水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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第弐拾伍話 観えぬ悪鬼

「……はい、これで終わりです。痛みが引いても数日はじっとしていてくださいね? でないと再発する恐れがありますから」

「いてて……ありがとよ、嬢ちゃん。くーっ、薬が染みるぜ……!」

 

 京橋區にある大通りに位置した二階建ての小さな定食屋【かんざき】。その店は一階を店として、二階を居住としている利用しているようで、今俺たちはその二階にある寝室でうつ伏せに寝ている中年の男性――――先程出会った少女の父親の手当てをしていた。

 

 どうやら仕入れた米俵を運んでいるときにふとした拍子で腰を痛めた、つまりぎっくり腰になったらしく、おかげで仕事もできないまま半日以上この腰痛と戦っていたらしい。

 

「これでお父さんはもう大丈夫なんですか?」

「ええ。でも無理をするとまた痛むかもしれないから、日ごろから軽い運動をして体を解したほうがいいわね」

「うーん、俺ももう歳って事かねぇ」

「もう、お父さんったらまだ三十過ぎたばっかりでしょ! 泣き言言わない!」

()()()、お前さん日に日に母さんに似ていくな……昔はあんなに父さんの背中を追いかけてくれたと言うに……」

 

 ぷんぷんと頬を膨らませながらアオイと呼ばれた少女は小さな手で父の頬をペチペチ叩き、父は苦笑しながら悲しいような嬉しいような言葉を漏らす。実に微笑ましい光景だ。

 

 ただ、まあ、俺の心境的には複雑極まりないのだが。

 

「ん……義勇君、どうしたの? さっきから何も言わないで」

「……いや、家族の団欒を邪魔しちゃ悪いなと」

 

 定食屋の看板に書かれた文字を見た時はまだ気にもしていなかった。しかし彼らの苗字が『神崎』だとしてまさかと思い……少女の名が”アオイ”であると知って俺は何とも言えない気持ちになってしまっている。

 

 神崎アオイ。その名は間違いなく、将来蝶屋敷に在籍する鬼殺隊員の名である。そして鬼殺隊に入る者は余程の例外を除けば大抵肉親を失った者が多く……これ以上は、言わなくてもわかるだろう。

 

 ただ、名前が偶然似ているだけの別人と言う可能性も決して無い訳ではない。とりあえず、この街に滞在している間は彼らの身の周りを注意しておこうと心に刻んだ。

 

「ああ、お前さん方。わざわざこんな所まで来てくれて、世話をかけるなぁ。薬も相場よりもずっと安く売ってくれたし、その上こんなべっぴんさんに診てもらうなんて男冥利に尽きるぜ」

「お父さん!」

「おっと、口が滑った。すまんすまん」

「ふふっ、二人はとっても仲良しなんですね」

 

 ちょっとだらしなくて抜けている父親としっかり者の娘。見事なまでの凹凸だ。

 

 しかし何時までも長話している訳にはいかない。俺は一度本題に戻すために小さく咳き込みし、改めてアオイの父である清蔵(せいぞう)さんと話をする。

 

「それで清蔵さん、やはり先程のお話に心当たりはありませんでしたでしょうか」

「あん? あー、何年も前から神隠しが起こってるって話か。つっても俺もあんまり詳しいことは知らないんだが……」

「些細な事でも構いません。お願いします」

 

 清蔵さんはこの町で十年以上暮らしているとの事。ならば何か切っ掛けのようなものを知っている可能性はあるかもしれない。そんな思いで俺は彼に頼み込み、清蔵さんは頭をガリガリと掻きながら少しずつ事を語り始めた。

 

「そうだな……最初に神隠しがあったのは、確か七年か、八年くらい前だな。なんでも若い大工の一人が飲みに行ったっきり行方を眩ましたんだ。探しても死体すら全く見つかんねぇから、酔ったまま川に落ちてどこかに流されちまったんじゃねぇかって皆思ってたな。でもその一か月後にまた似たような事が起きて、その一か月後もまた……って感じが今の今まで続いちまってる。おかげで深夜に一人で出歩く奴はすっかり少なくなっちまったな」

 

 事の起こりは七、八年前。一ヶ月に付き一人だとすると、犠牲者はもう八十人以上に上ることになる。掛かった時間や町の規模からすれば小さな人数かもしれないが、住んでいる者からしても決して無視できる人数では無いはずだ。

 

 だからこそ疑問が一つ浮かび上がる。不可解な事件とは言え、此処まで被害が増えれば国家機関も動く筈なのでは、と。

 

「その、失礼ですが警察の方々は? まさか何もしていない訳はないでしょう」

「ああ、三年前に一度大規模な捜索が行われたんだがな、これが全然駄目だったんだ。半年間百人以上が調べても手掛かりが一切無し。むしろ警察まで被害が及ぶ始末でな。今も細々と調べちゃいるようだが、あんまり積極的とは言えないね。ったく、情けねぇ……」

「……………」

 

 警察が百人動員されて尚手掛かりが一切無し。となると、隠密系の血鬼術を保有して居る可能性が極めて高い。

 

 であるならば、鎹烏による広域の捜索はあまり効果的でないかもしれない。どれだけ烏の目がよかろうが、そもそも姿が見えなかったり、認識できなければ骨折り損に他ならないのだから。

 

 鬼殺隊が大きく助力すると聞いて一晩か、最悪二日三日で片づけられると思っていたが……もしかするとこの案件、かなり厄介かもしれない。

 

「その……神隠しに遭った人達に何か共通点などはあったりしますか?」

「いんや、全然。男だったり女だったり、大人も子供もお構いなしだ。……ああ、ただ、老人が居なくなったってのは聞いたことねぇな。あと、最近は女子供が被害に遭いやすいような……」

(……………!!)

 

 鬼にも多様な趣味趣向があるが、多大な鬼殺経験を持つ雫さん曰く鬼は女や子供の肉を本能的に美味と認識し好むらしい。男は肉が固いだとか、女子供の方が力が弱くて抵抗されにくいとか、単純に女子供が泣き叫ぶさまを見ながら肉を食いたいと言う下種な理由もあるかもしれないが、とにかく女子供は鬼に狙われやすいわけだ。

 

 そして此処には少女かつ、一定以上の力量を持つ鬼殺隊員が存在している。即ち、()()()として利用できる人材(胡蝶カナエ)が。

 

「――――義勇君」

「待て、カナエ。少し、待て」

 

 恐らく俺と同じ考えに至ったのだろうカナエを手を上げて止めながら、俺は思考を走らせる。

 

 確かに、巧みに潜んでいる鬼を釣り上げられる可能性が一番高いのは俺かカナエかどちらかと問われれば無論カナエの方だ。彼女の見た目は全国水準でも間違いなく上から数えた方が早いだろうし、そんな彼女は男を好んで食する奇っ怪な鬼でもなければ極上の糧に他ならないだろう。

 

 合理性を取るならば、彼女を使った作戦を組めば鬼殺の成功率は確実に上がる。だが残念ながら、俺はそんな事を認められるほど冷酷な人間にはなれなかった。

 

 何か他の方法は無いか。何か、他人を危険に晒さず鬼を誘き寄せられる策は。

 

 クソッ、俺が稀血であれば進んで餌役に志願するものを……!!

 

「もう、意地張らなくてもいいのよ? 私だって自分の身くらい、自分で守れるんだから!」

「カナエ……」

「義勇君、私を信じて」

 

 カナエは確かに強い。柱にはまだまだ及ばずとも、入隊してからまだ半年もたっていない隊士としては驚きの速度で成長していっている。雫さんにも下弦程度ならば防御に徹すれば即座に殺されることはまずないとお墨付きも貰っている。

 

 信じることは大切だ。だがそうした結果最悪の末路にたどり着いたら? そう想像するだけで身体の芯から凍えそうな悪寒に苛まれる。

 

(………落ち着け、冨岡義勇。冷静に考えるんだ。感情的に、なり過ぎるな)

 

 一旦深呼吸して心を落ち着かせる。

 

 失う事を恐れるあまり視野を狭めてはいけない。自分の意見を押し付けるのも駄目だ。怖いのは嫌だが、相手を意思を蔑ろにするのはもっと嫌だ。

 

 そう、信じるんだ。相手を。そして俺は、自分にできる事を全力で成す。それで十分だ。

 

「……油断はするなよ」

「義勇君! ありがとう!」

 

 嬉しさのあまり俺の両手を握ってブンブンと上下に振りまわすカナエ。そして神崎父子はとても微笑ましいものを見る様な目線を送ってきている。やめてくれ、そんな恥ずかしい視線で俺たちを見ないでくれ。

 

「いやぁ、何が何だかわからんが話がまとまったようで何よりだ! やはり仲のいい恋人ってのは見てて飽きんな!」

 

 恋人ちゃいます。ただの仲の良い友人です。

 

「きっと何年も共に過ごした仲なんですね! 羨ましいなぁ……」

 

 知り合ってまだ五ヶ月少しです。

 

「こっ、こここ恋人!? ちっ、違いますよ! 私と彼はただの友人で……それに義勇君にはしのぶが……」

 

 お前は真に受けるんじゃない。それにしのぶまで巻き込んでいるのは何故だ。

 

「「あ~、三角関係……」」

 

 一体何に納得したんだこの親子共。

 

 口を出す暇も無く話が明後日の方向に転がり落ちそうになり、俺は顔を覆いながらとりあえず訂正しようと口を開いた――――が、その直前に襖が開いたため俺の言葉は詰まり、全員の意識が襖を開いた存在へと向いていく。

 

「親父! 仕事にひと段落ついたから様子を見に来たぞ!」

善継(よしつぐ)、俺の事はいいから母さんを手伝ってこいって言ってんだろうが! ったく話を聞かねぇ息子だなぁ」

「親父に似たんだよ。それに、お客さんは全員帰ったし食器も全部洗い終わったんだ。なら怪我した親の顔くらい見ても罰は当たらないさ」

 

 軽快そうに笑いながらドスンと畳の上に座する、二十歳前後ほどだろうと見えるいかにも好青年といった感じの男。名は神崎 善継。どうやらこの家の長男らしい。

 

 今日は身体を悪くして倒れた店長()の代わりとして働いており、二階に上がる前も少しであるが彼の姿を見かけた。とても力強く真っすぐで、情熱に溢れた男といった印象だ。

 

「お、アンタらがうちの親父の面倒を見てくれた薬師さんだな? 俺は神崎善継。いやぁ、助かったぜ。俺は昼間外に出れねぇからさ。かと言ってアオイを一人で遠くに行かせるのも心配だったからな!」

「は、はぁ……あ、俺は冨岡義勇です」

「私は胡蝶カナエといいます。よろしくお願いしますね、善継さん!」

 

 今まで出会ったことがないようなパワフルなコミュニケーションに俺は気圧されるばかり。

 

 似ている人物を上げるとするならば錆兎であるが、彼は厳しさの裏に優しさを秘めた男。こうして気持ちを隠さず直球で相手へぶつかる人種は初めてで、どう対応すればいいのかわからない。

 

 ――――いや、待てよ。昼間外に出れない? どういうことだ?

 

「あの、善継さん? 昼間外に出れないと言うのは、どういう事でしょうか?」

「うん? ああ、別にそう難しい理由は無いさ。ただな……」

 

 カナエも鬼殺隊として同じことが気になったのだろう。日光を浴びられない、という事は俺たちにとって無視できる事案でない。

 

 その追及に対し善継は頬を掻きながら袖を軽くまくると、近くの窓から差す光に軽くかざして――――光に当たった皮膚がすぐに赤く変色すると、蕁麻疹のようにボツボツとしたものが浮かび上がってくるではないか。

 

「いっつつ……えーと、こんな感じで、俺は日光を浴びると出来物が浮かぶみたいでな。おかげでまともに日の下を歩くこともできねぇんだ」

「なるほど……すみません。わざわざ見せていただいて」

「いいってことよ、このくらい!」

 

 どうやら俺たちの心配は杞憂に終わった様だ。恐らく彼は生来の体質で日光を受け付けられないのだろう。何はともあれ、彼が鬼であるなんて最悪の予想が外れたようで一安心だ。

 

「あっ、あのっ! お二人とも、お兄ちゃんのこの体質、何とかできませんか? 何か便利な薬とかで……」

「おいアオイ、無茶を言うなって。俺の体は町一番の医者でも治せなかったんだぞ?」

「でも……」

 

 ふむ、と俺は顎に手を当てて頭の中を探ってみる。

 

 恐らく彼は光線過敏症……要するに日光アレルギーだ。紫外線を浴びると体内で過剰な免疫反応が誘発され、皮膚に皮疹ができてしまう。通常ならば日光を浴びてすぐになんてことは無く数分ほどは平気なはずだが、きっと通常のアレルギーよりも更に過敏な体質なのだろう。

 

 これの根本的な治療はまず無理だ。先天的なものなのだから流石にどうしようもない。かといって紫外線を遮断する日焼け止めは今の時代には存在しない。初めて日本で販売されるのがおおよそ大正末期。まだ大正元年も迎えていない今そんな物が出回っているはずもない。

 

 一応、一部の植物油脂や精油が同じ効果を持つと聞いたことがある気もするが……流石にこれ以上は専門家の領分だ。俺の一般人程度の知識に過度な期待などしてはいけない。

 

 遺憾ではあるが、この問題は俺たちでは手に余るものだった。

 

「すまない。残念だが、俺たちではあなた方の力になれそうもない」

「そんな、気にしなくていいって! 俺は俺なりに楽しくやってるんだから、そう落ち込まないでくれ。これから生きて行きゃいつか何とかなるさ!」

「ええ、その通りです! 今は駄目でもこれから先どうなるかわからないんだから! だから義勇君もアオイちゃんもそう暗い顔しないで、笑顔笑顔♪」

「あ、ああ……」

「お、お兄ちゃんが二人に増えた……」

 

 期待を空振りさせてしまっても全く気にしていないのか善継さんはバンバンと俺の背中を叩きながら励ましてきた。カナエも馬が合ったのがいつも以上の元気さを発揮している。何だこの謎の相乗効果は。

 

「こらこら三人とも。客人の前であまり大きな声を出してはいけませんよ?」

「あ、お母さん!」

 

 俺が明るさ百倍元気千倍といった様子の二人に顔を引きつされていると、空いた襖から割烹着を着た泣き黒子が特徴の、美しい妙齢の女性が急須と湯呑を乗せたお盆を持って入ってきた。

 

「どうぞ。粗茶だけど、お口に合うと何よりだわ」

「ど、どうも……」

 

 恐らくこの一家の母親だろう彼女は音も立てない綺麗な正座をしながら、急須から湯呑に茶を注いで俺たちに手渡してくる。年上特有の、言葉にし難い艶美さに思わず声を震わしながら俺は湯呑を受け取り、唇が乾かないうちに啜る。

 

 ……あ、本当においしい。

 

「おーい小僧。いくら俺の嫁の菖蒲(あやめ)が別嬪だからって一目惚れしちゃあいかんぞ?」

「えっ、あ、い、いえ、別にそんなことは……」

「ぎっ、義勇君! あなたもしかして年上好きだったの!? そんなぁ……あの手この手を駆使してしのぶとくっつけさせる私の完璧な計画が……!?」

「おい待て。ちょっと待て」

 

 些細な仕草で動揺したことを見抜かれたのか見事に清蔵さんに揶揄われてしまう。だがこれは別に邪な感情があるわけではないと俺は弁解したい。

 

 俺は単純に落ち着いた雰囲気の年上の女性……つまり蔦子姉さんによく似た人に対しては何と言うか、酷く緊張してしまうのだ。家族に似た人に弱るというだけなので、別に惚れた腫れたとかそういうのはない……筈だ。たぶん。

 

 いや、それよりもカナエがなにか無視できないことを口走ったのは気のせいか? 俺の事はどうこうしても構わないが、しのぶに迷惑をかけるのはいくら姉だからと言っても駄目だろうお前。

 

「とても賑やかね。まるで家族が二人増えたみたい」

「あ、す、すみません。押しかけた身なのに騒いでしまって……」

「いいのよ。自分のお家だと思って寛いで行きなさいな。誰も迷惑だなんて思っていないんだから」

 

 鼻腔を擽る母性。駄目だ、これ以上この人の傍にいると気を抜いた瞬間に心がとろけそうだ。す、速やかに脱出しなければ……!!

 

「お、俺たちはこの後用事があるのでこれで……!」

「あら、そうなの。じゃあもしまた此処に来ることがあったら、遠慮せずにいらっしゃい。今度はちゃんとしたおもてなしをしてあげるから」

「うーんもう、義勇君ったら恥ずかしがり屋なんだから~」

 

 あまりの居たたまれなさに俺は逃げる様に荷物を背負いながらカナエを引っ張るようにしてこの場を後にした。

 

 当初の目的は果たした上での迅速な撤退なのだから、これは決して羞恥による逃走ではない。そこを勘違いしてはいけない。……本当だぞ?

 

「ふっはは! また来いよ少年! 今度は俺お手製の天ぷら定食を御馳走してやるからな!」

「お二人とも! 元気で!」

「お仕事頑張れよ~! 怪我するんじゃないぞ~!」

「またいらっしゃい。何時でも待っているわ」

 

 ……理想の良き家族とは、きっとああいうのを言うのだろう。俺たちは去り際に神崎一家に見送られながら(清蔵さんは身動きが取れなかったので窓から)彼らと跡を濁さずに別れることができた。

 

 暖かさに満ちた人達だった。だからこそ、俺は憂えざるを得ない。

 

 何もしなければ恐らく彼らは死ぬ可能性が高い。もしあの神崎アオイがただ名前が似ているだけの別人ならば、俺は心の底から安心できる。だが同一人物だとするなら……きっと、娘だけを残して彼らは消えてしまう。

 

 鬼による悲劇が何時訪れるかわからない以上、そんな事態を防ぐためには事が起きるまでずっと彼らを見守り続けなければならない。だがそれは不可能だ。俺が鬼殺隊に属さない自由人ならばそんな選択肢もあったかもしれないが、今の俺は一つの組織に属する人間だ。

 

 規律違反は余程の事態でなければ許されるべき事ではない。俺は鬼殺隊の一員として、各地に蔓延る鬼たちを斬りに行かねばならない。何時までも此処に居続けるなどできないのだ。

 

 ましてや柱でもない俺が自分以外の誰かを彼らの警護に就けることなどもできやしない。理由が説明できないし、何より鬼殺隊は常に人材不足。平隊員の一人に過ぎない俺の頼みなど一蹴されて終わりだろう。 

 

 それでもこの無理を通したいのならば、俺は今まで築き上げてきたものを崩す覚悟をしなければならないだろう。当然、そんな事をすれば打倒鬼舞辻への道が少しばかり遠ざかってしまうだろう。

 

 いつか将来相対する巨悪のために彼らの犠牲を容認するか。

 

 それとも目の前にある小さな幸せを守るために背を向けるか。

 

 ――――どちらが、正解なんだ?

 

「んふふ、優しい人達だったわね~。いつかまた会えるかしら?」

「……ああ。生きていれば、いずれ、きっと」

 

 彼らを守りながら、どこかで助けを求めている人達も同じく救い上げる。

 

 そんな都合のいい選択肢を選べないのは、どうしてだろう。

 

 

 

 誰もが皆、幸せに笑い合う未来は、一体何処にあるのか。

 

 

 

 一体、何処に。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 誰もが寝静まった深夜。太陽はすっかり姿を隠し、その身を欠けさせた白い月が町を照らす中、俺たちは路地裏のほとりで人目から隠れる様に潜んでいた。

 

 当り前だが別に如何わしい行為をするためでは断じてない。何処に鬼が潜んでいるかわからない上に相手が高度な潜伏能力を持っていると仮定した場合、安易に姿を晒していれば奇襲される可能性が極めて高い。故に、本格的に活動を行う前までは身を隠してその危険を避けるという訳だ。

 

「カナエ、身体に異常はないか。ふらつきがあるならすぐに言え」

「ううん。大丈夫、このくらいで倒れる程やわな鍛え方はしてないわ」

 

 俺たちが独自に立てた、カナエを囮とした鬼の誘引作戦。今もなお空を飛び回っている鎹烏たちが鬼を見つけられない可能性を想定し、独断ではあるがこれを実行することにした。その内容は実に単純。

 

 作戦内容は至って単純。夕方の内に注射器で抜いておいた彼女の血液をたっぷりと滲ませた包帯をカナエの手首に巻きつけ、人気の無い場所を動き回らせる。たったそれだけである。

 

 あんまりに単純すぎて本当に効果があるのかと疑問に思うかもしれないが、恐らく成功する可能性はかなり高いと俺は踏んでいる。

 

 もし相手が智慧の回る悪辣な鬼であれば裏をかかれるかもしれないだろうが、今回相手にする鬼は飢餓状態、もしくは空腹に近い状態だろうと推察しているからだ。そんな状態で濃密な血の匂い、それも生娘かつ健康な少女のものを嗅げばどうなるか想像に容易い。

 

「俺は可能な限り身を隠しながらお前の周囲を探り続ける。だがもし鬼に直接襲われた場合、すぐに大声を出して俺を呼ぶんだ。いいな?」

「ええ、わかっているわ。カナエさんにドーンと任せておきなさい!」

「……本当に頼むぞ」

 

 何故俺がこれほど心配しているかというと、単純に親友かつしのぶの姉という事もあるが、今の彼女の恰好が一番の懸念材料と化しているからだ。

 

 今のカナエは昼間と同じ普段着、綺麗な花柄の振り袖姿だった。これはカナエの発案であり、「相手が長く生き残っている鬼ならば、鬼殺隊の恰好をしていれば警戒される可能性が高いから」という事らしい。確かに理に適ってはいるのだが……こんな格好でまともに戦えるとはとても思えない。

 

 実際、腕はともかく足の動きはかなり制限されるだろう。やりようによっては上手く立ち回れるかもしれないが、それでも鬼との戦いで足回りのハンデを負うのはやはり致命的な問題だ。戦いに於ける動きはもちろん、いざという時逃げることすら難しくなるのだから。

 

 だが間違ったことを言っているわけでは無いため、考えなしに止めるわけにもいかず……結果的に更に慎重な心構えで作戦に挑まなければいけなくなった訳である。まあ、元々細心の注意を払う予定ではあったので、そう変わらないかもしれないが。

 

「それじゃあ行ってくるわね。義勇君も頑張って!」

「ああ」

 

 そうこう話している内にそろそろ始めなければならない時が来た。何時までも引き摺ってもう被害者が出た後でした、なんて笑い話にもならない。

 

 カナエは小さく手を振りながら路地裏の奥へと入っていった。俺も一分ほど間を置いて、屋根の上から彼女を追跡する準備をしなければ。

 

 ……それにしても。

 

「やけに、風が吹いてるな……」

 

 空を見れば雲はそこまで早く動いていないのに、地上では随分と強く風が吹いている。

 

 ただまあ、そういう日もあるか。と、俺は何てことも無いそんな違和感をもみ消しながら、屋根の上に登るため壁の出っ張りに手をかけた。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……義勇君ったら本当に心配性なんだから」

 

 呆れたような呟きを口にしながらカナエは路地裏を少しずつ歩いて行く。道中で脳裏に浮かべるのは、いつも何を考えているのかわからない少年の顔。

 

 胡蝶カナエにとって冨岡義勇という存在は、恩人にして無二の親友に他ならない。選別時には錆兎と共に己の命を救い、更にその後は最愛にして唯一の肉親であるしのぶの命も救ってもらった。これを大恩人と言わず何と言う。

 

 かと言って彼に対して何も不満が無いのかと言えば当然違う。その不満の筆頭は妹の甘い恋心に全く気付く素振りの無い超が三つ付くくらいの朴念仁っぷりではあるが――――

 

(義勇君……私って、そんなに頼りないかしら……?)

 

 冨岡義勇は、決して悪い人ではない。むしろ極めて善良な精神を持っていると言っていいだろう。

 

 助けを求める見ず知らずの誰かのためにその刃を振るい、悲しみに明け暮れる者のために涙を流し、常にその全霊を以て悲劇を打ち消そうともがき続ける。鬼殺隊に属する隊員として模範的かつ理想的と言える。

 

 反面、その異常とも言える自己評価の低さとそれに伴う自己犠牲の精神、何より行き過ぎた責任感のせいで重大かつ過酷な役目は例え適性があろうがなかろうが真っ先に自分で引き受けようとする悪癖があった。

 

 それが相手を心配しての行動であることはカナエも重々理解しているが、やはり悲しくなってしまう。

 

 何故ならば、それは相手の力を信じていないことに他ならないのだから。かつて自分がしのぶを心から信じきれていなかったように。

 

「うーん……どうすればいいのかしら……?」

 

 とはいえそれは仕方のないことだとカナエはわかっている。何せ彼との付き合いはそこまで長いわけでもないし、自分は十分強いと義勇に示せるだけの実績を打ち立ててきたわけでもないのだから。

 

 精々が同じくらい厳しい修行を共に潜り抜けた程度で、やはりそれは相手を信じる根拠としては少々弱い。

 

「……うん、そうね。やっぱりちゃんと今回の任務で活躍して、私が頼れる仲間だって認識してもらうのが一番だわ!」

 

 であるならば、信じられるに足る実績を作るまで。任務で文句なしの活躍をしてみせれば、きっと義勇も自分の事を確かな戦力として信頼してくれるはずだ――――そう意気込んだカナエは腰に下げた刀の鞘をぎゅっと強く握りしめながら進み続けた。

 

(…………それにしても、嫌な風ね)

 

 先程から妙に纏わりつくような粘つく風の不快さに、カナエは少しだけ顔を歪めた。まるで生き物の吐息のように生暖かいそれは、この路地裏に入った時から止めどなく吹き荒れている。

 

 もしや鬼の仕業か? と思い周囲を見渡してもそれらしき人影は見当たらない。ずっと後ろで周りを警戒しているだろう義勇からも何の反応も無く、言い知れぬ不安と空気の不気味さにカナエの歩みは徐々に重さを増していく。

 

 歩く。歩く。歩く。その度に風と刀を握る手の力が強くなっていく。

 

 ――――そしてついにカナエの足が止まった。

 

「え……?」

 

 ほんの一瞬だけ視界が捉えた人型の”何か”。それが自分の真正面にあった()()()()。なぜこんな不明瞭な表現しかできないのか。それはその”何か”が……消えたからだ。

 

「今のは、一体」

 

 疲れによる目の錯覚か――――? そう思った。()()()()()()()

 

 その瞬きする間しかないだろう油断の隙間を突く様に――――カナエの前方から何かが弾ける音がした。突然起こったそれに反応してカナエは抜刀を試みるも、次の瞬間彼女の鳩尾が何かに押し込まれたように凹んだ。

 

「っ――――――――ぎ、ぁっ………!?」

 

 さながら無防備な状態で一流ボクサーのボディーブローを叩き込まれたようにカナエは肺の中にあった空気の大半を吐き出させられながら背後へと吹き飛ぶ。カナエは何度も転がる最中に全集中の呼吸を試みるも、圧迫された肺が酸素を求めて蠢くため正しい呼吸が出来ない。

 

 そしてそれは一秒や二秒で立ち直れるようなものではない。その上呼吸を封じられることは鬼殺隊にとってはその戦法の根本そのものを崩されたようなもの。この状況は、非常に危険だ。

 

「が、はっ、ごふっ、う、ぅっ……!?」

 

 肺の苦しみに胸を抑えつけて悶えながらもカナエは瞼を開いて先程攻撃が飛んできたであろう、正面方向を睨めつける。

 

 何かが、いる。透明で、輪郭がぼんやりとしか見えないが確かに人型をした何かがそこに立っていた。

 

(透明になる血鬼術……!)

 

 道理で姿が見つからない訳だとカナエは歯噛みする。想定はしていたが、まさかこれ程至近距離に居てもなお気づけない程高度な透明化だとは想像もしていなかった。あるいはただ自分が未熟なだけか。

 

 ともかくカナエは頭の中で即座に撤退という選択肢を取る。先程不意を突かれた際に刀を取り落としてしまった。呼吸も痛みからか上手くできない。である以上、逃げる以外の選択肢の結末には死あるのみ。

 

 だが、逃げようとしても逃げきれるかどうかは別問題であり――――残念ながら、この状態で獲物の逃亡を許すほど相手の鬼は優しくはなかった様だ。

 

「ぁ、ぐっ!?」

 

 逃げるために背後へと跳ぼうとした直後、カナエは透明な何かに口を押えられながら壁へと身体を押し付けられてしまう。普段の隊服姿ならば早く動けて逃げ切れていたのかもしれないが、今の彼女は極めて動きを制限された和装。作戦の成功率を上げるための行為だった筈が、ここに来て仇となってしまった。

 

 ともかく、これでもうカナエが逃げ切れる可能性は無くなった。そして口を押えられているため、力を出すために全集中の呼吸をすることも誰かに助けを求める事もできない。

 

 即ち――――詰み。

 

(う、そ)

 

 あんなに頑張ったのに。努力してきたのに。その全てが無意味だとでも言うような一方的な蹂躙。

 

 不意打ちだから? 姿が見えなかったから? だからどうした。鬼との戦いでは卑怯なんて言葉は存在しない。負ければ死んで餌になる。言い訳など何の役にも立ちやしない。

 

「……ハァァァァァァ……こんなに旨そうな血の匂いで誘いやがってよぉ……クハッ、ハハハハハハハッ!! こうして態々お誘いに乗ってやったんだ! お望み通り食ってやるよぉ、小娘ぇ!」

(ひっ)

 

 微かに耳に届く、鬼の物と思しき吐息と嘲り。口の中は透明化されていないのか、血管の這った鋭い牙と真っ赤な口内がカナエの視界に入る。

 

 身体が固まって震える。抵抗したくても恐怖のせいか指先すらビクとも動かない。まるで小さな子供の様に、恐怖に震えてただただ涙を流し続ける。

 

 鋭い牙の先がカナエの頸筋にぷすりと刺さり、血の雫が滲み出る。そんな小さな傷の筈なのに、カナエにとっては頸を噛み千切られたのではないかというほど痛く感じた。そして牙が彼女の頸動脈を食い破るまで後数秒も無い。

 

(義勇、君――――助けて……!!)

 

 唯一残った蜘蛛の糸にすがるよう、カナエは目を閉じながらそう強く願った。間に合うわけがないと諦観しながらも、そう願わずにはいられなかったのだ。

 

 

 

 そして天は彼女を見捨てなかった。

 

 

 

 

【水の呼吸 捌ノ型】

 

 

 

 

「【滝壷】ォォォォ――――――――ッ!!!」

 

 

 

 

 空から降る滝の如き激流。断頭台の刃の如き重厚な一撃で、俺はカナエを抑える鬼の右腕を抵抗も無く撥ね飛ばした。

 

「ぃ、ぎ――――ぎぃゃぁぁあぁぁぁあああぁぁあああああああああッ!!?」

 

 透明な鬼が噴水の様に血が噴き出している腕の断面を押さえながら悲鳴を上げる。その隙に俺は脱力しているカナエの体を抱き寄せて、足で彼女の落としたであろう刀を引き寄せながら鬼からなるべく距離を取る。

 

「カナエ! 無事か!?」

「義、勇……君?」

「遅れてすまない。本当に……無事でよかった」

 

 突如爆音が鳴ったにも関わらず、先行したカナエが何の反応も示さない。俺は即座にそれを異常事態だと判断して彼女の元に駆けつけた。おかげで間一髪で間に合う事ができた。判断があと数秒遅れていたらと思うとゾッとする。

 

「ぐぅぅぅぅぅぅっ……!! てんめぇぇぇッ……鬼殺隊の小僧ぉぉぉぉぉっ!! よくもっ、よくも俺の腕をぉぉぉぉ!!!」

「知るか、この糞野郎……!!」

 

 カナエの状態は、あまりよくはない。外傷は殆ど無いが、身体が異様に震えていた。あの鬼は彼女を随分と甚振ってくれたようで、怒りのあまり俺は刀の柄からミシミシと音がするほど手に力を入れてしまう。

 

 だが我慢する必要はない。この鬼は殺す。大切な友人を嬲ってくれた礼は倍にして返してやる。

 

「ふーっ、ふーっ……! ……あ? お前、その顔……まさか、お前があの方の言っていた痣者の小僧か!!」

「何…………!?」

 

 情報が既に共有されているとは、あの臆病者にしては手が早い。いや、だからこそか? ――――まあ、どうでもいい。俺の存在を相手が認知していようがいまいが、今するべきことに変わりはない。

 

「お前を倒せばあの方から血を頂ける……! 俺のために死ねやァッ! 糞餓鬼ィィィィィイイイイイ!!!」

「餓鬼はお前だろうがァァァァァアア――――ッ!!!」

 

 再生された鬼の右腕が振るわれる。すると透明な三日月状の何かが四つ、此方へと飛んできた。すぐさまそれを刀で斬り払う――――が、切り裂かれたものが一部俺の頬を掠り、肌に赤い線が浮かび上がった。これは、まさか……

 

「鎌鼬……! カナエ! 頭を抑えて伏せていろ!」

「っ、う、うん……!」

 

 この攻撃方法からして相手の血鬼術は恐らく風の操作。そして攻撃する際に一瞬、鬼の腕の形状や色がはっきり見えた。

 

 推測だが、恐らくあの透明化の仕組みは空気の層を幾重にも重ねることで光を屈折させるというものである可能性が高い。故に風を使った攻撃をする際には自動的に解かれるのだろう。であるならば、進みながら相手の位置を割り出すのはそう難しい事ではない。

 

 そして幸い今放たれている鎌鼬は刀で十分切り裂ける程度の攻撃力。ならば攻撃を凌ぎながら相手の首の高さを図りつつ一気に懐に飛び込んで頸を断つ。これで行ける――――!!

 

「オォォォォオオォォォオオ――――ッ!!」

「なっ、何ぃ――――っ!?」

 

【拾ノ型 生生流転】

 

 正面から迫りくる攻撃を真正面から叩き斬りながら俺は鬼との距離を詰めていく。それに応じて鬼が後ろへ退く速度と鎌鼬の威力がどんどん上がっていくがそれはこちらも同じこと。これならば、俺が奴に追いつく方が早い――――!!

 

「クソッ、透明化のせいで技の威力がっ――――ぁぁぁぁあクソがぁぁぁあああああッ!!!」

「貰ったァァァァァ――――!!」

 

 間合いに入った。そう確信した瞬時に俺は刀をやつの頸があるだろう場所へと横薙ぎに振るう。そして肉を裂く確かな手ごたえが刀から伝わってきた。

 

 

 だが――――外した、と俺は直感的に理解した。

 

 

 刃が頸に当たった瞬間、鬼は透明化に使っていたであろう全身に纏っていた風を全て前へと放出することで後ろに飛びつつ、風で俺の腕を押しのけることで狙いを頸から顔へと逸らしたのだ。

 

 更に俺はその風を間近に当てられたことにより腕だけでなく全身を吹き飛ばされてしまう。追撃するように目に砂が入ったせいで視界まで潰されてしまった。

 

 それでもどうにか勘頼りで受け身を取り、急いで目に入った砂を擦り取りながら瞼を開けた瞬間――――

 

 

 

血鬼術(けっきじゅつ) 空砲(くうほう)螺旋息吹(らせんのいぶき)

 

 

 

 巨大な竜巻が地面を削りながらこちらへ迫る光景が目に飛び込んできた。

 

 

「まずっ――――――――」

 

 

 

 

 

 

 その日、京橋區の一角でけたたましい破壊の音が木霊した。

 

 

 日が昇った後に、住民たちは目撃することになる。

 

 

 まるで嵐でも過ぎ去ったかの様に、荒々しく円状に刳り貫かれた路地裏の惨状を。

 

 

 

 

 




何度も自分で書いた設定を見直してるんだけどオリジナル下弦どもの能力が盛りに盛られてて我ながら苦笑いしか出てこない。特に参から上の奴らが非常に酷い

こういうのってどこまで許されるのかわからんから加減が難しいのよねぇ。下弦だけに(渾身のギャグ)


今回の更新はここまでです。本当はもう少し書いてから投稿したかったけどそうしたらリアルの都合上一ヶ月以上先延ばしになる可能性が非常に高かったのでキリの良い所で切り上げて投稿させていただきました

次の投稿は一ヶ月先、遅くとも二ヶ月に内には投稿したい(出来るとは言ってない)

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