問いかけに答えたのは、雫さんでは無く白子の女性の方だった。彼女は一度俺を見据えると、小さく頭を下げながら自己紹介してくれる。
「初めまして。私の名は、明雪真白。雫さんの元継子で、今は雪柱を務めてる。……よろしくね、弟弟子君」
――――何から言えばいいのかさっぱりわからない。
この場に柱が二人も居ることもそうだが、助っ人に同じ柱を持ってくるってどういう事だ。柱は多忙だってさっき俺が言ったばかりなのに。
「真白ちゃんは今武器の手入れの最中でして、暇そうなので呼んできたんですよ」
なるほど、確かにそれなら納得だ。柱といえど武器が無ければ戦えない。それを今修理に出していると言う事ならば一時的に待機していても何らおかしくは無いだろう。
「でも、いいんですか? 折角の空いた時間を俺なんかに」
「どの道、白昼に外を出歩くのは難しいから」
「ああ……」
白子……つまり先天性色素欠乏症を患っている者は紫外線を防ぐために体内に存在するメラニン色素が非常に少なく、従って常人と比べると紫外線に対する耐性が極めて低い。そのため何の対策も無しに日の下に出れば、たちまち肌が赤く焼けてしまうのだ。
見た目こそ神秘的ではあるが、本人にとっては不便極まりない体だろう。
「それでは私はそろそろ出立しなければ。鉄穴森さん、刀を返していただけません?」
「えっ。も、もうちょっとだけ! 後五分だけ見せてください! 何でもしますから!!」
「だめです」
「アーーーーーーッ!!!」
刀を没収された鉄穴森さんがまるで赤子と無理矢理引き離された母親の如く慟哭した。そこまで嫌かアンタ……。
「じゃあ二人とも、頑張って!」
それだけを言い残して雫さんは残像も残さない程の速度でこの場から消えてしまった。これが噂の柱ワープ。
「ううっ……もっと見ていたかったのにぃ……」
「機会があれば、きっとまた見れますよ」
「しくしく……フンッ! こうしてはいられない! 私もいつかあのような刀を作るためにも、早く里に帰って己の腕を磨かねば!! では冨岡君、今度はもっと長く大切に扱ってくださいよ!! 言いましたからね!!」
鉄穴森さんも後を追うように己の心を奮起させながら、すたこらさっさと部屋を出て行ってしまった。
そうすると必然的に残ったのは俺と真白さんだけであり、互いに初対面なせいで何とも言えない微妙な空気が流れ始める。どうすればいいんだ、これは。
「……君は、この状況に不満は無いの?」
「……? 不満とは?」
「ううん。ただ……私は、この鬼殺隊ではあまり好かれるような立場じゃないから」
不満と言われても、何に不満を感じろと言うのか。確かに本来ならば師事をすべき雫さんが不在という事はあるが、彼女には任務という大事な仕事を優先する必要がある。が、真白さんがそう言う事を言いたい訳では無さそうだ。
「どういう事でしょうか」
「……日光をまともに浴びられず、目が赤く、常人とかけ離れた容姿をしている。――――まるで鬼みたいだって、そう思わないかな」
「……はい?」
確かに一部の要素を切り抜けば、些細な共通点はある。が、それは所謂こじつけや言いがかりというものだ。まさかそんな理由で俺が彼女に不満を持っているとでも思われたのだろうか。
……いや、きっとそう思わざるを得ない事があったのか。
「初めて会う新人の子とは、そういう誤解が生じることも珍しくなくてね。今だって、一部の隊員の中では『鬼柱』とか『雪女』なんて呼ばれてる。まあ、鬼殺隊は鬼憎しの理由で入隊した人が殆どだから、外見が鬼に似ている私が多少嫌われても仕方ないけど」
「……俺は、そんな理由で人を一方的に嫌ったりしません」
「うん。そう思ってくれるって事は、君はとても優しい子なんだね。雫さんの見込み通りだと、少しは信じても良さそうかな」
儚げな笑顔を浮かべた真白さんはそこで言葉を切り、スッと立ち上がる。俺も後に続くために座布団に落とした腰を上げ始めた。
そろそろ鍛錬を始めねばならない。限られた時間内で全力を尽くせねば、今日中に常中を習得するなど夢のまた夢なのだから。
と、意気込んだまでは良かったのだが。
「……ぐふっ」
「あ」
絶賛、俺は訓練場の床に潰れた蛙の様に転がっていた。周りにいる機能回復訓練中の隊員の視線が痛い。
こんな無様を晒している理由は単純、超速の連撃にまともに対応することすらできず六発の攻撃全てが身体に打ち込まれたためだ。
幸い当たる寸前に加減はされていたようで骨は折れず滅茶苦茶痛い程度で済んでいるが、もし真剣であったなら俺は今頃十数分割された愉快な死体になっていただろうと思うと心底ゾッとする。
「ごめんね。下の階級の子と稽古するなんて今まで無かったから、加減を間違えちゃったみたい」
「い、いえ、大丈夫です。ま、まだ行けます」
恐らく寸止め以外は本気の速度だったのだろう。でなければ本気で観察していたのに木刀を振る手元すら見えなかった事に説明がつかない。そして打たれた感触からして恐らく六連撃。その初撃すら俺は捉えることができなかった。
見た目こそ麗しい雪のような女性だが、その実力は間違いなく柱。舐めてかかったつもりは無いが、これは想像以上だ。
しかし、これで折れるほど俺も軟では無い。痛む身体を摩りながらも俺は手落とした木刀を握り直して立ち上がった。周りが「マジかコイツ」というドン引きの視線を送ってくれているが、無視だ無視。
さて、勘のいい者なら気づいているかもしれない。何故全集中・常中習得のためにこんな模擬戦を行っているのかと。呼吸の訓練なら座ってでもできるだろうに、とも。
それは、実に簡潔な理由のためだ。
「座って呼吸の訓練しても、実戦でそれと同じことができるとは限らないよね?」
ぐうの音も出なかった。いくら真面目に鍛錬しようが実戦で活かせなければそれは無駄な努力に他ならない。
なのでこうして模擬戦の中で常中を実現させろと、実戦レベルの呼吸を戦いの中で常に継続させろという無茶振りをされ、今まさにその要求に応えようと俺は必死に食らいつこうとしている。
まだ始まったばかりだ。この程度で諦めていては先が知れるというもの。
「じゃあ、少しだけ遅くするね」
「はい、お願いしま――――「【壱ノ型】」
ぞくりと、身体が強張る。巡らせた思考によって身体へと即座に後退命令。その直後に神速の居合は放たれた。
「【雪花】」
先程よりは幾分か遅い一撃目を辛うじて木刀で受け止める。後退しながらの防御によって衝撃は上手く流され、無事防御に成功――――かに思えたのだが。
「いぎっ――――!?!?」
――――不可視の一撃が左腕と右腿を打ち叩いた。
突然の攻撃を防ぐことも避けることもできず、俺は空中で身体をきりもみ回転させながら床上を転がった。……今のは何だ。腕の振りは一撃分だけだった筈なのに……?
「呼吸、乱れてる。倒れても呼吸を止めちゃだめだよ」
「はっ、はい……!!」
推測ではあるが、恐らくこの技は初撃を囮とした連撃技。一撃目を敢えて遅く放つことで次に放つ高速斬撃への反応を鈍らせる高等技だ。そして彼女が宣言通り普段より遅く技を放ったのならば、本気のコレは一体どれほどの早業になるのか。
「……もっと遅くする?」
「っ、いえ、大丈夫です! その、なんとか頑張ります!!」
「そう」
もう一度立ち上がり、木刀を構える。
彼女の扱う呼吸は、”雪の呼吸”。彼女が独自に生み出した固有のものであり、水と雷の複合系らしい。その神髄は、縦横無尽変幻自在な足さばきと超高速の居合連撃。立ち回り方は水、剣技は雷寄りと言った所か。
雷を取り入れているからか当然その攻撃速度は尋常では無く、この通り攻撃を目視することすらできず一方的に叩きのめされてしまった。正直少し遅くなったところでどうこう出来るとは思えない。
結論から言えば何処からどう考えても今の俺の敵う相手では無い……が、だからと言ってこんな序盤の序盤で諦める訳にはいかないだろう。
まずは落ち着いて、呼吸。全集中の呼吸の効力を手足だけでなく、全身に行き渡らせろ。身体能力だけでなく動体視力も上げて、相手の全身を観察し、攻撃を予測しろ。呼吸も乱さず、規則正しく。
「ヒュゥゥゥゥ……」
「うん、その調子。じゃあ、行くね」
「!!」
真白さんがまるで散歩でもするように俺へと近づいてきた。そして射程内に入った瞬間、抜刀。鋭くも速い閃光の一撃を受け止め、弾く。だが安心など出来ない。直ぐに次の攻撃を防げるよう心構えた。
弾く、弾く、弾く。その度に一歩ずつ押し込まれていく、剣速もほんの少しずつ加速していく。それを認識して心臓が高鳴り始めるが、焦るなと心を落ち着かせる。
挙動の一つ一つを観察しろ、目と身体をそれに合わせて慣らすんだ。決して不可能じゃない。
「ん……もう安定してきた。じゃあこの状態を十分くらい維持してみようか」
「っ…………!?!?」
冗談だろうと叫びたかったが、生憎喋る余裕など既に奪われている。
こっちは崖と崖の間を綱渡りしているくらいギリギリの心境だというのにこれを十分間も続けろという。そして勿論真白さんは本気だ。本気で「きっとお前ならできるだろう」と信じている。
我が身には過分な期待すぎて非常に心苦しいが、それだけ信じてくれているならば結果はどうあれ最後まで全力で頑張らねば、男らしくない。
「ふっ、ぐ、ぉっ………!!!」
「その調子、その調子。でもせっかくの模擬戦なんだから、ちゃんとそっちからも反撃しないと」
「!?!?!?」
ふざけんなこんちくしょう。怒涛の連撃をどうにか防御するだけで頭が破裂しそうだというのに、その上で反撃まで行えと。もしや煽りかこれ。
気づけば周りの視線も同情じみたものに変わってきている。やめてくれ、そんな目で見ないでくれ。心が折れそうだ。
いや、まだだ! 頑張れ義勇頑張れ! 俺は今まで(たぶん)よくやってきた!! 俺は(恐らく)できる奴だ!! そして今日も!! これからも!! 折れていても!! 俺が挫けることは(きっと)絶対に無い!!
「っ……!! っ、ぃ…………!!!」
正しい呼吸を意識しろ。気合と根性任せの無理矢理な呼吸では無い、規則正しく自然体の呼吸を。全集中の呼吸をすることを当たり前だと思え。本当に正しい呼吸法ならば、身体を縛り付けようとしている疲労など生まれない。
全身を制御しろ。自分の体を支配しきれ。あらゆる無駄を削ぎ落とせ。俺には、それが出来るはずだ。
(――――”先”を、見るんだ)
どう動けば次に繋がるかを、視覚と聴覚を最大限まで駆使して把握する。相手の挙動から攻撃の軌道を読み、それに対して今の自分が出来る最適解の動きを繰り出す。そうすると今の今まで後ろに下がりっぱなしだった足が初めて、ピタリと止まった。
「……凄い、もう対応し始めてる。きっと君は、追い込まれれば追い込まれる程、爆発的に成長できるんだね」
その後も木刀は何度も何度もぶつかり合い、木片を飛び散らせる。
一秒が一分とも思える程引き伸ばされた世界の中で、俺は必死に耐え続けた。全方位から襲い掛かってくる攻撃を何度も無心で捌き続けて――――そしてついに、宣言通りの十分が経過した。
「――――【肆ノ型】」
瞬間、一瞬生まれた安心をかき消すような宣告。
――――そうだ、彼女は「維持しろ」とは言ったが、それで訓練を終えるなどとは一言も言っていない。
俺は微かな間でもそんな甘ったれた思考をした己を恨みながら、一瞬だけ止んだ剣戟の隙を縫うようにどっしりと正面に構える。これから繰り出される神速の乱舞に備えるために。
「【拾壱ノ型】――――」
頭を回せ。身体を動かせ。全力で抗え。
「【
「【凪】」
技名の示す通りの雪崩の如き超連撃。興奮による脳内麻薬の分泌が無ければまともに視界に捉えることすら困難だろう連続攻撃を、俺は身体の反射反応を全力駆動させて対抗する。
一撃目、受け流す。
二撃目、弾く。
三撃目、打ち上げる。
四撃目、地面に落とす。
五撃目、身体を捻りながら流す。
六撃目、剣先を巻き取って上へ弾く。
七撃目、脇腹に受ける。
八撃目、左肩が打たれる。
九撃目、右脹脛が叩かれる。
十撃目、流すも頬を掠る。
そして、十一撃目――――高速の打ち上げ攻撃に対して、俺は木刀を盾の様に正面から構えて真っ向から受け止めるも、抵抗空しくそのまま体ごと空へと弾き飛ばされてしまった。
――――だが、それこそが俺の狙いだった。
「!」
「【捌ノ型】――――ッ!!」
強引に空中で体勢を整え、俺は木刀を大上段に振り上げた。繰り出すのは上から放つ強烈な一撃。
「【滝壷】!!」
滝から流れ落ちる瀑布のような攻撃が真白さんの肩目がけて落とされた。相手は技を放った直後で隙を晒して回避は困難。
ならば、これで――――!!
「お見事」
小さな声。それが聞こえて、直後に両手から爆ぜる音と共に木刀が弾き飛ばされる。それだけでなく、頸と鳩尾に染み渡るような痛みが走って、俺は何が起こったのかすらわからないまま意識を失った。
「――――さん――――勇さん――――……義勇さん! 聞こえますか?」
「……しのぶ?」
パチパチと、頬から伝わる軽い衝撃と共に目を開く。
目の前にある、上から俺を見下ろしている顔は間違いなくしのぶのもの。はて、どうして彼女が此処にいるのだろうか。……いや、それより訓練はどうなった。俺は、確か。
「しのぶ、此処は……病室か?」
「はい、村田さんたちが運んできてくれたんですよ。それより、訓練中に気絶したって聞きましたけど、一体どんな無茶をやらかしたんですか」
「それは、まあ、色々と……」
窓の外を見れば、もうすっかり夕方だ。どうやら俺は随分と長く気を失っていたらしい。
なんてことだ。せっかく柱相手に鍛錬できる機会が訪れたというのに、そのほとんどをふいにしてしまった。不覚、未熟。なんという体たらく。穴があったら入りたい。
「――――起きたのね」
「えっ」
そう思っていたら、予想外の人物の声が聞こえた。
隣を見れば、なぜか真白さんが床の上で正座をしていた。さながら瞑想のような……いや、実際にしていたのだろう。鍛えるべき俺が気を失って暇を持て余してしまったから。
そう思うと、とても申し訳ない気分になる。
「あの、すいません。俺が……」
「……倒れてからずっと見ていた。気絶中も全集中の呼吸を途切れさせなかった。戦闘中と睡眠中の呼吸の維持、ちゃんとできたね」
「え?」
「気絶させたのはわざとだよ。戦闘時の緊張状態を保ったまま意識を失わせて、無意識に呼吸を刷り込ませる必要があったから。常中が途切れたら叩き起こすつもりだったから、あまり気にしないで」
「え、えぇ……?」
どうやら俺の気絶は事故ではなく故意によるものだったらしい。
それは、彼女の期待外れにならなかった事を喜べばいいのか、あっさりと叩きのめされたことを悲しめばいいのか。……というか方法が少し強引過ぎやしないだろうか。
しかし確かに彼女の言う通り、今の俺は意識せずとも全集中の呼吸をごく自然体で行っていた。無論戦闘時ほどの強さでこそないが、それでも寝てる間も行えるようになったのは大きな進展だ。
この感覚をしっかりと忘れないよう記憶しなければ。
「これで稽古は終わりだね。うん、君との手合わせは思いの外楽しかったよ」
「こちらこそ、本当にお世話になりました」
「ふふっ……それじゃあ、もう私は行くね。……あ、これ。雫さんからあなた宛てに手紙」
真白さんが袂から折りたたまれた紙を取り出して俺に手渡した。
早速広げて中身を見れば、”常中を習得したならもう任務に復帰しても大丈夫。明日の朝九時に屋敷まで人を送るから、それまでちゃんと準備と挨拶を済ませておくように。”という文だけ書かれていた。
……人を送る? どういうことだ?
手紙の内容の一部がよく理解出来なかったが、とりあえず真白さんに礼を言うのが先か。
「態々ありがとうございます、明雪さん」
「うん。……頑張って強くなってね、冨岡君。期待してるから」
さすさす、と真白さんは俺の頭を何度か摩ってから部屋を後にした。
……まるで雪の様な不思議な女性だった。自然の絶景のように美しく、触れば融けてしまいそうな儚さを併せ持った人。それでいてあんなにも才に溢れているのだから、天は惜しげもなく一物も二物も彼女に与えたのだろう。
ただ、美貌の代償として日の光をまともに浴びられない身体となってしまったのは、本人のためになっているとはとても思えないが。
「……義勇さんはああいう人が好みなんですか?」
「何だ、藪から棒に」
「いえ、その……ちょっとだけ気になって」
突如しのぶが何の脈絡もなくスットコな事を言い出した。やはり多感なお年頃なのだから、もしかしたら男女の色恋に興味深々なのかもしれない。が、残念ながらその期待には応えられそうには無かった。
「綺麗な人だとは思うが、そのくらいだ。お前の思っているような感情は抱いていないさ」
「そ、そうですか……。じゃ、じゃあ義勇さんは他に気になる人とかは――――」
「それに俺は……誰かとそういう関係になるつもりは無いんだ」
「え……」
子供から大人に成長して、同じ年ごろの女性と恋をして、結婚をして、子供を儲けて幸せに暮らす。当たり前の幸福。ありふれた幸せの姿。
俺は、それを求めない。死ぬまで独り身を貫いて、鬼殺に身を置き続けてその果てに死ぬ。それは既に決めていたことだ。
こんな不愛想な男を好きになる物好きなどいるとは思えないが、何にせよ俺は誰かとそういう関係を結ぶつもりは毛頭ない。
「俺は、俺たち鬼殺隊はいつ死んでもおかしくない。安易に誰かと恋仲になって、何かの不幸で帰らぬ人となり、愛した者を一人置いて行くなんて……そんな残酷な事は、俺はしたくない」
「義勇さん……」
それに。……俺が死んだ時に、悲しむ人間は一人でも減らしたいから。
何とも身勝手で、卑屈な理由だ。
そのまま重苦しい沈黙が続いていると、不意に部屋の扉が開く音がした。顔を上げてみれば、顔をやつれさせた村田達がフラフラと気力を無くした様子で部屋に入ってきていた。
機能回復訓練で相当しぼられた様だ。
「村田、吉岡、長倉、島本、野口。訓練はどうだった」
「あ、ああ……な、何とか全部熟せた……」
「苦しい……辛い……しんどい……」
「明日から任務だってさ……もうここに引きこもりたい……」
どうやら全員訓練を一通り熟してきた様だ。その証拠に数日前まではほっそりとしていた身体にいくらか肉が戻ってきている。
様子こそげっそりとしているが、これなら明日から任務に行ってもきっと大丈夫だろう。
「ちょっと! 鬼殺隊たるものこの程度で弱音を吐いてどうするんです!! そんな弱気では出る力も出ないんですから、嘘でも自分を鼓舞する言葉くらい言ったらどうです!?」
「ひぃっ!? と、冨岡! この子お前の彼女だろ!? 手綱くらいちゃんと握れよ!」
「なっ、かっかかかか彼っ「しのぶは彼女じゃない。(俺などとてもしのぶのような立派な子に釣り合うような男ではないのだからしのぶに対して)失礼なことを言うな」――――」
あらぬ誤解を生みそうだったので馬鹿なことを言う村田にすぐさまきっぱりと否定の言を伝える。すると何故かしのぶがピクリと固まってしまった。
そして何故か無言の笑顔で、額に青筋を立てながら俺をじっと見ている。
……なんだ?
「義勇さん」
「? なんだ、しの――――」
「この馬鹿ッ!!!」
怒気の籠った声と共に俺の頬へと突き刺さるしのぶのストレート。抉り込むような一撃が叩き込まれた俺はぐるりと体を回転させられながらベッドから落とされた。なんで?
「この唐変木! 女タラシ! すけこまし! そんなムキになって否定すること無いじゃないですか!!」
「??????????」
いや、ムキになったつもりは無いのだが。何故こんなに怒っているのかさっぱりわからない。
もしかしたら、しのぶは俺なんかの変人の恋人だと思われていた事に自己嫌悪を覚えて腹が立っているのかもしれない。……ならば俺が取るべき行動はただ一つ。
「しのぶ」
「なんですか!?」
「俺は、しのぶはとても魅力的な女の子だと思うぞ」
「あ、ぅっ、え…………ッ~~~~~~~~~~~~~~~~!! もう知らないっ!!」
俺はお前の事を優しくて心の芯が強い、素晴らしい人だと思っている。だからそう卑下せずに胸を張ってくれ。きっと素晴らしい殿方がお前の中の魅力に気づいてくれる。
と……そういう意図を込めて言ったはずなのだが、しのぶは何故か顔を赤くしながら部屋を飛び出してしまった。
よくわからないが、きっと人前で褒められたのが恥ずかしかったのだろう。年相応な可愛い反応に俺は思わず顔をムフフと綻ばせた。
「冨岡、お前さ。大人になったら背中に気を付けろよ」
「? 何の話だ?」
「うわぁ……ないわー。あれはないわー……」
「くそっ、顔も性格もイケメンの癖して鈍感とかふざけんなよお前……一つでもいいから寄越せチクショウ……!!」
「これで美人な師匠と姉弟子もついてるとか不公平過ぎる。俺たちも青春してぇ……」
俺はこの五人が何を言おうとしているのかさっぱりわからなかった。うーむ、俺もまだまだ勉強不足ということか。円滑なコミュニケーションの実現はまだまだ先になりそうだ。
しかし、一つ気になることがある。先程の雫さんからの手紙、”明日の朝九時に屋敷まで人を送る”とは一体どういう事だろうか。
言葉から察して雫さん本人が来るわけでは無いのだろう。そして日が出ている間は外出不可能な真白さんも違う。そもそも普通の任務をこなすだけなのに何故人を寄越すのか。任せたい任務があるならば烏で連絡を送ればいいのに。もしかして病み上がりの弟子が心配で同伴者でも付けてくれるのだろうか。
考えれば考える程疑問が尽きない。しかし、答えは明日判明する。ならば俺は言われた通りにやればいい。雫さんの事だ、きっと悪い様にはならない。
「……頑張らないとな」
窓の外の夕陽を見ながら、俺はひとりごちる。
もう、あのような無力感は味わいたくない。その一心で、俺は何も己の小さな手を握り込んだ。
強くならねば。
本当に守りたいものを、守り通すために。己の役割を、果たすために。
《独自技解説》
【全集中・雪の呼吸】
雪柱 明雪真白が独自に生み出した、水の呼吸と雷の呼吸を複合させた変幻自在の居合術。雷の呼吸と違い強い踏み込みを行わず、変化の加えやすい水の歩法によって一定の距離を保ち相手を翻弄しながら怒涛の居合連撃を打ち込むのが特徴。そのため技全てが連撃技となっている。
日輪刀の色は銀色。
【壱ノ型
超高速の三連撃。一撃目を敢えて遅く放つことで囮とし、次の二撃目、三撃目を本命の個所に叩き込む。
【参ノ型
歩法によって相手の目を幻惑しながら正面六方向からの連撃を打ち込む。相手の視覚が優れていればいる程視覚が惑わされやすく、回避が困難となる。
逆に言えば、視力に頼らない相手には効果が十全に発揮されないという欠点を持つ。
【肆ノ型
目にも留まらぬ速さの十一連撃による雪崩の如き高速連続斬撃。相手の防御や攻撃を速度と手数で真正面から削り潰すための技。
速度を重視するあまり他の技と比べて攻撃の軌道が単調なため、血鬼術や肉体任せでない純粋な技巧で防御をする相手にはあまり効果を発揮しない。