水に憑いたのならば 作:猛烈に背中が痛い
山の中腹付近。そこに作られた藤の花による簡素な囲いの中でカナエは最後の負傷者の手当てを今しがた終えた所であった。
両腕の骨折と胸部の裂傷。多少手こずったが持ち合わせの物でどうにか応急処置は完了し、最終選別が終了して医療施設へと運び込まれるまでは十分持つと判断して、カナエは小さく息を吐きながら顔を濡らしている汗を蝶の羽織で拭いた。
「ふぅ……何とか最終日まで全員生き残れそうね……」
「そりゃあ、あの二人が頑張ってくれたおかげでしょうね」
「あ、村田君」
落ち着いて腰を下ろしたカナエの前にスッと保存食らしき干し肉を差し出す椿油の香り漂うキューティクルヘアーの少年、村田。
彼は目立った外傷こそないが、命からがらこの安全地帯までたどり着きその防衛の一角を担わされた一人である。
カナエは干し肉を「ありがとう」という返事と共に受け取りながら咀嚼。久方ぶりの食物に胃が悦びで踊るのを感じた。
「あの二人って、やっぱり錆兎君と冨岡君の事かしら?」
「ええ。俺、あの二人に一度ずつ助けられたんで、多分此処に居る大半もそう言う奴らなんじゃないかなと思いますよ。アイツ等、この選別に集まっている中で明らかに頭一つ二つ飛び抜けてますし……ああいうのを天才って言うんだなぁ……」
「そうねぇ……」
この選別に集まった者も決して弱いわけでは無い。師の制止を振り切って強引に参加した命知らずでもなければ、この場に居るのは全員”育手”、引退した鬼殺隊員による扱きを受けた者達だ。
とはいえ普通の選別ではその大半が篩を抜けられず、空しく鬼の餌になるのだが――――今回の選別は極めて例外的状況に陥っている。
即ち、六日目になっても尚死者無し。今まで行われた最終選別でも前例の確認されない状態である。
そんな異常事態をもたらしたのはまず間違いなくあの二人。冨岡義勇と錆兎。使っている呼吸やお互いの態度から察して同門出身であり、共に選別参加者の中で一、二の実力を誇る鬼才たち。
あまりにも飛び抜けた強さ故にこの選別に集まった者のほとんどが「実は自分は才能が無いのでは」とそれなりの腕のある者さえ思いこみ始めるという珍事が起こっている始末。それはカナエや村田も例外では無かった。
「さっき話を聞いて回ってみましたけど、やっぱり殆どの奴らは鬼殺隊に入るのは諦めるみたいです。潔く諦めて別の道を歩むか、それでも諦められない奴は裏方担当の”
「私は、前もって隊員になるって決めてるの。一応、鬼も自力で二、三人倒せたから、腕に自信はあるつもりよ。……隊員になって、鬼に脅かされている人々を一人でも多く助ける。少しでも悲劇を無くす。そう、決めたの」
「……そう、ですか」
年頃の女子が抱くには悲壮すぎる決意をその柔らかい声音から感じ取った村田は、しかし深く追求せずそこで会話を断ち切った。
こんな麗しい少女が、こんな悍ましい試験に参加している。十中八九、ただならない事情を持っているのだろう。そして村田は知り合ったばかり彼女の過去を詮索する気は毛頭なかった。
きっと、本人にとっても辛い過去なのだろうから。
「……ところで村田君、少し聞きたいのだけれど」
「ああ、はい。なんです?」
「さっきから小さな地響きがどんどん大きくなって聞こえてくるのだけれど、何か知ってるかしら?」
「え?」
言われて、村田は無言で耳を研ぎ澄ます。そうすると確かに微弱な地面の振動と共に、遠くから何かが迫ってきているような、そんな音が聞こえた。
即座に全身を駆け巡る悪寒。生来の危機感知能力が全力で警鐘を上げている。全身から汗を拭き出しながら村田は震える声でこの場に居る全員に叫んだ。
「全員退避しろ! 何かが来るぞぉっ!!」
「村田君!?」
「退避っ! 退避――――っ!!」
最初こそ皆は突然焦り出した村田の様子を訝しんだ。――――が、地響きが耳を澄ましていなくても聞こえてくるほどに大きくなるにつれてこの場にいる者全てが顔を真っ青にした。
何かが、来る。とてもよくない、何かが。
「にィ゛ィィイ゛イ゛くゥゥゥウ゛ウゥゥ゛ゥ゛ゥウウゥウ゛ウゥゥウウウウウウウウッッ!!!」
泥を吐き出すような不快な音の入り混じる渇望の絶叫。
聞く者すべてに恐怖と嫌悪を抱かせる叫びを上げながら、森の中から木々と共に風圧で藤の花の結界を吹き飛ばしながら”ソレ”は姿を現した。
家屋を一つ二つ用意してもなお収めきれない程の巨躯。体高はおよそ
それは何処からどう見ても異形の鬼。少なくとも人を五十以上は食い散らかしているだろう醜悪すぎる肉の百足が、そこにはあった。
「――――逃げてぇぇぇぇぇえええええええええッッ!!!」
『うわぁぁぁああぁああああああああっ!!』
怪物の登場で凍り付いていた者達がカナエの叫びによって自我を取り戻し、同時に爆ぜるように鬼の反対側へと走り出した。
「無事な者は怪我人を背負って! 戦える人は私と一緒に足止めをっ!」
「りょ、了解!」
「な、何だよあんなの……!? 誰だよこの山には人を二、三人食った雑魚しかいないって言った奴は!? ふざけんな畜生!!」
異常だ。アレは明らかに選抜を受ける程度の剣士が相手にしていい鬼では無い。最低でも中ほどの位にいる隊士が対処すべき個体である。にも関わらず、今の今まで放置されている? それは何の冗談だと全員が心の中で吐き捨てた。
だがこれは鬼殺隊に取っても想定外も想定外だ。可能性が無い訳ではなかったとはいえ、一匹の鬼が四十年近く生き延び、捕食と共食いを繰り返すことで異能にまで手が届くほどに肥大化するなど完全に予想の範疇外。
もしこの山に鬼殺隊が何かしらの監視網を敷いているならばとっくの昔に対応されているか、今の異常事態を察して救援が来るのだろうが――――生憎、そんな物は存在していない。
この手に余る怪物を、明らかに実力不足の自分たちだけで対処しなければならない。控えめに言って絶望的としか言えない状況に、鬼と対峙する者は全員身体の震えを抑えきれなかった。
(冨岡君と錆兎君が来るまで時間を稼がないと……! 私たちじゃアレに勝てない……! お願い、間に合って……!!)
この状況を打開するためには、あの二人が駆けつけてくるまで耐えなければならない。できなければ全員仲良くあの鬼の腹の中だ。全く笑えない、現状に置いて最も実現する可能性の高い最悪の終わり方。
それを想像しながらも、カナエは最後まで希望を掴み続ける。
(しのぶ、お願い。私に力を貸して……!)
今この場に居ない妹の顔を思浮かべて己を鼓舞しながら、カナエは腰の刀を抜いて構えた。
それに合わせて足止めに志願した他四名も抜刀。臨戦態勢に入る。
「新鮮なァァァ! 肉をよこせェェェェェエエエエ!!」
狂ったように叫びながら異形の鬼は無数の手を伸ばして五人へと襲い掛かる。後方に退避している者がいる以上回避は不可。全員が迎撃するために即時に迎撃するための連撃技を練り上げる。
全集中・花の呼吸 【伍ノ型
全集中・水の呼吸 【参ノ型
全集中・雷の呼吸 【弐ノ型
全集中・風の呼吸 【陸ノ型
全集中・霞の呼吸 【弐ノ型
百を越える手に無数の連撃技が炸裂し、辺り一面に鬼の血肉が弾け跳ぶようにして散乱した。だが手のほとんどを破壊された鬼は驚異的な再生力を以てして腕を生やし直し、更なる追撃を仕掛けようとする。
それらを再度同じように技で迎撃するが、鬼と違って彼らは人間。技を連続で繰り出すたびに呼吸に乱れが生じ始めてしまう。
「はぁっ、はぁっ……! クソッ、攻撃の密度が高すぎて近づけない!」
「このままじゃジリ貧だ! 何か方法は無いのか!?」
「ッ……!」
このままでは確実に押し負ける。かと言って短期決着を試みるにも懐に入れる隙が無い。頼みの綱の二人が間に合うかどうかもわからない。
あまりにも切迫した状況に潰れそうな気持ちになりながらも、カナエは刀を握る手を緩めない。
今出来ることは、こうして時間を稼ぐことだけなのだから。
「――――くあぁぁあああっ!?」
「なっ、げはぁ――――!?」
「ひぃ――――おごっ」
怒涛の波状攻撃を凌ぐこと一分、限界はあまりにも早く訪れた。捌き切れなかった鬼の攻撃が一人の腹に打ち込まれ、その体は冗談のように吹き飛んで地を転がった。
それを見て動揺した者達が反射的に硬直してしまい、二人ほどが致命傷は避けたものの攻撃を受けて吹き飛ばされ、敢え無く気を失ってしまう。
カナエは顔から血の気が一気に退くのを感じた。まずい、五人でも薄氷を踏むが如き有り様だったのに、一気に三人も欠けては――――
「カナエさん! よそ見しちゃ駄目だ!! 避けろォォォォォ!!」
「え――――」
どう考えても覆すことのできない絶望的な状況に陥って、気が動転していたのだろうか。カナエは言われて初めて、自分の方に数本の手が伸びてきているのを村田の声でようやく認識した。それも、既に回避不能な距離で。
死ぬ。
その事実だけが彼女の脳内を埋め尽くす。どうにか回避しようとしても体が動かない。間に合わない。
(いや、駄目、駄目駄目駄目! しのぶを残して勝手に死ぬなんて――――たった一人の妹を残して先に逝くなんて――――!!)
だがどうあがいても無理なものは無理だ。感情で現実は捻じ曲げられない。遅い、遅い、遅い。行おうとすること全てが間に合わない――――
その手を、二頭の水龍が食いつくすまでは。
「――――…………え?」
俺が背後を一瞥すれば、腰が抜けてへたり込むカナエが見えた。
それもそうだろう。彼女は今先程殺される寸前まで追い込まれていたのだから。その恐怖から解放されたならば多少腰が抜けても仕方ない。
「すまない胡蝶、遅れた」
「死人は……居ない様だな。間に合ったか……!」
「お、お前ら! 遅いぞぉっ!」
「冨岡君……錆兎君……!!」
辺りを見回し、それらしき人の死体や血痕が無いことを確認する。――――間に合った。一人でも死ぬ前に間に合って見せた。
俺たちを見て奮戦していたキューティクルヘアーの少年は歓びのあまり涙と鼻水を出しながら声を上げ、カナエもまた安堵のあまり失神しそうになるのをどうにか堪えている様子だ。
対して食事を邪魔された異形の鬼は全身に血管を浮き出しながら、プルプルと身体を震わせ――――絶叫した。
「アァァァアアアアアッ!!! またかァァァァァ!! またお前らは邪魔をォォォオォオオ!!! いい加減にしろォォォォオオ!! 俺のォォォォ邪魔をォォォォするなァァァァアアァアアア!!」
怒りに狂った鬼はもはやどんな声も届かない。極度の飢餓状態に陥ったせいで正気を完全に失った手鬼は無数の手から種子を生成し、そこら中にばら撒いて攻撃準備を完了させる。
「【血鬼術 無間手腕・猛爆】ゥゥゥッ!!!」
「行くぞ錆兎! 今度こそ終わらせる!」
「ああ、義勇! お前と二人なら、負けることは決して無い!」
ばら撒かれた種子から爆発するように腕が生え、そこら中を蹂躙する。だが、俺たちに同じ技は二度も通用しない。
俺と錆兎は血鬼術が放たれたと同時に駆けだした。繰り出すは【拾ノ型 生々流転】。幾重もの回転で背後の者たちを狙う全ての腕を切り刻み、その手に龍を生み出しながら俺たちは鬼の元へと疾駆する。
だがそれでも全ての手を対処できるわけでは無い。とりわけ地面を掘って直接後ろの者達へと直接襲い掛かる手は二人でも対処不可能だった。俺は失念していた可能性を思い出し、すぐに引き返そうとする――――
「ひっ、たっ、助けっ――――!」
「はぁぁぁぁっ! ――――大丈夫! 貴方たちは私が必ず守り通すわ!」
――――が、カナエは優れた動体視力でそれらの攻撃を見切り、避難中の者達への攻撃を悉く花弁が舞うように斬り伏せてみせる。
どうやら、あちらは任せても良さそうだ。
ならば俺たちがすべき事は、一秒でも早く、あの鬼の頸を斬ること―――――!!
この場に生まれるは、巨大な異形の鬼を斬り刻む二頭の水龍。人を守るが如く美しく舞い踊る一輪の花。
本来ならば生まれなかったはずの龍が孵り、花が咲き誇る光景は奇跡としか言い表せなかった。
「死ねェェェ! 死ねェェェェェエエ!! 鱗滝ィィィィイイイイイイイイイイイイッッ!!!」
全身を再生が追いつかなくなるほどに龍に貪り食われた手鬼は、最後の抵抗と言わんばかりに全ての手を地面へと突き刺した。そして、そこら中の地面から大樹の如く太い手が幾つも噴火するように飛び出す。
錆兎は横に跳躍することで難を逃れるが、丁度宙に居た俺はその手を避けきれず、しかし握り潰されることは避けながら夜空へと躍り出た。
「義勇!」
「冨岡君!!」
「ヒヒャハハハハハハ!! お前だけでもこの手でェェェェェェッ!!!」
大樹の様に伸びる数百の手が一斉に俺の方へと軌道を変える。気絶する前のものと比べて質も量も桁違い。
それに命の危険を感じ取った身体は心拍数を跳ね上げ、同時に体がまたもや熱を帯び出した。この感覚――――今度は、息を深く吸う。
「全集中・水の呼吸――――【拾壱ノ型】」
腕が一斉に俺へと群がり、圧死させんばかりに纏わりつこうとする。だが、無意味だ。
既に一度防いだ手法、二度目など通用するものか。
「【凪】」
俺は最高速度で刀を四方八方へと振るい、全ての攻撃を俺に触れる前に叩き斬った。百以上の手は例外なくすべてが千切れ飛び、空へと霧散する。
地表を見れば、渾身の攻撃を凌がれて唖然としている鬼の姿が。――――今度こそ、トドメを刺す。
【玖ノ型 水流飛沫・乱】
俺は降り立った鬼の腕を縦横無尽に駆けた。下から放たれる追撃を腕から腕へと跳ぶことで悉く回避し尽くし、ようやく鬼の懐へと入り込む。そして刀を振り被り――――
「――――!!」
頸を守る腕を一本切断して、止められた。
「! そうか! お前は俺の頸が斬れないかァァァァ!!」
「ちぃっ――――!!」
即座に刀を引き抜いて全力で後方へと後退。俺の立っていた場所を無数の手が掠める。
滞空の最中、俺は己の握っている刀を見た。半ばまで折れた刀、更に酷い刃零れに、刀身に罅まで入っている。度重なる技の使用に耐え切れなかったか。やはり【拾壱ノ型】は刀に負担を掛け過ぎているようだ。
だがこの状況下で刀を換えることなど不可能。
ならば――――今俺が繰り出せる最大最速最強の一撃を、鬼の頸一点に叩き込む他ない。
俺はクルリと宙で一回転し、鬼の正面に位置する樹木の幹へと着地。
すかさず息を、深く、大きく吸う。
「ヒュゥゥゥゥゥウウウ――――」
肺が一杯になるまで、限界まで空気を吸いこむ。取り込んだ空気を全身の筋肉一本一本へと送り込み、臨界点まで力を蓄える。
溜めて、溜めて、溜めて――――
「全集中・水の呼吸 【壱ノ型・
ミシリと俺の踏む木の幹が軋み――――跳躍と同時に真っ二つに
空を駆ける蒼の雷鳴。
風を裂きながら、折れた刀を鞘に入れ、親指を使って鍔を固定することで更に力を貯める。指の骨が、手足の骨が、全身の筋肉が悲鳴を上げる。脳内麻薬で痛みが麻痺していても尚わかる激痛。
だが頼む。これが最後だ。この瞬間だけ、耐えてくれ――――!!
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!」
(なっ、速っ――――防――――避――――無――――!!!)
手鬼が迎撃をしようとするが、全てが俺の通った後を過ぎ去る。対応が間に合わないほどの速度。その勢いのまま驀進した俺は鬼の頸が刀の間合いに入った瞬間、
全ての力を込めた一撃を、解放した。
――――【
【壱ノ型 水面切り】に雷の呼吸である【壱ノ型
振るわれた日輪刀が青色の残光を残し、神速の刃は鬼の頸へと斬り込まれる。
だが――――刃は、鬼の頸を半分斬った所で押し留められてしまう。刃がボロボロに欠けた上に、半ばまで折れているのだ。最悪を下回っているだろう切れ味の刃では、この結果は当然としか言いようがない。
しかしこれ以上の攻撃はもう出せない。まだ、届かないと言うのか……!!
「おぉぉぉぉおおおおおぁぁぁぁアアアアアアアアア――――ッッ!!」
「鱗滝の餓鬼がァァァァ!!!」
だが諦めない。諦めるものか。
俺は勢いのまま手鬼の巨体を押し込み、遥か彼方へと引き摺っていく。手鬼も抵抗して地面を手で抉りながら減速を試みるが身体は止まらない。木々を破壊しながら巨躯を引っ張っていく。
行く先は当然――――錆兎のいる方向。
「義勇ゥゥゥゥ――――ッ!!!」
両腕の筋肉を限界まで引き絞った錆兎が手鬼の後ろから飛びかかり、頸へと【壱ノ型 水面切り】を叩き込んだ。メキメキィッと骨と筋肉が潰れて切れる音が聞こえて刃が進む。
が、あと少し。あと少しの所で刃が止まってしまった。腕の守りが厚い上に、頸の素の強度も尋常じゃない。
一旦引いて立て直すか? いやダメだ、此処で決めなければ逃げられる。そもそも俺にこれ以上戦える余力は残っていない。
だが、後一手足りない。後一手――――ッ!!!
「――――はぁぁぁぁああああああああっ!!!」
虚空より桜色の一閃が光った。
いつの間にか駆けつけたカナエが、雄たけびを上げながら渾身の一撃を鬼の頸へと打ち込んだのだ。
足りなかった欠片が、埋まった。刃が進む。
進む。
進む――――!!
「「斬れろォォォォォォォオオオオオオオオオオオオ――――ッッ!!!」」
「斬れてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
そして――――
夜空に、一匹の鬼の頸が鮮血と共に舞った。
(――――死? おれが、しんで……お、れ……は……)
首だけになった手鬼は、月の綺麗な夜空を見て何故こんなことになったのと思う。
どうして自分はこうなったのだろう。
怖い。夜に一人は怖い。手を握ってくれよ、兄ちゃん。
(兄ちゃん、って……誰、だっけ……?)
少しずつ、何かが浮かんでくる。今まで記憶の海の底へと沈めていた何かが確定した死をきっかけに少しずつ浮き上がってくる。
そうしてやっと思い出す。自分は偶々出会った
涙が出る。悲しみが溢れる。
(兄ちゃん……ごめん……ごめんよ……!)
今はもう無い体で手を伸ばす。少しずつ景色は真っ暗になり、すると伸ばした手を握ってくれる一人の少年が見えた。少年の顔を知っている。彼は他でもない、寂しい時、怖い時にいつも手を握ってくれた自分の大好きな兄だったのだから。
――――しょうがねぇなあ。いつも怖がりで。
(兄ちゃん……!)
兄に手を引かれながら歩き出す。そして消える間際に、鬼は己の頸を斬ってくれた、この長い悪夢から解放してくれた三人の少年少女を見る。そして、心の中で思い浮かんだ事を、聞こえていないとわかっていても、口にした。
「あ……り、が……と……う……………」
灰が、月の下で散った。
暖かい海の中の様な優しい温もりに抱かれながら、目を開ける。
目に入ってきた光景は、変わらない森。だが違う、此処は……藤襲山ではない。漂っている香りは、とても馴染深い山の香り。そして辺り一面を覆い尽くす深い霧。
此処は――――狭霧山だ。この深い霧は狭霧山で間違いない。
だがどうして俺は此処に? 最終選別はまだ終わって無いはず……。
「何故、俺は……?」
「――――勝った、か」
「!」
声のする方に振り向けば、鱗滝さんが最後の試験に用意したであろう真っ二つに割れた二つ巨岩があった。あれは確か、俺と錆兎が斬ったものだ。その傍に、およそ十一人もの狐の面を被った少年少女が佇んでいる。
「お前たちは……」
「気にするな。去る前に、少しだけ挨拶に来ただけだ」
「本当に、本当にありがとう。これ以上鱗滝さんが悲しむ前に、あの鬼を斬ってくれて」
「これでようやく、俺たちも安心できる」
「錆兎の事、しっかりと見ていてくれよ。アイツは案外、寂しがりやだからな」
「ちゃんと鱗滝さんの所に帰ってあげてね」
「魂だけでしか帰れなかった、”ただいま”の一言も言えなかった俺たちの代わりに伝えておいてくれ」
その言葉で、俺は全てを察する。
ああ、この人達は。鱗滝さんとの約束を守ろうとした、俺の、俺たちの――――
「後は、頼んだぞ――――」
俺は手を伸ばすが、届かない。歩もうとしても、進めない。
そうして――――泡が、割れた。
「う、ぅん……」
「! 義勇! 起きたのか!」
「此処は……」
目を開くと、隣に錆兎の頭が合った。
どうやら俺は錆兎におんぶされているらしい。すぐに離れようとしても、身体に力が入らない。手は指一本すら動かず、両足が生まれたての小鹿のように震えている。
「戦いの後、糸が切れたように気絶したんだ。あれだけ無茶をやったんだから当然と言えば当然だが」
「……鬼は、どうなった」
「ちゃんと頸を斬れた。灰になって、消えたよ」
「…………そう、か」
あの鬼はちゃんと仕留められた。それだけで俺が身体の力を抜く理由には十分すぎた。
目だけで辺りを見れば、比較的軽傷の者たちが怪我人に肩や背を貸して山を下りている。空を見れば、微かにではあるが日が顔を出し始めていた。
夜明けが、七日目の朝が、来る。
俺たちは時間をかけて試験開始時に皆が集まっていた広場へと戻った。そこには初日目と同じように、産屋敷あまね様と、少々の差異として護衛なのか複数の隊員が隣に付いている。
そして予想外すぎる数が目の前に現れたせいか、彼らはあからさまに目を見開いた。
前代未聞の全員生還だ。奇跡とも呼べる光景に、言葉を失っているのだろう。
「――――皆さま、お帰りなさいませ。全員ご無事で生還したようで何よりです。そして、まずは謝罪を」
あまね様はそう言いながら、深く頭を下げる。何故? と思ったが、すぐに理由はわかった。あの鬼の存在を何かしらの手段で知ったのだ。恐らく、全て終わった後から。
「六日目の騒ぎを訝しんだ監視員が鎹烏によって参加者の手に余る鬼の存在を確認しました。同時に、その討伐も。我々は此度の選別で極めて高い実力者を見つけられた歓びと、予想外の脅威に皆さんを晒してしまった事に深い悲しみを抱いております。……故に、今回は鬼殺隊の入隊を諦める者であってもある程度の被害の補償をすることを約束いたします。勿論、入隊を希望する者にはそれ以上のものを約束いたしましょう」
人の命を金で買うことはできない。これでどれだけの者の溜飲が下がるかはわからないが、これは鬼殺隊にできる精一杯の補助だろう。
そして、これ以上を求めるのは自己責任でこの場に集まった者にあるまじき行為だ。
だからこそ皆、何も言わない。それに全員こうして生きている。
ならば、それで十分だ。
「……皆さまのお心遣いに感謝いたします。では入隊を希望する者はこちらで隊服の仕立てを。そうでない方は――――」
頭がクラクラする。目が回る。話声が少しずつ小さくなっていく。
俺はそのまま意識を手放した。いや、握り続ける気力さえなかった、と言うのが正しいか。
少し休もう。休んで、また、前へ――――
「――――勇。義勇。おい、義勇! そろそろ起きろ。もう狭霧山は目の前だぞ」
「……すまん。また、寝ていたか」
目を覚ませば、もう夕方だった。変わらず俺は錆兎に背負われながら運ばれている。
試しに手を動かせば、何とか動けるくらいには回復していた。痛みは残っているが、この程度なら呼吸で痛みを抑えつつ動けば大丈夫だろう。
「錆兎、降ろしてくれ」
「駄目だ。無理せず俺の背におぶさっていろ」
「断る」
俺は錆兎の手を無理矢理引きはがして地面に足を付けた。途端に筋肉の痛みと疲労で足が崩れそうになるが、呼吸をして何とか姿勢を保つ。
「義勇、お前なぁ……少しは誰かに甘えることを覚えたらどうだ?」
「? 十分甘えているつもりだが」
「いつも一人で無茶苦茶やってるやつの台詞じゃないぞ」
「一人で無茶して死にかけたお前が言うのか、錆兎。……折角選別に合格して帰れるんだ。おぶられたままなんて恰好で帰れるか」
要は二人に先程の姿を見られるのが恥ずかしいと言う事だ。
俺の言い分に呆れを隠さない錆兎は小さくため息を吐くが、苦笑しつつ日輪刀を収めた竹刀袋を手渡してくれた。杖代わりにしろということか。
改めて、夕日の下で狭霧山へと続く田畑の一本道をゆっくりと進んでいく。幸いもう少しで着く距離だ。少し頑張れば直ぐに着く。
「義勇」
「……? なんだ、錆兎」
「助けてくれてありがとう。お前がいなければ、俺はあの鬼にやられていただろう」
「礼など必要ない。お前が五体満足で生きていてくれているのならば、それで十分だ」
「友人の礼くらい素直に受け取っておけ、全く……――――見えてきたぞ」
数分後、登り道を少しだけ上がれば、山の麓に小さな小屋が見えた。
間違いなく鱗滝さんの家だ。注視すれば、家の前で素振りに夢中になっている真菰も見える。
「おーい! 真菰ー!」
錆兎が元気よく声を上げれば、向こうの真菰の手が反射的にピタリと止まる。
その後、こちらを向いた真菰は数秒ほど茫然となって手に持った木刀を手から滑り落とし、すぐさまポロポロと、その双眸から大粒の涙を流し始めてしまった。
「義勇! 錆兎っ! 帰ってきた! 二人がちゃんと帰ってきたよぉ~~~~!」
「うわっ、ちょっ、真菰」
「うぐっ」
真菰は全力疾走の勢いを殺さず俺たちの胸へと飛び込んできた。錆兎が支えてくれなければ俺はそのまま後方に吹っ飛んでいただろう威力だ。この七日間で随分と成長したようだ。
「心配したんだからっ! 二人とも強いけどっ、もしかしたら死んじゃうんじゃないかって……! 私、私っ……!」
「ああ、大丈夫だ。俺たちはちゃんと帰ってきた」
「真菰。約束、ちゃんと守ったぞ」
「う、うぅっ、うわぁぁあぁあぁぁあああああん!!」
感極まった真菰はそのままわんわんと泣き出した。そして、そんな俺たち三人を大きな腕が一斉に抱きしめる。
顔を上げれば、天狗の面の下で滝の様な涙を流す鱗滝さんの姿が。
「……よく、よくぞ生きて帰ってきた、二人とも! ずっと、待っていたぞ……!」
「鱗滝さん……!」
一体何年もの間、最終選別から帰ってきた弟子の姿を見ていないのかは俺にはわからない。
だが今、鱗滝さんはようやく帰ってきた弟子の顔を二つも見ることができた。ボロボロで弱々しくても、確かな温もりを感じている。歓びのあまり心も体も震えている。
「錆兎……」
「ああ……二人とも」
俺たちは家族の温もりに包まれながら、最後に言おうと決めていた言葉を口にした。
「「ただいま」」
帰ってきた言葉は、考えるまでもないだろう。
最終選別から一週間後。自身の刀が出来上がるまでの間に、俺は錆兎や真菰、鱗滝さんと共に蔦子姉さんの家にやってきていた。理由は単純に合格の報告もあるが……それ以上に重要な出来事があったからだ。
それは、姉さんの――――
「義勇! お帰りなさい!」
「姉さん!」
半年ぶりの姉の顔が戸を開けて目に入る。最後に見た姿と違うのは、やはり腹部。異様に膨らんでいたそれは、今ではすっかり元通りになってしまっている。
それはつまり、そう言う事だろう。
答えは考えなくても、蔦子姉さんの腕の中に抱きしめているソレが示していた。
「ほら、”向日葵”。貴方の叔父さんとそのお友達よ~?」
「うわぁ! 赤ちゃん! 可愛いぃぃ~~~~!!」
「……これは、凄いな」
「新たな命が生まれた、か。フフッ、祝うべきことだろう」
俺はその光景に何も言えなかった。
布に包まれながらも、その小さな手を一生懸命此方へと伸ばしてきている赤ん坊。目を覗けば、俺や蔦子姉さんと同じ深く綺麗な水色の瞳が見える。
「ほら、義勇。抱いてあげなさい」
「あ、ああ」
「うーあー、きゃっきゃっ」
覚束ない返事と共に、俺は赤子の体を万が一にも落とさないようにしっかりと抱いた。
暖かい。
小さな命が、生まれるはずがなかった小さな命がこの腕の中にある。
「おい、義勇。どうした?」
「義勇? どうして泣いてるの?」
「え……」
言われて俺は、己の頬に溢れた涙が伝っているのに気づいた。それを自覚した途端、俺の心の中で何かが決壊する。
悲しみでは無い。歓びの感情が、止めどなく涙の形で溢れ出てきていた。
「ぅ、ぐ、うぅあぁぁああぁあぁぁぁぁっ……!!」
「うぁー?」
「義勇……」
「……頑張ったな、義勇。お前さんは、よく頑張った」
蹲る俺の背中を蔦子姉さんと鱗滝さんが摩ってくれる。ああ、涙が止まらない。泣き止みたいのに、身体は言うことを聞いてくれない。
「ありがとう……! 生まれて来てくれて、ありがとう……!」
願わくば、この子が幸せに生きる未来に鬼の姿が無いことを願う。
否、作らなければならない。
俺が、俺たちが。全ての元凶である鬼舞辻無惨を、必ず――――
《独自技解説》
【壱ノ型・改
水の呼吸に足りない攻撃力を無理矢理付加するために、その場で水の呼吸に雷の呼吸壱ノ型の動きを強引に組み込んで編み出した即興技。雷の呼吸については直接見たことが無いため知識で無理矢理再現している。故に不完全な技ではあるが、今の義勇の持つ最速にして最強の技(生々流転最大倍率は除く)。
技としての理想の動きは直線では無く、滑るように流曲線状の動きをしながら神速で接近し居合の斬撃を叩き込むというものだが、前述の通り雷の呼吸が聞き齧った知識でそれっぽくやっているだけの杜撰極まりない代物なため、今のところは理想には程遠い、速度に物を言わせた特攻紛いの直線斬撃となっている。
また、水の呼吸で雷の呼吸を無理に模して使っているため消耗も甚大。控えめに言って威力と速度以外取り柄のない欠陥技である。
痣状態でのみ技名に”神速”の名が付く。
鬼殺隊の今回の受験者に対する補償
《入隊希望者》
・給金上乗せ(一年間限定)
・数段上の階級の隊員の同行権(一年間限定)
・週一の休日保証(使うかどうかは任意)
・定期的に薬や甘味など希少物資の無償提供(一年間限定)
・比較的危険度の低い(と思われる)任務への優先割り当て
《非入隊希望者》
・補償金の支払い
・一年間藤の花の家の利用が可能になる権利
・公務員への推薦就職枠
想像以上に読む人が集まって戦慄している。何なの、何でみんなこんな地雷丸出しの小説に集まってくるの……?
そして残念なお知らせですが、此処で一度更新を区切りとさせていただきます。またある程度ストックが貯まったら投下するつもりです。
それは何時になるかって? 私にもわからん(メタル○ン並感)