水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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第伍話 鬼狩り

 夜の森というのはやはり恐怖以外の何物でもない。微かな月明かりさえ深い森では遮られ、目を慣らさなければ一寸先すら真っ黒な闇。かと言って松明などの明かりを持ち歩くのも憚られる。

 

 明かり、光源を持つという事は相手に発見されやすいという事であるし、何より光源を失った際は目が慣れるまでほぼ何も見えない状態を強いられる。鬼と対峙する上でそれは最悪の状況を意味する以上、俺と錆兎は暗がりに目を慣らしながら先へ進む以外なかった。

 

 幸い、俺たちは夜の森は慣れている。鱗滝さんの修行で夜中山を駆け巡ることなど珍しいことではなかったし、例え何も見えない状態であっても匂いや音で大まかにではあるが周囲の状況を把握できるようにはなっている。

 

 実戦で試したことが無い以上安心は全く出来ないのだが。

 

「錆兎、鬼の気配を感じるか」

「いいや、まだだ。……だが臭うぞ、間違いない、血の臭いだ」

 

 件の湖へと繋がる森を進めば進むほど血の刺激臭が強くなっている。更に木々の幹に血や肉片がへばりついている場合もあり、間違いなくここに鬼が住み着いている証拠をまざまざと見せつけられた俺たちは一歩進むごとに手に握る日輪刀の柄を強く握っていく。

 

 例え厳しい特訓を経ていようが、俺たちはまだ最終選別すら抜けていないひよっこだ。本当に鬼に勝てるのだろうか。そんな不安が俺の中に渦巻く。

 

 十二鬼月――――鬼舞辻を除く最強と呼ばれる十二体の鬼、それに当たる可能性はほぼ無いだろうが、相手は推定でも二十人以上を食い殺した鬼だ。下手な隊士でも死にかねない相手を、本当に俺たちなんかが――――

 

「義勇。止まれ」

「!」

 

 錆兎に言われて足を止め、前方を注意深く睨む。

 

 気づけばもう湖は目の前。血の刺激臭も最高潮に達していて、更に腐敗臭までしてくるのだから吐き気が込み上げてくる。だが此処でそんなことをするほど俺は空気を読めない男じゃない。ぐっと我慢して辺りを警戒し始めた。

 

「――――いた」

「はっ……!」

 

 俺は湖の浅い所でグチャリグチャリと音を立てながら何かを咀嚼している大男を発見した。

 

 その男、否、鬼は全身を魚の様な鱗で包み、しかしその両手は鋭い刃物のような巨大な鉤爪のようになっている。まるで魚を気色悪い巨漢に変形させたような醜悪な外見。間違いなく鬼だ。鬼が人の手足を爪に刺しながら食っている。

 

「あァ……不味い、不味い。やはり肉は新鮮なうちに食わねば。できれば生きたままがいい。きひひっ、昨日の奴らは美味かったなぁ。必死に命乞いする奴を生きたまま食うのは心も体も満たされるなァ……」

(っ――――!!)

(錆兎、落ち着け。激情のまま行動するな。鱗滝さんの教えを思い出せ……!)

(だがっ……!!)

 

 気持ちは痛いほどわかる。俺だって今すぐ飛び出してあの気色悪い魚男の頸を叩き切ってやりたい。だが怒りと言うのは冷静な判断を阻害する最大の天敵だ。落ち着いて最適な行動をすることこそが今ここで一番求められている物だ。

 

 故に怒りは、やつの頸を獲ることで晴らすことにする。

 

(錆兎、同時に行くぞ。左右から挟み込むように奴を斬る)

(了解。いくぞ、義勇。三、二、一――――!!)

 

 俺と錆兎は合図と共に全力で飛び出した。狙うは頸一点。奴がこちらに気付く前に一気に片を付ける――――!

 

 全集中・水の呼吸 【壱ノ型 水面切り(みなもぎり)

 

 水の呼吸の基本技かつ一番使い慣れているであろう技で、二方向から挟み込むように攻撃。敵の視線は未だ俺たちの方とは反対の方向を向いている。よし、これで――――

 

「――――だからよぉ、お前らを口直しに食わせてもらうぜェ!!」

「「ッ!!!」」

 

 俺たちの刀を、鬼は両手の鉤爪で防いでいた。何故、こちらに気付いた素振りは無かったはず。

 

 いや、そうか。こいつ、

 

「最初から気づいていたのかっ!?」

「俺の感覚は優れものでなぁ、空気の乱れを感じて鼠の場所を把握するくらい訳ないんだよォ!!」

 

 攻撃を弾かれ、俺たちは反動を利用しながら後ろへと下がる。

 

 不意打ちは失敗。敢え無く俺たちは鬼と正面から対峙することになってしまった。だが当初の予定に変わりは無い。気づかれたのならば、正面から堅実に攻めるまで。

 

「ひひっ、子供かァ。子供は肉が柔らかくて美味い。やはり俺は運がいい、極上の餌が自分からやってきてくれたんだからなァ」

「貴様……今まで何人食ってきた……!」

「ん~、ざっと二十三人は食ったなァ。一番美味かったのは、昨日食った女だ。特に乳房と臀部は柔らかくてとろける程――――」

「もういい、喋るな」

 

 冷静さを失うことは本意ではないが、俺とて許容できる限界というものはある。少なくとも目の前の鬼の気色悪い感想を受け入れられるほど、俺は我慢強くは無かったらしい。

 

 そしてそれは錆兎も同じだった。

 

「おぉぉぉぉぉおおっ!!」

 

 錆兎が水上を駆ける。振るわれるのは【肆ノ型 打ち潮(うちしお)(らん)】。流れるような動きから繰り出される連続攻撃は容赦なく鬼へと打ち込まれる。

 

 しかし、その全てが両手の爪によって弾かれてしまった。やはり奴はそこらの雑魚鬼とは違う。別格とまではいかないが、かなりの速度だ。

 

 だが諦めるわけにはいかない。此処で引けば、これから何人もの罪無き人々が犠牲になる。そんな事を許せるわけがない。

 

「全集中・水の呼吸……!!」

 

 【漆ノ型 雫波紋突き・乱曲(らんきょく)

 

 水の呼吸最速の突き技。俺はそれを応用し、直線的な軌道と曲線的な軌道を混ぜながら連続で刺突を繰り出した。やはりこれも鉤爪によってほとんどが防がれてしまうが、十分だ。これで奴は錆兎への対応を片手でしかできなくなった。

 

「よくやった、義勇!」

「ちぃっ……!」

 

 好機と見た錆兎はすぐさまもう一度技を繰り出し、片手しか扱えなかった鬼の防御を突破した。錆兎の攻撃に寄って腕が弾かれた鬼は頸を大きく晒してしまう。

 

「獲った――――ッ!!」

「ちょこまかと小細工をォ!!」

「っ、止まれ錆兎!!」

 

 錆兎が刀を振るって頸を斬ろうとした瞬間、弾かれた鬼の腕から手だけが稼働し、その爪先を錆兎へと向けた。俺は猛烈に嫌な予感がし、攻撃を中断してそのまま錆兎の羽織の襟首を引っ張りながら後ろへと跳んだ。

 

 直後、爪が凄まじい速さで()()()。鋭利な爪先は錆兎の居た場所を貫き、大きな水しぶきを立てながら地面へと深々と突き刺さった。

 

 もし俺が気づくのが数瞬遅れていたらどうなっていたことか、背筋が凍る。

 

「錆兎、どうやらあの鬼は爪を伸縮させられるようだ。気を付けろ」

「すまん、義勇。助かった!」

「なんでこれで死なないんだよォォォ!! 餓鬼は大人しく大人の言う事を聞いていればいいんだよォォォオ!!」

 

 今の技で決めきれなかった事に癇癪を起こす鬼。一見して無様ではあるが、だからと言って油断なんてできない。俺たちは乱れそうな息を整えて日輪刀を正面に構え、何が起こっても対応できるようにする。

 

「死ねやぁぁぁぁあああ!!」

 

 鬼が両手の爪を正面に向けた瞬間、両手の爪全てが高速で伸びる。俺たちはその攻撃をそれぞれ別方向に跳ぶことで回避。そしてその勢いを殺さないまま弧を描く様に走り出した。

 

 こちらの予想が確かならば恐らく――――

 

「まだまだ止まらねぇぞォ!」

 

 予想通り、爪を凄まじい速度で伸縮させながら鬼は餌を穿たんと腕を振るい、爪を何度も伸ばして攻撃する。が、俺たちは紙一重で回避しながら少しずつ距離を詰めていく。

 

 そして一定距離まで近づくと、俺は一気に距離を縮めるために大きく息を吸い――――駆けた。

 

 全集中・水の呼吸 【玖ノ型 水流飛沫(すいりゅうしぶき)

 

 可能な限り足と地面の接地面積を減らし、素早い左右の動きで敵の攻撃を回避しながら移動を行う。直線的な攻撃しかできないこの敵相手に距離を詰めるには最適な技だ。

 

「なっ――――!?」

「シィィィィィ――――!!」

 

 攻撃の機会を逃さず掴み取った俺はすかさず深く息を吸い込み、【肆ノ型 打ち潮】を繰り出した。波を打つようにしなやかで速い一撃が鬼の手を斬り飛ばし、軌道を綺麗に曲げながら頸を斬ろうと迫り――――しかし寸前で俺を攻撃していた方とは別の手で防御されてしまう。

 

 だが、それこそ愚策であった。もし俺が単独であったのならば仕切り直しになるのだろうが。

 

「今度こそぉぉぉぉっ!!!」

「糞がぁぁぁぁあああああッ!!」

 

 鬼の背後から俺とは時間をずらして接近していた錆兎が刀を振りかぶっていた。両手は俺への対応で使えない。即ち、俺たちの勝ち――――

 

「――――ひっ……!!」

「ッ!?」

「な、真菰!?」

「――――ヒヒッ」

 

 小さな、本当に小さな悲鳴が聞こえた。目だけを動かしてその源を探れば、小柄な黒髪の少女――――真菰がへたり込んでいる姿が目に入る。まずい、と思った瞬間には既に鬼は動いていた。

 

 俺の刀を受け止めている手の指一本だけを真菰へと向け、伸ばした。当然腰を抜かした少女にそれを防ぐ術などあるはずもなく。

 

「錆兎ォ!!」

「おぉぉぉぉぉおおおおおおッ!!」

 

 錆兎は目標を急遽変更して、爪を伸ばしている手を叩き切った。間一髪で間に合ったか、伸びた爪は僅かに目標をそれて真菰の顔の真横を通り過ぎた。

 

 だが、これで頸を斬る機会が失われてしまった。態勢を立て直すために俺と錆兎は素早く跳んで鬼から距離を取る。

 

「義勇! 真菰を安全な場所に運べ!」

「錆兎、だがそれでは!」

「早くしろ!」

「……了解した!」

 

 苦虫を噛み潰すような思いで俺は真菰へと駆けた。同時に後ろから罵声と剣戟の音が聞こえるが、腹の底から湧き上がる思いを抑え込みながら腰を抜かした真菰へと駆け寄る。

 

「何をやっている!? 家で待っていろと言っただろう!」

「だって、私、私……何かやらなきゃって……!」

「っ、ともかく早く立て! ここから急いで離れ「させるかよォ」ッ!?」

 

 背後に、「死」が立っていた。反射的に振り返れば、少し離れたところでうつ伏せに倒れた錆兎の姿が。そして、眼前には全身に鱗を纏った鬼が両手の爪先をこちらに向けながら佇んでいる。

 

「死ね」

 

 その宣告と同時に十本の死が迫った。回避? 無理だ、後ろに真菰がいる。防御? 手段が無い。対応、不可能。死、駄目だ、俺はまだ――――

 

 

 ――――どんな状況でも、己の理性を制御しろ。波の無い水面のような精神を忘れるな。

 

 

 鱗滝さんの教えが、走馬灯のように脳内を駆け巡る。

 

 

 ――――水の呼吸はあらゆる状況に対応できる。だがそれは状況に合わせて思案し実行できる理性あればこそ、だ。

 

 

 波の無い水面、即ち、「凪」の様な。

 

 

 ――――敵を見て、理解しろ。そして最適な動きを出せ。そうすれば、剣は自ずとお前の望む結果を出してくれる。

 

 

 爪が迫る。酷くゆっくりと迫る。見える、攻撃がどう来るか理解できる。体は、動く。まだ動ける。生きている。足掻ける。ならば――――十分だ。

 

 

 全集中・水の呼吸 【()()()()】――――

 

 

 水の呼吸に存在する型は拾までだ。そしてそれぞれが極めて高い完成度を誇り、並の場合ではこの拾の技があればおおよその状況に対応できる。しかし、それでも対応ができない状況というものは存在している。

 

 これは、既存の技では対応できない状況を乗り切るための業。

 

 あらゆる攻撃を祓い、守ることに特化した”冨岡義勇”の生み出した剣。

 

 

 ――――【(なぎ)

 

 

「…………あ?」

 

 気が付けば、鬼の両手は消えていた。いや、()()()()()。いつの間にか断面だけを残し、斬られた手はゴトリと地面に無惨にも転がっている。更に言えば、伸びた爪も悉くぶつ切りにされて辺りに散乱していた。

 

「っ、はぁっ……! はぁっ……!」

 

 本来ならば鬼の頸を断てる絶好の機会。だが、動けない。碌な呼吸もせず肺にある空気だけで全集中の呼吸を使った反動か、全身から汗が噴き出て動くこともままならない状態に俺は追い詰められていた。

 

 そして当然、鬼の動きは止まらない。

 

「この糞餓鬼がァ!」

「がッ――――」

 

 両手を再生しきれていない鬼は代わりに蹴りによって俺の体を軽々と蹴り飛ばした。胸からバギリという音を聞きながらゴロゴロと転がり、しかしどうにか立ち上がるが、時すでに遅し。

 

 鬼は真菰の体を握り、こちらに顔を向けてニタニタと気色悪い笑みを浮かべていた。

 

「ひひひ! 女、しかも子供だァ。旨そうだ、実に旨そうだ! 決めたぞ、お前は水中で苦しむ様を見ながらゆっくりと生きたまま食い殺してやる! ヒヒャヒャヒャヒャヒャ!!」

「ぁ、あ……や、だ。やだ、やだやだぁぁあぁあ!」

「真菰っ!」

「その手をっ……放せぇぇぇぇええええええッ!!」

 

 どうにか復帰した錆兎が鬼の背後から斬りかかるが、鬼はそれを容易く避けて大跳躍。そのまま湖の中へと飛び込んでしまった。

 

 水中。呼吸が極めて制限される特殊な場所。そこで俺たちは果たして鬼に勝てるのか――――そんな考えは、今はどうでもよかった。

 

「義勇ッ!」

「わかっている!!」

 

 上着を脱ぎ捨てながら俺たちは最大まで息を吸い込み湖へと飛び込んだ。

 

 大丈夫だ、水中での動きなど鱗滝さんとの鍛錬で何度も経験している。教えられたことを思い出せ。最後の最後まで足掻き続けろ……!

 

(――――いた!)

 

 直ぐに飛び込んだのが功を奏した。鬼と真菰はまだそう離れていない場所にいる。俺は無言で錆兎に目配せし、思いっきり足を引き絞った。錆兎もそれに合わせて足を折り曲げ、両足をくっ付ける。

 

(おぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおッ!!!)

 

 俺はその場で蹴りを繰り出し、錆兎の足底を蹴り飛ばした。同時に錆兎も折り曲げた足の力を解放することで水の中だと言うのに凄まじい速度で鬼へと迫る。

 

 それを見た鬼があからさまに驚愕し、しかし対応する暇など与えずに錆兎は真菰を掴んでいた方の腕を根元から斬り飛ばした。痛みに悶えた鬼が肺の空気を水中にぶちまけながら水底の闇へと紛れて姿を消す。

 

 俺は早く二人と合流し、水面へと上がろうと試みる。――――が、その前に闇の中から爪が迫り、錆兎の脇腹を貫いた。

 

「っ……ご、ばぁっ!?」

(錆兎っ!)

 

 腹を貫かれながらも錆兎は爪を刀で斬り割いた。だが痛みに耐えきれず身体から空気を吐き出してしまう。まずい、あれでは全集中の呼吸が使えない。急いで水から上がらねば――――!

 

 だが俺とて攻撃対象。直感で何かを感じ取った俺は素早く首を捻って背後からの爪攻撃を回避。同時に手が負傷するのを無視して爪を鷲掴みにし、全力で自分の方へと引っ張った。

 

「!?」

 

 鬼が闇から引き摺り出される。それと同時に俺は鬼の頸を狙って攻撃するも、回避されてしまう。だが代わりに流れるような動きで残った片腕を斬り飛ばした。これで遠距離攻撃は暫く封じられるだろう。

 

 しかしそれは時間を稼ぐだけの結果にしかならない。早く現状を打開する方法を考えなければ。

 

 急いで錆兎へと泳いで近づく。意識はあるようだが、やはり空気が足りなくて苦しんでいる。このままでは鬼の攻撃で死ぬ前に酸欠で死にかねない。だが鬼の追撃を受けながら水面まで上がり、更に言えば地上までたどり着けるか……?

 

 考えろ。考えろ。考えろ。この世に不可能は無い。必ず突破口は存在する。せめて、せめて空気さえ確保できるなら……空気を……。

 

(……………そうだ)

 

 ふと、真菰を見る。見れば彼女はまだ平気そうだ。水の中に引きずり込まれる前に空気を吸いこんでいたのだろう。それを見て俺はとある考えが浮かび上がる。

 

 ……俺は何も言わず真菰の口を指さし、次に錆兎の口を指さした。

 

 それだけで俺の考えを理解したのだろう。真菰は赤面しながら危うく空気を吹き出しそうになった。気持ちはわかる。非常に申し訳ないと思う。

 

 だが、今は非常事態だ、手段なぞ選んでられない。俺は後で何度も土下座をするつもりで真菰に頭を下げた。

 

 彼女は一瞬だけ硬直し――――しかしすぐにその口を錆兎へとくっ付けた。なんという行動力。

 

(!?!?!?)

 

 突然の奇行に錆兎も驚くが、口から空気を送られて意図を察したのか直ぐに冷静さを取り戻した。そしてついに、錆兎に必要十分な量の空気が送られる。

 

 直後、闇の中から凄まじい速度で鬼が飛び出し、こちらへと突っ込んできていた。両腕が再生途中である以上、直接突っ込んで攻撃するしかないのだ。そして相手はこちらが俺以外ほぼ無力化されたと思いこんでいる。

 

 その思い込みが、命取りとなった。

 

(義勇! 合わせろ!)

(わかっている!)

 

 錆兎が真菰を己の体にしがみ付かせるのを見届けつつ、俺と錆兎は目を合わせて素早く意思伝達。互いがやろうとしていることを直感で把握し、同時に反対方向へと全身を捻りながら刀を構えた。

 

((オォォオォオオオオオオオオオオオオ――――ッ!!!))

 

 繰り出すは()()()()()真価を発揮する技。上半身と下半身の捩じりによって強い渦動を発生させる渦の刃。

 

 

 全集中・水の呼吸 【陸ノ型・(きょう) ねじれ渦・相反(そうはん)

 

 

 二つの逆回転が生み出す圧倒的破壊の奔流。水中で生み出される二つの衝撃波の渦が周囲一帯を引き裂き、その中間に突っ込んできた鬼の体を細切れになるまで破壊した。

 

 断末魔すら上げることができず、鬼は灰となりながら水底へと沈んでいく。

 

 俺はそれを見届けながら二人の体を引っ張り、水面へと上がった。

 

「――――ぶはぁっ!!」

「げほっ、ぺっぺっ!」

「っ、はあっ、はぁっ……!」

 

 肺の空気を入れ替えながら、俺たちは湖の岸へ上がり、全員もれなく大の字に寝転がる。

 

 戦いが終わったことをようやく理解し、俺は身体の力を抜いて安堵した。――――瞬間、胸部から激しい痛み。

 

「ぐっ、う、ぉぉぉぉぉっ……!?」

「義勇!? どうした!」

「あ、肋骨が……折れてるっ……」

「それは――――っ、がっ……!!」

 

 錆兎もようやく自分の脇腹が貫通していることを思い出したのだろう、ドクドクと血の流れる腹を押さえながら身悶えていた。幸いなのは位置的に内臓が無事そうなのと、傷口が小さい事だろうか。何にせよ俺も錆兎もすぐに医者に診せなければならないが。

 

「二人とも……ごめんね、ごめんねぇ。私のせいで、こんな……!」

「……もういい、過ぎたことだ。鬼は倒せた。俺たちは生きている。それでいい」

「死ぬほど痛い目に遭ったがな」

「うぅぅぅ……ごめんなさい……」

 

 確かに真菰が来なければもう少し楽に終わっていただろう。だが「たられば」の話など時間の無駄だ。今の現実、鬼は討った、俺たちは生き残った。それだけでも十分な結果だ。戦闘中の負傷など、些細な事柄に過ぎない。

 

 さて、この状態でどうやって帰ろうか。例え帰れたとして蔦子姉さんにどう事情を説明したものか、と考えていると、森の向こうから何やら複数の足音が聞こえ始めた。

 

 しかし、それを確かめる前に俺の意識は落ちそうだ。あまりの疲労に瞼が今にも閉じようとしている。

 

「――――子供だ! 怪我をした子供がいる!」

「先行した隊員か! 鬼はどうなった!」

 

 台詞からして、どうやら鬼殺隊の隊員のようだ。それを理解した俺は遠慮なく意識の電源を落とした。

 

 少し、疲れた。

 

 今はとりあえず、眠ろう。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

「はい、義勇。あーん」

「……あーん」

「はい、錆兎君も、あーん」

「ど、どうも……」

 

 鬼との闘いから早一ヶ月。俺と錆兎の二人は俺の実家の布団の中に居た。どうしてこうなった、とは思わない。まあおおよそ当然の帰結と言える有様だろう。

 

 俺たちはあの後鬼殺隊に保護され、致命傷では無いにしろ傷を負った俺と錆兎、そして重要参考人である真菰は共々鬼殺隊の保有する医療屋敷へと運び込まれることとなった。

 

 話を聞けば、俺たちが倒した敵はかなり厄介な類いだったらしい。縄張りを転々としながら見つかりそうになるとほとぼりが冷めるまで水中に逃げ込み姿を隠す。その性質のおかげで二十人以上の犠牲者を出す羽目になったようだ。

 

 当然ながら下級隊員では対応が極めて困難な相手であった。あと少し放置していれば異能さえ手にしていただろう。俺たち二人が倒せたのは、運が良かったと言うしかない。

 

 そして、戦いの後に屋敷にて詳細な検査を行った結果。俺は肋骨が二本砕け、錆兎は内臓は無事にしろ腹を貫通する傷が五つ。普通に重傷である。

 

 また、調査の結果俺たちがまだ鬼殺隊の正規隊員では無いと判明したため当然ながら大目玉を食らい。

 

「お前たち! 自分が何をしたのかわかっているのか!?」

「「はい……」」

 

 更に蔦子姉さんにも無茶をした罰として大目玉を追撃に食らい。

 

「二人とも無茶ばっかりして! 傍で見守っている人の気にもなりなさい!!」

「「すいませんでした……」」

 

 締めに明らかに怒っている鱗滝さんからの無言の威圧によって俺と錆兎はもれなく撃沈した。

 

「…………………………」

「「……心の底から反省しております」」

 

 若気の至りと言うのは実に恐ろしいものだ。とはいえ、反省はしても後悔は微塵たりともしていないのだが。

 

 あの鬼は潜伏に長けている様子だった。きっと俺たちの様な子供では無く正規の隊員が向かっていたら、逃げられた可能性が高かったであろう。そうなっていたら、あの鬼に食い殺される人間はさらに増えていただろう。

 

 そういう意味ではあの鬼は俺たちを子供だと舐めてかかったつけを支払ったということになる。俺たちも無謀な行動をした罰を身を以て受けたわけだが。

 

「義勇~? まだお粥は残ってるわよ~?」

「……あーん」

「うふふふっ、義勇が小さい頃を思い出すわね~」

 

 ……それで、だ。俺たちの傷はほぼ治ったが、一応数日間は安静ということで実家にて蔦子姉さんに世話を焼かれている。具体的に言えば蔦子姉さんに「絶対安静」の名分であらゆる行動を封殺されながら全力で構い倒されている最中だ。

 

 大好きな姉さんではあるが、流石に毎日付きっきりでお世話されると男の大事な何かが崩れていく様な気がしてくる。錆兎も同感なのか最近は「男なら……男なら……」と虚ろな目で何やら呟いていた。そろそろ限界らしい。

 

(とはいえ、傷が治れば暫く会えなくなる以上、そう邪険に扱うのも憚れる……)

 

 結論から言ってしまえばこの無茶で、俺たちは実戦経験と引き換えに一ヶ月もの時間を棒に振ってしまった。その分を埋め合わせるためにも、病み上がりの体に鞭打ち限界まで己を鍛えなければならないだろう。

 

 その為、俺たちは今日の昼前にはもう出立するつもりだ。その旨ももう蔦子姉さんに話している。だからこそ最後の最後まで俺たちを甘やかそうとしているのは何とやら。

 

「――――蔦子さん! 洗濯物干してきました~」

「偉いわねぇ、真菰ちゃんは。お姉さん助かっちゃうわ~」

 

 蔦子姉さんが俺たちに朝食の粥を食べさせ終えると同時にひょっこりと障子を開けながら入ってきたのは、真菰だった。

 

 どうして彼女がこの家にいるかと言うと、なんて事は無い。ただ蔦子姉さんが身寄りの無くなった彼女を引き取ることにしただけだ。まだ正式な手続きはしていないようだが、この様子では時間の問題だろう。

 

「……それで、どうするんだ?」

「ん~? 何が?」

「お前はこのまま姉さんと一緒に暮らすつもりなのか、と聞いている」

 

 俺としては特に反対する気はない。親戚はおらず、祖父と祖母も既に亡くなっているらしい彼女に行く宛てなどありはしない。だが蔦子姉さんに出会えたのは真菰にとって最大の幸運だっただろう。姉さんは真菰を引き取る気が満々であるし、それは恐らく悪くない……いや、現状において最高の選択に等しい。

 

 しかし何故か真菰は少し困ったような表情を浮かべる。遠慮しているのだろうか、それとももうすでに別の選択を視野に入れているのだろうか。

 

 どちらにせよ、大いなる不幸を体験した彼女にはこれから健やかな人生を送ってもらいたいものだ。

 

「この一ヶ月で気持ちの整理はついたけど、これからどうするかはまだ考え中かなぁ」

「うーん、真菰ちゃんがよければ私は直ぐにでも妹にしちゃいたいのだけれど……。私、ずっと妹が欲しいと思っていたのよね~」

 

 節操がないと言えばいいのか気が早いと言えばいいのか。まあ無理に話を進めないだけマシか。

 

「……姉さん、そろそろ」

「もうそんな時間なの? ……次に会えるのは何時になりそうかしら」

「わからない。だが時間があれば必ず会いに来る。約束だ」

「ええ、約束よ」

 

 俺と姉さんは互いに小指を出して絡めさせ、軽く上下に振った。男に二言は無い。必ず選別を抜けて、もう一度姉さんに会いに来る。できればその時に甥か姪の顔を拝めるならなお良しだ。

 

 その後、俺と錆兎は寝間着から私服に着替え、昨晩用意しておいた荷物を背負って家前へと出る。背後を見れば蔦子姉さんと、真菰がいる。わざわざ見送ってくれるらしい。実にありがたい。

 

 所で真菰の隣に何やら風呂敷の包みらしきものがあるのだが、何だろうか?

 

「それじゃあ義勇、錆兎君。元気にするのよ。帰ってくるときは、何時でも手紙を送って頂戴。御馳走を用意して待ってるから!」

「ああ。姉さんの鮭大根、楽しみにしている」

「鮭大根限定なのか……。んん! 蔦子さん、今までお世話になりました。この礼はいずれ必ず返します!」

「ふふっ、ええ。期待しているわ」

 

 そして俺たちは手を振りながら、二人を背に歩き出した。

 

 ただ数日間姉さんと共にゆったりと休暇を過ごす筈が、まさか一ヶ月も伸びてしまうとは。人生何があるか予想できる物ではないな、と心の中で零しながらチラリと後ろを見る。

 

 すると真菰が蔦子姉さんにぎゅっと抱き付いて、その後自身の足元に置いていた包みを背負いながらこちらへと走ってきた。……弁当でも届けてくれるのか?

 

「義勇~! 錆兎~! 私も行く~!」

「「…………は?」」

 

 一瞬幻聴を疑った。しかし聞き間違いでは無いらしく、錆兎も同時に驚愕の声を漏らしていた。

 

 俺たちが茫然と立ち尽くしていると、すぐに真菰は俺たちに追いついて目の前で止まった。その顔は相変わらずのニコニコ笑顔。俺はどういう反応をすればいいのだ。

 

「私も! 二人と同じように鱗滝さんの所で修行を付けてもらいたい! 大丈夫、蔦子さんにはちゃんと許可貰ってきたから!」

「いや、何故そうなる。意味が分からない」

「義勇の言う通りだ。真菰、お前は……」

「……確かに蔦子さんと一緒に暮らすのはとっても魅力的だよ。きっと毎日楽しく暮らせると思う。だけど……ちゃんと決めたから。私、鬼殺隊になる! 私のような境遇の子達を増やさないために!」

 

 胸を叩きながら誇らしげにそう言い切る真菰。確かに、彼女の心意義は立派なものだと言えよう。そこに文句はない。

 

 だが、しかし。

 

「………………錆兎」

「……ああ、義勇。わかっている。――――逃げるぞ!」

「え」

 

 突然の事に固まる真菰を尻目に、俺たちは凝り固まった身体に熱を入れて全力疾走を始めた。

 

 あの目を見る限り真菰の決意は固い。だが俺たちは彼女に鬼殺の道を歩ませる気は皆無だった。折角拾った命を態々危険に晒す必要が何故あるだろうか。彼女は姉さんと平和に暮らすのが一番――――

 

「――――待ぁぁぁぁぁぁてぇぇぇぇぇぇ!!!」

「何っ!?」

「速いっ!」

 

 ようやく意識を取り戻した真菰も全力疾走でこちらを追いかけてきた。こちらが一ヶ月間の安静で体が鈍り切っているとはいえ凄まじい足の速さ。凄い逸材を見つけた気がする。

 

「くっ、義勇! もっと足を速く動かせ! 男なら!」

「俺は全力で走っている!」

「はーっはっはっは! 天狗娘と呼ばれた私の足から逃げられると思わないでよね~!」

 

 走る。走る。走る。山に向かってひたすら走る。

 

 まだ見ぬ明日を見るために。大切な水を零さないよう手を大きくするために。俺たちはその命が付き果てるまで、人を脅かす悪鬼を滅するまで剣を握り続ける。

 

 泥の中で美しく咲く蓮華の花の如く。

 

 彼岸にて咲く紅蓮の華の如く。

 

 暗い闇の中で、俺たちは光を掴むまで足掻き続けるのだ。何時までも、何処までも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山奥にて鎮座する巨岩。相対する者を威圧するかの如き巨躯を誇る灰色の塊の前に、二人の少年が姿を見せる。

 

 二人は無言で腰から刀をゆっくりと抜き、音も無く正面に構えた。そして大きく息を吸い、一閃。

 

 鋭い風切り音だけが響き渡り、その後少年たちは何事も無かったかのように刀を鞘にしまい、踵を返した。

 

「帰るか」

「ああ」

 

 その言葉を発した瞬間、彼らの背後にあった岩はさながら豆腐の如く真っ二つに斬り割られていた。これで少年たちは最終選別を受けるための準備を全て終えたことを証明する。

 

 彼らの次の目的地は、藤襲山(ふじかさねやま)。鬼殺の剣士に相応しき者を選別する地獄の入り口。

 

 それでも彼らは恐れずにその入り口を潜らんとする。全ての鬼を滅するため。不当に奪われる命を守るため。

 

 二つ目の分水嶺が、訪れる。

 

 

 

 

 




《独自技解説》

【漆ノ型 雫波紋突き・乱曲(らんきょく)
 雫波紋突きの応用技。直線の突きと曲線の突きを交えて出すことで予測困難な連続刺突攻撃を繰り出す。防御が苦手な錆兎に対抗するために生み出した。
 実は最終選別前に行う最後の模擬戦への切り札として取っておいた技だったが、緊急事態によりこの手札を切らざるを得なかった。

【玖ノ型 水流飛沫(すいりゅうしぶき)
 水流飛沫・乱の派生元。技の原理は同じだが、此方は縦横無尽に動き回るのではなく左右への最小限の回避行動を重視している。直線的な攻撃しかしない敵に効果的。

【陸ノ型・(きょう) ねじれ渦・相反(そうはん)
 土壇場で生み出した即興の協力技。息を合わせて同時にねじれ渦を放つことで、その間に生じた圧倒的破壊空間で敵を完全粉砕する。水中では水の流れによる吸い込み効果も発生するため、非常に強力。ただし息を合わせないと真価を発揮できない。
 モチーフはワ○ウの神砂嵐。使い時が限定的過ぎるため、たぶんもう出番はない。


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