けど内容はほぼプロデューサーと兄ぃが駄弁るだけです。
「あの…ちょっといいスか」
細身の男が話しかけてきたのは、ライブのリハーサルが一段落ついたときだった。
舞台上にはまだ、舞台監督と演出の細かい部分を調整している担当アイドル―――砂塚あきらの姿がある。だが、ここから表情を見る限り特に問題はないようだった。
「…何か?」
プロデューサーは振り替えって男をまじまじと見た。スタッフではないようだ。スタッフTシャツを着ていないし、腕章もつけていない。服装は濃紺のミリタリージャケット、髪は若干ハネた黒髪、顔立ちは細くイケメンの類いだろう。何とか作っているのがバレバレな愛想笑いから、鋭い歯が見えた。
それだけで、何となくプロデューサーは察した。
「あの、プロデューサー…スよね。あきらの」
「…君、もしかしてあきらの」
「あきら」の部分が同時に重なるように二人が切り出し、一瞬変な沈黙が訪れた。その直後、二人は同時に吹き出した。
「クフッ…スンマセン、先、どうぞ」
「フフッ、いや、大丈夫。あきらのお兄さんでしょ?よく似てるよ。すぐわかった」
「まあ、似てるとは言われるっス。顔立ちとか、特に歯とか」
照れ笑いをする彼に、プロデューサーは名刺を差し出した。
「けど、よく私があきらのプロデューサーだってわかったね?」
「まあ、現地のスタッフさんに聞いたり…あと雰囲気?みたいなものが、それだったンで」
「雰囲気…フフッ、私にそんなオーラが出ていたかな?まだひよっ子プロデューサーだよ」
「いや、充分出てるッス。背高いし、後ろに結った髪とか、めっちゃスゴ腕って感じで…」
「誉める言葉なら、私じゃなくて妹に掛けてあげるべきじゃないかな?」
「…そっスね、その通りッスね」
舞台上では、まだあきらと監督が話を続けている。もしかしたら、もう一回通しでリハーサルをやるかもしれないな。とプロデューサーは思った。
「…あきらは、どっスか」
「元気でやっているし、本人も楽しそうにしているよ。特にライブ中なんて――」
「いや、その辺りは知ってるっス、兄ですから。ライブとかも出来る限り全部見に来てるんで」
「じゃあ、どう、とは?」
「普段の事っス。事務所での様子とか、あと…友達の事とか」
彼はさらに続ける。
「最近、配信の回数も減って…まあそれはアイドルやってンでそうなんスけど。でもたまに一緒にゲームしたりすると、話題に出てくるんスよね。あかりが~、とか、りあむサンが~とか」
プロデューサーは思わずクスリと笑った。
「妹が心配なんでしょ?」
「いや、まあ…そっス」
「特に、りあむなんてたびたび炎上してるからね。あんなのと交友あって不安にならない訳ないよ」
「…話題としては、あかりチャンの方が多いっス。りんごを持ってきて美味しかったとか、ファッションの手伝いしたとか」
「二人ははたから見ても仲いいもんね。まだ一緒の活動は少ないけれど、どっちも寮住みだし」
「他に、仲のいい子とかいるスか」
「そうだな…以前一緒にお仕事した麗奈とか、同じゲーム趣味の紗南とか、これはお兄さんなら知ってるか」
「そっスね。一緒にテレビに出てた子は、なんとなく」
「あとはその二人繋がりで光とも交友があるみたい」
「光…南条光チャンっスか」
「うん、知ってるんだ」
「まあ…あきらがアイドルやるってンで、ある程度は」
「ふふっ、うちはアイドルの数多いからね。全員は覚えられないでしょ?」
「厳しいっス」
彼はまた照れ笑い――苦笑いでもあるか――を見せた。
舞台上では、再び通しでリハーサルが行われていた。スポットライトを浴びて歌うあきらの姿を、二人はしばし無言で見つめていた。
「…そういえば、こんな位置からあきらの歌う姿見たの初めてっス」
「そりゃそうでしょう。本来スタッフの特権だもの。というか、よく警備員さん入れてくれたね」
「身分証明書見せたら、にこやかに入れてくれたっス」
「厳しい人だと普通に追い返されてたと思うよ?」
「…あとで感謝しときまス」
歌は大サビを迎えて、あきらの歌にも一層力がこもる。
「…リハスよね、これ」
「うん。あきらは、リハでも本気でやるんだよ。というか、うちのアイドルはだいたいそう。皆、アイドルが楽しくて仕方がないんだ」
「あんな楽しそうなあきらは、自分でもほとんど見たことないっス」
「あとで自分のライブ姿を見せると『キャラと違う』ってめっちゃ恥ずかしがるけどね」
「ちょっと、羨ましいっス…あと、安心もした」
「安心?」
「プロデューサーの話はあんまり聞かなかったンで」
その言葉にプロデューサーは思わず眉根を寄せた。
「それはちょっと心外だな。私も本気でやっているのに」
「まあ、少ないながらも信頼しているのは伝わってンで。不安みたいなものはなかったっス。まさか、自分の知らない面まで知ってるとは思わなかったけど」
「たぶん、本人も知らなかった一面だと思うよ。最初にステージ上での自分の姿を見せた時、直視すらできてなかったし」
「…何というか、ありがとうございまス」
「別に、私は何もしてないよ。他の子と同様にプロデュースしただけ。あれは、彼女の素質」
「でも、それを引き出してくれたのはプロデューサーっスから」
再び、二人は無言になる。リハも終わり、再び監督とあきらが会話を交える。ここからだとほぼ声は聞こえないが、どうやらこれで満足のいく形になったらしい事は二人の表情を見ればすぐわかる。
「…そろそろ、終わりっスかね?」
「うん、だと思うよ。お兄さんは、あきらに何か用事でもあるの?」
「いや、用事って程でもないんスけど…」
ガサ、と彼は手に持っていた紙袋を逆の手に持ち変える。
プロデューサーはははぁ…と察し、それ以上は追及しないようにした。あきらも、ちょうどリハーサルを終えて舞台袖に戻ってくるところであった。
「あれ…兄ぃ?」
あきらは、思ったほど驚いた様子はなかった。
「よう」
兄も挨拶は短く、片手を軽く上げる程度であった。
二人の間に、沈黙が流れる。
「…なんでここにいるの?」
「いや、用事があってな」
「妹のライブ見に来たって、素直に言いなよ。知ってるよ、よく来てるの」
「…そっか、見えてたか?」
「兄ぃの顔くらい、すぐわかるよ。15年間ずっと見てきたんだから」
「だよな」
「で、本当は何の用?」
「…うん、まあ、これ」
兄は無造作に紙袋を彼女に差し出した。
「誕生日だろ。お前」
「…もっといい言葉ないの?兄ぃらしいけどさ」
そう言いながらも、あきらはどことなく嬉しそうだった。
「けど、なんでライブ前?後でもいいじゃん」
「出待ちの変なファンだと思われるのはヤだし、ライブ後だとお前も疲れてるんじゃないかと思ってな」
「中見ていい?」
「おう」
あきらはガサガサと紙袋を漁る。
出てきたのは、小さなチャームだった。鋭い八芒星の形をした紺色のチャームだ。
あきらが目を丸くしてしげしげと眺める。
「…その、そういう店入ったの初めてだからよ。ほぼ店員の言われるがまま買っちまったんだけど…気に入らなかったか?」
「いや…兄ぃがこういうの買ってくれるなんて思わなかったから。いつもはゲームソフトか、PCパーツじゃん」
「うん、でも今日は、お前がアイドルになって初めての誕生日だろ?だから、何というか、アイドルらしいものにしようと思ってさ」
あきらはクスッと小さく笑った。
「な、なんで笑うんだよ」
「いや、兄ぃらしくないなと思って。いっつも兄ぃ、自分主体じゃん。ゲームソフトだってPCパーツだって、結局自分がやりたいものだし…なのにいきなり、妹の為に~なんて」
「悪いかよ」
「ううん、嬉しいよ。ありがと、兄ぃ」
あきらが嬉しそうに「にっ」と笑うと、兄は照れくさそうに目を逸らした。
「…実は、私からも誕生日プレゼントがあるんだけどね」
プロデューサーもポケットから、小さな袋を取り出した。
「本当は、ライブの打ち上げで渡すつもりだったんだけど、お兄さんのこれを見せられちゃうとね…」
プロデューサーは袋を開いて中身を見せる。八芒星の、キーホルダーだった。
「ぷふっ」
今度はあきらだけじゃなく、兄まで吹きだしてしまった。
「なんだ、Pサンと兄ぃ、考えてる事一緒!」
「あきらと言えば、鋭いものみたいなイメージがどうしても付いて回っちゃってね」
「こんなんだったら、いつも通りゲームソフトとかにすりゃ良かったかなあ」
「いいよ。兄ぃが決めて買ってくれたんでしょ?だったら、大事にするよ。もちろんPサンのも」
「すいませーん、プロデューサーさん。ちょっといいですかー」
後ろからスタッフの呼び声がかかった。
「はい、今行きまーす。お兄さんはどうする?このまま開演まで待ってられるように打診してもいいけど」
「いや、いいっス。ちゃんと正面からはいるンで」
「兄ぃ、そういうとこ真面目だよね。関係者席とかだって取れるんだよ?」
「それは…いや、お前にバレてんだったら、もうわざわざ一般取る必要も無いか…」
「なに?バレたくないから普通の席取ってたの?」
「だって恥ずかしいだろうがよ」
「なにそれ、よく分かんない」
あきらはけらけらと笑う。兄も微妙な顔をしながら笑う。
「…ともかく、誕生日おめでとう。俺はそれだけ言いに来ただけだから。じゃあな」
「ん、兄ぃも、来てくれてありがと」
兄は踵を返して歩きだす。と、少ししてから振り返り
「なああきら、アイドル、楽しいか?」
「…まあ、思ってたよりは楽しいかも。まだ一年も経ってないから、なんとなくだけど」
「そうか。アイドル、頑張れよ。お兄ちゃんは応援してっからな」
「ん」
あきらの満足そうな笑みをみた彼は、今度こそ屹然とした態度で舞台裏を後にするのだった。