水に憑いたのならば   作:猛烈に背中が痛い

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第陸話 最終選別

 森の中の少し開けた空間。そこで刃と刃がぶつかり合う。

 

「はぁぁぁぁぁ――――っ!!」

「フッ――――!!」

 

 互いに繰り出すは水の如き流麗な攻撃。流れるように、踊るように、両者の攻撃は激流となり渦を形成する。一年前とは比べ物にならないほどの洗練された鋼の乱舞。それを紡ぎあげているのは他でもない、俺と錆兎の二人だった。

 

 ようやくだ。一年間死に物狂いで努力して、俺はやっと錆兎にまともに食い付くことができている。

 

 ただし長くは持たない。体力や集中力は俺より錆兎の方が遥かに上。故に、短期決着以外は狙えない。

 

「「ヒュゥゥゥゥゥウウウウウウウッ――――!!!」」

 

 双方が同時に深く全集中の呼吸をする。それは大きな技を繰り出すための前動作。

 

【壱ノ型 水面切り】

【弐ノ型・(かい) 水車(みずぐるま)(かさね)

 

 俺の繰り出す水面切りは、錆兎が繰り出す水車・重と正面からぶつかった。水車・重は錆兎が独自に技を改良し編み出したもの。空中で縦軸に何回も回転し、最大まで遠心力を込めた一撃を絶妙なタイミングで叩き込む高等技だ。

 

 その攻撃力は通常の水車とは比較にならない。俺は攻撃を受ける寸前で咄嗟に防御の構えへと移行し、錆兎の強烈な一撃を受け流すことで受け止める衝撃を最小限まで減らした。まともに受けていれば間違いなく刀が折れていただろう。

 

「くっ――――!」

「まだまだ――――!!」

 

 【壱ノ型・改 水面切り・双波(そうは)

 

 左右から挟み込む様な横一線の二連撃。一撃目は防御に成功するが刀を弾かれ、二撃目が容赦なく首筋へと吸い込まれていく。俺はそれを身体を後ろへ仰け反らせることで紙一重で回避。同時にその勢いのまま後ろへと後方転回し距離を取る。

 

「今度は俺の番だ……!」

 

 着地と同時に間髪入れず俺は前方に駆け、【漆ノ型 雫波紋突き・乱曲(らんきょく)】を繰り出した。目にも留まらぬ不規則な連撃が錆兎を襲い、彼は一時的にではあるが技に翻弄されてしまう。

 

 やはり防御が苦手なのは変わらずか。――――だが、決して成長してないわけではない。

 

「防御は不利、ならば――――!」

「ッ!」

 

 素早く後ろに跳躍した錆兎がグッと地を強く踏みしめ、身体を大きく捻る。そして、前へと踏み出しながらその捩じりを解放した。

 

【陸ノ型・改 ねじれ渦・天嵐(てんらん)

 

 回転し渦を描きながら錆兎は高速でこちらに突っ込んできた。初めて見る技、その動きを見て俺は思わず目を見開く。

 

 その動き水じゃ無くて風だろうが――――!!

 

「はぁっ!!」

「がっ――――!?」

 

 強烈な回転による力を乗せた一撃が放たれ、しかし俺はどうにかそれを受けきった。だが大きく隙を晒してしまう。

 

「そこだっ!!」

 

 当然その隙へと放たれる錆兎の一閃。普通なら防ぐ術などなく、俺はこの模擬戦で最後の最後まで一度も白星を取ること無く終わると言う惨めな結果を味わうことになるだろう。

 

 普通なら。

 

 

 ――――【拾壱ノ型 凪】

 

 

 俺は身を捩って強引に一瞬だけ態勢を整え、錆兎の攻撃を超高速で迎撃した。

 

 キィン! と硬質な音が森の中で反響すると同時に錆兎の手から刀が弾かれ、弾かれた刀が遥か後方の樹の幹へと突き刺さる。

 

「なっ――――…………ふっ、こんな切り札を隠していたのか、義勇」

「ああ。とっておきの奥の手だ」

 

 錆兎が動揺から気を静めれば、その首筋には既に俺の刀の切っ先が突き付けられていた。

 

 間違いなく、俺の勝利。

 

 弟子入りから一年。俺はようやく、ずっと遠い存在に思えた兄弟子から白星をもぎ取ることができた。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 初の模擬戦勝利から数日後、最終選別まで鱗滝さんが用意した巨岩を斬ることができた俺たちは、無事に最終選別の藤襲山へと出発することになった。

 

 昨晩から綺麗に整えておいた服を身につけ、更に鱗滝さんから普段使っている訓練用の量産日輪刀では無い、刀身の青い日輪刀を腰に差す。最終選別用の携帯食料もちゃんと持った。これで準備は万全だ。

 

「二人とも、これを」

「これは……」

 

 出迎えに来てくれた鱗滝さんは懐から狐を模した面を取り出して、こちらへと差し出した。それを見た錆兎は懐かしそうな顔を浮かべ、俺は少しだけ珍妙な顔を浮かべてしまう。

 

厄除(やくじょ)の面だ。お前たちを災いから守るよう、(まじな)いをかけておいた」

「鱗滝さん……ありがとうございます!」

「ありがたく頂きます」

 

 厄除の面。鱗滝さん手製の面であり、彼の弟子である事を示すもの。そして、()()()()がこれを付けた人間を求めてやまないことを俺は知っている。

 

 その実態を知る身としては複雑な気分ではあるが、だからと言って鱗滝さんからの純粋な善意からしてくれている行為を無下になどできようものか。それに――――かの鬼は俺たちの代で滅すると決めている。むしろこの面があの鬼を引き付けてくれるのならば、是非も無い。

 

 見れば、俺の面は左頬に水玉模様が、錆兎の物には口の右横に傷跡が描かれている。

 

 どうやら渡す者の事を表現するような作りになっている様だ。

 

「二人とも!」

 

 俺たちが厄除の面を眺めていると鱗滝さんの後ろから少女、真菰が飛び出して俺たちの腹に突っ込んできた。相変わらず元気があり余っている。

 

 真菰は結局あの後俺たちに追いつき、それはもう決して離さないと言うかのように狭霧山まで錆兎の背中に引っ付き続けた。

 

 捕まった錆兎の方は何度か抵抗したが、最後には諦めてしまった。決め手になったのはやはりあの「嫁入り前の娘の唇を奪った責任取ってよね」の台詞だろう。あの時程俺が錆兎に恨めし気な目で見られたことは無かった。

 

 そして当然鱗滝さんも弟子入りを渋りまくったが、三日三晩くっつき続けて鱗滝さんも同様に根負けした。真菰の粘着力恐るべし。

 

「ちゃんと帰ってきてよね。鱗滝さんと御馳走を用意して待ってるから!」

「無論だ。約束する」

「俺も義勇も、そこらの鬼には負けないさ。……所で鱗滝さん、その……最終選別から帰ってきたら、欲しいものがあるのですが」

「何だ、儂に用意できるものなら何でも用意しよう」

「ええと……」

 

 珍しく錆兎は照れくさそうな表情を浮かべて頬をポリポリと掻いていた。何だ、まさか春本と言わないだろうな。いや、真菰の前で錆兎がそんな事言うはずもないか。

 

「帰ってきたら、鱗滝さんの苗字を貰ってもいいですか?」

「―――――――――――」

 

 ビシリと音を立てて鱗滝さんが固まった。無理もない、俺と真菰も口を開けて唖然としているのだから。

 

 苗字を貰いたい。即ち養子に――――鱗滝さんの息子になりたいという事である。正直に言わせてもらえば「え、まだ貰って無かったの?」と俺は思っているが、それは言わぬが花だ。

 

「ふ、ふふっ。ああ、いいとも。こんな物なら幾らでもくれてやる。――――必ず、必ず帰ってこい。錆兎、義勇。どれだけ惨めな姿でもいい、生きて帰ってこい……!!」

「「はいっ!」」

 

 鱗滝さんはその大きな腕で俺たち二人をその胸に抱きしめた。俺たちもそれに応えるように鱗滝さんの背中に手を回してぎゅっと抱きしめる。

 

 精一杯その温もりを堪能した後、俺たちは名残惜しく感じながらも二人に手を振りながら狭霧山を後にした。

 

 目的地は、藤襲山。一年中藤の咲き誇るという極めて特殊な場所であり、鬼を閉じ込める監獄の様な場所。

 

 その中で選別(蠱毒)が始まる。鬼を殺すに相応しい物を選び取る試練が。

 

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

「これは、圧巻だな」

「そうだな……」

 

 どこ彼処を見ても藤の花が咲き乱れている。此処が一年中藤の花が咲き続けている山、藤襲山。一体どういう仕組みなのかはさっぱりだが、何時訪れてもこの美しい景色を見れると言うのは中々に凄いことだ。

 

 ただ、中腹から上は鬼が跳梁跋扈しているのでその事実を知る者からすれば全く和むことなどできやしないだろうが。

 

 長い長い階段を昇る事十数分、ついに中腹を示す階段を挟む二つの赤い柱が見えてきた。そこを潜れば、平坦に整えられた場所にて何十人もの受験者が佇んでいた。強面の者や童顔の者、女子もいればなんか妙にキューティクルヘアーな奴もいる。十人十色とはよく言ったものである。

 

「――――刻限になりました。では、まずご挨拶を。皆さま、今宵は最終選別に集まっていただき心より感謝を」

(あの人は……)

 

 凛とした声を発しながら姿を見せたのは、銀の如く美しい白髪と漆のような瞳を持つ女性。さながら天から遣わされた天女の様な神秘的な美しさを纏う彼女の顔はうっすらとではあるが覚えがある。確か、産屋敷(うぶやしき)――――鬼殺隊の創立者の一族、その現当主である産屋敷耀哉(かがや)様の妻、産屋敷あまね様だ。

 

 そして、注意深く凝視すればお腹に少しだけ不自然な、しかし見覚えのある膨らみがある。間違いなく身ごもっている様子だ。半年ほど前に直で見たことがある以上見紛うわけがない。

 

(……そう言えば姉さんの出産はどうなったのだろうか)

 

 未だに知らせは来ていないと言う事は、まだ産んではいないと言う事だろう。しかしそろそろ妊娠から一年、もういつ産まれてもおかしくない時期だ。そう思い返していると実に待ち遠しい気分になる。

 

 いや、駄目だ。余計なことは考えるな。今は目の前の選別試験に集中しろ。姉さんについて考えるのは、それからでも決して遅くはない。

 

(しかし、お腹に子がいる状態で此処まで来るとは……。当主である耀哉様が病弱の身であるとはいえ、無理をなさる)

 

 お腹の子に万が一のことがあるかもしれないと思えば、真っ先に屋敷にて静かにするべきと考えるだろうに、そんな甘えた考えを押しのけて産屋敷一族たちは俺たちへ礼儀を示すために必ずここへ現れる。その気遣いに、俺も錆兎も心から敬意を表する。

 

「この藤襲山には鬼殺の剣士様方が生け捕りにした鬼が閉じ込められており、外に出ることはできません。山の麓から中腹にかけて鬼が忌避する藤の花が一年中咲き乱れているからでございます」

 

 鬼が閉じ込められているという言葉を聞いた途端、場の空気が一段と張り詰めたものになった。この場に居るは大半が鬼の脅威を身を以て知っている者ばかり。だからこそ緊迫した空気を出さずにはいられない。鬼という恐怖に打ち勝つために。

 

「そして、ここから先は藤の花は咲いておりません。故に鬼共がその中を跋扈しています。この中で七日間生き抜く、それが最終選別の合格条件となります」

 

 ガチャリとそこかしこから日輪刀の鞘を握る音がする。それから一人、また一人と歩を進め、鬼の巣窟への入口へと歩み始めた。

 

「では、ご武運を」

 

 長い夜が始まる。

 

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

「肉ゥゥゥゥゥゥ!! 食わせろォォォォォ!!」

「アレは俺の獲物だァッ! 邪魔を――――」

 

 闇の中から人間と同じ姿形なれど、頭から角を生やしている異貌の者――――鬼が絶叫と涎をまき散らしながら二体ほど跳び出てきた。眼先に在るのはボサボサの長い髪を一つに結った、小豆色の着物を着た仏頂面の少年。

 

 そのいかにも弱そうな見た目に釣られ、飢餓状態の鬼たちは高揚状態のまま襲い掛かる。が、

 

「喧しい」

 

 一言。少年――――俺はうっとおし気に呟きながら全集中の呼吸を行い、すれ違いざまに日輪刀を振るう。空気の弾ける音と地を踏む音が木霊し、その後訪れた着地音は一つのみ。背後で鬼が確かに灰と化したのを一瞥しながら、俺は止まっていた足を再度動かし出す。

 

(錆兎、まさか何も言わずに離れるとは……)

 

 当初の予定では、俺は初日から七日目までずっと錆兎とツーマンセルで動くつもりだった。彼が件の鬼――――手鬼と遭遇するのが何時なのか不明瞭な以上、「離れていたせいで気づいていたら殺されていた」なんて全く笑えない事態を避けるためだ。

 

 にも関わらず、錆兎は俺が木の上で仮眠をしている最中に、「他の受験者を助けてくる」という短い書置きだけを残して何処かへと行ってしまったのだ。

 

 まさかの初日から早々の独断行動に俺はキレた。柄にもなく口調が激しくなっているのはその証拠だろう。

 

「――――たっ、助けてくれぇぇぇぇぇぇ!!!」

「!!」

 

 走駆している最中に、近くから救援を求める声が聞こえてきた。俺は迷わず進路を変更し、声のした方向へと全速力で駆ける。

 

 明細な状況が把握できる程近づいた俺の視界に入ったのは、受験者が集っている際に見かけたキューティクルヘアーの少年。一体の鬼に木の幹に背を付けるまで追い込まれているにも関わらず、別方向から二体目の鬼に襲われようとしているという絶体絶命の状態であった。

 

 俺は素早く息を吸い、一歩で二体目の鬼へと肉薄。気づかれる前に一刀で鬼の頸を撥ね飛ばし、ついでに少年を追い詰めていた鬼の片腕も斬り飛ばす。

 

「ギ、ギャアアアアアア!?」

「たっ、助かった! ありがとう!」

「怪我は無いな。後はお前がやれ」

「え? ちょ、できれば最後まで助け「よくもやってくれたなテメェェェェエエ!!」ひぃぃぃぃぃ!」

 

 俺は少年が鬼と再度交戦状態に入るのを見届けて無言で鞘に刀を収めた。

 

 この場は鬼殺の剣士を選別する試験なのだ。最悪の状況ならば最低限手は差し伸べるが、余計な世話まで焼くつもりは無い。片腕の無い雑魚鬼程度にやられたのならば、少年はその程度の者であったということだ。

 

 まあ、流石に死にそうなったら助けるが。

 

「う、うぉぉぉおおおおおお!!」

「ごぎゃ」

 

 決着は三十秒もかからずについた。少年はどうにか鬼からの攻撃を躱しながら、その際に生じた隙を狙って一撃で頸を断ち切った。やはり選別に来たからにはそこそこの技量は持っているらしい。

 

「見事だ」

「な、何とかなった……。に、二体目の鬼が現れて、もう駄目だって手が震えて……」

「数が不利だと思えばすぐに逃げろ。鬼とは極力一対一で戦え。それと、合格条件はあくまで七日目までの生存。少し卑怯だが逃げ続ける事も選択の内だぞ」

「わ、わかった。何とか頑張ってみるよ。そっちも気を付けて」

「ああ。互いに最後まで生き残ろう」

 

 今日で恐らく試験は三日目。今日の夜を凌げばようやく道程の半分だ。

 

 この山にあとどれくらい鬼が残っているのかはわからないが、本来の通りの調子で錆兎が叩き切っているならば目の前の少年が最後まで生き残るのは決して難しいことでは無いだろう。

 

 俺は少年に別れを告げ、特に当てもなく辺りを無造作に走り回る。山中の鬼の分布はほぼ不規則だ。俺に匂いや音、触覚などで敵を探すなんて芸当が不可能である以上、勘頼りであの手鬼を探し回るしかない。

 

 幸い、鬼の気配は独特だ。大体三十間(約五十m)以内に入れば探知は可能だろう。

 

 そうこう考えている内に早速鬼の気配がつかめた。数は――――四体。随分群れている。負傷した受験生が固まっているのかもしれないと考え、俺は最高速で鬼の気配のする方へと跳んだ。

 

「みんな! 大丈夫、落ち着いて対処するのよ!」

「だっ、大丈夫なもんか! 何で鬼がこんな数で一度に現れるんだよぉ!」

「キヘヘヒャヒャヒャ! 女だ! 手負いの奴もまとまってやがる! 俺たちは運がいいなぁ!」

 

 予想通り負傷者多数。それを二人の受験者がどうにか守ろうとしている様子だ。だが戦える者に対して鬼が二倍の多さだ。これでは不利過ぎる。俺はすぐに彼らを救援することにした。

 

「た、頼む……た、助け……!」

「大丈夫。私は何処にもいかないから、だから――――」

「俺が一番乗りだァァァァァ!!」

「っ、しまっ――――」

 

 あの中で一番手強そうな少女は負傷者に泣き縋られている最中、その隙を狙った鬼が少女へと襲い掛かった。ほんの少しの気の緩みが死へと直結するいい例だ。

 

 だが、その死を俺は許さない。

 

 全集中・水の呼吸 【参ノ型 流流舞い(りゅうりゅうまい)

 

 水流の如く流れるような斬撃が少女を襲おうとした鬼を含めた全ての鬼の頸を一刀にて斬首する。反応する暇すら与えられず、鬼たちは何が起こったのかも理解出来ないまま唖然とした顔で灰となり消えていった。

 

 刀に付いた血を払いながら、救助した受験者たちを一瞥する。やはり皆、驚いた顔で固まっていた。

 

「……助けに来た。大丈夫か」

「え、ええ……あ、ありがとう」

 

 鞘に刃を収めながら、俺は襲われた衝撃で尻もちをついていた少女に手を差し伸べ起き上がらせる。

 

 彼女は珍しい蝶の耳飾りを頭の両側に付けた、長い黒髪を持つ美しい少女だった。更に蝶を模した羽織が彼女の神秘的な可憐さを更に引き立てている。この最終選別を受けている者の中ではいい意味で一番浮いている者だろう。

 

 しかし蝶の髪飾りに、蝶の羽織。それを見に付けているのは確か……

 

「私の名前は胡蝶(こちょう)、胡蝶カナエよ。貴方の名前は?」

「胡蝶……ああ、そうか。お前が」

「え?」

 

 そう、彼女の名は胡蝶カナエ……。将来、日輪刀でなければ殺すことのできない鬼を殺すことのできる毒を開発する少女である胡蝶しのぶの姉だと記憶している。まさか冨岡義勇()の同期だったとは。確かに時期的には何もおかしくはない。

 

「いや、何でもない。俺は冨岡義勇。所で聞きたいんだが、宍色の髪で口の横に傷のある少年を見なかったか。探しているんだ」

「冨岡、義勇……。そっか、貴方があの子の言っていた……」

「! 知っているのか!? 何処に行ったか教えてくれ!」

「へ? え、待っ……!?」

 

 やっと手掛かりらしきものを掴めると思った俺はつい反射的にカナエの肩を掴みながら迫ってしまった。おかげで先程まで切迫した雰囲気だったというのに何とも言葉にし難い珍妙な空気が満ちてしまう。

 

「……すまん、つい気が高ぶってしまった」

「あ、大丈夫。気にしてないわ。ええと……あの子と出会ったのは昨日の事だし、多分もうずっと遠くにいると思うわ。ただ、東の方角に行った覚えがあるから、そっちを探せば見つかるかもしれない」

「ああ、教えてくれて感謝する。……それと、広場の付近は藤の花の香りのせいで鬼が近づきたがらない。小さい物なら藤の花も咲いている。それを利用すれば簡素な安全地帯は作れるかもしれない」

「! うん、わかったわ! 教えてくれてありがとう、冨岡君!」

「では失礼する」

 

 必要なことだけを告げて、俺は一足跳びでその場を去った。向かうは東の方角。既に錆兎が別の方へと移動しているかもしれないが、それでも何のあてもなく虱潰しに探すよりはずっといい。

 

「う、うわぁぁぁああぁああっ!」

(…………仕方ない)

 

 が、やはりと言うが道中助けを求める声や偶然鬼と遭遇することも決して珍しいことでは無かった。とはいえ無視するわけにもいかない。

 

 俺は少々の遅れは許容し、通りすがった片っ端から鬼を殲滅することにした。せめて今もどこかで戦っているだろう錆兎の負担を少しでも減らすために。

 

(錆兎……無事で居てくれ……!)

 

 決して彼を死なせはしない。鱗滝さんや真菰との約束のためにも。

 

 ――――鞘を走る蒼い刃が、月の明かりで煌めいた。

 

 

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

 

 

 最終選別開始から五日目の夜。錆兎は変わらずそこら中を駆け巡り、鬼を斬り、助けを求める者を安全な場所へと連れて行くという習慣をこなしていた。

 

 こんな無茶な行動を成立させられたのはやはり彼の飛びぬけた実力故か。選別に参加した者の中で確実に最強に位置する彼はあり余る剣の才覚を鱗滝左近次という元水柱の下で何年も磨かれ続けたことにより、たとえ今から実戦に投入されても通用するだろう域に達している。

 

 欠点を述べるなら、水の呼吸にて最も重要な「静水の如き精神」を未だ会得していないことだろうか。

 

(まさか五日目になっても義勇と再会できないとは……あの少女から無事だとは聞いているが)

 

 鬼の気配を探りながら走っている錆兎はふと自分が一人置いてきてしまった弟弟子にして親友の義勇の事を思い浮かべていた。

 

 自分の勝手な行動で一人にさせてしまったが、しかし死んだとは欠片も思っていない。

 

 彼とて自分と同じ元柱の手で磨かれた剣士。教えを受けてまだ一年だというのに義勇は既に錆兎に迫る実力を有するほどに成長していた。最終選別を受ける数日前、模擬戦で初めて彼から明確な一本を取られたのはいい思い出だ。

 

 特に【拾壱ノ型 凪】……義勇が新しく作り上げた型は、錆兎を実に驚愕させた。師である鱗滝も同様に。

 

 錆兎の推測ではあるが、彼は義勇が自身より水の呼吸に対する適正が遥かに高いと確信していた。技の精度だけならば、既に自身を越えられているだろうとも。

 

 故に、恐らく受験者の中で自身に次いで強い。そんな彼が例えこんな雑魚鬼にいくら群がれていようとも負ける光景など錆兎には到底思い浮かべられなかった。

 

「しかし、人の気配も少なくなってきたな……」

 

 負傷し戦えなくなった者のほとんどは胡蝶カナエという少女の作っていた藤の花の結界に待機させている。今この山で刀を握って戦っているのは(ふるい)を抜けた猛者たちだけだろう。である以上、自分がこれ以上救助活動をするのは無為か。

 

 そう思いながら錆兎は足を止め、張り詰めていた空気を刀と共に鞘へと収める。

 

(この五日間で既に三十近く斬り捨てた。鬼の気配ももうほとんど感じられない。……これならあと二日待つだけで良さそうだな)

 

 自身の長い活動も終わりか、と思い耽っていた――――瞬間、魚が腐ったような強烈な刺激臭が錆兎の鼻を突き刺し、猛烈に不快感を刺激した。

 

 まるで不意打ちの様なその臭いに顔を歪めながら振り返れば、誰かが悲鳴を上げながらこちらへと走ってきているのが見える。

 

「だっ、誰かぁぁぁぁ!! 助けてくれっ! 鬼がっ、鬼が!!」

「おい、落ち着け! 何があった、何を見た?」

 

 すっかり息を上げ崩れそうな少年の体を受け止めながら、錆兎は彼の走ってきた方を注視する。見えなくともわかる。何か並みならぬ存在がこちらへと近づいてきているのが。

 

「お、大型の、異形の鬼だ!! 話が違う! こんなの聞いていない! 選別に使われる鬼は人を二、三人食った奴だけって……ひぃぃぃぃぃ!!」

 

 ズン、ズンと地を踏む音と共に暗がりから”それ”は姿を現した。

 

 緑色の肌を持つ、大人よりも遥かに高い巨躯を誇る、全身から手を生やしてそれを纏う異形の鬼。今まで相手にしてきた木っ端共と違う。明らかに鬼殺の剣士見習いには手に余る存在だと錆兎はすぐに理解した。

 

「やっと見つけた、俺の可愛い狐ェ」

 

 不気味な声を出しながら訳のわからないことを呟き出した鬼。錆兎は息を飲み、すぐさま少年を遠くへと逃がす事を決断した。

 

 流石の自分でも、戦えない者を抱えながらあれを相手にするのは厳しいと思ったからだ。

 

「おいお前、急いで遠くに逃げろ」

「だ、だけどそれじゃあ君が……!」

「早く行け! 死にたいのか!」

「っ……待っててくれ! 必ず助けを呼ぶ!」

 

 少年は一度は渋ったが、自身の無力さを理解したのか直ぐに錆兎の言う通りにこの場から離脱した。

 

 そして、この場残ったのは錆兎と異形の鬼――――手鬼だけ。二者の間で並ならない殺気が漂い始める。

 

「狐小僧。今は明治何年だ?」

「お前の質問に答える義理は無い、鬼風情が。それに、今が何年だろうが関係無い。お前は今日、此処で――――!!」

 

 一瞬の動作で跳躍。抜いた刀を両手に構えて錆兎は目にも留まらぬ速さで宙を走り、水の呼吸【壱ノ型 水面切り】を繰り出した。

 

 だが――――

 

「馬鹿が!!」

「!」

 

 彼と相対した手鬼は雑魚鬼とは比較にならない反応速度で錆兎を迎撃しようとした。ボコボコと肉が不自然に盛り上がり、形成された巨大な腕が弾けるように伸び出す。

 

 それを間一髪で感じ取った錆兎は身体を捻って手鬼の攻撃を回避し、伸ばされた腕を足場に即座に地面へと帰還。素早い足運びで十分な距離を取る。

 

「ほう、相変わらず強いな。流石鱗滝の弟子だ」

「……何故お前が鱗滝さんの名前を知っている?」

「知ってるさァ! 俺をこんな忌々しい藤の檻にぶち込んでくれたのは他でもない鱗滝だ! 四十……いや、三十九年前のあの時、忘れるものか! 鱗滝め! 鱗滝め!! 鱗滝めェ!!!」

 

 突然師の名前が出てきて錆兎が訝し気に問えば、手鬼は全身の表面から血管を浮き出させながら発狂するように叫び出した。

 

 鬼の答えに一応の納得がいった錆兎は怒りの炎を胸に灯しながら静かに息を整える。先程の攻撃を見るに相手は腕を生やして伸ばす戦い方を行っている。そして、伸ばされた腕が戻る速度は伸ばされた際と比較してかなり遅い。攻撃後すぐには戻せないと考えていい。

 

 ならば相手に手を出させ尽くし、隙を作って頸を一撃で斬る。錆兎はそう結論付けて両足に力を込め出した。

 

「絶対に許さんぞ鱗滝めェッ!! 俺をこんな所に閉じ込めてくれた報いだ、精々戻ってこない弟子共に恨み殺されるがいい!!」

「……何? どういう意味だ、それは!」

 

 手鬼は錆兎からの問いを無視して何やら指を折り何かを数えている。その口にしている数を聞く度に錆兎は背筋に怖気が走り、憎悪にも似た感情が腹の底から溢れ出す理由は、すぐにわかった。

 

「十……十一……お前で十二人目だ」

「……何がだ」

「俺が食った鱗滝の弟子の数さ! アイツの弟子は皆俺が食ってやった。その狐の面が目印だ。……厄除の面とか言ったか? それを付けてるせいでみんな死んだ。みんな俺の腹の中だ」

 

 錆兎の頭の中で、音が消えた。彼の耳には今、クスクスと鬼の嘲笑だけが聞こえている。

 

「馬鹿な奴だ、鱗滝め。滑稽な善意が大切に育てた弟子共を食い殺す目印になるなんてなァ。全員あいつが殺したようなもんだ。ヒヒヒヒッ」

 

 音の消えた世界でブチリと、何かが切れた音が聞こえ――――瞬間、錆兎の中で憎悪と憤怒が混ざり合って爆ぜた。

 

 

「お前がァァァァァァァァアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 

 今までの生の中で受けたどんな感情でも比較できないほどの凝縮された激怒。父にも等しき恩人を侮辱され、尊敬していた兄弟子たちを嬲り殺しにされた事実を自慢げに話す鬼を見て、錆兎の心は沸騰する暴流と成った。

 

 爪が割れるほどの力で刀の柄を握り、足裏の地面が衝撃で爆ぜる程の力で錆兎は駆け出す。彼の中にはもはや一片の慈悲も無い。一秒でも早く目の前にいる悪鬼を葬り去りたい一心で無謀にも突貫する。

 

 狙い通りに挑発に乗った錆兎の姿を見て嗤いを零しながら、手鬼は全身から無数の手を生やして錆兎へと襲い掛かった。だがその全てを錆兎は迎撃、回避し一瞬でその懐まで入り込む。

 

 腕は粗方伸ばされた。追撃は無い。ならば後は頸を断つだけ。勝利を確信した錆兎は跳躍して刀を振りかぶった。

 

「地獄に――――落ちろぉぉぉぉぉぉぉおおおお!!!」

「なッ――――クソォッ!!」

 

 【壱ノ型 水面切り】。それが放たれると同時に、猛攻を突破された手鬼は動揺しながらも咄嗟に限界まで首周りを手で補強した。苦し紛れの悪あがきだ、今の怒りに狂った錆兎ならば難なく鬼の頸を両断できるだろう。

 

 刀が折れなければ、の話だが。

 

「な、ぁ――――!?」

 

 錆兎の刀が鬼の腕に刃が当たった瞬間、”パキン”と――――そんな悲鳴を上げながら、刀は半ばから折れた。

 

 選別開始から現在まで錆兎は鬼を三十体近く斬り伏せている。当然刀にはその分の負担がかかるだろう。だが、だとしてもこの程度で折れる程鱗滝の渡した日輪刀は鈍では無かった。問題は錆兎の剣の気質だ。

 

 彼は水の呼吸にしては剣筋がかなり強引だ。どちらかと言うと彼は炎の呼吸に適正があるだろう。しかし剣の師が元水柱である以上、彼は水の呼吸を学ぶ土台しか無かった故に仕方のないことではあるが。

 

 だとしても彼の実力は目を張るものがある。非適正の呼吸でこれ程の強さを発揮している、それは誰が見ても驚嘆に値することだ。

 

 ……だが、彼の刀はそれに応えることはできなかった。足りない物を膂力と技量で無理矢理補いながら繰り出される技の数々。トドメとなったのは明らかに他の鬼に比べて跳び抜けた強さを持った鬼の体を斬りつけたこと。

 

 選別用に用意されただけの、雑魚鬼を斬る事くらいしか想定していない刀が、耐えられるはずもなかったのだ。

 

 余りにも予想外の出来事に錆兎は怒りが冷め、茫然となる。対して手鬼はニィッと嘲笑を浮かべ、先程の錆兎と同様に勝利を確信しながら首に巻き付いていた腕を彼の頭へと撃ち出した。

 

「死ねェ! 鱗滝の弟子ィィィィ――――!!」

「あ」

 

 錆兎の脳裏で大量に流れる走馬灯。

 

 物心ついた時から自身の世話をしてくれた鱗滝と兄弟子たち。厳しくも楽しかった修行の日々。選別に行ったきり戻ってこない弟子たちを憂い、天狗の面の下で涙を流す鱗滝の姿。初めて出来た弟弟子との新たな日常。初めての鬼狩り。柔らかな真菰の口づけ。

 

 それらの思い出が一瞬で過ぎ去り、目が覚めれば目の前には鬼の魔の手。

 

(義勇――――真菰――――鱗滝さん――――すまない……!!)

 

 一時の激情が死に繋がった。錆兎は三人への申し訳なさに胸がはち切れんばかりの後悔を抱き、そして――――

 

 

「――――錆兎ぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!!!」

 

 

 鬼の手が錆兎の頭に届く寸前、彼の眼前で蒼い閃光が走駆した。

 

 気が付けば彼の体は大きく弾かれ、地面へと受け身を取れないまま無様に転がっていた。喉に詰まった空気を吐き出しながら顔を上げれば――――

 

 

 ――――そこには男の背中があった。

 

 

 ――――錆兎が誰よりも憧れ、目指した鱗滝()の背を幻視させる程の気迫を纏う義勇の背中が。

 

 

「義、勇……」

「……ああ、間に合った……」

 

 義勇が振り返る。すると錆兎は今まで見たことも無いものを、彼の顔に見た。

 

 

 左頬から這い上がるように浮かび上がった、青い斑模様の痣を。

 

 

 

 

 

 




《独自技解説》

【弐ノ型・(かい) 水車(みずぐるま)(かさね)
 水車の応用技。通常の水車が体に対して横軸で回転するのに対して、こちらは縦軸に回転することで回転数を底上げし、増幅させた遠心力で上から叩きつけるように斬り込む技。
 水車の動作を隙を作らないように小さく、避けられないように速く、かつ更に威力を高めたものに変えるため錆兎が独自に改良した。

【壱ノ型・改 水面切り・双波(そうは)
 水面切りの応用技。改と銘打っているが単純に左右から高速かつ連続で水面切りを放つだけなためかなり地味。しかしこの技は得物を持つ相手を想定しており、一撃目で相手の防御を崩して、二撃目で頸を断つように作られている。地味ながら堅実かつ有用な技。
 錆兎は義勇の堅牢な防御を崩すためこの技を編み出した。

【陸ノ型・改 ねじれ渦・天嵐(てんらん)
 ねじれ渦の応用技。体に捻りの力を蓄積させ、突撃とともに一気に解放することで大渦を描きながら相手へと突貫。回転で周囲を切り裂きながら正面にいる相手に遠心力を乗せた強力な斬撃を叩き込む。
 実は動きはまんま風の呼吸【壱ノ型 塵旋風(じんせんぷう)()ぎ】のそれだが、偶然被っただけ。多対一や波状攻撃を仕掛けてくる鬼を想定して錆兎が独自に編み出した。


 真菰ちゃんの話が少ないまま最終戦別入ってんじゃねーよって? 投稿主はせっかちなんだ、すまない。

 たぶん後から番外編でも挟むと思うから許して。

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