水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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とりあえず前もって作った分だけは毎日投稿するゾ



第弐話 弟子入り

「…………」

 

 少しずつ、少しずつ。散らばっていた意識の欠片たちが集まっていく。

 

 酷く気怠い全身。瞼が今までで初めて味わうほどに重く、俺はそれに可能な限り抗いながら徐々に瞼を開いて行く。

 

 瞼が見開かれれば、まず見えたのは真っ白な見知らぬ天井だった。微かに匂う薬品の刺激臭から、恐らく病院の類であると見当を付ける。次に体を起こそうとする。

 

 ……が、無理に力を入れようとすると激痛が走って動作を阻害される。無理に動けば床で芋虫の如く這いずることになりそうなので、俺は早々に諦めた。

 

(……此処は、一体……? いや、それより姉さんは……! あの後どうなって!)

 

 気を失う前の記憶を掘り起こしながら、俺は思考する。最後に見えた光景は、作務衣を着た天狗の面の老人が俺たちを襲ってきた鬼の頸を刎ねた光景。これが極限状態からくる幻覚でなければ、俺と姉さんは九死に一生を得たのだろう。

 

 しかしやはり姉さん本人の顔を直に確認するまでは安心できない。とりあえず何かしらの方法で人を呼ばなければ。

 

 そう思っていると不意に、複数の足音が近づいてくるのを感じる。どうやら呼ぶまでもないらしい。

 

「――――はい、医師の話ではいつ目を覚ますかはまだ不明で…………………え?」

「…………姉、さん」

 

 廊下に続く扉から顔を出してきたのは、間違いなく蔦子姉さんだった。見慣れた無地の小豆色の羽織を着て、まるで幽霊でも見たような驚いた顔をしている。

 

「義勇……義勇っ!」

 

 果物の入った籠を投げ捨て、蔦子姉さんは涙を流しながら俺の体に抱き付く。ミシミシっと体から嫌な音が響いたが、それ以上に俺は安堵した。

 

 守れた。俺は、守れたんだ。死ぬはずだった姉を、自分の手で。

 

「とっても心配したのよ! もう二ヶ月も目を覚まさなくてっ、このまま死んじゃうんじゃないかって……!」

「……ごめん」

「もう、本当に……よかった……っ!」

 

 未だに不自由な体をどうにか力を振り絞って動かし、俺は泣きじゃくっている姉の背中を弱々しく摩る。二ヶ月も眠っていたのならば、身体機能の低下ぶりも納得だ。だが、たかが二ヶ月だ。姉を守れた代償としては安すぎると言う他ない。

 

「――――感動の再会に水を差すようで悪いが、失礼していいだろうか?」

「あ、す、すみません鱗滝(うろこだき)様! こんな見苦しい姿をお見せしてしまい……」

「いいや、弟を思う姉の何処が見苦しいものか」

 

 少し後から、天狗の面を付けた老人が入ってきた。彼こそが俺たち二人をギリギリで救出してくれた張本人にして、元鬼殺隊最高位『柱』の称号を持っていた――――

 

「儂の名は鱗滝左近次(うろこだきさこんじ)という。一応姉からお前の名は聞いているが、名を聞いてもいいか?」

「……はい、冨岡義勇です」

 

 俺は姉に助けられながらどうにか体を起こし、ペコリと頭を下げた。命を助けてもらった大恩人だ、失礼するわけにはいかない。

 

「うむ、礼儀正しい良い子だ」

「鱗滝様、本当に、本当にありがとうございました。俺と姉の命を救ってくださって、感謝の言葉もありません」

「私からももう一度感謝を述べさせてください。本当にありがとうございました、鱗滝様! 貴方がいなければ、私も弟もどうなっていたか……」

「実に、運が良かった。偶々近場まで買い出しに来ていた故、引退を一時だけ返上して駆けつけられたのだ。これも天の思し召しだろう」

 

 深く、深く頭を下げる。

 

 心の底からの感謝の言葉を貰って、鱗滝さんはお面に隠れていたものの、少しだけ柔らかい空気を纏ったような気がした。どうやら喜んでくれている様だ。

 

「さて、義勇少年。少しだけ聞きたいことがある。お前さんはどうやって鬼の足止めをした? 姉から、お前さんが鬼と十分以上戦い続けたと聞いた。その方法を是非知りたい」

「それは……聞き伝えで鬼が藤の花を嫌うと知り、いざという時に作っておいた家畜の糞尿と藤の花の粉末を混ぜたものを使って、何とか隙を作って戦いました。それでも紙一重でしたが」

「……義勇、この頃玄関が臭うと思っていたら、貴方の仕業だったのね?」

「……ごめん」

「ふぅむ……」

 

 鱗滝さんは腕を組んで黙考し、俺の言葉の真偽を判断している。しかし嘘はついていないのだ、特に怪しまれることも無い、筈だ。

 

「成程、これもまた天賦の才、か……。埋もれさせるには惜しいが……いいや、駄目だな」

「鱗滝様?」

「いいや、こちらの話だ。義勇少年よ、もう一ヶ月ほどこの場所にいてもらわねばならないが、了承してくれ。お前さんの体をこのままにして帰すわけにはいかんからな。治療代は儂が既に払っている、心配は無用だ」

「はい。ありがとうございます、何から何まで」

「では、儂はこれで。何かあれば、この烏を使って呼び出すといい」

 

 そう言いながら、鱗滝さんは服の中に隠れていた烏を引っ張り出して窓の縁に置き、軽い会釈をしてこの場を後にした。

 

 後に残ったのは、俺と姉の二人のみ。蔦子姉さんは俺の手を痛くない程度にぎゅっと握り、優しい手つきで俺の頭を何度も撫でてくれる。すると自然に涙が浮かんできて、それを見て慌てる姉の姿を見て……胸がこれでもかと満たされる感覚を味わった。

 

「義勇」

「?」

「ありがとうね。私のために、こんなに頑張ってくれて。義勇、私の可愛い自慢の弟」

「……………うん」

 

 止めどなく涙があふれ出す。

 

 俺は守れた、大切なモノの一つを。

 

 だが、この後は。

 

 俺が頑張れば助けられる命は、どうすればいいのだろうか。

 

 

 ――――答えは、既に決まっていた。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 入院から二か月後、無事病院での機能回復(リハビリ)を終えた俺は数日ほど準備期間を置いて、記念すべき蔦子姉さんの祝言を見届けることができた。

 

 相手はとても優しそうで頼りがいのある男だ。既に交際から数年以上経過している、裏の顔とかそう言うのは無いので、姉を安心して託せる以上俺から言える文句は無かった。

 

 それに相手の職が高給取りというのも非常に助かった。これで少し値が張っても、遠い町から藤の花を取り寄せることができる。これについては俺は心底相手の男に感謝したものだ。

 

 そして、これから俺は姉夫婦と一緒に暮らす――――筈、だった。

 

 一ヶ月ほど姉と暮らしながら悩みに悩んだ末に、俺が鬼殺隊に入るという選択をしなければ。

 

「義勇……本当に行っちゃうの?」

「ああ、もう決めたんだ。自分の信じる道を行くって」

 

 軽い荷物を背負いながら、俺は姉夫婦の暮らす家の前で静かに姉へと告げた。

 

 鬼殺隊や鱗滝さんから事情聴取を受けたので、姉は鬼殺隊がどういう場所なのかは知っている。即ち死地。一歩間違えれば鬼と言う存在に殺され、貪り食われる。

 

 当然俺がこの道を行くことに姉は猛反対した。誰が唯一の肉親をみすみす死なせに行かせようものか。

 

 だが、それでも……俺は自分の成したいことをしたい。

 

 全てを救いたいとは言わない。でも自分が助けられる命は、助けたい。それが俺の望みであり、“役目”だ。

 

「毎月手紙を送る。何かあったらすぐに連絡するよ。だから……」

「義勇」

 

 未だに悲しそうな表情をする蔦子姉さんをどうにか安心させようと出せる限りの言葉を尽くすが、姉さんは悲哀に満ちた顔で俺を抱きしめた。

 

 俺も、姉の背に手を回す。

 

「頑張って。絶対に、死なないで。約束よ」

「……ああ、約束だ」

 

 その言葉を最後に、俺は姉と別れた。きっと幸せになれるだろうことを信じて、俺は目的の場所――――育手(そだて)……鬼殺隊に入る剣士を育てる者の一人である鱗滝左近次の住む狭霧山へと足を進め始めた。

 

 実は病院での訓練中、俺は何度か見舞いに訪れた鱗滝さんに鬼殺隊へと入隊するために弟子入りを頼み込んでいた。

 

 だが、

 

「駄目だ」

「え」

 

 その全てを断られた。だがその意図に悪意はない。

 

 推察するに、きっと俺を心配した末に出した拒絶だろう。もし俺が姉を亡くしていたのならば渋々受け入れていたのかもしれないが、姉は生きている。俺は鬼と関わらず家族と幸せに暮らせる選択肢がある。だからこそ断ったのだろう。

 

 お前は姉と共に普通に生きろ、と。

 

 確かに、その選択について未練が無いかと言えば嘘になる。だがそれ以上に俺は我慢がならなかったのだ。

 

 救えるはずの命を見捨てて、のうのうと幸せに生きる自分など腹が立って仕様がない。冨岡義勇()が救える筈の命を救わないで、更なる惨劇を起こすなど絶対に嫌だ。

 

 だから俺は決めた。彼の住む場所に行って直談判しようと。

 

 受け入れてくれるかどうかはわからない。だが誠心誠意頼み込んでみる。

 

 それでも無理だったら……我流で何とかするしかないか。

 

「…………此処が」

 

 そうこう言っている内に遠目でではあるが狭霧山らしき山が見えてきた。此処まで大体徒歩で二週間かかった。初めての遠出で、更に山も数個ほど越える必要があったが、もともと鍛えていたからかそこまで苦では無かった。

 

 初めての野宿は大分大変ではあったが。

 

 麓近くの農村を横切りつつ、俺は山の近くに鱗滝さんらしき気配が無いかを探りながら周囲を散策する。

 

「……あそこか」

 

 十分ほど経っただろうか。ようやくそれらしき木造の家を見つけることができた。

 

 だが何故か人の気配がない。どこかに出かけているのだろうか。とりあえず家の戸を叩いて不在を確認してみるが、やはり居ない。仕方がないので近くに座れそうなものが無いかを探そうとして――――

 

「――――動くなっ!」

「ふぎょっ」

 

 上から降ってきた何かが俺の背中を踏んずけ、そのまま碌な抵抗もできずに俺は地に接吻をすることになってしまった。

 

 痛みに悶えながらどうにか顔を動かして、人様の背中に乗っている奴の顔を拝むと。

 

「誰だお前は。お前の様な子供が鱗滝さんに何の用だ」

「……えっと、俺は」

 

 目線の先に居たのは、宍色の髪を持つ少年。木刀の先をこちらの顔に突きつけながら怪訝そうな表情で俺を見下ろしている。

 

「返事が遅い。それでも男か」

「……俺は、冨岡義勇。鱗滝さんに、弟子入りの申し込みに来た」

「弟子入り? そうか、そう言う事なら納得だ。何かのために強くなりたいと決意している男の目をしている」

 

 納得がいったのか少年は俺の背から足をどけ、俺もフラフラと羽織についた土埃を払いながら立ち上がる。すると件の少年はスッとこちらに手を差し出してきたので、俺は反射的にその手を握り返した。

 

「俺の名は錆兎(さびと)だ。お前が鱗滝さんの弟子になるというなら、兄弟子ということになるな」

「ああ、よろしく錆兎。所で鱗滝さんは何処にいるんだ」

「何を言っているんだ。先程からお前の後ろにいるだろう」

「っ!?」

 

 言われて直ぐに振り返れば、そこには天狗の面をした老人、鱗滝さんが無言で佇んでいた。その威圧感に押されながらも俺は直ぐに気を引き締め直し、何も言わずにその場で土下座を行う。

 

「何度も同じことを言って申し訳ありません。ですがお願いします、俺を……俺を弟子にしてください、鱗滝さん」

「……何故来た」

「鬼殺隊に入るためです」

「お前には肉親が残っているはずだ。何故傍に居てやらない」

「……姉から許可はもらいました。約束もしました。だから、お願いします」

「…………………」

 

 鱗滝さんは何も言わない。近くに居る錆兎も並ならぬ物を感じたのか声一つ上げなかった。

 

 その状態で五分は過ぎたか、やがて鱗滝さんは深いため息を吐き、無言で踵を返した。

 

「……ついて来い。お前の覚悟とやらを試させてもらう」

「っ、はい!」

 

 俺は後ろにいた錆兎に一礼を残しながら、有無を言わさず山へと歩き出した鱗滝さんの後についていった。

 

「何故、鬼殺隊に入ろうとした。義勇」

「……何故、とは」

「鬼は恐ろしい生き物だ。奴らとの闘いは命懸けだ。お前は姉に『死なない』とでも約束したのだろうが、現実はそう甘くない。死ぬときはあっさりと死ぬ。それが鬼殺隊だ」

「……わかっています」

「わかっていながら何故来た、この愚か者め。その意気は認めるが、果たしてその覚悟が見得による空っぽなものか、それとも心の底から来る本物なのか――――それは今から、わかることだ」

 

 二時間程過ぎて、鱗滝さんはその歩みを止めた。

 

 周囲は霧だらけ。空気も薄く、かなり寒い。下手するとそのまま迷って一生出られなさそうなほどだ。

 

「夜が明ける前に、此処から麓の家まで降りてこい。できなければお前の弟子入りは認めん。そして今後一切鬼殺隊に関わることも禁ずる」

「っ…………」

 

 予想はしていたが、かなり厳しい条件を突きつけてきた。その言葉に息を呑みながら、俺が無言でコクリと頷くと鱗滝さんはそのまま霧のように消えてしまった。まるで本物の天狗のようだ。

 

「早く、降りないと……」

 

 俺は、炭治郎の様な嗅覚は持っていない。精々人より勘が鋭い程度だ。故に臭いで罠を感知するなんて人離れした芸当はとても無理だ。だけど、それでもできることを見つけてこの試練を乗り越えるしかない。

 

 そう思いながら周囲を注意深く探りながら歩いていると――――ふと足に紐の様な物が引っかかった。

 

 直後、枯葉の下から押さえつけられていた竹が幾つも飛び出して俺の体を滅多打ちにする。

 

「ぐぁっ!!」

 

 どうにか両腕で防御出来たが、身体は後ろにふっ飛ばされてしまう。そのまま地面を転がると、何故か感じる浮遊感。そして全身が地面へと打ち付けられる。どうやら吹き飛ばされた先に落とし穴があったらしい。

 

(ふぅっ、ふぅっ……頑張れ、俺。頑張れ、冨岡義勇。お前は頑張ればできる奴だ。頑張れ!)

 

 心の中で何度も自分を鼓舞しながらどうにか落とし穴を這い出、もう一度麓へと歩く。方向感覚をしっかりと保たないとすぐにでも狂いそうなほど不安定だ。道を見失うな。己を信じろ。

 

「――――あ」

 

 また、足に紐がかかる。すると背後から何かが降り注ぐ音がして、振り返ると――――丸太の群れがこちらへと転がり落ちてくる光景が見えた。

 

(なっ……うぉぉぉぉおおっ!?)

 

 咄嗟に前方の木々の間に飛び込む。直後に襲い掛かる丸太たちであったが、木々に阻まれてその勢いを殺されてしまった。どうにかやり過ごせた俺はふぅと一息つき――――反射的に上体を跳ねさせ横から来た振り子仕掛けの丸太を回避する。

 

「危っ……!?」

 

 そして上から降り注ぐ小石の雨。すぐさま横に飛んで回避。ズドドドと凄まじい音を立てながら地面を叩く石たちを見て背筋が凍る思いだ。どれも一歩間違えれば致命傷になりかねない。

 

(少しの油断も許されないわけか……!)

 

 ――――上等だ。

 

 俺は拳を握りしめ、折れそうな心を必死の思いで立て直しながら駆けた。

 

 道中で幾つもの罠の襲撃を受けた。石が飛び、丸太が落ち、地面から棒が生え、紐で逆さ吊りにされる。とてもつらかった。痛かった。何度も挫けそうになった。

 

 その度に思い出す。あの夜の事を。

 

 一歩間違えれば全てが台無しになった。全てを失うことになった。そして、その瞬間はまた次訪れないとは限らない。

 

「俺は……!」

 

 俺は守りたい。俺が強くなる事で守れる人を。その為にも強くならなければならないんだ。

 

 こんな所で、諦めて堪るか――――

 

「うぁぁぁぁあぁあぁあああああああああっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 囲炉裏からパチパチと火が弾ける音がする。その暖を囲んでいるのは鱗滝左近次と、錆兎の二人のみ。

 

 日課である鍛錬を終えた二人は、夜はこうして師である鱗滝と共に休息を取る。鍋でぐつぐつと煮込まれる米と味噌汁と炭火で焼かれる魚は実に芳ばしい香りで二人の空腹を擽ってくる。

 

 だが錆兎はそれよりも気掛かりなことがあった。

 

「……帰ってこないな、あいつ」

「…………安心しろ。お前の食事を用意したら、すぐに様子を見に行く。死なせはせん」

「そうですか。だが、やはり心配なものは心配だ」

 

 同年代の者に久しく会えたのが影響したのか、妙に心配そうな錆兎を見ても鱗滝は何も言わずに鍋をかき混ぜていく。

 

「鱗滝さん。あいつ……義勇はどんな奴なんだ。どうやって知り合ったんです?」

「……気になるのか?」

「あそこまで真摯に頭を下げてきたんだ。余程の事情があると察しました。しかし鱗滝さんはこれを拒んだ。それがどうしても引っかかる」

「…………奴は、偶々儂が近くを通りかかった時に鬼の襲撃から助けた子供だ。義勇は強い子だった。たった一人で人食い鬼を足止めして、自身の唯一の肉親である姉を助けようと死ぬ寸前までもがいていた」

「! そうか、それでアイツは姉を……」

 

 味噌汁を掬って椀に注ぎ、錆兎の前に差し出す。だが先程までの空腹は何処に行ったのか、錆兎は鱗滝の話に夢中になって食い付いていた。

 

 それを見て話し終えるまで食事を始めそうにないなと察した鱗滝は、なるべく簡潔に話を畳むことにした。

 

「いいや、義勇は姉を守り通せた。儂が駆けつけるまで鬼を足止めしきったのだ。きっとあの子はお前と同じく天から大きな才を与えられたのだろう。鍛えれば、きっと強い剣士になる。――――だが、あやつには姉が残っている」

「……そうか、守れたのか。あいつは」

「儂はあやつに剣士になって欲しくないと思っている。一人残った姉と共に、普通の幸せを掴んでほしいと。……あやつはまだ、帰れる場所があるのだ」

 

 それだけを言って、鱗滝は言葉を止めた。錆兎はそれを聞いて複雑な表情を浮かべるが――――しかし顔を引き締めて、真っ向から質問をぶつける。

 

「じゃあ、義勇が夜明けまでに此処にたどり着けたらどうするんですか?」

「男に二言は無い。責任を持って、儂はあやつを鍛える。あやつの覚悟が本物ならば、儂もそれに応えなければなるまい」

「……なら、きっとアイツは此処まで来ます」

「何故、断言できる?」

 

 鱗滝に問われた錆兎は薄い笑みを浮かべて、力強く答えた。

 

 

「アイツの目は本気だった。漢としての決意と覚悟が籠っていた。なら、辿り着く以外の結果は無い!」

 

 

 その時である。

 

 おもむろに音を立てながら家の戸が開けられた。突然の出来事に思わず構える二人だったが――――戸の向こうから現れた者を見て言葉を失う。

 

「こほっ……は、ぁっ、はぁっ……た、だいま……戻り、ました……」

 

 全身泥と痣だらけ、口と頭から血を流し、今にも死にそうなほどかすれた呼吸をしながら、冨岡義勇はそこで確かに立っていた。鱗滝も、予想の倍以上の速さで降りてきた彼の姿に呆気にとられて茫然としている。

 

 恐らく数々の罠を無理矢理突破したのだろう。辛うじて骨折などの大きな怪我は無い様だが、怪我をしていない箇所を見つける方が難しい有様だった。

 

「義勇、お前さんは……」

「鬼から、守るんだ……姉さんを……友を……人、を……家族を……俺、は……」

「義勇!」

 

 搾り出すようにその言葉を残しながら、義勇はその場で倒れ込んだ。錆兎は直ぐに駆けつけてその倒れそうな身体を抱きとめて支えた。そして鱗滝の方に顔を向けながら、得意げに笑みを浮かべたのだった。

 

「俺の言った通りになっただろう、鱗滝さん」

「……ああ。お前さんの覚悟、本物だと認めよう。義勇」

 

 やっと踏み出せた一歩。辛く険しいものであったが、少年は少しずつ歩を進め出した。

 

 己の望む夢への、確かな一歩を。

 

 

 

 


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