新暦62年
第4陸士訓練校、ミッドチルダ北部に位置する数多の局員を生み出してきた伝統ある学校。ベルカ自治領にも比較的近く、聖王教会もあるためか輩出する人材が比較的近接戦闘に強い局員が多い。かくいう僕、クロノ・ハラオウンもここを母校とする卒業生であり、近接に強いとまでは言わないが万能に戦える基礎を築いた場所だ。そして、アコースという親友を作ることのできた思い出のある地でもある。
さて、執務官ともなって今更この場所に来たのには当然ながらワケがある。自慢ではないが史上最年少で執務官となったこの身には管理局という場所は針の筵だ。なぜならこの身分に対する嫉妬ややっかみ溢れる悪意モリモリな囲いは悪い噂を醸成するには実に都合のいい場所で。端的な話部下が出来ないのである。実績多数信頼ゼロ、何よりも少年であるという理由だけで古参の連中には燻しがられてしまう。かといって直接の上司である父を頼って部下を作れば、今度は親の七光りだコネだとネタにあげられそうなものは何でもかんでも取り上げられる。
――ええい、一体僕が何をした!
他人の不幸は蜜の味とは何処の誰が言ったか、ささやかな娯楽程度ならまだ目の瞑りようがあるが、わざわざ声高に叫ばれるのは非常に迷惑だ。それも管理局員たるものが足の引っ張り合いで不幸を望むなど非効率的にもほどがある。
そんなわけで部下を得ることが出来ない自分は訓練校に、未だ特定の派閥に属していないまっさらな有望な人物を探してここまできたというわけだ。最もそんな棚からミッド餅みたいな期待をしているわけではないが、管理局の権力争いにつかれた自分にちょっとした褒美くらいあってもいいはずだった。
「よく来たねクロノくん。いや、今は執務官殿だったかな?」
「クロノで結構ですよ、ランドル教官。お久しぶりです」
ロビーで声をかけたのはランドル・バルクレア教官だ。クロノの当時の恩師にして、戦術方針を決めてくれた人生の先輩である。クロノは在校時からいまいち突出した部分のない生徒だった。可もなく不可もなく、いわゆる器用貧乏である。魔力量に関しては平均を上回ってはいたものの、高出力の魔法を使う才能が無かったためになかば宝の持ち腐れと化していた。伸びない自身に怒り荒んでいたところを、声をかけてくれたのが彼である。教官は手数が多いことも才の一つだと教えてくれた。なんでもある程度こなせるというのは、それだけ多くの戦術を取れるということであり、対応策に苦慮することのない万能の仕手と化した。
「あれから僕も随分と成長しました。教官のお陰です」
「あぁ、うん、成長ね。うん、成長してるね」
「……何処を見て言ってるんですか?」
「いやいや、背が全然伸びてないとか思ってないよウン?」
「ま、まだ成長期が来てないだけです!」
「そうかね?確か入校当初から変わってない気がするが?」
「五歳の頃から!?」
生徒のいじりも忘れない愉快な先生だった。対象となった相手は哀れだが、今でも変わっておらず場を和ませる。元々戦術に強いためそういった場の雰囲気の支配もお手のものなのだろう。途中から知人である猫姉妹に訓練をつけてもらっていたため、手引きしてもらった時間はわずかでしかないが尊敬できる相手だ。
「最近はどうかね?何かあったかい?」
廊下を歩きつつ、何気ない会話に興じる。訓練校での忙しさに張り付いてるような状態の教官には話題がなく、ネタに飢えていた。
「家族旅行、とでも言えばいいのでしょうか。第97管理外世界の日本の、古都キョートに行きました」
「ああ、確かグレアム提督の」
「よく覚えておいででしたね。魔法文化のない、マイナーな世界でしたのに」
「前に彼が飲みの席で言っていたのを覚えていた、それだけだよ。で、どうだった?」
「ああ、酷い有様でした……」
「む、何がだ?」
クロノは顔をそっと横に逸らし、何かを悟りきったような顔でこう言った。
「母が……、日本文化に完全にのめり込んでしまって」
彼の胸中は諦めのそれだった。京都の、それも古き時代の木造建築を見て、歴史を知った母リンディ・ハラオウンはおおいにカルチャー・ショックを受けていた。洋式建築や近代化によってビル群に囲まれた現代において、完全に日本の一角は異世界だったのだ。
「ふむ、それだけなら普通なのでは?」
「家の中を文化品だらけにして……」
「それだけならまだかわいいものだろう?どこぞのアイドルに信奉を捧げるよりはましだと思うがね」
女性というものは何かにはまってしまうと神を信奉するかのごとくのめり込む。自身の信じたものが全てとばかりに肯定し、他者のどんな意見も、もとい都合のいい意見以外は耳に入れようともしなくなる。最も、そういった女性ばかりが全てでないことはランドルもわかっている。
「お茶に砂糖をいれて飲ませようとするんです……」
「……ええっと、それは普通ではないのか?紅茶にもいれる人はいるだろう?」
「いえ、日本のものは茶葉が生なんで基本的に苦いんです。それに砂糖をいれるからとんでもないえぐさが……」
「それはなんというか……ご愁傷様だな」
「憎しみで人が殺せたら……」
「親殺しは大罪だぞクロノ君」
甘ったるい気分になんてなりゃしない。
「そういえば第97管理外世界といえば、次元漂流者が無駄に多いという話は耳にしたことがあるな」
「そうなんですか?」
「どういう因果関係があるのかはわからない。特にその、日本人というのが多いのは知っている。たしか、彼らはカミカクシというんだったか」
「多いということは、彼らは決まってミッドチルダに?」
「あちら側で何人行方不明になってるか知らないだろうが、ね。他所の世界に落ちたとはあまり聞かないな。逆にグレアム氏のように、稀にこちら側から飛んで行くものもいるらしいが」
それは前者に比べれば珍しい部類だ、とも付け加えた。
まるで世界同士が何かの縁でもあるかのような、不気味な気分だ。
「漂流して来た人たちは、どうしてるんです?」
「大半が魔力持ちだから局勤め。それ以外は食堂を経営していたりするよ」
「って、帰してないんですか!?」
クロノは単純に驚いた。
本来次元漂流者を保護した場合は、本人の希望も考慮するが、大体の場合は元いた世界に帰す事になっている。しかし教官の言い方では、まるで勤務を強制しているようにしか聞こえない。
「その通りだよクロノ君。 局は保護と生活保証を盾に局員になる事を強いているんだ。相手が無知なのをいいことにね。ていのいい詐欺か、不平等条約のどちらかだ」
「それだけ局員が不足しいているということだよ。どこも人材確保に躍起になっているから、やり口が過剰になっても誰も気にはしないんだ。綺麗もの好きの君には堪える話かもしれんな」
「清濁併せ呑む、くらいの覚悟はできているつもりです。しかし、管理局員が率先して法を破るのは……」
「強権を維持している管理局が、自身にゆるくないとは誰が言える?我々には、監査を行える別機関が存在していないんだ。お目こぼしくらいしてくれるだろうと、誰もが思っている。管理局の正義のために、な」
「それで」
「ん?」
「それで教官は、訓練校に?」
「……驚いた。よく気づくもんだねそんなこと」
「ただの推理です。幾多の戦術も持ち、天才の教官が訓練校などでくすぶっているわけないでしょうから」
「……買いかぶりすぎだよ。天才であったなら、もっと管理局というものを変えられたはずだ。それがこうして島流し。局の横暴は過剰になり、体制は完全に腐敗した」
組織が腐敗するのは当然の話だ。それが管理局という集権組織であればなおさらである。絶対権力を持ち、自浄作用を起こすべき機関もなく、対外的な監視組織すら無い。上級将校は権力によって横暴を働き、下はそれを止める手段もない。むしろ、管理局という組織が出来て100年に近い期間維持し続けられたのが奇跡なのだ。
管理局は「憧れ」によって支えられているとも言われている。
これは魔法という単一個人の絶対能力を英雄視し、またそれが「正義」だという一般の同一見解によるものだ。魔法が使えさえすれば管理局に拾ってもらえ、才能があれば簡単にのし上がることができる。それは例え難民やストリートチルドレンだったとしても、豊かな生活が保証されることになるのだ。今までの生活に自身が苦慮していた事実も、未だ生活がまともに出来てない人々のことを幻や夢と断じて遠ざけて。
「はっきり言うぞ、クロノ君」
彼は重いクチを開いてこう言った。
「このままだと局は近いうち。そうだな、10年前後で必ず破綻する」
事実上の死刑宣告だった。
「…………」
「いつか、なにがしかの形で手を入れないと持たぬかもしれないな。我々は」
おそらくそれが、クーデターのような形になったとしても。と小さくつぶやいた声は誰にも聞こえなかった。
「しかし、毎度思う事だが君のような若者が戦場に出るというのは見てて歯がゆいものだ」
「相変わらずの幼年期の就業反対派なんですね。僕ほどじゃないですけど、これくらいの年の局員って結構いますが」
今更のことじゃないか?と疑問を投げかける。対して教官はやれやれと首を振った。
「大人でいる時間は50年近くあるのに、子供でいられる時間はせいぜい20年未満だ。……子供なら、遊ぶべきだと思うよ。でないと人生が勿体無い」
「しかし、人材が足りないのは確かです。それに生活基盤の無い子供のための逃げ道にもなるじゃないですか。だからこそ教官は小さい子達を一生懸命育てているんでしょう?」
「……生き残れるようにするために育てているだけさ。子供が散っていく姿を見るほどむなしいことはない。君は該当しない子だったが」
「……すいません」
「責めているわけじゃないさ。だが、管理しきれないほどの管理世界を広げ、人材不足を生み出し、子供にしわ寄せする管理局のあり方を見逃せるほど利口でないだけさ」
「……いつか、改善してみせます。教官の理想を現実にするために」
「ああ、頼んだよ。今の私では所詮脱落兵だからね。口をだすこともできん」
管理局の名の下に集う世界。それらは魔法があるから、という理由で毎年数を増やしていた。それは魔法技術と管理世界数に物を言わせた穏やかな戦争、もとい脅迫であり。政治体系を簒奪して管理局に一本化していた。名目上は「魔法による戦争行為の抑止」であるが、いつの間にか目的が摩り替わり一極支配となっていた。
そのため次から次へと管理世界は増えるのだが、ソレに比例して局員が増える、という事はなく。増え続ける現状に耐え切れなくなって悲鳴を上げているのが今の管理局だ。当然だろう、世界一個増やしただけで惑星一個分の面積が増えるのだ。
そして、それを埋めるべく本局、もとい空の連中は次から次へとミッド地上部隊からの引き抜きを高給と上位階級への昇格でおこなっている。結果、守るべきはずの第一管理世界は戦力ダウンと防御が手薄となる。これは地上本部のレジアス・ゲイズがブチ切れるのも無理は無い話だ。
加えて、局員となればそこそこの給金をもらえるが、そうでない場合はどのような仕事でも大体が薄給となる。これは魔法勢力が肥大化したことにより「魔法至上主義」という思想を生み出してしまったためだ。まるで高度な魔法が使えることこそが高位の人間である証明、といわんばかりに。そのためかミッドチルダには非常に難民、もしくは捨て子が多い。そのせいか管理局がスカウトを前提に運営している孤児院もある。これらの生活保障がない人間はほぼ必然的に管理局に局員として働きに出ざるを得なくなり、就業の低年齢化を招くのだ。管理局側からすれば体の良い局員確保先となっているが、戦争があるわけでもないのにこのような状態を危惧する人々は少なくなかった。とんだ悪循環である。
特にどこから飛んでくるのか、度々次元漂流者と呼ばれる神かくしにあったような人々もおり、局員に保護されなければ難民、もしくは死。保護された場合はその恩義もあるだろうが、生活保障をちらつかせて大体の場合は局員と化してしまう。
ランドル教官も「魔法が全て」という歪みに危険意識を持つ一人だ。しかし局員であった全盛期にそれを声高に叫んだため、爪弾きにあい干されてしまったのだ。エリートコースから外れてしまった彼は局内で居場所を失い、せめて子供が死なないようにと訓練校で教師を務めることにしたのだった。
「旅行の話だったのに、きな臭い話にしてしまったな。しかし、学校に自ら志望してくるものは管理局を憧れでしか見ていなかったり、英雄視する者ばかりだ。そういう意味ではクロノ君には助けられているよ」
「同情します教官。僕も父への憧れで入ったクチですが、事件に関わって、物事を調べていくたびに管理局の黒い部分が見え隠れしていましたからわかります」
「だから、執務官になったのかね……?」
「ええ、そんなところです」
かくいうクロノも相当の現実主義者だ。局員として取れる行動をできる限り取っていても、理想を建前に見たくないことから目をそらす、という事は決してしていない。マジメゆえに直面する事実を真っ向から受け止めたり子供の頭の硬い部分はまだ残っているが、相応に優秀だからこそ今の立場にある。
――パァン!!
「……ん?おお、いたいた。あそこだよクロノくん……って、んん?」
窓の外、グラウンドに向かってスッと指をさす教官。向かう先には――
「……人の、……山!?」
積み重なった訓練生達で死屍累々となっていた。