少し長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
太田川駅から名鉄線に乗車し、その隣駅、南加木屋駅で下乗する。そして、改札をくぐり少し歩けば、そこは辺り一面に畑が広がる田舎道だ。土に撒かれた肥料の、鼻をつんざくような刺激臭に当てられ、そこからさらに長い畑道を超えていけば、大きな池が目印の公園に景色が移り変わる。池は橙色に染まった空を反射しており、荘厳な印象を醸し出していた。
『中ノ池公園』だ。
だが、蜜柑色の髪に黒のリボンを着けた少女は交通の便を利用せず、太田川の自宅から、ある人物を尾行し徒歩で半刻を経てここまでやって来たのであった。
中野家の四女、四葉だ。
四葉は、胸元の緑のラインに『428』とプリントされた、七分袖の白いシャツに、黒のパンツを穿いて、現在、茂った草木の中へ身を屈めていた。
その理由は目前の池を挟んだ向かいの道にあった。
彼女の青色の瞳が映しているのは、スポーツウェアを着てジョギングに励む一人の少女。引っ張られたように纏まって結われた赤毛の髪に、星型の髪飾り。四葉と同様に青色の瞳を有した、可憐な容姿。
中野家の末っ子、五女の五月だ。
最近、日が暮れるとこっそり家を抜け出す五月に不審を抱き、後を追いかけてみれば。
四葉は顎に指を当て思案し、一つの結論に至った。
「五月が、ダイエットしている……」
確かに、思い当たる節があるにはある。
それは、五姉妹で体重計に乗った時のこと。
五人の総重量は二百五十キログラムだったが、一人五十キログラムという訳ではない。四葉の体重は事実それを下回っている。
五つ子と言えど、例え、遺伝によって容姿や身長、バストが似ようとも、それにとらわれないのが体重である。こればかりは日頃の生活習慣が影響してくる。
当時は、五月の有無を言わせぬ文言の迫力と、表情に威圧され、
「なんと、綺麗に五で割り切れますね。一人五十キログラムは、ほぼ女子の平均体重で健康的です。それでいいですよね」
と、その場は収められてしまったが、どうやら彼女はそれを引きずっていたらしい。
「うーん、二乃も肉まんお化けって言ってたし」
「四葉? そんな場所で何しているのですか」
「うわぁ!」
突然頭上から声を掛けられて、驚嘆のあまり叫び声が上がった。見上げると、額に汗を浮かべた五月が草を捌けて覗き込んでいた。
「い、五月? どうして私がここに居ると?」
その問いに、四葉の頭上へ人差し指を向けると、五月は呆れ顔で応答した。
「それで隠れているつもりだったのですか。リボン、丸見えでしたが」
「ああ、頭隠してリボン隠さず……、上杉さんにも同じこと言われたよ」
四葉は溜息交じりに笑いながら、茂みを跨いで五月の隣に移動する。
「それで、四葉はこんなところで何をしていたのですか?」
「いやあ、五月が最近夕方になると、こっそり家を出ていくから、心配でついてきたんだけど、まさかダイエットしていたなんてね」
五月は、ライターが点火したかの勢いで頬が赤く染まった。
「べ、別に、ダイエットしていた訳ではありません。これは、そう、走りたい気分だっただけです」
四葉からそっぽを向き、核心を抉られた五月は、必死に言い訳を見繕う。しかし、そんな彼女の羞恥心を一切考慮せず、四葉は彼女の手をがっしりと掴んだ。
「そうだ! 私も手伝うよ、ダイエット」
眩しいような眼差しを向け、四葉は笑みを湛えて続ける。
「期末試験の時、五月には勉強教えてもらったし。そのお礼」
「だ、だから、ダイエットじゃないって言ってるじゃないですか。それと、このことは他の姉妹には内緒にしてください」
「わかった、わかった」
四葉はその場から、くるくると回って進み、五月に振り返る。
「ほら、はやく行こ」
「え、そのまま走るんですか、って、前見なきゃ危ないですよ」
私服のまま駆け出そうとする四葉に、目を丸めて驚いているのも束の間。へーき、へーき。と快活な笑みを浮かべる目前の彼女は、池の柵に躓き、体制を崩してそのまま——、
「四葉!」
「なんちゃって」
ぴたっと、仰け反りながらも静止し、意地悪な笑みを返した。
四葉にとっては唯一の妹で、からかいがいのある、真面目で不器用だが、可愛げのあるそんな人物なのだ。
「もう。いい加減にしないと怒りますよ」
五月の抗議に、ししし、と笑いながら、二人は公園内のジョギングを再開した。
中野宅。
中ノ池公園から、四葉と五月は行き同様に歩いて帰宅した。順番に風呂を済ませ、後から入浴した五月が上がる頃には、リビングは食欲を湧きたてられる香りに包まれていた。
「この匂い、夜ご飯はカレーですね」
寝巻に着替えた五月がテーブルに駆け足で近寄ると、彼女の鼻が正確に捉えた通りに、夜ご飯の献立はカレーライスであった。それを、赤の体操服ジャージを着用した、二人の姉が配膳している最中である。
一人は、桃色の髪を肩口まで伸ばし、黒をベースにした翅の内側が青い蝶の髪飾りを、頭部左右に留めた少女。もう一方は、その少女より若干薄い桃色の長髪で、首元にヘッドホンを装着している少女だ。
中野家の次女、二乃と、中野家の三女、三玖だ。
二人とも瞳は紺碧色であり、姉妹は皆同様の色を有していた。
「一花は女優の仕事?」
一足先にテーブルに着席していた四葉が聞くと、三玖がそれに応答した。
「うん。遅くなるって。——それより、今日のカレーは私が作ったの。食べてみて」
「え」
四葉はおっかなびっくり声を漏らした。それもそのはずで、三玖はお世辞でも料理が得意とは言えず、そのセンスは壊滅的であることを四葉が最も理解している。彼女が調理した料理を事あるごとに試食させられてきた四葉は、一番の被害者と言えるだろう。
それを聞いた二乃は、三玖の隣でうんざりした視線を投げた。
「なに言ってるのよ。ほとんど作ったのは私じゃない」
「そんなことない」
三玖の反感に二乃がすらっと伸びた指でさす。
「じゃあ、何したか言ってごらんなさいよ」
「野菜切った」
「あんた、ぶきっちょな形に野菜切って、隠し味に味噌入れようとしただけでしょ」
カレーを食べていた四葉は、それを聞いて驚愕し面を上げた。
「え、このカレー味噌入ってるの?」
「なわけないでしょ。全力で止めたわよ——って、五月、もう食べちゃったの。まったく、貸しなさい。おかわり、入れてきてあげるわ」
四葉の隣に座った五月の皿に目を向けると、既に食べ終えた後であり、本人は何かをぐっと、堪えるような表情をしていた。二乃は訝しみながら空いた皿に手を伸ばすと、
「ああ、まってください。実を言うと私お腹がいっぱいでして」
五月は焦燥に駆られたように、言葉を捲し立てた。が、その間に割って入ったのは三玖だった。
「五月、もしかして、美味しくなかった」
「い、いえ、カレーはとても美味しかったですよ、で、ですが、お腹がいっぱいでして、と、兎に角、ごちそうさまでした」
五月は食器を流し場に運ぶと、そのまま急いで部屋に戻ってしまった。
一秒、沈黙が訪れると、それを破るように、二乃が椅子を引っ張って着席した。三玖もそれに倣い、腰を下ろす。
「やっぱり、あの子最近変だわ」
「うん、最近、食べる量減ったよね」
「やっぱりダイエットかしら、せっかく五月の好きなカレーにしてあげたのに」
二乃と三玖の会話を、四葉はカレーをぱくつきながら耳朶で触れる。五月の事情を知っているだけに、ここは話すべきか悩むが、彼女から秘密にしてくれと釘を刺された以上は、控えたほうがいいだろう。
三玖はカレーを食べ始めて、ぼそりと呟いた。
「ドメスティックバイオレンス肉まんおばけ」
「ノーコメント」
二乃はバツが悪そうにそっぽを向いた。
就寝前、机に向かって勉強をしていた五月の耳に、控えめなノック音が響いた。それを合図に勉強を切り上げることにして、掛けていた眼鏡を外し、ケースにしまった。
「はい」
ドアを叩く音に応答すると、ゆっくり扉が開き、そこから四葉が顔を出した。
「四葉、どうしました?」
扉を閉めてから、熊の着ぐるみが口を開く。
「五月、明日ジム行こうよ」
「ジム、ですか」
「うん、ジムのほうが色んなトレーニングできるし、勿論、走ることもできるよ。公園よりかいいんじゃないかな」
五月は少し思案して、彼女の誘いを承諾した。
「いいですよ、そっちのほうが楽しそうですしね」
「うんうん。じゃあ、また明日ね、お休み」
「はい、おやすみなさ——」
五月は熊の背中を見送りながら、ふと、頭に過った。呼びかけて、引き止める。
「四葉」
「ん? なに」
「蒸し返すようで悪いのですが、上杉君のことは本当にもうよいのですか」
何故、急に思い出したのか本人自身も理解していないが、脳裏に浮かんだのだからしょうがない。五月は八年前のことを聞かされているから——、
「えー、またそれ。もう別に上杉さんのことはなんとも思ってないよ」
「——そうですか。呼び止めてすいません。おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
五月は彼女が部屋から退出するのを見届けると、机に取り付けられたライトを消灯する前に、視界の端に置いといたスマホを手に取った。アイコンをタップしてスクロールし、五月の指が捉えたその画面に映っていたのは、五つ子のパートナーのメールアドレスだった。
翌日の正午過ぎ。
二人は地元の地区センターに足を運んだ。受付をし、更衣室で着替えを済ませその場を後にすると、四葉の前に意外な先客が現れた。
黒色の短髪、人相の悪い尖った目つき、普段は制服ばかり着ているが、今回は珍しくスポーツウェアに着替えている。
五つ子の家庭教師であり、同級生の上杉風太郎だ。
「上杉さん。どうしてこんなところに?」
四葉が目を丸めて彼に問うと、風太郎はけだるそうに、彼女の後方で立っている五月を指さした。
「そいつに聞いてくれ」
四葉が振り向くと、五月は僅かに視線を逸らした。
「別に、日頃勉強ばかりで運動不足そうだったので、気にかけて誘ってあげただけです」
「せっかくの休日をどうしてくれるんだ。らいはまで使うとは卑怯だぞ」
「あ、あなたが断るからいけないのですよ」
昨夜、就寝前に誘いのメールを送信したのだが、『勉強がしたいから断る』と一蹴されてしまった。しかし、五月とて、滅多に男子を誘うなどせず、勇気を振り絞った挙句、断られたとなっては意地を張ってしまう。風太郎の妹を使った搦め手を行使してでも、強引に連れてきたのであった。
「五月……」
彼女の部屋を退出する際にかけられた言葉が蘇る。
四葉は複雑な表情で五月を見た。
——私だけ特別なんていけないよ。
そんな四葉の胸中を見透かしたように、五月は頑として主張した。
「これは私が誘いたくて誘っただけですので、四葉が気にすることではありません」
五月はそう言って、すたすたと歩きだしてしまう。
「まあ、折角来たんだし早く行こうぜ」
そうして、風太郎はこう続けた。
「四葉、おまえこういうのは得意か? よかったら教えてくれ」
彼は、家庭教師として働きだした頃に比べ、心境には大分変化があった。それは、彼の数少ない男友達が口に出して、認めるほどである。今の風太郎は五つ子の誰かと居る時に、楽しいと感じられる。
「はい、勿論ですよ!」
そんな彼の申し出に、四葉の辛気臭い表情は一瞬にして、頬を朱に染め快活な笑顔に変わるのだった。
それを、歩みを止めて振り返り、遠巻きから眺めていた五月は、どこか切ない表情で呟いた。
「——嘘つき」
——一体、いつから私の姉妹たちは彼に籠絡されてしまったのでしょうか。
そんな彼女の先を案じる不安に、これからどうなっていくのかは、まだ誰もわからない。
トレーニングルームに移動すると、そこは様々なフィットネス器具が点在していた。その器具を操る、筋骨隆々の逞しい青年や初老の男性の姿、引き締まったモデル体型を保持した、若い女性の姿があちこちに見受けられる。
「上杉さんもあれくらい筋肉つけたほうが男らしいですよ」
四葉の何気ない一言に、風太郎は自分のやせぎすな体を比べて気落ちした。
「いや、流石に無理だわ」
「あの、私、ランニングマシンのほうに行ってきますね。筋トレがしたいとか、そう言う訳ではないので、二人で回っていてください」
五月は二人を置いて、目当ての場所に歩いて行ってしまった。確かに、ダイエットが目的であるなら、大仰な腕や足の筋力上げなど必要ないのだろう。
「それじゃあ、俺たちは目に映ったやつから、手あたり次第攻略していくか」
風太郎はそんな彼女を気に留めず、四葉を連れてとりあえず近場の器具から手を付けることにした。特に目標の無い彼にとっては、ある意味、トレジャー感覚に近しいのだろう。
そんな彼が最初に選んだのは『ローリアデルト』という、大胸筋を鍛えるマシンだった。
「んー、なになに」
四葉がマシンの説明書きを覗き込む。
「シートを調節してハンドルを肩と同じ高さにします」
風太郎は、座席に腰を下ろしその通りに高さを調節、そして『U』の字が逆さになった宙づりのハンドルの高さを調整する。
「手が楽にハンドルへ届く位置にまで胸パッドを調整します」
眼下の三角型のパッドを、ハンドルを持った時に腕が曲がらない程度の位置に調節する。
「肘が背中に並ぶまでハンドルを引き寄せて、ゆっくりと戻す。これを繰り返すそうです。重石一つは簡単そうですので、重石三つでやってみましょうか」
「ふっ、任せろ。これくらい余裕だ」
はたして、風太郎は左右のハンドルを握ると、万力の力を込めてそれを背後に引っ張った——!
「——上杉さん?」
だが、無情にも結果は、彼の腕が生まれたての小鹿のようにプルプルと震えるだけで、重石を持ち上げることは叶わなかった。
「ふ、ふぅ。落ち着け、力学的に考えて、一番効率的なのは……」
「それ、デジャブですよ」
結局その後、悪戦苦闘するも意地を見せられず。目の前で、重石を四つに変更した四葉が軽く持ち上げているのを見て、敗北感を植え付けられたのだった。
他にも、様々な機械にチャレンジするが、運動は不要と切り捨ててきた勉強星人にとって、それは艱難辛苦の茨道であり、
「よし、次あれやろうぜ」
息も絶え絶えに、汗に濡れた指でベンチプレスをさすが、
「あれ、下手したら首の骨折って死にますよ。上杉さんはやめたほうがいいです」
四葉から、普段滅多に目撃することのない素の表情で警告をされ、意気消沈したのであった。
「あっ」
持久力のある四葉を残して、一足先に休憩に入ると、そこのベンチには先客が居たようで、タオルで汗を拭っていた五月と鉢合わせた。
「俺よりも先に休んでいるとは、おまえもなかなかのヘタレだな」
風太郎は皮肉めいた笑みを浮かべ、五月の隣に腰を下ろした。
「ち、違います。ランニングマシンは時間制で、最大でも三十分経ったら、次の方に譲らなくてはならないのです。それに、あなたこそヘタレではないですか。見ていましたよ、筋トレに励む様子を。随分と情けない姿でしたが」
「な——っ、ま、まあ、あんなの人生に置いて、なんら意味を持たない行為だし、できなくて損をすることなんてないね」
「そうでしょうか、体が丈夫な逞しい男性には頼りがいを感じるというものです。例えば、重たい荷物を気兼ねなく持ってくれる方など、女性にとっては有り難いというもの。あなたも今後、女性とお付き合いする機会があれば、自ずと筋力が必要になるのでは」
「現代には、充実した配送サービスっていうのがあるんだ。大事なのは、そういったサービスを躊躇することなく利用できる財力だね」
「あ、あなた、ろくな人間になりませんよ」
二人は犬猿の仲というか、顔を合わせれば、毎度のようにいがみ合う間柄だ。出会った当時、食堂で偶然相席なったあの日、初対面の五月に勉強を教えてくれと乞われ、それを跳ね除けていなかったら、こんな関係には、至らなかったのかもしれない。
風太郎は席を離れ、目前の自販機に寄ると、通常より若干高い値段を見て、予めズボンのポケットに入れておいた小銭へ伸びた手を止めた。
「ところで、今更なんだが、なんでジムなんかに来たんだ」
「それは……」
本来の目的はダイエットだが、それを同級生の男子に言うには抵抗がある。目的に代わる理由を不覚にも用意していなかった五月にとって、返答には暫しの時間を有した。
風太郎は結局、陳列された商品の中で一番安い水を購入した。ガシャンと音を立てペットボトルが落下する。
「まあ、大方ダイエットだろ。焼そば五人前も注文することがおかしいってことを、ようやく理解したか」
「いや、あれは誤解だと言ったじゃないですか。ていうか、本当にあなたって人は、デリカシーのない人ですね」
ペットボトルの蓋を開け、水を口腔内に含む。そして、頬を膨らましてそっぽを向く五月の隣に再び腰を下ろすと、
「別にいいんじゃねーの、そのまんまで。今のままでも十分、その、ス、スタイルいいと思うし。気にするほどのことじゃないと思うぜ」
「——え」
五月は面食らったように、その碧眼を見開いた。振り向くと、彼は照れ隠しからか、前髪をいじって、表情を隠している。
「そ、そうですか……」
——何故だろう。頬が朱くなる。
「じ、実を言うと、私も今日で最後にするつもりだったのです。ですので、体系を気にしているという訳ではなくてですね」
「そうかよ——。四葉を一人にしておくのも可哀想だし、少し様子見に行ってくるわ」
「——。」
『百歩譲って赤の他人』。
そこからスタートした二人の関係は、今では更新され、五月も彼を『友達』として認めている。長い付き合いを経て、生徒と家庭教師の枠では収まらない、特別な友情を既に得ている。
彼の背中が遠く離れたのを確認すると、五月は俯きながら呟いた。
「——ありがと」
顔を合わせれば、いがみ合ってばかりだろうと。
たまに、意見が衝突しようとも。
この国には、喧嘩するほど仲がいい。なんて言葉もあるのだから——。
帰路についた一行は、途中、風太郎と別れて自宅に帰宅した。昨日と同じ手順で風呂を浴び、少し間を置けば夕飯時。
五月が食卓に足を運ぶと、そこには皿いっぱいに盛られた、ドーナツが——。
「うわぁ、凄いね」
そう感想を述べたのは、三女よりもさらに髪の色が薄く、ショートカットで切り揃えた髪、右耳に付けたピアスが光る、中野家の長女、一花だ。
「カレーまだ残ってるのに、ドーナツとサラダチキンまで。かなり豪勢だけど今日って何かあったけ、二乃」
一花はにまにまと笑みを浮かべながら二乃を見つめる。蝶の髪飾りを着けた少女は見透かされたようなその表情に歯痒くなる。
「五月! これはおからで作ったドーナツだから多少は食べ過ぎても気にしなくて大丈夫よ。それに、サラダチキンだってカロリー低いんだから、思う存分、食べたいだけ食べなさい。その、——私も付き合ってあげるから」
約半年前、五月と喧嘩した際に彼女へ放った罵倒を二乃は思い出した。五月の行動が、その発言によるところかは定かではないが、二乃は負い目を感じずにはいられなかった。
「二乃……、ありがとうございます。ですがもう大丈夫です」
そんな心配を吹き飛ばすように、五月はとびきりの笑顔を向けて言ったのだ。それは長女や次女が思わず赤面するほどだった。
「ドーナツは勿論戴きますが、カレーも食べていいですか。二乃」
「あ、あたりまえじゃない。少し待ってなさい」
二乃が嬉々としてキッチンへ向かう途中、四葉の悲痛な嘆きがリビングに響いたのだ。
「うー、何だか今日のカレー美味しくない」
「えー、どれどれ」
「む、そんなことないはず」
一花、三玖が四葉のカレーにスプーンを伸ばして、口に運ぶ。
「ほんとだ、変な味するよ」
「おいしい」
カレーは二日目のほうが美味しい、なんて言われるくらいだ。三人の感想に訝しみながらも、二乃がカレーを味見する。すると、四葉や一花と同様の感想を抱き、思わず舌を出した。
「ちょっと三玖、あんたもしかして味噌入れたでしょ」
「うん、隠し味」
「なに勝手なことしてくれてるのよ、これじゃ食べられないじゃない」
三玖のドヤ顔に頭を悩ませられる二乃。
「私、ドーナツ食べる」
「私も」
四葉と一花がカレーを諦め、ドーナツに食指が移る。それを眺めて、三玖は拗ねながら抗議した。
「みんな味音痴」
その瞬間だった。
「美味しいですよ」
その声の主を姉妹全員が驚愕のもと、一斉に仰いだ。三玖は目を見開いて五月に問うた。
「五月、本当?」
「はい、おかわり貰ってもいいですか」
五月は四葉が放棄したカレーを平らげると、それを見た三玖は、胸の前で両の拳を握って喜んだ。
その後、鍋の中に残っていた半分以上のカレーを、他の姉妹が引くほど五月はおかわりしまくり、彼女のダイエットは幕を下ろしたのだが、このことは上杉風太郎には内緒である。
五月にはただひたすらご飯食べていてほしいです。五月はご飯食べているときが一番可愛い気がするので……。
最後まで読んでいただきありがとうございます。