スカボローフェアを聴きながら   作:Ghotiolo

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 ご無沙汰しております。
 やらないといけないことを忘れていたので、ちょっと足踏みさせてください。


ムーンダスト-1

「ずいぶん昔に―――――から聞いたのだけど、百年先の未来には青いカーネーションがあるんですって」

 

 穏やかな昼下がりのことだった。

 子供たちは小さなダニーと庭を駆け回り、あるいはティアを膝に乗せたまま、一緒に花冠を編んでいる。私と彼女は玄関の日陰に腰掛け、その間に置かれた揺りかごに納まったアレクシスの淡い色の瞳には、空の青が映り込んでいた。

 

 私は揺りかごを揺らす手を止めぬまま、彼女の横顔を見つめた。日々の暮らしによって刻まれた目尻や口元のしわが、温かな微笑みによって深みを増している。重ねた年月の美しさは、彼女を柔らかく(いろど)っていた。

 

「青いカーネーション? 染めたのではなく、ということか?」

 

 青い花を咲かせるカーネーションの品種は、私が知る限り存在しない。

 寡聞ゆえ、青い薔薇(不可能)の実現のように園芸家たちが狂気に取り憑かれているかは知らない。だが今この時代に鮮やかな青いカーネーションを見かけることがあるとすれば、それは白い花に色水を吸わせたものだ。

 

「ええ。青と言っても真っ青ではなくて、紫に近いらしいのだけどね。なんでも交配によるものではなくて、ペチュニアやビオラが持っている青い色素をつくる仕組みを取り出して、それをカーネーションに与えて実現したのだとか」

「まるで妖精が枯れた花に命の時間を与えるような話だな」

 

 それがいびつに枯れ落ちないのであれば、百年後の人間は妖精よりも生命の神秘に近づいているのだろう。ロビンも―――――も、自分たちが起こしうる事象とその限界は経験によって知っていても、その原理にはさして詳しくないのだから。

 

「ただ、自然の中で生まれたものではないから、取り扱いも厳しいらしいわ。ほかのカーネーションと交雑が起きないように、種をつけないように加工して、根も切って。次の代を残せない状態にして売られているんですって」

 

 言いながら、彼女はアレクシスの頬を指先で撫でた。唇を鳴らしながら不思議そうに見上げるこの子へと、柔らかな笑顔を返す。

 

「そういうのも、根無し草、と言っていいのかしらね。根を張ることなく、人の世を流れていく花のことも」

 

 何てことのないように語る彼女から視線を外し、私は自身のつま先を見つめた。

 

「……ルイス?」

「いや、未来というものが……そう、少し恐ろしいなと。そう感じてね」

 

 親友たちや弟の忘れ形見、それから身寄りのない子供たちを引き取り、共に暮らすようになって二年近くが過ぎた。

 マリヤが逝き、後を追うようにニコラスが失踪して、それきりロビンも姿を見せなくなった。大学の研究室の面々や援助していた資産家たちにも不幸が相次ぎ、担う者のいなくなった妖精の研究は形骸化したと聞いている。ニコラスが失踪した直後、彼の自室に残された見慣れた筆跡のレポートは、彼らが何に手を出したのかを類推させるには充分であった。ニコラスがサイモンをロンドンへ追い出したのは、あの狂気に関わらせたくなかったからなのだろう。

 

 一方で、時間は子供たちに確かな癒やしをもたらしていた。最初はぎこちなかった皆も打ち解け、今はよく笑顔を見せてくれるようになった。

 ユーリヤとルーリンツはお互いに刺激を与え合いながら日々成長している。ユーリヤに甘えていたマリーは、最近ではユーリヤの真似をするようにロージャの面倒を見ている。ニルスは相変わらず本を読むことを好んでいるが、ルーリンツやハーマンの後ろを追いかけることも同じくらい好きになったらしい。年齢不相応なほど器用すぎるがゆえに一番の気掛かりであったハーマンも、すっかり皆に馴染んでいる。あの子の環境への適応力は、良いかたちに働いてくれたようだ。

 

 そのような中で、私もまた昔のままではいられなかった。

 臆病に、なった。

 そう自覚する程度には、選択を躊躇うことが増えた。

 かつての私であれば、彼女の話す未来に目を輝かせていただろう。だが今は違う。本来咲かないはずの色を別の花から移し、種をつけないようにする。妖精の業に手を掛けるようなその話に、言いようもない不安を抱いてしまうほどに。

 

「……大丈夫よ、ルイス」

 

 横から伸ばされた白い手が、揺りかごを揺らす私の手に添えられた。思わず隣を見つめれば、彼女はほころぶように笑顔を浮かべた。もう会うことの叶わない親友の面影が色濃く残る、安堵するような笑みを。

 

「今を生きる私たちには見ることも叶わないものが、未来では観察されて、理解されている。それは進歩しているということでしょう? たどり着くまでの百年の間に、大きな苦難も待ち受けているのかもしれないけれど、それでも光明は確かにあるのだと、人は前を向いて進んでいけるのだと信じていいということだもの」

 

 楽観的過ぎるかしら、と笑う彼女に、首を横に振ってみせた。胸の内で渦巻く不安は消えはせねど、ゆっくりと凪ぎ、落ち着いていく。

 彼女はいつだって、迷う私の前を照らして道を明らかにしてくれる。

 だからこそ、守りたいと思ったのだ。雲間に隠されてしまう月のように、優しすぎるがゆえに傷つき曇りやすいこの笑顔を。かつてはそのために自ら手を離して、今は手をつなぎ隣にいることを選んだ。その選択は間違っていないと断言できる。私たちの間で揺りかごに揺られているこの子が何よりの証だ。

 

 ―――――には感謝しなければならない。友人としての強い後押しと、人ならぬ者としての祝福と加護がなければ、私たちはこんな風に、何のわだかまりもなく笑い合うことはできなかっただろう。

 

「いいや、そうだな。そう信じよう。そしてそうあれるよう、導いていこう。この子たちが、幸せになれるように」

 

 世界の綺麗なところだけを知って生きてほしいと願ったところで、それは不可能なのだ。子供が大人になるにつれて、いつかは他人の、そして自身の中にも確かに存在する暗い感情を思い知ることになる。

 だから、それに負けないように。たとえ泥濘に足を取られたとしても、そのまま沈むことなく進めるだけの強さを、この子たちに。

 

「私たちが実物を見ることはないけれど……この子やみんなは、いつか青いカーネーションを贈られることもあるのかもしれないわね」

 

 その言葉に、思わず笑みがこぼれた。

 さすがに百年以上生きるのは難しいのではないかと思うと同時に、それ以上に有り得ないなどと言いたくはなかった。この子たちの命の時間は、紡ぎ出されたばかりなのだ。

 

「西暦2011年の世界か。想像もつかないな」

「ふふっ、そうね。二十一世紀かぁ……月世界旅行だって本当になっていそう」

 

 

 彼女と一緒なら、たとえどんな未来が待ち受けていようとも進んでいける。

 そう、信じていた。

 

 

「なあ、マルガレータ。そのカーネーション、売られているというなら品種として確立しているのだろう? なんという名前なんだ?」

「あのね、やさしい月の光をイメージしてつけられたそうなのだけど――……」

 

 

 

 

 

 

 

 そして、我に返る。

 

 あなたは深く息をつき、揺りかごの残骸から手を離した。

 二階の物置の奥、暗がりと荷物の間に押し込められたそれは、もはやその役目を果たすことはない。足は割れ、かごは底板が腐って抜けていた。

 

 過ぎゆく時間のもたらした風化は面影さえ失わせ、当事者さえもかつての日々を偲ぶことは難しいだろう。

 

「……、…………」

 

 あなたは緩慢に、顔を押さえた。

 黒猫の時と同様に、思い出の輪郭は急速にぼやけ、定かではなくなっていく。それでも確かに心に残る風景があった。明るい昼下がりの庭と、楽しそうに遊ぶ幼い皆の姿。そして胸の内で燻り続けていた焦燥や不安と、それを魔法のように落ち着かせてくれた、隣の女性の微笑み。

 

 ひどく幸せな光景だった。

 それが既に欠け、もはや戻ることはないと、どうしても信じ難いほどに。

 

 

 なぜ、あの人はいなくなってしまったのだろう。

 

 

 あなたは振り払うように首を振った。自問したところで答など出ず、遺された当事者たちに話を聞くような不躾な真似などできるはずもない。

 

 きびすを返して間口をくぐる。敷居をまたいだ時、革靴の先が何かを蹴飛ばした。

 硬い音を立てて廊下を滑り、壁にぶつかって少しだけ跳ね返り、そして止まる。(しゃく)(どう)に鈍く輝くそれを、あなたは拾い上げた。

 

「これは……」

 

 


 

 

 ことの(ほっ)(たん)は、十月最後の日に開かれる演奏会に向けて、音楽堂の二階の窓を修理した時のことだ。

 

 

 “コインはもう、見つかったかしら?

 

 ・私が大好きな場所。風にのって

  音楽が聞こえてくる気がするの

 

 ・2、3、1、4と叩いてみて

  貴方にも、きっと演奏できるから

 

 

「……、…………?」

 

 開いたメモホルダーをみんなで覗き込んで、その場にいる三人と一匹が揃って首をかしげた。

 ハンターはメモ用紙をぱらぱらとめくり、美しい彫金が施された(ふた)を閉じたり開けたりして、それからちょっと眉根を寄せた困り顔を私たちの方に向けた。

 

「心当たりはあるか?」

「内容についても、このメモ自体についてもさっぱりだよ。窓の下に棚があるってことも、僕はぜんぜん知らなかったしさ」

 

 うーん、とあごに手を当てて考え込むハーマンの顔は冴えない。

 

 開きっぱなしになっていた窓の留め具を修理して、ついでに室内の掃除もばっちり済ませた。最後に換気のために開けていた窓を閉めようとした時にハンターが見つけたのがその下の棚と、このメモホルダーだった。

 

「アレクシスはなにか知ってるかい?」

 

 ハーマンにそう訊かれて、私は答えに困ってしまった。

 ここにメモがあったことは知らなかったけれど、コインのことやこれを誰が書いたのかは心当たりがある。でも、それをどう伝えたらいいんだろう。みんな、あの人のことはすっかり忘れてしまっているのに。

 答えあぐねているうちに、私も知らないのだと二人は判断したらしい。ハーマンはハンターからメモを受け取り、確かめるように紙面をなでた。コイン、演奏、と内容を小さく呟いている最中、その目にぱっと閃きが走る。

 

「もしかしたら、下はあのシロフォンのことかもしれないな」

「しろ……?」

「シロフォン。ほら、あれだよ」

 

 ハーマンはメモホルダーをハンターに返して、壁に寄せられた鍵盤打楽器を指差した。飴色の鍵盤は、うす明るい照り返しに柔らかく光っている。

 

「鍵盤に1から5までの数字が貼ってあるんだけど、オクターブごとでもないし、演奏用のガイドって感じでもなくてさ。なんのためにあるのか気になってたんだ」

「おくた、って何だ?」

「オクターブ。ある音から、違う高さの同じ音までの単位、って覚えておけば大丈夫かな。これで言うと、下の段の鍵盤八つ分だね。ここから、ここまで」

 

 ハーマンは定位置に戻しておいたマレットを手に取ると、ドレミファソラシドと順々に叩いてみせる。なるほど、とハンターはうなずき、そしてまた首をひねる。

 

「それで、演奏すると、なんでコインが見つかるんだ?」

「さあ……」

 

 その時、頭の上のエビーがぺちぺちと尾を振った。

 

 

  あのね

  がっきから なんだかすこしだけ へんなかんじがしてるの

 

 

 変な、かんじ?

 エビー自身、ちょっとよく分かっていないみたいだ。言いあぐねるみたいに言葉にならない銀の光をこぼしながら、口先をもじもじしている。

 

 

  あのひとが もってるものもね おなじよ へんなかんじ

  がっこうのなかでも たまにかんじることが あるけれど

  あれくしす あなたと おなじちからだとおもう

 

 

 私と、同じ。

 ハンターの持っているメモホルダーをもう一度見る。これを残してくれた人は今、赤い指輪に無理矢理命をつなぎ止められている。そしてユーリヤ以外のみんなは、あの人のことを忘れてしまった。

 もし、これが妖精の仕業のように、整合で隠されてしまっているなら。

 

「……ん? どうした?」

 

 ハンターの手からメモホルダーを取り、横についていたペンをめくったメモの二枚目に走らせた。

 

 

 “内容については分からないけれど、このメモを書いた人が誰か、心当たりがあるの。”

 “叩いてみていい? 悪いことは起きないと思うから。”

 

 

 ふたりは顔を見合わせた。困ったように首をかしげるハンターに、ハーマンは笑って頷いてみせる。

 

「そうだね。とりあえず試してみようか。はい、これ」

 

 渡されたマレットを意識を込めて握り、2の紙が貼られた鍵盤に下ろす。

 軽く叩いた瞬間、どこからともなく短いメロディが流れた。

 思わず手が止まり、隣でこちらを見ていたハンターの周りの空気が、ぴり、と一瞬で張り詰めた。

 

「え……わあっ?」

「静かに」

 

 私とハーマンをまとめて背中側に押しやり、シロフォンを鋭く睨みつける。その手にはいつの間にか、ぼろ布が巻かれたギザギザ刃の刃物があった。刃の部分だけならノコギリのようにも見えるけれど、背に沿うように取り付けられた柄では、木はちょっと切りづらそうだ。

 

 ハーマンと重なった体の半分がぞわぞわするのに身震いしながら、私は手の中のマレットをまじまじと見つめた。

 ……一回しか叩いてない、よね?

 

 

  きれいな せんりつね

 

 

 い、一回しか叩いてないよね……?

 

 ハーマンは目を白黒させて、ハンターの肩越しにシロフォンを覗き込んだ。

 

「もしかして、なにかあった?」

「あった。あったんだが……あー、アレクシス」

 

 ハンターは警戒を解かないまま、困ったように眉尻を下げてこちらを見た。楽器のことはぜんぜんみたいだし、どう説明すればいいのか分からないんだろう。

 

 

 “指示通りに2の鍵盤を叩いたら、スカボローフェアのさわりが流れたよ。”

 

 

 メモを読みながら、ハーマンは口元に手を当てた。

 

「うーん、ハンターさんとアレクシスには聞こえて、僕には聞こえなかったってことは、なにか不思議な力が働いてるんだろうけど……」

 

 私は続けて、その下に書き足す。

 

 

 “ハンターおねがい、最後までやらせて。”

 “だいじょうぶだから。”

 

 

 ハンターは眉根を寄せて、私をじっと見つめる。やがて大きく息を吐いて、持っていた刃物を手品で片付けた。

 

「……何かあったら、もう近寄らせないからな」

 

 でも。私だって、譲りたくない気持ちの時はあるのだ。

 

 

 “叩いた以上の音がする以外なら。”

 

 

 むすっと腕を組んだハンターを横目に、私はもう一度、マレットを鍵盤に振り下ろした。

 指示通りの鍵盤を叩くたび、短いメロディがぽろぽろと流れ出す。最後の鍵盤を叩き、その余韻が途切れたあと。

 

 かちゃん、と軽い金属の音がした。

 拾おうとした私を制して、ハンターがシロフォンの下に屈み込んだ。立ち上がったその手の中で、(しゃく)(どう)(いろ)が鈍く輝く。

 

「コイン、だな」

「本当に見つかった……」

 

 装飾のないシンプルなデザインで、真ん中に大きく7と書いてある。ひっくり返した裏には、行儀よくお座りする猫のシルエットが打刻されていた。

 

「……あ、これ」

 

 そんな声を上げて、ハンターはもう片方の手を軽く振った。灰色のさざ波の中から現れたのは、同じ見た目のコインだった。刻まれた数字はそれぞれ8と2だ。

 

「片方は医務室を掃除していた時に、もう片方は二階の倉庫で見つけたんだ。ルーリンツに訊いても知らないようだったんだが」

「お金ではないし、記念メダルかな? それにしてはだいぶシンプルだけど……うん? アレクシス?」

 

 二人の間で小さく手を上げれば、エビーもあわせて小さな体を振ってくれている感触があった。

 

「これについても、心当たりがあるのかい?」

 

 ハーマンにも伝わるよう、エビーと一緒にこっくりと大きく頷いてみせる。

 

 あの時はすっかり忘れて時間を渡ったせいで、私の手元からなくなって、それきりになってしまったのだけれど。

 あの人からの挑戦状、今はどこにあるんだろう?

 

 

 

 

 

 

「これ、ずっとここにあったのかい? どうしてだろう、言われるまで、ぜんぜん気づかなかったよ」

 

 今日はなんだか不思議なことばかり起きるなあ、と、ハーマンは確かめるように貯金箱を軽く叩いた。

 

 道具を片付けてから玄関横の談話室へと場所を移して、私たちは棚の上の貯金箱を囲んでいた。

 もしかしたら、と思ったけれど、貯金箱の隣には挑戦状はない。校長先生が持ってるのかな。聞けば出してくれるだろうか。

 

「コインとここの絵、同じ猫のシルエットだね。今ある中で一番大きな数字が8だから、最低であと五枚、どこかに隠してあるのかな」

 

 うなずくと、ハーマンの顔がほころんだ。三枚のコインを貯金箱の隣に並べて、私の顔の辺りを向いて笑いかけてくれた。

 

「よし。みんなにも、メモのヒントに心当たりがないか訊いてみよう。ルーリンツが知らなかったのなら、きっと僕たちには見えない力で隠されているのだろうけど。でも、ヒントの心当たりなら僕にも思いつけたしね」

 

 もう一度うなずいてから、私はそっとハンターの様子を伺った。腕を組み、こちらを眺めるその目元は硬い。

 手のひらを借りるのもなんだか気後れして、私はメモホルダーを開いて、新しい紙にペンを走らせた。

 

 

 “ちょっと待ってて。校長先生に訊いてくる。”

 “コイン探しの挑戦状があるはずなんだ。たしか、それにもヒントが書いてあったはずだから。”

 

 

 それだけ書いて、私は返事を待たずに談話室を出た。振り返って、ハンターの姿が見えないことを確認してから、いつの間にか()もってしまっていた肩の力を抜いた。

 

 ハンターは最近、なんだかだいぶぴりぴりしている。毎日夜遅くまで校長室でずいぶん長く話し込むようになって、話しかけられても上の空だったり、廊下の端で考え込んだりしていることが増えた。

 なんとなく、どこか怒ってるような、そんな雰囲気を感じることがある。

 理由は分からないし、ハンターは鋭いようで鈍感なところがあるから、もしかしたら本人も怒ってることに気づいてないのかもしれない。でも、前にエビーをポケットに入れて洗濯に出してしまった時の、すとんと表情が消えてしまったあの感じと同じものが、瞳の中にうっすらと漂っているような気がした。

 校長先生とずっと相談してるってことは、外のことでなにか問題があったのだろうか。それともまた別の悪いことがあったのだろうか。

 

 ……やだな。いろいろなことでがんばってくれてるぶん、ハンターには困ってほしくない。すぐに解決するようなことだったらいいのだけど。

 

 考えごとはまとまらないまま、校長室の前に着いてしまった。私は手に意識を込めて、ドアノッカーを掴んで鳴らした。

 

「誰だ?」

 

 名乗るかわりにもう一度、ノッカーを鳴らす。すぐに入っていいと返事があった。

 薄暗い校長室の奥で、校長先生はいつものように車椅子に座っていた。膝の上に置いた記帳を閉じて、私の方を向く。

 

「アレクシス。どうしたのかね」

 

 表情は暗くて見えにくいものの、声はいつもと変わらず穏やかだ。机の上に出してくれた小さな黒板とチョークを受け取って、読みやすいように普段より気持ち大きめに字を書く。

 

 

 “コイン集めの挑戦状を探してるの。先生が持ってる?”

 

 

 校長先生は眼鏡の下の目を見開いて、それからそっと微笑んだ。

 

「……ああ。私の手元にある。それにしても……挑戦状のことを知っているのは、前の時間での経験か?」

 

 

 “うん。”

 “でも、いろいろあって、すっかり忘れちゃって。結局一枚も探せなかった。”

 

 

 みんなのお願いを聞くのを優先して後回しにしてたら、結局そんなことができるゆとりはなくなってしまったし。

 

 

 “音楽堂の掃除の時にヒントと、コインを一枚見つけて、あとハンターが二枚見つけて持ってたんだ。”

 “せっかくだし、みんなにも声をかけて探してみようと思って。”

 

 

 ひとつうなずいて、校長先生は引き出しから白い封筒を取り出した。

 

「なら、改めて挑戦してみるといい。きっといい思い出になるだろう」

 

 受け取った封筒を、そっと開く。折り畳まれた便箋を開くと、記憶にある通りの温かな字が並んでいた。

 この人のことを、ユーリヤ以外のみんなは忘れてしまっている。でも、そうだとしても、あの人が残したものを、できればみんなに渡したい。

 

 その時、こんこんと、ドアノッカーが元気に鳴った。

 

「校長先生、ロージャです。入ってもいいですか?」

「おや。少し、待っていてくれるか。アレクシスの話がまだ終わっていないから」

 

 

 “だいじょうぶ。ありがとう、校長先生。”

 “あとはみんなで探してみるね。”

 

 

 そう黒板に書いて、こっちから扉を開ける。

 

「あれ? アレクシス、お話はいいの?」

 

 首をかしげたロージャは真新しい深紅のケープを羽織っていて、その手には薔薇の花があった。本物ではなく、布で作った造花のようだ。

 

「ああ。大丈夫だそうだ。それで、どんな用事かね?」

「この前話した造花ができたので、見てほしくって。アレクシスもいるならちょうどいいわ。アレクシスのぶんもね、用意したの」

 

 私のぶん? でも、お花をなにに使うんだろう?

 首をかしげると、頭の上のエビーも一緒にかたむく。それを見て、ロージャはちょっと笑った。

 

「演奏会でおめかしするために作ったのよ。校長先生、どうですか?」

 

 ……え? えっと……

 

 困惑する私の横で、校長先生は花びらを確かめて微笑みながらうなずいた。

 

「……ああ、上手に、綺麗にできている。きっと舞台を華やかに飾ってくれるだろう」

「ほんとですか?」

 

 喜ぶロージャの前に、そっと黒板を差し出した。

 

 

 “えっと、おめかしって、どうやって?”

 

 

 質問に、ロージャはいたずらっぽく笑う。

 

「見てからのお楽しみ!」

 

 

 

 

 

 

 布本来のふんわりした白と、玉ねぎ染めの柔らかな黄色。それからハンターがくれたドレスの端を切った、深い赤。葉の緑は表紙の布を染める時のテストで出た切れ端を使ったのだという。

 そうしてできあがった三色の薔薇は、胸元に飾るだけで雰囲気をぱっと華やいだものへと変えた。

 

「どう、ハーマン? その位置で邪魔にならない?」

 

 ロージャの問いかけに、ハーマンは構えていたファゴットを下ろして笑顔を向けた。

 

「大丈夫、問題ないよ。二人とも、すごく素敵なアイデアをありがとう」

 

 ニルスとロージャは照れたように笑った。

 

「えへへ、どういたしまして。葉っぱはニルスのアイディアなの。テストで染めた布が残ってるからって」

「僕は縫った後に形を整えるのを手伝っただけだよ。型紙も材料集めも、ぜんぶロージャがやったんだ」

「ううん、だけだなんて、そんなことない。ニルスがいっぱい手伝ってくれたおかげで、一人で作るよりももっといいものができたんだから」

「……ロージャ。それはちょっと言いすぎだよ……」

「言いすぎじゃないわ。ニルスが自分なりに全力でがんばってくれたことはちゃんとわかってるし、それにみんなにも知ってほしいもの」

「そうだね。ニルスが頑張り屋だってことは、どんなに知ったって知りすぎることがないくらいだ」

「う……」

 

 ニルスは顔を真っ赤にして、すっかり黙り込んでしまった。

 ロージャはくすりと一つ笑うと、ハーマンの胸元から造花を外して、名前が書かれたタグを葉っぱの端に縫い止めた。それから私の方を向く。

 

「アレクシスたちはこっち。アレクシスには触れないけど、なめくじさんには触れるから」

 

 ロージャは背伸びして手を伸ばすと、私の頭の上にいるエビーの胴に、くるりと細いリボンを巻いた。持ってきてくれた鏡の中で、ひとり空中に浮かんだエビーが楽しそうに触角を揺らした。リボンには小さな造花が縫い止めてあって、背中に小さな花かごを背負ったみたいだ。

 

「重くないかな? なめくじさん、だいじょうぶ?」

 

 こっくりと、エビーは頭を大きく縦に振った。

 

 

  うふふ だいじょうぶ

  かみかざりのやく まかせてね

 

 

 ダニーが尻尾をぶんぶんと振りながらやってきて、こちらを見上げる。その首輪には、エビーと同じように造花がリボンで結ばれていた。おそろいだ。

 私はゆるみそうな頬をちょっと押さえてから、チョークを手に取った。

 

 

 “ありがとう。”

 “ほんとうに嬉しいよ。”

 

 

 みんなと一緒に過ごせても、みんなと同じことをするのは、体のない私には難しい。それは仕方ないことだし、だだを捏ねるほど私だって子供じゃない。

 でも、憧れてるのも本当だから。みんなの仲間に入れてくれたことが、とても嬉しい。

 最後に演奏会だけじゃなくて、こんなに素敵な思い出を作ってもらえるなんて。

 

 黒板を覗き込んで、ロージャはくすぐったそうに笑った。

 

「喜んでもらえたなら私もうれしい。やっとアレクシスにお返しできたんだもの。でも本番の演奏会はもっともっと喜んでもらえるものにするから、楽しみにしててね」

 

 にこにこ笑うロージャの顔には、もうあの日の陰りはない。すっかり足も良くなって、杖はベッドの横に立てかけっぱなしになってしばらく経つ。

 ほんとうに、ほんとうに良かったと思う。やっぱりロージャは笑ってる姿が一番だから。

 それから、と私は下に文章を付け足した。

 

 

 “あとね。その肩掛け、すてきだね。すごくよく似合ってる。”

 

 

 深紅の毛糸で編まれた、フードつきのケープだ。複雑な編み目模様は光のあたり方で表情を変え、くるりと回ればふわりと裾が翻る。

 

「ね、すてきでしょ。マリーがね、編んでくれたの!」

「冬になる前に仕上がってよかったわ」

 

 ハンターのベストの胸元に造花を縫い付けながら、マリーはくすくすと笑った。その顔は、いつもよりちょっとだけ得意そうだ。

 

「ハンターさんから借りたケープを編み図に落として、ロージャの成長を見越しながら調整して……大変だったけど、その分いいものができたと思ってる。次はハンターさんの手袋を編まないとね。……はい、こっちもできあがり。どうかしら?」

 

 鏡を持って見上げるマリーから少しだけ視線を逸らして、ハンターは引き結んでいた口を開いた。

 

「変じゃないか」

「そんなことないわ」

 

 マリーにそう言われても、ハンターの表情は冴えない。

 

「そもそも、演奏しない者がつけるのはいいのか」

「あら。演奏会は演奏家だけじゃなくて、お客さんだってきちんとおめかしするものよ」

 

 そこまで言って、あ、と口元を手で押さえた。

 

「もしかして、ティアと同じで、こういうのはあまり好きでない? それなら、無理にとは言わないけれど……」

「ああいや、嫌ではないんだが……その、似合ってるとは、思えなくて」

 

 マリーは目をまるくして、それからちいさく吹き出した。

 

「ふふっ、大丈夫。よく似合ってるから。ね?」

「……それなら、いいんだが」

 

 ……うーん、やっぱり、元気がない。マリーも心配そうに顔をのぞき込んだ。

 

「大丈夫?」

「え、あ、いや……大丈夫だ」

「そう? 無理は、しないでね」

「そうそう、そういえばさ」

 

 ファゴットをケースに片付けながら、ハーマンが私の方を見た。

 

「アレクシス、さっき言ってた挑戦状はもらえたのかい?」

 

「ちょうせんじょう?」

 

 小首をかしげたロージャの横をすり抜け、私は机の端に置いておいた封筒を手に持って振った。マリーとニルスは戸惑った様子で、ハーマンは驚いた顔でそれぞれ私の手元に視線を注いでいる。

 

「あら? えっと……アレクシス、その封筒、どこから出したの?」

「え……もしかして、ずっとそこにあった?」

「ハーマン、気づいてなかったのか?」

 

 マリーもハーマンも、それからハンターも、それぞれ不思議そうに封筒を見つめた。

 

「なあに、どうしたの?」

「実は……」

 

 かいつまんで説明するハーマンのとなりで、封筒から出した挑戦状を机の上に広げた。

 

 

 “新しく学校に来た貴方に、挑戦状よ

 

  8枚のコインを

  学校のどこかに隠したから

  見つけて、この貯金箱に入れてみてね

 

  もちろん、隠し場所は内緒だけど

  「中庭の木」の、どれかなんて

  怪しいような気がするわ

 

 

「へえ、宝探しみたいね。なんだか楽しそう」

 

 ぱっと顔をほころばせたロージャの隣で、ハーマンはうーんと首をひねった。

 

「でも、不思議な力で隠されているみたいなんだ。ヒントの指してる場所は僕にも分かったけれど、コインそのものを見つけられるのはたぶん、ハンターさんとアレクシスだけだと思う。僕たちでは、目の前に置かれても気づけないんじゃないかなあ。この封筒だってそうだったし」

「……いや。それなら、どうにかなるかも知れない」

 

 そう言って、ハンターは封筒を手に取ると、私の頭の上にかざした。

 

 

  え?

  あ もう そういうことね

 

 

 頭の上でエビーが身じろぎした。ハンターが封筒を左右に振るたびに、合わせて体を振っているような感触が伝わってくる。

 

「先触れも反応するみたいだ。これなら」

 

 差し出されたハンターの手のひらの上で、灰色のさざ波が広がった。そこから現れた三匹の小さななめくじは、ゆっくりした動きで触角を振ったり、のたのたと這ったりしている。ハンターが封筒をかざすと、三匹とも同じ方向に触角を向けた。

 

「こいつらも反応するな。瓶にでも入れて、気になる場所で反応を見てみるといいんじゃないかと思う。たとえそのものが見えなくとも、反応がある場所に見当がつけられるだろう」

 

 へえ、とみんなでハンターの手のひらを覗き込む。エビーと違って、この子たちはあんまりきびきび動こうとはしないみたいだった。

 

「このなめくじたちは、あっちのなめくじさんと違って透明じゃないんだね」

「真珠ナメクジ、という、らしい。正直私もよく知らないんだが」

「しんじゅ? ってなあに?」

「丸いお月さまみたいな宝石のことよ。ハンターさんから貰った服の飾りにも使われてたわ。あとで見に行きましょ?」

 

 エビーもまた、頭の上で言葉をこぼした。

 

 

  あのこたちは おしゃべりできないの

  あくまで こんせきでしかないものたち だから

 

 

 ……、……どういうこと?

 落ちないように首を傾げてみたけれど、エビーは、たいしたことじゃないの、と曖昧なもやを吐き出した。

 

「調子はどうだい……って、みんな、どうしたんだ?」

 

 そんなことを言いながら、ルーリンツが入り口からひょっこりと顔を覗かせた。肩越しにはユーリヤの姿も見える。

 

「あ、ルーリンツ。ユーリヤも。あのねあのね……」

 

 説明を受けたルーリンツは、なるほどと頷いた。

 

「もうお昼だし、食べ終わったら探してみようか。でも、学校にこんな秘密が隠れてたなんてなぁ。今までぜんぜん気づかなかったよ」

「ルーリンツも知らなかったのね。ユーリヤは……ユーリヤ?」

 

 え、と声を漏らして、ルーリンツの後ろにいたユーリヤは顔を上げた。どこかぼんやりした目を、ゆっくりとしばたく。

 

「だいじょうぶ? 具合、悪いの?」

「えっと、うん。大丈夫。それで……ごめんなさい、なんだったかしら」

「この挑戦状のコイン探しのことだよ。お昼過ぎにみんなで探してみようってことになったんだ。ほら」

 

 ルーリンツから挑戦状を受け取り、ユーリヤはしずかに息を呑んだ。

 

「これ……その、私は隠し場所、ぜんぶではないけど知ってるの。だから参加できないわ」

「そうなのかい?」

「ええ。隠すお手伝いも、したから。……もちろん、隠し場所は内緒。そうね。先生、そう言ってた……」

 

 ユーリヤの細い指先が、便箋の温かな字をそっとなでた。口元が震えて、ゆっくりと笑顔へとなおしていく。

 

「みんなで探して、談話室の貯金箱に入れてみて。あの中には、とてもすてきなものが入っているから」

 

 ぱん、とルーリンツが手を鳴らした。

 

「さあ、とにかく、まずはお昼ごはんにしよう」

 

 そうしてめいめいが楽器や裁縫箱を片付ける中で、ユーリヤはそっと私の隣に立った。冬の晴れ間から覗く空のような色の目が、私の方を静かに見つめる。

 

「あのね、アレクシス。お昼過ぎ、すこし時間をもらってもいいかしら。訊きたいことがあるの」

 

 その目は見たこともないくらい真剣だった。こっくりとうなずいてみせても、少しも緩むこともない。

 ……ユーリヤには、いつか尋ねられるんじゃないかって、思ってはいた。みんなの中でユーリヤだけは、元々妖精について詳しいから。

 ユーリヤはそれきり口を閉じて、壁に寄りかかって小さく息をついた。

 

 片付けも終わるというタイミングで、ルーリンツがこっちに来て、ユーリヤの顔を覗き込んだ。

 

「ユーリヤ、大丈夫かい?」

「え、うん。だいじょうぶよ。……ねえ、ルーリンツ。私、本当になんでもないの。気にしないで」

「分かってるけど、心配はさせてほしい。まだ半年も経ってないんだからさ……そうだ。なら、戸締まりは僕とアレクシスでやっておくから、先に行って、マリーたちと一緒にキッチンのパンとお鍋を食堂に運んでおいて。……あ、味を調えるのはマリーに頼んでね」

 

 これにはユーリヤも、頬をぷくりと膨らませた。

 

「もう。私だって、ちゃんとお料理をレシピ通りに作るくらいはできるんだから」

「あはは……そのレシピがなあ……」

 

 ユーリヤを見送り、廊下の足音が充分に遠ざかってから、ルーリンツは声をひそめた。

 

「あのさ。ユーリヤ、最近調子があまりよくないみたいなんだ。本人は気にしないでって言ってるけど……。話の間、無理をしないよう気にかけてあげてほしい。僕は一階にいるようにするから、もし何かあったら呼びに来て」

 

 大きく大きく頷くと、ルーリンツはほっと表情を緩めた。

 

「任せたよ、アレクシス。さあ、窓を閉めてみんなを追いかけよう。僕は前から閉めていくから、後ろ側からお願いするよ」

 

 そうして手分けして、窓に向かう。

 窓の外はすっかり秋が深まり、葉は赤く色づきはじめている。

 

 あと、何日残っているだろう。

 

 私は冬を迎えられない。それでも、みんなと再会した月のきれいな夜のことや、あの夏の日のあたたかな夕暮れや、それから穏やかで優しい毎日の思い出は、確かに胸の中に残っている。

 私が時間の向こう側に持っていけるのは、いつだって思い出だけだ。

 だから、こんなにたくさん作れて、ほんとうに良かった。

 

 どうか。

 残された日々が、何事もなく、穏やかなまま、ゆっくりと過ぎますように。

 

 そんなことを思いながら、私は窓を静かに閉めた。

 

 

 いやだ。

 お別れなんて、いやだよ。

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