スカボローフェアを聴きながら   作:Ghotiolo

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ムーンダスト-2

 ぼんやりと眺める先で、秋空を白い雲が流れていく。

 

 あなたは礼拝堂横のデッキの手すりに寄りかかって座り込み、何とはなしに空を眺めていた。ベストのポケットに収まった先触れの精霊はあなたを見上げて触角を揺らし、傍らにはダニーがぴたりと張り付いて鼻を鳴らしている。

 

 昼食を終え、子供たちが持ってきた瓶にキャベツの端と真珠ナメクジを放り込み、二人きりで話があるというアレクシスとユーリヤを見送ってから、あなたはずっとこうしていた。

 

 足に寄り添うダニーのしなやかな首筋を撫でながら、胸の内からこみ上げる焦燥感を噛み潰す。

 

 

 まだ、機は来ていない。手遅れにもなってはいない。

 

 

 地下の廃駅に張り込みさせている使者たちは、まだ老人が現れたとの報を持ってきていなかった。

 焦ったとて、結果を引き寄せることはできない。そう頭で理解しても、それは感情をなだめるには至らないのだ。

 

 

 ――ハンターさん。()(けん)にしわが寄ってるよ。

 ――アレクシスも気づいてたんだと思う。いつもならハンターさんがいる時は、紙とかには書かないから。

 

 

 談話室でアレクシスを見送ったあとにハーマンから受けた心配は、澱のように胸の底に沈んでいた。

 いつも通りのつもりだった。だがそれは、本当につもりだけでしかなかったらしい。

 

 あなたの脳裏に(よぎ)るのは、覚悟を決めたあの日のことである。

 

「……妖精の出現については、人間側がある程度制御することができる」

 

 あなたの話を聞いた校長はしばらく考え込んだ後、そう切り出した。

 

「前にも話した通り、時間の移動は妖精にとって、糸にできただまとだまを飛び越えるようなものだ。そのだまを、止まった時間に生きる妖精が動かすことはできん。だが、流れる時間に協力者がいるなら話は別じゃ」

 

 その声には、先ほどまでの焦燥も震えもない。赤く腫れた目に涙の()(ごり)は残るものの、かつて見たことがないほど鋭い眼差しをあなたに向け、校長は淀みなく言葉を続けた。

 

「糸にできただまとは、人の抱える願いだ。それは懺悔や後悔とも言い換えられるだろう。人の命の時間はその古い時に囚われているがゆえに、妖精にとっては標となる。また同様に、未来に呼ぶ声が、祈りがあれば、妖精はそれに応える。ユーリヤの声に応えたアレクシスのように」

 

 校長はあなたに指示を出し、書棚から数冊の本を抜き出させた。「ロッブの森の消失」、「内海の消失」、「妖精と止まった時の考察」、そして「金枝術」。あなたが伝えられた章に目を通し終わるのを待ってから、彼は話を再開する。

 

「アレクシスの話に出てきた老いた妖精。そして君の協力者が見たという妖精は、我々の研究に協力していたローアンの妖精と同一人物と見ていいだろう」

 

 それはあなたが脳髄の奥の蠢きから得た直感と同じ結論であった。それでもと、確認するためにあなたは口を開く。

 

「一応訊くが、同一人物だと判断した根拠は?」

「大前提として、妖精の協力なしに新たな妖精が現れることはありえない。命の時間をやり取りする異能こそが、妖精を生み出すための唯一の手段だからじゃ。また、ローアンにはかつて妖精を視認できる人物がいたが、そいつによれば一度だけ、彼は成長した姿を見せたことがあったという」

 

 あなたは頭の片隅で「特別なもの」の表紙を思い出す。ローアンには確かに、妖精を見る目を持つ者がいたのだ。

 

「もう一人の候補であるアレクシスについては、あの子が妖精に戻ることはもはやないと断言しよう。仮に我々が失敗した先で金枝をあの子に委ねたとしても、決して使わないだろう。命に代えても生きてほしいと伝えても、あの子をいたずらに傷つけるだけだ。……ロージャの足の一件で、傷つけてしまった私が言えた事ではないがね」

 

 自嘲気味に笑い、校長はすぐに表情を真剣なものへと戻す。

 

「そうなれば、あとは消去法だ。君の協力者の証言どおりなら、その妖精は君を背負って運べるだけの体格を持っていた。君を本名ではなくハンターと呼んだなら、記憶を失う前に知り合ったということはあるまい。彼はハンターと名乗っている君と誼を結び、それから君を確実にここまで運ぶために、過去に(さかのぼ)ってきたのだろう。彼の体験した未来で君との間に何が起きたのか、()(きゅう)が誰の願いと命の時間に依るものかは、分からないが……」

「未来に何があったか、か……」

 

 考え込んでも手がかりはなく、脳髄の奥の蠢きも黙り込んだままだ。

 

 

 とはいえ、恐らくは己の命を使ったのだろう。その行動の帰結からして、ほかに関係者がいるとも思えない。

 

 

 あなたはそう結論づけ、校長に話の続きを促した。

 

「彼の目的……本来成長しないはずの妖精が老いるほどの試行を経て、なお叶わぬ願いについても心当たりがある。彼は事故で命を落とした友人を救うために過去を変えた事がある。おそらく同じ事をしようとしているのだ。治らぬ病に斃れた友を、取り戻すために」

 

 肘置きの手が、関節が浮かび上がるほどの力で握りしめられた。

 

「なら、その手伝いをすれば協力を……」

 

 あなたは口を挟もうとして、制するように挙げられた手の前に黙り込んだ。

 

「逝ってからもう十年近くになる。あいつの生死が変われば、その余波も大きなものとなろう。君が真に守りたいものは永久に喪われる。……それに、叶うわけがないのだよ。あの病は治療法どころか発症の原因さえ分かっていない。それをどうにかしようなど、今この時代に青い薔薇を実現するようなものだ。とても、現実的とは言えない。……ああ。だから、悪い妖精は……」

 

 何かを言いかけて、校長は力なく首を振った。

 

「話を、戻そう。あの子の証言を鑑みるに、ロッブの森に現れた妖精は、老人……サイモンの声に応えて出現している。君はかの妖精を知らず、私も彼のことは……意図的に、過去にしようとしていた。サイモンが今、どのような思想と使命に基づいて行動しているのかは分からないが、あいつの呼ぶ声が一番強いだろう。利用しない手はない」

「しかし、今まで定期的に山小屋は確認しているが、人が滞在しているような形跡はなかった。アレクシスの証言との齟齬を、お前はどう捉えている?」

「駅の横に、地下水路が見えるだろう? 山小屋からあそこまで降りる直通の階段があり、船さえあれば、あの水路から内海に抜けることができる。そして今現在、君の証言通りに山小屋が無人で、そして衣服だけが不自然に残されているなどの痕跡がなかったのならば、逆説的に悪い妖精の被害は彼らの領域を超えてまで広がっていないと考えられる」

 

 校長は引き出しから記帳を出し、簡易な地図を描いた。

 

「おおよそで悪いが、ローアンがここ。寄宿学校はこのあたりだ。内海の集落を含むこの一円は、ローアンの妖精の領域だと聞く。だからサイモンは、その更に外から船でここまで来ているのだろう。アレクシスが事情を話してくれた時に訊いたのだが、あの子は船を見ていないらしい。停船中に妖精に中に乗り込まれないよう、あいつを降ろした後はすぐに離岸しているのだろうと思う」

 

 目を閉じ、深く息を吐く。長い沈黙を経て開かれた目は、揺らぐことなくあなたを見据えていた。

 

「やはり、サイモンの声に応えた妖精を待ち、助力を乞う。未来、これから現れるであろうマルガレータから赤い指輪を得たのち、指輪自身が持つ時を移動する力で現在に帰還させる。それが最も確実だろう」

「待つのか? それで間に合わなかったらどうするつもりだ」

 

 どうしても、問う口調は荒いものとなる。睨み付けるあなたの瞳を、校長は真っ向から見つめ返した。

 

「下手な変化は彼に警戒を抱かせるだけだ。急いては事を仕損じかねない。確実に会い、逃がさない事を念頭に置くべきだ。それにアレクシスの今の心の拠り所は、間違いなく演奏会にある。あの子が消える前に妖精が森に現れるのを待つのは、冬の川に彼女が現れるのを待つよりは確実じゃ。妖精の女王から恋人を取り返した、勇敢な乙女の寓話に倣おう」

「しかし……」

「心配になるのも分かる。だが、君の協力者が見たという光景と、君をここまで運んできた妖精。この情報のお陰で、いくつかの懸念は消えた」

 

 校長はメガネを掛け直す。その奥の(しん)()な眼差しがあなたを捉えた。

 

「かつて私が言っていた、学校の外にいる悪い妖精の事は、何一つ気にしなくていい。すべては既に終わっているのだ。君がここに来た、あの日に」

 

 その意味への問いを遮るように、校長は言葉を続ける。

 

「アレクシスと君たちのおかげで、ローアンで起きた消失事件の全容は朧気ながらつかめた。だが現状で確定できる結論は、彼と君がかつての未来において誼を結んだという、それだけだ。だからこそ、可能性に甘んじて過程を疎かにし、結果取り逃がすような真似だけは避けねばならん」

 

 校長は膝の上に置いた「金枝術」を軽く叩いた。

 

「もし予断を許さない状況になれば、私が呼びかけを行う。君には冷静に、あの子の様子を注視してもらいたい」

 

 あの日から今日に至るまで、あなたは常に気を張り続けている。アレクシスの身に起きるであろう異常を見逃さないために。そして、それを子供たちには悟られないように。

 だがそのうちの半分は、目論見通りには行っていなかったらしい。

 

 太腿にあごを乗せて心配そうに見つめるダニーを、ぐしゃぐしゃと撫でる。耳の裏を重点的に掻いてやると、気持ちがいいのかぺったりと体重を預けてきた。先触れの精霊もポケットから触角を振って自己主張していたが、そちらには特段反応せずに、あなたは何度目かのため息をついた。

 

 このことを当事者であるアレクシスに伝えるか。あなたはそれを決めあぐねていた。

 校長は、秘密裏にことを進めたいと主張している。仕損じる可能性がある現状、ぬか喜びをさせたくはないのだと。ただ、あなたの意見もまた尊重するとも言っていた。あの子の内面についてはあなたの方がよほど理解しているだろうから、自分よりよい判断をしてくれるだろうと。

 そうして選択はあなたに委ねられ、しかし未だに選ぶことができていない。

 

 

 何故、アレクシスは「見えない妖精たち」の第一巻を隠した。

 

 

 それがどうしても、胸の奥に引っかかって抜けない。

 嘘をつき続けている自分が言えた立場にないことは、あなた自身がよく理解している。だが、自分自身で末路を選んだあなたとは違う。あの子がここに居続けてはいけない理由など、ないはずだ。

 

 

 はじめの頃、あの子は皆に再会できた事を喜んでいた。拙かった言葉を絞って、己に礼を伝えたほどに。

 なのに、どうしていつか来る別れの事実を隠したのか。

 どうして――

 

 

 ダニーが顔を上げた。爪を鳴らして立ち上がり、尾を振りながら礼拝堂の中を覗き込む。車輪が軋む音がして、ほどなく老人が礼拝堂の暗がりから現れた。

 

「おや。先客がいるとは思わなかった」

「……ああ。グレイブズか」

 

 あなたは首を元に戻した。車椅子のハンドリムに手をかけた校長を制し、後ろに回って押してやる。

 

「助かる。……それにしても、感慨深いな」

「何がだ?」

 

 問いに、しかし校長は穏やかに笑うばかりであった。あなたは釈然としないまま、定位置まで車椅子を押した。

 

「アレクシスは?」

「今はユーリヤといる。二人きりで話があると。現状変わったところはない」

「分かった。引き続き頼む」

 

 頷き、あなたは手すりに腰を預けた。ひざの上にあごを乗せたダニーを撫でながら、校長はあなたをちらりと見る。

 

「そう言えば、アレクシスがコイン探しの挑戦状を取りに来た時に、君が何枚か見つけていたと聞いたが……」

「え? ああ。掃除とか、片付けの最中に」

「どれを見つけた?」

「医務室と二階の倉庫に落ちていた分だ。それと、あと音楽堂の、あの……シロフォン、のと」

「ああ。なら残りは何とかなるじゃろう。音楽堂のものは、ヒントを見つけるのが一番の難問だろうから」

「どこにあるのか、知っているのか?」

「なに、仕掛け人からどこに隠したのか、全部聞いているというだけさ」

 

 一瞬、校長の目尻に光るものが見えた気がした。それは目を凝らす間もなく消え、彼は微笑を浮かべたまま言葉を続ける。

 

「八枚のうち二枚は少々危ない場所にあるから、子供たちが無理をしないように気に掛けてもらえるだろうか。場所は時計塔の梁の上と、その近くの踊り場から出て屋根のふちを伝った先の、袋小路になった場所じゃ」

 

 あなたは頷き、そして首を傾げた。時計塔の梁は、子供たちどころかあなたでも梯子が必要な程度には高い。

 

「あんなところに隠して、気づけるのか?」

「ヒントはほかにもあるからな。それに子供たちも、思い出は失われても、心の奥深くでは覚えているから大丈夫だろう。彼女はこういう遊びに関しては、一切手心を加えない質だったと」

 

 校長の笑みがどこか苦笑じみたものへと変わった。それをじっと眺めながら、あなたは昼前のことを思い出していた。子供たちの中でたった一人だけ、隠すのを手伝ったと明言した少女のことを。

 

「……何故、子供たちの中でユーリヤだけは、アレクシスやその女性のことを覚えていられたんだ」

 

 探るような重い問いかけに、しかし返ってきた声の調子は普段と変わらないものであった。

 

「ユーリヤは、妖精の起こしうる事象とその整合について、知識として、そして経験として理解しているからじゃろう。あの子の両親は妖精の研究者であったし、あの子自身もよく面倒を見てもらっていたからな」

「面倒を? それは……」

「彼は……ロビンは、ユーリヤのことをずいぶん可愛がっていたよ。大人になることができないあの子にとっては、歳の離れた妹のようなものだったのだろう」

 

 一拍ののちに瞠目したあなたを見て、校長は静かに微笑んだ。

 

「この辺り一帯は元々、私の家で管理していた土地だ。ここも元々古い寄宿学校ではあったのだが、当時は使われなくなって久しくてな。そんなおりに父の知人からの紹介を受けてやってきた学者が、管理も兼ねて借り受けたのさ。私は彼に勉強を見てもらっていて、その娘であるマリヤともずいぶん競ったものだ。ニコラスが拾われてここで暮らすようになってからは、彼も加えて、三人で」

 

 穏やかに、ひどく穏やかに校長は語る。

 

「サイモンは私の遠縁にあたる。マルガレータは先生が雇っていた家政婦の娘だ。そして最後に、事件に巻き込まれたマリヤとニコラスをロビンが助けてくれた。それをきっかけにして、私達は妖精と友になった」

 

 校長はメガネを外し、レンズを服の裾で拭った。

 

「……楽しかったよ。本当に楽しかった。恐らく君がここでの日々に感じてくれているのと、同じくらいには。違うとすれば、私もマリヤもユーリヤたちと比べて()()やんちゃだったという事じゃろう。もうずいぶん昔の話で、生きているのは三人だけになってしまったが」

 

 かけ直されたメガネの奥で、白濁した目が何かを見つめるように細められた。

 

「ロビンは妖精だ。だがそれ以外は、私たちと何も変わらない。普通の子供だったのだ。……本当なら、私たちが支えてやらねばならなかったのに」

 

 秋の涼やかな風が梢を鳴らし、池にさざ波を立てながら過ぎゆく。舞う枯れ葉が水面に落ちて生まれた波紋は、すぐに波に紛れて定かではなくなっていった。

 子供たちの声は遠い。さざめくような優しい声たちは、その意味を受け取るにはうっすらとぼやけていた。ここでの会話も、彼らには届くことはないだろう。

 

 やがて、風が止んだ。

 

「……なあ、頼むから譲歩してはくれないかね。君たちだけに任せるわけにはいかない。子供たちの親代わりとしても、ロビンの友人としてもだ」

 

 口調こそ穏やかであるが、その視線と声は鋭い。寄り添っていたダニーは面を上げ、そろそろとデッキから降りるとその下に潜り込んだ。

 

「私が()(おもて)に立つ。ロビンの説得は、私が行う。本来責を負うべき者が安穏と待ったままで、君たちに任せるだけなど、できるものか」

 

 それは、あなたが意図して避けていた話であった。視線を床に落とし、言葉を絞り出す。

 

「……言いたくはないが、仮に妖精と敵対するような状況になった場合、お前を守り切る自信は私にはない」

「そうならない為に行くのだよ。説得と言えど、結局は彼の情に訴えかけるよりないのだ。面識のない君たちだけでは確実に手に余る」

 

 そんなことは分かっている。あなたは口からついて出そうになった言葉を飲み込んだ。

 説得というならば、初対面のあなたではなく古くからの友人であるという校長が適任である。そんなことは、あなたとて承知している。

 

「だが、お前が言っていた事だろう。過去を変えれば、そのために命を捧げた事実もなくなるのだと。向こうとてその認識で動いているだろう。今ここにいるお前を手に掛けたとしても、願いを遂げた先で健在ならば、と。サイモン氏がそうだったという事実がある以上、お前も同じ扱いをされる可能性は高い」

「アレクシスの証言を聞く限りでは、サイモンはその場に現れた妖精がロビンだったとは気づいていなかったようだ。正気を失っているかもしれないという危惧は、アレクシスからの情報で排する事ができた。彼の性格なら、話しかけられれば一度は話を聞こうとしてくれるだろう。その機を逃せばすべてが終わりだ」

 

 必死に考えた意見さえ、すぐに整然と反論される。議論で校長に敵うはずもないあなたが拮抗できているのは、足の悪い彼が森まで行くにはあなたの助力が必要だからに過ぎない。だからと言って、彼が這ってでも森へ向かう可能性は排除しきれなかった。

 あなたは唇を噛んだ。夢に依るあなたと違い、校長は死ねばそれきりだ。それすら見透かすように、校長は首を横に振った。

 

「死ぬつもりはもうない。だが、安全圏で待っているだけなどできるものか。あの子だけは、取り戻せるかもしれないのに」

 

 白濁した目の奥で狂気じみた光が揺らぐのを、あなたは見た。

 死ぬつもりはなくとも、必要とあらば即座に自身の命を投げうってでもアレクシスを救うだけの覚悟があるのだろう。

 

「お前が最善を尽くしたいのは分かる。だがそれは、その場だけを凌ぐものでは駄目だ。危険は妖精だけではないんだ。それに……妖精の事が一段落ついて学校が外に開かれた後、周囲の悪意や偏見から子供たちを守れるのはお前だけだろう」

「それは……」

 

 あなたの反論に、校長ははじめて言葉を濁した。

 

「……君では、難しいかね」

「無理だ。荒事であればいくらか役には立つとは思う。だがそれだけではないのだろう。他者の悪意に不慣れなあの子達を、そういうものに鈍い私では守れない」

 

 校長は俯いた。あなたもまた、ともすれば胸を食い破りそうな焦燥を必死に留める。

 

 有り得る未来は見えている。あなたをここまで運んだ妖精は、ローアンの妖精ロビンである。その直感はあなたの脳髄の奥の蠢きがもたらし、校長もまた同じ見解を示した。彼はおそらく未来において、あなたと誼を結んだのだろうと。

 しかし、そこに至る道筋は、未だに何も見えていない。

 

 説得は成功したのか。成功したのなら、それはどのような筋道を辿ったがゆえか。後は任せると言われるほどに親交を深められたのは、いかな理由があったのか。

 何も判然としない以上、校長の話も尤もではある。同時に、既に古い友人を手に掛けているかの妖精が、校長には手心を加えてくれるという根拠のない希望を、あなたはどうしても抱くことができなかった。

 

 アレクシスを救いたい。その思いはあなたも校長も同じである。だが、命を賭してもアレクシスを取り戻したい校長と、校長も含め、この寄宿学校の皆を失いたくないあなたの間には、大きな溝があった。

 

「私は……君に、伝えられていない推測がある」

 

 震えを隠すような、絞り出す声だった。メガネの奥の白濁した目は、揺れながらもあなたを見つめている。

 

「人の良い君のことだ、明かせばすぐに態度に出るだろう。それだけは避けねばならないと、黙っている事がある。だから……」

 

 遠く扉の向こうで、床が軋む音がした。

 

 言葉を切った校長と一瞬、視線が交わされた。その間にも足音はだんだんと近づいてくる。

 あなたはドアノブに手を掛け、ゆっくりと開けた。その先にいた驚いた顔の少年はデッキにいる二人の緊張した表情を認め、メガネの奥の目を気まずそうに伏せた。

 

「あ……えっと、ごめんなさい。お話の途中なら、邪魔するつもりは……」

「いいや、気にする必要はないとも」

 

 校長の声は微かに震えが残ってはいるものの、ほとんど平静に戻っていた。あなたへ目配せしたあとで、車椅子をニルスの方へ切り返した。

 

「それで、どうしたのかね、ニルス?」

「ええと……」

「ニルス、おまたせ。……あれ、校長先生だ。ハンターさんも」

 

 その後ろからロージャが小走りで駆けてくる。その手に抱えた薬品瓶の中で、口を封じるガーゼを真珠ナメクジが触角で確かめていた。動揺を飲み込み、あなたは二人に目を向けた。

 

「あー……コイン探しか?」

「うん。ニルスがね、閃いたことがあって」

「ハンターさんたちが最初に見つけたヒントに、お気に入りの場所ってあったよね。お気に入りの場所なら、きっとそこでゆっくり過ごしたいんじゃないかなって思ったんだ」

 

 僕もそうだから、とニルスははにかみ笑いをこぼした。

 

「それで、音楽堂の正面にある、ここの椅子のことを思し出したんだよ。でも、校長先生。なにかご用事があるなら、あとで出直しますけど……」

「気にしなくていい。続きはまた後で構わないだろう、ハンター」

「ああ。ほら、こっち」

 

 気後れした様子のニルスの背を軽く叩いて促し、二人をデッキへと連れ出す。校長の車椅子を断ってから端に寄せ、あなたも再び手すりに腰掛けた。

 

「この椅子、あんまり気にしたことなかったから、こんなにまじまじ見るのははじめてかも。隠すとしたらどこかな?」

「足の下とか、見てみる? 僕に持ち上がるかな……」

「退かすなら言ってくれ。やるから」

「うーん、もうちょっと調べてからおねがいするわ。なめくじさん、かなり近くにないと気づけないみたいなの」

 

 フレームや座面の下に瓶を近づけては、ナメクジの様子を確認して首を傾げている。

 

「……うーん?」

 

 しばらくして、ロージャは難しそうな声を上げた。

 

「なめくじさん、どこにも反応してないね」

 

 二人の目が、薬品瓶の中に向けられた。真珠ナメクジは我関せずといった様子で、キャベツの端を齧っている。

 

「お気に入りの場所だから、ゆっくり座れるこっちの椅子だと思ったんだけど……ベンチの方だったのかな?」

 

 あなたはそっと校長の顔を伺った。焦った顔で椅子とデッキ、それから池を見ているあたり、ここに隠してあったのは間違いないようだ。

 校長の視線を追って、あなたもデッキから池を見下ろした。睡蓮の葉が浮かぶ水面は穏やかに澄み、しかしその底には落ち葉がずいぶんと積もっているようだった。

 

 黙り込んだ大人たちを後目に、子供たちはひざの埃を払って立ち上がる。それを呼び止めるようにどこからともなく猫の鳴き声が聞こえ、ロージャが椅子の足の辺りを覗き込んだ。

 

「あれ?……あ、ティア」

 

 再度、猫の鳴き声がデッキの下から漏れ出した。同時に、所在なさげな犬の鳴き声も。

 

「どうした?」

「ここ、穴が空いてるの。板が割れちゃったみたい」

「分かった。ハーマンと後で直しておく」

「それにしても、ダニーがもぐり込んでるのはよく見るけど、ティアがここにいるのはめずらしいね。こっちに出ておいでよ、校長先生もいるよ」

 

 ニルスの呼びかけにも、返事のようにひとつ鳴くだけで動こうとしない。

 

「……なんだろう。何かで遊んでるみたいだけど、うまく見えないな」

「そんなところでか?」

「うん。枯れ葉でもないみたいだ」

 

 ニルスと位置を変わり、隙間を覗き込む。ティアの手は、猫じゃらしで遊んでいる時のように何かをつついていた。そして再度、鳴き声を上げる。

 あなたは瞳を凝らした。小さな隙間の下で、ティアの手に押され、(しゃく)(どう)(いろ)がちらりと横切る。

 

「……あった」

「え?」

「コインだ。取ってくる」

 

 デッキの手すりを乗り越えて庭に降り、その下を覗き込む。行く手を(ふさ)ぐダニーの胴を軽く叩くものの、気のいいイングリッシュ・フォックスハウンドは珍しく嫌そうな顔で鼻を鳴らすばかりだ。お気に入りの場所から立ち退きを迫られるのは、誰であっても気分のいいものではないらしい。

 

「あー……悪い、ちょっと」

 

 嫌がってじたばたする大型犬の脇を抱えて引きずり出し、デッキの上の校長に預けて再度潜り込んだ。ほとんど腹ばいになりながら、ティアの元へ進んでいく。ヤーナムですらかつて経験したことのない狭さに悪戦苦闘するあなたの頭上で、校長の話す声がくぐもって聞こえた。

 

「ところで、演奏会の練習の方はどうかね?」

「ばっちりです。ニルスと一緒にたくさん練習したんです」

 

 どうにかティアの元へ辿り着く。気難しい黒猫はあからさまに嫌そうに目を細めて耳をいからせた。たびたびキャットニップを強請られるせいか、最近ではティアがどのような気持ちかずいぶん読み取れるようになってきた、とあなたは自負し始めていた。読み取れたからといって、ティアがあなたの言うことを聞くかはまた別の話になるが。

 いつものようにキャットニップで気をそらしてから、あなたはコインに手を伸ばしてつまみ上げた。

 

「ロージャはもう心配ないくらい上達してて、僕もそれなりにうまく吹けてると思います。マリーもハーマンも張り切ってて、本番をすごく楽しみにしてるみたいです」

「私にとってはじめて演奏する側で、それにみんなにとっても、はじめて校長先生のほかのお客さまがいる。アレクシスとハンターさんにとってもはじめてね。だから……きゃっ?」

 

 床板に頭を数度打ち付けながら、あなたはキャットニップをだきしめてうっとりと脱力するティアを連れ、デッキに戻った。

 

「ハンターさん、大丈夫? すごい音してたけど……」

「……少し、痛い。それより、ほら」

 

 見栄を張りつつ、あなたは二人へコインを差し出した。瓶に近づければ、真珠ナメクジはキャベツを齧るのを止めて触角をそちらへ向けた。

 

「隙間から落ちてしまったんだろう」

「えっと……数字は1!」

「これで残りは四枚だね」

「うん。……あ、そうだ。演奏会のことなんだけど」

 

 ロージャはきらきらした目をあなたへ向けた。校長の膝にティアを乗せながら、あなたもロージャを見る。

 

「まだ本番まで時間あるから、ハンターさんとアレクシスにも、楽器を演奏してもらうのはどうかな?」

「え」

 

 突然話題の中心に引っ張り出されて、あなたは服の埃を払う手を止めて目を瞬いた。

 

「いや、それは……」

 

 アレクシスのこと、そしてロッブの森に現れるであろう老いた妖精のことがある以上、楽器の練習に割ける時間はない。だがそれをそのまま伝えたることには抵抗があった。

 

 縋るように見つめた先で、校長は困ったように微笑むだけだった。あなたは目を泳がせる。

 

「その……まず、あの、あれ……あの紙の……」

 

 楽譜。

 

「そう、がくふ、が読めないから……」

「読み方なら教えるよ。打楽器のなら、そんな難しくないから」

「え、あー……」

 

 あなたは曖昧な呻きを漏らした。どう言えば本当のことを隠したまま、意思を伝えられるのか。そんな都合の良い言い訳など、思いつけるはずもないのに。

 

 煮え切らない態度を、どのように受け取ったのだろう。ロージャはくすくすと笑い声をこぼした。

 

「心配しないで。ユーリヤがね、昔言ってたの。ちょっと間違ったり、ずれたりしても、それだっていい思い出になるんだって。毎年毎年積み重ねていく中で、こんなこともあったねって、思い出話になるからって」

 

 思い出、と、あなたは繰り返した。

 

「うん。ハンターさんには、もっとたくさん、みんなと一緒に楽しい思い出を作ってほしいもの。日記に残しておかないと忘れちゃうくらい、たくさんね」

 

 そう言ってロージャは笑う。白いリボンでまとめた赤い髪を風に揺らしながら、ユーリヤやマリーがよく向けてくれるような、安堵するような笑みを。

 あなたを思いやるその笑顔に、ただ自覚する。

 

 

 本当のことを伝えるのが怖い。

 それは今でもあなたの脳裏にこびり付いた恐怖である。穏やかな日々をいくつ重ねても、あの下水道での惨劇を忘れることはできなかった。その悔恨は、未だに胸の奥深くに突き刺さっている。

 

 

 だが、皆の気持ちを無碍にしたくないと、与えてくれたものに報いたいと思ったのも、己自身ではないか。

 

 

 あなたは息を深く吐いた。その間に、伝えてはならないことを頭の中で整理する。

 

「……裏で、グレイブズと色々やっている事があるんだ。だから、演奏は興味はあるが、その……今は、私はそちらに注力したいと思っている」

「そうなの?」

 

 きょとんとしたロージャの隣で、ニルスはどこか不安そうに目を細めた。

 

「なにか、あったの?」

「あったというか、事が起こる前に、何も起きないようにしようとしている。今はあまり話せない」

 

 先に、アレクシスに話を付けなければならないだろう。あの子が隠したことは、未だあなたの中で燻っている。だが、だからといって黙って皆に広めていい話ではない。あの子に話し、納得してもらって、ほかの皆に伝えるのはそれからだ。

 

 

 皆で、何の(うれ)いもなく、演奏会を楽しむために。

 その先で思い出話をして、懐かしみ、笑うために。

 

 

 あなたは服の下の狩人証に触れた。硬い感触を確かめ、ロージャへと眼差しを向ける。

 

「気持ちは嬉しい。それに、演奏会は私も楽しみにしているから。アレクシスを誘ってやってくれ。きっと、喜ぶ」

「そっか。ちょっとだけざんねんだけど……ハンターさん、がんばってね」

 

 微笑むロージャを見つめて、あなたもまた、意識して口元を緩めた。

 

「ああ。頑張るよ」

 

 

 うまく笑えていただろうか。

 皆がいつも、己に向けてくれているように。

 

 

 ロージャは満足そうに笑って、ニルスへと振り返る。

 

「アレクシス、どんな楽器なら演奏できるかな?」

「うーん、太鼓とか、あとは鈴とか、手に持って演奏できるやつかな。シロフォンもやれそうだけど、ユーリヤに悪いから。本人に相談してみよう。……本当は、妖精の声だっていうオルゴールが直せたら、一番いいのだろうけど」

「あ……」

 

 一気に表情を曇らせたロージャに、ニルスは慌てた様子で、ほんの少しだけ低い位置にある目線に高さを合わせた。

 

「ご、ごめん、ロージャ。気にしないで。あれは、あいつが食いしん坊なのが悪いんだし……」

 

 気まずい様子の二人を眺めながら、あなたは呟く。

 

「……オルゴール」

 

 果たしてそんなものがあったか。少なくとも、あなたにそれらしきものの見覚えはなかった。

 

「うん。音楽堂の壇の上に、足のついた大きな箱があったでしょう。あれはオルゴールなんだ。今回演奏する曲が流れるんだよ」

「あれが?」

 

 あなたの知るそれより大きいことに、思わず目が丸くなる。

 

「今は歯車が足りなくて鳴らないんだけどね。だから、ほかの楽器を探して、アレクシスに試してもらわないと……」

「いや、少し待ってくれ」

 

 あなたは振り返り、肩越しに私を見た。吐息と変わらないような声でささやかに問う。

 

「直せるか?」

 

 実物を確かめなければはっきりしたことは言えないが、相応の血の遺志さえあれば。あなたの手持ちの死血で充分足りるだろう。

 

「? ハンターさん?」

 

 不思議そうな二人の横で、校長は息を呑んだ。

 

「……協力者か。直せる、のか?」

「見せてみてだな。ただ、できると思う」

 

 ロージャはあなたと校長の顔を交互に見た。

 

「えっと、よく分からないけれど、直せるかもしれないってこと?」

「ああ」

「ほんと!?」

 

 ぱっとロージャの顔に喜びが広がる。一方で、ニルスは表情を崩さない。

 

「でも、どうするの? 歯車なんて、簡単に作れるものではないと思うけど……」

「心配はいらない。トニ……あー、もっと複雑な構造の機械を壊した時も、何とかなった」

「なんとかって、どういう風に……?」

 

 あなたは工程を思い返した。そしてすぐに首を振る。

 あんな血なまぐさい話を子供たちに聞かせたくはないが、しかし無碍にしたくないと再確認したばかりではないか。思考は堂々巡りを繰り返し、やがてその中に先人からの知恵が浮かぶ。

 

「あ、ええと、答えづらいなら、いいんだけれど……」

「……、…………手品、で」

 

 人間、そうそう変わるのは難しい。

 

 ニルスは眉間を押さえて首を振る校長の姿をちらりと確認し、困ったように笑った。

 

「えっと……うん。分かった。なら、全部任せるよ」

「アレクシス、よろこんでくれるといいな。あの子にはいつも、いろいろなことで我慢してもらってばかりだから」

「そうだね。それに……」

 

 ロージャの後ろで、ニルスは礼拝堂へ振り返った。目を細め、すぐに体勢を戻して、ロージャの肩を軽く叩いた。

 

「さあ、ルーリンツに報告に行こう」

「うん、わかった。ハンターさん、ありがとね。それからよろしくね」

 

 そう言って、二人は礼拝堂を駆けていく。静けさを取り戻したデッキに、校長の声がぽつりと落ちた。

 

「……あのオルゴールは、ロビンとニコラスからの贈り物だった」

 

 振り向いた先で、校長は池を眺めていた。行儀よく座ったダニーの隣で、ひざの上に乗ったティアを撫でながら、さざ波立つ水面に視線を落としている。

 

「だから歯車を失ったと聞いた時、私は安堵した。もうかつての友と話す機会など一生ないと突きつけられたのだと、安心したのじゃよ。彼らの罪を知ることも、彼らに私の罪を知られることも、もうないのだと」

 

 あなたは校長の隣に立った。

 

「……だが、まだ、その機会は失われていないのだろうな」

 

 どこか苦いものをにじませながら、彼は微笑んだ。

 

「火は灰を残して消えるにせよ、あとに残るのは黄金なのだ*1。……月塵、か」

 

 そうして、彼はあなたを見つめる。加齢によって白濁した目は、しかとあなたを捉えていた。

 

「ロビンに伝えてくれるか。たとえどのような道を辿って来たのだとしても、また語り合える日は必ず来ると信じている。かつてお前がオルゴールと共に贈った手紙に書いたように、と」

 

 あなたは虚を突かれて校長を見つめ返した。言外に何を伝えたいのかを分からぬほど、彼との付き合いは浅くはなかった。

 

「……いいのか?」

「ああ。彼の説得より、君を説き伏せる事の方が手間取りそうだから」

 

 冗談めかして笑いながら、校長はゆるゆると首を振った。

 

「説得の切り口は、また夜にでも話し合おう。アレクシスの事も、それからロビンの事も。任せてもいいかね、ハンター」

「……ああ」

 

 あなたがそう答えると、校長は静かに笑みを深めた。

*1
ブラウニング「ラビ・ベン・エズラ」(訳文・富士川義之編「対訳 ブラウニング詩集」岩波文庫)

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