水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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モチベが上がらなくて気晴らしに別の小説を執筆してみたけど、完成した途端に「違う、自分が書きたかったのはこれじゃない」という感じがして結局丸ごと没にする執筆者によくある現象。それをこの一ヶ月間で三度繰り返したゾ(絶望)

追記:諸事情で投稿が遅れます


第参拾伍話 遺す者、残された者

 くるり、くるりと噴き出る血が幾重もの輪を描く。

 

 まるで嵐の喧騒の如き騒音が反響していた場が、少しずつ暗き夜に相応しい静寂を取り戻していく。

 

 一つの大きな塊が地に落ち転がると同時に、醜悪な大蜘蛛の躯体もまた同じように地に伏した。今度こそその体からは生気は徐々に抜け落ちていき、死という現象を示すように灰と化していく。

 

 そしてそれを見た鬼狩りたちはようやく胸を撫で下ろすのだ。――――ようやく、終わったのだと。

 

「はぁっ、はぁっ、はあっ……」

「…………やっ、た、の?」

「終わった、か……」

「もう……限界……」

 

 刀を振り切った姿勢で固まっていた義勇とカナエ、腹と両脚を肉の触手によって貫かれていた行冥は息も絶え絶えの様子でその場で崩れ落ちる。既に倒れ伏していた真白も、事の終わりを見届けるや否や気が抜けたのか、そのまま深い眠りに落ちてしまった。

 

 無理もない。彼らはこの戦いで身体の底に残っていたわずかばかりの気力すら投じて死闘を繰り広げたのだ。これで彼らの倒れ込む姿を情けないと一蹴するのは余程の阿呆か間抜けだけだろう。

 

 ……しかし、彼らの顔に喜びは無い。柱である行冥と真白は鬼を仕留めたのはいいが、柱を二人も投入しておきながら街の被害が尋常でない規模に拡大していることを嘆いた。とはいえ、相手の能力を鑑みればここまでの大量破壊が齎され、それを防ぐことができなかったのは仕方のないことであるのだが。

 

 そして義勇とカナエが喜ばない理由は――――彼らのすぐ後ろから駆けてきている少女の存在に起因していた。

 

 

「――――お兄ちゃあん!!」

 

 

 今にも泣きそうなほど震え切った声を上げながら、おぼつかない足取りで神崎アオイは地面を空しく転がっているモノ……神崎善継の、生首へと走り寄った。

 

 普通ならばもう生きていない、もう無駄だと彼女を引きとめるだろう。だが、神崎善継は鬼としての姿を取り戻した。であるならば、あの状態になっても、恐らくは。

 

「……………………ア、オイ」

「! お、お兄ちゃん! し、しっかりして! 大丈夫、私がっ、私がなんとかするからっ! だからっ、だからぁ……!!」

「…………すま、ない。アオイ……」

 

 首だけになった善継は鬼の生命力の恩恵のおかげか、未だ存命であった。だが、それもそろそろ過去形になりつつある。

 

 彼の心が抵抗しているのか、それとも彼の不完全な日光への耐性が作用したのか。善継は切断された頸の断面から非常にゆっくりとした速度で灰化していた。

 

 それが苦痛を伴うものなのかは彼自身にしかわからない。だが確実に言えることは、彼が妹であるアオイと会話できる時間は、恐らく長くても三分程度だろうということ。

 

 故に義勇らは何も言わずに二人を見届けることにした。兄妹の最後の別れ、赤の他人が水を差していいはずもないのだから。

 

「本当に……お前には、迷惑ばかり……かけて、しまった。いつも……こす狡い輩に、騙されては……お前や、義父さん義母さんに助け、られて……兄として……心底、不甲斐ない……」

「そんなことないもん!! お兄ちゃんはっ、お兄ちゃんは私が世界で一番大好きなお兄ちゃんだもん!! 他の皆がお兄ちゃんの事をバカにしてもっ……私はっ、私たちはっ、お兄ちゃんの味方だもん!!」

「…………お前には、本当に、すまないことを……した……お前から、父と母を……目の前で、奪って……そんな俺は……お前の兄だなんて、どうして胸を張って……言える……?」

 

 善継の瞳から絶えず涙があふれ出てくる。そこから伝わる感情は、己に対する底なしの絶望と憤怒、そしてこれから一人残されてしまったアオイへの罪悪感と悲哀。

 

 そんな彼を見ても尚、アオイは欠片も拒絶したりしない。ただただ無心に、己の兄の頸を力いっぱいに抱きしめる。

 

「お兄ちゃあん……! 行かないでっ、行かないでよぉ……! お兄ちゃんまでいなくなったらっ……私一人になっちゃうっ……! お願いだからっ……お願い……!!」

「…………………お二、方」

「「!」」

 

 ふと、善継の視線が自分たちの方に向いたことを義勇とカナエは感じた。そして善継は心の底から申し訳なさそうに、しかし確かな心を以て、二人に言葉を投げかける。

 

「どうか……どうか、アオイの事を……頼め、ますか……? この子が、独り立ちできるまでで、いい……差し上げられるものは、無いけれど……どうか、俺の、最期の頼みを……」

 

 それは空から垂れた一本の蜘蛛の糸に縋るような、兄としての願いだった。

 

 一人残った妹だけはどうか健やかに育ってほしいと、その為に自分や父母の代わりに妹を守ってほしいと、彼は精一杯の誠意を以て今この場で一番信頼できる者達に己の一番大切なものを任せようとする。

 

 図々しいだろう。恥知らずだろう。恩知らずだろう。その身を削りながら長きに渡って自分を蝕み続けていた呪縛から解放してくれた者の手を更に煩わせるなど。だけれど、そうとわかっていても尚、善継は縋らずにはいられなかったのだ。

 

 生き恥を晒してしまうことになったとしても、(アオイ)だけは、どうか元気な姿で生きて欲しいと思って。

 

 その言葉を聞いた二人は……ゆっくりと、微笑んだ。

 

「この命に賭けて」

「善継さん。貴方の願い、聞き届けました。……必ずあの子を守ってみせます」

「……………最期に、君たちのような優しい子に、出会えて……良かった……」

 

 真っすぐな目で、嘘偽りなど少しもない二人の言葉を聞き届けた善継は感嘆の息と感謝の念を零し、安心したような顔を浮かべた。

 

「……アオイ、俺に、こんなことを言う資格なんて、ない。……けれど」

「お兄ちゃん……!」

 

 灰化が口のすぐ下まで迫る。

 

「どうか……生きて、ほしい」

「お兄ちゃあん……!」

 

 下唇が塵となって消える。

 

「心の底から……幸せだって……思えるまで。天寿を全うして、孫に、囲まれながら……義父さんと、義母さんのいる……天…………国……………へ…………」

「お兄ちゃん! お兄ちゃあああああん!! やだよぉ! 行かないでぇっ!!」

 

 顔が半分になって、言葉を発することすらままならなくなる。

 

 されど彼は、最期に全ての気力を絞り出し……妹へ送る最後の言葉を、告げた。

 

 

「……………がんば、れ……………おれ、の………じ………まん、の……………い……もう…………と………………」

 

 

 強い風が吹く。辛うじて形らしきものを留めていた善継はその風に煽られて、細かな灰となって霧散した。

 

 アオイは思わず空へと散っていく灰の粒を掴まんと手を伸ばすが、最早影も形も残らなくなったものを掴み取ることなど出来るはずもなく、彼女は行き場を失った手を地面に落とした。

 

 肩が震える。寒くて、怖くて、独りで居るのが寂しくて。だけれど、その肩を温めてくれる存在はもう居ない。もう全員、いなくなってしまった。

 

「うぁっ、あ……お兄ちゃん……! お兄ちゃあああああん!! うわぁああぁぁあぁあぁあああああああぁああああああああああん!!! ふぇああぁああぁぁあああああぁああぁああぁああああぁあああああああああああああああああああんっ!!!!」

 

 叫んだ、理不尽への怒りを。

 

 涙した、全てを失った悲しみを。

 

 たった九歳の幼子が受け止め切るにはあまりのも酷で大きすぎる悲劇。挫けるななどと口が裂けても言えようものか。

 

 このまま何もしなければ、アオイの心は折れて消えない傷がついてしまう。だから、周りにいる者が支えなくてはならなかった。――――そう悟ったカナエはふらふらと、今にも倒れそうな動きでアオイの傍に座り込む。

 

 そして何も言わずにその顔を己が胸に埋めさせ、優しく、母の様な手つきで背中を撫で続ける。

 

 この子が泣き止んで、眠るまで、ずっと。

 

 

「………………神仏様の、クソッタレ共が……!!」

 

 

 最早指一本すら動かせる力の無い義勇は瓦礫の海の上で大の字に倒れ込みながら、空へと向かって恨み節を吐きつける。

 

 鬼は死んだ。犠牲者も、相手の強さからすれば少ない方だろう。だがこれは何だ、一体誰がこんな結末を望んだ。

 

 神崎善継の正体が鬼である以上こんな終わり方が避けられないことだというのはわかっている。わかってはいるが……だからと言ってこんな結末が認められるわけがない。

 

 誰にも悲しんでほしくないからこの手に剣を取った。

 

 誰にも死んでほしくないから強くなろうと志した。

 

 なのにこの様だ。何も、叶えられなかった。アオイの家族を守れなかった、その少女も結局悲しみのまま終わることになってしまった。

 

(どうすれば上手く行った……! 一体、どうすれば……!)

 

 義勇の奥底から湧き上がるのは底の無い後悔のみ。それが既に過ぎ去ったありえざる未来を想う、不毛な妄想だっだとしても、彼は思わずにはいられないのだ。

 

 誰も傷つかない、誰もが幸せになれる終わり方を。

 

 絶対にあり得るはずの無い、幻を。

 

 

「……俺、はっ……………!!」

 

 

 心身共に限界に達した義勇はようやく、少しずつ眠りへと誘われていく。

 

 身体全体を包まれるような優しい抱擁に抵抗できる力は残されておらず、彼は歯噛みしながら、無意識の底へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 真っ暗な場所に、いつの間にか俺は立っていた。足元はまるで水面の様に、動けば小さく波紋が立つ。しかし水面らしきものは決して浅いようには見えず、まるで底なしの闇の様に黒色の光が鈍く発せられている。

 

「――――兄ちゃん!!」

 

 声が聞こえて、振り返る。

 

 俺の背後は、俺の立っている闇とはかけ離れた、真っ白で暖かな光に包まれた場所であった。そしてその場所で見覚えのある子供たちと、その目に涙を浮かべた三人の大人が佇んでいる。

 

 ……間違いない。俺の弟妹たちと、両親たちだ。

 

 彼らの存在に気付き反射的に手を伸ばして駆け寄ろうとするも――――我に帰った俺は、何も言わずに手を下げる。

 

 白と黒の境界面。悪しき者と善き者を隔てる絶対的な境目。……それを越えることは、恐らく俺にはできない。いいや、たとえ出来たとしても、俺は”あちら側”に行く気など毛頭なかった。

 

「兄ちゃん行かないで! こっちに来てよぉ!」

「悪い事をしたのはお兄ちゃんのせいなんかじゃない! だから私たちと一緒に――――!」

「……それはできない」

 

 弟妹たちの必死な叫びと手を伸ばす仕草に、俺はゆっくりと頭を振って拒絶の意を示した。

 

 確かに俺の罪の根元を辿れば、あの鬼舞辻無惨という諸悪の根元にたどり着く。彼が俺を鬼になどしなければ、俺の食した百人の犠牲は出なかっただろう。――――だからと言って、その実行犯である俺に罪が無いなどと言えるだろうか? 否、そんな訳が無い。

 

 俺の中に存在する二人目(凶裏)は多くの犠牲を出した。そして奴の出した犠牲の数に及ばないとはいえ、俺もまた自らの意思で人を殺した。少なくとも、弟妹たちと義父義母を殺したのは間違いなく俺なのだ。

 

 そして、凶裏は俺だ。あいつは俺が生み出した、罪悪感の押し付け先。だけどもう、俺は逃げないと決めた。目を逸らさないと決めたんだ。

 

 奴の罪は、俺の罪だ。俺が皆を殺した。であるならば、俺はその罪を償わなければならない。

 

「善継……ごめんねぇ……! 私が……私がもっと強い体に生まれていれば……!」

「すまない、母さん。言いつけを守れなくて」

 

 母は涙を流した。己が死した後の、息子の行きついた先を見て。本当なら抱きしめて、慰めてあげたいけど……こうして家族にもう一度顔を合わせられたのは、きっと神様が許してくれた奇跡だ。これ以上を求めるなど、贅沢過ぎるというものだ。

 

「……最後の最後に、意地を見せたな。息子よ」

「頑張ったわね、善継……」

「…………義父さん、義母さん。俺は……ただの人として、貴方たちと出会いたかった。本当に……すまない」

 

 この手にかけてしまった義父と義母。本来なら目一杯罵倒されても謝罪の言葉以外何も言えない。だけど二人はそんな言葉は一言も口にせず、ただただ労うように、優しい笑みで俺を宥めてくれる。

 

 本当に、本当に……普通の人間として、彼らと出会えていれば、どれだけ幸せだったことだろう。

 

 それはもう、叶わぬ願いだけれど。

 

「…………そろそろ、行かないと。な」

 

 これ以上ここに留まっては、折角振り払った未練がまた自分を縛りつけてしまう。だから俺は喉の奥から出てきそうな言葉を必死に飲み込み、家族たちに背を向けて、()()()()()()()()()を引っ張りながら暗闇の奥へと歩み出す。

 

 その鎖の先に繋がっていたのは、まるでヘドロを人型に固めたような存在。これぞ、俺という存在の負の感情から生み出されたもう一つの自分。都合のいい感情の逃避先として生まれ、そして鬼の細胞から悪意を学び続け、ついに最悪の存在へと開花しかけた暴風の君主。

 

『放セェェェエエエエエエエッ!! ヤメロォォォォォオオ! 俺ハッ! 俺ハマダ死ニタクナイィィィイイイイイイイイ!!!』

「……ごめんな。俺のせいで、お前は歪な形で生まれてしまった」

 

 凶裏は加害者だが、同時に俺という存在の被害者でもある。

 

 俺の勝手な都合で作り出されて、生まれながらに”悪”という存在に定められて、八年間も俺の身体に閉じ込められた挙句、自由など味わえないままこうして死んだ。

 

 行った所業を思えば決して同情していい存在では無いけれど、憐憫すべき存在であることは間違いない。

 

「だが、だからと言って俺はお前を許すことはできない。――――共に往こう。それが俺がお前にできる、せめてもの償いだ」

『嫌ダ! 嫌ダァ! 嫌ダァアァアァアアアアア!! 俺ハァ! 俺ハマダッ、ナニモ、残セテ――――イナ――――イ――――――――』

 

 水面から炎が湧き上がり出す。悪人を裁く地獄の業火が、俺たちの身体を余さず焦がしていく。

 

 

 …………振り返る。

 

 

 もう、家族の姿は無い。……良かった。こんな俺の姿を、見せる訳にはいかないのだから。

 

 

「……………これ、で…………やっと………………」

 

 

 地獄で犯した罪を償い終えたのならば、俺はどうなるのだろう。

 

 

 お坊さんは、死んだ者の魂は輪廻に還り、いつか再び現世へ生まれいずるものだと言っていたが、それは罪人である自分にも当てはまることなのだろうか。

 

 

 だが、もし再び転生して、人として生まれることができたのならば。

 

 

 

 

 

 今度こそ、俺は――――

 

 

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 

 寝室にて、一人の青年の持っていた書物が絨毯の敷かれた床へと力無く手落とされる。

 

 次第にその肩は震え始め、ミシミシと音を立てながら何の変哲もなかった爪は猫の様な鋭利なものへと変形していき、麗しい青年の顔の表皮には溢れんばかりの憤怒の証明として幾つもの血管が浮かび上がった。

 

「……? 雅貴(まさたか)さん、どうしたの? 何処か具合が悪いのかしら……?」

「おとーさん? おなかいたいの?」

 

 そんな青年の異常を感じ取って妻と息子が目を摩りながら起床するも、青年が妻と息子の声に返答することは無かった。

 

 だが、反応はした。

 

 

 ――――声をかけられた一瞬後に、両者の上半身を消し飛ばすという形で。

 

 

 青年の腕から伸ばされた無数の目玉と口のついた異形の巨腕は妻と息子の身体を飲み込んだだけでなく、勢い余って部屋の壁を突き抜けて、その際に起こった衝撃波によって壁が天井の一部ごと崩落。

 

 一秒もかからず、洋風に作られた一軒家の二階にあった家族の寝室は酷く開放的な造りとなってしまった。

 

 

「――――鬼狩り風情がぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」

 

 

 当り散らすように寝台と室内のインテリアを滅茶苦茶に破壊しながら青年は――――鬼殺隊に見つからないため人間に擬態し一般家庭に潜り込んでいた鬼舞辻無惨は、千年間の生涯の中でも五指に入るだろうほどに激怒する。しない訳がない。

 

 約千年も待ち続けてようやく現れた太陽克服への手掛かり。それがどれだけ小さな可能性であろうが、唯一己の悲願を確かに叶えられる可能性のあった存在を、たった今鬼殺隊によって斃されたのを感じた。

 

 完全に油断していた。自身の血をあれだけ多量に与え、凶裏が上弦並みの力を得たことを確信したのだ。故に、例え柱が一人二人来たところで返り討ちにはできなくとも殺されることはないだろうと踏んでいた。

 

 だが凶裏は殺された。何故だ、何が起こった。

 

「何故だ……! 何故記憶が途中で途切れている!!?」

 

 凶裏と共有……いや一方的に覗いていた視界と思考。それは戦いの最中突如途切れることとなった。だが当然ではある。死の直前まで凶裏の肉体がある程度残っていたのならば辛うじて思考機能は残っていたかもしれないが、悲鳴嶼行冥の放った鉄球の一撃は凶裏の頭部どころか上半身を丸ごと粉微塵にした。これでは見ることも聞くことも考えることもできる訳が無い。

 

 更に想定外な事に、無惨からの支配を拒絶し続けた善継が僅かとはいえ”呪い”から脱却し、無惨に思考と視界の共有をできなくさせた。これによって無惨は事の顛末を見ることが出来なくなってしまう。

 

 つまり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。柱二人がとどめを刺したのかもしれないし、義勇やカナエが行った可能性もある。ともすれば別に駆けつけたかもしれない援軍の仕業かもしれない。

 

 手を下した者が誰かわからない以上、特定個人へ恨み怒りをぶつける事など出来やしない。だが完全に不可能という訳ではなかった。鬼舞辻は心底面倒ではあったが、上弦を派遣して凶裏を仕留めた下手人ごと京橋區に居る鬼狩り共を一掃しようと決意する。

 

 そんな事をしたところで返ってくるものなど何もないが、それでも多少は溜飲が下がる筈だ――――そう思っていたが。

 

「……クソッ! 時間が……!!」

 

 無惨は時計を見てすぐにそれが下策だと理解してしまう。懐中時計を見れば既に七時に差し掛かる頃。……そう、夜明けの時間だ。

 

 忌々しい日光が照りつける時間が来た以上、上弦を派遣した所で灰になるだけだ。そして怒りに塗れて視野狭窄になった無惨といえど、得られるものも無い戦いに貴重で替えの効かない手駒を使い潰してはならないと判断できる理性は残っていた。

 

 無惨は怒りを僅かでも晴らすように手にした懐中時計を握り潰して破壊し、グツグツと溶岩の様に沸騰する激情のままに指を鳴らす。それだけで何もなかった筈の真横の空間に障子らしきものが現れ、ゆっくりと異空間への扉が開かれた。

 

「覚えておけ、鬼狩り共。この屈辱忘れんぞ……!!」

 

 立ち去る前に餞別とばかりに無惨が腕を振るえば、家屋を支える支柱と壁が全て破壊された。それによって家全体が地面へと大きく傾き始める。

 

 しかし無惨は一時とはいえ己が住んでいた家の最期を見届けることもせずに、己が本当の根城へと立ち去ってしまった。直後に起こる倒壊音。上半身を食われた女性と子供の遺骸も崩れた瓦礫に潰され埋もれゆく。

 

 二人が何も知らないまま逝けたのは、果たして幸か不幸か。

 

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

「―――――じゃあ、問題だ。とある三人が三十銭分の米、二十銭分の酒、一銭の魚や肉をそれぞれ四つずつ買い、帰りに十五銭分の食事をした。その合計代金を、三人はそれぞれ等しく分けて受け持とうとしている。この場合、一人当たりの費用はいくらになる? 割り切れない場合は小数点第二位の数を四捨五入してくれ」

「え、ええと、えーと……」

「ゆっくり考えろ。ただし、二分経ったら時間切れだぞ」

 

 京橋區にある小さな私立の病院。綺麗に掃除された一室にて、俺は本を片手に傍でちょこんと座っているアオイに対して簡単な算数問題を出す。

 

 それなりの教養があればすぐに解けそうなものではあるが、それは二十一世紀基準のお話。ましてや相手は十にも満たない子供である。しかしそこは両親が営む飲食店の手伝いをしていた経験か、うんうんと唸りながらもアオイは寝台の横にある机で洋紙に鉛筆を走らせながらじっくり計算を行っていた。

 

 カチリ、カチリと壁に立てかけられた時計が時間を刻んでいく。やがて一分半ほど過ぎた頃だろうか、アオイの手がようやく止まり、少女は「できたー!」と喜びの表情で紙に書かれた数字を見せつけてくる。

 

「答えは二十五銭七厘! どう?」

「正解だ」

「やったぁ!」

 

 さて、そろそろ俺たちが何をしているか説明しよう。と言っても、そんな小難しいことはしていない。単純に、俺がアオイに教鞭を取っているだけだ。……どうしてそんな事をしているかって? それを説明するには、まず二週間程前の出来事を知る必要がある。

 

 ――――二週間前、十二鬼月・下弦の伍”凶裏”討伐後、行うべき後処理は甚大かつ膨大であった。

 

 奴によって破壊された建物は十や二十では利かず、あの一晩で住むべき場所を失った人は大量に生じた。住処だけなら産屋敷マネーパワーによって仮住居を設置するなりして何とか対応は出来たが、家だけでなく財産や備蓄、更に職を失った者も少なくなく、死者こそ片手で数えられる程であるがこの戦いで今後の人生に多大な影響を受けた者は、恐らく千人は下らないだろう。

 

 そう言った者達のフォローは可能な限りするつもりではあるようだが、何にせよ京橋區は今後数年間は荒れる。一般世間には「爆弾魔による犯行であり、犯人は確保を試みるも自爆した」という体で処理されたが、それで被害にあった者達の鬱憤が晴れるかは怪しい所だ。

 

 この二週間、窓から外の様子を伺っていただけの俺でもわかるほどの張り詰めた空気。治安の悪化は免れまい。が、ここから先は警吏たちの仕事だ。無責任かもしれないが、適材適所という言葉に従い割り切る方が得策と言えよう。大体俺一人が喚いた所でどうしようもない。

 

 それで、だ。俺に関しては当初こそ花屋敷に移送する手筈であった。あそこならば下手な病院よりも遥かに高度で効果の高い治療が受けられるからだ。……が、それは無理だった。

 

 何故無理だったかと言えば――――戦いが終わった当時の俺の肉体の状態があまりにも酷過ぎたから、だ。

 

 全身の至る所に銃傷と深い裂傷、四肢の筋肉は例外なく内側からボロクズと化しており、血液もほぼ失血死寸前の有様。肋骨も半分以上に罅が入っていて、左腕は複雑骨折で適切な治療を受けねば二度とまともに動かせないだろうと勧告を受けた程凄惨な状態であった。

 

 そのため、俺の身体は長時間の移動に耐えられないと判断され、隠達により京橋區の中で一番大きな病院に搬送されることとなった。高度な施術こそ行えないが、まずは傷を塞いで花屋敷に移送可能な状態にするために。

 

 ……と、以上が凡そ一週間前に目を覚ました俺が受けた説明である。

 

 あれだけ大怪我しておきながらたったの一週間で目を覚ますとは。いや、これより酷い怪我を負った時は三日程で目を覚ませていたのだから、むしろ長いくらいか?

 

「義勇さん! 次は文字の練習ですよね?」

「ああ。今から俺が紙に漢字を書くから、その漢字と読みを暗記してくれ。ちゃんと一文字ずつ覚えるんだぞ」

「うん!」

 

 それで、だ。一週間前に目覚めたはいいが、俺は殆ど身動きがとれない状態であったため非常に暇を持て余すこととなった。怪我人なんだから黙って過ごせと言われれば何も言い返せないが、俺は目的が無いとジッとして居られない性分なのだ。

 

 なので、俺は空いた時間を使ってアオイに勉強を教えることにした。とりあえず四則計算と漢字の読み書きさえ覚えれば、これからアオイが取れる選択肢も増えるだろうと思って。

 

 幸い、この子は地頭がとてもいいのか飲み込みが早かった。ちゃんとした教育機関にさえ通えば、商人として一旗揚げるのも夢ではないかもしれない。

 

『――――義勇君、起きてる? 食事を持ってきたのだけれど』

「起きている。入ってくれ」

 

 コンコンと部屋の戸を小さく叩く音。板を一枚隔てて聞こえた声の主はすぐにわかったため、俺は特に迷うこともなく来客を病室に招き入れた。

 

 戸を開けて入ってきたのは勿論カナエ。どうやら彼女は俺とアオイの分の食事を盆に乗せて持ってきてくれたらしい。なんでも態々病院の厨房を借りて手ずから作っているんだとか。全く、面倒見が良すぎるというか。

 

「義勇君はお粥をどうぞ。アオイちゃんはこっちの味噌煮込みね」

「ああ、ありがとう」

「うわぁ! 美味しそう!」

「誰も盗らないから、焦らずゆっくり食べるのよ~」

 

 俺はカナエからお粥の乗った盆を受け取る――――ことは片手が不自由な以上無理だった上、未だに右手の方も痺れが抜けきっていないため、今回も大人しく彼女に食べさせてもらうことにする。目を覚まし、栄養点滴ではなくしっかりとした食事を再開してからもう四日目。最初は引け目があったがもう慣れた。

 

「はい、あーん」

「……あー」

「んふふ、まるで小鳥に餌を与えてるみたいで可愛いわ」

「揶揄わないでくれ……」

 

 敵わないな、彼女には。

 

 ……食べている間に得た情報のおさらいの続きだ。

 

 負傷した俺と、俺を一人置いて戻ることに抵抗を示したカナエ以外の隊士。つまり柱二人に関しては至急花屋敷へと送られ集中治療が行われているらしい。悲鳴嶼さんは右耳の鼓膜破損、軽度の脳震盪、左腕と両腿貫通、背部表皮の大部分が剥離。真白さんは全身打撲と右大腿部骨折、そして骨折している足に無理をさせたことでかなり重い筋断裂を患ったらしい。

 

 どちらも一朝一夕で治せる様な傷ではないため、最低でも二週間は鬼殺隊は柱が二名動かせないという困難に見舞われることになる。ただ、その代償としてあの怪物染みた才覚を持つ鬼を狩れたのは幸いと言えるが。

 

 そして最後だ。……アオイの両親と、善継さんの葬式が済んだ。怪我のため俺は出席できなかったが、彼らは随分多くの人に好かれていたようで、かなりの人数が訪れたらしい。その上、この爆発騒ぎで犠牲となった四人の内三人という事(にされた)のもあって、一人残されたアオイにはかなり同情的な視線が集まったようだ。

 

 その中にはそんなアオイに養子になるよう声をかけた善良な者もいたようだが、当の彼女は――――

 

「……アオイ、本当にいいのか。俺たちに付いてくる選択をして。お前が望むなら、もっと別の道を用意する事だってできるんだぞ」

「またですか。……自分で決めたんです。二人に付いて行くって。私も……私も鬼狩りになりたい」

「アオイちゃん……」

「………………」

 

 それらの声を全て蹴り、アオイは俺たちに付いて来て鬼狩りとなるのを望んでいた。きっと、兄の様な人をこれ以上生まないため、何より兄をあのように変貌させた鬼舞辻への復讐心からくる衝動に突き動かされていたのだろう。

 

 身近に鬼への怒りを抱いた実例がいるのだ。察しはすぐについた。だが、果たしてそれが彼女のためになるのだろうか。

 

 俺の知る限り、神崎アオイは力が付いても鬼は狩れない。実力があっても、心が弱いのだ。死と隣り合わせになっても立ち上がれる勇気が、彼女にはない。

 

 だが勘違いしないでほしい。俺はその事を責める気も蔑む気も一切ない。そもそも死地に自分から飛び込んで人外どもと渡り合う鬼殺隊(俺たち)が異常なのだ。生への欲求を鬼への怒りで揉み消して剣を振るう。それの何処が正常と言えようか。

 

 ともかく、このまま行けば彼女は無用な苦労をすることになってしまう。しかし、だからと言って強く否定することもできやしない。彼女には怒りを抱く権利も、それに従い自分の道を選ぶ権利もある。俺たちができるのはあくまでも助言だけだ。その上でアオイがその道を選んだのならば、もう俺たちのような外様がとやかく言うわけにもいかない。

 

 ……いいや、単に俺が優柔不断なだけか。長々と御託を並べたが、結局はアオイの怒りをどう収めればいいかわからないから「仕方ない」と諦めているだけ。

 

 全く、考えれば考える程、自分が嫌になる。

 

「――――あら、そろそろ健診の時間だわ。アオイちゃんも、そろそろ行きましょう?」

「はい。では冨岡さん、また明日!」

「また明日」

 

 定期健診の時間が近づいてきているのに気づいたカナエがアオイの手を取り、食器を片づけて部屋から立ち去った。

 

 そうして訪れるのは、静寂。静かな空間の中で、俺の心臓の鼓動だけが耳へと静かに伝わってくる。

 

(…………虚しい)

 

 十二鬼月の討伐。鬼殺隊では間違いなく称えられるべき業績である。

 

 誇るべきだろう。

 

 胸を張るべきだろう。

 

 俺は強い悪鬼を討ち倒したのだと。

 

 だけど、そんなことをしようとする気が全く湧いてこない。胸の中に在るのは、ただただ虚しいと感じる空虚感と無力感。

 

 結局一人では何もできなかった。

 

 結局誰も笑顔に出来なかった。

 

 何も、変えられなかった。

 

(………………どうして、俺は、ここに居るんだ)

 

 俺がここに居ることには意味があるのだと思っていた。思いたかった。だが結局望む結末は得られず、できたことは最悪の事態を回避することだけ。

 

 最悪でなかったことを誇るべきか? 犠牲者が経った四人しか出なかったことを誇るべきか? ――――誇れるか。そんな事を。

 

 何で俺はここに居る。何で俺はこの身体に居る。

 

 何の、ために。

 

 

 

 

 

 

 

 

「カァァァァッ! 緊急! 緊急! 子供ガ鬼ニ襲ワレテイルゥゥゥゥ!」

「ッ―――――――!!!」

 

 真夜中、グッスリと熟睡して傷を癒していた俺は鎹烏の声に反応して目を覚ます。窓の方を見れば相方である黒衣がパタパタと翼を羽ばたかせながら叫び散らしていた。

 

 その声の内容を寝起きの頭でどうにか理解した俺は寝具の下に隠していた折れた刀を手に取り、患者服のまま窓から近くの建物の屋根へと跳んで病院を出奔する。身体はまだまだ本調子には程遠いが、そんな事を言っている場合ではない。

 

「黒衣! 鬼の場所は!」

「東ノ住宅区ダ! 急ゲ! カァァァァア!!」

「了解……!」

 

 黒衣を追う形で屋根から屋根を伝って最短距離で移動する。どうか間に合ってくれと心の中で切に願いながら、痛む身体に鞭打って俺は夜空の下で何度も跳ねた。

 

 目的地にはおよそ三分で到着した。僅かだが遠目で鬼らしき影が何かともみ合っているのが見える。襲われているという子供は――――生きている! どういう術を使ったのかはわからないが五体満足で鬼相手に健闘している!

 

 そして鬼は様子からして飢餓状態。しかも子供にすら対抗できる程弱いという事は、()()()()か。鬼舞辻め……!!

 

 何はともあれ、まだ誰も食べてないのなら……せめて痛みを与えず葬ろう。

 

「――――水の呼吸、【伍ノ型】」

 

 屋根の端から力を込めて跳躍。一瞬で鬼との距離を詰め、穏やかで真っすぐな剣筋で、俺は折れた刀を静かに振るった。

 

 

「【干天(かんてん)慈雨(じう)】」

 

 

 本来ならば鬼が自ら首を差し出した時にのみ使う技だが、今回は例外だ。俺の気配を読む感覚だけが頼りの推定ではあるが、気配からして恐らくこの鬼は本当になり立て。誰も食べていない。

 

 ならばせめて、苦しまないように死なせてやるべきだろう。それが鬼へと変貌した者へ示せる、人として葬るという唯一の慈悲であるならば……。

 

「おい君、大丈夫――――」

 

 残心を終えた俺は首を斬られ力を無くした鬼の身体に下敷きとなった子供に声をかける。見た所血だらけだ。早く医者に見せ

 

 

 

 

 

 

 

 

「おね、がい……こども、たち……を……どう……か……………」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………母、ちゃん?」

 

 夜が明けた。日が出て、暗がりだった景色がはっきりと見え始める。

 

 その子供の顔は、少しだけ見覚えがあった。かすれ始めた前世の記憶に、確かに存在している顔だ。

 

 白い髪、鋭い目つきを持つ少年が鉈を片手に、茫然と血に転がる生首を見ている。

 

「――――母ちゃん!!」

 

 後ろから、頭の真ん中以外の髪を刈り上げた独特な髪形の少年が声を張り上げながら姿を現した。少年は折れた刀を持った俺を見て一瞬硬直し、そしてすぐに生首だけになった己が母の姿を発見して涙を流しながら首を抱きかかえる。

 

「うわああああ! 母ちゃん! 母ちゃん!!」

「……………お前たち、は」

 

 何を言えばいいのかわからなかった。いや、最初から、俺に何かを言う資格は、無かったのか。

 

 

 

「何でだよ! 何でっ、何で俺たちの母ちゃんを殺したんだよ! この人殺し! 人殺し――――――――っ!!」

 

 

 

 俺は、その時自分がどんな顔を浮かべたのかを覚えていない。

 

 

 ただ、確かなことを言えるのは。

 

 

 あの場で俺は、どうしようもなく、自分という存在に絶望したという事だ。

 

 

 

 

 

 




無惨様「こんだけ血を与えてやったんだしまあ死なないでしょ(慢心)」

《下弦の伍がグループから離脱しました》

無惨様「????????」

この件を経て無惨様は二度と報酬の前払いをしないことを決意した。そしてこの後滅茶苦茶八つ当たりした(適当に通りかかった女に血を投与)。冨岡さん(憑)のメンタルにこうかはばつぐんだ。

冨岡さん(憑)の自己評価が底知らずに下がっていく件について。今回の件でこの人メンタルにダメージしか負ってねぇな……。

Q.こんな時になんでカナエさんは来てないの?
A.連絡は入ったけど単純に間に合わなかった。ただ途中で合流できたとしても一人余計に精神ダメージ負うだけだから結果オーライ。なお冨岡さん(憑)の心
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