水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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第弐拾肆話 知る者の重責

 

 

 

 

 

 背反する二つの要素、世界の原理的な在り方。即ち二元論。

 

 人の意識には必ず善と悪両方が存在している。どれだけ優れた人間であっても悪しき感情が一切無いなどと言うことは無く、どれだけ薄汚れた人間であっても善性が完全に消えたとは断言できない。

 

 隈なく探せば心が善悪一色か無色などという奇特な人間がいるのかもしれないが……それはこの話の本題ではない。ともかく、この世の人間の大部分はそう言った清濁を大小なりとも併せ持った者が殆どだろう。

 

 しかしとある人間は考えた。「人間の善悪を完全に分離し、悪の要素を完全に封じ込めることが出来ればこの世から争いや悲劇は無くなるのではないか」と。成程確かにその通りに事が進めば、善の心だけを持った清く素晴らしい人間が生まれるのかもしれない。

 

 だがそれは逆の事も言える。善の心が封じられてしまえば、きっとそこで生まれるのは最悪の怪物だ。

 

 善き心と悪しき心は、互いを止めることのできる安全装置だ。それがもし無くなればどうなるのか。それが善き心ならばいいだろう。きっとその人は明るく太陽の様な人間になって周りを照らしてくれるかもしれないのだから。しかし悪しき心なら――――

 

 

 

 ――――制御装置を失った暴走機関車が齎すものなど、態々考えるべきだろうか?

 

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

「カァァァァー! カァァァァァー! 合同任務ゥ! 合同任務ゥゥゥ! 義勇! 胡蝶カナエト共ニ京橋區(きょうばしく)ヘ向カエ! カァァァァァッ!!」

 

 休日が空けての翌日の朝。

 

 いつものように花屋敷で皆と共に朝食を終え、そろそろ任務が来る頃合いだと思い割り当てられた個室で出立の支度をしていると、予想通り窓から入り込んだ俺の鎹烏である黒衣が耳を劈くような大声で次の指令を下した。

 

 ただ少し、俺の予想と違ったのは――――

 

「……合同任務? カナエとか?」

「ソウダ! 早く支度ヲシテ共ニ往ケ! 鬼ノ被害ガ広ガル前ニ早ク往ケェェェ! カァァァ――――ッ!」

「わかった。わかったからそう叫ぶな」

 

 言うだけ言って黒衣はそのまま入ってきた戸から出て行ってしまう。

 

 合同任務……つまり複数の隊員を纏めて向かわせる必要がある任務ということか。ならば相手は異能持ちか、最悪十二鬼月も考えられる訳だ。これは気を引き締めねばなるまい。

 

「隊服よし、羽織よし、小道具よし……刀、よし」

 

 鬼狩りに欠かせない装備を細部まで不備が無いかを確認しながら装着していく。

 

 特に刀は最も大事だ。これが無ければ鬼を殺せないので当然と言えば当然だが……何より大きな傷があったり、肉眼でわかるほど刃が欠けているのに放置して振るうなんて事をしたら今度こそ鉄穴森さんの怒りが小言を言うだけでは済まなくなるかもしれないからだ。

 

 俺はたださえ刀を一度折っている上に、大事に扱えと言われた数日後に刀を海水に漬けて帰ってきたという前科がある。粗雑に扱っているつもりはないが、流石に短期間で何度も彼の世話になる訳にはいかない。

 

 というか、あんまり頻繁に世話になるといつかはどこかの某三十七歳児の如く包丁片手に追いかけられそうだ。仏の顔も三度までと言うし。……いや流石にないか。……ないよな?

 

「……とりあえず、錆兎の様子を見に行くか」

 

 そう言えば錆兎が丁度今日から機能回復訓練を始める予定の筈。任務に行く前に挨拶しても罰は当たらないだろう。

 

 装備が万全である事を確認した俺は部屋の扉を空けて廊下に出た。――――そして丁度よく準備を終えたのか、後で合流するつもりだったカナエとすぐさま鉢合わせする。そう言えば彼女とは部屋がそう離れていなかったな。

 

「あら義勇君、もう準備が終わったの?」

「お前と同じように、前もって準備していたからな。カナエの方は烏からの連絡はもう受けたのか?」

「ええ。まあ、扉越しに貴方の烏の大声が聞こえたというのもあるけれど……」

「……すまん」

 

 黒衣の年齢はまだ一歳。その若さ故に元気があり余っているのだろう。無駄に張り切っているとでも言うべきか。どうやら後で少しは落ち着きを持つよう言っておこう。

 

「あ、任務に向かう前に錆兎の様子を見ていきたいんだが、構わないか」

「勿論よ! じゃあ早く行きましょう」

 

 同意が得られたのなれば善は急げ。俺たちは錆兎の居るであろう訓練場へと足早に歩を進めた。

 

 距離はそう遠くないため五分とかからず訓練場にたどり着く。そして錆兎の姿は多数の訓練中の隊士の中に居たとしてもすぐに見つけることができた。何故ならば……

 

 

「あががががががががっ!! まっ、真菰っ! 加減しろっ! おっ、折れるぅぅぅぅぅぅっ!?」

「錆兎~、男の子なんだから泣き言言わないの~」

「あばばばばばばばば」

 

 

 どうしてか此処に居る真菰に凝り固まった身体を無理矢理海老反りにされて悲鳴を上げているのだから、見つけられないわけがなかった。

 

 全身からミシリミシリと変な音が聞こえてくるのはきっと筋肉が解れている音だ。決して治った骨がまたもや折れようとしている訳ではないと信じたい。周りの隊士が真菰を見てドン引きしているのも、たぶん気のせいだ。

 

「あれ、義勇、カナエちゃん。どうしたのこんな所に?」

「いや、それは俺の台詞なんだが」

「お二人とも仲がいいのね~」

 

 真菰は本来ならばまだ鱗滝さんの元で修行をしているはず。まさかほっぽり出して来たのか? いや、あの真菰が鱗滝さんに迷惑がかかる行為をするはずがない。だとすれば……。

 

「実はもう岩を斬っちゃって。やること無くなっちゃったから錆兎のお見舞いに来たんだー。で、丁度機能回復訓練っていうのに居合わせたからそのお手伝いをね」

「…………マジでか」

「え? 岩? 岩って斬るものなの……?」

「岩斬らないと合格できないとか水一門怖ぇ……」

 

 その言葉に俺は思わず顔を覆った。隣のカナエや周りにいる他の隊員が修行内容についてドン引きしているような気がするが、まあ素っ頓狂な内容であることに反論できる余地が無いので素直に受け入れておこう。

 

 俺の記憶が確かならば真菰は弟子入りしてからまだ一年と経っていない。なのにもう岩を斬ったとは。いや、つい二ヶ月前まではもう半分ほど斬れると言っていたから、近いうちにできるとは思っていたのだが。

 

 まさか鱗滝さんが真菰を甘やかして岩を小さめのに……するわけも無いか。あの鱗滝さんがこと修行に関して加減なんてものをするとはとても思えない。むしろ生き残る可能性を高めるためにこれでもかというほど扱き倒すはずだ。

 

 ならば真菰は純粋にその才覚と実力で彼の予想を大きく上回ったという事になる。長期的な修行を受けていた錆兎はともかく、死に物狂いで鍛えていた俺でさえ一年かかったのに真菰はたったの八ヶ月少し。やはり天才か……。

 

「くそっ、一体その小さな体の何処にこんな怪力が隠れているんだっ……!」

「うーん、でもすぐにへばっちゃうのがなぁ。力があるのはいいんだけど、長続きしないんだよね~」

(……ふむ)

 

 つまり真菰の筋肉は瞬発力こそ高いが持久力があまりない、所謂白筋、速筋が多いタイプなのだろう。

 

 速筋は体内の糖質を燃焼させることで強い力を発揮することが出来る。しかしそれを維持できるのは短期間にのみに限り、持久力が極めて低い。筋力は高いが体力が無いと言えばわかりやすいだろうか。

 

 これは……少し問題だな。単純に鬼と戦うだけならば体力が無かろうがその前に速攻で決着を付ければいい話だが、水の呼吸にその戦法が合っているかと言われれば勿論「NO」だ。水の呼吸は防戦向きであるが故にその戦いのほとんどは長期戦・持久戦になりやすい。

 

 もし真菰がその体質を十全に活かしたいのならば、一番適しているのは雷なのだが……いや、まだ結論を出すのは早い。時間があるときに鱗滝さんや錆兎と真菰の皆で話し合おう。

 

「義勇っ、助けてくれ! お前だけが頼りだ!」

「すまない錆兎。俺には無理だ」

「少しは助ける素振りを見せろぉぉぉぉぉぉっ!!」

「錆兎ぉ~、大人しく受け入れれば楽になれるよ~?」

「あはは……頑張って錆兎君! 応援してるわ!」

 

 錆兎の助けになれないことは少し悲しいが、これは必要な事だ。何より真菰が笑顔で立ちはだかりそうだし、俺ではお手上げだ。真菰はふわっとしているように見えて凄まじく強情なのだ。彼女を動かしたいのならば鱗滝さんを連れてくるしかない。

 

 そんなわけで俺たちは錆兎の元気な悲鳴と真菰の笑い声を背に訓練場から立ち去った。きっと数日後には元気な彼の姿が見れるだろうと信じて。

 

「――――あ、姉さんと義勇さん! やっと見つけた!」

「…………ん!」

 

 さて錆兎の安否も確認したし、そろそろ出かけようかと思った丁度その頃、ドタバタと廊下の奥から此方へと向かう大きな足音が聞こえてきた。

 

 振り向けば、そこには何やら大きな包みを持ったしのぶとカナヲの姿が。

 

「もう、挨拶も無しで行こうとするなんて酷いじゃない二人とも!」

「ああ……すまない。邪魔しちゃ悪いと思って」

 

 しのぶは今も尚菫さんから様々な知識を教わっている身だ。それを邪魔したり余計な心配をさせまいと敢えて何も言わずに出発しようとしたのだが、彼女はそれが不満な様だ。

 

「全く、せっかく時間を貰ってカナヲと一緒に作ったお弁当が無駄になる所だったわ」

「お弁当?」

 

 呆れ混じりの表情でしのぶはぶっきらぼうに手に持っていた包みを俺へと押し付ける。ちらりと隙間から中身を覗いてみれば、竹皮で包まれたものから何やら芳ばしい香りが。

 

「うわぁぁぁ~! しのぶとカナヲったら態々ありがとう~! 大切に食べるわね!」

「……ありがとう、二人とも」

「別にお礼を言う程の事じゃないでしょう。……今の私には、こんな事しかできないし

 

 照れくさそうに俯くしのぶだったが、何か違う言葉を呟いたような気がした。しかしそれを問う前にカナヲが俺とカナエの羽織をぎゅっと握りながら俺たちを見上げてきたため考えを中断させる。

 

 カナヲは深く逡巡するように視線を右往左往させつつも、やがて覚悟を決めたように口を引き締めて――――

 

「……いって、らっしゃい」

 

 小さく、確かに、俺たちを贈る言葉を紡いだ。

 

 それを聞いて俺は微笑みが零れ……カナエに至ってはぷるぷると喜びのあまり光悦の表情を見せた。気をしっかり持てカナエ、今お前凄いだらしのない表情になっているぞ。

 

「よーしお姉ちゃん元気百倍! 二人とも、行ってくるわね~~~~!」

「二人とも、俺たちの居ない間も体に気を付け――――ちょっ、カナエ! 引っ張るな!」

「もう、姉さんったら……」

「…………くすっ

 

 二人に別れを言う前に暴走気味のカナエに襟首を掴まれた俺は抵抗空しくそのまま引きずられながら屋敷を後にすることとなった。つい昨日雫さんに「自分を制しろ」と言われたばかりだろうがお前。

 

 全く、鬼殺隊に入ってからは小さな気苦労が増え続けるばかりだ。

 

 

 だが――――

 

 

(……悪くは、ないな)

 

 

 それでも、その小さな苦労に仄かな喜びを見出す俺もまた、難儀なものだ。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 京橋区。東京府の中央に存在する地名であり、京橋川へと駆けられた大橋が象徴的な場所だ。

 

 この地域は東海道が南北に通っており、江戸時代からその周辺に職人たちが集まって町を作りこれ以上無い賑わいを見せている。特に多いのは材木などの木を扱う職人か。大凡木工に関することなら此処で大抵解決できるといっても過言ではない。

 

 何より今の時代となると日本橋と銀座を結ぶ商店街としての側面も見せ始めている。総じて豊かな地域と言えよう。

 

 ただ――――

 

「義勇君、どうかしたの?」

「……いや、なんでもない」

 

 目的地である京橋区に到着した俺たちは一先ずの休憩として小さな茶屋の中で場所を借りて羽を休めていた。

 

 口に頬張るのはしのぶとカナヲが丹精込めて作ってくれた握り飯。具は鮭や昆布、味噌などシンプルなものであったが、それでも二人が作ってくれたものであると知れば数段美味い気がしてくる。

 

 しかし握り飯を食べる最中、この町を見てふと思い浮かぶことがあった。それは他でもない――――大自然の、怒り。

 

 一九二三年、大正十二年に起こる関東大震災。大地震という地球の暴威によって東京府を中心として強大な地域を襲った災い。死者と行方不明の人間が十万人を超すという当時としては前代未聞の大災害によって、この京橋區もまた大きな被害を受けてしまう。

 

 眼先にある鬼の問題も実に頭が痛くなるが……これに関しては、本当にどうすればいいのか。

 

 単にいつか大地震が起きます、なんて言っただけでは頭の可笑しな奴だと思われておしまいだ。ただ、産屋敷家という資産家を通して日本政府に注意を呼びかけることもできるかもしれないが――――科学的根拠が何もない。

 

 鬼だの何だの非科学的な超常存在と戦っている身だからこそ麻痺しているが、人間は本来未知の存在など信じないし認めない。俺が未来を知っていたところで「どうしてそんな事がお前に分かるんだ?」と言われれば何も言い返せない。

 

 未来の出来事がわかるなど一般人からすれば妄言以下だ。たとえそれが本物だとしても証明の手立てがない以上どうしようもない。前にも言った通り、俺が未来を”知って”はいるが、”予測”できるわけでは無いのだ。

 

 本当に、考えれば考える程頭が痛くなりそうだ。

 

「義勇君……悩み事があるなら私が聞いてあげるわよ?」

「ああ、いや、本当に大丈夫だ。……心配してくれてありがとう、カナエ」

 

 これについては本当に立場ある人間以外に話したところでどうしようもないし、俺と同じように未来視じみた先見の明を持つ産屋敷一族以外に話しても簡単に信じては貰えないだろう。

 

 心配そうにこちらを見てくるカナエには心底申し訳ないが、この問題についてはいずれ必要な時まで俺の胸の内に秘めておこう。まずは、目の前にある問題を解決する方が先だ。

 

「もう、折角一緒に居るんだから頼りにしてくれないと寂しいわ! 私たち、お友達でしょう?」

「その気遣いだけでも十分だよ。……さて、まずは任務について考えないと」

「……うん、そうね」

 

 カナエは少しだけ納得のいかなさそうな表情であったが、鬼殺隊として優先すべきことはわかっているのか気持ちを切り替えてくれた。では、任務についての詳細を再三確認しよう。

 

 任務の内容は京橋區に来る最中、改めて黒衣やカナエの鎹烏から大まかにではあるが説明を受けた。

 

 掻い摘んで言えば此度の任務は、いわば穴埋め。ここ京橋區は本来ならば炎柱が担当する区域の一つなのだが、その炎柱が諸事情で特定の区域を厳重に警戒せざるを得なくなったらしい。

 

 彼ほどの存在が特定の場所に拘束される事態ともなれば、恐らく十二鬼月関係。推測するに十二鬼月が活発に活動し出してその対応に追われている、といった所か。

 

 ともかくそんな事情のために急遽彼が抜けた穴を埋めなければならなくなった。多少ならば他の柱が補完してくれるだろうがそれでも完全とは言えない。その為に俺たちが此処に派遣された、と言う事らしい。

 

 これだけ聞けば、ただ炎柱の代わりに一つの地区を警戒するだけの簡単な任務だろう。が、ここ京橋區に関してだけは注意すべき点が一つあった。それは、

 

「散発的に発生している神隠し、か……」

 

 ここ京橋區では数年前から断続的にではあるが神隠しが何度も発生していた。頻度は一、二ヶ月に一回程。おおよそ、鬼が食を断たれ飢餓状態になるまでの最短期間と一致しており、鬼殺隊はこれを鬼による仕業だと判断している。

 

 しかしここで問題が発生した。どうやらこの鬼は高度な擬態か潜伏能力を持った鬼のようで、中々その尻尾が掴めずじまいでいるのだ。鬼殺隊が本格調査を始めてまだ二ヶ月程度であるが、隠を十五名も投入しておきながら有力な情報が何一つ出てこないところからかなり厄介な類と推測できる。

 

「カナエ、お前ならこれについてどう判断する?」

「う~ん……そうねぇ。もしかしてこの街の地下に大きな基地を持ってて、そこら中に抜け道があるとか?」

 

 確かに、あり得る話だ。鬼の力なら地下の掘削は容易であるし、その抜け道が肉体を変形させねば通れないようなものならば俺たちでは見つけようがない。可能性としては高い部類だろう。

 

 ただ、それが当たりだとしても結局相手が出てくるまで待たなければいけない事には変わりがないのが悩ましい所だ。後手に回るのはできれば避けたいのだが……。

 

「何にせよ、昼の内に周囲の地形を把握して……夜はとにかく駆け回って鬼を探すしか無さそうだな。幸い、烏からの協力は十分に得られるという話だし」

「ええ。皆で力を合わせて、ぱぱっと解決しちゃいましょう!」

 

 討論をするにも情報があまりにも少なすぎる。いつも通りの事ではあるが、前情報無しのぶっつけ本番で行くしかないか。

 

 最後の問題としては件の鬼をどうやって見つけるかだが、問題は既に解決済みと言っていいだろう。なにせ今回の任務では相方が消えてしまったことで暇を貰っていた鎹烏を拾羽以上使って広域の探索を行うという。長期間の調査でも何一つ掴めなかったことを危惧したのか、気合の入れ方が一段と違うように思えた。

 

 これならば鬼がどこに出現しようとすぐに場所が特定できる筈。実に頼もしい。

 

「……ごちそうさまでした。それじゃあカナエ、そろそろ出発しよう」

「はーい」

 

 握り飯をすべて平らげ、茶を飲み干せばこの場にいる理由もなくなった。日没までそう時間的余裕があるわけでもないため、俺たちはとにかく鬼に関しての情報をほんの少しでも集めるため、茶の勘定を払い、荷物を背負って俺たちは茶屋を後にした。

 

 しかし期待はあまりしていない。何せ鬼殺隊が裏方担当の隠を複数動員してもろくな情報が集まらなかったのだ。今更俺やカナエの二人が同行したところで有力な情報が転がり込むとは思えない。

 

 だが、だからといって最初から何もしないで待つだけというのも、違う気がする。

 

 どれだけ有利な条件下にいようが、状況を改善する努力は怠らないべきだ。少なくとも時間を無為に浪費するよりずっと有意義であろうし、そうして拾ったほんの小さな一欠片の要素が、明日の己の命を救うかもしれないのだ。

 

 要するに、時間があるならば出来ることは全てやっておけ、だ。

 

「――――カァァァ! 義勇! 助ケテ! カァァァァー!?」

「ん?」

「あら? この声は……」

 

 さてどこから聞き込みを始めようかとあたりをうろついていると、遠くからバッサバッサと大きな羽ばたき音が近づいてくる。振り返ればこちらへと黒い影――――俺の鎹烏である黒衣が飛んでくるではないか。

 

 かなり焦った様子だが一体何があったのか。まだ真昼なのだから鬼に追いかけられているわけでもないだろうに……?

 

「ちょっと! そこの烏! 待ちなさぁぁ――――い!!」

「ギャァァァァ! 義勇! 俺ヲ隠セ! 早ク!」

「断る。一体何をしたお前」

 

 俺は黒衣を追いかけてきたであろう綺麗な青い瞳が特徴の、肩ほどまで伸びた短い黒髪を頭の両隣で結び留めた少女がぷんすこと怒っている様子を見て、きっとこいつが何かやらかしたのだろうと俺の服に潜り込もうとする黒衣の体を逃げられないようがっしりと鷲掴みにした。

 

「カァァ-ッ! コノ裏切リ者ォ!」

 

 俺が助けてくれないことを悟って黒衣が俺の手の中でジタバタと暴れ出すがもう遅い。

 

 かなり長い距離を走ってきたのかこちらにやってきた少女は肩で息をしながら俺が捕まえている黒衣をキッと睨みつける。本当に何やったんだこいつ。

 

「すまない、俺はこいつの相方……飼い主みたいなものなんだが、何か迷惑をかけてしまったのだろうか」

「貴方が飼い主さんですか!? 一体どういう躾けしているんですかこの烏! せっかくお小遣いを貯めて買った私の羊羹を食べるなんて!」

「……お前」

「黒衣ちゃん……」

「……俺ハ甘イ物ガ大好物デ、目ノ前ニ美味シソウナ羊羹ガアッタカラツイ……大好物ナノニ偶ニシカ食ベラレナイノ、ツライ……」

 

 完全にこちらにしか非が無かった。黒衣が甘党なのは初めて知ったが、だからって人様の物を勝手に盗み食いするのはどうなんだお前。

 

「はぁぁ……食べたい時は俺に言え。それくらい奢ってやるから」

「本当カ! ヤハリオ前ハ俺ノ”マブタチ”ダナ!」

「ちょっと、私の事はほったらかしですか!?」

「あ、すまない。ええと……これで足りるだろうか」

 

 俺はとりあえず弁償のために黒衣に「もうするんじゃないぞ」と釘を刺しつつ放してあげ、次に財布から一円札(現代換算でおおよそ一万円)を取り出し、少女へと渡した。そして少女はそれを受け取って数秒程眺めると、ぎょっと驚きの表情を見せる。

 

 渡したお金に何かおかしなところでもあったのか?

 

「あっ、あのっ! 貰えませんこんなに!」

「どうしてだ?」

「どうしてもなにも多過ぎますよ!? 私の買った羊羹そんなに高くありません!」

「義勇君、迷惑料込みにしても流石に多過ぎよ……。これじゃ貰った方も困っちゃうわよ?」

「そうなのか……?」

 

 金など俺にとっては食事と睡眠以外に使い所がないためあり余っており、別にこれくらい渡しても何ともないのだが。いや、よく考えれば確かに迷惑をかけたとはいえ会ったばかりの子供に一万円札を渡すのは不審者の行為な気がする。

 

 だがお金はもう少女にあげてしまった後だ。今更返してもらって減らした後また渡すというのも……それはそれで、自分が金に細かいケチな人間なような気がしてきて嫌だ。少女には悪いがお金はそのまま受け取ってもらおう。

 

「だが、それはもう君のお金だ。返してもらう気は無い。貯金でもなんなりして役に立てるといい」

「え、えぇ……? あの、お連れのお姉さん、この人大丈夫なんですか? 熱とか出していたりしてません?」

「うーん、残念だけれどこれで割といつも通りなのよねぇ」

「おい待てカナエ、残念ってどういう事だ」

 

 一体俺のどこにおかしな点があった。確かに花丸満点の対応とはいえないが大きな問題は特に無かっただろうに。

 

「義勇君ってなんかこう、変な所で鈍感というか、常識とズレてるというか……そこも魅力の一つなのでしょうけど」

「……? すまない、カナエが何を言いたいのか全くわからない」

「わからなくても大丈夫! 義勇君はそのまま持ち味を生かしてしのぶをメロメロにすればいいと思うわ!」

「??????」

 

 会話をしているようでまったく会話が出来ていないのは俺の気のせいだろうか。

 

 ううん……これは、俺のコミュ力不足が原因なのか? おかしいな、最近は色んな人と接しているからそれなりに会話力は身につけてきたと思っていたのだが、どうやらまだまだ未熟だったらしい。精進せねば。

 

「そういえば、あなたたちはこの町では見かけない顔ですね。旅行者なんですか?」

 

 考え込んでいると少女がやっと俺たちが外からやってきた人間だと気づいた。その口ぶりからしてこの子はこの町で暮らしているらしい。彼女かその両親ならばこの町の事情についてもある程度詳しい、かもしれない。

 

 いや、まずは彼女の問いに返事をしよう。こちらの質問はそれからでも遅くはない。

 

「ん……ああ、まあ、そんなところだ」

「私たちは旅をしながら『薬売り』をしているのよ~。ほら、私たちの背負っているこの箱に薬がたくさん入ってるの」

 

 そう、カナエの言う通り今の俺たちは『旅の薬売り』として扮しており、その印象付けのために大きな木箱を背負っていた。そして中身は紛れもなく多種多様な薬だが……当然ながら、それだけであるはずもない。

 

 実はこの背負い箱、外側だけでなく背負う側も開く仕組みとなっており、さらに言えば中は仕切りによって空間が二つ備わっている。外側の扉を開けば薬が入っているだけだが、背負う側を開けば刀――――つまり日輪刀が収納されているのだ。

 

 知っているとは思うが、明治九年に発行された廃刀令によって許可のない者以外の帯刀は違法となっている。それは公的にはその存在を明らかにしていない政府非公認にして私立の秘密組織である鬼殺隊とて例外ではなく、帯刀していればまず間違いなく通報されてしまう。

 

 とはいえ政府も俺たちの存在を認知しているため、捕まったとしても裏で色々してすぐに釈放してくれるらしいが、貴重な時間は確実に浪費されてしまう。だからこうして様々な手段を用いて人目に付かぬように持ち運ぶ必要があるのだ。

 

 どうしても目立ってしまう市街での任務なため、この特注の背負い箱や偽装のための薬を貸してくれた菫さんには全く感謝しかない。

 

「薬……あの! 売ってる薬には腰痛に効くものとかもありますか?」

「? ええ、あるわよ。売ってほしいの?」

「はい。実は昨日、お父さんが重いものを持ち上げているときに腰を痛めてしまって……」

 

 渡された薬は好きに使っていいとの事なので少女に提供することに問題は無いはずだ。

 

 扱いを間違えると取り返しのつかない劇薬の類は無いが、確か腰痛に効く飲み薬や湿布も入っていたはず。これなら少女の要望には十分応えられるだろう。それに少女の家を訪ねて彼女の父から話もゆっくり伺える。

 

 一石二鳥。この話を逃す手はない。

 

「わかった。だが念のため、薬を処方する前に詳しい症状を見る必要があるから、父のところに案内してくれるか?」

「はい! ありがとうございます、お二人とも!」

「うふふっ、元気な子ねぇ」

 

 ぱぁっと少女の満面の笑みに釣られる様に微笑みながら、俺たちは少女の家へと歩み始めた。

 

 

 

 後になって思えば、この出会いはまさしく運命の悪戯だとしか評せなかっただろう。

 

 神か悪魔が仕込んだような、残酷でどうしようもない……そんな道筋を歩んでいると俺が気づくのは、もう少し後の出来事だ。

 

 

 


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