水に憑いたのならば 作:猛烈に背中が痛い
定食屋【かんざき】、その二階にある寝室にてカナエは深い深い安堵の息を吐く。
辺り一面を染め上げる赤黒いこびり付いた血液と散らばった臓物に囲まれながら「安心」するなんて彼女自身も少々おかしいとは思ったが、それでも絶体絶命の窮地から一命を取り留めたのだから無理もない。
(……いえ、安心している場合じゃない。早く私も援護に向かわないと……!)
しかしカナエは己の頬を叩いて気を引き締める選択をする。
鬼はまだ仕留めていないし、何より今の義勇は怪我人だ。先程この部屋に飛び込んできた際にほんの少しの間しかその姿は見えなかったが、少なくとも上半身を覆うように巻かれた包帯には大量の血が滲んで赤く変色しているのが見えた。恐らく傷は塞がっていないのだろう。
万が一怪我が原因で戦闘中に倒れる可能性がある。である以上、自分も早く復帰して彼を補助せねば――――そう思いながらカナエは凶裏に放られ畳の上を転がっていた刀を回収する。
「…………う、ぅあ」
「っ、アオイちゃん!? 見ては駄目!」
背後から聞こえる小さな声にハッとするカナエ。しかし気づいた時にはもう遅かった。
既に目覚めてしまったのだろうアオイは、力なく横たわる両親の亡骸の前で震える手を右往左往させていた。目は焦点が定まらないまま乱雑に泳ぎ、滝のように涙が溢れている。
「おか、さ……とう、さ……どう、して…………どうして、こんな……あ、あぁ……」
「アオイちゃん……」
涙を流しながら嗚咽を漏らし続ける少女の姿に、カナエは過去の自分と妹の面影を重ねる。
アオイの気持ちは痛いほど理解できる。何せ自分もまた、訳もわからないまま目の前で両親を奪われた身であったのだから。……いつまでも変わらないと思っていた幸せの器が突然理不尽な暴力で割れてしまう絶望。それはとても、苦しく辛いものだ。
カナエはアオイの痛ましい姿に目を伏せながらも、棚にしまわれていた布団をこの場で死した者たちの亡骸に被せた。布団が血で汚れてしまうが、それでも少女の心をこれ以上傷つける訳にはいかないから。
「っ、カナエさん! おっ、お兄ちゃんはどうして、一体どうしていきなりあんなっ……! まっ、まるで別人みたいになって……!?」
「アオイちゃん……アレはもう、貴方の兄ではないわ。……アレは人を食う、鬼なの」
「え…………?」
あまり長々と時間をかけるわけにもいかないため、カナエは掻い摘みながらも鬼について説明をする。
この世には鬼という人を食糧とする存在がいること。鬼は鬼舞辻無惨という存在によって生み出されていること。そしてその鬼を狩る鬼殺隊という組織が存在しており、自分や義勇はそこに在籍していること。
そして何より――――神崎善継は人に擬態していた鬼であり、それを今から狩らねばならない、という事を。
「お兄ちゃんが、鬼……? で、でもっ、お兄ちゃんは私とずっと一緒に暮らしてきて! なのに鬼、だなんて……」
「貴方に兄として接してきたのは、人としての人格の方よ。でも今は鬼としての人格が表に出ていて……こうして、私だけでなく妹である貴方も平気で殺めようとする。……貴方の両親のように」
「元にっ、元に戻す方法はないんですか!?」
「……………ごめんなさい」
鬼は人から変じた存在だ。だがその逆、鬼から人へと戻す方法は、今のところ発見されていない。例え発見されたとしても、それを鬼殺隊が有効活用できるかは怪しい所だが。
なにせ鬼殺隊が捕捉する鬼は余程特殊な場合を除けば人を食ってしまった後の個体が殆どだ。そんな存在を人へと戻すなど、これほど残酷な所業も無いだろう。そんな事をするならば、いっそ楽にしてしまった方が余程人道的だ。
だとしてもアオイにとっては凶裏……いや、善継は兄だ。血が繋がっていなくても、自分が産まれてからずっと兄として共に過ごしてきた存在なのだ。人に戻す方法がないのかと縋りつくのも仕方ないことだ。
だとしてもカナエは「無いものは無いのだ」としか告げることができない。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だっ! お父さんとお母さんが死んだのも、お兄ちゃんが鬼だっているのも全部嘘! だってこんなのありえない! こんなのっ、こんなのっ!」
「……本当にごめんなさい。私がもっと早く駆けつけていれば……」
「私たち何も悪い事なんかしてないのに! こんな目に遭うなんておかしいよっ! どうして私たちが! どうして、どうして…………なんで、お父さんと、お母さんが……! こんなのおかしいよぉ……!」
「……………」
ポロポロと大粒の涙を零し続けるアオイに、カナエはただただ自責の念を噛みしめた。
後数分早ければ神崎夫妻は助かったかもしれないのに、この少女がこんな思いをしなくて済んだかもしれないのに。だがいくら後悔しようが時間が巻き戻るなんてことはないし、死人が生き返るなんてことも無い。もう全部、終わってしまった。
「う、ぅうあ、うわぁぁあああぁあぁぁぁぁぁあああああああああん!! あぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあああぁあああああああああああああああああ……!!」
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」
辛うじて保たれていたモノが崩れたのか、ついにアオイは大声で泣き始めてしまった。むしろ、よく今まで泣き出さなかったと驚嘆してしまう。……いいや、ただ単に、両親が死んだという事実をすぐに受け止めることができなかっただけなのか。
カナエはただ謝罪の言葉を口にしながら泣き続けるアオイを抱きしめながら背中を摩った。鬼殺隊としては彼女を放って早く鬼との戦いに向かうのが正解なのだろう。しかし胡蝶カナエという少女はそんなことができるほど冷徹な人間では無かった。
少女が失った温もりを少しでも埋めるために、カナエは精一杯宥め続ける。そうしなければ、きっと少女の心が壊れてしまうと感じた故に。
『皆さん! 急いで避難してください! 凶悪な爆弾魔が現れています!』
『出来る限り遠くへお逃げください! どうかこちらの指示に従って!』
窓の外から隠達が民間人の避難を促す声が聞こえる。同時に少し離れた場所から爆発と何かが砕ける音が連続して聞こえてきた。
つまり戦いは未だ終わらず、尚且つあまり良い戦況では無いと肌で感じたカナエは表情を苦し気に歪めながらもアオイから離れる。
自分や義勇だけでなく、この京橋區に住む多くの人々の命のためにも、カナエは泣いている少女を見捨てて行かねばならなかった。
「っ! ……ごめんなさいアオイちゃん、もう行かないと!」
「ぇ、あ、や――――」
「ここでジッとしているのよ。決して外へ出ては駄目。お姉さんの言うこと、ちゃんと聞けるわよね? ……大丈夫、すぐに戻ってくるわ!」
「ま、待って! 行かないで――――!!」
アオイの悲痛な願いが叶えられることはなく、カナエは窓から外へと飛び出して姿を消してしまった。
一人取り残された少女は項垂れながらも、何とか力の入り始めた足で震えながらも立ち上がった。そして壁に手を付きながら、部屋の外へと一歩を進め始める。
「お兄、ちゃん……! 今っ、私が…………!」
少女は諦めていなかった。
諦めることが、できなかった。
「この死にぞこないがァァァァァアアアアアアアア!!!!」
「ぬぅぅぅぅぅぅううううううううう……!!!」
壁をぶち破りながら凶裏共々俺は外へと飛び出す。そしてその最中俺は一瞬だけ見ることができたあの部屋の中の光景を瞬間的に反芻する。
カナエと神崎アオイの無事は確認できた。どうやら間一髪で救出に成功したようだが……それ以外に死体を三人分確認した。恐らく神崎夫妻と、俺を診てくれたであろう医者のもの。
(畜生!! 間に合わなかった……!!)
俺は胸の中で肥大化し続ける無力感に歯噛みするしかない。だが今はそれよりも優先するべきことがある。
下弦の伍、凶裏。こいつを完全に逃す前に再び捉えることができたのだ。であるならば、すべきことは一つだけ。――――ここで仕留める。絶対に逃がしてはならない。奴の隠密能力と特異体質を鑑みて、一度逃してしまえば再発見は困難を極める。
人間社会のためにも、何より神崎善継という人間のためにも、必ずここで滅殺する。しなければならない――――!!
「死ねェェェェェエエエエエエエエエエ!!!!」
「!!」
凶裏が膨らんだ胸部を引き絞って口から高密度の風を吐き出そうとする。それを見た俺は即座に奴に刺している刀を捩じり横向きにし、横一文字に一閃しながら凶裏の身体を蹴って地面へ退避した。
大量の空気が圧縮された
「なっ、テメ――――」
強烈な炸裂音と共に凶裏の胸部が吹き飛んだ。衝撃により吹き飛んだ凶裏は地面へと高速で叩きつけられ二転三転と地面を跳ねる。
ほぼ同時に俺も地面へと着地。そしてそのまま凶裏を仕留めるべく真っすぐに駆けた。
「――――!? ―――――――――――――!!!!!」
肺を含む呼吸器官が完全に吹き飛んだことで声すら発せられなくなった凶裏は呻きながらも立ち上がり、俺の斬り込みを両腕を使って防ぐ。しかし前回とは異なり、風との摩擦による火花は発せられなかった。
(やはりそうか……!)
診療所から此処に来るまで凶裏との戦いに備えて前回の戦いを振り返っている最中、俺はどうにも引っかかりを感じていた。その違和感を頼りに記憶を掘り返していると、凶裏の攻撃に”ある共通点”を見つけたのだ。
それ即ち、吸気と排気。
凶裏は技を放つ前は必ず空気を大きく吸いこんでいた。そして吸い込んだ空気を使って技を繰り出していたのだ。何が言いたいのかと言えば――――奴は「周囲の空気を直接操る」なんてことは決してしてこなかった、という点だ。
風の血鬼術という事が判明した時点では、俺はてっきり周りの空気や自分の体内に取り込んだ空気を扱えるものだと思っていた。奴が旋風なんていう物も作ってくれたのだからその勘違いは中々払拭することはできなかった。だがよくよく思い出してみれば、それは腕の管から出した空気で作り出したものであったのだ。
それを鑑みて、俺はこう結論を出した。
(奴の血鬼術は『体内に取り込んだ空気”のみ”を扱う血鬼術』! それはつまり――――!!)
凶裏の血鬼術はとても強力だ。最大火力は上弦にも勝るとも劣らないと評することができるだろう。しかしそれを実現するために致命的な弱点を抱えてしまっている。
それは扱える空気は体内に吸いこんだ空気に限定されているという事。そして体内に空気を取り込むためには肺という器官が必要不可欠であること。
故に――――
(肺を破壊してしまえば、奴は殆どの術が使用不可能となって大きく弱体化する……!!)
証拠に今、奴の腕には風が無い。恐らく鎌鼬も撃てなくなっている。そうなれば凶裏に残った武器はそれなりに高い身体能力のみ。
そしてその身体能力というアドバンテージも、今の痣を出した俺にとっては殆ど無いに等しい。
この戦い、勝てる――――!!
「ぉ、ああああああ!!」
「! くっ……!?」
しかしそんな甘い考えはすぐに塗り替えられることとなる。
爆発によって木っ端みじんに吹き飛んだ筈の肺がもう再生したのか、凶裏は苦悶の声を上げながら腕に食いこんでいた刀を俺の身体ごと押しのけてしまう。その驚異的な回復力に俺は目を見開いた。
何故だ、再生速度が先程戦ったときと比べて倍以上の差がある。一体どんな仕掛けをしたというのだ。
(いや、そうか! 前に戦った奴は飢餓寸前の状態。今は少量ではあるが食事を済ませている。そして何より……片方の肺に力を集中して再生を速めたのか!)
凶裏の吹き飛んだ胸部からその中をよく覗いて見れば、肺らしき器官が片方だけ健常な状態で露出していた。もう片方は予想通り欠損してぽっかりと空間を空かせている。
前言撤回だ。弱点が判明したが、それでも一筋縄ではいかせてくれないらしい。
「テ、メェ……一体どういう事だ……? 前に戦ったときより強くなって……そうか! それが痣の力かッ! あの御方が危惧するわけだ……! だが――――倒せない程じゃあねェなァアアアアアアアア!!!!」
(来る――――!)
凶裏が腕を大きく横に払う。それに伴い特大の鎌鼬が三つ並列して飛翔し、周辺の建物の壁に爪痕を刻みながら俺へと襲い掛かってきた。同時にもう片方の手で何かを放り投げるような仕草を行ったことに俺は気がつく。
鎌鼬に対する回避行動をしつつ素早く視線だけを空の方へと移すと、小さな半透明の球体が大きく弧を描きながら俺の頭上へと落ちていき――――
「【血鬼術
凶裏の声が聞こえた瞬間俺は即座にその場から大きく跳び引いた。直後に球体が一斉に弾け――――俺の居た場所を含む球体の真下にあった空間が巨大な鉄球でも落とされたかのように球状に大きく凹んだ。
「なん……!?」
何だこの技は。どういう仕組みだ……!?
球体が弾けた瞬間地面が凹んだ。考えられる可能性としては、あの球体は高密度の空気玉で、一部を破裂させることで真下に撃ち出し、着弾した瞬間に爆発させる技……か? だとするなら今から正面からの攻撃でなく頭上からの攻撃にも注意しなければならないといけなくなる。
クソッ、鎌鼬だけでもかなり厳しいというのに次から次へと面倒な技を引き出して……!
「オラオラオラオラァッ! 避けねェと死んじまうぞォ!!」
「ッ…………!!」
業腹だが奴の言う通り放たれる一撃一撃が回避しなければ即死級の攻撃。おかげで俺は回避に専念せざるを得なかった。
痣による身体能力の恩恵で回避自体はそう難しくはなかったが、奴は先程の戦いで反省をしたのか俺を徹底的に近づけないようにしている。つまり時間稼ぎによるスタミナ勝負。疲れ知らずの鬼相手では圧倒的に
しかも俺はまだ傷が塞がっていない。出血も徐々に悪化してきており、このままだと競り負けるのは確実に俺の方になる。そうなる前に何とか打開策を捻り出さねば。
(鎌鼬と頭上からの攻撃で正面から近づくのは困難。回り込んだところで結果は同じ。障害物もあの攻撃力相手じゃ大して意味がない。どうする、どうやったら距離を詰められる。――――いや、待てよ)
相手に決定打を与えるためには日輪刀による攻撃が可能な距離まで近づく必要がある。だが今の状況ではそれはできない。だから何かしらの切っ掛けが必要になる。
あの攻撃力相手じゃ脆すぎる障害物を盾にはできない。鎌鼬を切り裂いて進んだところで身動きが制限される以上、上空からの攻撃に対処はできない。つまり自分から近づく方法では駄目だということ。
では、近づかずとも行える方法なら?
――――逆に考えるんだ。相手が遠距離攻撃をしてくるなら、此方もすればいい、と。
「ヒュゥゥゥゥゥゥゥウウウウウ……!!」
そう思い至った俺はすぐさま頭上からの攻撃が来る範囲外へと離脱。微かに確保できた時間を全てつぎ込み、俺は刀を逆手に持って肩に構え、限界まで腕を引き絞る。
更に呼吸の効力を刀を持つ右腕と地面を踏みしめる両脚に集中。柄がミシリと音を上げるほどに手を力を込めながら大きく振りかぶり――――
「オォォォォォオオオォォォオォォォオオオオオオ!!!!!」
投げた。
投擲された俺の刀は真っすぐ風を裂きながら弓矢の如く突き進む。凶裏が自身に向かって何かが飛んでくるのに気付いたがもう遅い。迎撃する前に刀は凶裏の胸へと深々と突き刺さり肺を貫通。もれなく破裂音とともにその胸部は吹き飛んだ。
俺は攻撃が停止した隙に凶裏へ強襲をかけるべく、飛び掛かりながら爆発によって弾き飛ばされた刀を宙で回収。そのまま凶裏の頸を断つべく幾多もの反復練習によって体に染みつかせた技を繰り出す。
「【一ノ型 水面切り】――――!!」
鋭い横薙ぎの一閃が凶裏の頸へと振るわれた。威力は十分、決まれば終わりだ。
「ッッ―――――――――!!!!」
しかし凶裏は諦めない。奴は両腕を横に並べて盾にすることでほんの僅かだが俺の攻撃が頸へ届くまでの時間を遅くした。そしてその僅かな時間を使って後退を試みることで、俺の刀は凶裏の頸を皮一枚残して切り裂くにとどまる。
即ち、仕留め損ねたということだ。手ごたえはあったが直感的にそれを理解した俺は素早く距離を取ろうと後ろへと跳躍し……そのすぐ後に目に入った光景に絶句した。
「が、ぉっぁああああぁあぁあああッッ!!!」
「なっ――――」
俺の予想ではこの次に起こるのは凶裏が激昂して俺への攻撃を再開するか、そうでなくとも幾分かの落ち着きを取り戻してまたもや互いに様子見の膠着状態になるかの二通りだった。だが奴はそのどちらの予想も裏切ってくれた。
凶裏は踵を返すや否や――――俺に背中を向けて遁走した。
「待っ――――貴様ァァァァ! 逃げるなァァァァァッ!!!」
「ご、れ以、上――――テメェに付き合う義理もねェ! 俺はもうお暇させて貰ァ!! 刀を振りたきゃ一人でブンブンやってろ餓鬼が!!」
こいつ、俺に勝てない、もしくは勝てるかもしれないが時間も手間もかかり過ぎて割に合わないとでも思ったのか、恥も外聞も知ったことかと逃げることを選択したのか。
ふざけるな、此処まで来て逃がして堪るものか。俺はすぐに追いかけようと足に力を入れた。
――――瞬間、身体から激痛が湧き上がる。
「っ、が――――」
最悪だ。よりにもよってこんな時に打ち込んだ麻酔の効果が切れた。何故こんな時に、せめて後数分持たなかったのか。
クソッ、動け。動けよ俺の身体。ここで逃したら神崎夫妻や医者たちの犠牲は何だったんだ。犬死か? ふざけるな動け動け動け動け――――ッ!!!!
「ハハハハッ! やっとだ! やっと俺は自由にィィィッ――――!!!」
「全集中・花の呼吸」
善継という枷から解き放たれた開放感、抑圧された反動で高ぶっていたのだろう。凶裏は大いに喜びながら駆けた。最早自分を止められる者などいない、これからは人間を好き放題貪り食うことができる。そんな未来への期待に満ちていたせいか、彼の視野は非常に狭まっていた。
それこそ自分のすぐ背後に飛び降りてきた少女の存在に気付くのが遅れるほどに。
「【陸ノ型 渦桃】」
「は、ぎょ――――っ!?」
凶裏の前に取り降りた少女――――カナエは宙で身を捩りながら渦を巻くような軌道の斬撃を放った。残念ながら凶裏が寸前で回避行動を行ったせいでそれが頸に当たることは無かったが、代わりに彼女の刃は凶裏の背を深く抉った。
それは今まさに逃げようとしていた凶裏の激情を再燃させるには十分な燃料であり、
「こ、の……
女子に斬りつけられたのが余程癪に障ったのか、逃げようとしていた事など嘘のように激怒しながら反撃するために息を吸いながら振り返る凶裏。そしてカナエは今、技を放った後であるが故に硬直してしまっている。このままでは彼女は確実に凶裏の餌食になってしまうだろう。
だがカナエは絶望などしていない。むしろ笑みさえ浮かべている。きっと信じているのだろう、自身の相方が駆けつけてくれることを。
忘れていないだろうか。――――ここにはもう一人鬼狩りがいることに。
「がぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああッ!!!!」
身体の痛みなど知ったことか。身体の傷など後で休めば治る。今は戦う時だ、そう身体に鼓舞して無理矢理立ち直らせた俺は今出せる全速力で疾駆する。
これで、終わらせる。
「【血鬼術】ゥッ――――!!!!」
「【捌ノ型】ァッ――――!!!!」
周囲の空気が凶裏の口へと吸いこまれていき、
柄を両手で握りしめられた刀が大上段に構えられ、
「【
「【滝壷】ォォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
衝突。
高圧縮された風の光線が全てを貫かんと撃ち放たれ、藍の刃が鬼の頸を断たんと振り下ろされた。
ぶつかり合う最大最強の一撃。大気が暴れ狂い、逸れた風が建物を切り裂き、両者の踏みしめた地面が砕けて沈む。一歩でも引いたらその瞬間その者は敗者となる鬩ぎ合い。不利なのはやはり――――俺の方か。
「くっ、ぉぉぉぉおおぉぉぉおぉおぉおおおおおッ!!!」
風に押されて体が仰け反ってゆく。全身がズタボロで瘡蓋で辛うじて塞がっていた傷も力んだことで出血を再開させている。痣のおかげで肉体の疲労をある程度無視できると言っても、それは知らない振りをしているだけだ。実際にはダメージは着実に重なり続けている。
そしてそれは無制限では無い。必ずある一線で弾け飛ぶ。そうなればもう立ち上がることはできなくなる。
あとどれくらいでその一線を踏み越えるのかはわからないが、そう遠くないのは確実。その前に決着を付けねばならない。
だが足りない。万全の状態なら押しきれただろうが、今の俺では拮抗するのが精一杯。
せめて、あと一押し――――!
「―――――【肆ノ型 紅花衣】!!」
求めていたソレは、直ぐ近くにあった。
カナエの渾身の一振りが俺の刀の峰に打ち込まれた。それは今この場に足りない一欠片を埋めるように、綺麗に収まっていく。
その光景に思わず、俺は不敵な笑みを浮かべた。
「このまま押すぞっ、カナエ!!」
「ええ!!」
一人では足りない。なら二人ならどうなるか。
答えは、今から見せよう。
「「はぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああっ――――!!!」」
風の光線と交差された二振りの刀がせめぎ合う。すると――――何故か俺たちの刀が赤色に変色し始めた。
俺はこの現象に見覚え、いや前知識があった。だがどうして今変化したのかまではわからない。わからないが……敵を倒すことに役立つのならばなんだっていい。今はただ、刃を届かせる。
赤く染まった刃が風を切り裂きながら進む。一歩大きく踏み出して、刀を大きく引き絞り――――ついに、突破した。
邪魔な風を押しのけるようにバツの字に振るわれた刀は凶裏の両肩に食いこみ、それぞれ左右の脇腹から抜けた。その結果凶裏の胴体は四分割の状態となる。
数秒間を置いてずるりと、重力に逆らえず落ちる三つの肉塊。残った下半身の部分もその後に続く様に前のめりに倒れた。
「……………………は?」
状況が理解できないのだろう。凶裏は茫然とした顔で、仰向けの状態のまま分割されたそれぞれの肉体を見つめる。更に不思議な事に、凶裏の傷からは再生の兆しが見えない。いや、遅々とした動きではあったものの再生はしている。
ただその速度は下弦どころか雑魚鬼にすら劣るほど、遅々たるものであったが。
「な、んで……なんでっ、傷が治らねェ!? ふざけんなッ、まだ余力は残ってる筈だろうがッ!! クソッ、クソクソクソク――――お、ごぁッ!!?」
俺はゆっくりと息を整えてから、無様に喚く凶裏の顔を全力で踏みつけて黙らせた。奴の言葉を、これ以上聞きたくはないし、義理も価値もない。
「終わりだ、凶裏」
「ご、ォ、が――――」
「地獄で善継と、お前が殺してきた人達に詫びるといい」
色が元に戻ってしまった刀、しかし今足蹴にしている鬼の頸を断つには十分なそれを振り上げる。刃を降ろす先は当然頸。
善継のためにも、今まで犠牲になった人達のためにも……何よりこいつは、推定ではあるが他の十二鬼月よりも遥かに小食を強いられていただろうにも関わらず下弦の伍にまで上り詰めるほど高い素養を持つ鬼。
確実に此処で断たねばならない。これ以上、こいつが力を付ける前に。
息を吸って、吐く。――――そして、振り下ろした。
「――――やめてぇぇぇぇぇぇぇええええっ!!」
「!?」
「ア……アオイちゃん!?」
予想外の声に思わず刀が凶裏の頸の皮を一枚切り裂いた瞬間にピタリと止まった。顔を上げて声がした方を向けば、息を荒げて俺たちを見つめる幼い少女、神崎アオイの姿があった。
彼女はふらふらとした足取りで俺たちの傍に来るや否や、倒れ込むように伏す。……これはまさか……土下座?
「おねがいっ、しますっ! おにいちゃんをころさないでくださいっ……!」
よっぽど苦しいのか、アオイが発した言葉は舌足らずなものだった。しかしその声に籠められた悲痛は嫌というほど伝わってくる。
気持ちは、理解できる。両親が亡くなった今、彼女にとっては今俺が踏みつけている鬼だけが唯一残された家族だからだ。それすら失ったら、自分はこれから一体何を拠り所にすればいい。そう、思っているはずだ。
例えその両親を殺したのが、その
「おねがいしますっ! なんでもしますから! なんだってやりますから! だからっ、だからっ……!」
「――――駄目だ」
「っ……!!」
それでも俺は彼女の願いをばっさりと切り捨てた。
唯一残った家族を守りたい気持ちは痛いほど理解できる。だが駄目なのだ。彼女の兄は人格こそ違うが、その正体は鬼。人を食う事でしか生きられない存在。見逃せばまた罪のない人々が人食いの恐怖に包まれる。
「どうして!? 元に戻す方法があるかもしれないのにっ!!」
「あったとしても、
「そ、それ……は……」
それに助けられる、人に戻す方法があったとしてももう遅い。凶裏は……善継は恐らく三桁前後の人間を捕食している。その時の記憶が残っているかどうかはわからないが、どっちだろうと一線を越えた以上、今更人間に戻ることなど許されるはずがない。
人を食ってしまったのならば、報いは受けねばならないのだ。
「アオイちゃん……もう、お兄さんを楽にしてあげましょう? 彼も、人を食べ続けながら生き長らえることは望んでいないわ。それは貴方が一番理解出来るはずよ……?」
「う、ぐっ、えぐっ……ふえっ、うぇぇえぇえぇぇぇぇえぇえぇぇぇえええん!」
「………………すまな――――」
心の底ではわかっていたのだろう。兄を苦しみから解き放つ方法はこれしかないのだと。だとしても、生きていてもらいたいと思ってしまう。家族が家族に生きてもらいたいと思うことの何処かおかしいだろうか。
……何もおかしくなんてない。悪いのは全ての元凶である、鬼舞辻無惨で――――
「――――下らん茶番だな」
通りの向こうから鋭い足音がする。同時に肌から感じる、今までで遭ってきた鬼どころか、下弦の伍である凶裏とすら比較することが烏滸がましい程の禍々しき重圧。
その様な尋常では無い気配に思わず俺は冷や汗を滲ませながらその存在がいるだろう方角へと振り向いた。
耳を擽る甘美で、しかして吐き気を催すほど不気味な声音。異様で不自然なまでに整えられた美顔。夜空の月の輝きに照らされ赫々とした輝きを放つ眼。独特な柄が刻まれた黒色の着物。
「なん、で――――」
何故……お前がここに居る。何故、何故何故何故今――――ッ!?
「退け、小僧」
奇跡だった。
生存本能がただ生きるために肉体を突き動かした。限界を越えた速度で俺の身体は刀を盾のように構えながら後ろへと跳び、視認することすらできない超速の攻撃を凌ぐことができた。
致死の攻撃が重傷程度に抑えられたのだ。大金星といって差し支えないだろう。
代償として俺の身体は爆ぜる様にして吹き飛び、放物線を描きながら近くにあった建物の屋根へと落下した。
そこから俺の意識は、ほんの少しの間途切れることとなる。
その男の姿を見た瞬間、凶裏は頭が真っ白になった。
数秒後に頭を埋め尽くしたのは「何故”彼”がここにいる」という疑問と焦燥。思わずその場で泣き叫びたくなる衝動に駆られたが、凶裏は一瞬でこの場に置ける今の自分ができる最適解を実行する。
彼は上半身だけの状態で芋虫の様に蠢き、何とか”彼”の目の前で地面に頭を擦りつける態勢を取った。だが安心など全くできやしない。この程度で”彼”が機嫌を直すわけがないことを凶裏は理解しているからだ。
(まずい、まずいまずいまずい――――! 十二鬼月である俺がこんな醜態を、よりにもよって”この御方”の前で晒すなど――――ッ!!)
「何がまずい? 言ってみろ」
「ッ――――違うのです! こっ、これは何かの間違いで……ぶぎゃっ!!」
地面に擦りつけていた頭が凄まじい力で地面に抑えつけられた。抵抗はしない。そんな事をすれば自分は一秒後には細胞一つ残されずにあの世行きだ。故に抵抗せずただただ成すがまま、凶裏は心の中で謝罪と忠誠心を精一杯ひり出し続ける。
「何が違う? 柱でもない小僧と小娘二人に、よもやこんな無様を晒しているとは。……どうやら貴様は、私が考えていたよりもはるかに矮小な存在だったらしい。期待していた太陽への耐性も未だ何ら変化はなく、その場で足踏みするだけ……私が血を与え鬼にしてからこの八年間、貴様は一体何をしていたのだ?」
「ご、びゅっ、ぎ」
「……だが私は寛大だ。一度だけ、貴様の言い分を聞いてやろう。貴様の処遇はそれから決める」
もし彼の本質をよく知る者であれば驚愕の眼差しを向けていただろう。まさか”彼”が相手の言い分を聞こうとするなどと、と。
だが裏返せば、”彼”はそれほどまでに期待しているのだ。凶裏の……不完全ながらも太陽を克服できる可能性を持った鬼に。上手く行けば、自身が千年間抱いてきた悲願を叶えることが出来るかもしれないのだから。
故に”彼”は今すぐ目の前の取るに足らない不快な塵を殺してやりたいという衝動を抑えながら、刃物のような鋭利な目線で睨み続けつつも頭を抑えつけていた足を離した。凶裏もゴクリと血の混じった唾を飲み込みながら、嘘偽りなく今の自分が思っている事を口にする。
「ヤツがッ、善継とかいうクソみたいな人格さえ無ければッ!! 俺はもっと上の座に居られたはずです! 俺は貴方様に血を投与されてから八年間人間を食い続けましたが、その数は百にも満たない! にも拘わらず俺は下弦の伍にまで上り詰められたッ!! あの人格が俺を抑え込んでいなければ、俺はこの十倍は食えたはず! 今頃上弦になっていてもおかしくはない!!」
「――――ほう?」
上弦。百年以上顔ぶれの変わらぬ、鬼舞辻の保有する最高戦力の六人……否、七人か。凶裏は善継の存在さえ無ければ自分はその上弦になれていたと豪語した。
当然、普段の”彼”なら下らない言い訳だと、妄言の類だと切り捨てていただろう。だが知っている。凶裏は本当に百人以下の人数しか人間を食べていないし(その中に稀血が数人ほど混じっているとはいえ)、その程度の量でここまで上り詰めている実績が確かにある。
その言い分は筋が通ると、珍しくも”彼”は納得した。
「俺には才能がある! 最強の十二鬼月になれる才能がッ!! 日光への耐性だって、善継を抑え込めた今の俺ならば大量の人間を食う事で変化を起こせる筈! だからお願いします……!! 今一度機会を……ッ!! 私に一度だけ機会を御与えください!!」
「……………………」
その懇願に”彼”は無言で凶裏を数秒間見つめた。その数秒間だけでも凶裏にとっては何時間にも感じるほどに引き伸ばされて感じ、身体中から嫌な汗が濁流の様に流れ出す。
そして一瞬だけ風が止んで無音となり――――凶裏は後頭部に何かが突き刺さるような衝撃を感じた。
「がッ――――」
「いいだろう。私を前にしても尚『上弦にもなれる』という貴様の大言壮語、気に入った。事実、貴様の才覚は私も知っている。――――であれば、私も一度だけお前に慈悲を示そう」
「ご、ぉ、ひぎっ、ひ」
「機会を与えるついでに餞別も送ってやろう。私の血をふんだんに分けてやる。精々、上手く適応するといい」
頭の中に直接送り込まれた劇薬に、凶裏は全身の血管を表皮に浮かせながら悶え始めた。そんな凶裏を尻目に、黒衣の男は踵を返して自身の来た道をなぞる様に帰路につく。
その一部始終を、義勇が吹き飛ばされてしまった際の衝撃でアオイ共々道の隅に追いやられてしまったカナエは声を押し殺しながら見ていることしかできなかった。だが仕方がないことなのだ。相手は下弦や上弦なんてものではない。
”彼”は言っていた、自分が血を与え善継を鬼に変えたと。
凶裏は言っていた、「貴方様」という鬼に似合わぬ、しかし一人だけそう呼ぶに相応しい言葉を。
即ち、彼こそ鬼の始祖。
鬼によるあらゆる凶事の元凶にして権化。
(鬼舞辻、無惨、なの)
鬼殺隊が血眼になって探し求める鬼の首魁。その姿を直視してしまったカナエは絶句するしかない。
あれを、倒せというのか? あんな化け物を、柱ですら可愛く見えるほどの禍々しい生命力に満ち溢れた怪物を。そう考えてしまう自分の不甲斐なさに唇を噛みながら、カナエは腕の中で口を両手で抑えながら震えて涙するアオイをギュッと抱きしめる。
このまま夜が明ければどれだけ幸せだったことか。――――残念ながら、鬼の夜は未だ終わりを告げてはいなかった。
「お、お、お」
全身が痙攣し、両目がグルグルと滅茶苦茶に動かして、血を吐きながらのたうち回る凶裏。数秒しないうちに彼の肉体には異変が起きた。
再生の鈍かった部位が一瞬で修復されたかと思いきや、続いて爆発するように凶裏の背中の肉が盛り上がった。尋常では無い速度で背中から生えた肉塊が増殖を始め、たった数回瞬きする間にそれは人間どころか小さな小屋ほどの大きさまで膨れ上がってしまう。
更に肉塊の中から白く長い、昆虫の脚のような形の骨が六本ほど体内を食い破るように現出。それらが地面を踏みしめると巨大肉腫は軽々と地面から浮いてしまう。
変化は止まらない。今度は肉塊の中から全方位に向かって幾つもの管と先端に鋭い槍状の骨が付いた背骨のような見た目の触手が八本ずつ突き出た。
最後は肉塊の下部表面に骨でできた風車の様な器官が浮き出て、変化は終わる。――――肉塊の変化は。
「ぁ、お、ぇ、へぎっ、ぃ、ひゅぃぃぃいいぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいッ!!!!!」
突如奇声を上げる肉塊の横部に下半身を丸々埋めてしまった凶裏。何度も電流を流されたように跳ねた彼は、やがてぐったりと脱力して肉塊にぶら下がりそのまま動かなくなってしまった。
同時に、肉塊の上部中央に割れ目が出現。間もなくその割れ目から生皮を剥がされた、筋線維剥き出しの人の腕のようなものが二本付き出された。
『――――クヒッ』
嘲笑。それが、ヤツの産声だ。
突き出された腕が割れ目を広げる。そうして中から現れたのは、皮の無い、縦に割れた三つ目を持つ人型。
新生した怪物は高らかに叫ぶ。今、自身は真の意味でこの世界に産まれたと。
荒ぶる嵐の暴君が、産み落とされた。
《血鬼術》
【
高圧縮した空気の小玉を上空に投擲。宙に浮いた空気玉は指定した対象をゆっくりと追尾し、直上に達した瞬間に空気の一部を炸裂。地面へと落下し圧縮した空気を解放・爆発する。
威力に対して燃費が非常に良く、これを使うだけで相手は上空にも注意を向けなければならないため非常に優秀な技。ただし、誘導精度はそこまで高くはないため動き続けていれば回避は容易。
【
【滅光】の前身バージョン。高圧縮した空気をウォーターカッターの如く細い線状に放出する技。貫通力・切断力に特化しているため面制圧には向かないものの、一点に対する破壊力は絶大。
Q.冨岡(憑)「中ボスにトドメを刺そうとしたらなんかラスボスに邪魔された上に中ボスを全回復・強化されて第二形態戦に突入したんですけど調整ミスですかね?」
A.仕様です。
冨岡(憑)「クソが」
もしかしてアオイちゃんやらかした? と思っている方もいらっしゃるかもしれません。が、もし手を止めていなかったら出るタイミングを図るために後方でスタンバっていた無惨様が現状太陽克服のための唯一の手掛かりを手の前で踏み潰されたことにブチギレて激おこ触手ブンブンしながら義勇さんたちを絶殺しに来ることになったので、むしろ渾身のファインプレーだったりする。
どのみち京橋區の被害が拡大することは確定していた模様。