水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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第弐拾漆話 束の間のお出かけ

「ふー、ふー……ほら、口開けて」

「あーん」

 

 色々あって大体三十分後。男としての社会的危機にあらゆる理性と感情を総動員して耐え凌ぐことに成功した俺は今、カナエの口に粥を運ぶ作業をする真っ最中だった。

 

 当初カナエは食事くらいは自分でできると言っていたが、今はかなり衰弱している状態だ。万が一この熱々の食事をひっくり返しでもしたら目も当てられない大惨事になる。

 

 なのでこうして一番確実な安全策として俺がカナエに食べさせると言う選択をしたわけだが……。

 

(……まるで小鳥への餌付けだな)

 

 彼女の小さな口に食事を放り込むたびに何とも言えない感情が胸から滲み出ている。邪な類ではないとは思うが……こう、子犬がおやつ欲しがりさに必死にじゃれついているのを見ているような、そんな気がしてくる。

 

 もしやこれが父性というものか? いや、考えすぎか。

 

 そうこうしている内に粥はすっかり空になった。決して多くは無いが、それでも食事をしたおかげか彼女の肌には色が少しずつ戻り始めているのが見える。……これでやっと、一息つけそうだ。

 

「……もう落ち着いたか?」

「ええ、なんとか。あの、義勇君、本当にごめんなさい。色々迷惑かけちゃったみたいで……」

「構わない。困った時はなんとやらだろう」

 

 きっと立場が逆だったとしても、カナエは俺を甲斐甲斐しく看病してくれるはずだ(たぶん)。だったら俺も同様に彼女を精一杯看るだけだ。

 

 だからもし今後この立場が逆になるようなことがあったら、その時同じようにして助けてくれればそれでいい、と俺は卑屈になっていきそうなカナエの心をやんわりと窘めた。

 

「それで義勇君、鬼については……」

「ああ。それがかなり不可解な状態になっていてな」

 

 平常心を取り戻した頃合いだ。そろそろ現状について詳しく語ってもいいだろう。

 

 まず、鬼は自分たちに攻撃した後すぐに撤退し、俺は負傷のため追撃ができなかった事。その後烏を飛ばして広範囲を探らせてみたが、鬼による被害らしきものはまだ発生していないこと。

 

 そして何より、術の規模からして今の俺たちが相手にしているのは元、もしくは現十二鬼月の下弦である可能性が極めて高いことを自分なりになるべくわかりやすく説明した。

 

 それを聞いたカナエの反応は……良くはない。せっかくおびき寄せた鬼を取り逃がしたという点だけで大問題なのに、その相手が並みの鬼とは一線を画す強敵だと聞いてどうしていい気分になれるだろうか。

 

「ともかく、今後俺たちは相手の鬼が数字持ちだという確証を得るのに注力していこうと思う。もし本当に奴が十二鬼月ならば、とてもじゃないが俺たち二人の手に負える相手じゃないからな。ただ、奴は今空腹に近い状態な筈なのにどうして未だに被害が発生していないのかが気掛かりで……カナエ?」

「へ? あ、うん。大丈夫よ。聞いていたわ。ただちょっと頭がぼーっとして……」

 

 ふむ……やはり今のカナエにはもう少し休息を取らせる必要がありそうだ。それにこのような状態では万全の状態であっても尚死の危険が隣にある鬼狩りに参加させるなど論外。

 

 体調が完全に回復するまで実動に関しては俺一人で何とかするしかないか……。

 

「今日はもう休め。続きはまた明日話し合おう」

「うん……。――――って、義勇君? どこに行くの?」

 

 カナエがそんな事を聞いてくるが、まさか俺がここで寝るとでも思っていたのだろうか。確かにカナエとは付き合いは長いし親しい仲だとも思っているが、何処からどう考えても同衾するほどでないことくらいは理解している。常識的に考えて寝るときは別室にするに決まっているだろう。

 

 だから態々二部屋分のお金を払ったし、それはカナエ自身も勘定を払う時に同席していたはずなので知っているはずなのだが。

 

「流石に一緒の部屋に寝るわけにはいかないだろう。お前がそんな事を気にするような性格でないことは理解しているが、少し不用心過ぎだぞカナエ」

「あはは……あの、本当に……駄目かしら?」

「………………は?」

 

 ――――待て、少し様子がおかしい。

 

 カナエが他人に対して警戒心が薄いのは知ってはいるが、例え知人相手であったとしてここまで無防備になるだろうか。なったとしても精々が肉親であるしのぶ相手くらいが関の山の筈。

 

 何だ、この違和感は。何が彼女をそうさせている。考えろ、何かあるはずだ。何か切っ掛けが――――

 

 ……まさか。

 

「……………………夢で何を見た?」

「ぇ……」

「――――いい。何も言うな。その顔で理解した」

 

 悪い予感が的中したようで、俺はため息を吐きながら顔を覆う。

 

 例えるならば不意に崖から突き落とされたような表情をしたカナエの顔を見ただけでどうして彼女がこんな状態になっているかは大まかにではあるが理解することができた。似たような前例(しのぶ)を一度間近で見たことがあるのだから、この結論に思い至るのはそう難しくはないことだ。

 

 盲点だった。確かに彼女の心はしのぶよりは強靭かもしれない。だが、彼女はまだ少女だ。齢十三の女の子が、目の前で両親が殺されたにも関わらず心に何の影響も受けない訳がなかった。

 

 なまじ普段の態度に出ていないだけ気づくのがこんなにも遅れてしまった。己の盲目さに対する呆れと怒りで思わずため息が出てくる。

 

「ごめんなさい」

「謝るな。お前は悪くない」

「本当にごめんなさい」

「カナエ」

「……お願い。今だけは、傍にいて……」

「………ああ。俺が傍にいるから、安心してゆっくり寝てくれ」

 

 こんな事なら菫さんあたりにカウンセリングの基本でも教わって来ればよかった。おかげでこうしていつ爆発するかもわからない爆弾を手探りで解除する羽目になっているのだから。

 

 だが一体どうすればいいと言うんだ。ただの友人でしかない俺にできることなど……。

 

 ……落ち着け。泣き言は後だ。今はゆっくり、いつもの通り自分が出来ることをしよう。

 

 今はただ、この傷ついた少女の傍にいるだけでいい。

 

 いずれ時間が、彼女の傷を癒してくれると信じて。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 多くの人間は利己的だ。

 

 他人のためと口では言っても、その本質は自己満足に過ぎない。真に他者のために行動できる者など、本当の本当に一握りの存在だ。それでこそ、世界において「聖人」と呼ばれる者達の様に。

 

 誰にどんなことを言われても、誰かのために、満足なども覚えず、何も感じず、ただただ奉仕し続ける。そうして初めて人は「利己」という言葉から乖離することが出来るだろう。

 

 だが果たしてそれは「人間」と呼べるものなのだろうか? 否、それはきっと「機械」という言葉が一番ふさわしい。

 

 真に他者のために生きられる人間など居ない。大なり小なり人は己のために生きている。

 

 されどそれは罪にあらず。何故ならばそれこそが人が人である所以であるし――――己一人満たせない人間が、どうして他者を救うことが出来るだろうか。

 

 自己を愛する事は悪ではない。誰もが兼ね備えている人の本質の一つに過ぎない。

 

 そのような自身の心と向き合い、気に入らない、理解したくないからといって、見たものを拒んだり否定してはならない。自分を誤魔化し続ければ、もし進んでいる道が誤ってしまっても気づくのが遅れてしまう。

 

 大切なのは自らを理解し、受け入れ、噛みしめ、考えてから、ゆっくり前を向く事。

 

 

 そうすればきっと、弱い自分自身を乗り越えられる筈なのだから。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 現状を一言で表そう。最悪でこそないが決して良いとも言えない。

 

 鬼が逃げ、足取りはつかめず、その上たださえ二人しかいなかった戦力の片方が機能不全に陥っている。死人が出ていない事だけは手放しで喜べるだけ最悪より数段マシではあるが。

 

 幸い、真白さんの協力によって事態解決の光明は差したが、実動戦力が決定的に不足していると言う状況を根本的に解決出来たとは言い難いだろう。かと言って援軍を呼び込もうにも半端な戦力が送られては何も解決しないし、人員を無駄に浪費するだけだ。

 

 何とかして確実に事態を打破できる手札を引く。それが今の俺がすべき最優先事項である。

 

「……………はぁ」

 

 俺は現在、宿近くのうどん屋台で暗い表情を顔に張り付けながら、もう何度目か数えるのも億劫になってきたため息を吐いていた。

 

 切迫した状況に? いや違う。この程度の状況に一々凹んでいては鬼狩りなど務まらない。

 

 じゃあ体の疲れに? いいや。疲労など数時間寝れば大抵吹き飛ぶし、その程度でため息を吐くほど軟ではないつもりだ。

 

 答えを言おう。――――ここにきてカナエが致命的な不調(スランプ)に陥った。

 

 事の始まりは数時間前の早朝。俺たちが無事起床し、念のための情報収集のために外出しようとした際の事である。

 

 食事を摂って静養したことで朝方にはカナエの体調は大分良くなっており、熱や倦怠感は大分引いていた。しかし全快とは言い難いため俺はもう少し休ませようとした。

 

 が、カナエはそれを断り、多少の無理を承知で俺に付いて来ようとした。そして、ついに問題が発覚する。

 

「え? ……あ、あれ?」

「どうした」

「刀が、抜けないの……」

 

 あの場面を思い出すだけでまたため息が出てくる。

 

 俺の個人的な推測になるが、恐らくカナエは精神が不安定になった影響で一時的に刀が振れない状態となってしまったのだと思う。何度か確認した結果、刀を握った際に両手に力が入らなくなってしまった様だ。

 

 ……どうやら彼女の状態は、俺の思っているより数段酷かったらしい。

 

 ともあれ今の彼女の状態は鬼狩りとして致命的だ。呼吸が出来ても刀が振れなければどうしようもない。今のところカナエはなんとか落ち着かせた上で宿に待機させているが、このままの状態が続くのならば無理にでも花屋敷の方に送り返すことも視野に入れておくべきかもしれない。

 

 正直言って、荷が重すぎる。俺にできることは精々が先延ばしだけ。問題を根っこから解決したいならば、ここからは専門家に任せるべきだ。

 

 しかしこれに対してカナエがどう反応するか……喜ぶようなことが無いことだけは、確実だな。

 

「――――おお、冨岡!」

「うん?」

 

 声がした隣に視線を移すと、そこには俺とそう変わらなさそうな年に見える地味顔の少年が屋台の暖簾を除けながら顔を出していた。

 

 俺の名前を知っているということはどうやら知り合いのようだが………………えーと、誰?

 

「……すまない。どこかで会ったことがあるだろうか」

「ああ、心配すんな。一方的に俺が知ってるだけだからな。ほら、選別の時に異形の鬼と戦ってた錆兎って奴を助けるために人を呼びに行って」

「――――ああ!」

 

 その言葉でようやく思い出した。確か錆兎とあの手鬼が戦ってる時に、助けを呼んでいた少年がいたのを思い出した。俺はその少年と運良く会うことが出来て間一髪で錆兎の救出に間に合うことができたのだった。

 

 切羽詰まっていたからか、あの場面は今でも鮮明に思い返すことが出来る。確かにあの時の少年の顔だ、間違いない。

 

「改めて自己紹介するよ。俺は後藤(ごとう)ってんだ。好きに呼んでくれ」

「冨岡義勇だ。それで後藤、どうして此処に?」

 

 後藤は「よっこらせ」と俺の隣に腰掛けると店主にかけうどんを一杯注文した。そう言えばそろそろ昼飯時だったか。帰ったら落ち込んでいるだろうカナエを連れて、気晴らしにどこか美味い定食屋にでも行くのもいいかもしれない。

 

 しかし、彼はどうして此処にいるのだろう。俺たち以外で別の隊員が派遣されたという連絡は受けていないのだが、まさか黒衣が連絡を怠ったか? だとするなら後で少し叱っておかなければ……。

 

「うん? いやお前が烏を使って呼んだんだろ? 『些細な情報でも共有したいから隠と会いたい』って」

「確かにその通りだが……」

 

 と言う事は、彼が情報共有のために送られた隠か? そこらの通行人とさして変わらない恰好なのは、流石に日中であの不審者感全開の恰好をするわけにはいけないだろうから理解は出来るが……どうして彼が隠などに。

 

「お前は五日目まで剣を握って戦っていた筈だ。何故隠になっている?」

 

 そう、彼は殆どの参加者が避難所に逃げていた五日目においても剣を握って鬼と戦いを繰り広げていた内の一人だった筈だ。実力の方も、今こうして大まかな体つきを見る限り隊士になるには問題はなさそうに見える。

 

 なのに隊士にはならず裏方担当の隠になるとは、一体彼に何があったのだろうか。

 

「あー……その、実を言うとだな。あの異形の鬼に対面したときに……怖くなっちまって」

「鬼と戦う事にか?」

「弱い奴相手ならそんな事は無かったんだ。だけどアイツと向き合って、途端に俺がとんでもなく小さい存在に感じちまって……結局、逃げることしかできなかった。その後思ったんだ。いざという時に逃げる事を選んじまう俺なんかが、本当に隊士に相応しいのかって」

「……そうか」

 

 死ぬのは誰だって怖い。しかし鬼殺隊に属する者がそれでも鬼へと立ち向かえるのはその恐怖を上回る怒りと覚悟を持っているからだ。逆に言えば、その恐怖を乗り越えられない限り隊士への道は無い。その為の最終選別。恐怖を克服できない者達を篩にかける試験がある。

 

 どれだけ強くても、大事な時に逃げてしまう人材など鬼殺隊は求めていない。稀にそんな性根であっても運良く生き残るか天性の才覚で試験を強引に突破できてしまう困り者もいるが……これは今語ることではないか。

 

 前回の最終選別は死亡者無しという異例の記録を残したが、かといって生き残った全員が全員隊士になった訳でない。むしろ大半が鬼殺隊への道を諦めるか、隊士と比べればまだ生存率の高い隠や裁縫係などになった。

 

 俺は彼らのその選択について責める気など全くない。無論、後藤が隠への道を選んだことも。むしろそのまま去らずに隊士よりはマシとはいえ同じく命の危険があるだろう隠になったことは褒められるべきだろう。少なくとも俺はそう思う。

 

 それに……人に対して命懸けで戦えなんて上から目線で言う資格など、誰にもあるものか。

 

「その点、俺はお前がすげぇ羨ましいよ。誰かのために命張って戦えるなんてさ」

「……そんな大層なものじゃない」

 

 誰かのために、なんて言ってもそれが自己満足に過ぎないことは俺自身が理解している。誰かが悲しむ姿を見たくないから、俺が勝手に命を懸けているだけ。

 

 だが、それでいい。こんな俺の自己満足で救えるものが確かにあるのならば、それで十分だ。

 

「――――本題に入ろう。鬼について何か新しい、手掛かりになりそうな情報は見つかったか?」

「あー……実を言うと、さっぱりっていうか。鬼の被害がいつから発生したか大まかにわかるくらいなのと、お前たちが報告してくれた血鬼術以外は未だに全くわからずじまいなんだ。すまねぇ」

「……………ふぅむ」

 

 最初からあまり期待はしていなかったが、だからといって本当に何もわからなかったと言われると正直堪えるものはある。だが今考えるべきはそんな事ではない。もう一度、一から思い出せ。何か見落としがないかを。

 

 ――――いや待て。そもそも初めからおかしい点があった。そうだ、何故今まで気が付けなかった。どうして、どうしてあの鬼は――――

 

「……何故、一、二ヶ月に一度なんだ……?」

「は?」

「おかしいだろう。鬼は貪欲に人を食らう怪物だ。生け贄を差し出されている訳でもないだろうに、定期的に一人ずつしか食わないなど明らかに変だ」

 

 もし件の鬼が成長限界に行き詰っており、一度に大量の食事が出来ない身だとしよう。それなら確かに被害が一人ずつなのはわかるが、一回の食事ごとに一定期間の綺麗な間隔を空けているのはどう考えてもおかしい。それも一年や二年ではなく、八年間も。

 

 一ヶ月、もしくは二ヶ月に一度しか行われない神隠し。これには何か意味があるはずだ。ただ単純に別の場所で食事が行われている可能性もあるが、そうでないなら――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という事か?

 

「……後藤、この町にある廃墟や鬼の隠れていそうな場所は全て調べたのか?」

「え? あ、ああ。一週間もかけて虱潰しにしたけど、結局痕跡も見つからなかったみたいだぜ」

「なら、この町の周辺に鬼の被害らしきものはあったか? 鬼の潜伏している、この一、二ヶ月の間で起こった被害だ」

「えーっと、それは他の隠たちと一緒に調べてみないとわからないが……」

「戻ったら急いで調べてみてくれ。今回の鬼、何かがおかしい。……代金、ここに置いておく。ちゃんと調べてくれよ」

「えっ、ちょ……おい冨岡!?」

 

 一方的に呼んでおいて勝手に去る非礼を詫びる代わりに俺は後藤の注文したうどんの代金を彼の前に置いて、足早にその場を去った。

 

 普通の鬼とは明らかに異なる習性。もしこれを些事だと思い見逃したら後で大変なことになるかもしれないという予感が胸を突き刺してくる。所謂、虫の知らせというやつか。

 

(杞憂で終れば一番良いんだがな……)

 

 言い表しがたい不安を胸に、俺は宿へと歩を進めた。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 自分は一体何のために戦っているのか。

 

 その問いがカナエの胸の中で張り裂けそうなほどにグルグルと暴れまわっている。その問いへの答えなどずっと前に決めていたはずなのに、今更それが本当に正しいものなのか――――いいや、自分が心の底から望んでいたものなのかがわからなくなってしまった。

 

 人と鬼、両方を救うために戦う。鬼の脅威から人を守り、鬼舞辻の呪縛から鬼を解き放つ。その信念の下に私は刀を握ったはずだ。

 

 その、はずだった。

 

「私、は」

 

 固めていた筈の信念が根元から揺れ出す。

 

 果たして自分の誓いは真に本物であったのだろうか。もしかしたらそれは、ただ自分にとって都合のいい言い訳を捻出しただけの物なのではないのか。

 

 鬼を殺したいという醜い欲望のための、大義名分として。

 

「違う」

 

 口ではそういっても心はその言葉を信じることが出来ない。本当に鬼を救いたいと思っているのならば、あの夢はなんだ。あの夢を思い出して自分の抱いた感情は何と言う。

 

 憎悪。

 

 嫌悪。

 

 怨嗟。

 

 殺意。

 

 厭忌。

 

 思ったはずだ。抱いたはずだ。両親を殺した憎き仇への憎しみを。報復として鬼を殺したいという欲求を。

 

 そうだ、お前の誓いは全て真っ赤な嘘だった。

 

 お前は結局殺したいだけだ。ちっぽけな復讐心を満たしたいだけだ。鬼を殺すという行為で。相手を救おうなんて心は最初から無――――

 

「違うっ!」

 

 力強く否定した所でカナエは黒い感情が次々と己が心を蝕むことを止めることが出来ない。

 

 次第に息が荒くなり、眩暈がするほどの動悸が頭に響いてくる。喉から発せられる呼吸音が掠れていき、やがて目の前の景色が歪み始めて――――

 

 

「カナエ。俺を見ろ」

 

「…………え?」

 

 

 パチン、と両頬が誰かに軽く叩かれ、同時に俯いていた顔が上を向かされる。

 

 すると目の前にはカナエのよく知る少年、義勇の顔が映っていた。彼は悲しげな表情でカナエを数秒程見つめると、こちらの心が少しずつ平常へと戻ったのを見計らってから顔を離す。

 

「義勇君、いつの間に……?」

「戸は叩いたし声もかけた。お前が気づかなかっただけだ」

「そう、なの」

 

 どうやら周りの音すら耳に入らないくらい考え込んでいたらしい。返事を返せなかった事を詫びようとカナエが口を開きかけるが、義勇はそれに先んじてカナエのおでこに手を当てたり、彼女の手を軽く握ったりして彼女の体調の具合を手早く確かめていく。

 

 医者ではないとはいえ隊士たるもの己の体調管理くらいでは未熟。という事で雫さんから鍛錬の片手間に叩き込まれた技術の一つであった。

 

「熱は引いた。身体ももう動いて問題無さそうだ」

「うん……でも――――」

「それじゃあ、少し風に当たってこようか。もう正午だ、食事に行くのもいいだろう」

「ぎ、義勇君?」

 

 いつもとはまた違い少し強引な面を見せる義勇にカナエは思わずたじろいだ。普段の彼は自分からあまり意思表示をしないような、微かな陰気のある少年だったと言うのに。

 

「……腹が減っていないのか? なら散歩だけで済ませても、」

「あ、ううん。大丈夫。朝は何も食べていなかったからもうお腹ペコペコなの!」

「そうか。じゃあ美味しい店に行っていっぱい食べないとな」

 

 カナエがそのまま硬直していると義勇は途端にシュン……と捨てられた子犬のような表情をするのだから、カナエは急いで彼に肯定の意思を示した。するとどうだろうか、義勇は心の底からホッとしたような表情を見せた。

 

 これは……もしかすると……。

 

(……本人なりに精一杯励まそうとしている、のかな?)

 

 勝手がわからないのでとにかく手探りで自身の元気を取り戻そうとしてくれている。そう考えるとカナエは目の前にいる少年がとても可愛いものに見えてきた。いや、無論そうさせているのが自分だと言う自覚と罪悪感は有るのだが……。

 

(…………甘えても、いいのよね?)

 

 悪魔的な囁きがカナエの心を擽った。

 

 誰かに甘える。最後にそんなことが出来たのは、一体いつだったか。

 

 剣の教えを乞うた育手の方は、決して親身とは言えなかった。その者は生きるか死ぬかもわからない者に情を抱きたくなかったのだろう。決して距離を必要以上に詰めたりせず、ただ鬼殺隊の剣士として必要なものだけを淡々と教え教えられる関係。甘えていいような存在でなかった。

 

 では隊士になってからは、どうだろう。……むしろ、他人から甘えられるようなことが多かった気がする。数少ない女性隊員であることと、なまじ新人にしては実力があるのが原因だったかもしれない。

 

 そのためカナエの心は友人や肉親であるしのぶと共に居て安らぐことはあっても、休まることはそう多くなかった。だからだろうか、こうして魔性的な誘惑に駆られているのは。

 

 心が飢えている。無償の愛を、求めている。

 

「……カナエ?」

「はっ! ―――なっ、なんでもないわ義勇君! 着替えるからちょっと外で待ってて! すぐに済ませるからっ!」

「あ、ああ……」

 

 そんな馬鹿な考えを振り払うようにカナエはブンブンと頭を横に振りながらすぐに寝間着を着かえて出かける支度をする。髪や肌については先程出ようとした時に既に整えていたため、後は着替えるだけで済む。

 

 そして五分後。お気に入りの蝶の羽模様の柄が入った着物を着終えたカナエは早速戸の前で待っていた義勇の目の前に出ると、見せびらかすように一回転した。

 

「どう? 似合うかしら?」

「凄く似合ってる。とても綺麗だ」

「うふふっ、ありがとう。じゃあ早速行きましょう!」

 

 カナエはそう言いながら義勇の手を取った。当り前だが当の義勇はギョッとした顔になるも、カナエは逆にそれを面白がって握る手の力をほんの少し強める始末。

 

 しかし義勇が今までにないニコニコ笑顔のカナエの手を振り払えるはずもなく、彼は小さくため息を吐いて諦めたように彼女の手を握ったまま目的の場所へと移動を始めた。

 

 

 

 

 

 さて、こうして改めて眺める京橋區。京橋區は材木や竹などを加工する職人が多いことで有名だが、明治に入るにつれてその様は少しずつ変わっていった。時代が進むにつれて職人たちの町から商店街へと姿を変えて行ったのである。人の通りが増えれば自然と金の行き来も増えて商売も発展していくという訳だ。

 

 こうして軽く眺めるだけでもかなり色々なものを売っている。例えば木工職人が片手間に作った彫刻とか、竹の箸やら更やらと、実に色とりどりの品ぞろえ。

 

 鬼狩りを目的に来訪したのでなければ、穏やかに観光するのも悪くなかっただろうに。

 

「ねえねえ義勇君。折角だし、しのぶたちへのお土産とか買ってみるのはどうかしら?」

「土産?」

「ええ! きっと喜んでくれるわ! ……あ、でも今は任務中だったわよね……」

「……………いや、大丈夫だろう。派遣された場所で土産を買ってはいけない規則などなかったし、何より鬼の出ない昼にまで気を張っていてどうする」

「そ、そう? ならよかった」

 

 実際隊律違反でもなんでもないのだ。もっとも、鬼殺隊の隊士としては褒められた行動ではないだろうが……そこは若気の至りとして目を瞑ってもらおう、と俺は最終的にそう結論付ける。

 

 では少し近くの土産屋を見物してみよう。どうやらこの店は女性向けの、身体の手入れをする小道具や小さな木彫りの置物等を扱っているようだ。……ふむ、木製の櫛や竹の簪、髪の手入れのための椿油まで揃えてある。しかも明らかに他所から仕入れただろう椿油以外は意外と安価だ。

 

 やっぱり職人や見習いが片手間に作った小遣い稼ぎのようなものなのだろうか。何にせよ財布に優しいなら文句はない。色々買っていこう。

 

「すいません。これとこれ、あとこれを贈り物用に包んでください」

「まいどあり~! おや、小さいのにとっても色男ねぇ。女の子に贈り物かい?」

「はい。知り合いの女の子や、友人たちに」

「いい子ね~。それじゃちょっとおまけしてお安くしておくわね」

「ありがとうございます」

 

 店番と思しきふくよかなおばあさんが俺を見てにっこりとしながら丁寧に商品を包んでいく。それを眺めていると後ろから商品を選び終えたカナエが「これもお願いします!」とおばあさんに商品を差し出した。

 

 するとおばあさんは俺とカナエを交互にみて元々優し気な笑みを更に深めた。……なんで??

 

「あらあら。随分とお若い恋人さんね~。観光には二人だけで来たのかしら?」

「ぶぅぅぅぅ――――――――っ!?!?」

「え……えぇっ!? ち、違っ、義勇君とはそういうのじゃありませんから! 違いますから!?」

「大丈夫大丈夫。あたしはわかっているよ~」

((何を!?))

 

 おばあさんはとんでもない勘違いをしていた。いや、確かに傍から見ればきょうだいとは思えない男女二人が仲睦まし気に出歩いていればそう思われるのも仕方ないかも知れないが。

 

 カナエは顔を真っ赤にして必死に弁明している様だがおばあさんは一人で何かを勝手に納得しているのか「うんうん」と頷きながら微笑みと共に商品を詰め込んだ風呂敷を俺たちへ差し出す。一体何をわかったんですかおばあさん。きっと絶対にわかってませんよ。

 

「元気に見回るんだよ。あとそっちの男の子、ちゃんとかわいい彼女を守ってやりなよ!」

「「だから違いますって!」」

 

 結局誤解を解けないまま、俺たちは店を後にすることになった。おかげで俺とカナエの間に流れる空気が言葉にし難い微妙なものになってしまったではないか。

 

「……カナエ。さっきのおばあさんの言葉は気にしなくていいからな」

「あ、あはは……そうした方がいいかも」

 

 あくまで俺とカナエは友人でしかないというのに恋人扱いされるのは色々と困る。今こうして変な空気にモヤモヤすることもそうだが、万が一烏や隠が早とちりしてこんな事実無根の噂を鬼殺隊に流されたりでもしたら後の弁明が非常に大変そうだからだ。……主に身内であるしのぶへの弁明が。

 

 もしカナエに手を出したなどというあらぬ噂を聞けば、間違いなくしのぶは殺りに来る。というか過去一度殺られかけた。あれは正直下弦の陸に相対した時の次くらいに危機感を感じた覚えがある。

 

 と、それはともかくとして……こうして一人の女子としてお出かけしているというのは、カナエによく似合っていると思う。

 

(……もし、鬼がいなければ)

 

 彼女はきっと、何処かで良い男性と巡り合い、こうして共に町へと遊びに出かけていたのだろうか。今の様に屈託のない花の様な笑顔を浮かべて、楽しそうに、一人の女性としてのなんの変哲もない安らかな人生を送れたのだろうか。

 

 鬼さえ、いなければ。

 

「義勇君、急に止まってどうしたの? 忘れものかしら?」

「……いや、何でもないさ。カナエ」

 

 既にあるものの存在を否定すること程不毛な行いはない。

 

 一瞬でもそんな不毛な事を考えてしまった自分に自嘲しながら、俺は止まっていた歩みを再び進め出した。

 

 

 

 

 

 




Q.前話でヒロインの予定は無いとか言ってたくせになんでデートみたいなことしてるんですか?

A.私にもわからん

た、ただのメンタルケアと食事目的のお出かけだからセーフ……
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