もうすぐ夜が来る。4歳のなのはにとってそれは家族が帰ってくる待ち遠しい時間でもあり、自らの心をそのまま顕在させるかのような寂寂の時間でもある。高町士郎、父が重傷を負い海鳴病院に運び込まれてから1週間。未だ目覚めぬ父に忙しなく働く母、世話のために家を空ける姉にドコへ行っているのかも知らぬ兄。大黒柱の危篤は家族を引き裂き、漏れずなのはもひとりきり。
しかしそんな時間になっても彼女は寂しさを埋めるために家に帰るのではなく、ただ一人放置されている現状を憂いて公園のブランコを漕いでいた。ギィギィとだけ響く音は静寂を壊す異音、昼は活気ある公園も今やそれぞれが帰途についてからは閑散としている。かといって、昼からずっとそこにいるものの、なのはが誰かと遊ぶということはなかった。「我慢すること」が今自分に課せられた最大限に出来る手伝いで、他の皆も何かを我慢して行動しているのだから、自分だけが平気な顔をして遊ぶことは出来ない。いつの間にかそれは「一人で我慢すること」に内容が変わっており、必然彼女は一人のまま。最初の頃は誘われる事こそあったものの、今では誰も手を取ることはない。彼らは雰囲気のまるで違うなのはを異物のように扱い、完全に無視していた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
幼いなのはにはわからず、親の言うことが何よりの理不尽であることもやっぱりわからない。自分は他に何も出来ないから今こうしてここにいる。小さいながらも何かを手伝いたい。そんな思いを抱いていても、叶うことはない。いい子でいるためには言う事を聞いていなきゃいけないのだ。ならばソレ以外の行動を取ろうとする自分は間違いなく悪い子である。なのはの思考はかなり両極端だった。
俯いた瞳から溜まりに溜まった涙が溢れる。しかしそれを家族に見せてはいけない。ゴシゴシと裾でそれを拭ってブランコから降りると、不意に後ろからジャリという音が聞こえた。
背筋がピーンと直立する。
自分以外に誰もいなかったはずの公園に、誰かの足音がする。それも入り口とは全く関係ない方向から。唐突な出来事になのはは心を恐怖で震わせる。夜に、誰も居ない場所で、何かが突拍子もなく現れる。彼女の脳裏にひとつのフレーズがうかんだ。そう、オバケだ。
人は自身の知らない超常に根源的恐怖を抱く。知らないことが多い、つまり怖いことだらけの幼いなのはにとって初めて邂逅するとんでもない珍事。叫んで逃げられたらいい。しかし手が震え、足はすくみ、体を動かすことが出来ない。
だが興味もある。見たこともないものを見てみたい好奇心と、オバケではないと自身を安心させるための確信を得るための行為。なのはは勇気を振り絞って…………後ろを見た!!
「やぁ」
「くぁswでfrgtyふじkぉp;@!?!?」
ニッコリと笑う心からの笑顔。それは自分と全く同じ顔をしたドッペルゲンガーの姿で、
間もなくなのはは気絶した。
「えーっと、大丈夫?」
「……は、はい。ありがとうございます」
少しして立ち直った後、なのはは自分に似た誰かの手によって介抱されていた。起きた瞬間こそ再び驚いたものだが、よくよく見れば背丈や表情が結構違う。ただ、その姿はまるで未来の大きくなった自分を見ているようで、なのはの予想ではだいたい8から9歳くらいではないだろうかという考えだった。さらに言えば触れることも出来、わずかな外灯の光源から照らされる足元には確かな影があり、ホっとなのはが安堵の息をはいたのはほんの少し前。
「いや、自分によく似た子を見つけてね。声をかけようとして近づいたんだけど、ごめんね驚かして」
「き、気にしないでください。大丈夫ですから……」
ほんとうによく出来た子だ。そんな感想を抱いたのかウンウンと頷く。そんな自分似の誰かさんの姿を見て、なのはは名前を聞いていないことを思い出す。
「私、高町なのはです!その、お名前はなんて呼べばいいんですか?」
そんな妙な言い方をしてしまったのは、対する相手が自分似だったからだろう。相手も高町なのはではないか?と思ってしまった。
「うん、ドッペルゲンガーさんでいいんじゃないかな」
「え、えぇ?そんなのでいいんですか?」
「構わないよ」
「じゃ、じゃぁその……ゲンガーさんで」
あまり納得いかないのか難しい顔をしている。どうやら彼女には名前に何かこだわることがあるようだ。しかしとりあえずそれはおいておく。
「その、あの、なんであなたはこんな時間にこんなところにいるんですか?」
「それ、そっくりそのまま返しても?」
「う……」
答えに窮する。確かに今の時間に自分のような子供がいるのはおかしかった。
「まぁ、何か理由があるんだろうけどね。君ぐらいの年頃ならそう、プチ家出ってところかな」
子供が行う家出と称する別の何か。大概が近所の公園に出かける程度のかわいらしいものである。
「ちちちち、違います!家出じゃありません!」
「じゃぁ、なんで?」
「それは……」
自分の行動を省みて恥ずかしくなったのか、勢いのまま否定する。しかし否定してしまった以上、何らかの理由を自分から言わなければいけないような気がして、はぐらかすことが出来なかった。何よりまるで自分の生き写しのような人に会ったという偶然に運命を感じ、ほんの少し、今の自分を打開してくれる気がして話をしたくなっていた。この人なら打ち明けてもいいのではないか、と。
「その、私の話……聞いてくれますか?」
「いいよ。言ってみな?」
彼女の語ったことは既にジェック、もといゲンガーが知っていることだった。何も出来ないことに無力さを感じ、辛さに耐えながら送る日々。なのはは幼いながらも聡明で割り切りが早い。そのため親の言ったことはそのままそのとおりなんだろうと受け入れてしまっていた。
「なるほど。それでこうして黄昏れてるわけだ」
納得したよ、と大げさにウムウムと振りを入れながら返事をするゲンガー。しかしそれだけではないのだろう、なのはは彼の次の言葉を待っていた。
「バカだろ、君」
「ば、ばかぁ!?」
生まれてこの方言われたことのない言葉に仰天する。周りは自分を褒める(甘やかしているとも言う)人ばかりだったから新鮮だった。しかし早々味わいたいものでなく、なのはは「バ、バカって言った方がバカなの!」と返すのがやっとだ。そんな事も気にせずゲンガーは話を続ける。
「他人の言ったことを鵜呑みにしてどうする。確かに君はまだ小さい、出来る事には限りがあるだろう。が、やらずに出来ないのとやってダメだったのとは話が違う。君が今とっている行動はただの【諦め】だ」
「で、でもお母さんはいい子で我慢しててねって!私はいい子でいなくちゃっ……」
「その言葉のドコに何もするな、という言葉があるんだ?そして、何かに挑戦することが悪い子ということになるのか?失敗することもあるだろう、迷惑をかけるかもしれない。だけど、君が挑戦することに対してお母さんとやらはそれを叱るのか?」
「そ、そんなことないもん!」
言って、やっと自分の考えが曲解していることに気づくなのは。だがその挑戦による失敗は桃子が後処理をすることになる。それが迷惑をかけることになるという事をわかっているなのははどうしても次の一歩が踏み切れない。
「なら、まずは確実に出来る事から始めるべきだろう。幸い君は頭がいいようだから、始めさえすればなんでもできるようになるはずだ。そこで、」
ちょっとしたサポートをしてあげよう。
そう言って、彼が掲げたカード上の何か。その中央に位置するビーズのような宝石が光を発した。
「わぁっ……!」
瞬間、公園の空はいくつもの小さな光球によって幻想的な光景を生み出した。
それはまるで花火のようだが少し違う。何時まで経っても消えずにプカプカと浮いているそれはゆらめき、時には鋭角に飛び交い、たまにお互いが衝突して弾け綺麗な粒子を散らせる。なのははそれを妖精みたいだと感じた。
「魔法と言う。恐らくは君が出来るであろうことの内の一つだ」
「綺麗綺麗!……でも、コレで何が出来るの?」
えらい現実的思考だな、とゲンガーはガクリと肩を落とした。なのはの求めているものはお手伝いできる何かであって今の空間を作り出すことではない。
「まぁ、出来る事がこれだけというわけじゃない。だがこのデバイスを使えば運動がしやすくなったり、空を飛べたり、……君のお父さんのケガを治すことだって出来る」
「ほ、本当!?」
父のケガを治して退院さえさせれば、とりあえずの現状を脱することが出来る。姉も手が空くだろうし兄も落ち着く、何より父親が家にいてくれるだろう。ぱっと打算を働かせたなのはは強く魔法を求めた。
「そ、それを教えて下さい!」
「それはさっきすると言ったろ?だけどまずは言っておかなければならないことがある。まず魔法は、君だけが唯一できる事ではないこと。時間はかかるが、いずれ世界中の皆が手にすることが出来る力だ。魔法そのものは手段、いや技術でしか無い」
「……?よくわかりません」
「いずれわかるようになる時がくる。……いや、わからないならそのままでもいいか」
前史における高町なのはは魔法に奇跡を求めた。それは一介の技術でしか無いそれを神聖視していたとも言っていい。この場にいるなのはがそのような方向性に進むのかどうかはわからないが、忠告しておくに越したことはない。時間が経てば才能なんざ無くても魔法が使えるようになるのだから、その時理解してもらえればいいのだが。
「次に、これは何かをするための補助、手がかりでしかない。今君は魔法、というものを見つけたわけだがソレ以外にでも出来る事は色々あるはずだ。それを見つけるといい」
「わ、わかりました」
(ま、このくらい言っておけばいいか)
入念に未来へのフラグを潰していくゲンガー。後はこの少女が作る人生の行き先は彼女だけのものだ。ある程度の方向性を修正できたことに満足し、ただし、と前置きをする。
「教えるのはもう遅いから、明日にしよう。明日の昼からここで待っているから、ご飯を食べたら来るといい」
「あ、はい!明日は夜に皆でお見舞いに行くから、きっと驚くかも!」
ちょうどいいとばかりになのはは相槌を打つ。ここでゴネられるのも良策ではないのですんなりと受け入れたことにゲンガーも安堵した。
「それじゃぁ、今日はもう帰りな」
「はい、また明日!ゲンガーさん!」
そう言うと、ふわりとゲンガーが闇に溶けて消えた。残るは静けさのみ。ソレを見たなのはは恐怖よりもポカンとしていた。
「……アレも魔法?」
何にせよ、ゲンガーが自分の知らない何かをやっていることだけは明確だろう。とりあえずそう納得し、なのはは足早に帰路についた。なのはが寝静まった後に帰ってきた桃子は、久しぶりに娘の笑顔を見たという。
「と、こんな感じだ」
「ここをこうして、こう?」
「そう、そんな感じ」
再び公園で出会った二人は、場所を人に見られないように森の中に移して練習を開始した。まずは基本的な魔力の操り方から魔力弾の形成、その後は飛行によるイメージングの強化、最終段階として思考制御プログラミング、つまり祈祷型による治癒魔法の練習となる。感性、理屈バランスよく高い能力を持つなのははあっさりとこれらの行程をこなした。治癒魔法は適正の問題でやや手こずっていたが、予めゲンガーが渡したデバイスに入っていた魔法がなのはに適していたためにそう時間もかかっていない。今は腕の折れかけたカマキリの治癒をすることでその成果を確かめていた。
カマキリの腕は見事に治り、ゲンガーから太鼓判を押される。コレなら大丈夫だろう、そう自信をつけたなのはは満面の笑顔だ。
「とは言っても、まだまだ一人だけでやらせるには難しいだろう。病院に付き添いの人がいるから、その人の指示に従うといい」
「どんな人ですか?」
「紫の髪に金色の目の男だ。いつもスーツに白衣を着てニヤニヤ笑ってるから、わかりやすいと思う」
「……なんていうか、変な人?」
言ってやるなよ、と思いながらも口には出さない。彼が変なのは今に始まったことじゃないからだ。
「あ、そろそろ行かなきゃ。ゲンガーさん、色々ありがとうございました!」
「ああ、がんばっておいで」
言いながら微笑む顔はどこか無機質なものながら、わずかに感情をのぞかせる。それは少し寂しげに見えたのか、なのはは聞いた。
「また、会えますか?」
「会えるさ。だから行くんだ、君の未来が良くなることを願っているよ」
「……?はい!」
ゲンガーの言うことはたまによくわからない。しかしわからないながらもなのはの事を思って言ってくれているのは明白なので、深く問うことはしなかった。タタタ、とデバイスを持って入り口に公園に向かって走る。しかし言い忘れたことがあったのか、クルリと彼女は振り返り、
「今度は!ちゃんと!名前を呼んでねー!!」
そう言い残して笑顔で走り去っていった。
「やれやれ、参ったね」
気づかれていたか、とぼやく。ジェックにとって高町なのはとは自分を創りだした人物のことで、今目の前にいた少女ではない。もしも少女のことを「なのは」と呼んでしまったら、創りだした高町なのはとの縁が切れてしまいそうで、そしてその際に何が起こってしまうかわからない不定の恐怖を感じていた。それはちょっとした予感のようなものかもしれない。今の少女は高町なのはの名を持った別の誰か、そう解釈することで彼は落ち着きを得る。
何より、これからもう会うことはないだろう。
自分たちが企てた計画での役割は、その大半が裏方役だ。わざわざ自分が台頭するようなことではない。この時代の人間が主役を演じる舞台だ。あとは出来上がった劇を楽しく傍観するのみである。
思考に浸りかけていたその時、ピピッと発信音がして目の前にウィンドウが開いた。通信か、そう思うよりも前に怒鳴り声が響いた。
『ジェックー!!いつまでそっちにいるのー?早く帰ってきてゲームしようよー!』
「やかましいぞおてんば姫。リニスと遊んでればいいじゃないか」
『リニスもうお年頃だからあんまり動かないんだもーん!』
それはお年頃の意味が違うのではなかろうか、と思うが突っ込んだところで流されるだけなので言うことはない。
「わかったわかった。もうすぐ帰るから、じっとしてろよ?」
『早く帰ってこないと母さんが分解実験するって』
「どうしてそこで帰りたく無くなることを言うんだお前は」
催促の材料になるかドアホとだけ残して通信を切る。転移してしまえば一瞬で着くのだから長々と話す理由がない。最後に、最後に少しだけ少女が去っていった方向を見て、ジェックは地球を去っていった。
その後、デバイスを返そうと思ったなのはがいくら探そうとも、彼の姿を見つけることは出来なかった。
海鳴大学付属病院。
人工的な気質が強いながらも、広めに取られたオープンスペースは入院患者の憩いの場として自然が多く残されている。有名なデザイナーが担当したのか?と思ってしまうほど内装も小奇麗であり、またシステム的だ。さほど大きくない海鳴市としては十分なくらいに先進的な病院である。
少しばかり面会には遅い時間、ロビーに高町家の姿があった。しかし美由希は看病のため既に病室にいるため、ここにいるのは彼女を除いた3人のみ。その内恭也はどこか渋い顔をして目を伏せており、なのはは落ち着きなくキョロキョロと視線を彷徨わせていた。
「なのは、どうしたの?」
「え、えっと……人を探しているの」
はて、知り合いでもいただろうか?と桃子は考えるが心当たりはない。
「どんな人?お名前は知ってる?」
「えっと、名前は知らないけど紫色の髪に金色の目をした人なの」
聞いて目を丸くする。恭也も同様だった。いったいそりゃぁどんな人だ、と。近い将来似たような髪色の人間に恭也は会うことになるが、加えて金眼の、ぶっちゃけそんな奇人が人類学的にいるとは思いたくない。しかし残念かな、桃子の視界にはソレらしき人物がコチラに向かって歩いてきているのが見えた。
「ええっと、もしかしてあの人?」
「あ、うん、多分そうなの」
マジかよと思いながらも、恭也は対面するように家族の前に立つ。直感からか、男が不穏な気配を持つことに気づいたらしい。父親がケガをしたこともあって彼はその手の気配に敏感になっており、ピリピリとした気を放つ。それに感づいてるのかいないのか、近づいてきた男は興味深そうに彼を見つめた。
「何だ、お前は」
「なかなかに失礼な物言いだね君は」
「何だと聞いている!」
「……ちょっと恭也」
桃子が裏から彼を抑えようとするが、別にいい、と男は手のひらを向ける。
「あえて言うなら、開発者兼、研究者兼、医者ってところかな。ドクター、と呼んでくれたまえ」
「ふざけているのか!」
まさか、と答える男、ドクターの顔は傲慢不遜と言った感じでまともに恭也と取り合わない。それが腹立たしいのか更に恭也は顔を歪める。
「なんなら、ジョニー。そう、ジョニー・スリカエッティでもいい。それが私の名だ」
「言葉遊びなど!偽名だと言っているようなものだろ!」
「そうとも言うね」
「貴様……!」
ギリリ、と歯軋りの音が聞こえた。いったい何がそこまで気に入らないのか、桃子には分からないが少なくとも初対面の人にすることではない。恭也を諌めようと再度声をかけようとした時、ドクターはひょいと顔を桃子の隣にいた少女、なのはに向ける。
「君が、高町なのは君かね?」
「そ、そうな……です。あなたが、ゲンガーさんの言ってた人ですか?」
「ゲンガー……?ああ、なるほどそういうことか。彼から預っているものがあるだろう?」
「はい!これなの!」
「なのはには手を出させないぞ!」
「よろしい、ソレじゃあ行こうか」
デバイスを見たドクターは、場違いにしか思えない恭也の叫びは完全に無視して歩き出す。エレベーターを使い、廊下を歩き、向かった先は当初自分たちが向かうはずだった士郎の病室だ。
「……何をするつもりだ」
「やれやれ、いい加減落ち着いてくれないかな。状況を理解できずに動けない愚直な人間はつまらないよ。やることはシンプルだ。君たちの父親を治す。それだけのことだ」
「何!?……再手術の話は聞いてないぞ」
「そんな事をする気はないさ。ものの数分で終わる程度の、この世界にとっての革新的な新技術を行使するだけさ」
そんなものがあるものか、と変わらず睨む恭也。その後ろで新技術の正体を知っているなのははというと、口元が波線になるくらいに笑みをこらえてるのだが。ほぼ確実と言っていいレベルで父親の治療が出来るのだから無理もない。むしろ知っている側とすれば恭也の姿は滑稽といえる。
「邪魔するよ」
「はい、……って、え?誰ですか?」
結局、止めることも出来ずにドクターの侵入を許してしまった。本人は医者だと言っているし、なのはとなんらかの関係もあるらしい事を匂わせていたために手を出せなかった。突然の謎の人物に美由希も目を白黒させている。
「なのは君は患者を挟んで反対側に立ちたまえ。ああ、そこのメガネの君は椅子を譲って端に避けていたまえ」
「はーい」
「え、え?え!?」
どんどん事態は進行していく。何故かなのはも従っているし、恭也は苛立たしげな顔をしているし、桃子は何かを期待している素振りを見せている。美由希にはわけがわからなかった。
「作業内容は理解しているね?」
「はい!ガッとやってパッと治すなの!」
「……まぁいい。君は外傷の治癒。その間に私は彼に魔力を流して生命力を活性化させる。後は彼次第だ」
量子展開により、ドクターの手に黒地に赤いラインが描かれたグローブが装着される。皮の硬さを確かめるように数回、ぎゅっぎゅと握り、士郎に指先を向ける。すると細く輝く糸が伸びて士郎につながり、なのは以外にはわからないなんらかの行為が為される。対するなのはも手のひらにセットしたデバイスを士郎に向けてかざす。瞬間それを中心に魔法陣が展開され、士郎のケガを癒し始める。大きな部分は包帯が巻かれていてわからないが、細かい生傷などはみるみるうちに消えていった。それを見るだけの3人は不思議そうに、しかし奇跡のような光景に涙を流しそうになっていた。
そして活力を与えられた体は徐々に確かな温かみを取り戻していき、血色が随分とよくなりだしたその時。
「う……ぐっ、ここは……?」
「「父さん!」」
「あなた!」
士郎がうっすらと、目を開けた。
「これで治療は終了した。あと出来れば今ココで見たことは、そうだな、2年程は秘密にしてもらいたい。その代わり治療費はいらない、臨床試験みたいなものだからね。……まぁ、あらかじめ確立された技術なのだから失敗はないが」
「本当に……本当にありがとう、ございます」
最後の言葉が聞き取れなかったが、桃子は涙を流しながら礼をする。目覚めるかどうかはほとんど運次第とまで言われる重傷だったのだ。こんなに嬉しいことはないだろう。恭也たちも士郎の手をとって生きていることの喜びを確かめ合っていた。しかしそこに、
「ふぐっ、ふぇ、……ふぇぇえっぇ~~~」
「ああっ、どうしたのなのは?」
瞬く間に涙でぐちゃぐちゃになるなのはの顔。そこには今までの生活が戻ってくる安心感や今までの悲しみ、不安をすべて吐き出してごちゃまぜになっていた。今まで耐えてきたものがついに溢れだしたのだろう。全く涙が止まる様子がない。桃子が優しく抱き寄せてあやすが、今まで一人でいたために優しさに触れた瞬間更に涙があふれる。完全に逆効果だった。結局、なのはが泣きつかれて寝入ってしまうまでドクターは壁に体を預けることになった。
「……すぅ……すぅ」
「やっと落ち着いたかな?話には聞いていたが、君たちはもう少し育児というものを考えた方がいい。私も子育てが得意という程ではないが、その私から見ても少し目に余る。特にこの時期の子供を一人にさせるのは育児放棄ともとられかねない愚行らしいからね。幸いなのは君はそれなりに理解力があるようだし、しっかり話し合いをするべきだろう」
ズケズケと他人の家庭事情に踏み込むドクター。その語らいには全く躊躇というものがない。心当たりが山ほどある高町一家の内側には棘がビシビシと刺さる。彼らは反対意見を全く言うことが出来なかった。
「さっきのは、一体何をやったんだ?」
口にしたのは、恭也。切り替えが早い。
「ふむ、あえて言うなら、魔法というやつだよ。尤も、コレ以外に表す言葉がないというのが現状だがね。魔力素と呼ばれるひとつのエネルギーから複数のバリエーションの現象が起こせるためにそう呼ばれるのだが……まぁそこはいいだろう。今までの科学の延長線上にあるものだと思ってくれていい。今行ったのは治癒魔法で、プログラムさえインストールされたデバイスを用いれば誰でも使用できるものだ。ただし、今はリンカーコアという魔力生成器官を持っていないと不可能だが」
「……ソレをなのはが持っていると?」
「とびっきり大きいものをね。ある種の才能と言ってもいい。まぁ、リンカーコア自体は生命力と綿密な結びつきをしているものだから、誰でも持っているもので他の人にも無いわけではないがね」
説明するドクターは随分と饒舌だった。多分、誰かに何かを教えたくてたまらない人なのだろう。そう考えると恭也の眉間の皺も大分とれてきた。何より大きな借りを彼には作ってしまったのだからいつまでも同じ態度ではいられない。
「それはわかりました。ですが、何故発表もされてないような技術を使ってわざわざ助けてくれたんですか?そちらにはメリットがないはずですが」
続いて発言したのは今までの内容を聞いて吟味していた士郎。ここからは大人の会話だ。
「メリットならある。まずは治癒魔法が人体に効果があることがデータとしてとれたこと。それと、私もとある人物から大恩という借金のようなものをしていてね。それを返すための一環だとでも思ってくれたまえ」
「……その人物とは?」
「国家機密さ」
ニヤリと笑う顔は必要以上に胡散臭かった。なんというか、悪人じみてて到底信じられないくらいに。
「それじゃあ私は行く!掴んだ命を大切にな!ククク、ハァーッハッハッハッハ!」
白衣をバサリと翻して立ち去っていく。笑い声を連れた後ろ姿はまるで三流のフィクション映画のようだった。ドアが閉じても、まだ笑い声が続いている。一体いつまであの人は笑い続けるのだろうか。とにかくなんだかよくわからないが変な人だった。
ドクターが去り、再び部屋に静寂が戻ってくる。だがシン、という音が返ってきそうな場に耐えきれなくなったのか、桃子が後悔を口にした。
「私たちは、一体何をしていたのかしらね……」
冷静に考えられるようになってみれば、わずか4歳の子供を自分たちの都合とはいえ放っておいたことにひどい罪悪感を覚える。今でこそこうして泣いて意思表示をしてくれたが、もし長期化していればこの子は心の内側に溜め込んだままにしていたかもしれない。それくらい強い娘だった。しかし抱えた感情と耐える理性は別物だと、今更ながら思い知る。
「俺もそうだ。自分のことばかりで、父さんがこうなった事にショックを受けて、ただ強くなることばかり考えていた。俺が家族を守らないとって、……けど、何より守らなければいけないのは心のほうなんだ。なのはは、そんな普通の子なんだよな」
「私も、せめてそばにおいてあげればよかった……」
兄妹二人も抱えるものは同じだった。二人は御神の一族であるためその精神性は逸脱している。なのはも無意識にそういうものだと見ていたのかもしれない。
3人の言葉を聞いて士郎は反芻する。まだベッドから起き上がることの出来ない身だが、ドクターの治療によって思考するくらいは問題ないようになっていた。長く閉じていた目を開いて、彼は決断した。
「ボディーガードをやめよう」
「「父さん!?」」
「あなた……」
彼なりの贖罪なのかもしれない。家族をバラバラにする引き金を引き、今の状態を作ってしまったのは間違い無く自分だ。コレ以上家族に同じような思いをさせたくはなかった。
「ちょうどいい機会だったのかもしれない。退院したら、しばらくはなのはと一緒にいてあげよう。……それからは、また考えるさ」
「ふふ、翠屋のマスターさんなんてどうかしら?美味しいコーヒーを淹れるの」
「ああ、いいかもしれないな」
寝ているなのはを見て、彼は大事なものを確認する。今までは剣士として力を振るい続けてきた。しかし、これからはそうでないのかもしれない。今はもう御神ではない。そんな事には関係がない家族がいて、当たり前の、普通の生活を送っている。その中で自分のような存在は必要ないのだ。当たり前のように誰かの心を守って、寄り添える。そんな存在に、彼はなりたいと願った。
以降、高町家の様子は瞬く間に変わったという。退院した士郎と桃子のもとで、魔法を駆使しながら様々なことに挑戦を始めるなのは。その顔は実に輝いていたらしい。間違えたことをすれば怒られ、正しいことならほめられる。失敗は諭され新たな挑戦への糧とする。ともすればなんてこと無い、普通の幸せを持った家庭。そんな事ですら今までの高町家では難しかっただろう。恭也も美由希も、なのはをよく見るようになった。
その後、世界的な魔法の発表により怪我を治療してくれたドクターが中心の人物だったと知ることとなった。何故あの時治療してくれたのか、未だわからない。しかしその恩を忘れることはない。そして、なのはが遭遇したというドッペルゲンガー(?)から渡されたデバイス。今も彼女は大切に持っている。いつか必ず返して、お礼を言うために。
「ってことが昔あったの」
「それで、なのはは慌てて突っ走っちゃったわけだ」
「うう、ごめんなさい。置いてけぼりににしちゃって」
ジュエルシードによって街が損壊してしばらく、なのはは自宅でユーノに謝罪ついでに過去のあらましを語った。突っ込みどころがいくつかあるものの、彼らのやったことは基本的に善性のものなのであまり深く掘り下げる事が出来なかった。そんなユーノが何故ここにいるのかというと、例によって警察の忙しさがマッハなのでさすがにそこまで手が回らず、高町家に預けることとなったためだ。下手をすれば警察署より安全な家というのもどうかと思うが、世間一般の認識はそういうものらしい。一緒に晩御飯を食べていた時など、美由希は
「弟がほしかったのよねー!」
と猫可愛がりする気満々である。可愛いものには容赦がないメガネ、フェレットのままココに来てしまったらどうなったことか。それは恐ろしくて考えたくない。士郎は士郎で「なのはを嫁にどうだい?」と言って両頬を膨れたなのはにビッターンされてたり、言う度恭也は目を光らせながら刀の鍔をカッチャカッチャ鳴らしてるし、そんな事をものともせず桃子は朗らかに笑ってるしで実にカオスである。
(あれ、おかしいな。普通の家族なんだよね?うん、普通、普通ってなんだっけ……)
ゲシュタルト崩壊起こしそう。またユーノは謎の悩みを抱えることとなった。
そんな平和な光景だが、同時にユーノは不穏な裏側も感じ取っていた。今日の新庄巡査の発言、聞いただけではただの報告にしか聞こえない。しかし、現地にいた人からの報告だとしたら、
なぜなのは似の「少年」と言ったのか。
普通、ちょっと見ただけで少年と判別できるものなのだろうか。一般的な見解を述べるなら、なのはのような美少女に似ているのならばそのままなのは似の少女、もしくは誰かと表現するはず。しかし彼はその事に疑問を抱かず断定している。加えて当人が結界の中にいたため、そんな報告が何の意味も持たないことはわかっているはずだ。
だとしたら彼は、意図的にその情報を流したことになる。それも恐らくは又聞きの二次情報ではなく、一次情報、もしくは彼が何かをするためのブラフだったのかもしれない。しかししばらく観察してみたが、それといった行動を特に起こすことはなく、ひたすら仕事に振り回されてた用に見える。「少年」と言ったのはなのはが該当する人物と会ったことを知っていたか、もしくはその本人と知り合いか。そうならばスリカエッティと繋がりのあるドッペルゲンガー、関係性は不明だが繋がりのある新庄。いずれにしても何がしかの勢力の中にいる可能性が高い。
少しして気づいたが、彼の戦い方はどこかおかしかった。これといった戦いのない平和な日本で、かつ勤務3年という浅さであの卓越した体捌きは異常と言わざるをえない。既に対ロストロギアを経験しているかのような。加えて魔法ノウハウの少ない地球でなのははともかく、新庄の魔力流動も同様に達人級。的確に必要量を維持し、見極めも的確。そしてデバイスを持っているのに使っていない。怪しさ大爆発だ。
自分たちの知らない裏側で何かが動いている。今後はいっそう注意しておく必要があるだろう。異邦の地での激動、ユーノは何か大きな流れのようなものに囚われた気がしてならなかった。
次回は地球側の動きを絡めた首相とユーノの会談。これが終わればようやく巨大ネコ、もとい金髪少女の話に入ります。
よっしゃ、Civ5やろう。Halo4も終わってないしボダランはまだまだこれからだ!……時間がほしいなぁ。