水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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仕事に悩殺されながらも何とか年越し前には間に合ったよ……(瀕死)



第参拾壱話 花蝶舞う

 時間はほんの数分前まで遡る。

 

 兄の異常を知ったアオイは父や母が懇意にしている町医者を自宅まで連れてきた。そしてきっと全てが上手く行くと、明日にはまた元気な兄の顔が見れると思っていた。だが現実はそう上手くは行かない。

 

「な、なんだこれは……こんな症状見たことも無いぞ……!?」

「えぇっ!?」

 

 医者の男は目の前でもがき苦しんている青年、神崎善継の有様に絶句するしかなかった。

 

 全身から不定期かつ不規則に音を立てて盛り上がる肉腫、異常なまでに鋭く伸びた両手の爪、瞼の微かな隙間から覗く異様に赤く染まった虹彩。ありとあらゆるものが己が知識と噛み合わないのだ、対処するにも何が原因でこんな状態になっているのかがわからなければどうしようもない。

 

「そ、そんな……どうすれば、どうすればお兄ちゃんを助けられるんですか!?」

「お願いします先生、血が繋がっていないとはいえこいつは俺の息子なんだ! みすみす死なせないでくれ! 頼むっ……!」

「……最善は尽くします。ですが私では時間稼ぎで精一杯だ。この子も大きな病院に移すべきか……!」

 

 苦々しい言葉を零しながら医者は救急箱を開き、善継の身体にある一番大きな肉腫に痛み止めを注射してからメスで切れ込みを入れる。どんな病気なのかはわからないが、とにかく肉腫の中にある膿だけでも搾り出そうとしたのだ。

 

 が、

 

「何!?」

 

 切れ込みを入れた瞬間、切開した個所から傷と呼べるものは消えた。そう、再生したのだ。人間とは考えられない程の速度で刀傷は塞がり、その光景を見た医者は今度こそ何も言えなくなる。

 

(訳が分からない。一体彼の身体に何が起きているというのだ……!?)

 

 あまりにも常識外れの現象。既存のどんな病気にも当てはまらない症状の数々。いや、そもそもこれは病気の類なのか。こんなもの、一体どう対処すればいい。

 

 そんな考えが医者の頭に巡り始めた頃……不意に、善継の閉じていた瞼が開かれる。

 

「! お、起きたか! 君、私の声が聞こえるか!? 身体の異常に心当たりは――――」

「…………すいた」

「……なんだって?」

 

 先程までは苦しそうにもがき苦しんでいたというのに、意識を取り戻した瞬間善継はまるで海から釣り上げられた鮪の如くピタリと動きを止めた。その上浮かべている表情は極めて無に近く、医者は思わず恐怖を覚えた。だが職務を放棄する訳にはいかず、何とか善継に呼び掛けを行う。

 

 医者の言葉に反応したのか、善継もとても小さな声で何かを呟いたが……。

 

 

「お腹、空いた」

 

 

 静止していた善継の右腕が一瞬()()()。その拍子か室内の空気が大きく吹き荒れ、反射的に神崎一家は一斉に目を閉じてしまう。

 

 数秒程してほとぼりが冷めた頃に目を開くと――――真っ先に赤色が、目に入った。

 

「…………お兄、ちゃん?」

「……善、継?」

 

 ドサリ、と……首から上が消えた医者の体が地を噴水の様に吹き出しながら崩れ落ちる。

 

 その後善継は畳の上に零れ落ちた医者の首を拾うと、無言でそれに齧りついた。顎の力で頭蓋を割り、その奥に隠されていた脳髄を獣の様に貪り食う。あまりにも突然すぎる常識外の光景に、神崎一家は何も言うことができず青ざめながら唇を震わせるしかできなかった。

 

「よっ、善継っ!? お前ッ、なんてことを――――」

「――――五月蠅い」

 

 真っ先に復帰したのは清蔵だった。彼は善継の度が過ぎる、いやそんな言葉では表せられない程の蛮行を今すぐ止めるために僅か一歩を踏み出した。

 

 だがその瞬間善継は食事の邪魔をされたと判断したのか、常人では視認できない程の速度で跳ね起き、有無を言わさず――――

 

 

 ――――己が義父である清蔵の胸を一撃で貫いた。

 

 

「……………っ、ぁが、お………し……つ………」

 

 完全な予想外すぎる不意打ちに清蔵は状況を理解することもできないまま、その命を絶たれた。邪魔者が死んだことを認識したのか善継は清蔵の胸に深々と刺さっていた自身の腕を力づくで引き抜き、何を思ったのか辺りに視線を彷徨わせた。

 

 程なくしてその目線は自分の一番近い場所にいた義妹であるアオイに止まる。同時に母親としてこの上ない悪寒を感じた菖蒲は全霊で駆ける。

 

「アオイ、危ない!!」

「え――――きゃっ!?」

 

 菖蒲はアオイを勢いよく突き飛ばした。そのせいでアオイは畳みの上を転がり壁に背中を強く打ったが、今まさに彼女へと襲い掛かろうとした事象と比べれば、そんなものはかすり傷にもなりはしないだろう。

 

 アオイは目を開き……息を、止める。

 

「……善……継……どう、し……て………………」

「……………ぇ」

 

 彼女は見た。母が父と同じように胸を貫かれ、心臓を抉り抜かれている光景を。そしてその姿を茫然と、何が起こったかわからないような顔で見つめる義兄の顔を。

 

 幼すぎる彼女は何もかもが理解ができなかった。まだ十にも満たないアオイがこんな事実を受け入れられるはずがなかった。

 

 だが本能的に理解する。この惨状は、あの兄の姿をした人でなしに、化物によって齎された物であると。

 

 母の身体が善継の腕から抜け落ちる。善継は無言で自身の両手にある両親の心臓を見つめ、やがてアオイの存在に気付いたのか口を開けながらこちらへと近づこうとしてきた。

 

「ぁ、あぁ、あ」

「……アオイ?」

「ひっ」

 

 反射的に後ろに下がろうとするが背中にはもう壁がある。これ以上後ろには行けないという事実にアオイは一瞬絶望したが、善継の歩が父の亡骸に引っかかったことで一度止まったことでほんの少しだけ安堵した。……状況的には、何も改善されていなかったが。

 

 ここでようやく善継は現状を理解したのだろう。顔は真っ青を通り越して死人のように白くなり、奈落へと落とされたようにその顔は絶望と苦痛に染まっていく。

 

「あ」

 

 善継は手に持った両親の心臓を取り落とし、愛する家族の血がベットリと着いた両手で顔を覆った。

 

 そしてその爪は次第に彼の皮膚に食いこみ――――

 

 

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!」

 

 

 

 魂が引き裂かれたような悲鳴と共に善継は自分の顔面を握り潰した。

 

 飛び散る血と骨の破片。更に潰れた眼球が宙を舞い、アオイの目の前へと音を立てながら転がった。

 

「いやぁぁぁぁあああああああああああああああああああっ!!!!」

 

 それをきっかけに心の均衡が破砕されたのだろうアオイは絶叫した。もう目の前で起こる事が全部夢であってくれと必死で願いながら蹲り、赤子の様に泣き叫ぶ。

 

 ……されど、運命は彼女が立ち止まることは許されていない。

 

 まだ悪鬼は死んでなどいないのだから。

 

「…………ヒ、ヒッヒ、ヒヒヒッ…………ヒヒヒャヒャッハッハハハハハハハハハハハハハッ!! アッヒャッハハハハハヒャハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 嘲り。純粋な悪意しか感じられない嗤い声にアオイは思わず叫ぶのをやめ、顔を上げた。そしてアオイは瞠目する。

 

 大きな匙で抉り出したような悲惨な状態になっていた筈の善継の顔面が、徐々にではあるが元の状態に戻ろうとしていた。筋肉の繊維が蠢きながら編まれてゆき、骨は早送りするように奥底から生えてくる。粉々に潰れていた筈の眼球も盛り上がるように元の形に形成され始めていた。

 

 それと同時にアオイは気づく。義兄の髪が毒々しい緑色に染まり始め、更に手足から異音が発せられながら変形し始めたことに。

 

「最ッ高ォだぜ最高ォ!! アヒヒヒヒャヒャハハハハハハ! アイツ、勝手に思い出して、勝手に暴れて、勝手にぶっ壊れやがったッ! 信じらんねェ! あの御方の血を貰って無理矢理消す手間が省けた上にこんな腹がよじれるくらい笑える茶番まで用意してもらえてよォ……今まで我慢した甲斐もあったってもんだぜェ! クハッ、ヒャッヒャッヒャッハハハハハ!!!」

 

 怪物が産声を上げている。

 

 皮が剥がれて筋肉がむき出しになったような獣の手足。

 

 額から生えた空へと反り立つ赤黒い血管模様が張った二対の角。

 

 人のものとは思えないほど鋭く発達した犬歯と、『下弦の伍』という文字が刻まれた真っ赤な左目。

 

「ずっとこの時を待っていたんだよォ……八年前のあの時からずっと! 一ヶ月に一度、飢餓衝動が近づいて善継の抑制力が弱まる瞬間にしか表に出れなかった俺が! 一体どんな気持ちでいたかッ!! 下らん家族ごっこを何年も何年も見続けなきゃならねェ俺の鬱憤がッ!!! ようやく晴らせる! ようやく気兼ねなく鱈腹食えるッ!!」

 

 善継――――否、凶裏は満面の笑顔を浮かべたまま、足元に転がっていた清蔵の腕を掴み、無造作に引き千切った。身体に付着する血など気にもせず、凶裏はそのまま清蔵の腕に食らいつく。

 

「ぁぁぁぁぁぁあああああ……この味、たまんねェ……! 柔らかい肉ゥ、蕩ける脳髄ィ、噛み応えのある臓物ゥ!! ウヒッ、ウヒヒヒヒヒヒッ」

 

 腕を一本食べ終えると、彼はそのまま手近にあった医者の腹を裂いて中身を引き摺り出しながら咀嚼していく。その度にグチャリグチャリと嫌な音が部屋中に反響し、それをはっきりと目視してしまったアオイは喉奥から何かが出てくるのを止められなかった。

 

「うっ……ぉ、ええぇえぇぇぇぇぇぇえええええええっ!!」

 

 水音を立てながらアオイは胃の中にあるものを絞り出す。それに反応した凶裏はピタリと食事の手を止め、ゆったりとした動作でアオイのいる方へと振り返る。

 

 自身に向けられた粘着質な視線に気づいたアオイ。口元を抑えながら顔を上げれば、ねっとりとした不快で不気味な笑みを浮かべる怪物の姿。

 

「そういやァ、お前は生きてたなァ。いや、浮かれ過ぎて忘れてしまっていたよ。失敬失敬。――――んじゃァ、騒がれても面倒だ。ちょっと死んでくれや」

「っ――――!!!」

 

 凶裏は一歩、また一歩とゆっくりとした動作でアオイの目の前まで近づく。それを邪魔する者などいない。アオイもまた、既に逃げるという選択をする気力を失っていた。

 

 震える眼。それを見て一層深みを増す嗜虐の笑み。遠慮や慈悲は無く、少女へと鉤爪は振り上げられる。

 

「いただきまァす」

 

 そのまま腕は振り下ろされる。

 

 

 

 寸前。

 

 

「――――アオイちゃんっ!!!」

 

 閉ざされていた部屋の戸を蹴破りながら、黒い隊服と蝶の羽模様の羽織を身に纏う少女、胡蝶カナエは飛び込んできた。

 

 彼女の優れた動体視力は一瞬で地獄の如き惨状となった部屋内の状態を認識して脳を震わせる。しかし、今まさに鬼の凶手にかかろうとしているアオイの姿を見た瞬間にその硬直は解け、全力で駆け出していた。

 

(――――間に合わないッ!!)

 

 遅すぎた。後一秒分、後腕一本分の距離が少女の救済を妨げる。いいや方法ならある。刀を抜けば紙一重で間に合う。

 

 だが、

 

(――――今の私に、抜けるの?)

 

 彼女の中に渦巻く迷い。それが刀を抜く障害となっていた。

 

 それでも、とカナエは刀の柄に手をかける。自分の迷いなど、人の命に比べればちっぽけなものだとわかっている。……けれど、刀の刃が煌めくことは無かった。

 

(どうして……!?)

 

 ここで戦わずして、刀を引き抜かずしてどうするというのだ。ふざけるな、抜けろ、抵抗するな。

 

 誓った筈だ、約束した筈だ。自身のような者をこれ以上増やさないために戦うと。誰かのために剣を握りたいと。

 

 確かに神崎夫妻への助けは間に合わなかった。誓いを守れなかった。だがあの子は、その少女はまだ生きている。助けることが出来る。

 

 諦めるな。

 

 手を伸ばし続けろ。

 

 どんな否定の言葉を投げ掛けられようとも、それが今の自分が成すべきだと思った事だと確信したのならば――――!

 

 

鬼を殺したいだけのくせに

 

 

(………………れ、でも)

 

 

恨みを晴らしたいだけのくせに

 

 

(………それ、でも)

 

 

自分の事しか考えていないくせに

 

 

 

 

 

 

 今一度、自分に問いかけよう。胡蝶カナエ。

 

 

 お前()は今、何をしたい?

 

 何の為に刃を振るいたい?

 

 誰が為に戦う?

 

 

 

 ――――鬼を憎む心が少なからずあるのは事実。……けれど、その為に剣を取った訳じゃない。

 

 

 ――――皆が悲しくなると、私も心が痛いから。

 

 

 ――――だから剣を握ったの。厳しい修行を乗り越えたの。

 

 

 ――――今苦しんでいる人を一人でも多く笑顔にしたくて。

 

 

 ――――少しでも悲しみに明け暮れる人を減らしたくて。

 

 

 ―――――そうすればきっと、私も心から笑顔になれるだろうから。だから、だから私は――――!!

 

 

 

『カナエ』

 

 

 背景が白くぼやけた、かつて住んでいた屋敷の縁側で座っていた父が、隣に座っている私の頭を撫でながら優し気に呟く。

 

 

『いつか将来、カナエが本当に心の底からやりたいことができたなら、お父さんたちの事なんて気にしなくていい』

 

 

 昔はその言葉の真意を理解出来なかったけど、今ならばわかる。父は、母は……今も昔も、願っていた。

 

 

『なりたい自分になりなさい。それが、生きるって事なんだから』

 

 

 私が私らしく、生きる事を。

 

 

 

 

「それでもぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」

 

 

 一歩踏み込む。鞘から刃が走り抜け、銀色の閃光となった一撃が鬼の腕を打ち抜いた。

 

「な、鬼狩り――――!?」

「アオイちゃんからっ……離れなさい!」

 

 腕に食いこんだ刃をそのまま上へと跳ね上げて、カナエはアオイへと振り下ろされようとしていた鬼の腕を両断した。突然の乱入者に遅れて気づいた凶裏も舌打ちしながら距離を取り、カナエを警戒心に満ちた目で睨みつける。

 

 しかし凶裏は彼女の顔を見て思い出したのだろう。すぐに嘲笑に満ちた嫌らしい笑みを浮かべ始める。

 

「あァ……んだよ、お前あの時碌な抵抗もできずに俺にやられていた小娘か! なんだまた俺に甚振られに来たのかァ? キヒャヒャハハハハハハハ!! 頼みの綱のお連れの小僧はどうしたよ? ――――ああ! 俺に倒されてるんだったなァ!」

「……アオイちゃん、今すぐここから逃げなさい。もうすぐ黒ずくめの人達がやってくるから、その人達に保護を――――」

「あ、あのっ」

 

 カナエは冷静に分析する。恐らく自分では逆立ちしても目の前の鬼、下弦の伍には敵わない。多大な努力を積み重ねていようとも、今相対している存在に手を届かせるにはまだ足りない。それに自分より遥かに強いだろう義勇すら後れを取ったのだ、倒せるなどと端から思っていない。

 

 故に、今行うべきは一秒でも長く時間稼ぎをすること。鎹烏によって京橋區における十二鬼月出現は伝達済み。何が別の問題が発生していなければ柱がこちらに向かって来ているはず。しかし彼らが到着する前に鬼が身を隠してしまえばその試みは無意味となてしまう。

 

 だから時間を稼ぐ。柱が来るまで何としてでもこの場に足止めする。

 

 しかしそれを行うにもまず民間人かつ子供であるアオイの存在は邪魔となる。今すぐ安全な場所に行くようカナエは背後にいるアオイに促すが、彼女から返された言葉は思わず歯噛みするしかないものであった。

 

「あ、足が、動かなくて。こっ、腰が抜けて……!」

「……………伏せて、頭を守っていなさい! 大丈夫、貴方は私が守るわ!」

「っ、はい……!」

 

 当り前だ。幾度か修羅場を抜けてある程度”慣れてしまった”自分でも思わず胃の中のものが込み上げそうになるほどの凄惨な光景と濃密な血の匂い。耐性などあるはずもない、ただの少女にとても耐えられるようなものではない。

 

 であるならば仕方ないと割り切ったカナエは、人を一人守りながらという負担を背負いながら十二鬼月を相手取る選択をする。見捨てるなど論外だ。そんなものは、「なりたい自分」ではない。

 

(そうよ、私は”私がなりたいと思う自分”になる)

 

 静かに息を吸い、吐く。

 

 窮地だというのに、カナエの頭は不思議と冴えていた。ここ数日間頭の中を漂っていた靄が晴れたことで、精神的にはこの上なく好調だ。

 

(誰にどう思われようとも構わない。独りよがりだって罵られても構わない)

 

 刀を正眼に構える。

 

 今まで嘲り笑っていた凶裏の顔が驚愕のものへと変わっていく。それも当然だ、カナエの纏う雰囲気は数日前のものとは比較にならないほど鋭い物へと洗練されているのを感じ取ったのだから。

 

 過ぎた油断を抱けるような相手では無いことを察し、凶裏は再生の完了した右腕の調子を確かめながら身構えた。

 

(自分が悲しまないために、誰かが悲しむ様を少しでも見ない(減らす)ために、誰かが幸せに笑っている光景を見る(増やす)ために――――私は私のために、”誰かのために戦える理想の自分”になる……! )

 

 迷いはもう無い。此処にいる少女は暗い道程を抜け、一人の剣士として蛹より羽化する。

 

「全集中・花の呼吸――――【伍ノ型】!!」

「【血鬼術】――――」

 

 凶裏が術の行使のために息を吸うのに合わせ、カナエは動いた。繰り出すは花の呼吸の中でも最多の手数を誇る技。

 

 

「【徒の芍薬】――――!!」

「【空砲・玉風息吹 多連弾(たれんだん)】」

 

 

 舞うように放たれる九連撃。相手の防御を容赦なく削り斬るだろう怒涛の連撃は術を持たない雑魚鬼ならば容易くその頸を斬れただろう。

 

 だが奴は違う。相対するは十二鬼月の下弦の伍。序列だけならば下から数えた方が早い部類だろうが、その実力は柱以外にとっては隔絶して余りある代物。凶裏の放った血鬼術は前回カナエに放ったものとほぼ同一。

 

 差異は、その”数”と”威力”。さながら短機関銃の如き弾幕で放たれる空気砲は、一発の威力こそカナエでも容易く弾けるほどに低い。問題はその弾幕だ。あまりの濃密な攻撃密度に、カナエの放った九連撃は一発も凶裏に届くことは無く押しのけられてしまう。

 

「う、くぅぅぅぅぅぅぅっ……!!」

 

 まずい、即座にそう判断したカナエは技を中断して防御の態勢へ切り替えた。迫り来る空気弾の嵐、その中にある致命打になりうるものだけを可能な限り選別して刀で弾いて行く。

 

 だがそんな曲芸染みたことを完璧に熟すことはカナエには不可能だった。後一年か二年、十分な戦闘経験を積み成長した彼女ならば可能だっただろうが、今この場に居る彼女は水柱の継子とはいえ鬼殺隊に入隊してまだ四か月半程度。

 

 故に、彼女は自身の急所に当たりそうな空気弾と背後で伏せているアオイに当たりそうな空気弾を弾くので精一杯だった。防ぐことのできない空気弾は彼女の体を掠め、時には直撃しながらカナエの身体には傷が増えていく。

 

 空気弾の連射は約五秒間続いた。しかしその五秒間でカナエはボロボロの体になってしまった。幸いなのは、アオイを守り切れた事と致命傷だけは避けることができた事か。

 

(――――動きが止まった。今しかない!)

 

 空気弾を発射するための空気がそこを尽いたのか凶裏の動きが止まった。好機と判断したカナエはすぐさま疾駆。凶裏の頸を狩らんと、それが無理なら手傷の一つでも負わせようと渾身の力で刀を振るう。

 

【肆ノ型 紅花衣(べにはなごろも)

 

 翻るような衣の如き横薙ぎの斬撃、それは吸い込まれるように凶裏の頸へと放たれる。が、相手がそう簡単に己の頸を獲らせるはずもない。凶裏は素早く体勢を立て直し、即座に振るわれた刀を鷲掴みにして食い止めた。手に刃が食いこみ血が流れるが――――それだけだ。

 

 両者の動きが止まる。

 

「っ――――!?」

「捕まえたぞォ?」

 

 凶裏は空いた方の手に風を集める。このままでは致命傷を受けてしまうと察したカナエは即断で日輪刀という鬼狩りに必要不可欠な武装を一度手放す選択を取った。最優先目的が足止めである以上、無理に刀にこだわる必要性は無いと結論付けたからだ。

 

 それは間違いなく英断であり最善の選択だった。凶裏の手が振るわれると同時にカナエは後方へと跳び引き攻撃を回避。空振りした凶裏の手が床へと叩き込まれ、風と衝撃で畳は捲れ上がる。

 

 暴れ狂う風に揉まれながらもなんとか無事に着地したカナエが見たのは”巨大な穴”。予備動作は一秒も無かった筈なのにこれほどの高威力を叩き出せたという事実に、流石のカナエも顔から血の気が引いてしまう。

 

(これが……十二鬼月の、下弦の伍? これより強い鬼が後十体もいるというの……!?)

 

 敵勢力を甘く見ていたつもりは無かった。だが自身の予想を遥かに超える凶裏の強さ、そしてこれ以上の存在が何体も潜んでいるという現実にカナエは息を呑む。

 

「刀を離すとはなァ……中々機転の利く小娘だ。だがお前の大事な刀は俺に奪われちまったなァ? これからどうするよ?」

「…………」

 

 命を繋ぐためとはいえ確かにこの状況はマズい。攻撃をするにも防御をするにも刀は必須だった。それを失ったというのは鬼殺隊員にとっては最大の危機である。

 

 当然ながら、予備の武器なんてものも無い。ならば諦めるか?

 

「――――いいえ、武器ならあるわ」

「あァ?」

 

 静かに呼吸を整えながら、カナエは両手を正面に構えた。

 

 そう、彼女が呼ぶ”武器”とは即ち――――己の肉体そのもの。

 

(雫さんが教えてくれた。私たちにとっての武器はなにも刀だけじゃない。日々鍛え上げた肉体は時に刃となり、時に盾になると。その時は物の例えなのだろうと思っていたけれど……今なら、あの人の言う言葉がわかる気がする)

 

 日輪刀で無ければ鬼は殺せない。だがだからと言って日輪刀のみに依存してはいけない。

 

 刀は物だ。紛失するかもしれないし、壊れるかもしれない。絶対に失われないという保証が無い以上、日輪刀というという存在に頼りきりになってはいけない。これはカナエの師である雫の言葉だった。

 

 故に、雫は手ずから行った鍛錬において刀の修練だけでなく自身の肉体を使った戦闘術、素手での戦い方も略式ではあるものの継子の二人に叩き込んでいたのだ。

 

 普通の隊員ならば「鬼相手に素手で挑むなど」と雫の正気を疑っただろうが――――結果的に言えば、その行いは見事な先見の明だったと言えよう。

 

「馬鹿が、窮地に追い込まれて気でも狂ったのかァ? 人間風情がッ! 素手でッ! ()に勝てる訳ねェだろうがよォォォォォォォォ!!!」

「――――全集中・花の呼吸 【参ノ型】」

 

 下卑た笑い声を口に凶裏は大きく踏み込んだ。相手は手負いで武器も無い。対して自分は軽度ではあるが食事をしたことで好調。勝利を確信した彼の脳裏には目の前の娘をどう甚振って食らってやろうかという下種な思考に塗れている。

 

 対してカナエは動かない。いや動けない。背後にはアオイがいる。自分が攻撃を避けようものなら鬼の魔手は少女の命を奪うだろう。しかしそんな危険な状況だというのに、不思議と彼女の顔には焦りはなかった。

 

 カナエは腰を落とし、地面を踏みしめながら、己の手を刀に見立て――――

 

 

 ――――技を、放つ。

 

 

「【皐月舞花(さつきまいばな)】」

 

 

 カナエは左の手の甲を凶裏の突き出された腕へと当てる。横向きの力で自身へと向かっていた貫手の軌道をそらしつつ、その勢いで身体全体に回転の力を加えたカナエは渾身の力を右手に集め、

 

 凶裏の鳩尾へと、拳を打ち込んだ。

 

 

「――――は、っが?」

 

 

 まさか反撃を受けるとは思っていなかったのだろう。予想外の一撃を受けた凶裏は間抜けな顔を作りながら後ろへと大きく吹っ飛び、壁へと叩きつけられた。

 

「うっ、ぐ……!」

「カナエさん!?」

 

 当り前だが、カナエも無傷では済まなかった。凶裏の腕へと当てた左手の甲は皮膚が剥けて血が滲んでおり、殴りつけた右手は骨に罅が入ったのか激痛が迸っている。岩より硬い鬼の肌相手だ、無理もない。

 

(【参ノ型 皐月舞花】……本来は刀で敵の攻撃を逸らしながら舞うように懐に斬り込む防御寄りの移動法。何とか攻撃に転用してみたけど……やっぱり、素手でやるものではないわね……)

 

 腰のポーチから取り出した包帯で左手の応急処置をしながら、カナエは思考を続ける。

 

 敵は健在だ。恐らく碌なダメージも与えられていないだろう。しかしもう自分の肉体は限界を訴え始めている。

 

 窓の外をチラリと見てみるが柱が到着したような様子は当然無い。だがこれ以上ここに留まるのは――――

 

「カナエさん! 危ない!」

「ふっ――――!」

 

 カナエが熟考していると、凶裏の沈んでいるだろう煙の中から何かが飛んできた。すぐさま思考を切り替えたカナエはその物体を腕で弾き飛ばし、その正体を知る。

 

 それは木製の板の破片だった。恐らく床の一部を千切り取ったのだろう。しかし彼は何故こんな物を投げて――――?

 

「【血鬼術】」

「なっ、しま――――!!」

 

 その答えは単純明快。破片を投げつけたのはただの陽動、カナエの気を逸らすため投じた一石に過ぎなかった。本命はこれから放たれる一撃の方。

 

 

「【空波壁掌(くうはへきしょう)】」

 

 

 撃ち込まれたのは風の弾丸でも、竜巻でもない。

 

 それは壁だった。空気を押し固められて作られた平たい、そして一つ部屋を埋め尽くすほどの巨大な……回避不可能の攻撃であったのだ。

 

 回避も防御も許されないままカナエはアオイ共々空気の壁に叩き付けられ、背後の壁に挟み込まれるように押しやられた。

 

「っ、ぶ――――!?」

「き、っ……!?」

 

 強烈な圧力によって一瞬にして二人の肺から空気が残らず逃げてしまう。そのせいで悲鳴の一つも上げられないまま少女たちは圧死する――――と思われた瞬間、彼女たちを挟むもう片方の壁、部屋の壁が先に限界を迎えたのか音を発しながら倒壊。これによってギリギリでカナエとアオイは全身を圧し潰す力から解き放たれることができた。

 

「がっ、は……かほっ、げほっ!」

「っ、ぁ――――は、ぅぁ――――」 

 

 全身に駆け巡る痛みに悶えながら二人が何とか肺に空気を取り入れようともがいていると、部屋の方から爆発的な風が吹き始めた。

 

 まずい、その一心でカナエは何とか近くにいるアオイの身体を庇うように抱き寄せる。

 

「……くも、よくも、よくもよくもよくもォォォォォォォォォオオオオッ!!!! この俺をォォォォォォォォッ!!! 虚仮にしてくれやがったな糞女がァァァァァアアアアアアアアアアアッ!!!」

「う、っぐ……………!!」

 

 爆発的な怒りと殺気を感じてカナエは思わず竦め上がった。

 

(ああ、失敗した。引き際を見誤った――――!!)

 

 溢れんばかりの後悔を胸に、それでも彼女はどうにかアオイだけでも逃がそうと模索する。だがそんなことができる方法が簡単に見つかるはずがない。いや、そもそもそんなものは……

 

「【血鬼術】ゥッ……!!」

 

 凶裏の口に大量の空気が吸いこまれ出した。胸が大きく膨れ上がり、それだけでこれから起こる絶大な破壊を想像するのは難しくないことであった。何せつい最近体験したばかりなのだから。

 

(守らなきゃ。せめてこの子だけでも、私の身体で……っ!!)

 

 カナエはアオイの全身を守るように覆いかぶさる。それだどれだけ効果を発揮するのかはわからないが、それが今の彼女にできる精一杯だった。

 

 

 

 

 涙が零れる。これから訪れる死への恐怖、一人残してしまう妹への罪悪感。それらが走馬灯のように一気に流れてゆき――――

 

 

 最後に思ったのは、一人の少年の存在。

 

 

 生まれて初めて私に恋を教えてくれた人。

 

 

(あぁ……もっと、早く気づいていたら……もっと早く、出会えていたら……)

 

 

 目を閉じ、祈る。せめてあの少年だけは、ここから無事に帰れるように、と。

 

 

 だが、しかし、もしも、彼が無事ならば。ここに居たのならば、私は――――

 

 

 

 

「義勇君……助けて……」

 

 

 

 

 小さな声だった。消え入るような、風音に流されて霧散するほどの小さな声。

 

 

 それに応える存在は、

 

 

 

 

 

 此処に現れた。

 

 

 

「凶ォ裏ィィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!」

 

 

 

 壁を力任せに打ち壊しながら、左頬に斑模様の痣がある上半身を血だらけの包帯で覆った少年がこの場に飛び込んできた。

 

 その少年は飛び込んできた勢いのまま手に持つ刀を突き出して凶裏の胸部を串刺しにしつつ激突。それでも尚勢いは止まらず、少年はそのまま反対側の壁を破壊しながら凶裏共々外へと飛び出して行ってしまった。

 

「…………………へ?」

 

 いきなり出てくるや否やそんな滅茶苦茶をしてくれた者の顔に、カナエは見覚えがある。

 

 

 見間違えるはずがない。

 

 

 その少年は、間違いなく――――

 

 

「義勇君っ!?」

 

 

 傷ついた龍は哭き狂いながら、再び顎を開けた。

 

 

 悪しき鬼を、悲しき人を討つために。

 

 

 

 




《独自技解説》

花の呼吸 【参ノ型 皐月舞花(さつきまいはな)
 敵の攻撃を刀で逸らしながら舞うように相手の懐に飛び込む移動技。
 今回は素手による応用で敵の攻撃を手の甲で逸らしながらカウンターを打ち込む技に昇華させた。

《血鬼術》

【空砲・玉風息吹 多連弾(たれんだん)
 文字通り【空砲・玉風息吹】の連射版。威力は著しく低下しており、一発一発は拳銃弾程度の威力しか持たないが、出が早く弾幕も簡単に張れるため牽制や迎撃に使いやすい技。
 ただし凶裏はこの技を主に弱い相手を甚振ることにしか使わない。

空波壁掌(くうはへきしょう)
 掌に空気の壁を形作り、それを高速で押し出すことで相手を吹き飛ばす技。障害物に対する破壊力は高いが生物に対する殺傷力は低く、基本的に相手と距離を取るために使われる。しかし殺傷力がない訳ではなく、別の壁に挟み込むように放つことで相手を圧殺することも可能。

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