水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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本誌が終わってしまっていっぱい悲しい……スピンオフで他の柱を掘り下げた外伝とか戦国時代を舞台にした鬼滅の刃ゼロとかやらないかなぁ……

まあこの小説は今のところ完結まで一、二割程度の進行度しか無いわけなんだが(絶望)八ヶ月かけてこの鈍亀ペースはどう考えてもマズイですよ!



第弐拾弐話 月を見る者達

「っ…………!」

「…………」

 

 四日後、花屋敷にて。

 

 俺は鬼から毒を受けたことで数日間程治療を受けていた。鬼の毒は普通の自然毒と違い性質が特殊であり、専門の施設でなければ完全な治癒ができないからだ。

 

 それで、こうして応接室に赴いて薬を注射するために腕を出したまではいいのだが……経験を積ませるという名目で、俺に注射を行おうとしているのは誰であろう胡蝶しのぶその人だった。彼女は現在俺の腕を抑えてそこに注射を行おうとしているのだが、どう見ても注射を握る手が震えている。見てるこっちが不安になるほどに。

 

 さて、俺は一体何分間待たされればいいのやら。

 

「馬鹿弟子、早く打ちな。そんな調子じゃ日が暮れちまうよ」

「わっ、わかってますよ! い、いきますよ冨岡さん……!」

「ああ」

 

 鬼由来の毒の治療のためにまず必要とされるのが、藤の成分を抽出した特殊な薬品だ。

 

 この薬品は静脈から注射することで体内の鬼由来の毒の作用を限界まで抑える効果がある。まずはこの薬を打ち込むことで毒の進行を一時的に抑制し、その隙に他の薬を投与する事で毒を完全に解毒する。これが無ければいくら薬を投与しようが毒の進行が止まらず、毒と薬の効果が鼬ごっこを始めてしまうため、これが無くては鬼の毒の治療は始まらない。

 

 これだけ聞けばとても便利な薬だ。いや実際そうなのだが、やっぱりというか幾つか欠点が存在する。

 

 まず先程述べた通り、この藤の薬は毒の進行を抑える"だけ"であり、解毒ができない。この薬だけでは時間稼ぎが精一杯であり、根本的な問題は解決できないのだ。単体では真価を発揮できないと言えば良いか。

 

 そして次に、毒の効力によっていくらかの微調整が必要だという事。これをしなかった場合、薬の効果は半分以下にまで落ち込む。

 

 更に、この薬はかなり貴重品であり大量生産が不可能な事。その製法はこの花屋敷にしか存在しない最新鋭の抽出機で大量の藤の花から凝縮したエキスを長時間かけて濾し取るというもの。そのため一日に作れる数は決まっている。

 

 今使われようとしているのもその原液を希釈しているものであるため、その希少性を察することはそう難しくないだろう。

 

 最後に、これは技術的な問題であるため仕方がないのだが、抽出された薬にはまだ藤由来の毒性が残ってしまっているという問題があった。その為一日に投与できる限界量が決まっており、過剰に摂取すれば逆に藤の毒で体調が悪化しかねない本末転倒な事態に陥ってしまう。

 

 ――――だが、それらの欠点を鑑みても鬼の毒を一時的にでも無力化できるのは非常に大きい利点だ。この薬が開発される前は毒を受けた隊士は大抵の場合治療が間に合わないか手の施しようが無くなり、そのまま命を落としていたというのだからその価値は計り知れない。

 

「……えいっ!」

「っ……!」

 

 そう独白している間に、俺が差し出していた腕に太い注射針が突き刺さり、体内へと液体が少しずつ流し込まれていく感覚が腕から伝わってくる。

 

 既に数度ほど体験しているが、凄く痛い。何せ今は明治時代。今の日本は西洋から技術を取り入れることで目覚ましい医療技術の発展をしているが、俺はその百年以上先に存在する知識を有している。

 

 当然というか、俺が予想しているより注射針は幾分か太かった。

 

 だがこれでも花屋敷は鬼という人外と戦うために全国でも有数の病院にか存在しない最新鋭の医療設備をこれでもかというほど導入している。つまりこの注射の痛みは世界の最新鋭技術が生み出した最小の痛み。文句を言うのはいささか贅沢というもの。

 

 というか、足やら腕やら腹やらを切り裂かれた経験をしておいて今更こんな痛みでギャーギャー騒ぐなんて今更過ぎる。

 

「……どうです?」

「どうと言われても」

「漫才やってないでさっさと注射針抜いて薬飲ませないかい、このアホンダラ」

「せ、急かさないでくださいよ! 注射なんてまだ片手で数えるくらいしかやった事ないんですから!」

 

 薫さんから呆れ混じりに指摘を受けたしのぶは素早く注射針を抜き、慣れない手つきながらもできるだけ丁寧に腕に出来た注射痕を消毒して包帯を巻いていく。

 

 そして治療を終えるや否や、青色の粉末が入った薬包紙に凄く鼻がねじ曲がりそうな臭いのする薬膳茶を俺へと差し出した。

 

 これこそ俺のために調合された専用の解毒剤と疲労回復のための薬膳茶。これらを飲み、後は日光を浴びていれば体調は快復へと向かうだろう。が、この臭いはいささかどうかと思う。良薬は口に苦しというが、程度というものがあるだろうに。

 

「あの、冨岡さん? どうかしましたか?」

「いや……凄く、臭いなと……」

「文句言うんじゃないよガキ。治りたきゃさっさと飲めってんだ」

「あっはい」

 

 蛇の如き鋭い睨みに気圧されるまま俺は喉奥へと粉薬を流し込んだ。

 

 とっても、苦かった。

 

「う、っぷ」

「吐くんじゃないよ。もし吐き出そうものなら、次はこのあたし手ずから管でも使って胃の中に直接ブチ込むよ。小僧」

 

 余りの苦さに反射的に吐き出しそうになるが、菫さんに特大の釘を刺されたので口を押えて何とか逆流は抑え、隙を見計らって薬膳茶で一気に食道の奥へと押し込んだ。

 

 その茶も凄く苦くて、凄く臭かったが、我慢だ。我慢しろ冨岡義勇。お前になら出来るはずだ。

 

「けほっ、げっほげっほ! おぇっ……」

「師匠、あのお茶本当に身体に害はないんですよね? とてもそうは見えないのですが?」

「アホかい。これはあたしも毎朝飲んでる、うちの家に代々伝わる由緒正しき薬膳茶だよ。これを飲むだけで疲労回復、代謝向上、腹と腰の不調も治してくれる上に肌にも良い。風呂に混ぜても効く優れものさ。出来が悪いのは味と匂いだけさね」

「味が悪いのは承知の上なんですね……」

「長年の健康を得られるなら一時の苦味なんて些細な事だよ」

 

 なるほど、菫さんが今日まで健康な体で居られたのはこの薬膳茶のおかげらしい。だが俺はこんな凄まじく苦いものを毎朝飲むなど出来なさそうだ。きっと良くて三日くらいしか続かない。

 

「さて、これで大体毒は抜けきったはずさ。寝込んでいたのも数日くらいだし、機能回復訓練も必要ないだろう。明日から退院しても問題無いよ」

「はい。ありがとうございました」

「礼ならこっちの弟子にも言ってやりな。あたしに教えられながらではあるけど、あんた用の薬を一から考えて調合したのはこの娘だからね」

「そうなのか? しのぶ」

「はい。でも師匠の力を借りたから、私一人の力という訳ではありませんけど……」

 

 それでも凄い事だ。熟練者の指示と監視の上とはいえ、あの厳格そうな人が他人に与えても大丈夫だと判断したくらいの薬をその齢で作って見せたのならば十分褒められるべき事だろう。

 

 本人は謙遜している様だが、これは紛れもなくしのぶが師の元で学び、成長して作り上げた一つの成果。自身の夢をかなえるために着実に前へと進んでいるしのぶの姿に、俺は喜びを感じずにはいられなかった。

 

「ありがとう、しのぶ」

「いえ、その、だから私だけの力じゃ……」

「卑下しなくていい。今はまだ未熟でも、少しずつ積み重ねて行けばいつかは大きな力となる。たとえ小さな成果であっても、それはお前の功績だし、決して無駄にはならない。違うか?」

「……ありがとうございます、義勇さん」

 

 しのぶが抱いている自身への不安を解く様に、俺は彼女の両手を軽く握りしめた。

 

 とても小さな手だ。俺の両手で丸々すっぽり覆い隠せてしまうほど細く、白く、暖かい手。何より、とても柔らかい。思わず当初の目的を忘れてその感触を確かめてしまう。

 

「あっ、あの、義勇さん? くすぐったいです……」

「あ……すまない。しのぶの手の触り心地がよくて、つい。気を悪くしたか?」

「いえっ、別にそんな……義勇さんが触りたいなら、いくらでも……」

「乳繰り合うなら外でやりなガキ共! 歳食った婆の前で見せびらかすんじゃないよ! ったく……蝶々娘、経過観察だ。今日一日看病してやりな」

「んなっ……別に乳繰り合ってなんかいませんよっ! もうっ、行きますよ義勇さん!」

「? ああ……?」

 

 何故か菫さんが突然キレ出した。理由は全くわからないが、俺はこれ以上彼女を怒らせる前にしのぶに引っ張られるように部屋から退散する。

 

 にしても、乳繰り合う? 確か、男女がこっそりと会い、肌を合わせることを意味する言葉だったような。……別にそんなことをした覚えは全くないのだが。まさか薫さんの中では手を握る事もそう判断されるのか? そんな初心な人には全く見えないのだが、意外だ。

 

「――――と、多少掻い摘んだが、今回の任務の顛末はこんな感じだな」

「うへぇ……大変だったねぇ。錆兎も義勇も」

「……すまない、錆兎君。君たちを守るはずの柱の立場である俺が不甲斐ないばかりに」

「いいや、お前さんは柱としての務めを果たしたのだ。むしろ弟子二人を助けてくれたことに、儂も礼を言わねばなるまい」

 

 数分ほど歩いて病室に戻ると、随分と大所帯になっている部屋の光景が目に飛び込んできた。

 

 カナヲと真菰に鱗滝さん、惣寿郎さんに――――包帯で口元を隠した伊黒が一室に集まっていた。俺が席を外している間に、随分と沢山の来客が訪れたようだ。

 

「あ、義勇にしのぶちゃん。おかえり~」

「……真菰に鱗滝さん、来ていたのか。それに惣寿郎さんと伊黒まで」

「あはは、俺はお見舞いと挨拶にね。一応、伊黒君の事も報告すべきだと思って」

「…………」

「……? なんですか、私の顔に何かついてます?」

「……なんでも、ない」

 

 当人である伊黒は今、惣寿郎さんの背に隠れてこちらを伺うような様子であった。その視線は真菰やカナヲ、そして今しがた部屋に入ってきたばかりのしのぶへと頻繁に切り替わり続けている。それは決して思春期特有の初々しい感情からくるものではなく……どちらかといえば、恐怖に近い。

 

 あの隔絶かつ極限的な環境下に居続けた伊黒の精神が正常な形を保っているわけがなく、彼は今現在かなり重度の女性恐怖症へと陥っていた。それも女性を前にするだけで言葉すら覚束なくなるほどに。

 

 あんな精神が歪な女性たちに十年以上囲まれ続けていたのだから、そうなるのも当然と言えば当然か。

 

「伊黒君については、煉獄家で一時的に預かることになった。あそこなら今は男所帯だし、歳の近い子もいるからね。決して悪い所では無いはずだよ」

「そうですか。それよりその、惣寿郎さん……その頬の腫れは?」

「ああ……君は気にしなくていい。ただ、自分の我が儘を通した対価を支払っただけさ」

「…………はい」

 

 確かに今の煉獄家ならば伊黒を置いても何ら問題無い、むしろ理想に近い環境と言えよう。

 

 数ヶ月前に当主の妻である瑠火さんが無くなってしまったため、あそこには家長である槇寿郎さんと長男次男である杏寿郎と千寿郎しかいないのだ。それに伊黒は杏寿郎とそう歳も離れていないため、彼と親身に付き合うのもそう難しくはないはずだ。

 

 何よりあの杏寿郎の性格だ。伊黒を決して悪い方向へは進ませまい。

 

 ただ一点心配すべきは、家長たる槇寿郎さんが素直に見ず知らずの子供を家へと置いてくれるかどうかだったが……惣寿郎さんの頬にできた大きな腫れ痕をみるに、やはり一悶着起こったようだ。

 

 それでも目立った外傷が惣寿郎さんの頬にしか無いあたり、それほど酷いものではなかったようだが。

 

「でも錆兎ったら、退院した義勇と入れ替わるようにこんな大怪我してきちゃって。それくらい大変な任務だったんだろうけどさ」

「……面目ない」

 

 ――――今回の任務で負傷した錆兎は菫さんによって敢え無く二ヶ月の絶対安静を言い渡された。何せ左足以外の四肢を骨折し、肋骨も全体の三分の一が砕けたのだ。何処からどう見ても重傷である。

 

 俺の方は毒を除けば負傷は腹部の裂傷程度だったため、こうして三日間飯を食って注射を打たれて日光を浴びて寝るだけで迅速な復帰が出来た。だからこそ、俺のために大怪我をした錆兎には申し訳ない気持ちになる。

 

「錆兎、すまない。俺が足を引っ張らなければ……」

「いや義勇、お前だけの責任じゃないさ。結局俺もお前も、惣寿郎さんが駆けつけてくれなければ死んでいた。どちらもまだまだ未熟だと言う事だ。ならば、今後も共に精進しよう。今度は助けられる側じゃ無く、助ける側になるために」

「……ああ、そうだな。錆兎の言う通りだ」

 

 いつまでも女々しくくよくよしている訳にはいかない。確かに今回は大きな辛酸を舐める事となったが、今こうして生きているならば次に備える機会を得たということ。

 

 次こそあんな無様を晒したりするものか。次こそは……。

 

「うーん、二人は一緒に任務できていいなぁ。私も早く隊員になって二人と一緒に戦いたいなぁ」

 

 真菰の言葉に俺たちは苦笑しか返せない。彼女の今の実力は恐らく今すぐ最終選別に行っても問題無く通り抜けられるだろう程に高まっている。岩についても、もう半分まで斬れるらしい。

 

 この調子なら後数ヶ月あれば実戦でも十分通用する実力を持てるだろう。

 

「まだ駄目だ。選別へは来年まで行かせんと言っただろう」

「ちぇっ、鱗滝さんのケチ~!」

 

 が、鱗滝さんは真菰が十三になるまでは選別に行かせないらしい。

 

 身体がまだ出来上がっていないというのも理由の一つだろうが、やはり女子だけあって心配なのだろう。恐らく自分が納得できる域までみっちりと鍛え上げるはず。

 

 たださえ吸収の速い真菰だ。来年には、一体どれほどの剣士に育つのか。恐ろしくもあり、楽しみでもある。

 

「さて、用は済んだから、俺たちはそろそろ屋敷に戻ろう。伊黒君、挨拶はしなくていいのかい?」

「! あ、ぇぇ、と……冨岡、鱗滝……また、会えるか?」

「もちろんだ、伊黒。暇を見て会いに行くよ」

「お前も達者でな。ちゃんと食べて肉を付けるんだぞ!」

「……ああ!」

 

 去り際に浮かべた伊黒の満面の笑顔。それだけで彼の数日前までは擦り切れる寸前だった心が、今では比べ物にならない程に回復しているのが察せた。きっと、初めてのものばかり溢れている外の世界から程良く刺激を受けているのだろう。良い兆候だ。

 

 されどまだまだ数日。時間はまだたっぷりあるのだから、彼には美味しいものを食べたり、新しい友人を作ったり、のめり込める趣味を見つけるなどして、今までの不幸を上塗り出来るくらい楽しい人生を送ってもらいたい。

 

 間違いなく、彼にはその権利があるのだから。

 

「義勇さん、あの少年は一体……?」

「すまないが、そこは詮索しないでくれると助かる。少なくとも、俺の口から言うべきことではない」

「……はい、わかりました」

 

 伊黒のただならぬ様子について気になる気持ちはわかるが、流石にしのぶ相手といえど彼の事情について軽々しく口にするような気にはなれない。

 

 それほどに彼の過去は暗く、重く、軽い気持ちで触れてはならないものであるからだ。もし知りたいのならば、伊黒からの信頼を積み重ねて本人の口から聞くべきだ。

 

「そう言えば錆兎も任務の内容については所々ぼかしてたよね? ……それくらい酷かったの?」

「俺としては正直忘れてしまいたいくらいだ。義勇もかなり大変な目に遭ったしな……」

「ああ、まさか任務先で睡眠薬と媚薬を盛られた挙句襲われるなんて想像も――――――――あ」

 

 思えば、過酷な状況を切り抜けた後に多くの知人に囲まれたことで気が抜けていたのだろう。俺はつい、錆兎と共に胸の内に秘めておこうと決めていた秘密を口にしてしまっていた。

 

 口が滑ったとは正しくこういう事か。

 

「……すまん、今のは無しだ。聞かなかったことにしてくれ」

「え? 義勇今……え? 襲われたの? 本当に?」

「ぎぎぎぎぎぎ義勇さんちょっとそれどういう事ですか!? ちゃんと説明してください!! まっ、まさか既に貞操を……!?」

 

 真菰が絶句し、しのぶは俺の襟首を掴んで身体をがくんがくんと揺らしてきた。こういう事になるから秘密にしたかったのに、俺の馬鹿野郎。

 

 助けを求めるべく錆兎や鱗滝さんに視線を巡らせるが、錆兎は顔を覆って空を仰ぎ、鱗滝さんは固まったまま動かずにいる。錆兎は呆れてものも言えない様子、鱗滝さんは衝撃の事実に頭を抱えているという所か。念のためカナヲの方にも視線を送ってみるが、求めていた反応が返ってくるはずもなく。

 

「待て、落ち着け。安心しろ、未遂だ。……たぶん」

「たぶん!? たぶんって何です!? したかもしれないって事ですか!?」

「いや、してない、筈。……そう信じたい」

「はっきりしてくださいよこの鈍感馬鹿――――っ!!!」

 

 起きた時に何か濡れていた感触はなかったので、可能性は低い。だが低いだけで無い訳ではないのが答えに困ってしまう。個人的にもそんなことはなかったと信じたいのだが……うん、そうだ。俺が無かったと言えばきっと無かった事になるのだ。

 

 万が一憶が一、ヤったとしても記憶なんて無いからノーカウントだ。

 

「やってない。たぶんやってないから、一度落ち着けしのぶ。……大体、どうしてお前が俺の貞操の安否を気にするんだ?」

「えっ!? い、いや、それは、ええっと……あ、貴方の事が」

「俺の事が……?」

 

 何故こんなにも騒ぐのかを訪ねてみれば、しのぶは突然顔を赤くしてしおれたように勢いを収めてしまう。そして錆兎や真菰はなにやら「行け! そのまま行くんだ!」と小声で叫ぶという器用な真似をしていた。一体何処に行けというのか。

 

「あっ、貴方の事が、すっ」

「す?」

「好「義勇く――――――――ん!!」から…………」

 

 しのぶの言葉に割り込むようにバァン!! という音と共に病室の扉が爆ぜるように開かれた。そこから現れたのは蝶を模った髪飾りと羽織が特徴の美少女、胡蝶カナエ。

 

 突然現れた彼女は何やら今まで見たことも無いくらい真剣な顔つきで俺をじっと見ている。俺に何か用なのだろうか? いや、それよりしのぶの言葉が馬鹿デカい声と音のせいで全く聞こえなかったのだが……。

 

「あら? しのぶもいたのね! もしかして皆とお話中だったかしら?」

「………………姉さん」

「え? しのぶ? どうしたの、そんな怖い目と声を出して……? ね、姉さんもしかして大事なお話の邪魔しちゃった……?」

「もういいっ! 知らない! 姉さんの馬鹿! 頭お花畑! あんぽんたん! おたんこなすっ!!」

「ま、待ってしのぶ――――! 急にどうしてぇぇ――――!?」

 

 何かが癪に障ったのかしのぶは顔を真っ赤に涙目になりながら、カナエの制止など知らぬ存ぜぬと脱兎の如く病室から走り去ってしまった。

 

 今さっき薫さんから俺の看病を任されていただろうに、いいのか放り出して行ってしまって。後で怒られても知らないぞ俺は。

 

 ……しかし、しのぶは一体俺に何を言おうとしたのだろうか?

 

「うわぁ……間が悪すぎでしょカナエちゃん。乙女の一世一代の告白をさぁ……」

「胡蝶、流石に今のは無いと思うぞ」

「告白!? ウソっ、あーもう私の馬鹿ーっ! それならそうと言ってくれればいいのに~!」

「? 一体なんの告白だ? しのぶは何か隠し事でもしていたのか?」

「義勇、お前さんはまだ知らんでいい。男なら何も言わずに待っておれ」

「はあ………?」

 

 彼らが話している内容がよくわからないが、鱗滝さんがそう言うならこれ以上の詮索はやめておこう。

 

 何だか俺だけ仲間外れにされているような気がしなくもないけど、まあ彼らに悪意があるようには見えないから別に構わないか。きっといつか彼ら自身から話してくれると信じよう。

 

「ところでカナエ、入ってくるとき俺の名を呼んでいたが、俺に何か用事でもあるのか?」

「あ、そうだ。実は義勇君にお願いがあって」

「お願い?」

 

 親しい友人であるカナエからの願いだ、俺にできることなら可能な限り叶えよう。無論、あんまり無茶な願いは流石に苦い顔を浮かべるだろうが、彼女に限ってそんなことはしないだろう。

 

 さて、一体何が出てくるのか。

 

「実は――――私を水柱様に紹介してほしいの!」

「紹介?」

 

 てっきり任務の同行とか買い物での荷物持ちとか、そういう力仕事の類を頼んでくるかと思いきや、カナエの頼みは俺の予想だにもしなかった内容であった。

 

 水柱への紹介。雫さんと会って話がしたいという事か。だが、いきなりどうしてそんな事を?

 

「それは別に構わないが、その理由は一体なんだ?」

「実は……任務中に、自分の力不足を実感して」

 

 そこからカナエはぽつぽつと言葉を零し始めた。どうやら彼女の任務で起こった出来事が関係しているらしい。

 

 確かに彼女は実力だけならまだ下から数えた方が早いが、それは彼女がまだ剣を握って鬼と戦う日数をそれ程重ねていないからだ。力不足というのは少々的外れだろう。が、それを言って納得するカナエでないことがわからない程俺は察しが悪い人間では無かった。

 

「任務中に、子供の姿をした鬼と出会ったの。まだしのぶくらいの女の子で、とっても小さかったわ。でも……」

「予想よりも、手強かったか」

「ええ。異能を使うほどの手練れだったわ。見た目のせいで油断していたのもあるけど、私はあっという間に追い詰められて……それで戦ってる最中に運悪く一般人が近くを通りかかって、鬼の攻撃の巻き込まれて怪我をしてしまったの」

「その後はどうなったんだ!?」

「応援が間に合って高位の隊士の方が仕留めてくれたわ。……でも怪我をした人の苦しそうな顔を見てこう思ったの。”もし私がもっと強ければ、この人はこんな痛い思いをしないで済んだんじゃないか”って」

 

 その気持ちは痛いほどよくわかる。今も昔も、俺はその後悔と無力感に胸の内が張り裂けそうなほど埋め尽くされているのだから、わからない訳がなかった。

 

 自分が強ければもっと上手くやれたのでは。誰もが無事に済んだのでは。全てが終わった後でも、そんな仮定の話を考える事を自分でも止めることができない。周りの痛みを自分の責任と考えざるを得ない。

 

 故に求めるのだ。弱い自分と決別するための更なる力を。多くの人を救うための剣を。

 

「カナエちゃん、それはちょっと気負いすぎじゃないかな?」

「胡蝶よ、お前さんはまだ子供だ。責任を感じるなとは言わん。だが何もかも背負い続ければ、いつかその重みで潰れることになるぞ」

「でも、それでも私は……」

 

 後悔をしないために力が欲しい。自身が望む結末に至れる力が欲しい。

 

 されど、時間はそれを待ってはくれない。一寸先さえ闇に包まれている未来からは、想像もつかないような災難が降りかかる事もある。そしてそれを綺麗に退けられるかは、誰も保証できない。

 

 俺も、彼女も、不安なのだ。掬い上げた両手の隙間から、いつか本当に大事なものが零れ落ちるのではないかと。だから手を大きくして、隙間を埋めようと努力する。

 

 その為に伸ばされたカナエの手を振り払う選択肢など、あるはずもない。

 

「わかった。返事が何時になるかはわからないが、一応烏を飛ばしてみる」

「! ありがとう義勇君!」

「いい。困った時はお互いさまだからな」

 

 胡蝶姉妹には何度も助けられた恩がある。この程度の助力など惜しくもなんともない。俺が彼女たちの悩みに力添えできるならば、人の道から外れていない限りどんな事でもしてみせよう。

 

 そう決意する最中――――ふと、小さな音が不意に聞こえてきた。ぐぅぅぅ、という腹の音が鳴る音だ。

 

 その音の持ち主を見つけるのはそう難しいことでは無く、先程から何の言葉も発しないカナヲはその沈黙に反するように身体から空腹の音を出し続けていた。そう言えばもう昼過ぎだ、昼食を摂っても良い頃合いだろう。

 

「……………」

「あらあらカナヲったら、お腹が空いたのね? じゃあせっかくだし、私が厨房を借りて皆の分の食事を作ってくるわ! あ、その前にしのぶにちゃんと謝らないと……」

「いいのか? 任務から帰ったばかりで疲れているだろうに」

「いいの! これくらいへっちゃらよ!」

「あ、じゃあ私も一緒にやるー。いいよね、鱗滝さん?」

「構わん。だが迷惑はかけるなよ」

「はーい」

 

 何時、未来という暗闇の中から今の平穏を奪おうとする魔の手が迫るのかは、俺にもわからない。

 

 だからこそ俺は抗い続けよう。今の様な平穏な一時を少しでも長く味わうために、守り通すために。

 

 それこそが、俺に課せられた義務であり、役目なのだから。

 

 

「所で錆兎、義勇。此処に来る途中ただならぬ威風を纏う鉄穴森の倅を目にしたのだが、何かしたのか?」

「「……………」」

 

 

 ただ、まぁ、前途は多難そうだ。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 ――――月を見る。

 

 誰もが寝静まった屋敷の縁側にて、まるで枯れ木の様に鎮座する一人の老婆。屋敷の主である灸花 菫はただただ無言で月を眺めながら、猪口に注がれた酒を呷る。

 

「――――体を冷やすのは、老体に響きますよ。菫さん」

「何だい、覗き見かい? 滝坊。あんたにしちゃ悪趣味だね」

「揶揄わんでください。儂はもう坊という歳ではないでしょうに」

「あたしからすりゃアンタも桑島の阿呆も全員坊やさ」

 

 そんな彼女に音も無く近づいたのは天狗の面を付けた翁、鱗滝 左近次。彼はため息を零しながら彼女に近付いてその近くへと同じように腰を掛ける。どうやら菫を部屋へと押し込みに来たわけでは無いらしい。

 

 菫は彼から送られてくる悲しみの視線を感じ取り、彼が言おうとすることを何となく察した。恐らく、あの件だろうと。

 

「……つい先日、お孫さんの事を聞きました。挨拶が遅れてしまって申し訳ありません」

「構わんよ。あたしゃとっくの前に心の整理が付いてんだ。大体、アンタはあたしの孫とはガキの頃に一度顔を合わせたっきりで碌な関わりも無いだろうに、態々それを言いに来たのかい? 相っ変わらずクソ真面目な男だねぇ」

「性分ですので。……気休め程度かもしれませんが、お孫さんのご冥福をお祈りいたします」

「はいはい。ありがとよ」

 

 一合徳利に入った酒を全て飲み終えた菫は、今度は懐から煙管を取り出して火を付け、ゆっくりと吸い始めた。

 

 ――――月を見る。

 

 真っ暗な星と闇の帳の中で燦然と輝く月。菫はそんな月がとても、嫌いだった。

 

「鱗滝、あんたは夜が来るたびに何を思う」

「……夜が来るたび、ですか。儂は……いつも不安になります。今夜どこかで、見知らぬ誰かが何人も何十人も鬼に食い殺されているのではないかと。夜になる度にそう思わざるを得ない」

「だろうね。あたしもそう。……あたしたち鬼狩りにとっちゃ、夜は鬼たちの時間。誰かが刃を振るう時であり、誰かが死ぬ時でもある。こうして夜を迎えるたびに、あたしは反吐が出そうな気分になる」

 

 朝日を浴びれない鬼に取って、太陽が消えた夜は天下の時だ。きっと今日もどこかで鬼はその鋭利な爪を振るい、無辜の人を惨殺してその死骸を貪り食うのだろう。だからこそ、菫も鱗滝も、夜は嫌いだった。

 

 あまりにも長い間、鬼の居る夜を過ごしてきたから。夜は鬼の時間であるという認識が、どうしても頭から離れない。

 

 忌むべき存在が現れる、忌むべき時間。されど、それをせき止めることなど人の手で出来るはずもなく。

 

「あたしはね、鬼狩りになった時は、きっといつかこんな夜も無くなると思っていたさ。皆の力を合わせられれば、鬼舞辻なんて下種野郎は必ず打倒できると信じていた。だけど……現実は、そう甘くなかった」

「……ええ。我々では、何十年かけても彼の存在の尻尾すら掴めずじまいだった」

「四十になって、身体が限界を迎えていたあたしは引退した。自分自身で戦えなくなって深く絶望しても、それでもあたしは信じていたさ。きっと娘や後の世代の奴らが、少しずつでも前に進んでくれると。鬼の居ぬ夜に近付いてくれると。……なのに、この様だ。あたしたちは、鬼殺隊は、百年以上前から進めていない。鬼舞辻の足取りの手掛かりさえ掴めていない」

 

 鬼殺隊が発足されて約千年。打倒鬼舞辻のために数え切れないほどの犠牲が積み重ねられてきた。

 

 過去、一度は彼の首魁を追いこんだ事もあった。だが結局逃した。千載一遇の機会を逃した鬼殺隊はそれから四百年以上の時を重ねて尚、鬼舞辻の影を再び踏む事すら叶えていない。更に言えば、ここ百年の間は鬼側の最高戦力である上弦すら削れない始末。

 

 年々と状況が悪化の一途を辿っている。しかしそれを打破するための新風はまだ現れない。

 

 先の見えぬ真っ暗闇を、我々は何時まで進み続ければいいのか。その薫の言葉は、鬼の存在を知って長い者達の代弁でもあった。

 

「一体何時まで、あたしたちは戦い続ければいい? 一体何代先まで過去の負債を押し付ければ、この連鎖は終わる? これから先、何人死ねば鬼は消えるんだい? ……もし神様や仏様とやらが居るんなら、罵倒の一つでも吐きたいね。このクソッタレ共が、ってな」

「……菫さん。儂らは老い過ぎた。もう、若い者達を見守ることしかできやしない」

 

 彼らはただただ心苦しかった。自分たちの代で全ての決着を付けられなかったことが。後の世代の若者たちに全てを託すことしかできないことが。

 

 数多の研鑽を繰り返してきた強者なれど、老いは全てを押し流していく。もはやこの老体に、かつての志を受け止められるだけの力は残されていない。

 

 だから、想いと願いを後世へと託す。

 

 どんなに辛くても、どんなに悲しくても。

 

 それが自分たちのできる最後の行いであるならば。

 

「信じましょう。あの子達を」

「……………嫌な世の中だよ、全く」

 

 

 ――――月を見る。

 

 

 ――――我らを嘲笑うように浮かぶ月を見る。

 

 

 ――――その身を陽光で焼かれ続ける、月を見る。

 

 

 

 

 

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