水に憑いたのならば 作:猛烈に背中が痛い
服が消え、外気に曝け出された上半身に枯れ枝の様な皺だらけの手が探る様に触れていく。その手はじっくりと時間をかけて肌に刻まれている傷跡に触れていき、粗方触り終えるとやがて離れていった。
「……どうです?」
「おめでとう、と言えばいいのかねぇ。左腕以外の外傷はほぼ完治。あんだけの大怪我を二週間で治しちまうなんざ、化物かいアンタ」
呆れたように物を言う老婆、花屋敷の主人であり主治医の菫は煙管を吹かしながら俺へと診療結果を告げた。
常人ならば半死半生になっているだろう重傷。それらをたったの二週間で(痕が残ったとはいえ)治しきってしまうとは、呼吸と痣の力というのはとんでもない恩恵であるとしみじみ思う。
ただ、当然と言えば当然か骨折までは容易く治せないようだ。流石の痣といえども限度というものはあるという事だろう。
「流石は”痣者”と言えばいいのかね」
「知っていたんですか?」
「当り前だ。少なくとも現柱と元柱、それと刀鍛冶の里の長には知らせが届いてる。……代償の方も含めてね」
「そうですか」
あれから痣についての情報がどうなったかは把握していなかったが、どうやらちゃんと重要人物へと通達されていたようだ。
痣を出す条件についてはあまりに詳しく説明すると疑念を抱かれかねないため、体温と心拍数の上昇と非常にあやふやなものしか渡せなかったが、才能ある柱たちであれば恐らく最低限の情報でも出せると思うし問題はないだろう。
「で、どうするんだい」
「……………」
菫さんが言いたいことは察せる。痣の寿命問題について家族や友人に知らせなくていいのか、と。
どうするんだと言われても正直、どうも決めていない。問題の先送りと言われればぐうの音も出ないが、だからと言って「実は俺は痣を出してしまって寿命が二十五歳に固定されてしまった。だからあと十二年しか生きられない」なんて素面で言える程俺の肝は据わっていないし、それを聞いた友人たちの反応も想像に難くない。
少なくとも蔦子姉さんはその場で泣き崩れるか卒倒しそうだ。だからあまり言いたい気分にはなれない。
だが、いずれ目を逸らせなくなる問題であることも事実。可能ならば、早めに片づけてしまった方がいいのだろうが……。
「難しいです」
「だろうね」
「……でも、いつかちゃんと俺から告げます。ただ、寿命が二十五になったからといって、俺が無事に二十五を迎えられるかは別ですが」
「目の前の婆が七十越えてまだまだ五体満足でピンピンしてるんだ。半分も生きていない若者が甘ったれたこと抜かしてるんじゃないよ、小僧」
「……ありがとうございます」
「ふん」
ちょっとひねくれた物言いではあるが、菫さんなりに励ましてくれているのだろう。俺は小さく笑って礼を言いながら脱いでいた患者服を羽織る。
しかし情報か。鬼殺隊にとって有益な情報など幾らでも持っているが、問題はそれを事実と証明する手段が皆無だということ。”先見の明”という超能力染みた第六感を持つ産屋敷一族に直接告げられるのならば嘘だと思われずに秘密裏に重要な情報を浸透させることも夢では無いのだが――――
(……いや、待てよ。そういえば大事なことを伝え忘れて居たような……………ッ――――!!!!)
瞬間、俺の脳裏に電流の様な物が走った。そうだ、今なら提供できる情報がある。それも産屋敷一族と直接対面することも許される代物が……!!
「菫さん」
「なんだい? 蝶々娘なら少し前に食材の買い出しに――――」
「先日の戦いの最中、鬼舞辻無惨と遭遇しました」
「……………………………は?」
カラン、と手から滑り落ちた煙管が床を叩いた。
「――――まさかこの様なことになるとは。ええ、全く以て貴方は私の予想の上を行ってくれる」
太陽が頂点を過ぎ去り、午後を指し示すように傾いていく頃合い。俺とカナエは森に囲まれてポツンと建てられた豪奢な屋敷の砂利が敷かれた庭の上で正座の姿勢で固まっていた。
目の前には師である漣雫が怒りとも喜びとも言えない、しかし確かに和やかでは無い雰囲気を纏って正座をしている俺たちを見下ろしている。
……どうしてこうなった。
「……あの、雫さん。怒ってます?」
「いいえ? 気のせいでは?」
「師匠、纏っている雰囲気のせいで全然説得力が無いです」
「胡蝶さん、私は”気のせい”と言いました。聞こえませんでしたか?」
「あっはい」
今現在、俺とカナエは産屋敷邸――――鬼殺隊にとっては最重要にして最高機密とも言える場所にいた。
隠の案内無しではまず辿り着けないだろう樹海の最奥。幾つもの偽装と攪乱が施された天然の要塞を俺たちの様な平隊士が潜り抜けられた理由はただ一つ。俺たち二人が鬼殺隊にとって絶対に無視できない情報を得られたからに他ならない。
即ち、鬼舞辻無惨についての情報。この数百年間掴めなかった存在の尾を掴める可能性である。
それゆえに現役の柱全員がこの屋敷へと緊急招集され、本人の口から得た方が情報も正確だろうという理由から療養中の俺とカナエがこの場に引っ張り出されて現在に至るわけだ。
此処までは俺の狙い通り。ただ一つだけ言うなら……どうして雫さんが怒っているのかわからない。怒られるようなことは…………まあ、したかしてないかといえば、したような気もするが。
「全く、二人ともとんだ無茶をして……状況的に仕方ないと言える部分もあるようですが」
「……すみません」
「ふぅ……二人とも傷が治り次第鍛え直しです。前以上に徹底的に扱いて、二度と下弦の鬼如きに後れを取らないくらいに仕立て上げますから、御覚悟を」
「「ひぇ」」
事実上の死刑宣告に俺たちは小さく悲鳴を上げた。
この前の鍛錬でもかなりの疲弊を強いられたというのにそれ以上のものを? 雫さんは治ったばかりの身体をもう一度複雑骨折させるつもりなのだろうか? ともかく地獄の責め苦の如き鍛錬が確定したのは確かだろう。
「雫さん。そこまでにしておきましょう。元はと言えば、俺が担当区域から離れてしまったのが原因ですし……」
そんな笑顔でお怒りの雫さんに声をかけたのは炎柱である惣寿郎さんだった。彼は申し訳なさそうな顔をしながら何とか雫さんを宥めようとするも――――意外にも雫さんは冷たい視線で惣寿郎さんを睨みつけ、惣寿郎さんを黙らせてしまった。
怒っている。それも俺たちに向けたような指導者の立場から来るものではない、純粋な怒りだ。
「黙りなさい惣寿郎。此度で二度も下弦の肆を取り逃がした間抜けにとやかく言われる筋合いはありません。……一度ならず二度までも、随分と詰めを怠ったようで」
「……申し訳ありません」
「仏の顔も三度まで。また同じ失態を繰り返したのならば、お館様が何と言おうが私が貴方を柱の座から降ろします。少なくとも”今の貴方”は柱の器ではない」
「………………わかっています。俺は、ただの穴埋めのようなものですから」
「貴方がこれからも自分自身をそう認識し続けるなら、三度目が訪れるのはそう遠くはないでしょう。……では二人とも、また後程」
怒りの形相を崩さないまま雫さんは足早に離れていってしまった。
驚いた。まさか苛烈な所がありながら誰に対しても温和な性格を崩さなかった雫さんがあれほどはっきりと怒りに顔を歪ませ、それだけでなく厳しい言葉を正面から他人にぶつけるなんて。いや、人としては喜怒哀楽があるほうが正常なのだからおかしい所は何もないのだが。
「ははは……相変わらず、かな」
「惣寿郎さん。雫さんと何かあったんですか? 失態を戒めるにしても少し、言い過ぎだと思うのですが……」
「いいんだ。彼女にはその権利がある。少なくともこの場で刺されても、俺は雫さんに文句が言えない」
黄昏の空を眺めるような憂いのある表情。後悔の念に歪んだ顔。……やはりただならない関係なのか?
「もしかして……元恋人だったりするんですか?」
カナエも俺と似たような考えに至ったのだろう。しかし年頃の乙女の好奇心故か何の憚りもなく口に出してしまったではないか。こう言うのはデリケートな問題だから不用意に触れてはならないというのに。
事実、惣寿郎さんはカナエの問いに対して答えに困ったのか苦笑だけを返した。
「答えは沈黙とさせてもらうよ。それと、雫さんに同じ質問はしない方がいい」
「どうしてです?」
「鍛錬の量を倍に増やされては嫌だろう?」
「ばっ……!?」
どうやら藪蛇を突きかねない質問だったらしい。危うく地獄の鍛錬が更に酷いことになる所であった。
「――――息災か、惣寿郎」
「拳斉さん」
雫さんが離れたことで視線的な縛りを解かれた俺たちが正座を解いて立ち上がった直後、背後に何か巨大なものが現れたのか全身に影が差した。
反射的に振り返ると――――巨人がいた。
身長は軽く見積もって
「下弦の肆の情報と顛末は概ね把握している。私見ではあるが、アレは一人ではどうにもならん類だろう。だからそう気を落とすな」
「どのような理由であっても、俺が奴を二度も逃したのは事実です。言い訳なんてできません」
「……生真面目すぎるのも考え物だな。まあ、次こそしっかりと前準備をして――――む、お前たちは?」
自分を見上げて唖然としている俺たちの存在にようやく気付いたのか、男はギロリと鋭い視線で俺たちを凝視する。俺は思わず気圧され、カナエも「ひっ」と小さく悲鳴を上げて涙目になった。それ程の気迫をぶつけられたのだ。
「拳斉さん、少し離れてください。この子達が怖がってます」
「? 別に怖がらせたつもりはないんだが」
「無意識に威圧してるんです。この前横切っただけで子供に泣かれた挙句市民から警吏を呼ばれたのをもう忘れたんですか?」
「……嫌なことを思い出させないでくれ」
惣寿郎さんによると、俺たちが威圧だと思っていたのはただの無意識的なものであったらしい。意識せずしてこの気迫ならば、意識して殺気をぶつけられたら一体どうなることやら。
男は申し訳なさそうな表情を作りながらスッと俺たちの前に手を差し伸べる。少し間を置いて握手だと気づいた俺たちは少しだけ固い動作ながらも順番にその手を握り返した。
「
「冨岡義勇です。よろしくお願いします」
「胡蝶カナエです! よっ、よろしくお願いします!」
「お前たちの事は聞き及んでいる。現水柱の継子にして期待の新人隊士とな。特にそちらの……冨岡と言ったか。先日のを含めれば、入隊から半年足らずで下弦とはいえ十二鬼月を二体も討伐しているとか。惣寿郎の継子も中々筋が良さそうだったし、今期の新人たちはかなり期待が持てそうだな」
「恐縮です。でも、あれは運が良かっただけです」
褒めてくれたことは素直に感謝できるが、下弦の陸も伍も正直自分の手柄として誇りたいという気持ちはあまり無かった。俺一人ではまず死んでいただろうし、その場にいた人が誰か一人でも欠けていれば最悪全滅もありえた。
つまりほとんど運だけで勝ったようなものなのだ。他人に対して胸を張って自慢できるようなものではない。
「運も実力の内だ。それと……あまり自惚れるな」
「え?」
「一人で何もかも解決できるなどと思い上がるなと言っているんだ。……一人でできることなど、そう多くはないんだからな」
「……………」
「義勇君……?」
わかっている。下弦との戦いは結局俺は他人に手助けしてもらうことでやっと討ち取ることができた身。自分ができることの高など知っている。
だが、だからと言って他人を進んで危険に巻き込むことはしたくない。自分一人で全て片づけられるなら、それが一番だと……そう思っては、いけないのだろうか。
「おっ、良さそうな尻発見!」
「ひゃあん!?」
「!?!?!?」
答えの出そうにない自問自答を繰り返していると、何の前兆も無く聞き覚えの無い男の声と共にカナエの可愛らしい悲鳴が木霊した。思わずそちらを向けば…………カナエの背後で屈みながら尻を揉みしだいている、如何にもチンピラという風体な変質者がいた。
何だこいつは。気配を感じ取ることにはそれなりに自身のある俺が気配を全く感じ取れなかった……!?
「あっ、貴方何して……!?」
「ほう、このデカさは安産型だな。それに引き締まりの中にしっかりとした柔らかさ……こいつは逸材だぜ……!」
「――――人の弟子に手を出すとは、死にたいようですね雷小僧」
「やべっ」
誰もが唖然として動けないでいる中、結構な距離を取っていた筈の雫さんが一瞬にしてこちらに詰め寄り、カナエの尻を揉んでいた変質者を蹴りつけた。……が、変質者は難なく雫さんの蹴りを回避し軽やかな動きでこちらから離れて行ってしまった。
今放った雫さんの蹴りは常人や並みの隊士では回避は困難だとわかるくらいには早かった。だとするならそれを軽く避けられるあの男はやはり……。
「惣寿郎さん、彼は?」
「あ、ああ。彼は”桑島”霆慈郎。元鳴柱のお孫さんで、現鳴柱を務めている男だよ」
「桑島……」
確かその名は元鳴柱にして、未来の主人公組の一人である我妻善逸の師の苗字。まさか孫がいたとは……かの老人に子供や親戚がいる可能性はない訳ではなかったが、実際目の当たりにするとやはり驚いてしまう。
「ちっ、婆め。ちょっと女子の尻揉んだだけで噛みつきやがって。別にテメーの尻揉んだわけでもねぇだろうが」
「鬼殺隊に居る女性に例外なく狼藉を働いている男が言える台詞とは思えませんね」
「いいだろ減るもんじゃねーし。それにほら、俺ほどの男に胸や尻を揉まれるのは逆に運が良いと思えば――――」
「思える訳ないでしょう!? 何を言っているんです貴方は?」
「おう、お前さんの尻は揉み心地よかったぜ! これまで触ってきた中で十指に入るくらいにはよかった! また揉ませてくれよ!」
「くたばりなさいこのマセガキが」
「けっ、誰がくたばるかよ鬼婆!」
「――――ほう、ほう……………本当に死にたいようですね、この糞餓鬼……!!」
なんだか話が良くない方向にどんどん転がっていっているような気がする。というか今まさに目の前で水柱と鳴柱の殴り合いが始まらんとしていた。
念のため惣寿郎さんと拳斉さんに視線を飛ばしてみるが、二人とも無言で目を逸らした。なんで?
「あの、隊士同士の争い事はご法度では……?」
「あれはその……稽古だから。だから止めなくていいんだ。うん」
「冨岡よ、一つだけ良いことを教えておこう。この世には言って止まる奴と止まらない奴の二種類が存在する。雫さんがどちらに属するかは敢えて言わないが……無駄だとわかっていることを態々進んでやろうとする奴はいない、とだけ言って置こう」
「えぇ……?」
「そこで雫さん! その助平な男をとっちめてー!」
視線を雫さんたちの方に戻してみれば、雫さんが桑島さんを投げ飛ばして地面に張っ倒し、動きが止まった隙にその腹に跨って顔面に幾度も拳を叩き込んでいた。その残虐ファイトスタイルに思わず俺も顔を背けて目を覆うが、カナエはセクハラされた腹いせか遠慮なく声援を送っていた。
……まあ、いきなり尻を触ってくるような男がボコボコにされているのならばこの反応も仕方ないか。
「あのー、この状況は一体なんです? またあの雷クソ男が雫さんの胸を揉みしだいたり?」
「うはぁ、漣のあんな切れ顔を見るのは五年ぶりじゃのう。その時は霆坊が漣の隊服だけを細切れにして上半身裸にひん剥いたんじゃからむしろ殺されなかっただけ有情であったが。で、今回はなんじゃ? 下着でも剥いだか?」
死んだ目で柱二人の稽古(という名の蹂躙)を眺めているとまた人の近づく足音が。振り返るとそこにはそれなりに年を取ってそうな灰色の髪を持つ男と、そんな男とは対照的なまだ十五にも届きそうにない、というかしのぶくらい身長の低い女の子が立っていた。
男の方はともかく……あの女の子は一体。もしや柱? いやあり得ない。だってあの低身長や筋肉の付き方では鬼の頸を斬る筋力はどうやっても練られない。だとするなら男の方の連れ? だが重要参考人でもない限り柱や選ばれた隠以外の者がお館様の屋敷に入る許可が得られるとはとても思えないのだが……。
「あ。貴方が冨岡なんたらって子だよね? 君の活躍いっぱい聞いてるよ。同い年として私も鼻が高いよ!」
「は、はぁ。ええと……君は?」
「ん? あー、そう言えば自己紹介していなかったね。私の名前は神子星廻。
「は?」
「へ?」
――――予想もしていなかった言葉が出てきたことで俺は塊、雫さんの応援をしていたカナエもバッと振り返って俺の目の前にいる少女を見た。
……柱? この子が? ……何の冗談だ?
「う、嘘よね……?」
「あははっ、言っておくけど本当だよ? これでもちゃんと鬼を五十匹仕留めて昇格したから」
「いや、でも……どうやって?」
「ん~……まあそれを説明するのはまた今度ということで。ほら、お爺さんの方も彼に自己紹介しないと。機会を逃して何時までも名前を知らないままになっても知りませんからね私」
「カッカッカ、そう焦るな星坊」
訳が分からず目を白黒させている俺たちが面白かったのか神子星は小さく笑うが、どんな手段を用いて鬼を仕留めたのかまでは説明してくれなかった。隠している……というより、証拠もなしに説明をしても信じてくれないと判断したのか。
とにかくそれについて考えるのは後にしよう。今はとりあえず柱たちに失礼が無いように挨拶を交わさねば。
「冨岡義勇です」
「胡蝶カナエです!」
「儂は嶺颪豊薫。見ての通り四十を越えた老骨だが今も風柱に就いておる。ところでものは相談なんじゃが、よければ儂の継子にならんか? どうも儂は後継に恵まれなくてのう……」
彼曰く、柱に届きうる風の呼吸の才能を持つ者が不在なせいで何時までも後進に席を譲れず、四十を越えて尚柱を続けることになっているらしい。しかし年を取ってなお五体満足で生きているのだから、恐らくその強さは折り紙付きの筈。
しかし、前に雫さんも柱になれそうな人材が中々見つからずに難儀していたと言っていたし、やっぱり鬼殺隊は万年人材不足なのか。……あの蠱毒じみた試験内容では人材が得られ辛いのも当然の帰結ではあるが。
「豊薫さん? 私の継子を断りもなく引き抜こうとしないでいただけますか?」
「別にええじゃろう、二人もいるんだし」
「いい訳ないでしょう。貴方もいい後進が欲しければちゃんと自分で探してください」
「ぐぬぬ……ケチ臭いのう……」
向こうで鳴柱を気絶するほどしこたま殴り終えた雫さんが額に青筋を浮かべながら俺たちを自身の継子に勧誘しようとしていた豊薫さんの肩を掴んだ。雫さんは思わず後ずさりしそうな何かのオーラが見え隠れするほどの威圧感を放っているが、当の豊薫さんは肩をすくめて両手を上げるだけ。これが老兵の貫録というものか。
「ま、気が向いたら儂に手紙の一つでも飛ばしてくれ。お前さん等ならいつでも歓迎するからのう」
「はい。一応覚えておきます」
「お気遣い、ありがとうございます風柱様」
俺の刀は藍色。正直風の呼吸の適性があるとは思えないが、炭治郎とて黒刀だったにも関わらず水の呼吸にそれなりの適性を発揮していた。単純に水の呼吸が他の呼吸と比べ習得難度が低いからかもしれないが、それでも『刀の色に合った呼吸以外を覚えられない』訳ではないことを証明するには十分な根拠だろう。
もし呼吸の修行で行き詰まったりすることがあるのならば、他の呼吸に触れて刺激を得てみるのも選択肢の一つとして用意しておくのもいいかも知れない。ここで得た繋がり、大切にしなければ。
「――――おや、話している内に最後の二人が到着したようですね」
「……!」
「あ……悲鳴嶼さん!」
雫さんの台詞を聞いて俺は反射的に彼女の向いている方を見た。視線の先には全身の至る個所に包帯を巻いていながらもどうにか自力で歩けている悲鳴嶼さんと、その悲鳴嶼さんに肩を貸されながらも杖を突いて歩いている、日光に当たらないよう全身を白無垢のような衣装で包んでいる真白さんが居た。
二人の姿に気付いたカナエはパァと顔を明るくしながら悲鳴嶼さんの傍に駆け寄った。悲鳴嶼さんの方も少しだけ困り顔になりながらも傍に駆け寄った彼女の頭を優しく撫でる。
「カナエ、変わらず元気なようで何よりだ」
「うん! 悲鳴嶼さんと明雪さんは……えーっと」
「なに、あと数日安静にしていれば治る程度の怪我だ。案ずることは無い」
「私はまだまだ休んでなきゃ駄目みたいだけどね~。……あ、悲鳴嶼さん、もう大丈夫ですよ。肩を貸してくれてありがとうございました」
肩を貸してくれている悲鳴嶼さんから離れた真白さんは真っすぐ元師匠であった雫さんの方へと向かった。そして申し訳なさそうな顔で深々と頭を下げる。
「すみません、雫さん。私がいながら冨岡君にまで大怪我をさせてしまって。姉弟子として不甲斐ありません」
「な――――真白さん、それは!」
「冨岡君、貴方は少し静かにしていなさい。それで真白ちゃん、今回の件で何か反省点はありましたか?」
余りにも聞き捨てならないことを真白さんが口走ったので俺は思わず否定しようとしたが、その前に雫さんによって遮られてしまった。何故だ。そんな意見は納得がいかない。
俺が無茶をしたのも大怪我したのも全て自分の責任だ。それを誰かのせいにする気は俺にはないのに。いや、むしろ鬼舞辻が来る前に俺は凶裏を仕留めきることができなかったのだから、むしろ悲鳴嶼さんや真白さんが重傷を負ったのは、俺の……。
「強いて言うなら……首を斬った時点で、気を抜いてしまった点でしょうか。お恥ずかしながら、あの瞬間は咄嗟に不意打ちに反応できない程完全に油断していました。すんでの所で冨岡君が私を突き飛ばしていなかったら、きっと私の怪我は脚の骨一本では済まされなかったでしょう。深く、反省しなければなりません」
「そこまでわかっているなら私が口を出すことは無いでしょう。ではこの先二度と同じようなことにならないよう、絶え間なく研磨しなさい。それと……貴方が無事でよかった」
「……はい」
真白さんは雫さんにもう一度深々と頭を下げて礼をし、今度は俺の方を向いた。顔がほとんど見得ない程に深々と被った頭巾の隙間から見えた表情は……あまり良いものではなかった。
というか、少し、怒っている……?
「冨岡君」
「っ、はい」
「私は柱なの。私は、貴方より強い。そこは、わかってるよね?」
「え、あ、はい。勿論」
そんな事は当然理解している。痣を出して高い身体能力を得たとしても、心技体共に俺は柱にはまだまだ及ばない。もし真白さんと全力で模擬戦を行ったとして、十階やって一回勝てれば幸運であるとわかるくらいには彼我の実力差は理解しているつもりだ。
なのにそんな事を聞いてきたのは、どうしてだろう。
「貴方は自分が足を引っ張ったせいで、もしくは自分がもっと早く鬼を倒せなかったせいで私たちが怪我をしたことを自分の責任だと思っている。けどそれは違う。私は……ううん、私たち柱は下の子に責任を被せるような存在じゃない」
「……………それは」
「私たち柱は、文字通り鬼殺隊を守り、支える”柱”。その鬼殺隊には勿論、貴方のような才が芽吹く前の隊士も含まれている。身体を張って下の隊士たちを守るのは、柱の義務でもあるの。だから、貴方が気負う必要はない」
「…………………」
「それでも納得ができないなら――――強くなって。誰よりも。周りにある存在全てを守り通せるほどに。その時初めて、貴方はあらゆる責任と責務を背負う義務と権利が生まれるから」
「――――はい」
悔しかった。無力感に苛まれる中「お前は悪くない」と慰めの言葉を送られるのは。力が欲しいのに、まだまだ目標に及ばないという現実を目の前に突きつけられているような気がして。
それでも、真白さんは俺の背中を押してくれようとしている。「誰よりも強くなれ」と。
そうだ。その通りだ。強くならねば何も始まらないし、何もできない。守ることすら始められない。ならば――――飢えろ。貪欲にかき集めろ。知識を、技を、心意気を。誰よりも強くなるために。
「あ、それと、お礼を言いそびれていたね」
「お礼? 何の事ですか……?」
「ほら、あの夜に、貴方は私を二度も窮地から助けてくれたでしょう? 一回目はさっきも言った、不意打ちに対して突き飛ばして避けさせてくれたこと。二回目は、私の脚が潰された時に、鬼に食われかけた時に助けてくれたこと」
「ああ、その事ですか。俺だって助けられた身ですし、別にお礼をされるために助けたわけでも――――」
俺は別にそんな事を恩に感じる必要はないと真白さんに伝えようとした。
が、彼女の行動の方が早かった。
「――――ん」
「――――な、い……ので……?」
真白さんはよどみない動作で俺の前髪をかき上げると、露わになった額に優しく唇を触れさせた。
…………………????????????
「まあ」
「おや」
「む?」
「ほう」
「……南無」
「えーっ!?」
「ぎ、義勇君!?」
当然ながらそれはこの場にいる全員が目撃している訳で、全員が真白さんが行った突然の行動に各々困惑の反応を見せた。そして俺はその比じゃないくらい混乱していた。
待て。おかしい。何で? 何でこうなったの? わからない。さっぱりこの状況が理解出来ない……!!
「これは私なりのお礼、かな。――――うん、やっぱり君は、ちょっと違うね」
「え? は、え?? え???」
「君の近くにいるとなんだか……胸の中がぽかぽかしてくるの。どうしてかな」
「さ、さあ……?」
そ、そんなことふわっとしたことを俺に聞かれても困るのだが。
「義勇君! わ、私やしのぶちゃんに飽き足らず、雪柱様にまで手を出したの?」
(出したって何だ!? 俺は誰にも手出しした覚えはないんだが……!?)
「これはこれは、真白ちゃんがこんなに積極的になったのを見たのは初めてです。十八にしてようやく色を知りましたか。善きかな善きかな」
「冨岡君……錆兎君の友人である君は、女性に対してもっと誠実な子だと思っていたんだが……」
(惣寿郎さんまで一体何を言っているんだ……!?)
――――ハッ、そう言えば俺の周りには妙に歳の近い異性が多い。ということはまさか、真白さんの大胆な行動によって俺は周りに大勢の女を侍らせている屑野郎だと思われている可能性が? ……あり得るな。
だが俺はそんな女にだらしのない奴だと思われるような行動をした覚えはないし、これからするつもりもない。何とか言い訳せねば。
「(俺に恋愛などするつもりはないしそもそもこんな俺なんかに恋をするような女性は居るはずもない。だが真白さんの事は人として)好きではある。だが(周りが勝手に邪推してきたとしても真白さんに失礼だから)認知はしない」
「えっ」
「うん。別にそれでもいいよ。でも、子供は何人がいいかな」
「(
「そうだね。できるかわからないけど、沢山生まれると私も嬉しい」
「待って! お願い待って! 話に置いて行かないで!? 二人ともいきなりなんの話をしているの!?」
「(引退した)後の話だよ?」
「将来的な(剣士の育成)計画じゃないのか?」
「ん~、どうやら真白ちゃんと冨岡君の間でとてつもない勘違いが起こっているようですね。とりあえず真白ちゃん、そこまでにしておきなさい。貴方がいい方向に変わってくれたのは師匠冥利に尽きますが、これ以上話が拗れると後で面倒になります」
「むぅ……雫さんがそう言うなら」
「??????」
真白さんが突然後進の育成計画の話を持ちかけてきたと思ったら何故か雫さんが話を無理矢理打ち切ってしまった。何か問題でもあったのだろうか? カナエも何故か俺を見て頬を膨らませているし……うぅむ、訳がわからない。
「――――皆さま、お待たせいたしました。お館様のお成りです」
『!』
襖の奥から姿を見せた女性――――お館様の奥方である産屋敷あまね様がその両手に赤子を抱きながら姿を現した。そして彼女の声を聞き、内容を理解した瞬間(気絶していた筈の鳴柱も含めて)全員が一列に並び膝を突いて頭を下げた。俺たちもそれに習うように隅っこで膝を突き、首を垂れる。
「――――おはよう、皆。今日もいい天気だね。空も青く晴れ渡っていて、雲も真っ白で綺麗な形をしている」
静かな歩みと共に聞こえる、こちらの心の奥を優しく撫でるような穏やかな声。顔は上げない。まだ許しは得ていないのだから。
「お館様もご壮健で何よりです。お身体の調子は如何でしょうか? 何処か具合を悪くされたりは……」
「大丈夫。少し、左の視界が悪くなったけど、”まだ”大丈夫だよ」
「…………微力ながら、どうかお館様がこの先もご健康な体であり続ける事を柱一同を代表してお祈りいたします」
「ありがとう、雫」
どうやら最初にお館様への挨拶を述べたのは雫さんのようだ。お館様は雫さんに挨拶を交わし終えると、一拍置いてこちらへと視線を向けてきた。
「二人とも、顔をお上げ」
「はっ」
「は、はい!」
言われるがままに俺たちは顔を上げ、初めてこの鬼殺隊の頭領であるお館様……産屋敷輝哉様と対面した。
雪の様な白い肌に美しく整えられた顔。微かに鬼舞辻無惨を思わせる顔立ちであったが、受ける印象は全くの真逆だ。奴が暴力的なまでの生命力の塊ならば、此方は幾星霜もの時を使い研磨され続けた薄氷の如く脆くも美しく鋭利な刃。
極限まで凝縮された殺意と憎悪の隣に、人としての優麗な心を極限的なバランスで両立させている――――生来の精神的怪物。
最初に感じたのは恐怖か、それとも羨望か。
「療養している身なのに、態々ここまで来てくれたことに感謝を。……ごめんね。けど、君たち二人が持つ情報には私たちが決して無視できない価値があるんだ」
「はい。深く、存じております」
「では、話してくれるかい? 君たちの知った、”奴”の全てを――――」
分水嶺へと一歩を、踏み出す。