水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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今回の更新は此処までです。次話はエピローグとなるので溜めずにでき次第投稿する予定です。



第参拾肆話 あの空で吹く風のように

 生暖かい、泥の底に沈んでいるような感覚だった。

 

 口を開けても掠れ声すら出せず、手足に至っては指一本すらピクリとも動かない。けれど不思議な事は、その事実を認識していながら俺自身が何の抵抗もしようとしてないことだった。

 

 もう何もかもが、暗い光のように感じる。

 

 頑張って生きてきたつもりだった。いつか報われることを信じて、そうでなくとも、自分では無く親兄弟が少しでも幸せになってくれることを願いながら、日々善き人であることを心がけながら生きてきた筈だったのだ。

 

 しかしそれは、たった一歩道を外れた瞬間に全てが瓦解した。

 

 一度だけ、俺は自分の中に眠っていた感情を全て爆発させた。抑え込んでいたソレは瞬く間に燃え広がり、自分でも制御不可能なほど肥大化していった。その結果、生まれて初めて殺意というものを抱き、あの得体のしれない男へと襲い掛かってしまった。

 

 男は鬼だった。それも、同族を増やせる能力を持つ鬼。もしここで出会ったのがただの手駒であれば、俺は真冬の中で苦し身悶えながら食い殺されて終わっていただろう。

 

 むしろ、そちらの方が、余程幸せだったのかもしれない。鬼の始祖と不運にも邂逅してしまった結果、俺は親の死骸を貪り、弟妹達を生きたまま食らい、虚ろに彷徨い果てた末に見つけたもう一つの家族を、自分の手で壊してしまう羽目になったのだから。

 

 全部、俺の不手際が招いた結果だ。踏み間違えた最初の一歩も、何より――――凶裏という、自身の悪性を集め固めた二つ目の人格を形成してしまったのだから。

 

 俺は逃げてしまったのだ。弟妹達を食い殺した事実に耐え切れず、逃避した。目を逸らした。「自分のせいでは無い」「きっと自分の中で悪いものが巣食っている」と、荒唐無稽な妄想に囚われ、哀れにもその妄想を現実の者としてしまった。全くもって、救いようのない阿呆だとしか言いようがない。

 

(――――ははっ)

 

 心の中で俺は自嘲する。

 

 結局俺は、何の役にも立てなかった。母親を死なせ、弟妹達を殺し、己を拾ってくれた恩人たちを手にかけた。何なのだ、これは? 俺は、俺は、

 

(……俺は一体、何のために生まれてきたんだよ……!!!)

 

 ただ、周りに人に笑顔になって欲しかっただけなのに、全てが裏目に出る。これが運命というものならば、俺はそれを定めた神仏を憎む。

 

 ……いや、違う。そんな超常的な存在に責任を押し付けるなんてそれこそ”逃げ”だ。いい加減認めろ、■■善継。全てはお前()のせいなのだと。お前が間違えたせいで、これらの悲劇が起こったのだと。

 

(…………俺は、これから何をすべきだ?)

 

 表出する意識の主導権は既に凶裏に握られている。彼の許可がなければ永劫表に出ることは出来ないだろうし、奴が許可することは永遠にないだろう。

 

 だからと言って諦めるのか? いいや、まだだ。探し続けろ。今の自分でもできることが何かあるはずだ。何か――――

 

「――――あ」

 

 ふっ、と突然身体に纏わりついた感覚が軽くなったような気がした。同時に、頭の中にかなり色褪せてはいるものの――――未だに残存している自身の肉体が見聞きしている光景が映り込む。

 

 急に一体どうして。……まさか、凶裏の力が弱まった? いや、そんな事より気にすべきことがある。

 

 戦っている。黒い服を着た者達が必死の形相で、凶裏の猛攻を耐えながら攻撃を続けていた。だがその攻撃が届いても、凶裏の命を断つことができていない。当然だ、奴の命を繋いでいるものは”一つ”ではないのだから。

 

 そしてその向こうに、気絶して眠ってしまっている”あの子”が見えた。

 

 神崎アオイ。生まれてからずっと、兄として世話を焼いてきた愛おしい妹。……例え血が繋がっていなかろうと、俺に取って唯一生き残ってくれた、大切な家族。

 

 その父母を手に掛けてしまった俺が今更そんなことを宣える身だとは思わない。それでも、だとしても――――せめて、兄として最期にできることをしなくては。あの子を助けなくては――――!!

 

 彼らは気づいていない。ならば、一刻も早く自分が伝えるしかない。彼らの体力が尽きる前に――――!!

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 地面と家屋が絶え間なく破壊されていく。空から落とされる空気の爆弾が、砲より放たれる風の砲弾が、休むことなく動き続ける骨の触手の斬撃が辺りを滅茶苦茶に破壊していく。

 

『フヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!!』

「くぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ……!!」

 

 刃の長さが三分の一しか残っていない刀を振り、辛うじて攻撃の群れを防御しながら俺は状況の精細な分析を試みる。

 

 凶裏は頸を二度断たれたが死ななかった。それ即ち斬首への耐性を獲得したという事に他ならない。馬鹿な、あり得ない、そんな言葉で否定できるのならばどれほど良いか。最悪の事態だが、それでも何とかして事態を打破する選択肢しか俺たちには残されていなかった。

 

 鬼の斬首耐性には複数の種類がある。一つ目は鬼自身が頸を斬っても死なない領域にまで達した。二つ目は特殊な条件を満たさない限り”頸を斬られた”という判定が下されなくなった。三つ目は、単純に斬った存在が本体ではなく(ダミー)の類だった。大まかにはこの三種類に分類できるだろう。

 

 最も厄介なのは一番目だ。純粋に耐性を獲得されたのならば、もう朝日が出るまで粘るしかできない。そしてそんなことができるほど俺たちの体力は持たないだろうし、何より凶裏の性格上朝日が出る前までに決着がつかなければ速攻で逃げだすに違いない。

 

 その次に厄介なのが条件を満たさなければ死なないというものだが、此方はそもそもどんな条件なのかを探らなければならないため非常に面倒だ。完全に一から手探りになる以上どうしても時間がかかる。

 

 一番マシなのが最後の、あの人型がそもそも囮の類だったというものだが、正直望みは薄い。凶裏の反応から分析するに、アイツは悲鳴嶼さんの鉄球に潰された際に本当に死んだと思ったのだろう。その証拠に、身体が粉砕された際に肉塊から力が抜けている。恐らく死んだと錯覚したためだ。

 

 だが生きているとわかった瞬間、奴は状況を利用して死んだふりをして俺たちを欺き、ギリギリまで潜伏してから俺たちが一番油断した瞬間を突いて攻撃を叩き込んできた。悔しいがその効果は絶大だった。おかげで俺たちは貴重かつ最大戦力である柱二人の内片方が大幅に弱体化してしまったのだから。

 

 ……話を戻そう。ともかく奴は自分が死んだと勘違いした。つまりその瞬間まで自分に耐性があることを知らなかったのだ。あの人型が囮ならばそもそもそんな反応を見せないはず。

 

 そこまで計算づくだったとしたならば、もうお手上げだが。

 

 

「――――オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 

 俺を熟考から覚ますように轟く咆哮。屋根を駆ける悲鳴嶼さんは鉄球を大きくぶん回しながら遠心力を込めて投擲。豪速の質量弾が凶裏へ飛翔し、その右半身を粉々に打ち砕く。

 

『無駄無駄無駄無駄無駄ァ!!』

 

 しかしその攻撃は凶裏の動きを数秒止めた程度の効果しか発揮せず、反撃として肉塊の砲門から放たれる空気弾の連射が悲鳴嶼さんを襲う。

 

「ぐうっ―――――!!」

 

 先程まではあっさりと回避できていた筈の悲鳴嶼さんの動きが酷く鈍い。当り前だ、今の彼は右耳の鼓膜が破裂し、聴覚が半減しているのだから。

 

 普通の人間ならば、多少影響は受けてもここまで酷くはならなかっただろう。しかし忘れていないだろうか。彼は生来の『盲目』だ。視覚が無くなったことで異常発達した聴覚によるエコーローケーションで周囲の構造を把握している彼にとって、聴覚の異常は耳だけでなく目も同時に奪われたに等しい。

 

 辛うじて残った左耳で食いついてはいるが、それでも完全回避・迎撃できていた空気弾の連射を凌ぎ切ることができず、何発かが体に撃ち込まれてしまう。

 

 そして動きが止まった瞬間――――頭上から空気の塊が落ちてきた。悲鳴嶼さんはそれを反射的に回避するが、余波の衝撃で屋根の上から地表へと叩き落とされてしまう。

 

「悲鳴嶼さん!!」

「ぐ、っ……! カナエ! 今すぐ少女を連れて逃げろ!! 我々が引きつけている間に!!」

「っ…………はい!」

 

 戦いに参加するには余りにも力不足なカナエ自身もそうだが、無力な普通の少女であるアオイがここに居ては俺たちが戦いに専念できない。驚愕のあまり硬直していた彼女に発破をかけて急いで退避するように言うが……遅すぎた。

 

『逃がすかよォォォォオオオオオオッ!!』

 

 肉塊に取りつけられた吸気機構が更に高速で回転し出す。莫大な量の空気が凶裏の肉塊へと吸い込まれていき、やがて肉塊の隙間から仄かな燐光が見え始める。

 

 その現象に俺は見覚えがあった。まずい、アレは駄目だ――――!!

 

「真白さん!! あの肉塊をぶち抜けぇぇえええええッ!!」

「はぁぁぁぁぁあああああっ――――!!」

 

 攻撃が行われる前に対処せんと俺は必至の思いで触手の乱打に対抗している真っ最中の真白さんに叫んだ。

 

 俺の声を聞き届けた彼女は一度刀を鞘に納めた直後、神速の抜刀を以て襲い掛かってくる触手を軒並み両断。畳みかけるように地面を踏み込んで一直線に駆け、肉塊に向かって最速の突きを繰り出した。

 

 よし、これで……!!

 

『オォォォォオォォォオオォォオォォオオオオオオオオオ――――!!』

(しまっ――――)

 

 なぜだ。あの肉塊は空気タンクなのではないのか……!?

 

 真白さんの刀は半ばまで深々と刺さっている。なのに何も変化がない、ということは、それだけ装甲が厚いということなのか。だとすれば変化前に通用した空気を溜める器官を破壊することでの弱体化はもう不可能。

 

 まずい、このままだとあの光が発射される。――――だが、カナエにだけは当たらせるものか……!!

 

「っらぁぁあぁああぁあああああああああああああ!!!」

 

 俺は地面に突き刺さっていた折れた刀の腹を指で摘み取り、折れた個所である底面を思いっきり蹴りつけた。殆ど反射的に行った行為だがその狙いは驚くほど正確であり、風を裂きながら飛ぶ刀身が凶裏の顎から脳天まで突き抜けて口を縫い付けてしまう。

 

『ぉ、ぶ、お―――――』

 

 口が開けなくなったせいで小さく呻いてしまう凶裏。これで口から光を放つ事はできなくなった。ならばこのまま爆ぜるしかなくなる筈。

 

 ――――だが、奴はそれでも止まらなかった。

 

 凶裏は口を塞がれるや否や、健在であった左腕を骨と肉の砲に素早く変化させた。その狙いは当然背中を向けて逃亡中のカナエ。肘からつながった管により莫大なエネルギーを供給された砲門が今、光の剣を吐き出さんとする。

 

「させん――――ッ!!」

 

 それを寸前で妨害したのはギリギリのところで復帰してきた悲鳴嶼さんだった。彼は凶裏の腕目がけて手斧をブン投げ、半ばから粉砕することで照準を大きく狂わせることに成功する。だが、発射そのものを防ぐことは叶わなかった。

 

 

【血鬼術 天響吹刃・滅光 針鼠(はりねずみ)

 

 

 折れた砲身の口からだけでなく、肉塊の全方位に取り付けられた八門の砲からも一斉に青白い光の線が放たれる。摂氏数万度にも上る超高温の光は四方八方へと撃ち出される。だが照準が甘かったのか、その全ては俺たちではなく付近の建物を貫いていくだけだった。

 

 しかし凶裏は光線を吐き出している腕を振るい、自分に攻撃を仕掛けてきた悲鳴嶼さんを仕留めるべく動いた。その行動によって灼熱の熱光線は街を横断するよう一閃。

 

 光が無数の建物に赤い線を深々と刻み、爆発させながら彼を両断せんと迫る。

 

「悲鳴嶼さん! 避けろォォォォォ!!」

「ぬぅぅぅっ……!!!」

 

 身体に光線が触れるスレスレで、悲鳴嶼さんは身を限界まで捩ることで紙一重で回避することに成功した。だが、代償として投げつけた手斧と鉄球を繋ぐ鎖が半ばから溶断されてしまった。

 

 繋がりを失った手斧は何回転もしながら俺のすぐ真横へと突き刺さる。……あの一歩横にいたら危うく真っ二つになる所だった。

 

「――――きゃあっ!?」

「カナエ!!」

 

 振り返れば――――そこには思わず唇を噛み潰したい壮絶な攻撃が広がっていた。

 

 凶裏の放った光線によって焼き切られ、貫かれた建物たちが次々に爆発を起こし、大通りへと倒れ込んだりして道を塞いでしまっていた。更に近隣の建物にも炎が燃え移っていくせいで、最悪な事に炎は俺たちを閉じ込める結界のようになってしまっている。

 

 幸いなのは倒れる建物にカナエらが巻き込まれなかったことと、ここら一帯の民間人は隠たちによって避難済みなため犠牲者は最小限だろうということだ。もし避難が遅れていたら、今ので何百人が死ぬことになったのか。

 

「カナエ! そこで伏せていろ! お前に向かう攻撃は俺が対処する!」

「っ……わかったわ!!」

 

 隠れる場所も逃げ道もない以上、正面から凌ぎ切る他ない。奴の頸を獲ることは柱二人に任せて、俺はカナエとアオイの防衛に専念する。

 

 だが、今の俺の状態でそれがどれだけ維持できるのか。いや、弱腰になるな。皆で生き残るにはやるしかないんだ。

 

『アハハハハハハハハハハハハハッ!! 愉快愉快ッ、最ッ高の光景だぜェ! これで住民共の悲鳴がありゃあ完璧だったんだけどなァ!! ……さァて、しぶとい虫潰しにもう一踏ん張りし――――し、て――――が、ぃ……ご、ぉおおおぉ?』

「「「「!?」」」」

 

 再生が完了した右腕で顎に突き刺さっていた刀身を抜いて放り捨て、耳障りな嗤い声を喚き散らす凶裏。こちらを何の遠慮も無く見下すその態度に歯噛みするほどの悔しさが溢れていくが……突如、その様子に異変が生じた。

 

 突然ヤツの身体全体が痙攣し始め、三つの眼も明後日の方向へとグルグル回り出す。今度は一体何だというのか。その様は隙だらけではあったが、あまりの異様さに柱たちは手を出すことができず、代わりに何があっても俺たちを守れるように再びこちらの近辺に集る。

 

 よくわからないが攻撃のチャンスか――――? 俺がそう思い始めた瞬間、今まで全く動く様子のなかった部位……凶裏と同じく、しかし奴と違って肉塊の正面に向かって垂直に身体を埋めて垂れ下がっていただけだった善継の肉体の指がピクリと動く。

 

 そして電流を流されたようにその体を跳ね起こすと、必死の形相を張りつけた彼は口を開いた。

 

「こ、いつを、仕留めるっ、にはぁっ……!! 頸を、”二つ”……断つ必要が、ある!!!」

「な……まさか、貴方は……!?」

「ヤツだけでは、死なないっ……!! ()()()()()()()()()ェッ!! それが凶裏のっ――――俺を殺す方法だっ……!!」

『善、継ッ……てんめェェェェエエエエ!!!!!』

 

 可笑しな挙動を繰り返していた凶裏はなんとか調子を取り戻したようだが、もう遅かった。奴は最も秘匿すべき情報を暴露され、その怒りのままに触手を操って善継の肉体を二度三度深々と貫いて当り散らした。

 

「ぐああぁぁぁああぁああぁぁぁぁあああああッ!!!」

『引っ込んでろ家族殺しの糞野郎がァッ!! テメェの居場所なんてこの体の何処にもねェんだからよォ!!!』

 

 肉体を傷つけられて弱っていく彼の全身を血管の様な模様が這いずっていく。その不気味な模様が頭まで到達した瞬間、善継の肉体は再度糸が切れたように肉塊に力なく垂れ下がった。

 

 あまりの突然かつ予想外の出来事に皆が揃ってあんぐりと口を開けながら固まってしまったが、凶裏の顔から先程の余裕が無くなったことで俺は直感的に察する。

 

 彼の……善継の言葉は事実であり、そして彼もまた戦っていたという事を。

 

「真白さん悲鳴嶼さん! 彼の言葉は本当だ! 信じる価値がある!!」

「……確かに筋は通ってる。だけど……」

「冨岡……ヤツの罠だという可能性は? 我々の時間と体力を浪費させようとしているだけかもしれんだろう」

 

 事情を知らないため柱たちは怪訝な顔をしている。無理もない。二人にとって目の前に居るのは少々特殊なだけのただの鬼。そんな鬼から情報を提供された所でそのまま鵜呑みにできるはずもない。

 

「だったら彼の言葉じゃなく……俺の言葉を信じてください」

「「……………」」

 

 詭弁だとも屁理屈だとも思う。しかしこれが俺が今ひねり出せる唯一の説得だった。

 

 二人がその心の中で何を考えたのかはその表情から読み取ることはできなかった。――――だが二人は無言で己の得物を握り直し、俺たちに背を向けて再び凶裏の巨体と対峙する。

 

「下の人型と上の人型、両方の頸を断てばいいんだよね? うん、信じてみるよ。弟弟子の言葉だもの」

「冨岡よ、お前の言う通り、お前の言葉を信じてみよう。……鬼は我々が何とかする。君はカナエと少女を守れ」

 

 ……本当の本当に頼もしい背中だ。心の底から憧れてしまうほどに。

 

『クソッ、まだしぶとく人格が残っていたなんて……!! 肉体の方も何故か消すことができねェしよォ……今も昔も俺に取って一番邪魔な存在だよテメェはァァァ!!』

 

 喉を掻きむしるような凶裏の絶叫と共に善継の周囲の肉から内側を突き破る様に薄く平べったい骨の様なものが現れた。それは幾重にも重なり合って、まるで繭の様に善継の身体を包んで隠してしまう。

 

 肉体そのものを消さないということは何らかの制約が存在するのか、はたまた奴はまだ完全に肉体を掌握しきれていないのか。――――どちらにせよ、殺す方法がわからないという凶裏の優位点は瓦解した。

 

 大丈夫だ。このままいけば勝てる。だから踏ん張り続けろ、最後の一押しまで。

 

「悲鳴嶼さん! 下を頼みます、私は上の方を!!」

「承知した……!!」

 

 真白さんが先んじて疾駆する。ほんの一瞬でトップスピードにまで躍り出た彼女は迫りくる無差別攻撃の隙間を縫いながら雷のような速度で走り抜け、周りの障害物を足場に肉塊上部の凶裏に肉薄。

 

 間合いに入った瞬間、鞘から刃を走らせる。

 

 

 全集中・雪の呼吸 【弐ノ型 霙吹雪(みぞれふぶき)

 

 

 擦れ違い様に抜刀。猛吹雪の如き翳むような斬撃が凶裏へと迫る。

 

『うぉああああぁぁあぁぁぁぁああああああ!!!!』

 

 命の危機を寸前で本能的に察知した凶裏。このままでは殺されると判断したのか、奴は剥き出しの筋肉しかなかった全身に骨の装甲を纏い始めた。それがギリギリに間に合ったのか真白さんの放った一撃は火花を散らしながら骨の装甲に深い傷跡を残すだけに留まってしまう。

 

 だが、彼女はそれで終わらない。彼女は凶裏の骨脚に片手片足を添え、そこを軸に身体を半回転。進行方向が真逆になった瞬間骨脚を蹴りつけて再度凶裏の方へと跳んだ。そしてすかさず刀の柄を撫で――――刃を放つ。

 

 

 全集中・雪の呼吸 【肆ノ型 銀世界(ぎんせかい)雪崩(なだれ)

 

 

 超高速の十一撃の乱舞が舞い散る。目にも留まらぬ速さで凶裏の全身が刻まれていき、かなりの強度を持っていただろう装甲は徐々に削られていく。

 

『こッ、この女ッ――――俺の……俺の傍に近寄るなァァァァァァ――――ッ!!!』

「!」

 

 自身に向かって触手八本が一斉に飛びかかってきたことに気付いた真白さんは骨の槍が肌に触れる前に跳び引いて回避。最寄りの瓦礫の頂上に音もなく足を乗せ、刀を鞘に収めながらトドメの一撃の準備をした。

 

 一方、悲鳴嶼さんは――――

 

「ゴォォォォォォオオオオオオオオ――――!!!」

 

 

 全集中・岩の呼吸 【伍ノ型 瓦輪刑部(がりんぎょうぶ)

 

 

 回収した手斧と巨大な鉄球による広範囲の連続攻撃。圧倒的な破壊力を乗せた質量の塊が暴れ狂う度に破壊の乱舞が巻き起こる。

 

 迫りくる悲鳴嶼さんを押しつぶさんと振るわれていた二本の骨脚は彼の振りまわす鎖斧の前に成す術なく粉々にされ、ならばと撃ち放たれた空気弾も二つの得物を振りまわせばあっけなく霧散する。

 

 その動きにはいつもの彼と違って正確さの欠片も無かった。だが片耳がやられた以上そんな物に拘っていては逆に動きが鈍りかねない。ならば、

 

(呼吸で増幅された身体能力で押し切る――――!!!)

 

 生まれ持って備わった天性の肉体と弛まぬ鍛錬によって形作られた悲鳴嶼行冥の肉体。そこから発揮される怪力は間違いなく人類の中でも最高峰。技術面こそ柱となったばかりの今でこそ古参の柱と比べれば劣るかもしれないが、ことフィジカルにおいては彼は歴代の柱の中でも上から数えた方が早いほどの健体なのだ。

 

 動きに精密さを付加できないのならば、圧倒的な力によって強引に上から叩き潰す。身体面で大きな格差のある鬼相手では愚の骨頂としか言えない愚策だが、一部の例外にとってはこの上ない最適解と化す。

 

 そして、彼はその例外であった。

 

「ゴォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 ある程度の距離にまで迫れた悲鳴嶼さんは鎖を振りまわして鉄球を回転。強力な遠心力を乗せた棘付き鉄球が豪速で前方へと突き進み、肉塊に衝突。善継の肉体を防護していた骨の繭が丸ごと粉砕され、中にあったであろう善継の肉体は全身が粉々になったのか指やら歯やらが宙に飛び散る。

 

「今だ明雪! やれ!!」

「――――【弐ノ型】」

 

 これで善継の頸は断て……いや破壊された。後は凶裏の頸を断てば終わる。これで、やっと――――!!

 

 

『………ざけるなよ』

 

 

 脳裏に、何か靄の様なものが過る。……なんだ?

 

 

『まだ俺はッ、十分に生きちゃいないんだ……!! 生まれてからずっと閉じ込められていたんだ……!! やっと自由になれたのに! こんな塵みたいな連中に殺されて終わるだと!? ――――ざけんじゃねェッ!!!』

 

 

 凶裏の肉塊内部から莫大な空気が吐き出され始めた。マズい、何かやる気だ。その前に仕留めなければマズいと、俺の勘が訴えている――――!!

 

「真白さん! 早く頸を斬れ!!」

「っ、【霙吹――――」

 

 真白さんが跳ぶ。刀が抜かれ、風を裂きながら鬼の頸を断たんとする。

 

 

 だが、ほんの僅か遅かった。

 

 

『こんな所でェェェ……死んで堪るかァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!!』

 

 

 排出された空気が渦を巻き、回転しながら凶裏の周りを取り囲み、壁を作る。それに真白さんの刀がぶつかると、まるで透明な壁にでも阻まれたように刀がピタリと停止した。

 

「これは一体――――!?」

「往生際の悪い……!!」

「二人とも今すぐ離れろぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!!」

 

 俺は理解した。それが高速回転する高密度の空気の壁である事を。今まで奴の技を散々見てきたのだから、俺はすぐに気づくことができた。

 

 しかし今回は使っている空気量の桁が違う。何より様子がおかしい。どんどん縮んでいるのだ。まるで――――パンパンに膨らんだ風船を、無理矢理押し込むように。

 

 そしてその予想は最悪な事に的中した。

 

 

 

【血鬼術 風殻弾(かぜがらはじ)き・大嵐玉(おおあらしだま)

 

 

 

 限界まで圧縮された嵐の半球が爆発的な速度で広がっていく。凶裏の近くにいた柱二人は一瞬で嵐に呑み込まれ、少し離れていた俺は背後にいたカナエとアオイを庇うように抱きしめた一瞬後に呑み込まれた。

 

 信じ難い激痛が背中に叩き付けられる。そして休む間もなく訪れる浮遊感と、上下左右前後不規則にシェイクされるような理解しがたい嘔吐感。

 

 更に空中で十回以上の回転をして三半規管を滅茶苦茶に揺らされた俺は最後まで何が起こったのか理解することはなく、頭に感じた強烈な衝撃と共に意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――きて――――い、起きて――――お願い! 起きて義勇君!!」

「っ…………!?」

 

 肩が揺すぶられる僅かな衝撃を頼りに俺は意識を取り戻した。目を開けてまず入る光景は、こちらをひどく焦った顔で覗き込んでいる少女……カナエの顔だ。

 

 彼女の体を軽く押しのけながら己の痛む体に力を入れ上体を起こせば――――そこにはまさしく地獄のような光景が広がっている。

 

 深々と球状に抉られた地面。もはや原形など残さずただの燃える瓦礫の山となってしまった周辺の住宅群。そしてそのど真ん中で堂々と佇んでいる、巨大な肉塊に骨の節足を生やした異形の大蜘蛛。

 

 仕留めきれなかった。あと一歩のところで……!!

 

「……カナエ、真白さんと、悲鳴嶼さんは……?」

「わからないの。どこも瓦礫の山で姿が見えなくて……」

 

 痛む頭を押さえながら姿の見えない柱二人を探してみるがカナエの言う通り回りは瓦礫だらけで人の姿らしきものは全く見当たらない。生きてはいる、と信じたいが。

 

「アオイはどこだ!?」

「大丈夫。駆けつけてくれた隠さんたちに預けたわ。きっと安全な場所に運んでくれるはず」

「じゃあなんでお前もついていかなかったんだ!?」

「姿が見えなくなった貴方を探すために決まってるじゃない!」

 

 周りを見渡しても保護対象であるアオイの姿が見えなくて俺は思わず焦りだすが、カナエの言葉によって冷静になることができた。だが彼女が避難していないことに思わず声を荒げるが、どうやらはぐれてしまった俺を探すために残ってくれたようだ。

 

 ……結局全部、俺の未熟が招いた結果か。

 

「……すまなかった。とりあえず、早くここから離れてくれ。下弦の伍はまだ生きている。ここは危険だ」

 

 横目で見れば、ヤツは忽然とそこに存在している。なぜか全く動く素振りがないが、死んでいるような気配はない。おそらく大技を放った反動か何かで硬直しているだけのはず。必ずいずれ動き出すに違いない。

 

 だが今動けないのならばカナエを逃がせる絶好の機会に他ならない。俺はとにかく彼女だけでも一刻も早くここから離そうと促す。

 

「待って。義勇君はどうするの」

「この隙に柱たちを探す。俺が生きているんだ、彼らもきっと生きているはず」

「駄目よそんなの! 危ないわ!」

「じゃあどうしろっていうんだ!! あの鬼をこのまま放置するのか!? 俺一人じゃ奴に勝てない、お前と力を合わせても無理だ! 奴を倒せるのは柱たちしかないし、もし俺たちが何もしなければ柱たちが被害にあう可能性も高い! カナエ、誰かがやるしかないんだ……!」

 

 柱たちが生きているとして、姿が見当たらないということは瓦礫の下に埋まっている可能性は否定できない。何年もかけて肉体を鍛え上げた柱とて、あの質量に押しつぶされれば骨の一つや二つ折れていても何らおかしくはない。

 

 それが折れても運動に大きな支障がない骨ならばいいが、腕か脚の骨が折れていたのならば、そしてがれきに挟まれて身動きが取れない状態になってしまっているのならば、何もしなければろくな抵抗もできずに鬼に食われる末路をたどるのみ。

 

 柱が欠ける。鬼殺隊最高戦力の損失。考えるうる限り最悪の結果だ。上弦ではなく下弦相手に柱が二柱も損失するなど許してはならない。それが例え血を投与されて上弦並みの力を得た下弦だったとしても。

 

 そして今動けるのは俺とカナエの二名のみ。鬼は今でこそ動きを止めているが、あと何分、いや何秒後に動き始めるかわからない状態。これ以上の事態の悪化を防ぐためにも、一秒でも早く動き始めなければならない。

 

「じゃあ! 私も残って手伝うわ! 一人二人のほうが早く探し出せるもの!」

「駄目だ! お前に死なれたら、俺は屋敷にいるしのぶにどの面下げて会えと言うんだ!」

「それをいうなら、貴方に何かあったら私も蔦子さんに顔向けできないじゃない! 義勇君、お願いだから一人で何もかも背負うのはやめて……。二人で、力を合わせるの!」

「っ………………」

 

 確かに今は猫の手でも借りたい状況だ。カナエのいう通り、一人より二人で探したほうがより確実に、より早く柱たちを見つけることができるだろう。

 

 だが、万が一彼女の命が危うくなったら、俺は……。

 

「………………?」

 

 顔を俯かせたまま視線を右往左往させていると、ふと瓦礫の隙間に何かが埋まっていることに気付く。

 

 直観のままに俺は瓦礫を退かして、その”何か”の正体を探り始めた。

 

「義勇君……? 一体何をして……」

 

 瓦礫のそこから引っ張り上げたそれは――――ドロリとした透明の黄色い液体が入った小さな瓶。蓋を開けて軽く匂いを嗅いでみると、予想通りの香ばしい匂いが鼻を撫でる。

 

 これは………………使える。ヤツを確実に仕留めるための最後の一手として。

 

 だが俺一人では無理だ。協力者が要る。俺は口元をさすりながら苦しい表情で考え込み、しかし時間がないゆえに即断した。

 

「――――カナエ、槍を扱ったことはあるか?」

「へ?」

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

「ぐ……うぅっ……」

 

 全身から伝わってくる痛みの信号に刺激され、真白は少しずつ目を開ける。視界が霞み、目に血も入ったのか右側の視界だけが妙に赤く染まっている。

 

 しかしそんなことは彼女にとって重要では無い。一番気にすべきは鬼はどうなったのか、そして今の自分がどんな状態なのかの二つだけだ。

 

 真白は両手足の感覚を順番に確かめていき、そして即座に己の現状を把握した。

 

(右足が……折れてる……)

 

 どうやら凶裏の反撃を受けた際に遥か彼方へと吹き飛び、更に同じように吹き飛んだ瓦礫に右足の大腿部が運悪く下敷きになってしまったようだ。あの攻撃を受けて全身打撲と右大腿部の骨折だけで済んだのは幸運と言えるだろうか。――――いや、決して幸運とは言えなかった。

 

(刀は、無い。瓦礫を退かすにも、姿勢が悪い……!!)

 

 愛用の刀は吹き飛ばされた際にどこかに行ってしまったのか手元にはなく、そして瓦礫を退かそうにも今の真白はうつ伏せであり尚且つ瓦礫は伏せたままでは手が届かない場所にある。かと言って体勢を変えられるような状態でもない。

 

 つまり、他者の助けが入らない限り彼女が此処から抜け出すのは不可能という事だ。幸い、炎が彼女の居る場所まで燃え移るには多少時間的余裕はあるようだが、彼女にとってそんな事は何の気休めにもならなかった。

 

 何故なら彼女は、自分の血の性質をよく理解していたのだから。

 

『――――稀血のォォ……匂いィィィィィイイイイイ……!!』

「っ……!!」

 

 近くから大きな地響きが聞こえる。間違いなく凶裏の巨大な骨脚による足音だと判断した真白は、懐からあるものを取り出した。

 

 彼女が手に取ったのは金属製の小さなケース。封を外して蓋を開けば、中からは黒ずんだ紫色の液体がたっぷり入った試験管が緩衝材に包まれている。その試験管を取り出して栓を外した真白はゆっくりと、その縁を口につけ傾けていく。

 

(特注の、毒。私の細胞を一片残らず破壊する、超高濃度の猛毒……)

 

 彼女のためだけに作られた自害用の猛毒。呑み干してしまえば、真白は全身を内側から焼かれるような痛みの末、この世で最も無惨な死骸となって果てるだろう。だがそれは必要な事だ。彼女は稀血の中でも特級の稀血。鬼に食われてしまえば最悪の化け物をこの世に生まれさせることになる。

 

 それも今相手にしているのは明らかに上弦級の脅威。そんな存在が常人の数千人分の栄養価を持つ自分を丸ごと喰らえば、最早鬼舞辻無惨に次ぐ最恐最悪の鬼が誕生してしまうだろう。

 

 だから、死ななければならない。例えどのような理由があろうと、自分が鬼に食われることだけは絶対に避けねばならないのだ。その一心で彼女は毒を口にしようとして――――

 

 

 

『どうか生きて……幸せに、なるのよ……』

 

 

 

「っ――――――――!!!」

 

 寸前で、手が止まる。

 

 頭に反芻し続ける最愛の人の声。懇願するような、願うようなその声が頭からどうしても離れていかない。

 

 駄目だ、迷うな。私は早く死ななければならない身なのだ。死ななきゃ、取り返しのつかない事態に――――

 

 

『見つけたァ』

 

「ぁ……」

 

 

 頸だけ振り向く。するとこちらを血走った眼で涎を垂らしながら見下ろす、異形の大蜘蛛の姿があった。

 

 八本の触手の先がこちらを向く。ああ駄目だ、間に合わない。今から毒を飲んだとしても、全身に回る前に食われてしまう。

 

『稀血ィ……俺の稀血ィィィィィィイイイイイイイ!!!』

 

 結局、こうなるのか。

 

 無心に鍛え続けた。母の遺言を叶えるために。

 

 他者を助けるため奔走し続けた。母の遺言を叶えるために。

 

 頑張って、努力して、戦い続けて。……その末にあったのは、己が幸せと感じない無関係なものばかり。小さな喜びはあっても、今が幸福だと思えるものは無く。

 

 私は死ぬ。母の願いを叶えられず、己の不始末の尻拭いもできず、意味も意義も何もない死を。

 

 

 

「お前は血じゃなく油でも舐めているのがお似合いだ」

『――――あ?』

 

 

 

 触手が動き始める――――寸前に、凶裏に向かって何かが飛んできた。触手が素早い動きでそれを叩くと「パリン」とガラスが割れるような音と共に中身が飛散。黄色の粘性のある液体が凶裏の顔に掛かる。

 

『なんだこ……ぬあぁああぁぁぁあああ!! なんだこの水はッ……!! 目がッ、クソッ、取れねぇじゃあねェかぁぁぁああぁああああああ!!!』

「質のいい菜種油だ。たっぷり味わえ。――――真白さん、今助けます!」

「ぁ、う……ん」

 

 目と鼻を同時に潰された凶裏が辺りを滅茶苦茶に破壊し始める。それを易々と潜り抜けながら颯爽と助けに来た少年、義勇は折れた刀を振るって真白の脚を挟んでいる瓦礫を両断。彼女の体を抱え上げ、素早くその場から離脱する。

 

 ついでに義勇は真白の持っていた猛毒の試験管を取り上げ、凶裏の方に投げつけた。鬼は毒を受けてもすぐ解毒してしまうため意味は無いが、これ程の劇毒だ。直ぐに治るとしても多少なりとも痛みはあるだろうし、嫌がらせとしては十分だろう。

 

 凶裏の悲鳴を背に、義勇は迅速な情報交換と共有を始める。後ろで情けない声で喚いている鬼を倒すために。

 

「真白さん、身体に異常は」

「あ、右足の腿……骨が折れて……」

「! ……わずかな間だけでもいいから、奴に攻撃を仕掛けることはできますか?」

「……うん。あと一度くらいなら、たぶん」

「これから俺が大きな隙を作ります。その時に全戦力で一斉に総攻撃を仕掛け、奴の頸を獲ります。悲鳴嶼さんのほうはカナエに探させていますから、凶裏がまだ手札を隠していようと、疲弊している今なら全員で複数方向から同時攻撃をすれば……いける、はずです」

「――――わかった。任せて」

 

 伝えられたのは簡潔な情報のみで、出来るのかどうかも疑わしい信憑性の薄いもの。だが真白は信じた。この少年の目に炎を見たから。

 

 諦めていない。出来ると信じている。――――否、やらなければならないと自分自身に固く誓っている。

 

 そんな彼に手を貸すことをどうして躊躇できようか。

 

 情報を伝え終えた義勇は抱き上げていた真白の身体をゆっくりと降ろし、背後の凶裏へと向き直る。武器は折れた刀と身一つのみ。

 

 勝算は無い。

 

 されど、諦観する気も無い。

 

 この身砕け散るまで、成すべきことを成す。

 

『またかァッ!! またお前なのかよォォォォオオオオ!!! いい加減死んでくれよこの塵虫がァァァァァアアアアアア!!!』

「悪い……とは思わないな。だが、俺が死ぬまで付き合って貰うぞ、凶裏」

『だったらさっさと死ねェェェェエエエエエエエエエエエエ!!!!』

 

 八本の触手を唸らせ、骨の砲から空気弾を吐き出して義勇を攻撃する凶裏。後ろを見て真白が姿を隠したことを確認した義勇は、今度は防御ではなく回避に専念して行動を始めた。

 

 周囲の住宅を破壊したおかげで足場は悪くとも回避するための場には困らない。かつ、いざという時には瓦礫を盾にして義勇は凶裏からの攻撃を凌ぎ続けた。こちらから攻撃することは決してせず、時間稼ぎだけを念願に置いた戦い方。

 

 冷静な状態であれば凶裏は彼が付かず離れずの足止めに過ぎない事を気付けただろうが、今の彼は『空腹』であるためそこまで気が回らなくなっていた。……そう、『空腹』なのだ。

 

(柱どもの戦いで力を使い過ぎた……! 無惨様から貰った血の力がもう底を尽き始めている、まずい……!!)

 

 二人の柱の奮闘は決して無駄ではなく、凶裏の内包していた力のほとんどを引き摺り出すことに成功していた。

 

 元々凶裏は今の今まで鬼殺隊に出会わず、潜伏して一般人を襲うことで腹を満たし成長し続けた類だ。故に戦闘センスに光るものはあっても、実戦経験は豊富とは言えない。彼以外の十二鬼月と比較した場合、彼は間違いなく最下位に位置している。

 

 そのため凶裏は力の運用を全く最適化できておらず、牽制技ならともかく大技を使った際には余分な力まで使ってしまう。にも拘らず慢心か余裕か、燃費が良いからといって大技を後先構わず連発し続け、特に最後に放った血鬼術による消耗は甚大なもの。結果、無惨から血を投与された際に感じた力の漲りは最早感じなくなっていた。

 

 証拠に、その動きも酷く鈍っている。消耗する前ならば義勇を捉えるのにそう時間は掛かっていなかっただろうに、疲労困憊にも等しい状態の凶裏は瓦礫に身を隠しながら素早く動き回る彼を捉えきれずにいた。

 

「ふぅっ……ふぅっ……!」

 

 しかしそれは義勇とて同じこと。限界の限界を越えて動き続けた彼はもう正しい呼吸など出来ない有様で、絶え絶えの呼吸を気力でどうにか繋げながら手足を駆動させていた。彼自身、もう自分の身体がどうやって動いているのかわかっていない。

 

 時間だけが過ぎていく泥仕合。自分より遥かに矮小な小僧に翻弄されるのが屈辱的で、尽きること無く湧き出てくる怒りが凶裏の頭を染め上げていく。

 

 その激情が功を成したのか、空前触手の一本が義勇の隠れていた瓦礫を吹き飛ばし、義勇の身体はあっけなく宙を舞って地を転がる。

 

「ぐあっ……!!」

『捕まえたァァァァ……!!!』

 

 転がった義勇の身体を素早く触手を使って締め上げる凶裏。そして空高く彼の身体を持ち上げると、残った触手の穂先を彼の目の前に付きつけた。まるで脅すかの如く。

 

『ようやく……ようやくテメェの命を終わらせられる……!! 今までよくもこの俺の手を煩わせてくれたなァ……!! 精々女のような悲鳴を上げて逝けやァ!!』

「……………ふっ」

『なに笑ってんだ糞餓鬼が!! 恐怖で頭でもおかしくなったか!?』

「いや……追い詰められてるのは果たしてどっちなのかな、と思ってな」

『はァ?』

 

 義勇の台詞の意図を凶裏は全く理解出来なかった。追い詰められているのがどちらか? どうやら本当に頭がおかしくなったようだ。この状況を第三者が見れば、百人中百人が義勇が殺される寸前である事を否応なく理解するだろう。にもかかわらず、義勇は余裕の笑みを浮かべるのみ。

 

 心に引っかかるものはある。だが知ったことではない。目の前の小僧を殺せば無惨より更なる血を授かることができる。その欲に従い、凶裏は義勇の命を断たんと手を振り上げ――――

 

「俺がさっきお前に投げつけたのは油だ。そしてその油は、お前が外気を肉塊に取り込む際に霧状となって共に取り込まれた。……その中に火種を放り込めば、どうなると思う?」

『黙って死ね糞餓鬼ィィィィィイイイ!!!』

「少しは考えろ、間抜けが」

 

 義勇がそう言い終えた瞬間――――瓦礫の影から誰かが飛び出した。それは紛れもなく、彼の相方である胡蝶カナエ。

 

 そしてその手には先端に油が塗られて轟々と()()()()()()()()()棒状の木材が。

 

『なにィ――――!?』

「はぁぁぁぁぁぁああああああああああああ――――っ!!!!」

 

 雄叫びと共に、カナエの持つ燃える棒が凶裏の肉塊、その吸気扇へと突っ込まれる。

 

 ガリガリと回転する羽によって木が高速で削られていく。当然、油が塗られたことによって火が消え辛くなった部分も巻き込まれ、肉塊内部へと空気とともに吸い込まれていく。

 

 不意打ちによる動揺のあまり凶裏は義勇を捕えていた触手を放してしまい、地面に着地した義勇は全力でカナエの方へと跳躍。彼女を守るように抱きしめてから再度地面を踏み込み、そして振り返りながら凶裏へと不敵な笑みを見せた。

 

『テメェ一体何を――――ぴぎょっ!?!?』

 

 霧状になった油と高圧の空気。そこに火が点けられればどうなるだろうか?

 

 馬鹿でも少し考えればわかることだ。

 

 

「弾け飛べ」

 

 内部に潜り込んだ火種は凶裏の台詞が終わることを待たず、霧状の油が程よく混じった空気に火を点けた。莫大な圧縮空気と混じり合った火と油が連鎖反応を起こし、加速度的に燃焼を始めていく。それによって肉塊の内圧が数十倍にまで跳ね上がり、たださえ巨大であった肉塊は一瞬で数倍の大きさに膨らんだ。

 

 中心部にある空気貯蔵器官を傷つけられまいと備わっていた極厚の骨肉装甲。外部からのあらゆる攻撃から中心部を隔離できるだろうそれも、内側からの攻撃は想定していない。故に、この文字通り爆発的な膨張に耐えきることのできる理由は存在せず。

 

 

『お、ぎょっ、ご――――あぎゃぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!』

 

 

 甲高い悲鳴と共に、肉塊は巨大な爆炎を上げながら粉々に弾け飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 爆風に押されながら義勇とカナエは共に地面を転がっていく。勢いが収まり、状況を確認すべく素早く顔を上げれば、その視線の先には壮絶な勢いで燃え盛っている炎と、そこから少し離れた場所で沈んでいる辛うじて生き残った凶裏の残骸があった。

 

 肉塊は吹き飛んだ。凶裏と善継の肉体が埋まっている約三割の部分を残して完全に砕け散った。最早再生する力すら残っていないのか肉塊が復元されるような兆候もなく、凶裏も殺気立った目で二人を睨みつつも呻き声しか上げられない始末。

 

 ――――今だ。

 

 

「一斉攻撃だ!! 全員かかれぇぇぇぇえええええええええええ!!!!」

 

 

 義勇の叫びと共に潜伏していた真白と行冥、そして義勇とカナエが一斉に凶裏へと駆ける。

 

 対して凶裏は力の大半を喪失している。抵抗は殆どできないはず――――そう思っていた義勇だったが、その予想はまたもや裏切られることとなる。

 

 

『オォォォォオオオオオオオオオオォォォォォォォオオォォォォォォオォォォォオオオオオオオオオ!!!!!!』

 

 

 空を引き裂くような絶叫。それに合わせて凶裏の余った肉体部分が全て先の尖った肉の触手に変換され、爆ぜるように背面――――柱二人のいる方へと撃ち出された。

 

 無数の肉槍が濃密な弾幕となって二人を襲う。真白さんは寸前で回避に成功したが、行冥はその巨体と周囲を把握するための聴覚に不具合が出ている故に避け切ることができず、触手の一本に左腕を貫かれながら彼方へと吹き飛んでしまう。

 

「悲鳴嶼さん!!」

「くぅッ……!――――私に構うな! そのまま行けぇっ!!」

 

 次に回避された数十もの触手が鞭のように撓り、真白ただ一人に向けて襲い掛かる。刀は結局見つけることができなかったのかその手には手頃な角材しか持っておらず、それは想定より遥かに多い鬼の攻撃を防ぎ切るには力不足にも程があった。

 

「っ……! 長くは持たない!! 急いで!!」

「真白さん!!」

 

 その身で培った技術によって薄氷の上で踊るかの如く無数の触手を迎撃・破壊することでギリギリ耐えてはいるようだが、やはり刀どころか角材じゃ無理がありすぎる。

 

 真白が触手群を引き付けられる推定限界は十秒ほど。最早一刻の猶予も無いと判断した義勇は更に足を速めて駆けていく。

 

『死ねるかァァァァァァァアアアアアア!!』

 

 怨嗟の声を上げながら大きく息を吸いこむ凶裏。その動作からこれから放つ技を予測した義勇は空いた手で素早く近くにあった大きめの木の板を拾い上げる。

 

 

【血鬼術 空砲・螺旋息吹】

 

 

 大の大人を数人は軽く呑み込めそうなほど巨大な竜巻が吐き出された。地面と瓦礫を削り、二人を飲み込まんと迫る風の大蛇に対し義勇は――――渾身の一撃で、その尖端を()()()()()

 

『!?』

「カナエ、掴まれ!!」

「うん!」

 

 切り開いた孔に小さく跳躍して飛び込むことで二人は無傷で竜巻の中、即ち台風の目とも呼ぶべき無風空間に入った。そこから義勇はカナエを自身の身体にしがみ付かせ、木の板を足元の竜巻部分に乗せることで()()()()()()()()()

 

 想像すらできない方法で己の技を切り抜けるその姿に凶裏は目を白黒とさせることしかできず、戦いの最中だというのに血鬼術を放ち終えても唖然と硬直してしまった。

 

 その硬直が、凶裏の命運を分けることとなる。

 

 

「――――南無……ッ!!」

 

 

 彼方に吹き飛ばされ、片腕を貫通されながらも速攻で復帰した悲鳴嶼行冥の鉄球。初めて邂逅したその時のように黒金の質量弾は凶裏の眼前に迫り、

 

『こっ、このクソカスど――――』

 

 無慈悲に凶裏の頸を上半身ごと粉砕した。だが凶裏もただでは転ばず、真白へ振るっていた触手を十数本ほど行冥へと向かわせた。行冥は回避するそぶりは見せずにどっしりと構え、あろうことか手元に残った鎖付き手斧を投げつけることで十数本の触手を鎖でまとめた挙句、それにしがみ付くことで触手の再使用をできなくさせた。

 

 だが鎖の拘束から運悪く数本の触手が逃れてしまい、それらは彼の両脚と脇腹を貫いてしまう。

 

「ぐぅぅぅぅううううううっ……!!!」

 

 それでも行冥は触手の束を掴む腕の力を抜かず、さらに触手が刺さった個所の筋肉を強張らせて残った触手も抜けなくさせてしまった。

 

 そして、触手が減ったことで余裕ができた真白は右足の激痛を耐えながら手を鞘に、角材を刀に見立てて高速の連続抜刀。一気に残りの触手を破壊した。――――だがここで無理に動かしていた足に限界が訪れてしまい、彼女は悔し気な顔でその場で倒れ伏す。

 

「どうか……後はっ…………!!」

 

 これでもう義勇らに攻撃が行くことはない。後は善継の頸を断つだけ。竜巻を切り抜けた義勇は着地後、善継の肉体に向かって跳躍。全てを終わらせる一心で刀を振り上げ――――

 

「――――ホォォォォォォオオオオオオオオオオ……!!」

「!?」

 

 真っ赤に染まった双眸を見開きながら顔を上げる善継に義勇は絶句する。

 

 間に合わない、頸を断つ前にこちらがカナエ諸共やられる――――!! そう判断した義勇は振り上げた手から刀を放り捨て、そのまま背後のカナエの襟首を掴み上方へとぶん投げた。

 

「っ……!? 義勇君!?」

「カナエ! お前が断て! 善継の頸を――――がッ」

 

 善継の口から放たれた空気弾が義勇の左腕を直撃。更に圧縮された空気が解放されたことによる衝撃で、義勇は巻き上げられた土煙の中に姿を消した。

 

 それを見てカナエは泣き叫びそうになるも、震える手で刀をより強く握りしめながら五点着地。あと一歩の距離まで迫った善継の頸目がけて、全身全霊の一撃を叩き込んだ。

 

 ……………が。

 

(そん、な)

 

 カナエの刀は丁度刀の幅分だけ肉を裂き――――止まった。何かの仕掛けがあるわけでもない。ただ単に善継の肉体が並みの鬼より遥かに頑強で、そしてカナエの筋力はそれを断ち切るには力不足だった、というだけの話。

 

 だからこその絶望。最後に付きつけられた「己の未熟」という現実を直視して、もう二度とこないだろう機会をふいにしてしまったと確信したカナエは目の前が真っ暗になるのを感じた。

 

「コァァァァァァアアアアアアアア……!!」

 

 善継の口から空気が吸いこまれていく。その狙いは当然、目の前に居るカナエ。この距離だ。今更回避行動を取ったところで外しはしないし、カナエももう心が折れて動けない。

 

 詰みだ。

 

 

 

 

 

 

「っ、ここは……?」

 

 身体が小刻みに揺らされるのを頼りに、神崎アオイは目を覚ます。――――目を開けば、そこには見たことも無い黒装束の顔を隠した男性らしき顔があった。

 

 気絶する前の記憶が曖昧なせいで今の自身の状況がわからないアオイだったが、目の前の光景を見た下した結論はただ一つ。自分が知らない不審者に抱きかかえられてどこかに連れていかれている、というものであった。

 

「きゃ―――――――――――っ!!!」

「え、ちょ、ぬぼぉあ!?」

 

 アオイは悲鳴を上げ乍ら自分を抱きかかえている男性の顔に思いっきり張り手を食らわせた。完全な不意打ちゆえに男性は避けることもできずに直撃を受け、アオイの身体を取り落としながらすっ転んでいった。

 

「いたっ!?」

「ご、後藤――――!?」

 

 宙から落下して少し強烈な尻もちをついたアオイは痛みを堪えながらその場から逃走しようと試みる。が、その前に別の黒装束の男がアオイの身体を持ち上げるのが先だった。

 

「いやっ! 放してよこの人攫い!」

「待って待って待って! 誤解だ! 俺たちは胡蝶さんから君を安全な場所まで連れて行ってくれと頼まれたんだ!」

「え……? カナエさんから……!」

 

 手足を振る回して暴れることでアオイは男の手をどうにか振りほどこうとするも、男の口から知り合いの名前が出たことで一旦落ち着きを取り戻す。そしてそれをきっかけに、今まで忘れていた気絶する前の状況を少しずつ思い出し始めた。

 

「えっと、まずは俺たちは隠っていう存在で「早く降ろして! お兄ちゃんの所にいかなきゃ!!」……それは駄目だ」

 

 隠は少し前、カナエと合流しアオイを預かった際に大まかな事情を説明されていた。つまりアオイの兄が今現在暴れている最中である下弦の伍の事であることも、当然知っている。

 

「なんで!」

「君が行った所で、どうにもならないよ……。むしろ君が危険に晒されるだけだ」

「それでもっ!」

「駄目といったら駄目だ! 俺たちは君を預かった! 安全な場所まで運ぶ責任があるんだ!」

「っ~~~~~~~~~!! ……………わかった」

 

 わかってくれたか、と隠はほっと胸を撫で下ろした。――――その油断が仇となる。

 

「――――ふんッ!!」

「え――――ごへっ!?」

 

 隠の男が油断した瞬間、アオイは右足を大きく後ろに振り上げ、全力で男の顎を蹴り上げた。子供の力ゆえに骨が砕けるほどではなかったが、顎に強打を貰ったのだ。脳を揺さぶられるのには十分なほどの威力であった。

 

 脳が揺れたことでアオイを持ち上げていた隠はそのまま気絶し、拘束から放たれたアオイは着地後そのまま戦闘音の方向を頼りに走り出す。

 

(私が行っても何もできないなんてわかってる)

 

 アオイの頭の中で、両親が殺された瞬間が幾度もフラッシュバックする。その度に胃の中から何かがこみ上げてきそうになるが、アオイは口を押えて飲み込む。

 

(それでも、それでもっ……このまま逃げたら、私は一生逃げ続けることになる! それだけは、絶対に嫌だ!!)

 

 走る。ひたむきに走る。狭い路地を潜り抜け、崩れた建物を乗り越え。そうしてたどり着いた先で、アオイは刮目する。

 

 カナエの刀を頸に食いこませたまま、逆転の一撃を放とうとしている兄の姿を。そして彼の家族として理解する。今動いているアレは兄ではなく、ただ操られているだけの人形であると。

 

 それを見たアオイは頭の中にある全ての考えを吹き飛ばし、自らの魂が促すままに――――叫んだ。

 

 ()()()()()、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い。

 

 

『兄ちゃん起きて! このままじゃみんな死んじゃう!!』

 

 

 重たい。

 

 

『お兄ちゃんしっかり! 気を失っちゃ駄目!』

 

 

 冷たい。

 

 

『兄ちゃんが負けたらまたアイツが人を殺し始める! そんなの絶対駄目だよ!』

 

 

 痛い。

 

 

『お兄ちゃんはいいの? このままお兄ちゃんの体をアイツの好き勝手にされて我慢できるの!?』

 

 

 …………………弟妹、たち。

 

 

 

『――――善継、頑張って。私の息子……!!』

 

 

 

 ……………母さん。

 

 

 

『善継、足を踏ん張れ! 腰を入れろ! 目を覚ませ!!』

 

『善継……どうかアオイを守って……お願い……!!』

 

 

 

 ………義父さん、義母さん。

 

 

 

「お兄ちゃああああああああん!!! 悪い鬼なんかに負けるなぁぁぁ――――――っ!! お兄ちゃぁぁぁぁぁあああああああああああああああんっ!!!!」

 

 

 

 アオイ。

 

 

 

 

 ――――立て。

 

 

 

 

 ――――目を開けろ。

 

 

 

 

 ――――両足で踏ん張って! 腰を入れろ!! 神崎(■■)善継!!! 

 

 

 

 

 ――――家族みんなから背中を押して貰った(長男)が!! あんな下種な欲望しか頭に無いような奴なんかに!! 負けたりするものかぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああッ!!!!

 

 

 

 

 

 善継の右手が握り込まれる。岩のように硬くなったその拳の向く先は――――彼自身の、右頬だった。

 

「ごッ――――」

「え――――!?」

 

 頬に一撃を叩き込んだことでカナエに向いていた照準は大きく逸れ、誰もいない明後日の方向へと空気弾が吐き出される。当然、カナエは何が起こったのかわからず困惑した。

 

 だがカナエの命が助かったからといって状況が好転したわけではない。未だに刃は進まず滞るのみ。残る一押しを行える存在がこの場には必要で――――それが行える存在が今、土煙を振り払いながら現れた。

 

 左腕を複雑骨折させ痛々しくぶら下げながらも、この戦いを終わらせるべく立ち上がった冨岡義勇が。

 

「カナエェェェェェッ!!! 全ての力を振り絞れぇぇぇぇぇぇえええええええええええええええええええッ!!!!」

「っ――――うあああぁぁあぁぁあぁぁあぁあああああああああああああああああああ!!!!」

 

 義勇がカナエの後ろから彼女の刀の柄を掴み、決死の力を片手に籠める。カナエもそれに応え、身体に残っていた全ての力を最後の一滴まで絞り出しながら地面を踏みしめた。

 

 

 二人分の力で止まっていた刀が進み出す。筋肉の繊維を断ち、骨を断ち、命を断つ――――!!

 

 

「「いっけぇぇぇぇぇぇえええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」」

 

 

 一筋の閃光が、燃え盛る地獄を迸る。

 

 

 

 

 

 

「ねえ兄ちゃん、もし母ちゃんの病気が治って、俺たちきょうだい全員独り立ちできたらさ。そんとき兄ちゃんはなんかしたいって思えるものはあるの?」

 

 

「うん? んー……そうだなぁ。そんな事、考えたことも無かったな……」

 

 

「じゃあなんか考えようよ! もしそうなった時、何も考えて無いんじゃ困るでしょ?」

 

 

「…………俺のしたいこと、か。そうだな、俺は…………風に」

 

 

「うん?」

 

 

「風のように、今まで行ったこともないような場所に行ってみたい。そう、旅をしたいな。あの空で吹いている、風のように」

 

 

 

 

 

 夜の風に、鮮血の粒が飛散した。

 

 

 

 

 




《血鬼術》

 【天響吹刃・滅光 針鼠(はりねずみ)
 【天響風刃・滅光】を凶裏本体のみならず肉塊に取りつけられた骨砲からも発射する技。全方位にレーザーを放つため外見上のインパクトは凄まじいが、時間をかけて照準を行わない限り精度は最悪なため、実は凶裏本体からの光線にさえ気を付けていればそこまで脅威では無い。
 しかし周囲の建物はこれに直撃するだけで爆発してしまうため、無差別の広域破壊には打ってつけ。

 【風殻弾(かぜがらはじ)き・大嵐玉(おおあらしだま)
 凶裏が土壇場で編み出した即興の防御・反撃用血鬼術。
 肉塊から大量の空気を排出し半球状に押し固めて高速回転させることで外からくるあらゆる攻撃を防御。その後半球を高圧縮させて押し縮め、一気に解放することで全方位を吹き飛ばす。わかりやすく例えるならアサルトアーマー。
 一見強力に見えるし、実際近辺の住宅地を一瞬で瓦礫の山に変えられるほどの威力を持つが、即興故か技自体の練度が低く、被弾面積が小さい人間などには殺傷力をあまり発揮できない、尚且つ力の消耗が【天響風刃・滅光】数発分以上である極悪燃費の欠陥を持っている。
 もしこの技を鍛え続ければ常時風シールド展開や解放時により効果的に殺傷力を持たせる応用が可能になったかもしれないが、それらを実現する前に凶裏は討伐されてしまったため泡沫の夢となった。

《解説》

 【凶裏・第二形態】
 無惨の血を大量に投与されたことで発現した強化形態――――なのだが、実は巨大化してしまったのは凶裏にとっては完全に想定外。本来であれば外見は人型を保ったまま背中に骨の触手が生える程度の変化だったのだが、微かに残っていた善継の人格が無意識に無惨の血を拒んだことで拒絶反応が起き、あり余る力が体外に追い出され暴走したためあの巨大な肉塊が形成されることとなった(そして力を受け入れた凶裏は肉塊の方に人格が移った)。しかしこの不具合が怪我の功名となってか凶裏と善継、双方の頸を斬らねば死なない仕組みを持つこととなる。ただこのギミックは副次的に発生したものに過ぎず、暗に「善継と凶裏は表裏一体。どれだけ互いが邪魔な存在だと思っていようが彼らは根っこで繋がっている同一の存在である」という真実を現しているのかもしれない。
 武装を常に最大威力で運用するための空気貯蔵タンクである巨大な肉塊にそれを支えるための六本の骨の脚、近づく敵を迎撃するための骨の触手、遠距離から敵を一方的に甚振るための大量の骨の砲。と、正しく要塞の如き有様なのだが、巨体ゆえに機動性は壊滅的。風を下に噴射すればホバー移動くらいはできるが機敏な動きはほぼ不可能。
 しかし機動性が死んでいる反面攻撃力と防御力は凄まじく、凶裏の頸斬りギミックに気付かなければこの超火力機動要塞を相手に延々と消耗戦をすることになる。もし善継が情報を伝えていなかったら、四人は間違いなく全滅するかそうでなくとも犠牲者が確実に出ていた。

 因みに余談ではあるが、上記の通りこの形態は強化形態というより暴走形態と評するのが正しい状態であり、にも拘わらず本人は自信満々に「俺は十二鬼月最強になったんだぁぁぁぁ!!」とかほざいていたが、この通り与えられた力を殆ど使いこなせていない上に実戦経験も乏しいため、実際のところは玉壺以下妓夫太郎(単体)以上程度の実力に落ち着いている(血鬼術の威力”だけ”なら童磨や黒死牟とタメを張れるが)。



いやぁ……下弦の伍は強敵でしたね……いやマジで四話もぶっ通しで戦い続けるとは思わなんだ。

実は二話前の義勇とカナエのラブラブクロススラッシュで締めの予定だったんですけどね。このままだと柱の出番があんまりねぇな~という事で出番を用意するためにあれこれ弄ってたらこんなとんでもないことになっていたという。その為に義勇さんにはさらにボロボロになって頂いたゾ(鬼畜)。


令和早々大変な一年となってしまいましたが、来年こそ穏やかな一年が訪れると信じたい。読者の皆さま方もどうか健康な身で年を越せることを祈っております。

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