水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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第参話 修行

 目を開ける。

 

 冷たくて、綺麗な水に全身を包まれている。小魚が泳ぎ、底に行くほど暗くなる水の中。そんな空間の中で、俺の精神は遥かに研ぎ澄まされていた。まるでこの水のように、静かで、深くて、純粋で。

 

 息を吸えば水が身体の中に入ってくる。するとどうだろうか。

 

 

 肺に水が入ってきたせいで思いっきり吹き出した。

 

 

「ごぼぶふぉぼごごごごっ!?!?」

 

 夢みたいだったけど夢では無かった。俺は必死にもがきながら水面へと一心不乱に泳ぎ、勢いよく川の中から這い出た。なんだ、何で俺は水の中で気を失っていたんだ。

 

 どうにか川岸まで上がり、ゴホッゴホッと肺の中に入ってしまった水を吐き出していると、不意に目の前に毛布が突き出された。顔を上げれば宍色の髪と呆れたような顔の少年が目に入ってくる。

 

「義勇、男なら滝壷くらい覚悟して飛び込め。後ろから突き落とされるより自分から飛び込んだ方がいいだろう?」

「あ、ああ……すまん」

 

 言われてようやく思い出した。

 

 弟子入りが許されておよそ一ヶ月。俺は厳しい鍛錬を毎日のように熟させられていた。無論これは望んだことだし覚悟の上であるが、その内容は過酷というレベルを通り越していたのは少し想定外であった。

 

 例えば断崖絶壁を命綱無しで素手で登らされたり、罠だらけの森の中を止まらずに走り抜けさせようとしたり、木々の枝の上を落ちない様に連続で渡らされたり、終いには崖の上から滝壷へと叩き落とされたりと――――実はこの老人は自分の事を殺す気なのでは? と思うくらい過酷であった。

 

 実際半分ほど殺す気だろうが。

 

 そんなこんなで錆兎に肩を貸されて川岸から上がり、錆兎は持ってきた小包から握り飯を二つと水筒を取り出して俺へと渡してきた。

 

「ほら、食べろ。腹を空かせていては身体は作れないぞ」

「……ああ、ありがとう。錆兎」

 

 自覚したことで顔を出した空腹に耐えかねて、俺は無心で握り飯を頬張った。少し冷めていたものの、疲れた体に塩味と梅干の酸味が沁み渡って、実に心地いい。

 

 ふと自分が叩き落とされた崖を見れば、鱗滝さんがこちらを見ている。勝手に休んでいる俺を見て特に何も言う様子はないので、休憩してもいいと受け取っていいだろう。

 

 全ての握り飯を食べ終えて水で喉奥に流し込んだ後、ぐぐーっと背伸びしながら芝生の上に寝転がる。空は変わらずの快晴。涼し気な風がぐるぐると回っていた思考を静かにさせてくれる。そのせいか、ふと変なことが思い浮かんできた。

 

「……もしや鱗滝さんは俺の事を嫌っているのだろうか」

「は?」

 

 口に出てしまったそれを聞いて錆兎が「何言ってんだこいつ」みたいな反応をしてくるが、仕方ないだろう。あんな訓練を容赦なくふっかけてくるのだから、そんな発想に至るのも無理はない、はずだ。

 

「いや、それはない。むしろかなり気に入ってると思うぞ」

「えっ」

「でなければあんな厳しい訓練を課したりしない。義勇に見込みがあるから鱗滝さんは厳しくしているんだ。俺の時も似たようなものだった」

「そうなのか……」

 

 どうやらあの地獄の訓練の数々は鱗滝さんなりの愛情表現の様なものらしい。愛の形歪んでないか鱗滝さん。

 

「いつもお面をしているからわかりにくいが、鱗滝さんは優しい人なんだ。それは義勇だってわかっているだろう?」

「ああ、わかっている」

 

 何度も断られたにも関わらずしつこく迫ってきた俺を受け入れて、丹精込めて立派な剣士に育ててくれようとしている。事実、基礎体力は訓練前と比較しても比べられないほど高まっているし、鱗滝さんが生真面目で誠実な人柄だと言うのはこの一か月間でよく理解している。

 

 ただまあ、少しは訓練内容を優しくしてほしいという愚痴が無いと言えば嘘になるが。

 

「心配するな。義勇はよくやっているし、確かに強くなっている。呑み込みが早いし、筋も悪くない。俺と同じくらいになるのに、そう時間は掛からないかもな」

「……買いかぶり過ぎだ。俺は、俺のできることを必死でやっているだけだ」

「全力で何かに取り組むことができるというのも立派な事だ。そう自分を卑下するな、義勇」

 

 錆兎はそうやって俺を褒めてくれるが、俺からすればまだ足りない。最高の結果を掴むには、この手はあまりにも貧弱すぎる。無論時間はまだまだあるが、それは今の時間を無為に過ごす理由足り得ない。

 

 もっと、もっと強くならないと。守りたいものを守るために。

 

「――――カァー! カァー! 義勇、手紙! 手紙! 蔦子ヨリ手紙! トットト読メ!」

「相変わらず口が悪いなあの烏は。本当に鱗滝さんの烏なのか?」

「もしかしたら言葉を喋れる野生の烏が成りすましているのかもしれないな」

「カァー! ソレ以上戯言ヲホザクトブッ殺スゾジャリガキ共! カァー!」

 

 突然森の中から黒い物体が飛び出てきた。それは鱗滝さんの鎹烏(かすがいがらす)――――鬼殺隊の使う連絡用の言葉を喋ることのできる烏である。普段は森の中で自由に暮らしているが、鱗滝さんの言いつけによって一ヶ月に一度俺と蔦子姉さんの文通を助けてもらうことになったのだ。

 

 不満げな烏が俺の頭に手紙の入った封筒を落としてきた。特に文句は言わず、早速封筒から手紙を取り出して読む。

 

 

『拝啓

 

 涼し気な秋風が少しずつ冷たさを帯びていくこの頃。義勇、お元気ですか。

 

 祝言を上げて早一ヶ月、夫婦仲はとても睦ましく、私の想像していた以上に今の生活は幸せです。一つ不満があるとすれば、今までずっと一緒に過ごしてきた弟が隣にいなくて寂しい事くらいでしょうか。

 

 今貴方はどうしているでしょうか。厳しい鍛錬に心が折れそうなのか、それとも新しくできたお友達と仲良く過ごしているのか、気になって夜も眠れません。蔦子姉さんは貴方が楽しい日々を過ごしていることを願います。

 

 機会があれば、偶には家に帰ってくることも考えてください。夫婦共々、何時でも歓迎するつもりで待っています。できればお友達も連れて来てくれるとお姉ちゃん的にも嬉しいです。

 

 追伸・子供の名前は男の子だったら「(あきら)」、女の子だったら「向日葵(ひまわり)」にしようと考えています。

 

 蔦子より』

 

 

「……ふふっ」

 

 文面から蔦子姉さんが今の新婚生活をとても楽しんでいると感じ取り、俺は思わず微笑みを溢した。それにもう子供の名前まで考えているとは、気が早いというかなんというか。

 

 しかしそうだな、帰省か。考えてはいたが一体どの時期に行うべきか。文通しているとはいえ、半年に一度は顔を見せに行くべきだろうか。いや、少し期間を開けすぎか……?

 

「義勇の姉、か。きっともの凄い美人なんだろうな。それに、楽しそうな人だ」

「ああ、町一番の美人で俺の自慢の姉だ」

 

 錆兎が姉のことをそう褒め、俺はそれを心の底から全力肯定する。そんな俺に何故か呆れの表情を浮かべる錆兎。なんだ、何がおかしい。

 

「……そうだ。もし帰省することがあったら、錆兎も一緒に来ないか。姉さんが友達――――錆兎に会いたがっているらしいからな」

 

 それに蔦子姉さんを見れば錆兎も俺の言っていることも分かってくれる筈。これは一石二鳥だ。

 

「ふむ……そうだな、挨拶くらいはしておいても損は無いだろう」

「そうか。ではまず、基本的な訓練を一通り終えなければ。中途半端に放り出しては、姉さんに怒られてしまう」

 

 あれだけ懇願して飛び出しておいて、訓練途中で帰るなど言語道断。折角応援してくれている姉の意思を台無しにしてしまう。

 

 手紙を折りたたんで懐にしまい込み、一度大きく深呼吸してから己の両頬を叩いて心に喝を入れる。

 

「よし……訓練再開だ。行こう、錆兎」

「無論だ。無理はするなよ、義勇」

 

 目指す場所までの道程は、まだ果てしなく長い。

 

 しかし一歩ずつ、ほんの少しずつ進んでいく。それが実を結ぶかどうかはまだわからないが――――俺は、俺にできることをするだけだ。

 

 努力に近道など無いのだから。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 弟子入りからおよそ半年後。俺は空気の薄い山奥の森の中を錆兎と共に駆けていた。

 

 傍から見ればそれは子供が互いを追いかけて走り回って遊んでいるという微笑ましい光景であるが、一つだけ差異があるとすればその速度は子供どころか成人した者からしても常識離れした高速だと言う事か。

 

「義勇! 遅い! 遅いぞ! もっと足を速く動かせ!」

「くっ――――!」

 

 少年――――錆兎の動きは実に凄まじかった。地面だけでなく周囲の木々の幹を蹴ることで三次元的な動きを実現し、縦横無尽に俺の前後左右を跳び回っている。その為視界に入れることすら一苦労だ。

 

 何よりその危機感知能力が異常だ。どうにか死角に回り込み攻撃を打ち込もうとしても後ろに目でも付いているのか的確な回避行動をして容赦なく反撃をしてくる。本人曰く「空気の流れを読んでいる」らしいが、全くもって意味が分からない。

 

「義勇! 限界まで速度を上げろ! 相手の動きを読め! 弱腰になるな! 進むことだけを考えろ! 男なら!」

「ぐ、おっ――――!」

 

 高速で飛び回る錆兎が放つ木刀の一撃をどうにか防ぐ。だが力の差から拮抗はせず、俺の体はあっさりと吹き飛ばされてしまった。だが、地面を這いつくばることだけはしない。俺は転がりながらも直ぐに体を跳ねて起き上がらせて、次の攻撃に備えて木刀を構えた。

 

 それを見て錆兎は笑みを浮かべ、更に速度を上げながら俺の方へと向かってきた。このまま待つだけでは先程の二の舞になってしまうのは想像に難くない。

 

 俺はそうならないためにも、この半年間で積み上げてきたものをゆっくりと確実に練り上げていく。

 

「ヒュゥゥゥゥウウウウッ――――」

 

 風が逆巻くような音と共に、大量の空気を肺の中へと取り込んでいく。すると体内の血の巡りが加速し出し、心臓の鼓動が早くなっていく。それに伴い体温が急上昇し、身体能力が爆発的に向上し始めた。

 

 これぞ、“全集中の呼吸”。人が鬼に対抗するために生み出した技術の一つ。

 

 乱れた呼吸を整え、再度常人を遥かに超える膂力を出せるようになった俺は今度こそと両足に力を入れて駆ける。地面が爆ぜる音と共に豪速で撃ち出された俺の体はそのまま錆兎の方へと突撃し、互いに振った木刀が正面からぶつかり合って木片を散らした。

 

「っ――――!!」

「その意気だ――――!」

 

 力の拮抗によってガチガチと擦れ合う木刀。直後互いに木刀を弾き合い距離を取る――――が、錆兎は間を空けずに再度こちらへと突撃してきた。こちらが態勢を立て直す前に猛攻を仕掛けるつもりなのだろう。

 

 それを予想していた俺は最小限の動きで防御態勢に移り、同時に始まった錆兎の攻撃を受け止める。だが一撃では終わらない。流れるように動作をつなぎながら行われる高速乱舞。一撃一撃を受け止めるたびに俺の木刀は軋みを上げる。

 

(このままじゃ折られる――――ならば……!)

 

 焦らず、錆兎の攻撃を観察し続ける。焦って攻勢に出た所で反撃を貰うくらいが精々だろう。ならばここは落ち着いて己が一番得意な対処の仕方をするだけだ。

 

(攻撃を正面から受け止めるのではなく、流す……!)

「――――!」

 

 木刀の一撃が与えてくる衝撃を全身で流しながら、流れるように滑らせる。予想外の事に錆兎が目を丸くして大きく体勢を崩してしまい、俺はその隙に彼の腹へと一撃を叩き込まんと木刀を振るった。

 

 だが、錆兎は倒れそうな身体を逆に加速させ、両手を地面に突いて跳ねることでそれを軽やかに躱してしまう。流石錆兎だ、渾身の反撃でも通用しないとは。

 

「いいぞ義勇! それでこそ……!」

「来い、錆兎!」

 

 一回転しながら錆兎は木の幹へと着地し、そのまま木を蹴ってこちらへと加速した。避ける、否。彼が足場を得たら再度こう着状態に陥り、こちらのジリ貧で負けるだけだ。

 

 ならば、逃げる場所の無い空中で勝負を仕掛ける――――!

 

 ――――全集中 水の呼吸

 

 【捌ノ型 滝壺(たきつぼ)

 【漆ノ型 雫波紋突き(しずくはもんづき)

 

 錆兎が繰り出す上方からの強烈な振り下ろしを、俺は水の呼吸の中で最速の技を以て迎撃した。

 

 今の俺は考えるまでもなく錆兎と比べて素の身体能力と呼吸の精度が劣る。同じ技を出せば結果など考えずともわかる。だからこそ地力を覆すための速さ。そして地に足が付いているという有利を最大に活かすために、俺は地を踏みしめて繰り出した全体重を乗せた一撃で錆兎の木刀を正面から穿った。

 

 技と技がぶつかり合って、けたたましい音を立てながら互いの木刀に罅が入る。そしてその拮抗は一秒も持たなかった。何故ならば、互いの得物が悲鳴を上げながら砕け散ってしまったから。

 

「まだまだ――――!」

「なっ!?」

 

 錆兎は衝突時の反動を器用に利用して後ろへと宙返りをしながら、俺の顎へと蹴りを叩きこもうとした。これを食らえば俺の気絶は免れ無い。

 

 ――――だが俺とて足掻くのは同じ。

 

 殆ど反射的にだが、俺の方は折れた木刀の柄を錆兎へと投げていた。ただの牽制として行った悪足掻きではあるが、錆兎が無理矢理な攻撃を実行しようとしたせいかそれは彼にとって不可避の一撃となって錆兎の頭へと向かい――――

 

 俺の顎に蹴りが炸裂するのと同時に、錆兎の頭に高速で投げられた柄がぶつかった。

 

 痛々しい音と共に訪れる互いの体が地に落ちる音と、その後の静寂。

 

 これで鱗滝さんとの鍛錬の後の自由時間を使った錆兎との稽古の成績は零勝二十一敗一引き分け。この自主的な模擬戦による鍛錬を初めて一ヶ月、ようやく俺は錆兎から引き分けをもぎ取った。引き分けるまで一ヶ月、これを長いと取るか短いと取るべきか。

 

「……生きてるか、義勇」

「……ああ」

 

 俺は痛む顎を押さえながら、同じく倒れている錆兎の声に答える。

 

 紙一重で顎を上げて衝撃を流したとはいえ完全に逸らすことはできなかったのか、凄く顎が痛い。罅は入っていないだろうが、暫くは食事に苦労しそうだ。

 

「義勇、また防御の腕を上げたな。つい一週間前までは俺の攻撃で一々吹き飛ばされていたというのに」

「錆兎と鱗滝さんの教え方が上手かったんだ。俺はそれを全力で磨き上げただけだ」

「謙遜も過ぎると嫌味に聞こえるぞ、義勇……」

「俺は謙遜してない」

「そう思っているのはお前だけだ」

 

 錆兎からの辛辣な言葉に打ちのめされながらも、俺は疲労でくたくたの体を心の中で鼓舞しながら立ち上がらせる。対して錆兎は既に立ち上がって羽織に付いた土埃を払っていた。

 

 あんな激しい運動をした後でもこの余裕ぶり、さすが錆兎だ。やはり彼こそ水柱になるべき男……。

 

「――――義勇、錆兎」

「「鱗滝さん!」」

「この一ヶ月の間、お前たちの戦いをこの目でしかと見させてもらった。……やはり、儂の目に間違いは無かった様だ」

 

 この稽古で一日の予定はほぼ終えたため、いつものように帰宅しようとすると突如鱗滝さんが音も無く現れた。その声はいつもよりどこか感極まった様に優しい声音で、しかし厳しい口調で鱗滝さんは告げる。

 

「義勇、錆兎……お前たちに教えることはもう何もない」

「えっ?」

「と、いうことは……」

「……最後の課題を教える。ついて来い」

「「はい!」」

 

 ついにこの時が来たと興奮からまた痛み出す身体に鞭打ち、俺は既に見失いそうなほど小さくなった鱗滝さんの背中を錆兎と共に追いかけた。

 

 奥へ入っていくほど深くなっていく霧。それらを嗅ぎ分けながら進む事十数分、鱗滝さんは丸く斬り削られた大人の背丈と同じほどの巨岩が二つ置かれた場所の前で歩みを止める。

 

「この場にある岩のどちらかを斬れたら“最終選別”に行くことを許可する。――――励め」

 

 それだけを言い残して鱗滝さんは去ってしまった。

 

 隣を見れば、突然そんなことを言われた錆兎がその場で目を丸くして固まっている。俺は事前に知識として知っていたためそこまで驚きはなかったが、やはり実物を見るとその大きさに圧倒される。試しに指で叩いてみるが、予想通りかなり硬い。普通の人間が刀で斬りつけようものなら間違いなく半ばから叩き折れてしまうだろう。

 

 俺が岩を撫でながら一人黙考していると、いつの間にか意識を取り戻したのか、錆兎は軽く息を呑みながら腰に差した訓練用の真剣を抜き放ち、正面に構える。

 

「錆兎?」

「スゥゥゥゥ――――ふんッッ!!!」

 

 全集中の呼吸で強化された膂力で刀を大上段から素早く、鋭く、重く振り下された。

 

 山中に響き渡る金属音。反射的に瞑っていた目を開けて結果を確認すると、やはり刀は岩の表面に少しだけ食いこんでいただけだった。やはり、まだ駄目か。

 

「……やはり駄目、か。義勇、お前は斬れそうか?」

「錆兎にできないことが俺にできる訳ないだろう」

 

 俺が刀を折らない様にこの巨岩を両断するには、呼吸の精度も、技の冴えも、地力も何もかもがまだ足りない。錆兎は身体さえ出来上がれば容易くできるだろうが……どちらにせよ最終選別の日までみっちりと鍛え上げる他ない。

 

 幸い俺はそれらの培い方を、俺はこの半年間でみっちり仕込まれた。ならば後は綿密かつ地道な努力によってそれらを芽吹かせればいい。

 

 即ち――――死ぬほど鍛えろ。これに尽きる。やはり真菰(ふわふわ娘)の脳筋理論は間違っていなかった。

 

「ところで、だ。鱗滝さんからの訓練に一応の区切りが付いた訳だが、そろそろ家族に会いに行かなくてもいいのか? 良い機会だと思うが」

「そうだな……」

 

 確か、最終選別まではまだ半年ほど間があるはず。無駄にできる時間は無いが、家族に顔を見せる時間を無駄と片づけられるほど俺は人間性を捨ててはいない。

 

 つかの間の休息を取るついでに、半年ぶりに顔を見せに行くのは決して悪い選択肢では無いだろう。

 

 そこからの俺たちの行動は早く、すぐに鱗滝さんに休みを取りたいという旨を相談した。多少は苦戦すると思ったが、しかし鱗滝さんはすぐに「時間を無駄にしない様に」とだけ言ってくれた。事実上のほぼ無期限での外出許可である。無論、俺たちの中に長々と修行を放り出して遊ぶ気など欠片も無いが。

 

 無事許可を貰った俺たちは鱗滝さんの鎹烏を蔦子姉さんへと飛ばし、錆兎を連れて一度帰省するという内容の手紙を送った。今の俺たちならば徒歩で三日とかからないだろう。何かあったときの返答もその間に貰えるだろうから抜かりはない。

 

 そうこうして準備が整い、俺が三日分の荷物と日銭を風呂敷に詰めていると隣で錆兎が何かを思いついたような顔で口を開けた。

 

「そうだ、義勇。折角なら競争しないか。日が暮れるまで走り続けて、どちらがより遠くに行けたかで勝敗を決めよう」

「……どう考えても俺が勝つ未来が見えないのだが」

「無論、差を埋めるために荷物は俺が持つ。時間を無駄にしないいい鍛錬になると思わないか?」

「それもそうだな」

 

 勝負はついで事として移動時間を使って基礎的な走り込みをすると思えば悪くない考えだ。特に反対する理由も無いので、俺は快くその勝負を引き受けた。

 

「よし、では行くぞ義勇!」

「ああ。行こう、錆兎!」

 

 半年ぶりに家族に会いに行く。俺はその事を楽しみに胸を躍らせながら、俺は軽やかに走り出した。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

「結局勝てなかった……」

「そう落ち込むな。むしろたった半年でこれだけ仕上げたんだから、もっと胸を張れ。義勇」

 

 およそ三日後、夕暮れの下で俺たちは徒歩で目的地へと移動していた。もうすぐ日が暮れるし、距離もさほど残っていないので歩きで移動することにしたのだ。

 

 そして結論だけ言うとやはり俺は錆兎に一度も勝負に勝つことは無かった。単純に呼吸を持続させられる時間が違い過ぎる。今まで鍛えていた時間も回数も文字通り桁違いの錆兎に勝つのはほぼ無理だろうという事はわかっていたが、やはり俺も男だ。負ければ落ち込む。

 

「……最終試験までに錆兎から一本取るのが、今の俺の目標なんだ。故に、もっと鍛錬を積み重ねなければ」

「無理はするなよ。それと、俺はそう簡単に勝ちは譲らないぞ?」

「上等だ」

 

 軽く拳を突き合わせながら軽口を叩き合っていると、やがて町へ入り目的の家屋が見えてきた。家屋の戸に近付き、「姉さん、いるか」と声をかけながら戸を叩く。

 

 一分ほど過ぎただろうか、静かな足音が近づいて来て、ガラガラという音と共に戸は開かれた。

 

 そして、俺と錆兎は同時にギョッと驚きの顔で固まる。

 

「義勇! お帰りなさい、久しぶりね……あら、そっちの子はお友達かしら?」

「あ、ああ……姉さん、そのお腹は……」

 

 俺たちが驚いた理由は至極単純、出迎えてくれた蔦子姉さんのお腹が異様に膨らんでいたからだ。いや、理由は大体察せるけども、実際に目にするとやはり驚きを隠せない。

 

「うふふっ、義勇にもついに甥か姪ができるのよ。生まれるまでは、そうね……後半年ちょっとくらいかしら? あ、ごめんなさい。さぁ、早く中へいらっしゃい二人とも。お腹空いてるでしょう? 今から食事の用意をしますからね」

「そうだな。……ただいま、蔦子姉さん」

「お、お邪魔します……!」

 

 普段は堂々かつ快活とした性格の錆兎がまるで借りてきた猫みたいになっていた。友人の珍しい面をみれてちょっとだけ上機嫌になりながら、厨房へ行く蔦子姉さんを見送りながら俺と錆兎は客間でゆっくりと腰を下ろす。

 

 話したいことは沢山あった。あれから姉さんがどんな生活をしているのか、俺が鱗滝さんの下でどんな修行をしていたのか。そう考えながらそわそわと待ち、機を見計らって俺たちは厨房に行った。流石に妊婦に重い物を運ばせるほど常識知らずでは無い。

 

「あら二人とも、部屋でくつろいでてもよかったのに」

「姉さんに無理をさせる訳にはいかない」

「俺も手伝います!」

「ふふっ、いい子達ね」

 

 俺たちは三人分の夕飯の乗った盆を軽々と居間まで運び、それらをちゃぶ台の上に配膳してから席に着く。

 

 夕飯は麦飯に鯖の塩焼き、たくあん、ほうれん草の添え物。そして――――鮭大根。己の大好物を目にした俺の目はきっとキラキラと輝いているだろう。それを見た蔦子姉さんは微笑み、錆兎は呆れていた。

 

「……ところで蔦子姉さん、義兄(にい)さんは?」

「それがね。丁度二人とすれ違いに遠出の仕事が重なっちゃって……三日か四日は家に帰れないらしいの」

「そうか……残念だ」

 

 義兄、蔦子姉さんの夫の職は自営業の町医者だ。しかもかなり腕がいいのか、有事の際には大手病院の方から救援の声が掛かるほどらしい。

 

 普通の場合はその敏腕で大きい病院などに就職すると思うのだがこの男、蔦子姉さん……一目惚れした幼馴染との愛を貫くためにあえて小さな町に留まった猛者である。それでも人命が掛かっているので声が掛かれば街々を飛び回るのだが、最後は必ず姉さんの下へ帰ってくるのだから男として尊敬せざるを得ない。

 

 付き合いが長く、人格者で、稼ぎもいい優良物件。俺も交際を反対する理由が全く見つからず泣く泣く舌を巻く思いをしたのは記憶に久しい。

 

「それじゃ二人とも、召し上がれ」

「「いただきます」」

 

 手を合わせて唱和をし、早速汁の染みこんだ大根を一口。半年ぶりに味わう絶妙な味加減に思わず涙が流れた。

 

「泣くほどか、お前……」

「美味いだろう?」

「そうだな。義勇が毎日自慢してくるだけある」

「義勇ったらもう、お友達を困らせては駄目よ?」

「俺は困らせてない」

 

 便利な常套句を口にしつつ、俺たちは談笑を合間に挟みながら無事に食事を終えた。その後片付けと洗い物をして、改めてゆっくりと蔦子姉さんと話をする。他愛もない世間話が主だが、それでも久しぶりに帰ってきた実家で大好きな姉と話をするというのはとても良い事だ。

 

「本当に逞しくなったわね、義勇。この半年で、本当に見違えるくらい」

「鱗滝さんがみっちりと鍛えてくれたおかげだ。そして、錆兎にも随分世話になった」

「そうなの! 錆兎君、ありがとう。義勇と仲良くしてくれてるようで本当に嬉しいわ」

「いえ、俺は、その。俺は義勇の友人で、兄弟子なので、これぐらいしっかりしないと示しがつきません」

 

 そう謙遜する錆兎を、蔦子姉さんはゆっくりと身体に手を回して抱きしめた。突然の行動に固まる俺と錆兎。しかし蔦子姉さんはそれを気にも留めず、優しく彼の頭を撫で始めた。

 

「鱗滝さんから聞いたわ、貴方が物心つく前に両親を鬼のせいで亡くしたって。そのせいかしら、私は貴方が誰かに甘えると言う事を知らないように見えるわ」

「……俺、は」

「今だけは甘えていいのよ。私を家族だと思って」

「……………母、さん……!」

 

 いつも堅く塗り固められていた錆兎の何かが壊れたのか、彼は顔を歪ませて今まで一度も見たことのない涙を流しながら蔦子姉さんの胸の中で嗚咽を漏らし始めた。

 

 親友が実姉を母親呼びしながら泣き付いているという正直反応に困る光景ではあったが……決して笑う気にはなれない。同じ両親を失った立場ではあるものの、俺には姉さんが居た。甘えられる存在が身近にいた。錆兎にとって鱗滝さんは父同然の存在だろうけど、母親はいない。今この瞬間、物心ついて初めて感じている無償の母性愛に泣くなと言う方が難しいだろう。

 

「ほら、義勇もいらっしゃい」

「……ああ」

 

 俺も蔦子姉さんに言われた通りに、その腕の中に包まれた。

 

 暖かい。それに、姉さんのお腹に当てた手の平から微弱にではあるが命の鼓動を感じる。この中に命がある、俺が守れた姉さんの中に新しい命が宿っている。そう考えると、自然に顔がほころんだ。

 

 俺の行動は決して間違っていなかった。

 

 もし間違っていたのならば、この手の平から感じる鼓動が、どうして心地よく感じるだろうか。

 

 

 ――――願わくば、この子が生きる世に平穏のあらんことを。

 

 

 目を閉じて静かに願いながら、俺は微睡の中に身を落とした。

 

 

 

 

 

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