スカボローフェアを聴きながら   作:Ghotiolo

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10/21:以前の話も含めてサブタイトルを「パセリ」から変更しています


再会-3

 最初に見つけてくれたのはマリーだった。

 

 流れ込む新鮮な風が大好きだから、窓開けはマリーの担当である。朝ごはんを食べて片付けをしたら、台拭きと窓開け棒を持って、掃除をしながら教室や廊下の窓を開けていく。

 

 それとなく誘導するとユーリヤは言っていたけれど、マリーはいつも通りの順番で回っていたみたいだ。第二教室にいつも通りの時間にやってきたマリーを、私は教卓に隠れてどきどきしながら見ていた。……隠れる意味、ないけど。なんとなく。

 

「ユーリヤったら、先に第二教室に行ってみたら、なんて言ってたけど……なにもない、わよね……?」

 

 首を傾げながら裏口側から入ってきて、窓を開けて、そしてまた裏口側から出て行くために振り返る。

 

 ……しまった、ここからじゃどんな表情してるか見えない!

 慌てて教卓から飛び出すも、間に合わない。

 

「……っ、わぁ……!」

 

 マリーはため息をついて、裏口の隣の黒板へと吸い寄せられるように近づいた。横から眺めるマリーの顔はきらきらしていて、きっと喜んでくれてるとは思うのだけれど。

 

 ……できれば正面から見たかったな。浮かれすぎてた。

 私はがっくりと肩を落としながら、マリーの隣で黒板を見上げた。

 

 チョークの濃淡だけで描いた、この教室の風景。

 翻るカーテンも、柔らかく差し込む陽の光も、できるかぎり思い出の通りに描いた。瞬間を切り取ったように、あるいは止まった時の世界に見えるように。

 その中に、一人だけ席に座っている女の子がいる。ゆるくまとめた髪と肩掛けで、それが誰かはすぐに分かるだろう。

 

 私がはじめてユーリヤと出会ったときの、あの子の後ろ姿だ。

 

 

 

 

 

 

 校長先生やユーリヤと()()して、すぐ後のこと。

 

「校長先生の許可は頂けたけれど……どうすればみんなにアレクシスのことを知ってもらえるかしら?」

 

 校長先生が二階に行くときに使う階段の上、物置になっている部屋の隅に場所を移して、ユーリヤは頬に手を当ててため息をついた。

 私にかかわる内緒の相談事ということで、通訳としてハンターも同席している。壁に寄りかかったハンターは、フードの下からユーリヤを見た。

 

「言えばいいだけだろう」

「それがね、みんなはアレクシスのことを覚えていないし、説明だけじゃきっと実感できないと思うの。ハンターさんも、何かおもしろい案を思いついたら教えてね」

 

 ハンターは首を横に振り、今度は私の方を見た。表情の薄い顔からは、なにを考えているのかは読み取れない。

 ……でも、ハンターは人でないもの()が嫌いだ。今は付き合わせてしまっているけれど、あまり頼るべきではないのだと思う。恩人だし、できれば仲良くなりたい。でも距離を置いた方がきっとお互いのためだ。

 

 ぽん、とユーリヤは胸の前で両手を合わせる。

 

「そうだわ。アレクシスはハンターさん以外には見えないのだから、いたずらするのはどうかな? みんなに特製ハーブの入った瓶を渡して、思い思いの場所に隠してもらって。それをアレクシスが探して集めて、こっそりシチューのお鍋に入れちゃうの。ふふっ、きっとみんな驚くわ」

 

 ……あー、その、えっと。

 

 ちら、とハンターを窺うと、元々白い顔からさらに血の気が引いて青くなっていた。ハンターはルーリンツからユーリヤのハーブシチューについて聞かされているし、味が分からない私だってその威力は知っている。

 

 味見のひとくちでノックアウトされるルーリンツ。

 ひっくり返ったハーマン。

 苦しそうな咳をするマリー。

 ひとり美味しく食べてたロージャ。

 後で強がっていた事が発覚したニルス。

 こんなことになってるなんて、と思い出の影にあわあわしながら、いたずらが成功してちょっと楽しい気持ちになっていた私。

 

 今からすれば未来の日付の話なのに、なんだかすごく昔のことのように感じる。もう私の思い出の中にしか残ってない出来事だから、かなぁ。

 

「そうすればアレクシスがいるんだってこと、みんなに実感してもらえると思うの。……あら、ハンターさん? どうしたの? 具合、悪いの?」

 

 ハンターは俯いて押し黙ったままだ。いいのかな。このままだと体調不良と判断されて、追加のお薬が出されてしまうのだけれど。私には助け船は出せないし……いや、待てよ。

 

 頭の片隅に浮かんだ思いつきを、目の前の黒板に思い描いて確かめる。……うん、書けない字を無理に書くよりは、うまくできるかも。

 

 黒板に立て掛けてあった人間だった頃の自分の写真をぽいと放り投げ、表面を意識して触る。粉を落として綺麗になった黒板にチョークを走らせた。

 

 文字を読むことに不自由を感じた覚えはないのだけれど、書こうと思うとつづりが分からなくて手が止まる。だけど、絵ならなんとか。

 

 参考にするのは、誰もいない学校で見た妖精への教示だ。

 

 チョークでは細い線は描けないので、人の形は簡単に取る。顔の向きを示すために目の位置に点を入れる。一番説明しやすいのはハーマンだから、帽子をかぶせて。私を描く時は線を弱く、ひょろひょろと。そういえばあの絵にはきれいな青と鮮やかな赤が使われていた。なんて顔料だろう?

 

「あら? もしかして、アレクシス?」

 

 ユーリヤが黒板を覗き込む。どうだろう、伝えたいこと、伝わるかな。

 

「これは、ハーマン? そうね、きっとハーマンは帽子の下に隠すわ。ええと、それで……」

 

 私が妖精だったころ、同じいたずらをあの時のユーリヤと仕掛けたことがあるけれど、ハーブの瓶をきちんと隠したのはニルスとロージャの二人だけだ。あとは鎖を通して首から下げたり、ダニーに預けたり、帽子の下に置いたりだった。マリーについては分からないけれど、ルーリンツとハーマンの二人はきっと同じ隠し方……隠し方? をすると思う。

 

 止まってる人からものを取るのは簡単だった。でも、動いてる人からだと途端に難しくなる。向こうは私のことが見えてないからなおさらだ。持ったものが変な風に引っかかったら、怪我をさせてしまうかも。

 

 そんな内容を描き足したり修正したりして、ユーリヤにも分かってもらえたみたいだ。

 

「難しいし、危ないのね。でも少しざんねん……」

 

 ユーリヤはちょっとだけしょんぼりした。一方、ハンターは安心したように肩の力を抜いた。もう、いやなことはやめてって言って大丈夫なのに。ユーリヤだってみんなだって、ちゃんと分かってくれるのに。

 でもこれで、助け船を出すって目的は達成できた。あとハーマンのお腹も守れた。

 

「それにしても、アレクシスは絵が上手なのね。あなたが伝えたいこと、ちゃんと分かったよ」

 

 ……ユーリヤに、褒めて、もらえた?

 

 私は思わず口元を押さえた。口の端が持ち上がってるのが分かる。

 

 どうしよう。お礼を言われたことはあるけれど、褒められるのは、きっとはじめてだ。

 嬉しい。すごく、すごく嬉しい。なんだかじっとしてられない。なにかしたい。今の私にもできる、ユーリヤに喜んでもらえるようなこと。

 

 ……よし。

 説明の絵を消して、大まかな形を取り、寝かせたチョークで光を乗せる。指でこすって陰影の濃さを調節して、少しずつはっきりとしていく輪郭を、立てたチョークでさらに細かく描き入れていく。

 

「次は何を描いているの?」

 

 あ、まだ見ないで!

 体で黒板を覆って隠すけれど、私が見えないユーリヤには意味がない。どうしようと悩んでいると、横合いから静かな声が掛かった。

 

「見られたくないようだ」

「そうなの? なら、私は席を外した方がいい?」

 

 そこまでじゃないよと首を横に振ると、ハンターは少し考え込んだ。

 

「……完成品を見せたい、という事か」

 

 まさにその通りで、何度も頷く。

 

「ふふっ、楽しみにしてるわね」

 

 ハンターから私の肯定を聞いたユーリヤは、ほがらかに笑ってくれた。がぜん、やる気が湧いてくる。

 

 ……うーん、でも、やっぱりもう少し細い線が描ければなぁ。黒板のふちで先を削る。多少は尖るけれど、使うとすぐに丸くなってしまう。

 

 そんな事を何度か繰り返していたら、突然目の前に削ったチョークが差し出された。

 驚いてそちらを向けば、持っているのはハンターだ。フードの下から、じっと私を見つめている。

 

 ……えっと、使っていいの、かな。

 おっかなびっくり両手を差し出すと、ハンターはチョークをぽんと載せて、また別のチョークを手に取った。どうやらいいみたいだ、けど。

 

 ハンターの手にはナイフがあった。この前の歪なナイフではなく、真っ直ぐで、ギザギザした刃のナイフだ。蔦とか硬い茎の草を切る時に便利そう。いやそうじゃなくて。

 

 あんな細かい細工がなされたナイフなんて学校にはないし、最初の手当ての時にハンターの所持品は全部サイドテーブルに出したけれど、その中にだってなかった。それを言ったら、あの歪なナイフもそうだけれど……

 

 ユーリヤも不思議に思ったのだろう、首を傾げた。

 

「ハンターさん。そのナイフ、どうしたの?」

「どうした、とは」

「その、見覚えがないけれど、どこにあったの? それに、どこから出したの……?」

「どこから……」

 

 ハンターはユーリヤを見て、そして手元のナイフを見て眉根を寄せた。

 

「これはゆ、いや、……、…………」

 

 ハンターは口を開けては言いにくそうに閉じるのを繰り返す。見かねたユーリヤがおずおずと声を掛けた。

 

「言いたくないなら、いいのだけど……」

「…………ただの、手品、だ」

 

 絞り出すようにハンターはうめいた。

 

 ……え、なに言ってるの?

 

 ユーリヤはぽかんとして、眉尻を下げる。ハンターは私ともユーリヤとも、一切視線を合わせようとしない。

 

 いたたまれない空気の中、ユーリヤが口を開いた。

 

「……手品?」

「手品だ。それよりチョークはまだ必要か」

 

 あ、話題を逸らした。

 じゃあさっきのとんちんかんな答えは、ごまかしたかったってことなのかな。

 

 ユーリヤは困ったように笑っている。追及はしないらしい。

 私も首を振ってチョークは足りてると伝えれば、こわばっていたハンターの肩から力が抜けたのが確かに見て取れた。あまり触れてほしくないみたいだ。もしかしたら妖精が時間の隙間にものを隠してしまえるように、私を見たりさわったりできるハンターも同じようなことができるのかもしれないけれど。

 

 私は削ってもらったチョークで絵に仕上げを入れていく。線を重ねて濃淡にメリハリを付ける。強く光が当たっているところには強く、反対に陰になっていて、でも照り返しで柔らかく光が当たっているところにはそっと。

 

 うん、できた。

 

 私はチョークを置いて、黒板から離れる。ハンターがその様子を伝えてくれて、ユーリヤはわくわくしながら黒板を覗き込み、ぽかんと目を見開いた。

 

「これ……私?」

 

 胸元に一輪の百合を抱えて微笑む、柔らかな白い髪をゆるくまとめた女の子。急いだから少し荒いところはあるけれど、それでも記憶の通りに描き出した。

 

 

 ――はじめまして、見えない妖精さん。応えてくれてありがとう。

 ――私はユーリヤ。私たちの友達になってくれませんか?

 

 

 今でも鮮明に思い出せる。

 

 あの頃はまだ自分の状態もよく分かってなくて、声に導かれるまま、ただぼんやりと、この女の子のお願いを叶えなきゃいけない、と思っていた。

 

 咲かせた花を元の位置に戻した瞬間に、動き出した世界。光をはらんで翻るカーテン。風に乗って舞い込む木の葉。驚いたように目を丸くして、それから嬉しそうに微笑む女の子。

 

 すごく、どきどきした。

 

 笑ってくれたのが嬉しくて、この子の笑顔をもっと見たいと思った。

 

 すぐに時間はまた止まってしまって、動くのは私だけになって。時振計は次の時間へ移動しようと急かしていたけれど、それでも私はこの子から――ユーリヤから目を離したくなかった。

 

 ……きっと人間だった頃の私も、ユーリヤのことが大好きだったんだろうな。

 床に落とした写真を拾って、私は笑う。

 人間だった頃の記憶なんて全く残ってないけれど、きっとそうに違いない。

 

「すごい……! アレクシスって、本当に絵が上手なのね。まるで写真みたい……」

 

 ユーリヤはきらきらした顔で黒板を熱心に見つめている。褒めてくれたことのお返しになったかな。

 表情の薄いハンターですら、黒板を覗き込んだ時は驚いた顔をしていた。仕上げられたのはハンターのおかげだ。チョークを持って頭をぺこりと下げると、あの人は小さく首を振った。

 

 絵を熱心に眺めていたユーリヤが、はっと私へと振り向く。

 

「そうだわ、アレクシス。こんないたずらはどうかしら? あのね……」

 

 ユーリヤの素敵な提案に、私は一も二もなく頷いた。

 

 

 

 

 

 

「すごい! ユーリヤが黒板の向こうにいるみたいね!」

 

 ロージャは無邪気に喜んでくれた。一方で、ほかの四人は不思議な気持ちが勝ったみたいだ。ひとしきり見とれてくれた後、みんなを教室に呼んだマリーに、ニルスが問いかける。

 

「これ、マリーが描いたの?」

「違うわ。朝、窓を開けに来たら、もう描いてあったの。ハーマンは?」

「僕でもないよ。と、なると……」

「もしかして、ハンターさんかな? ほら、黒板の高いところまで描いてあるしさ」

「ハンターさんはお手伝いはしたけれど、描いたのは別の人よ」

 

 にこにこしながら遅れて教室に入ってきたユーリヤに、みんなの視線が集まる。

 

「ユーリヤ、君は誰が描いたのか知ってるのかい?」

「ええ。でも、まだ内緒。一日ずつ、学校のみんなを描きたいって言ってたから、それまでは秘密にする約束なの」

 

 いたずらっぽく笑って、黒板へと視線を移す。

 

「やっぱり、すごいなぁ……でも、少し照れちゃうな」

 

 ユーリヤは頬をほんのりと染めて微笑んだ。

 

「その人って、もしかして、ユーリヤのお話に出てきた、止まった時間の世界に暮らしてる妖精さん?」

 

 ロージャの問いかけに、ユーリヤはくすくすと笑う。

 

「妖精さんではないけれど、少し似てるかな。とても優しい、いい子だから、みんなともきっと仲良くなれるわ」

 

 

 

 

 みんなはまだ話をしていたけれど、私は覗いていた教室の入口からそっと離れた。

 

 なんだか胸の奥がそわそわと落ち着かない。決して嫌なものではなくて、でも我慢するのが難しい。そんな不思議な気分だった。

 

 思えば、妖精だった頃のいたずらで結果を直接見られたのはルーリンツだけだ。あとは動かない思い出の幻影と、言霊。ハーマンについては、あの時はそんなことを考える余裕はなかったし。

 

 みんな、びっくりしてた。

 それから、すごいって言ってくれた。

 

 足はいつの間にか小走りになっていた。どこに向かうわけでもないけれど、じっとしていられない。

 

 階段を駆け上がって、そのまま廊下を走る。曲がり角に影が差した直後、どん、と衝撃が走った。

 

 ぐるんと視界が回って、気づけば天井を見上げていた。端にはハンターの頭が見えて、額と鼻の頭がなんだかじくじくしている。

 

 えっと。

 もしかして、ハンターにぶつかって、それでハンターはすり抜けられないから、はね飛ばされた?

 

 状況が分からないまま肘をついて体を起こすと、目の前に包帯が巻かれた手のひらが差し出された。顔を上げれば、ハンターがいつもの表情の薄い顔でこちらを見ている。

 

 これって、立たせてくれるつもり、なのかな。

 でもいいのかな。ハンターは優しい人で、ユーリヤに私の動きを伝えてくれたり、絵のためにチョークを削っておいてくれたりと、いつも助けてくれる。けれど、人でないもの()のことが嫌なはずだ。それにまだ包帯だって取れてないし……

 

 ハンターの顔と手を見比べていると、ハンターはフードの下でかすかに瞳を見張った。そして手を握り、目を伏せる。

 

「……いや。出過ぎた真似、か」

 

 そう呟いて、ハンターは手を下ろしてしまう。

 

 咄嗟にその手に飛びついた。

 

 大きな生き物の、特に人の体はうまくさわれないはずなのに、やっぱりハンターの手はすり抜けない。包帯越しの節ばった手をしっかりと握り締める。

 

 ほとんどぶら下がった状態の私に、ハンターは面食らったようだった。それでも握っていた手を開いて私の手首を掴み、静かに腕を引いて立たせてくれた。

 

「怪我は」

 

 ぶんぶんと首を振る。

 

 ハンターは緩んだ私の手から右手を抜いて、横をすり抜けて歩いていってしまった。きっとまたお祈りの川の方へ行くのだろう。尋ねたいこと、訊きたいことはたくさんあるのに、私にはその背中を見送ることしかできない。

 

 

 

 ハンターは、本当は私のことをどう思ってるんだろう?

 

 

 

 やっぱり嫌なのかな。それとも、違うのかな。

 絵を描いて……ああ、だめだ。どんな絵を描けば質問できるか分からない。

 

 でももし、本当は私のこと、嫌じゃないなら。

 ぼや騒ぎの時、怪我させてしまったことを謝りたい。それにその後、いろいろ助けてくれたことにお礼を言いたい。

 なにより、みんなとの()()のきっかけを作ってくれたこと、ありがとうって伝えたい。

 

 私は自分の手のひらを眺めて、ぎゅっと握り込んだ。

 

 言葉の勉強、しよう。

 

 あの時のユーリヤはお手紙をたくさんくれた。私にだって紙や黒板にものを書くことはできる。

 

 私は図書室へ駆け出す。夜になるまで勉強しよう。どれくらい勉強したら、気持ちを伝えられるようになるだろう。きっと大変だし、もしかしたら使いこなせるようになる前に消えてしまうかもしれない。

 だけれど、伝えられない気持ちにもどかしさを感じるのは嫌だ。

 

 ……ああ、時間が足りないって、こういう時に使うのかな。

 

 

 

 

 

 

 一日ずつ、一人。

 

 ユーリヤの次はルーリンツ。その次はハーマン、それからマリーと、歳の順に描くと決めてあった。本当は校長先生も描きたかったけれど、校長先生本人がその必要はないと辞退してしまっていた。

 

 みんなも朝の身支度を済ませた後、誰に言われるでもなく教室に集まるようになっていた。最初みたいにびっくりすることはもうない。でも、きらきらした目で眺めてくれて、絵についていろいろ話してくれる。

 

 ルーリンツが作ってるのは何のシチューかな、とか。

 きっとマリーは昨日のハーマンを見てるんだろうな、とか。

 ニルスががんばっていること、絵を描いてる人も知っているんだね、とか。

 

「でも、なんだか寂しいわ。どれも素敵な絵だったのに、一日で消してしまうなんて」

 

 時計台とロージャの絵を眺めながら、マリーがぽつりと呟いた。

 

「ねえ、ユーリヤ。せっかくだもの、この絵だけでも残してもらえるように頼めない? 今日の絵は、廊下側の黒板を使ってもらって……」

「それがね。あの子、絵は残したくないみたい。ここに絵を描き始める前に、小さな黒板に私のことを描いてくれたのだけど、すぐに消してしまったの」

 

 ユーリヤは寂しそうだった。私もユーリヤの悲しそうな顔を思い出して落ち込む。まさか、あんなに悲しまれるとは思ってなかったから。

 

 ただ、絵を残すのが嫌ということではないのだけれど、でも残す意味はないと思うのだ。

 絶えず流れて感覚を刺激しては、留まる事なくどこかへと消えていく。流れる時間の世界ではそれが当たり前なのだから。みんなの思い出に、その時の気持ちと一緒に残ってくれたらそれで充分なんじゃないか。そう思う。

 

 

 

 

 そして、七日目。最後の日。

 

 日はとっぷり暮れて、窓から見える夜空には真っ白なお月さまが浮かんでいる。

 差し込む月明かりのほかに、ランタンのぼんやりと暖かな光が教室の中を照らしていた。

 

 今日は()()()()()の日だ。

 

 みんな自分の仕事を早めに済ませて、ちょっとお昼寝して、夜ふかしにそわそわしながら自分の席に座っている。温かいお茶とおいしいお菓子も用意して、準備は万端だ。

 

「校長先生は、絵を描いてる人をご存じなんですか?」

 

 お茶を配りながら、マリーは校長先生へと問いかけた。

 

「ああ。私も、あの子にこのような特技があったとは、と驚いておるよ」

 

 校長先生は優しく笑って、私の方へ視線を向けた。再会した時にユーリヤが、見えないけれどなんとなくいるのが分かる、と言っていたけれど、校長先生も同じみたいだ。

 

 そこに遅れてハンターが教室に入ってきた。持っていたチョークの箱を見て、ハーマンが首をかしげた。

 

「チョークの……ということは、やっぱりハンターさんが描いてたのかい?」

「私ではない」

 

 ハンターは私に向き直り、ふたを開けて箱を差し出した。覗き込むと、いつものように削ったチョークが並んでいる。

 

「足りるか」

 

 ユーリヤと校長先生以外のみんなが、不思議そうにハンターを見た。みんなからすれば、ハンターはなにもないところに話しかけているように見えるんだろう。

 

 私は頷き、手を伸ばしてチョークの箱を受け取る。ハンターが手を離した瞬間、息を飲む音がいくつも聞こえた。みんなにはどう見えているんだろう。この箱は浮いているように見えるのかな? 想像すると、ちょっと楽しい。

 

「ゆ、ユーリヤ? これはいったい……」

「大丈夫よ、ルーリンツ。……あ、待って、ハンターさん」

 

 用事は済ませたと裏口側から出て行こうとするハンターに、ユーリヤが声を掛けた。

 

「あのね、ハンターさんの椅子とお菓子も用意してあるの。よかったら、一緒にどうかしら?」

「いや、私は……」

 

 チョークの箱を黒板の粉受けに置いて、ハンターのマントの裾を軽く引っ張った。

 嫌なら無理には言わない。でも、できれば見ていってほしい。

 

 ハンターの目元がかすかに揺れた。

 

「……いいのか」

 

 深く、はっきりと頷く。ハンターは開けていた扉を閉めて、椅子には座らず、みんなから離れて教室の隅に寄りかかる。せっかくユーリヤが用意してくれたのだし、座って欲しかったのが本音だけれど、残ってくれただけでも嬉しい。

 

 ……よし。

 

 大まかな形を取って、色の明るいところにチョークを乗せていくのはいつもと同じだ。ただ今日の絵は描く人数が多いから、その分手早く、簡潔に。

 黒板にぼんやりと陰影が現れる。そこに線を重ねていく。細部の描き込みはなるべく減らして、でも誰が誰だか分かるくらいには要点を選んで、細かく。

 

 背中に感じていたみんなの緊張は、いつの間にか消えていた。

 

 手を動かしながらちらと後ろを窺う。みんな、最初の驚きは抜けたみたいだ。お菓子やお茶を片手に、わくわくと目を輝かせていた。

 

「あ、あの立ってる人、ユーリヤかな?」

「隣にいるのはマリーだね。それと、ロージャと僕、かな」

「校長先生の後ろにいるのはハーマンね。ルーリンツは……ああ、ちょうど入ってきたところみたい」

「じゃあ、あの時の絵か。なるほど、みんな揃ってたもんなぁ」

「それにしても、全然迷ったり、手を止めたりしないんだね。何をどうやって描くのか、全部頭に入ってるんだろうね」

 

 どうやらみんなはぴんと来たみたいだ。ハンターだけは分からないみたいで、眉根を寄せたまま黒板を見ている。

 

 背景とまわりのみんなを描き終えて、私はあえて手を付けずにいた真ん中の空白に取りかかる。医務室のベッドと、しわの寄った布団。それからそこに寝ている、細く痩せた男の大人の人。

 

 それでいつの絵か分かったのだろう、ハンターは目を見開いた。

 

「お前……」

 

 ベッドサイドで様子を見守る校長先生とみんな。

 お粥を運ぶルーリンツ。

 そしてベッドから体を起こして、窓を背にみんなを見つめるハンター。

 

 今まで描いてきた絵は、みんなとはじめて出会った時の思い出だ。それに則ればハンターが門の向こうに倒れていたところになるのだけれど、さすがにそれはあんまり格好良くないから。

 

 そうして仕上げを終えて、私はチョークを置いた。窓から見える月は高いところまで昇り、みんな少し眠そうにあくびをしたり目をこすったりしている。

 

 それでも、みんな楽しそうで、ほくほくした顔をしていた。

 

 ハンターの方を見ると、視線が合ったとたんに目を逸らしてフードで顔を隠してしまう。でも引き結ばれた口元はいつもと様子が違って、なんとなく、きまりが悪そうに見えた。

 

「ありがとう、アレクシス。いいものを見せてもらった」

 

 校長先生の言葉に、めいめいが頷いた。喜んでもらえたなら、嬉しい。

 

 ユーリヤがそっと席を立つ。私の隣にきて、肩に手を添えた。

 

「じゃあ、改めて。この子はアレクシス。みんな、仲良くしてあげてね」

 

 

 

 

 次の日。みんなちょっとだけのんびりと起きて、ゆっくりと朝の仕事を済ませて、もう一度教室の絵を眺めたあと。

 

「アレクシス用の連絡ボードはこれでよし、と」

 

 ルーリンツがイーゼルに黒板を立てかけて、おろしたてのチョークを受けに置く。まわりのみんなにも見えるように横に立ち、ぽんぽんと軽く叩いた。

 

「なにか伝えたいことがあったら、ここに書いておくよ。もし急ぎの用事があったら、ハンターさんを通して声を掛ける。それで大丈夫かい?」

 

 私は大きく頷いた。それから少し離れた壁際に立つハンターを見る。

 

「問題ないらしい」

 

 ロージャはハンターを見上げて、その視線の先を追った。

 

「ハンターさんにはアレクシスが見えるのね。どうして?」

「それは……」

 

 ハンターはフードの下で瞳を伏せた。

 私のいる方を向いたロージャはじっとこちらを見つめながら、小さく首を傾げている。

 

「私も大人になれば、アレクシスが見えるのかなぁ。校長先生は見えるのかな?」

「……グレイブズには、見えていない」

「そうなの?」

 

 ロージャが振り返った時には、ハンターはうつむいてフードを深く被りなおしていた。

 

「アレクシスの方も、なにかあったらここに……あれ、そういえば、アレクシスは字は書けるのかい?」

 

 あれから勉強して、簡単な単語をちょっとだけ書けるようになった。だけど控えめに頷いた私には一切目もくれず、ハンターは首を振った。

 

「書けないはずだ」

「そうなのかい?」

「書けるなら、絵で意思疎通を図る事はなかっただろう」

「あ、そうよね。そっか、だからあの時、アレクシスは絵を描いて説明してくれたのね」

 

 ……そ、そうだけれど!

 たしかにあの時は書けなかったし、今だってちょっとしか書けないけれど!

 

 むっとしながらチョークを掴む。これは訂正しなければ。

 

「あ、さっそく使ってくれるみたいだよ」

 

 みんなの視線が私に集まった。むっとした気持ちはすぐにしぼんで、代わりに胸の中からそわそわしたものが湧いてくる。

 

 みんなに、最初に伝えたい気持ち。

 

 チョークを黒板に当てる。えっと、つづりはどうだったっけ。なにからはじめるんだっけ。何度も練習したのに緊張してしまう。絵を描いている時はそんなことなかったのに。

 後ろを向けば、みんな私の方を見て待っている。覚悟を決めて、チョークを走らせた。

 

 

 "I tank you"

 

 

 みんなの整ったきれいな字に比べて、なんとも不格好で、へろへろして、みっともない。

 それでも、伝わってくれるかな。

 

「……ふふっ」

 

 最初に吹き出したのはマリーだった。

 つられてみんなも笑い出す。ハンターだけは笑わずに顔を逸らしたけれど、いつもより表情は緩んでいるように見えた。

 

 私はみんなの顔を一人ずつ見つめていく。ユーリヤ。ルーリンツ。ハーマン。マリー。ニルス。ロージャ。それから、ハンター。ハンター以外のみんなの笑顔は今までもたくさん見てきたけれど、今はその笑顔を私にも向けてくれている。

 

 一緒に笑い合えるのは、やっぱり、すごく嬉しい。

 

 

 

 その後つづりの間違いを指摘されたり、あまりの恥ずかしさに落ち込んでダニーに慰めてもらったりもしたけれど、ありがとうって気持ちはちゃんとみんなに伝わってくれたみたいだった。

 

 

 

 

 

 

 私は寝息を立てるダニーの隣に腰を下ろして、寄り添って丸くなるティアを手に意識を込めて撫でた。

 

 夜、玄関に来るのも久しぶりだ。ここ一週間、ずっと第二教室に詰めていたから。ユーリヤには眠らなくて大丈夫かと心配されてしまったけれど、私は眠ることができないし、眠いという感覚がまず分からないから、特に問題はなかった。

 

 玄関の窓から差し込む月明かりを眺めながら、昨日の夜と今日のことを思い出す。

 みんな、妖精ではない私のことを受け入れてくれた。また友達になれた。

 

 そっと自分の手のひらを見る。

 青い時振計の指輪も、赤い命の指輪もない。それなのに私はみんなに気づいてもらえた。それはどれほど幸運なことだろう。ハンターがいなければ、間違いなく私は暗い時の雪の中にひとり消えていくしかなかったのだから。

 

 あの時のユーリヤが消えてしまったのは、十一月三日の夜だった。

 なら、指輪を手放した私も同じくらいまではいられるはずだ。

 

 残り時間は四ヶ月と少し。消えてしまうまでに、みんなとたくさん思い出を作ろう。

 

 妖精だった時も夏には留まれなかったから、どんな季節か楽しみだな。みんなが揃った演奏会、見られるかな。本当は十二月の行事らしいから、難しいかな。ハンター、みんなと仲良くなってくれるといいなぁ。

 

 未来のことに思いを馳せると、それだけでなんだか笑顔になる。不安もいろいろあるけれど、今は楽しみの方が勝っていた。

 

 

 

 私が時間の向こう側に持っていけるのは、いつだって思い出だけだったから。

 これからたくさん作れると思うと、すごくわくわくして、私はひとり小さく笑った。




 「パセリ【勝利、祝祭、死の前兆】」了。
 次章「セージ【知恵、尊敬、家庭の徳】」掲載まで今しばらくお待ちください。

 以下補足。
 今回の話は早期購入特典PSテーマが元ネタです。描かれるシーンのチョイスからして、黒板に絵を描いているのはアレクシスという設定なのではないか、と勝手に思っております。
 子供たちとはじめて会った時の思い出を、姿の見えないあの子が描いていると思うと、なんとも暖かく、そしてもの悲しい気持ちになります。
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