水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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第弐拾話 清算の時

 頭が痛い。何がどうなっている。

 

「――――勇――――起き――――」

 

 確か俺は、八丈島に船で向かっていて。途中で謎の大蛇の群れに襲われて、それで。

 

「おい義――――! 起きろ、義勇!!」

「ッ!!」

 

 気絶する直前の切迫した状況を思い出し、俺は身体を跳ね起こした。すぐに周囲を確認して現状の確認をして……すぐに、此処がどこかの建物の中であることに気付く。

 

 随分と豪奢な屋敷だ。だが一つだけ違和感があるとすれば、俺と錆兎の服が隊服から真っ白な襦袢に変わっているのと両手足に大きな木製の手枷が付いている事。そして太い木製の柵が牢の様に部屋の四方を囲んでいる事だ。

 

「ここは、一体」

「わからん。俺も先程起きたばかりなんだ。海に落ちたお前を助けるために海に飛び込んで、何とか荒れ出した潮の流れに乗って大蛇の群れから逃げ切ったことは覚えているが……その後の記憶がすっぱり無くなっている。なんとか生き残れたのは確かみたいだけどな」

「……すまん、俺のせいで」

 

 あの時ちゃんと周囲に気を配っておけば、後ろから飛んできた物体など十分避けられたはずだった。それができなかったのは大蛇の群れという衝撃的な光景のあまり身近なものへの注意が散漫になっていたせいだ。おかげで錆兎まで巻き込んでしまった。

 

 何という失態。結果的にはこうして運よく生き残れたから良かったものの、少し間違えれば二人とも海の藻屑と成り果てていたかもしれなかった。

 

 それにどうもこの様子では惣寿郎さんとは逸れてしまったようだ。まさか最初の一歩から一番強力な札を失うことになるとは……。

 

「義勇。もし俺がお前と同じように海に落ちたら、お前はどうする?」

「無論、助けに行くに決まっている」

「だったらそう深く気に病むな。まさか、俺だけお前を助けるなと言うつもりか?」

「それは、その……」

 

 錆兎の言う通り俺は自分の身の安全をあまり重視していない傾向がある。自覚はあるし……きっと今後もそれが変わることは無いだろう。俺にとっては身近な人の命こそが第一で、自分がいくら傷つこうがどうだっていい。

 

 周りの人が幸せそうに笑ってくれるのならば、それだけでいいんだ。それが実現できるのならば、俺の命など……。

 

「連れが起きたのか。意外と早かったな」

「!?」

 

 突如聞き覚えの無い声が聞こえた。予想だにしていない第三者の声に焦って辺りを見回してみれば、牢の隅っこに蹲るように足を抱えて座っている男か女かよくわからない、長い髪を後ろで纏めている子供の姿が。

 

 その子供は世にも珍しい、左目が青緑色で右目が黄色の虹彩異色症(オッドアイ)だった。いや、それよりも一番目につくのは――――両頬にくっきりと刻まれた、刃物で無理矢理裂いたような惨い傷跡。

 

 はて、どこかで見たような……?

 

「君は……?」

「ああ、義勇。どうやらこの子は俺たちと同じように此処に閉じ込められているみたいなんだ。名前は……」

「…………伊黒(いぐろ)。伊黒、小芭内(おばない)だ」

「……………………は?」

 

 突然すぎる邂逅に、俺の口から出たのはそんな間抜けな声。

 

 伊黒小芭内。その名は間違いなく、将来鬼殺隊の柱の一人である”蛇柱”の名であるはずだ。言われてみれば確かに部分部分の身体的特徴が一致している。頬の傷も、見られたくなくて包帯で隠していたとなれば辻褄は合う。

 

 俺の知識は黒死牟戦で止まっている。故にそれまで全く明かされなかった彼の身の内の話は一切知らなかったが……まさかこんな所で出会うなんて。どんな確率だ。

 

「僕の名が、どうかしたのか」

「ああ、いや。なんでもない。ただ頭を打ったから少し眩暈がしただけだ」

「大丈夫か義勇。一応俺の服を千切って巻いてはいるが……」

 

 頭に触れると何かの布の感触がする。錆兎を見れば彼の着ている襦袢の一部分が無くなっていたので、彼は態々服を千切ってまで俺を手当てしてくれたらしい。感謝の言葉も無い。

 

 しかし俺たちには鬼殺隊から支給された応急手当の道具一式があるはず。何故それを使わないのだろうか、と思いながら俺は一度身体を弄ってみるが……なるほど、使えないわけだ。

 

「錆兎、俺たちの刀は」

「何とか回収して身体に括りつけていたんだが、目覚めた時には既になかった。恐らくこの場所に連れてこられた時に持ち物と一緒に没収されたんだろうな」

「そうか……」

 

 刀さえあれば手枷や柵など切断してすぐに脱出できるのだが、やはりそう簡単には行かない様だ。

 

「! そうだ、黒衣たちは!?」

「……すまん、そこまでは」

「……そうか」

 

 どうやら鎹烏たちとは逸れてしまった様だ。海上で逸れたのか地上で逸れたのかはまだわからないが、とにかく彼らの無事を信じるしかできないようだ。

 

 例え烏であっても一つの命だし、俺たち鬼殺隊に取って無くてはならない相棒的存在だ。どうか無事でいてくれれば喜ばしいが……。

 

「……あの」

「あ、すまん。こっちだけで話し込んでしまって。自己紹介が遅れたな。俺は鱗滝錆兎だ」

「冨岡義勇」

「それで伊黒、色々と聞きたいことがあるんだが……」

 

 蚊帳の外に置かれてしまったのが気まずい様子の伊黒の傍に寄りながら、俺たちは早速彼から可能な限りの情報を得ようと試みる。しかし表情があまり乏しくない。喋りたくない、という訳では無さそうだ。

 

「……僕は、生まれてこの方、この座敷牢から外に出たことが無い。いや、一度だけ出たことはあるけど……あまり期待しないでくれ」

「何? それは、一体どういう……」

「……………」

 

 その言葉に俺と錆兎は目に皺を寄せて険しい表情になった。生まれてから一度も外に出たことが無い? それではまるで飼い殺しではないか。……いや、まさか、その通りなのか?

 

「伊黒。もし、もしの話だが……人からかけ離れた姿の異形の者を、見たことはないか?」

「っ……!」

 

 それの質問を聞いた途端、伊黒の表情が変わった。やはり、嫌な予想が的中したようだ。

 

 彼は恐らく、生贄。何らかの理由によってこの場所に監禁され、鬼に差し出す餌として育てられた。一体誰の仕業かはわからないが、胸糞悪いことをしてくれる。

 

「と言う事は、此処は八丈島で間違いなさそうだな」

「潮に流されて辿り着くとは……運が良いのか悪いのか」

 

 悪運があったのは確かだ。ただ一つしくじった点は俺たち二人とも一番重要な装備である日輪刀を奪われてしまったという事だが。それがなければいくら俺たちが手を尽くそうが鬼を殺すことは不可能だ。

 

 何とか、取り戻すための手立てを考えなければ。

 

「あら、もう起きたんですかぁ」

 

 部屋の襖が開く音がして反射的に振り返る。そこには食事を乗せた盆を持つ女性が佇んでいた。それが一人や二人なら、俺は特に不思議に思わなかっただろう。

 

 しかしそれが十人二十人なら話は違ってくる。何故か全員が、どう考えても二人三人では食しきれない程の大量の食事を部屋に運び込んできたではないか。

 

 一体、何のつもりだ。

 

「大丈夫ですよぉ。お腹が空きましたよね? 夕飯を持ってきましたから、たんと召し上がってくださいねぇ」

「……あの、貴方たちは、一体」

「何も心配しないでいいですから。悪い様にはしませんとも。ええ、ただ一生、私たちの種馬になってもらうだけですからねぇ」

「――――――――――」

 

 今まで生きてきてこれほどに女性の笑顔に対して生理的嫌悪を覚えたことがあっただろうか。

 

 固まっている俺たちを他所に、座敷牢を開いて食事を運び込む女性たち。全員が等しく笑顔で、気味が悪いくらいの猫なで声だ。平時ならば特に思うことなどないだろうに、見ているだけで言い知れぬ気持ち悪さが肌に纏わりつく。

 

 事実、彼女らの口から出た言葉が常識を疑うほどのとんでもないものであった。種馬などと、何を言っているんだこいつ等は。

 

「なにを、いって」

「ふふふっ……一杯食べて体力をつけないと、後が大変ですよ?」

「ひっ…………」

 

 恐怖。

 

 身体能力では圧倒的にこちらが勝っているだろうに、俺の中では未知の生物に対峙しているような形容しがたき恐怖が渦巻いていた。笑っているはずの瞳の中で垣間見える薄気味悪い違和感。高速で思考を巡らせ、俺は本能的に答えにたどり着いてしまった。

 

 こいつら……俺たちを人間とすら認識していない。ただ体のいい家畜か何かだと思っている。どういう生活をしていたらこんな精神が構築されるんだ。

 

 食事を置くだけおいて、女性たちは最後までこちらに笑顔を向けつつ退室していった。襖が閉じて気持ち悪い視線がようやく途切れたことで、俺たちもようやく肺に溜まった息を深く吐いた。

 

 女性と言うのは、こんなにも化けるものなのか。なんと恐ろしい。

 

「義勇……これは、想像以上にマズい状況だぞ」

「ああ……」

 

 何が何でもここから脱出しなければ。でなければ、俺たちは越えたくもない一線を無理矢理越えさせられてしまうだろう。

 

 それは絶対に嫌だ。自分の貞操くらい自力で守れずに男を名乗れるか。

 

 少なくともあの女たちに初物を差し出すのは死んでも御免だ。

 

「伊黒、聞かせてくれないか。お前の知っている限りの、この場所の全てを」

「…………わかった」

 

 第一に得るべきは情報だ。伊黒は自分に期待するなとは言っているが、それでも生まれてから此処で暮らしていると言う事なのだから俺たちよりは余程この場所に詳しいはずだ。まずは何か、脱出に繋がるものを掴まなければ。

 

「僕たちの一族は、女ばかり生まれる家だ。一族で男が生まれたのは、僕で三百七十年ぶりらしい。それで僕は、一族でも一等珍しい男という理由で生まれてからずっと此処に監禁されて、毎日毎日こんな食い切れもしない大量の食事を出される毎日を過ごしてきた。……お前たちの言う、異形の御馳走にされるために」

 

 生まれてからずっと、周りをあんな気味の悪い笑顔を張りつかせた女たちに囲まれて過ごし続け、終いには自分は食われるために育てられてきたという事実。しかもそれを、よりにもよって自らの親族たちが率先して行っている。それは伊黒にとってどんなに絶望できることだっただろうか。

 

 下種の極みの様なふざけた所業に、俺は腸が煮えくり返るような怒りを覚える。

 

「その異形……鬼は、どんな見た目だった?」

「……少し前に、座敷牢から出されて直にこの目で見たことがある。下肢が蛇の様な女の……鬼だった。あっ、あいつは、僕がまだ小さいから、もう少しだけ生かして大きくしてから食うと言っていた。代わりに、僕の頬を自分とおそろいにすると言って、姉妹たちに裂かせて……零れ落ちる血を盃に溜めて、目の前で飲んだ……」

 

 そう零す伊黒の体が震え出す。きっと恐ろしい記憶を思い出したせいだろうと、俺は部屋に置かれた布団で彼の体を包めて背中をポンポンを軽く叩いてやった。

 

 やはり同性の他人がいるというのは落ち着くのか、伊黒は予想より早く落ち着きを取り戻して話の続きを語る。

 

「……さらに、僕たちの一族は、あの異形がこの島を訪れる船を襲い、人を殺して奪った金品で生計を立てている。その対価として、赤ん坊を差し出しながら。お前たちが捕まったのも、きっと子を産むための種を確保するためだ。確かこの前、この屋敷からその為の男が逃げてしまったと聞いたからな……」

「……ふざけているのか?」

 

 今度は錆兎の声が震えている。しかしそれは恐怖では無く怒りの震えだ。その気持ちは痛いほど理解できる。

 

 自分たちが生きるために、生んだ赤子を差し出す。ふざけるなと今にも叫び出したい。大人とは、親とは、子供を庇護する存在ではないのか。自分が生きるためなら人食いの化け物に血を分けた子を捧げられるのか。

 

 もし彼女らの顔に微かでも嫌悪があるならば、一万歩譲って納得はできるだろう。運悪く鬼によって支配された可哀相な被害者たちだと認められただろう。

 

 だが明らかに違う。奴らの顔には罪悪感など欠片も無い。それに衣服も素人目に見てもいい素材ばかり使った代物だったし、こんな大量の良質な食事をまるで当然のように用意できる。明らかに過剰な消費だ。

 

 つまり、あの女たちは、奪った金品でこれでもかというほど贅沢な生活をしているということになる。

 

 狂っているのか。

 

「あっ、あいつらは他人を貪って自分たちが贅沢することしか考えていない……。ぼっ、僕は、嫌だ。あんな奴らなんかのために、死にたくない、しにたくない……っ! 食われるために生まれて、何もできずに死ぬなんて、絶対にいやだ……!」

「伊黒……」

 

 誰だって死ぬのは嫌だ。しかも、一歩たりとも外に出れずに、身勝手な奴らのために大人しく食われろだなんて到底受け入れられる筈がない。

 

 想像以上に壮絶な環境に、俺は何も言えない。ただ震える彼の背中を宥めるしかできなかった。

 

「落ち着け伊黒。俺たちが居る限り、決してそんなことにはならない」

「ど、どうしてそんな事が言い切れる……?」

「俺たちはその鬼を狩りに来た者だからだ」

「!!」

 

 錆兎の言う事は、何も知らない伊黒にとってはすぐに信じられるような物では無かっただろう。何せ人間ではない、一族を一つ丸ごと支配するような化け物を退治しに来たなどと。しかし微かに希望を持ったのか、暗かったその瞳に僅かながら光が差し始める。

 

「ほ、本当、なのか?」

「ああ。……ただ、此処に船で来る途中に襲われた挙句漂流して、装備を丸ごと奪われてしまった。実を言うと俺たちが今置かれている状況は非常に不味い」

「だから伊黒、俺たちを助けて欲しい。装備さえ取り返せば後はこちらの物だ。必ずお前を助けてみせる。鬼になど、食わせたりはしない」

「……………信じても、いいんだな。後で嘘だったなんて言ったら、許さないからな」

 

 全てを飲み込んだわけでは無い、がそれでも伊黒は俺たちを少しは信じる気にはなった様だ。だがその少しでも十分だ。俺たちはただ、それに全力で応えるのみ。

 

 まず俺たちが聞き出したのは、人が来る頻度とその間隔。何時間に一回、何人訪れるのか。そして部屋の中に何か見張りらしき存在は居るかどうか。一族は合計何人か等々。

 

 これを真っ先に聞いたのは、あまりにも頻繁に人が出入りしていたり監視が付いている場合はあまり派手な身動きが取れないからだ。その場合でも何とか知恵を捻り出すつもりではあるが。

 

「人は、食事時以外はおおよそ一時間に一度見回りに訪れるくらいだ。監視もいない。ただ……」

「ただ?」

「……深夜には天井裏に何かが徘徊しているような音がする。だから夜に怪しい動きをするのは、あまりおすすめしない」

「夜か……」

 

 鬼の行動時間帯だとするとその音の正体は鬼本体かあるいは血鬼術で作り出した眷属の類だ。刀を手に入れるまでは日が暮れてからの行動には細心の注意をしなければならないだろう。

 

「だとすればやはり昼の内に刀を奪取する他ないか……」

「だが一番の問題は、此処からどうやって抜け出すかだ」

 

 そう、後回しにしてきたがこれが一番の問題点だ。

 

 座敷牢は木製なので鉄製よりは脆くはあるだろうが、どう考えても壊すのは大変な作業になるだろうしなにより音を立てずに破壊するなど至難の業。刃物、いや何か固くて鋭いものでもあれば牢の一部を削って脱出口を作ることもできただろうが、生憎そんな物は無い。

 

 どうしたものか……。

 

「あ、あの」

「どうした」

「実は、抜け道に心当たりがある」

「! 本当か!」

 

 伊黒がおずおずと手を上げながら、俺たちを部屋の隅へと誘導する。そして彼が指さす柵の一部を凝視すれば、確かに何か固いもので削り取ったような細い線がくっきりとあるではないか。

 

「これは、一体どうやって?」

「……牢の外に出た時、この簪をくすねておいた。それで少しずつ削ってきたんだ。頑張ればあと少しで削り切れる、と思う」

「でかしたぞ伊黒! これなら外に出られる!」

「あ、ああ……」

 

 褒められることに慣れていないのか伊黒が照れくさそうに俯いた。……これが将来ああなるとは。とてもじゃないが想像つかない。

 

「じゃあ後は抜け出す時間だな。朝か、昼に抜け出して刀を取り返すのは……」

「その時間帯は人が多いだろう。刀を見つけた後ならともかくその前に見つかって騒がれたら、この状態で逃げ切るのはかなり難しいぞ」

 

 脱出の問題は解決できたが、最後の最後に立ちはだかるのはやはりこの手錠と足枷。先程から力を入れてはいるが、木製のくせに妙に頑丈なのかビクともしない。当り前だがこの状態では走るなど到底無理だろう。どう考えても逃げるときには外しておかねばならない。

 

 鍵を見つけるのは面倒なので刀で破壊してしまおうという魂胆なのだが、その刀が何処にあるかもわからない状態で無計画に抜け出すのはあまりにも危険すぎる賭けだ。

 

 相手が一人二人ならいざ知らず、十数人相手は流石にこれではキツすぎる。

 

「だが義勇、人が寝静まった夜に行うにも鬼やその配下に見つかる可能性だってあるんだぞ」

「そうだな……」

 

 非常に悩ましい問題だ。朝か昼に行えば人目は避けやすくなるが、夜に行えば鬼に出会う可能性が跳ね上がる。人に見つかるだけなら貴重な男と言う立場から殺されはしないだろうが、監視の目が増えるのは間違いないし、その後に脱出経路も即座にバレる。二度目は無い。

 

 どうするべきか。

 

 ――――ぐぅぅぅぅぅぅぅ~~~~~~。

 

「「「………………………」」」

 

 俺は無言で顔を覆った。腹の虫よ、こんな時ぐらい空気を読んでくれ。

 

「いや、恥ずかしがることは無いぞ義勇。腹が空くのは生きていれば当り前のことだ」

「ああ……すまん、先に食べている。伊黒はどうする?」

「僕はいい。油っぽいものは……好きじゃない」

 

 確かにこんな碌に換気もされていない狭い場所で充満した脂の臭いを嗅ぎ続けていると腹がもたれそうだ。初日の俺たちならまだ美味そうな匂いだと思うが、長い間こんな匂いを嗅いでいては食欲が失せるのも頷ける。

 

 とりあえずお言葉に甘えて近くにあった盆から食事を摂ろうと箸をとって――――不意に目が合う。

 

 いつの間にかこちらをじっと見つめていた白蛇と。

 

「……………食べたいのか?」

「シュー」

「ちょっ、おい義勇下がれ! 毒蛇かもしれないぞ!」

「まっ、待ってくれ! その蛇は俺の友達だ! 傷つけないでくれ!」

「え?」

 

 ぎょっと顔を歪めた錆兎が白蛇を捕えんと動くが、すぐに伊黒がそれを制した。どうやらこの蛇は彼の友人……人? らしい。つまりこの蛇は、

 

「こいつの名は鏑丸。……生まれて初めて出来た、友達だ」

「そうなのか。すまない、知らないとはいえ無礼を働いた」

「別にいい。平気だ」

「シュー、シュー」

 

 白蛇の鏑丸は小さく鳴きながら畳を這って俺の傍まで近寄った。俺は慎重に手を伸ばして指で頭を軽くこすってやると気持ちよさそうに身震いしてくれる。

 

 どうやら敵とは認識されなかったようだ。

 

「良い子だ。ほら、伊黒。受け取れ」

「あ、ああ……すごいな。もう懐いたのか」

「犬には噛まれるのにな」

「……思い出させるな」

 

 どうやら俺は毛が生えた生き物とは相性が悪いらしく、前に述べた通り尻尾を踏んでしまった犬に噛まれただけでなく、たまたま目が合っただけの猫なんかに突然飛びかかられたこともあった。しかし意外にも毛の無い動物なら大丈夫なようだ。………個人的には犬猫の方が好きなのだが。

 

 とにかく、食事の再開だ。匂いから察して不味くはないはず。俺は早速米を箸で掬い上げて口に入れた。長く話し込んでいたため少し冷めてはいるが、許容範囲内だ。

 

 そういえば、先程食事を運び込んできた女性はこれを夕飯と言っていた。つまりもう日はすっかり暮れている頃なのだろうか。ならどの道脱出は明日になりそうだし、今は少しでも休んで体力を温存しておくべきか……。

 

「…………?」

「どうした義勇?」

「いや、何でもない」

 

 何故だろう。舌先がほんのりとだが違和感を感じている。もしかしたら海水を飲んだせいで味覚が少し鈍っているかもしれない。

 

 そんな懸念を頭に残しながらも、俺は一人分の食事を綺麗に平らげた。正直、これらが人から奪った金品で作り上げられたものだと思うと苦い顔をしたくなるが、腹が減っては戦は出来ぬと言う。せめて被害者の人達に深々と礼をしておこう。

 

「……………ぐ、っ」

 

 ――――しかしその十分後、俺の舌に狂いはなかったと知らされることとなる。

 

 突如視界がぼやけ始めて頭の中に強烈な睡魔が入り込んできた。どう考えてもおかしい、気絶から覚醒してまだ一時間程度しか経っていないというのに、もう眠気が襲ってくるなどありえない。

 

 ということは、まさか……。

 

「錆、兎」

「義勇?」

「食事に、薬が入ってる……口に、するな……!」

「っ、義勇! おい、義勇!!」

 

 頭の中を飲み込むような微睡に逆らえず、俺の意識はそのまま落ちた。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 

 頭がぐわんぐわんと揺れている。腹の中で何かがモゾモゾと動く感覚で意識がわずかにだが覚醒を始めた。瞬時に唇の一部を噛み切って痛みを使い頭を強引に叩き起こす。

 

「っ……!!」

「あら、起きたの」

 

 目が覚めれば、俺のいた部屋とは別の景色が目に入ってきた。薄暗く、行灯の光がわずかに室内を照らす中、俺は大きな布団の上で寝転がされていた。そして、俺の体にまだ十五か六そこらの少女が馬乗りになっている。

 

 さらに、微かに体が熱い。意識がまだ朦朧としている。……寝ている間に何か飲まされたか。

 

「大丈夫よ、痛くしないから。きっといい体験ができるわ。だから抵抗しないで、ね?」

「…………お前、たち、は」

 

 覚束ない舌をどうにか動かしながら、俺は少女へと語りかけた。暴れる前に一つ、聞いておきたいからだ。

 

「なんの、罪悪感も、ないのか…………? 人から、奪う生き方、なんて」

「? どうして感じる必要があるの? 私たちは生きるために必要なことをやっているだけだよ?」

「……奪われた者の、気持ちは……どうなる……」

 

 その言葉を聞いた少女が……ニチャァと、不気味な笑みを見せた。

 

 ああ、これはもう、駄目だ。

 

「知らないわよそんなこと! なんで私たちがそんなことを気にする必要があるのよ!」

「……………そう、か」

 

 予想通りの答えが帰ってきて、俺は落胆と共に静かに息を吸っていく。

 

「さて、そろそろ始めましょう? まずは服を脱がせて――――」

「フンッ!!」

 

 少女が俺の襦袢に手をかけた瞬間、俺は腹筋に力を入れて体を起こし、勢いのまま全力の頭突きを少女の額へと叩き込んだ。

 

「ぃ、ぎっ――――!?」

 

 予想すらしていなかっただろう激痛に怯んで少女が後ろへと下がる。駄目押しにその意識を刈り取るため、両手にかけられた手錠を腕ごと振るって少女の首へと加減しつつ打ち込んだ。

 

「ぁが――――」

「…………ふぅ」

 

 これによって頸動脈が一瞬強く圧迫され、脳の信号に誤作動が引き起こされる。千鳥足で数歩ふらついた後、少女は白目を剥きながら意識を失い、そのまま倒れた。

 

 狙い通りに少女が悲鳴を上げずに大人しくなったことで、俺はやっと額に流れる汗を拭いた。

 

 あの強烈な眠気、盛られたのは睡眠薬でまず間違いない。その目的は、ご覧の通りだ。……目覚めるのがあと数分遅れていたらと思うと怖気が走る。

 

「とり、あえず……脱出しないと」

 

 殆ど反射で気絶させてしまったが、もう後の祭りだ。彼女が起きたらこの事を報告されて、最悪二人とは別室に隔離されかねない。そうなれば面倒な事この上ないだろう。故に、この場所を抜け出す絶好のチャンスは今しかない。

 

 幸い、既に皆就寝しているのか周りに人の気配は無かった。これなら部屋から抜け出せる。

 

 最悪なのは、今の俺は睡眠薬で眠らされていた脳を無理矢理叩き起こしたせいで激しい頭痛が襲ってきているのと、媚薬によって身体にふらつきがある事か。

 

 控えめに言ってコンディションは最悪。だがやらねばなるまい。

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

 乱れそうな呼吸を可能な限り調整しながら、俺は四つん這いで音を立てない様に廊下を進む。まずは刀を探さねば始まらない。

 

(泣き言を考えるな、身体はまだ動くんだ。死んでないなら、十分だ……!)

 

 正直、辛い。不快感で胃の中身を吐き出しそうだ。

 

 だけどそれは後で幾らでもできるんだ。今を頑張って、後で休めばそれで十分。泣き言を吐く暇があるならば、前に進むための力を欠片でも搾り出す。

 

 進むんだ。前へ、前へ。

 

(――――何だ……?)

 

 鈍った感覚が微かな違和感を頭へと訴える。転がり落ちそうな意識を叩き直しながら廊下の奥の暗闇を見つめれば……赤い瞳が微かに輝いたのが見えた。

 

 それと目が合った瞬間――――白い何かがこちらへと飛来する。

 

 俺はすぐに四つん這いの姿勢から後方へと跳んで後方転回。間一髪で回避することができた。

 

「くっ……!!」

「――――おやぁ……? 誰かと思えば、女どもが拾ってきた小僧共の片割れじゃないか……」

 

 ズルズルと這うような音を立てて暗闇から姿を現したのは、下半身が蛇の様な女。それは間違いなく伊黒から聞いた通りの外見。

 

 即ち、この島を支配している張本人……!

 

「お前は……!」

「あたしの外見に驚かないって事は……そうかい、アンタ鬼狩りか! ヒヒヒヒッ、なぁるほど。この島が気づかれたって事かい。やっぱりこの前種用の男を逃したせいかねぇ……ちっ、夜明けさえ来なけりゃとっとと仕留められたものを……」

 

 ペロリとさながら品定めするような舌なめずりと視線。いつもならば何も思わないだろうが、今の俺は絶不調かつ非武装。そして両手両足に枷がかけられていて満足な動きもできやしない。

 

 まずい。この状況は非常に不味い。

 

「まあ、仕方ない。気づかれたんならまた別の場所に行けばいいさ……くくっ、ならもう女たちを生かしておく必要もないねぇ」

「何だと……!?」

「起きなお前らァ! 飯の時間だよォ!!」

 

 蛇鬼が嘲るように叫んだ。するとどうだろうか、建物の至る所から何かが蠢くような音がし始めるではないか。

 

 伊黒は言っていた。夜になると天井裏に何かが徘徊していると。そして海で見たあの巨大な蛇。それがもしあの鬼が生み出したものだとして、それは一体何体存在しているのか。

 

 島から離れた場所でさえ十匹を優に超えるのに――――本拠である島は、そんな数で済むはずがない。

 

「さて、引っ越しの準備を始めようかァ」

 

 殺戮の夜が始まった。

 

 

 

 

 





弱冠十三歳で二重に薬を盛られて貞操の危機に陥る冨岡さん(憑)。でもこの小説はR18じゃないからね……健全な描写を心がけているからね……(大嘘)

今回の更新は次回で最後です。改めて見ると二か月おきにしか投稿してねぇなこのクソ遅筆投稿者(自虐)
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