水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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第拾玖話 灯火の様な男

 もぐもぐと口の中の米を咀嚼する。噛めば噛むほど甘味がにじみ出てきてとても旨い。

 

「えっ、俺たちも食べていいんですか!?」

「勿論よ! ほら、しっかり食べて元気を出して! おかわりもいいわよ!」

「うめ、うめ、うめ」

 

 現在、隊服を着込んで着実に任務へ向かう準備を終えた俺たちは朝食を摂っていた。ここ最近は味が薄めの病院食ばかり口にしていた反動か、俺と同室になっていた隊員たちは踊り狂いながら椀に盛られた白米を口の中にかき込んでゆく。

 

 いや、喜んでいる要因はもう一つあるか。そのもう一つとは他でもない、食事を渡しているのが鬼殺隊の中でも数少ない、そして間違いなく五指に入るだろう美少女、胡蝶カナエであるからだ。

 

 女っ気がほぼ皆無に近い鬼殺隊にとって、これほど貴重な施しもないだろう。

 

「しかしよかったのか? わざわざ此処まで来て、朝食まで用意してくれるなんて」

「大丈夫。溜まっていた任務は昨日のうちに消化したし、しのぶやカナヲの様子も見ておきたかったから。あ、もちろん義勇君の顔も見に来たのよ?」

「……ありがとう」

 

 俺は自分の隣でちょこんと座る少女……カナヲに視線を移す。

 

 先程からぐぅぐぅとお腹が鳴っているにもかかわらず、彼女の前にある盆に乗せられた朝食には全く手が付けられていない。ただじっと、目の前の食事を見つめるばかりである。

 

「カナヲ、ほら。箸を持って、食べるんだ」

「……………」

 

 カナヲは睡眠と何とか教え込んだトイレ以外は自主的に何かをしようとしない。それ自体は知っていたことだが、こうして直に接しているとその危うさが嫌でもわかってしまう。

 

 この子は言われないと腹が減っていてもご飯を食べないし、例え暴力を振るわれても抵抗どころか逃げようともしないだろう。心の傷によって、自己判断力というものがそのままごっそりと抜け落ちた状態だ。実に危うい。少しでも誰かが目を離せば何が起こるかわかったものでは無い。

 

 だが……俺にはこれから鬼殺隊としての任務と言う仕事がある。鬼との死闘にまだ隊員でもなければ十にも満たない子供を連れて行くなど論外なので、大怪我を負ったりなどの事態でもなければこれからカナヲと一緒に居られる時間はかなり限られてくる。

 

 幸いというか、しのぶが医学・薬学を勉強するためにこの屋敷にて長期間世話になるようなので、彼女にカナヲの世話を任せることが出来るのだが……自分が負うべき負担を押し付けているようで、やはり気は進まない。

 

「すまないな、カナエ。しのぶにこの子の世話を押し付ける形になってしまって」

「いいのよ。困った時はお互いさま、でしょう?」

「……重ね重ね、世話になる」

 

 本当に、胡蝶姉妹には頭が上がらない思いだ。

 

 壁に立てかけられた時計を見れば、そろそろ約束の時間が近づいてきた頃だ。俺は朝食の残りを急いでかき込み、路銀や非常食などの必要最低限の荷物の確認をし始める。鬼との戦いは何が起こるかわからないため、こういういざという時の備えこそ一番大事なのだ。

 

 そうして準備が完了し、来る人を待つために玄関を出る。さて、そろそろ時間の筈だが……。

 

「――――義勇!」

「! ……錆兎!」

 

 聞き親しんだ声がした。ハッと周りを見渡してみれば、道の向こうから見慣れた顔がこちらに向かって手を振っているではないか。あの宍色の髪、間違いなく錆兎だ。

 

 そして今気づいたが、もう一人分の人影が見える。

 

 毛先の赤く染まった黄色の髪という奇特な髪色、炎を模した羽織、途中から二つに割れた太眉に炎の様な赤い目を持つ人物。――――間違いなく煉獄家だと断言できる外見だった。

 

 と、いうことはもしや……。

 

「久しぶりだな義勇! まさか、お前"も"柱の継子になるとは思わなかったぞ」

「お前も、という事は……なれたんだな、炎柱の継子に」

「ああ。つい数日前にやっと弟子入りに成功してな……半日中頼み込んでも中々認めてくれないから、大変だったんだぞ?」

 

 近づいてきた錆兎とがっしりと手を握り合い互いの無事を確認した。二週間ぶりの再会の筈なのに、錆兎の変化は外見にこそ表れていないがかなりの差異を感じる。

 

 息の仕方や身のこなしから恐らく、錆兎も全集中・常中を習得したのだと感覚的に理解した。さすがは錆兎だ。俺と共に培った下地があるとはいえ、入隊二ヶ月少しでもう常中を完全にものにするとは。

 

 俺たちが互いの再会を喜び合っていると、少し遅れて煉獄家の人――――今代の炎柱と思しき人が到着した。一見して感じた印象は、灯火だろうか。杏寿郎のような激しい炎ではなく、ごく自然に揺らめいている仄かな火という言葉が脳裏をよぎった。

 

 一言で言うなら、剣の才を持って成長した千寿郎のような人だろうか。

 

「ははは……半日間も鱗滝君が数え切れないくらい頭を下げ続けるものだから、流石に無下にもできなくてね……」

「あなたは……」

「初めまして、冨岡義勇君で合ってるかな。俺は煉獄惣寿郎。未熟ながら、炎柱を務めている」

「どうも、初めまして。冨岡義勇です。……もしかして、雫さんの言っていた”人”って」

「ああ。間違いなく俺だ」

 

 炎柱、惣寿郎さんが手を差し伸べてきたので俺も手を出して握手を交わす。

 

 手を握り伝わる感触から、大まかに相手の実力を察してみるが――――なるほど、確かに間違いなく柱だ。纏う雰囲気こそ優男のものだが、その実力は俺が逆立ちしようが叶わないと確信する。

 

「それで、雫さんからの伝言は受けているよね。もう知っているとは思うけど、今日は俺と錆兎君と一緒に任務へ同伴してもらう予定で」

「え?」

「えっ?」

 

 上下に振っていた手が止まる。……どういう事だろうか。屋敷に人を送るとは聞いたが、炎柱の任務に同行しろなどとは一言も言われた覚えが無いのだが。

 

「……義勇、もしかして何も聞いてないのか?」

「ああ、いや。屋敷に人を送るからそれまで待て、とは言われたが」

「雫さん……また悪癖が出たか」

 

 何かを察したのか惣寿郎さんが顔を手で押さえながら呆れの混じった表情を見せる。悪癖、ということは。

 

「いやすまない。雫さんの継子である君の前で悪口を言うつもりは無いんだが……雫さんは手紙で連絡をするときに必要最低限の情報しか伝えない癖があってね。まあ、必要な情報はちゃんと伝えてはいるんだけど」

「なるほど」

 

 雫さんは口頭での会話は問題ないが、文通だと途端に駄目になるらしい。……今後も苦労しそうなので、肝に銘じておこう。

 

「しかし、雫さんはどうして炎柱様の任務に同行させたんでしょうか。柱との合同任務で経験を積ませるなら、雫さんに着いて行けば済む話だと思うのですが……」

 

 柱と共に行くのは、確かに俺たちの様な一般隊員にとっては貴重かつ大きな経験になるだろう。が、俺は水柱の継子だ。ならば水柱である自分の任務に連れて行けばいいのに、何故雫さんはわざわざ炎柱の惣寿郎さんに押し付けるような事をしたのだろうか。

 

 もしや、俺はまだまだ未熟だと遠慮されて……? いや、それなら炎柱とも行動させる訳がない。

 

「それも聞いてなかったのか……」

「やはり何か訳ありで?」

「ああ。恐らく雫さんは、今の君では自分が請け負っている任務にはまだ付いて行けないと判断したのだろう。彼女はここ最近、寝る間も惜しんで何日も道中の鬼を狩りながら関東中を走り回っているからね」

 

 それはまた随分な行動だ。休みも無く広大な関東区域を駆けずり回るとは、一体どんな任務ならそんな事をする必要があるのか。

 

 答えは、惣寿郎さんがすぐに教えてくれた。

 

「その任務とは一体?」

「……()()()()()、現下弦の壱の追跡。百年以上前から縄張りを転々と移しては、現れる際には一夜にして数百人前後の犠牲者を出す凶悪な鬼の捜索だ。雫さんはここ数年間、僅かな痕跡を頼りにその足取りを探っている」

「――――上、弦」

 

 その単語に俺は絶句するしかなかった。

 

 上弦。鬼舞辻の保有する鬼の中でも特に強力な六体。その顔触れは百年ほど前から変わらないらしいが、まさか現下弦の壱は元上弦だというのか。

 

 確かにあり得ない話ではない。元下弦である十二鬼月落ちもいくらか現存しているのだから、百年ほど前に入れ替わりの血戦で敗北し、下弦へと落とされた元上弦が居ても何らおかしくはないのだ。

 

 当然、その実力はただの下弦とは比べ物になる筈も無く……確かに、痣を発現させているとはいえ下弦の陸如きに殺されかけた俺ではその任務に着いて行ける訳がない。

 

 故に俺はそれ以上何も言えず、ただ自分の拳を握りしめる事しかできなかった。

 

「……そう悔しがらなくていい。冨岡君や錆兎君は最終選別を潜り抜けた立派な隊士だけれど、剣士としてはまだまだ未熟だ。どんな人間でも強くなるには時間が必要なんだ。焦らず、堅実に力を付ければいい。近道しようと危ない橋を渡ろうとして、そこから落ちない保証なんて何処にもないんだから」

「「はい!」」

 

 痣という代償有りの例外を除けば、人間の形を保ったまま突発的に強くなれる方法なんてありはしない。

 

 心底悔しいが、今の俺がすべきことは少しずつでも確実に己の刃を鍛えることだ。遥か未来にて待ちうける決戦、そしてその道中に立ちはだかるであろう数々の脅威を乗り越えるために。

 

 惣寿郎さんの励ましにしっかりとした返事で応えながら、俺は花屋敷の玄関へと振り向く。

 

「カナヲ、義勇君に挨拶しましょう? しのぶもほら!」

「……フン!」

「………………」

 

 ありがたいことに、胡蝶姉妹とカナヲが見送りに来てくれていた。しのぶは相変わらず不機嫌な顔だが、まあこれもしのぶらしいと言えばしのぶらしい。

 

「……しのぶ、怒ってるのか?」

「怒ってないです」

「その顔を見てその言葉を信じられる程俺も間抜けでは無いんだが」

「なんですか、乙女心を弄んだくせに白々しい顔をして! これだから義勇さんは!」

 

 なんだかよくわからないが俺はいつの間にか彼女の乙女心とやらを弄んでいたらしい。そんな記憶は全くないのだが……年頃の乙女は色々複雑なんだと自分を納得させた。

 

「はぁぁぁ……これ、どうぞ」

「へ?」

 

 しのぶは不機嫌そうな顔のまま、脇で抱えていた服のようなものを俺に差し出した。

 

 受け取って広げてみれば、これは……蔦子姉さんのお古を借りて着ていた小豆色の羽織ではないか。下弦の陸と戦った際に殆ど焼けてしまったので破り捨ててそのまま灰となってしまったはずだが、一体どうして。

 

「しのぶったら、義勇君のために態々町まで行って生地を買ってきて手作りしたのよ~。大切にしてあげてね?」

「姉さん! 余計な事言わない!」

「そうなのか」

 

 なるほど、どうやら完全に新しく仕立てたものらしい。しかもしのぶのお手製。蔦子姉さんの羽織が完全に焼失してしまったことは悲しいが、それでも俺なんかのためにしのぶがこれを作ってくれたのだと思うと、酷く嬉しくなる。俺も男という事か。

 

 大切にしなければ。俺は顔をほころばせながら早速羽織の袖に手を通した。体にピッタリ、良い仕上がりだ。

 

「ありがとう、しのぶ。大切に着る」

「……ちゃんと帰ってきてくださいよ。まだまだ言いたい事、沢山あるんですから」

「ああ、勿論だ」

「義勇君、気を付けて。……カナヲ?」

「……………………」

 

 カナヲは変わらず、何も言わずに服の裾を握るばかり。俺はそんなカナヲに苦笑しつつ、片膝を突いてその小さな体を優しく抱きしめた。

 

「……行ってくる。ちゃんと良い子でお留守番してるんだぞ」

「…………」

 

 返事は無い。ただ小さくこくりと、一度の頷きが返ってきた。……それで十分だ。

 

 俺は踵を返して、錆兎と惣寿郎さんの方へと歩き出す。名残惜しいが、何時までもこの屋敷に居るわけにはいかない。帰るのは、任務が終わってからか、大怪我してからだ。

 

 出来れば、前者の理由で戻ってきたいところだ。

 

 こうして俺は花屋敷へ別れを告げ、初めての柱との合同任務を行うことになった。

 

 この先に待ち受ける幾つもの苦難を知っていたら、一体俺はどんな顔になっていたのだろうか。

 

 どちらにせよ――――前へと進むのは、変わらない。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 窓の外に見える景色が高速で流れてゆく。ガタンゴトンと身体を微かに揺らす振動。少し遠くから響き渡る蒸気音が実に奥ゆかしい。

 

「おおお……本当にこんな巨大な乗り物が動くなんて! 汽車というのは凄いな義勇!」

「そうだな、錆兎」

「こらこら。他のお客さんの迷惑だからあまり大きな声を出しては駄目だぞ」

 

 もう予想はついているとは思うが、俺たちは今汽車に乗って移動していた。

 

 鍛えられた鬼殺隊員は本気で走れば馬並みの速度を出せるが、それを長時間維持できるかは別問題だ。柱ほどに鍛え上げられた者ならともかく、俺たちの様なひよっこは全力で移動できても精々一時間が限界だろう。とても柱と足並みを揃えられるとは思えない。

 

 なので惣寿郎さんは汽車での移動を選んだ。この文明時代、使える物は使わないと損だろう。余計な体力を使わず一纏めに効率よく長距離を移動できるのなら、これを使わない手立てはない。

 

「ありがとうございます、惣寿郎さん。切符だけでなく弁当まで買ってもらって。高かったでしょうに」

「いや、いいんだ。俺は私生活にあまりお金を使わないから、貯金が溜まっていくばかりで。こういう時に使わないと何時までも溜め込んでしまいそうだ」

 

 惣寿郎さんは切符代だけでなく道中で食べる弁当まで買ってくれた。それも握り飯のような素朴なものではなく幕の内弁当。そのお値段十二銭――――現代換算およそ二千円以上という高級弁当である。

 

 高価な分中身も当然豪華仕様。白米は当然として天ぷらやかまぼこ、卵焼きに魚焼き……と実に多彩な色どりで舌を飽きさせてくれないだろう。

 

 そんな物をポンと提供できる柱の収入には実に感心するばかりだ。給金無制限は伊達ではない。

 

 とはいえ、惣寿郎さんの口ぶりからして彼の場合は最低限の給金で留めているようだが。

 

「さて、移動の合間に任務について話しておこうかと思う。鱗滝君にもまだ任務の詳細は話していなかったからね」

「!」

 

 そういえば任務の内容についてまだ何も知らなかったと今更気づいた。これを聞かねば始まらないと、俺と錆兎は自分の席に着いて惣寿郎さんの話を聞き逃さないように耳を澄ます。

 

「まず今回の目的地は八丈島(はちじょうじま)と呼ばれる伊豆諸島の島の一つだ。つい数十年前まで流刑地とされていた場所で、今は一応観光地とされている。その島に向かうために俺たちは東京を経由して横浜港へと向かうこの列車に乗った訳さ」

「八丈島……? そんな陸地から離れた場所に鬼が?」

()()()()()()()()()、だよ」

 

 そう、陸地から離れているからこそ、人の出入りが限定されているからこそその場所は鬼にとっては絶好の餌場となりうる。

 

 脱出手段の限られた場所でものを言うのは絶対の強者。即ち、ただの人ではほぼ太刀打ちできない鬼こそがこういった隔絶した環境でこそ容易く頂点に君臨できるのだ。

 

 しかしこうやって鬼殺隊へと情報が流れてきたと言う事は、その鬼はついに情報統制をしくじったと言う事だろう。

 

「つい一週間前、島から脱出してきたらしい一人の男性を発見した。彼曰く、『あの島の山には蛇のような女が住みついている。大蛇を手繰り、怪力を持ち、一部の人間が庇護の対価に餌として百年以上生贄を捧げ続けている』と。これは、実に由々しき事態だ」

 

 惣寿郎さんが語る内容は想像以上に悲惨なものであった。

 

 鬼が人の目から隠れながら楽に食事にあり付けるために一つのコミュニティを丸ごと乗っ取っての百年以上の統治。食糧として飼いならすためにある程度の秩序は維持されているだろうが、恐らくそれは普通とはかけ離れたものであることは想像に難くない。

 

「その男性は何らかの血鬼術によって毒を受けていて、手足が動かない程に弱っていた。幸い彼の命は助かったが、この事から相手は毒に関する血鬼術を扱えることは確定した。それに最低でも百年以上生きてきた鬼だ。数字を持っているかは不明だけど、少なくとも下弦並みだと想定するべきだろうね」

 

 鬼は人を食えば食うほど強くなれる。ある程度の限度こそ存在しているが、それはあくまでも()()()()()()()()()()()()()()()というだけだ。時間をかけて大量の人間を食ってきたのならば……惣寿郎さんの言う通り相手は十二鬼月並み、最悪準上弦並みである事も想定しなければならないだろう。

 

 やはり柱が請け負う任務。一筋縄ではいかなさそうだ。

 

「それで師匠、俺たちはそこで何をすれば?」

「君たちは鬼との戦闘に巻き込まれそうな島民の保護を最優先としてほしい。無論、自分の命も蔑ろにしない様にね。そして万が一俺がやられたら、島民を可能な限り連れて撤退するんだ」

「それは……」

 

 もし炎柱が倒された場合、その鬼に今の俺たちが二人で掛かっても倒せるかは非常に怪しい――――いや、確実に敵わない。俺たちが二人がかりで襲い掛かろうが、惣寿郎さんに膝を突かせる光景すら想像できないのだから。

 

 故に、最高戦力が倒された場合に一般人を連れて全力で撤退するというのは決して間違った判断ではない。

 

 相手が俺たちをみすみす逃してくれるとはとても思えないが。

 

「……惣寿郎さん。もし島民から攻撃を受けた場合は、どうしますか?」

「ああ、先程の”一部の人間”の事だね」

 

 情報が正しければあの島は一部のみとはいえかなりの長期間鬼による支配が続いている。本土から離れた孤島とはいえ今の今まで不審な情報を全て隠し通すなど、鬼一人で出来るような所業の筈がない。確実に島民の中に複数人の協力者が存在していると推測した方がいい。最悪、島民全てが敵という可能性もある。

 

 それに強者の庇護というのは想像以上に人の心を揺さぶる物だ。定期的に生贄を差し出す必要があるとはいえ、人を越えた怪物の庇護下に居られるなど、力を持たない者にとってはこれ以上無い安心感を味わえるはずだ。それを利用すれば、人の心の懐柔などそう難しい事でもないだろう。

 

 無論、そんな理由で生贄などという行為が正当化されていいはずがない。しかし、彼らの未来は食われるか、協力するかの二つ。力の無い者に与えられた選択肢はたったこれだけだ。

 

 決して、一方的に責めることなど出来まい。

 

「そんな、自分を食うかもしれない鬼に協力するなど……信じられん」

「だけどあり得ない話ではない。流石に百年以上の君臨に前例はないけど、今まで鬼による小規模な集団の支配の例が無かったわけじゃないんだ。……もし攻撃を受けた場合は、なるべく気絶させる程度に留めてくれ。相手が鬼に協力していようが……人を殺すことは、いけないことだからね」

「「はい」」

 

 鬼殺隊は鬼を殺す組織だ。決して人を殺すための集団では無い。例えその人間がどれだけ意地汚くて、狡賢くて、卑怯な奴だろうと。鬼から人を守るために剣を取ったのに、その剣で人を殺すなど本末転倒に他ならないだろう。

 

「さて、これで任務についての話は終わりだ。目的地に着くまでたっぷりと英気を養ってほしい。戦場で腹が減っているせいで力が出ないなんて、笑い話にもならないからね」

 

 重苦しい空気を解く様に、惣寿郎さんは優し気な笑顔を浮かべてみせた。やはりというか、顔のパーツはほぼ一致しているのに、その印象は杏寿郎とも槇寿郎さんとも大分違う。

 

 窓の外を見てみれば、まだまだ目的地までは遠い。あと半刻以上はかかりそうだ。なので、暇つぶしがてらに俺は惣寿郎さんへと幾つか質問をしてみることにした。

 

「あの、炎柱様」

「惣寿郎で構わないよ」

「あ、はい。惣寿郎さんは、杏寿郎の叔父と聞きました」

「君も杏寿郎の知り合いだったのか? そうか、甥の友人が増えてくれるのは叔父として嬉しい限りだ。ああ、兄上……杏寿郎たちの父はどんな様子だ? やはり酒ばかり飲んで体を悪くしてないだろうか」

「ええと……いつか体を壊しそうではある、とだけ」

「……そうか」

 

 やはり惣寿郎さんは杏寿郎らの叔父、つまり槇寿郎さんの兄弟で間違いないらしい。しかし、今一番聞きたいことはそれではない。

 

「それでその、槇寿郎さん……兄とは随分疎遠になっているように感じますが」

「あぁ……。そう……だね、何と言ったらいいか……。俺としては、別に兄上や杏寿郎たちに悪感情を抱いている訳では無いんだけどね。……実家と距離を取ってから、もう十年以上経つ。偶に顔見せはしているけどね、今更どんな顔をして家の中に戻ればいいのか、わからないんだ」

「十年も……ですが、ご兄弟なのでしょう? なのにこんな他人の様な交流なんて」

「心配してくれてありがとう。けど……兄上は今更、俺と共に暮らしたいとは思っていないだろう。だから……もういいんだ」

「師匠……」

 

 聞けば聞くほど、煉獄家の複雑な家庭事情が鮮明になって見えてくる。これはきっと、俺たちの様な部外者が割って入っていい問題ではないのだろう。だが、惣寿郎さんのもう何もかも諦めたような顔を見ていると、胸が引き締まるような辛い気持ちになってくる。

 

 何とかしてあげたい。だが、どうすればいいのか。妻を亡くし、多くの部下を己の失態で死なせて、完全に意気消沈してしまった槇寿郎さんの炎をもう一度灯すには。

 

「すまない、暗い話になってしまった。任務前なのに気を沈ませるのはいただけないな。此処は一つ、皆でそれぞれ面白い話の一つでも披露していくのはどうだろう?」

「面白い話? ……参ったな、俺が思いつくのは義勇が狭霧山で修行中に野良犬の尻尾を踏んで追いかけ回された挙句尻を噛まれたことぐらいしかないんですが」

「……ぷっ」

「……なら俺もとっておきの話を一つ。狭霧山で修行中の話ですが、実は錆兎は寝ぼけて妹弟子の沐浴を覗き見したことが――――」

「おいちょっと待て義勇! それ誰から聞いた!? 真菰か? 真菰だな!?」

「ああ。いざという時のために弱みを握っておけ、と」

「……ふっ、ふふははは!」

 

 錆兎が他人に知られたくない嫌な思い出話を持ち出したので、俺も秘蔵のものを取り出して錆兎にぶつけてやった。正直あれは本当に嫌な思い出だ。いや、尻尾を踏んづけてしまった俺が全面的に悪いのだけれど。

 

 しかし俺たちのやり取りは暗い表情だった惣寿郎さんに笑顔を浮かべさせるには十分だったらしい。ならこんな思い出話も掘り出した甲斐があったという物だ。

 

 ガタンゴトンと電車が揺れる。

 

 任務終わりに自分がどんな姿になるのかはわからない。だが、俺の帰りを待っている人がいる。ならば死ぬまで生きようと足掻こう。

 

 それを胸の中で密かに誓いながら、俺は窓の外の曇り空を眺めた。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 大昔から流刑地として利用されてきた八丈島であるが、今は既にその用途には使われておらず観光地となっている。

 

 観光地と言っても見る物は豊かな自然と牧場、薩摩芋とそれから作る焼酎があるくらいか。正直余程の物好きでもなければ態々足を運ぼうとは思わない島だろう。旅行が出来る程裕福な身ならば、まず京都や大阪などに行く。

 

 それでも本土とは交流は行っており、島からは薩摩芋や酒、黄八丈などの特産品を輸出するための、そして食糧や生活必需品などを島に運ぶために定期便が一応存在している。

 

 今回俺たちはそれに乗せてもらい、三宅島を経由してのおよそ半日ほどの船旅をすることになった。

 

 横浜港から出発したのがだいたい昼頃。目的地に到着する頃にはもう日が暮れて夜になっている頃か。碌な情報も無く夜間行動するというのは少し気が引けるが、昼間では確実に姿を隠しているであろう鬼が尻尾を出す可能性は極めて低い故に仕方のないことだ。

 

 それに何よりこちらには柱という切り札(ジョーカー)があるのだ。相手が上弦でもなければまず負けは無い。

 

 戦力的な不足が無いならば、なるべく騒ぎになる前に迅速に処理するのが一番だろう。下手に騒ぎが大きくなると島民全体が俺たちに敵対する可能性もあるのだから。

 

「――――しっかしお前さんたち、あんな島に態々足を運ぶなんざ随分と酔狂な事で」

「ええ……あの島に少し用事がありまして」

 

 訝し気な声を上げるのは今俺たちが乗っている船の持ち主だった。俺たちが中継地点として寄った三宅島で八丈島へ向かう船を探していると、丁度この人が島へと食料品を運ぼうとしていたのだ。

 

 それを呼び留め、俺たちは渋い顔をされつつも代金と引き換えに船に乗せてもらえることになった。傍から見れば俺たちは黒ずくめの怪しい集団に他ならないというのにこうしてあっさりと乗せてもらえるとは、運がいい。

 

「言っとくが、今あの島に行っても良いことなんざねぇぞ。毎年神隠しで何人も行方不明になっちまうし……噂じゃあ妖怪が住んでるなんて言われてんだ」

「妖怪、ですか」

「ああ。そんな噂を聞いてあの島に行ったきり帰ってこなくなる阿呆が増えてらぁ。何の用事かは知らんが、アンタらも精々気を付けるこった」

 

 やはり不審な事が起こっている噂程度なら島の周辺では蔓延しているのか。ただ死体が出てこないから神隠しやら妖怪やらとあやふやな情報になっているようだが、曖昧だからこそその真相が気になって飛び込んでしまう。好奇心猫を殺すとはまさにこの事だろう。

 

 これ以上不用心な犠牲者が増える前に何としても鬼を仕留めねば。

 

「………………ふむ」

「惣寿郎さん、どうかしましたか」

「いや、少し雲行きが怪しくてね。直ぐに出発してしまったのは、早計だったかもしれない」

 

 言われて空を見上げれば、昼見上げた時よりも更に分厚い雲が空を覆っている。確かにこれは天気が荒れそうな予感がする。

 

 船もまだ漕ぎ出して二時間ほど。距離はまだまだ半分以上残っているだろう。これは、一度戻って立て直した方が良さそうか……?

 

「……嫌な風がする」

「錆兎?」

「師匠、風が荒れそうです。一旦戻りましょう」

 

 突如錆兎の目がきつく細まった。物事の流れを直感的に読み取ることに長けた彼の言う事に俺は猛烈に嫌な予感を抱いた。こういう時の錆兎の勘が外れたことは少ない。

 

「わかった、そうしよう。――――すいません船長さん! 海が荒れそうなので一度戻った方が良いと思うのですが!」

「あん? ……あー、確かにこりゃまずいな。あい承知した! テメェら、島に戻るぞ! 舵を切れ!」

 

 船長の方も言われてやっと空の様子がおかしいことに気付いたのだろう。惣寿郎さんの言葉を素早く飲み込むと船長は船員たちに指示を出して弁才船を反転させた。

 

 此処まで来て引き返すのは残念だが、焦った結果船が沈んでは目も当てられない。急がば回れ、だ。

 

「カァー! カァー! 義勇! 義勇! 風ガ強イゾ!」

「カァァァァーッ! 助ケテ! カァァァァ!?」

「黒衣!」

「門左衛門!」

 

 先に偵察に行かせていた鎹烏の黒衣が錆兎の烏と共に戻ってきた。あちらも風が荒れだしている事に気づいて引き返してきたのだ。

 

 強くなっていく風で飛ばされ逸れない様に、俺はこちらに向かってくる黒衣の体を受け止め羽織の中へと入れた。錆兎も同様に羽織の中へと烏をしまい込む。

 

 まだ鬼どころか目的地にすら到着していないのに、前途多難だ。なんて幸先の悪い。

 

 無事に島まで戻れるといいのだが。

 

 

 そう思った矢先に――――ガコン、と船が大きく揺れる。

 

 

「なっ、なんだっ!?」

「波はそんなに大きくなっていないはず……?」

 

 風が強いとはいえまだまだ波は穏やかな方だ。ならば、何かが船にぶつかったのかもしれない。

 

 何が起こったのか確かめるべく、俺は船の横から海を覗き込んで……

 

 

 目が、合う。

 

 

「………………!!!!」

 

 瞬間、水しぶきを上げながら()()は海上へと姿を現した。

 

 人を軽く丸呑みにできそうなほど巨大な蛇が。

 

「な……」

「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃ!?」

 

 常識外の生物が突如出現したことで俺と錆兎、惣寿郎さん以外の者がその場で腰を抜かしてしまう。かくいう至近距離で見上げている俺も茫然とその蛇を見つめるしかできなかった。

 

「義勇! しっかりしろ!」

「冨岡君! 受け取れ!!」

「っ!」

 

 そんな俺に惣寿郎さんが木箱の中にしまっていた刀を投げ寄越した。錆兎の声ですぐに意識を取り戻した俺はそれを掴み取り、即座に抜刀。殺意に溢れた眼で俺たちを睨んでくる大蛇と相対する。

 

 現状を言い表すなら、まさに蛇に睨まれた蛙の如し。まるで時が止まった様に全員がその場でピタリとも動かない。

 

 そしてその静止した空間を真っ先に破ったのは、大蛇だった。

 

 

「シャァァァァアアアアアアアアアアァ――――――ッッ!!」

 

 

 怒りの様な咆哮を上げながら大蛇が船上にいる俺たちに向かって飛びかかってきた。俺は横に跳んでその飛びかかりを回避。大蛇は甲板を食い破りながら船を横切る。

 

「――――炎の呼吸、【伍ノ型】」

 

 隙を見せた大蛇に真っ先に反応したのは惣寿郎さん。木張りの床を踏み砕くほどの踏み込みで大蛇の胴体へと近づき、大きなうねりを加えた強烈な一撃を振り下ろした。

 

「【炎虎】」

 

 炎の虎が大蛇の体をあっさりと食い千切った。蛇の強靭な筋肉などものともせず真っ二つに断ち斬ってみせたその攻撃に思わず惚れ惚れとする。

 

 これが柱。鬼殺隊の誇る百連練磨の最高戦力。

 

 その光景に息を呑みながら、俺は身体を斬られた大蛇の残骸が灰と化していくことに気が付いた。やはりこの大蛇は血鬼術によって生み出された物。あの島を支配する鬼の先兵だ。

 

 それがこうして俺たちを襲ってきたということは……まさか、もう気づかれたのか。

 

「船長さん、急いで船を戻らせてください! これ以上ここに留まるのは危険だ!」

「あ、あんたら、何で刀なんて持って……いやそれよりさっきのでっかい蛇は一体なんなんだ!?」

「説明は後でいくらでもします。早くこの場から――――くっ!?」

 

 またもや船が大きく揺れた。そして今度はすぐにその原因が顔を見せる。だが一つだけ先程と違うところがあった。

 

 それは、数。

 

 一匹だけだった筈の大蛇は、十数匹以上という物量を以てこの船を囲い込んでいた。

 

「…………嘘だろ」

 

 あまりの光景に錆兎がぼつりとそう漏らした。その言葉がこの場にいる全員の総意だった。

 

 なんの悪夢だ、これは。

 

 駄目押しの様に降り注ぐ大量の雨。そして波も強風によって荒れ出した。まるで世界の悪意が形となったような惨状に俺は歯噛みするしかできない。

 

「シャァァァァアアアアアアアアアア!!!」

 

 一番船に近かった大蛇が動き出し、それを合図に大蛇たちが行動を開始した。まずい、攻撃が回避できても船を破壊されれば俺たちは――――

 

「義勇! 後ろだ!」

「なっ――――」

 

 正面から飛びかかってきた大蛇の攻撃を避けた直後、錆兎の声を頼りに振り返る。だがその対応はもう遅すぎた。

 

「が―――――――ッ!?」

 

 大蛇が暴れた際に弾いてしまったのだろうか、突然背後から水桶が飛んできて、それが俺の頭へと直撃してしまう。殺気の無い完全な事故のために反応ができなかった。

 

 意識が飛びそうになる。それでも何とか気力で堪えようとするも――――真正面に、今にも振り下ろされそうな大蛇の尻尾が現れた。

 

 ああ、畜生めが。

 

 

「冨岡君――――!?」

「義勇――――ッ!!!」

 

 

 尻尾が鞭のようにしなり、俺の体を軽々と船上から弾き出した。

 

 身体と共に意識が海へと沈む前に最後に見えたのは、海へと飛び込もうとする錆兎の姿だった。

 

 

 

 




今回のパーティには柱がいるぞ!きっと今回の任務は楽勝だな!(超楽観)



そしてこのザマである(諸行無常)

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