水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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第肆話 日暮れの前に

 少し広い庭の中央で、俺と錆兎は木刀を振るう。風を斬りながら切っ先が進み、互いの繰り出す攻撃がぶつかり合う。そして毎回俺の方は押し負けて弾かれる。

 

 やはり力……いや、正確に言うならば錆兎の剣は大分攻撃面に寄っている。俺と錆兎の使う水の呼吸は変幻自在、あらゆる敵に対応できるという特色を持つ。その言葉を反映して型の数は五つ存在する呼吸法の中でも随一に多い。

 

 が、この”あらゆる敵に対応できる”という言葉は”どんな敵でも倒すことができる”という訳では無い。打倒と対応は別の言葉だ。より正確に言うなら水の呼吸は”あらゆる敵の攻撃に対応することができる”だ。簡単に言うならば防御寄りのバランス型と言えばいいだろう。

 

 水の如く自在に対応することで生まれる堅実かつ柔軟な戦い方。これこそが水の呼吸の最大の武器だ。

 

 それで、だ。……当然水の呼吸にも弱点は存在する。それ即ち”決め手に欠ける”という事だ。

 

 使い手によってはそうでもないかも知れないが、基本的かつ堅実的故に技の威力は極めて普遍的だ。一応【陸ノ型(ろくのかた) ねじれ(うず)】や【拾ノ型(じゅうのかた) 生生流転(せいせいるてん)】のような特殊な状況に置いて極めて高い効果を発揮する技も存在しているが、逆に言えば条件を満たさなければ真価を発揮できないということでもある。

 

 とはいえ、使い手の力量が上がれば難なく流れるように敵を斬り刻めるだろうから、今まで並べてきた理屈はあくまでも「他の呼吸法と比較すると」という話だ。決して水の呼吸が地味だとか劣っているだとか、そういう事を言っている訳では無い。

 

 俺が言いたいのは、錆兎の剣についての話だ。今まで半年間彼の剣を見てきたが、やはり彼の剣は”水”というより、”嵐”だ。手数も威力も手本通りにやっているだけの俺と比べてまるで違う。水の呼吸に強い攻撃性を加えて独自に最適化しているのだろう。

 

 こうして考えると模擬戦の際に互いが攻勢の時にはいつも俺が押し負けて、錆兎が無理に防御をしようとすると互角の戦いになってしまう事に俺は今更ながら納得した。彼はやはり防ぐという事が苦手なようだ。

 

 まあ、だからといって、俺が勝てるという事には全くならないのだが。

 

「そこだ――――!」

「くっ!?」

 

 錆兎の猛攻を受け流しきれず、咄嗟に正面から受け止めてしまったのが運の尽き。俺の握っている木刀は爆ぜるように上方へと弾かれ、その隙に錆兎の木刀が俺の喉元へと突きつけられた。

 

 何処からどう見ても俺の負けであった。

 

「……また俺の負けか。やはりこの前の引き分けは偶然だった様だ」

「そう落ち込むな、義勇。お前が成長しているように、俺もまた成長しているんだ。今日はお前の負けだったが、明日はどうなるかはわからないだろ?」

「そう言われて勝てた例が無いのだが」

「だったら勝てるまで努力しろ。常に先へと進み続けろ。男なら、な」

「……ああ、わかっているさ」

 

 空を見て時刻を確認すれば丁度時間も昼時らしいので、俺たちは本日分の模擬戦を終了することにした。朝から昼まで錆兎と模擬戦。毎日続ければ狭霧山に帰る頃に体が鈍っているという事は無いだろう。

 

「――――凄い! まるで本に出てくるお侍さんみたいだったわ、二人とも!」

「姉さん」

「蔦子さん、見ていたんですか」

 

 パチパチと拍手をしながら蔦子姉さんが縁側から身を乗り出して庭へと出てきた。もう家事が一通り終わったのだろうか。やはり夫が居ない家というのはやることが直ぐに終わって暇を持て余してしまうらしい。

 

 そういう意味では俺たちが昨日ここへ来たのは丁度いいタイミングだった。こうして蔦子姉さんの退屈を紛らわせているのだから。

 

「ふふ、それじゃあ二人とも、食事の用意ができたから早く上がりなさい。折角のお食事が冷めてしまうわ」

「無論だ。すぐに行く」

「はい、御馳走になりま――――す……?」

 

 俺が蔦子姉さんの傍まで歩くと、ふと後ろにいる錆兎が何やら怪訝そうな声を発した。なんだ? と思いながら振り返ろうとして――――自身の直上から何かが崩れ落ちるような音がするのを聞き、後ろに向けるのは取りやめ上へと素早く顔を向けた。

 

「義勇、蔦子さん! 危ない――――!」

「っ――――!!」

 

 落ちてきていた。十枚以上の屋根瓦が。瓦を固定していた葺き土の癒着力が落ちていたのか? 何故よりにもよって今?

 

 いや理由などどうでもいい、後で考えろ。この瓦たちは俺だけでなく蔦子姉さんの方にも落ちてきている。何とかしないとまずい。

 

 蔦子姉さんを押し出す、いやダメだ。体に強い衝撃を与えてお腹の中の赤ん坊に万が一のことがあれば洒落にもならない。だったら俺が身代わりに、いや俺の体で全ては受け止めきれないし結局俺の体が落下して蔦子姉さんを圧し潰してしまう。

 

 なら、壊すしかない――――!!

 

「姉さん伏せろっ!!」

「え――――? きゃっ!?」

 

 俺と蔦子姉さんへと落ちてきている瓦はおおよそ八枚。それらを蔦子姉さんに落ちてくるものを最優先に片っ端から木刀を振るって破壊していく。

 

 だが駄目だ。時間がない。瓦を破壊するには威力が必要なのに、その為の加速時間が足りない。俺へと落ちてきている物を無視しても間に合わない――――!!

 

 駄目だ。間に合え。何としても間に合わせろ。考えるより前に体を動かせ――――

 

「――――よ、し……っ!!」

「義勇――――っ!!」

 

 身体の力を振り絞って蔦子姉さんへと落ちる最後の瓦を破壊した。だが残る俺へと落ちる瓦は多数。迎撃は間に合わない。錆兎も距離が遠すぎて無理だ。

 

 迫る。迫る。迫る。そして、

 

 

 

 ――――頭の中から一切の雑音が聞こえなくなった。

 

 

 

 ――――ただ一つの波すらない、凪いだ水面の如く。

 

 

 

 

「…………え」

 

 気づいた時には全てが終わっていた。意識が切れていた時間は恐らく数秒にも満たないだろう。

 

 後ろから心配した錆兎が駆けつけ、目の前には今にも泣きそうな表情で俺を抱きしめている蔦子姉さんが見えている。

 

「大丈夫か義勇!?」

「義勇! 無茶ばっかりして……! 怪我は無い? 頭は無事?」

「……あ、ああ。大丈夫だ、問題ない。俺は無傷だ」

 

 自分でも何が起こったのかよく理解出来ず、思考が混乱している。だが今の感触――――何かが、掴めたような、そんな気がした。

 

「にしても、どうしていきなり瓦が……」

「恐らく経年劣化だろう。見た限り、この家屋はかなりの年数ものだ。姉さん、これを機会に業者に頼んで一度家全体を点検した方がいいんじゃないか?」

「そうね……じゃあ二人とも、ちょっと頼みに行ってもらえないかしら? 人だけ呼んでくれれば後は姉さんが話を付けるから」

「ああ。もちろんだ」

 

 家の中でも全くもって油断ならない。可能な限り危険の可能性は削ぎ落すべきであると結論付けた俺は素早い提案で蔦子姉さんの安全を確保する最善手を打つことにした。

 

 それに、折角帰ってきたのにずっと家の中にいると言うのも変だろう。軽い散歩ついでだと思えば鱗滝さんの課す修行と比較すれば天と地ほどの差がある。

 

 ――――ぐぅぅぅぅぅ。

 

「あらあら。義勇ったら」

「とりあえず、昼を食べてから行くか」

「……ああ」

 

 空気を読めない腹の音を恨めし気に睨みながら、俺たちは食事の準備を始めた。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 蔦子姉さんからの頼み事は結論から言うと外出から十分とかからなかった。街の中では蔦子姉さんの人徳が広まっているのか、業者には一声かければすぐに駆けつけていく程。

 

 特に長引くとは思わなかったが、まさか一瞬で終わるとは思わなかったので流石に拍子抜けというものだ。

 

「流石は蔦子姉さんだ。弟として鼻が高い」

「お前は本当に蔦子さんが好きだな」

「? 錆兎は姉さんの事が嫌いなのか……?」

「いやそう言う事では……まあいいさ。しかし、町に降りるのは物心ついてからは初めてになるか。やはり山とは大分景色も違うな」

「鱗滝さんは錆兎を山から出さなかったのか?」

「俺が興味を示さなかっただけだよ。しかしいざ直に見てみるとこれは……凄いな」

 

 その後暇を持て余した俺たちは気分転換ついでに少々細長い”包み”を手にしながら町を見回ることにした。俺としては生まれ故郷なために特に目新しい物はないのだが、錆兎はどれもこれもを物珍し気に見ている。

 

「……義勇、藪から棒だが、少し聞きたいことがある」

「なんだ? 俺に答えられることなら何でも答えよう」

「――――お前はどうして鬼殺隊に入ろうとしたんだ?」

「………………………」

 

 言われて、少しだけ固まる。

 

 何時か聞かれるとは思っていた。しかしこの半年間、そんな素振りを一切見せてこなかったために失念していたらしい。俺は止まっていた思考を少しずつ戻しながら、頬を掻きながら錆兎の質問にぽつぽつと答えた。

 

「正直に言えば、俺も迷った時期はあった。一ヶ月ほど姉の傍にいながら考え続けて、結果鬼殺隊への道を決意した。錆兎、お前が聞きたいのは何故俺がそんな結論に至ったのか、だな?」

「ああ。教えてくれ、義勇。お前は何故身近にある幸せを捨てられた。鬼殺隊などに関わらず、普通の道を歩みながら幸せになる選択だってできたはずなのに」

「……自惚れだと言われても、返す言葉は無いのだが」

 

 数秒程黙し、俺は重々しく口を開く。己の心の芯たる、夢を。

 

「もしだ。俺が鬼殺隊にならず普通の人間として暮らせば、俺が鬼殺隊になって救えるはずの人間はどうなるのかと、俺は考えた。人を脅かす存在である鬼に抵抗もできずに殺される人々を一人でも多く救える可能性があるのに、それを捨てるのか、と。……単純に、我慢ならなかったんだ。すべてに目を瞑って、将来起こりうる悲劇を見逃すのが」

 

 これが義憤なのか、それとも偽善なのかはわからない。だけど想像するだけで俺の中では怒りの炎が猛るのだ。”お前が諦めればお前が救えるかもしれない人々はどうなる?”と。そして、目を逸らそうとすればどこかから絶え間なく”声が”聞こえてくる。

 

 

 ――――お前が”冨岡義勇”になったのならば、その『役目』を果たせ――――

 

 

 行動理念には個人的な正義感もある。鬼と言う存在に対する怒りもある。だが一番の理由は、やはり――――……いや、これ以上は不毛か。

 

「俺は鬼殺隊になる。鬼を一匹でも多く狩り、死ぬかもしれない人々の命を一つでも多く救いたい。勿論、姉さんのことについて未練が無いわけでは無い。だけど……決めたんだ。俺は、俺の務めを果たす」

 

 ”成すべきことを成せ”。……それが今生に置ける、俺の至上命題だ。

 

「……義勇。記憶は無いが、鱗滝さんからは両親は俺を守るために鬼に抗い死んだと聞いた。そして鱗滝さんに拾われ、自身と似たような境遇の兄弟子たちと触れあい鬼と言う存在から人々を守る決意をした。……最終選別で、兄弟子たちが鬼に殺されたと聞いて、怒りと憎しみを抱いた。だがな義勇……聞いていて気づいたと思うが、俺は何一つ自分から選択することは無かった。全て、成り行きでの事だ」

 

 初めて、錆兎は自嘲するような表情を浮かべる。その顔はさながら迷子になって親と逸れてしまったような、道を見失ってしまった者の顔であった。一体何が、強気な彼の心の芯を此処まで揺さぶってしまったというのか。

 

 その答えは、意外と早く見つかった。

 

「義勇、俺はお前が羨ましい。己の進む道を選択することのできたお前が、血のつながった家族を守り通せたお前が、酷く羨ましい。……義勇、失望したか? 兄弟子である俺が、こんな器の小さい者だったのが」

 

 失望などするものか。そんな事で、俺がお前を蔑むとでも思ったのか、錆兎。

 

「……錆兎、それでいいんだ。全てを受け入れられる人間なんて存在しない。お前が俺を羨むことは決して悪い事じゃないんだ。それに――――俺と、蔦子姉さんと、鱗滝さんは、お前を家族だと思っている」

「っ…………!」

「血は繋がっていない。だけど……家族を形作るのは、決して血の繋がりだけじゃないはずだ。……錆兎、手から零れ落ちた物を拾うことはできないかもしれないが――――これから先、新しい大切な何かを手に入れることは、出来るはずだろう?」

 

 死んだ者が生き返ることは決してない。砂山の上に雫が落ちて、もう拾い上げることができない様に。

 

 だが、新しい水を手に収めることは出来る。同じでなくとも、同じくらい大切な何かを見つけることはきっと出来るはずだ。

 

「確かにお前は今までは流されて生きていたのかもしれない。だけど、明日もそうなるとは限らない。自分の未来を選択する機会など、生きていれば幾らでも来る。過去を振り返るのは決して悪いことでは無い。だが――――未来に目を向けろ。先へと進むための歩みだけは、決して止めるな。男なら、な」

「義勇……」

 

 錆兎がいつも口にしている言葉を使いながら、俺は笑みを浮かべて彼の前へと拳を突き出す。彼は少しだけ困ったような表情をしながらも、やがて吹っ切れたのかすぐにいつも通りの不敵な笑みを取り戻しながら拳と拳を突き合わせる。

 

「ああ。そうだ、何時までも過去の思い出に浸っているわけにはいかない。俺は進み続けなければならないんだ。俺を助けてくれた両親のために、無念の内に死んでしまった兄弟子たちのためにも」

「それでこそだ、錆兎」

 

 どうやら錆兎の鼓舞に成功したようで、俺は一安心と胸を撫で下ろした。人を励ますのは初めての事であったが、意外と上手く行ったようで何よりだ。

 

 さて、そろそろ町も見回り終えた頃だ。早く蔦子姉さんのところに戻ろうかと考え始めた――――刹那、耳にふと通行人の噂話が入ってくる。耳に注力せねば聞こえない程小さく、しかしとある単語が出た瞬間俺と錆兎は緊迫した空気を漏らしてしまうこととなった。

 

「――――おい、聞いたかよ。隣町で”鬼”が出たらしいぜ」

「はあ? 鬼って、御伽の? よせよ、子供でもあるまいし、そんな与太話を真に受ける歳かよ?」

「いや本当なんだって。周辺での噂も含めれば、もう二十人近く消えてるみたいなんだ。この前のは一家が一人娘を残して忽然と姿を消したらしい。鬼云々が与太だとしても、ただ事じゃないぞ……」

 

 俺は無言で隣にいる錆兎に目を配る。彼は無言でその手にある”包み”――――いざという時のために持ち出しておいた粗製の日輪刀を握りしめていた。

 

「錆兎」

「義勇、まさか止める気じゃないだろうな」

「それこそまさかだ。……共に行くぞ。初めての鬼狩りだ」

「ああ……!!」

 

 思えば、その時の俺たちは力を手にしていたことで少し増長していたのだろう。それについては反論をする余地もその気も無い。

 

 だが、それでも俺たちはその選択をしたことは後悔していなかった。

 

 そのおかげで確かに救えた命もあったのだから。

 

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 そこからの俺たちの行動は早かった。鱗滝さんの修行により鍛え抜かれた身体能力を以てすれば隣町になど一刻掛からず到着し、そこから鬼の噂についての聞き込みをすることにした。

 

 現在時刻は太陽の位置からしておおよそ三時と言った所か。今は春を迎えたばかりなので、陽が沈むまでは四時間ほど残っているだろう。決して多いとは言えない日暮れまでの時間の中で、果たして鬼の所在を把握できるのやら。

 

「鬼? いや、知らないなぁ……。最近失踪事件が多いっては聞くけど」

「そうですか……。では最近失踪した一家については何かご存知でしょうか」

「ああ、真菰(まこも)ちゃんの所ね。可哀相になぁ、まだ十一歳なのに、両親共々どこかに消えちゃって……君たち、見た所そこまで歳は離れて無い様だし、会ったら励ましてあげなよ。今のあの子には、きっと言葉だけでも嬉しいと思うから」

「……真菰……?」

「義勇、どうかしたか?」

 

 意外な所で意外な名前が出てきた。真菰……錆兎や俺と同じく、鱗滝さんによって引き取られ鬼殺の剣士の卵として育てられる筈の少女の名だ。鱗滝さんの所に来る以上何かしらの接触をする可能性は考慮していたが、まさか今その名を聞くことになるとは。

 

「いや、何でもない。とにかくその真菰という者に話を聞きに行こう。何か知っているかもしれない」

「ああ。だが気を付けろよ義勇、鬼によって身内を失った者だ、下手な所をつつけばどうなるかわかったものではない」

「承知している」

 

 鬼の被害に遭った者は大抵の場合精神的なショックで言葉がまともに喋れないか酷く錯乱している場合が多い。

 

 ましてや今訪ねようとしているのは十歳の少女。彼女が”その瞬間”をその目で見ているのかはまだ不明であるが、だとしても無遠慮に心の中へずけずけと踏み込むほど俺の精神は図太くない。

 

 聞き込みによって得られた情報を頼りに目的の場所を探すのはそう難しいことでは無かった。どうやらその一家は織物屋としてそこそこ有名であったため、大多数の人がその場所を知っていたからだ。

 

 徒歩で十分ほど進むと、織物屋らしき家屋が見えてくる。

 

「……お前が真菰か?」

「え……?」

 

 少女はその家屋の前で膝を抱えて地に座していた。夜の様に黒く美しいつやを持つ髪とまだまだ幼さの残っている綺麗な顔。しかし顔からは濃い涙痕が見て取れ、この少女がどれだけ泣き続けたのかが察せる。

 

「ええと……貴方は、誰?」

「俺は錆兎。こっちは「冨岡義勇だ」。……それで、少し聞きたいことがあるんだが、いいか?」

「……うん、いいよ」

 

 真菰は無気力な返事をしながら俺たちを手招き、家屋の中へと入っていく。俺たちも互いに頷き合いながらその後を付いて行き、家の中の様子を改めて直で見ることとなった。

 

「これは……」

「酷いな……」

 

 天井や壁、床が、何か鋭い刃物で引っ掻いたようにズタズタに引き裂かれていた。更に言えば家の戸は無造作に壊され、その残骸が玄関で散乱している。どう考えても尋常では無い何かが起こったと確信できるほどの惨状だ。

 

 息を飲みながら、真菰に客間まで案内されちゃぶ台に茶を出される。少し冷めているが、そんなのは些事だろう。

 

「それで、聞きたいことって?」

「……お前が両親の失踪について何か知っていることを教えて欲しい。無論、無理なら言わなくても構わない」

「……もし私が素っ頓狂な事を言ったとしても、信じてくれるなら、いいよ」

「「信じる」」

 

 俺たちが即答したことに驚いたのか、真菰は目を丸くしながら固まった。鬼と言う存在は一般人に周知されていない。社会の混乱を避けるためもあるだろうが、そのおかげで被害者の言い分がまるで信じられないと言うのはよくある話だ。

 

 こう言う時に一番いいのは「相手は自分の話を信じてくれる」と思わせることだ。誰も自身の話を信じてくれないと思いこんでいる状態では、話すことも話せないだろう。

 

「二日くらい前の晩かな……。私が両親と晩御飯を食べていた時に、いきなり玄関から物凄い音がして……。それで、ただ事じゃないってわかった両親は、私を押入れの中に隠して、様子を見に行ったの。その後、木を無理矢理折ったような激しい音が何度も聞こえて……」

 

 徐々に真菰の顔が青ざめていく。俺たちもその話だけで何が起こったかは大体察した。そして彼女の両親はきっともう……。

 

「……私は怖くて外に出れなかった。だけど声だけは聞こえた。……『今日は大猟だ、湖に帰ってゆっくり食おう』って。それで、それで……!」

「もういい。大丈夫だ。これ以上話す必要は無い。ありがとう、よく話してくれた」

「朝になって大人たちに何度も話したのに! みんな信じてくれなくて……! 私、これからどうすればいいの……?」

 

 涙目になった嗚咽を漏らす真菰を、錆兎は何度も宥めた。

 

 恐怖の記憶を俺たちのために無理矢理掘り起こしてくれたのだろう。まだ十一だというのに、芯の強い子だ。されどまだ十一歳、己を守ってくれる両親が突如消え途方に暮れた不安と言うのは確かに彼女の心を蝕んでいる。

 

 何より、自身から両親を奪った鬼に対しての恐怖も。

 

「真菰、この辺りに湖はあるのか」

「……うん。小さいけど、町の水源になってるの。最近は出産期で気性が荒くなっている獣がうろついてるから、あまり人は入ろうとしないけど……」

「行くぞ、錆兎。きっと鬼はそこにいる」

「ああ。真菰、貴重な情報提供感謝する。安心してくれ、お前の両親の仇は俺たちが必ず取る」

「え……えっ?」

 

 事態が飲み込めず困惑する真菰を尻目に、俺たちは直ぐに件の湖へと向かうことにした。もうすぐ日が暮れる。これ以上被害を増やさないようにするには、鬼が町へと降りてくる前に本拠へと乗り込んで一気に叩く他ない。

 

「ま、待って! 私も行く!」

「駄目だ。真菰、お前は此処にいろ」

「…………!」

 

 困惑するまま真菰は俺たちについて来ようとしたが、錆兎は強い言葉でそれを止めた。一般人、しかも子供が鬼との闘いについてくるなど言語道断。鬼殺隊の上級隊員や柱ならば守りながらでも戦えるかもしれないが、俺たちはまだ鬼殺隊ですらない卵だ。一般人を守りながら戦いに勝てる保証は何処にもない。

 

 真菰からの返事は無い。彼女は無言で悔し涙を流しながら羽織の裾を強く掴むだけだ。錆兎は少しだけ悲し気な表情をしたがすぐに気を引き締め直し、家屋を出て駆けだす。

 

「義勇。念のために言っておくが、危なくなったら逃げろ。お前が死んだら、俺は蔦子さんに何と言えばいいのかわからない」

「安心しろ。姉さんの子供の顔を見るまでは死んでも死ぬつもりは無い。錆兎こそ無理をするなよ」

「ふっ、言ったな!」

 

 少年たちは走る。これ以上鬼に人を食わせないために。両親を無くして涙する少女のために。己の信念のために。

 

 夜は、近い。

 

 

 

 

 




若気の至りって怖いね。後から冷静になると自分がとんでもない事やってるって気づくもの。

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