なのでアンチ・ヘイトではないです。ほんとです。
俺が彼女と初めて出会ったのは、鬼殺隊に正式に入隊してから忘れもしない三回目の任務でのことだった。
人里からそう遠くない小さな御山に神が降臨し給うたという噂が口伝にて広まり、稚児が供物として備えられているという不穏な話を聞いた藤の花の家紋の家から鬼殺隊に調査の依頼が入ったらしい。
その任を請け負った俺は、その御山の麓の人里までそう遠くない位置に滞在していた為数日で現地に到着した。
昼の家に人里のあちこちで話を聞いて回るも、どの民の口からも「我らをお救いになるために神が降臨し給うた」「あの御方がいらっしゃる限り我らは安泰だ」とその神とやらを崇め、褒め称える賞賛と賛美の言葉が溢れ出すばかり。
その上不気味なのは供物についてほんの小言でボソリと零した一言であっても誰もが目をかっぴらいて薄笑いのまま「仕方のないことだ」「神がそれを望むのだから」「お前は神を否定するのか?」「背教者だ」とこちらが謝罪の言葉を口にするまでざりざりとにじり寄って来ることだ。
あまりの恐怖に隠し持っていた日輪刀を引き抜くところだった。
まさに異常。
御山がどうこうじゃなくてこの里そのものがおかしくなっている。
これまで狩ってきた二匹とは比べ物にならない狂気。
ぞわぞわと地面から這い寄るような恐怖に、俺は完全に飲み込まれてしまっていた。
そんな形の見えない不安と焦燥もあり、その日の夜に早々にも御山に入ることにした俺は、さっさと鬼を切ってこの土地から遠ざかりたいと考えていた。この里を狂気で飲み込んだ現況の鬼は、それだけの力を持っているであろうことは少し冷静に成って考えてみればすぐに分かることだったはずなのに、俺は愚かにも神が住まうと民が言っていた御山の社に向かって一直線に走っていったのだ。
結果はこの話を聞いた誰もが想像する通り、それはもうこてんぱんにボコされた。ボコボコのボコだ。
恐怖に駆られた俺は社の戸を蹴り飛ばし、中に入ると同時に日輪刀を構えたが、視認できない速さで薄暗い社の奥から飛び出してきた何かに吹き飛ばされて外の木の幹に背を打ち付けた。
何が起きたのか分からないまま咽る俺を見下ろすように社の中からゆらりと姿を表した鬼の瞳の中には下限の文字が刻まれていた。
ようやく俺はこの時点で自身がどれだけ愚かで軽率だったかを理解した訳だが、今からもう一回心落ち着けて訪ねに来るので見逃してくださいなどと言うわけにもいかない。
そのまま夜通し甚振られ、弄ばれてそろそろ日が昇るかという所で鬼はそろそろ殺してやると言ってきた。
しかし、そこで俺と鬼の間に割り込んできた影があった。
そう、彼女、花柱の胡蝶カナエさんだ。
月光に照らされた彼女は夜明け前の暗い世界に舞い降りた一匹の蝶のようだった。ああ、その姿は本当に美しくて――――
……え?その部分は聞き飽きた?彼女が出てくる話を俺がする時はいつもこの調子?
だって事実なんだから仕方がないじゃないか。
彼女はとても美しかった。その姿も、心の有り様も。
傷だけでなく全身血と泥でまみれていた汚らしい俺を一切の躊躇なく助け起こして「もう大丈夫ですよ」と語りかけてくれた時の笑顔はきっと一生忘れることは出来ないだろう。
それはもうしばらく毎日夢に見てたからな。今でもたまに夢に見る。と言っても近ごろはずっと違う場面の夢を見るんだが……。
おっと、話がそれたな。
それでどこまで話したっけかな……ああ、そうそう。
初めて彼女に出会い、助けられた任務から、俺は何故か度々彼女と同じ任務に付くことが多くなった。それは初めから合同での任務だったり、件の任務のときのように救援に来てくれたのが彼女だったという場合もあった。
当然思春期真っ盛りな男だった俺が彼女に惚れるまでそう時間はかからなかった。
合同任務だと鴉から聞かされてば真っ先に誰が相手か鴉の頸を締め上げながら吐かせ、単独任務だとしても近くに彼女が居ないか人だかりの中ではいつも視線を右へ左へ忙しくさせていた。
そんな日々を送る中、一度だけ彼女の方から休暇に一緒に甘味処でも行かないかと誘われた事がある。
その文を見た瞬間俺は飛び上がる様にして喜び……てか実際に飛び上がって妙ちきりんな踊りまで踊った上で嫌がる鴉によく手紙を無事届けてくれたと頬ずりをし、滞在していた藤の家紋の家が呉服屋だったので一張羅を見繕ってもらった。
その時の一家の視線が初めて恋人の出来た末の息子を見るような生暖かい目だったことは詳しくは語るまい。
指定された店の前に着くと、程なくしていつものように素敵な微笑みを湛えた彼女とそのとなりには彼女の笑顔とは対極なしかめっ面の彼女の妹が居た。
俺に向けて今にも恨み言を吐きつけたいと言わんばかりの渋い表情のまま自己紹介をした妹の名前は胡蝶しのぶと言った。
しのぶは姉を誑かした俺を許すまじと眼光鋭く爛々と憤怒を燃やし、好きあらば張り倒してやろうという意思が思い切り表情に出ていた。
そんな勢いの妹に引きつつも彼女に導かれて甘味処へと入った。
正直に告白してしまうとあの日の甘味は味がまるで分からなかった。目の前の席に座った彼女の顔を見るので一杯一杯で、あまりの落ち着きの無さにはじめは射殺さんばかりの視線をぶつけていたしのぶもそんな気が失せたのか俺に呆れ果ててしまったのか大人しく甘味を味わっていた。
結局俺が正気に戻ったのは藤の家紋の家に戻ってからしばらく経った後で、畳の上で脱力したまま一日の余韻に浸って天井を眺めていた時だった。
その日一日の失態の全てが脳裏を駆け巡る中で、何かにその情けなさと苛立ちと恥ずかしさをぶつけてしまいたいと思ったら、やはり鴉の頸を締め上げて喚き散らしていた。「理不尽ダ!!」と叫ばれたのを今でも覚えている。
その後はやはり柱である彼女はとても忙しくて、中々同じ任務に付いたり休みの日が合うことも無かった。むしろ今までの流れが都合が良すぎたのだ。そう階級の高くない俺が柱の彼女と同じ任務に付くことなど、元から居た場所が任務地に近かったり、人手が必要な時ぐらい。
寂しさを懐きながらも自分の方から文を送れば忙しいのに彼女の邪魔になってしまうのではと途端に気弱になってしまい、そのまま彼女との接点が何も生まれないままおよそ一年が経った。
彼女に助けられたあの日から狩った鬼の数も増え、いつか彼女を守りたいがために実力だって伸ばしている。
そんな自信が芽生えて来た頃のある日の話。
いつもより心做しか元気よく今日の任務を伝えに帰ってきた鴉は、大きく口を開けて俺へ伝令を告げた。
「カァ!合同任務!合同任務!花柱との合同任務!!」
目を見開いた俺は真っ先に今の情報に間違いは無いんだなと鴉に詰め寄り、間違いないと言質を取った時点で即喜びの声を上げた。
約一年、必死こいて力を付けて来た俺を彼女はどう思うだろうか。
よく頑張ったと褒めてもらえるだろうか、頼りにしてると背を預けてくれるだろうか。
でも、きっと彼女だって俺と同じくこの一年努力を重ねているはず。俺の成長が彼女の眼鏡に適わなければどうしよう。少し残念そうに笑って気にすることはないわ、なんて言われてしまうのだろうか。
今までずっとずっと会いたかったのに、いざ彼女に会える日が目前に迫ってくると日に日に不安が募る。
しかし、俺がくよくよしていたとしても任務の日がやってくるのは変わらない。その日になれば嫌でも合わなくてはいけなくなるのだ。であれば胸を張って堂々と成長した俺を見てくれと言ったほうがかっこいいに決まってる。
そんな若干開き直った心持ちで迎えた任務当日。
あの日のような眩い月明かりに照らされた夜道で彼女と待ち合わせる。
任務の詳細に聞かされていた待ち合わせ場所に向えば、既に彼女はそこに立っていた。
待たせてしまったと慌てて駆けていけば、すぐにこちらへ気がついた彼女はにこりと花開いたような可憐な笑みで俺を向えてくれた。
丁度だいたい一年ぶりね、と声を掛けてくれた彼女に、お久しぶりですと答えれば直ぐに任務の打ち合わせに入った。
優先すべきは俺個人の思いではなく任務だ。今こうしている間にも鬼は人を襲っているかもしれない。
少しでも時間を無駄にできないと、お互いの認識のすり合わせが終わり次第直ぐに出立しようと歩みだそうとしたその時、何かが月光を遮った。
どくりと跳ねる心臓。
ぞわりと立ち上る恐怖の香り。
足から伝わった震えが全身を一周する。
彼女に一拍遅れて日輪刀を抜刀し、高地に陣取った敵を見据える。
その鬼はまるで頭から血をかぶったような奇妙な格好をしていた。そして驚くべきはその瞳に刻まれた文字。
その鬼の瞳に上弦の二との文字をはっきりと視認した。
あの時であった下限の鬼よりも強いとされる上弦の鬼。それも上から二番目。
勝てるのか、否、俺に太刀打ち出来るのか……?
そんな疑念が胸中を渦巻く中、階級的に上官である彼女の指示を仰ごうと口を開きかけた瞬間先に彼女の方から指示が飛んだ。
「今すぐここから逃げて!急いで柱の救援を呼んできて!貴方では……殺されてしまうわ」
その言葉を聞いて直様反論しようとしたが、何も言葉が出てこなかった。
まったくもって彼女の言葉は正論だったからだ。
君を置いて行けない、俺は君を守りたい。そんな陳腐な言葉の羅列が幾重にも重なって脳を駆け巡る。だが、それら全てがたった五文字で否定されてしまう。
足手まとい。
俺は彼女にとって頼れる部下でも身を預けられる男でもなく、ただの鈍重な足枷でしか無かったのだ。
情けなさで涙がこみ上げてくるが、それを振り払うように「はいっ!!」と大きく了承の返事を返して来た道を全速力で引き返した。
ほんの数秒駆けた後、そんな暇があれば走れと叱咤する使命感を無視してちらりと後ろを己の肩越しに覗き見た。
そこにあったのは鬼を圧倒する彼女の姿でも、俺を追わせまいと刀を構える彼女でもなく――――胸を苦しげに抑えて鬼の足元に蹲る彼女の姿だった。
一瞬時が止まったかのような錯覚が全身を襲った。
あの俺なんかよりも何倍も強い彼女があの一瞬でやられた?そんな馬鹿な話があってたまるか。これが上弦の鬼の力なのか。出鱈目すぎる。下限とは比べ物にならないらしいと話には聞いていたが、こんなのあまりにも非現実的すぎる。
急いで救援を、柱を呼んでこなくては。俺達下級の隊士では百集まろうが一太刀すら浴びせられない。
俺などでは絶対に勝てない。
死の恐怖が全身を支配する。
まるで凍ったように冷たい恐怖という名の感情が心臓から末端の手足までを流れていく。
本能が一刻も早くこの場から逃げ出せと警鐘を鳴らしていた。
だがそれよりも彼女が、俺が恋い焦がれた彼女が危機に陥っている。俺が行こうとも助けられる可能性など万が一どころか億が一にもありえない。
だが――――
鬼が、ニタニタと俺を見て笑っていた。
その手に持った扇の先端を彼女の詰め襟の中へ差し込み、俺に見せつける様にして一番上のボタンを弾け飛ばした。
その瞬間燃え上がるような、煮えたぎった熱い何かが腹の奥からこみ上げて、全身を巡っていた冷たく寒い恐怖を塗りつぶす。
確かに俺が今すべきは一刻も早く救援を呼び、できるだけ多く上弦の鬼の情報を持ち帰ること。だが、そうすれば彼女は間違いなくあの鬼に殺されるだろう。
そんな現実は、許容できない。
前へ進む為に地面を蹴り出そうと地に触れていた足の向きを真正面から逆方向へ。
その場で反転し、鬼に向かって駆け抜けていく。
燃え盛る感情を吐き出す様に吠えながらこちらを見ている鬼に向かって斬りかかった。
しかし、鬼が何か動いたと認識した時には俺の体は斬りかかった体制のまま空中でくの字に折れ曲がり、壁に向けて勢いよく叩きつけられていた。
後頭部を強打したせいで朦朧とする意識の中、何が起きたのか脳内で数秒前の出来事を反芻するが、何が起きたのか全く理解出来ない。
しかし、鬼がこちらに向けて伸ばした手を見てようやく何が起きたのか分かった。
突き飛ばされたのだ。
殴られたのではなく、ただ手のひらで押し退けられただけ。
化け物。
恐らくその言葉は目の前のこいつの為に作られたに違いない。
蹲ったままの彼女は俺を見てどうして戻ってきたのかと何度も咳き込みながら早く逃げろと告げる。
だが、その命令は聞けない。
君をこの場で置いていけば間違いなく殺されてしまう。
ならばいっそのこと、俺も一緒に……!
そう思い再び立ち上がろうと手足に力を込めようとした所で異常に気がついた。
両手が氷の塊によって拘束されている。
いくら引っ張ってもびくともしない。全集中の呼吸で強化された膂力でもだ。身動きの出来ない状況に焦るが、鬼の意図がわからない。
なぜ殺さず拘束などする必要がある。
今までの鬼にはありえない行動だ。本能のままに食い殺す。それが鬼なんじゃないのか?
何にせよ早くここを抜け出さなくてはと、必死に藻掻くが一向に外れないし壊れない。
俺のその様子を見た彼女は痛む胸を抑えたまま刀を振るおうと立ち上がるが、鬼の手が彼女の胸を貫いた。
あまりにあっけない、何の気負いもない流れるような動作。
彼女の体が再び地面に崩れ落ちる。だが、先程とは違う明らかな致命傷だ。
よせ、やめてくれ、殺して食うなら俺にしてくれと叫ぶが、鬼は笑みを浮かべたままこちらに見向きもしない。
彼女の体に手を伸ばした鬼は彼女の着ている蝶の柄の羽織、詰め襟を順に脱がし、やがて完全に丸裸にしてしまった。
鬼殺隊の制服は着ていれば防刃効果のある強い繊維で編まれているが、それも脱がされてしまえば何の意味もなさない。
彼女の温もりが残った隊服はその場に捨てられ、鬼に抱えられた彼女は瞳から涙を浮かべていた。
初めて目にした彼女のシミひとつ無いが、所々傷跡の残る柔肌はこれまで見たどんなものよりも美しく俺の目には写った。
彼女の体を慈しむように指先で撫で、それが一通り終わった後でようやくこちらを向いた鬼はまるで悪気など一切ないかのような満面の笑みを浮かべて俺に見せつけるようにしながら彼女の指先に齧りついた。
右手の指、右掌、右手首、そうしたら同じ様に左も。
口一杯に彼女を頬張りながら度々こちらを向いてうっそりと微笑む。
それが手、足と続いて次は胴を。鍛え上げられているはずなのに柔らかそうな腹、そして女性の象徴である乳房も。
全身くまなく味わって食い尽くしていく。
初めは痛みに喘いでいた彼女も両手足が食い尽くされたあたりで目から生気は失われ、ぐったりとされるがままになった。
俺も始めはやめてくれと叫んでいたが、次第に喉枯れ、心は折れて掠れた音を喉から響かせながら止めどなく涙を流すだけに成っていった。
そうして鬼はついに骨の一片も残さず俺の恋していた彼女を食い切った。
満足そうに笑う鬼。
無様に泣き喚いて結局最愛の人を奪われただけの惨めな鬼狩り。
そこには明確な力の差があった。
どうして俺はこんなにも弱い。どうして俺は大好きな女の子一人守れない。
どうして、どうして……。
そんな疑問が頭の中で木霊する最中、鬼がこちらに語りかける。
「実は俺、あのお方から強力な鬼になりそうな人間を探してこいって言われてるんだ。なぁ、君、俺が憎いだろ?俺に目の前で大事な彼女を裸に剥かれて、食い殺されてさ。なぁ、鬼になれば――――俺を殺せるだけの力が手に入るかもよ」
――――どうする?
その誘いは今の俺の心に甘い、甘い毒のように染み込んで行く。
おに、になれば。お前を殺せる。
俺は弱い。
大事だった、何より大切だった彼女を守れない程に。
鬼になれば、鬼になれば、鬼になれば…………!!!!!
鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼になれば鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼。
あたまのなかがまっかなにかでうまっていく。
目の前の鬼がニタリと笑みを深めた気がした。
ドロドロとした真っ赤な感情でうめつくされて、もうなにもかも忘れてしまいたい。
俺は、俺は、俺は強くなりたい。
俺は強く、強く――――――――あれ?
俺、どうして強くなりたいんだっけ。
頭の中が殺意でいっぱいで大事なことを忘れている気がする。
でも、鬼になれば、きっと彼女も……あの人も強くなったねって、俺のこと褒めてくれるかな……。
『それはだめよ』
全てを怒りと悲しみの大波で流されそうになっていた頭の中で、ふと彼女の声が聞こえた。
そうだ、それは駄目だ。
俺は鬼狩り、鬼殺隊。
鬼を狩り、人々を守るのが俺の仕事だ。
そして彼女も、それを望んでいるはず。分かってる、分かってるよ。
でも今は少しだけ……この感情に身を任せてもいいよね。
いつもとは違う呼吸法。
普段よりもずっと低い地鳴りのような音を立てながら息を吸い込む。
突然様子の変わった俺に数歩後ろへ下がった鬼に一太刀浴びせる為に体を起こそうとする。
当然体を拘束する両腕の氷が邪魔をするが、そんなものは知ったことではない。
強引に、力任せに腕を引き抜く。刀を持ったままでは邪魔なので、一度刀を握った拳を解いて一気に両腕を引き抜いた。
ずるりと表面の皮が剥けて肉が顕になった両腕は赤く痛々しい。だが、彼女はもっと痛かったはずだ。もっと苦しかったはずだ。
そう思えばこの程度、痛みにすら感じない。
一度置いた刀を再び拾い上げ、面白いものを見たとでも言いたげな鬼と対峙する。
鬼があの憎たらしい声を発する口を開こうとした瞬感に大きく踏み込んだ。
『怒りの呼吸 無型』
単純に呼吸位によって強化された膂力によって鬼に斬りかかる。
鬼が避けたことによってその背後にあった塀へと刀が振り下ろされ、大きく縦に切り裂かれた。
立て続けに横一文字、切り下げ、切り上げ、突きと攻撃を繰り出すが、鬼はゆらゆらと余裕の表情のままこちらの攻撃を躱していく。
そのたびに塀や地面が大きく切り裂かれ、傷跡を残していく。
これまでになく大きな距離を後方へ飛び退ることで開けた鬼は扇で肩を叩きながら嬉しそうに笑った。
「いやぁ、これは予想以上に逸材だ。今この土壇場で新しい何かを編み出したのかな?これは是が非でも連れて行きたい、と言いたいところなんだけど、そろそろ時間だ。また君に会いに来るよ。それまでに鬼になるかならないか決めておいてね」
夜闇に紛れるようにして消えていく鬼を追うだけの体力はこの体には残っていなかったらしく、一歩踏み出しただけでガクガクと膝が震えて自分の意識とは関係なく地面に膝を付いてしまった。
一度力が抜ければそれは全身へと周り、無様に顔から地面へと崩れ落ちる。
しかし、まだ止まるわけにはいかない。
赤剥けになった腕で体を引きずりながら投げ捨てられた彼女の隊服と羽織に向かって未練がましく手をのばす。
たった少しの距離を時間を駆けながら移動し、ようやく目的地まで辿り着いた。
自信の手のひらが地で汚れている事も忘れて隊服と羽織を掻き抱く。持ち主を失い、温もりの無くなったそれらは、それでも彼女の香りがした。
ボロボロと目から大粒の涙が零れ落ち、隊服と羽織は血と泥だけでなく涙でまで汚れていく。
もはや枯れきって声の出ない喉はひゅーひゅーと空気の抜ける音しか出さない。
先程の無理な体の行使で手足どころか全身の筋繊維は引きちぎれ、何もしていなくても体はひどく震えていた。それでも彼女の残した隊服と羽織は離さない。
どうしてもっと早くあの呼吸を発揮出来なかったのか、あれがあれば彼女を死なせずに済んだんじゃないのか。
どうして、どうしてと後悔が体中を支配していた怒りを洗い流していく。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
「か、なえ、さ……」
ぐったりと地面に横たわった体からは次第に意識が失われていき、俺が完全に気絶してそう経たないうちにしのぶと外の隊士達の救援が到着した。
その後も色々大変だったんだけど、その辺の話はまた今度会った時にしよう。
多分そろそろ――――
「カァー!怒柱!任務!那田蜘蛛山ヘムカヘ!十二鬼月ガ居ル可能性アリ!先行シタ蟲柱、水柱ト共ニコレヲ討伐セヨ!!」
それじゃあ俺は行くよ。また今度な。
話し込んでいた茶屋の椅子から腰を上げ、日輪刀の入った刀袋を手にその場を後にする。
刀袋に括り付けた彼女の髪飾りが、陽光を反射して煌めいた。
ふとした時に思い出すあの夜の光景。最近、というよりあの日からよく夢に見る。
憎いあの鬼の手で裸に剥かれる彼女。涙で頬を濡らしながら頸を左右に振って拒絶する彼女。
それを俺はいつもそばでただ眺めている。
そんな俺を見つめるもうひとりの影が居た。そこに立っているのはもうひとりの俺。
ひどく表情の読めない、真顔のまま俺を指差して奴はいつもこういうのだ。
愛した貴女も守れないお前はさっさと死ぬべきそうすべき。