スカボローフェアを聴きながら   作:Ghotiolo

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5/21:修正

 しばらくのんびりした話が続きます。

 マリーはユーリヤより身長が高いですが、年齢はおそらく三、四歳は離れているはずです。ユーリヤが十七、八だとして、マリーは十四、五くらいでしょうか。
 ゲーム本編ではロージャの姉代わりとしてしっかりした姿の多かったマリーですが、ユーリヤが命の時間をなくしていないなら、たまには甘えるような事もあるのかなと考えたりします。身長差にしても、ずっと見上げて追いかけていた大好きなお姉ちゃんに、背丈だけでも追いつけた時、すごく嬉しかったんじゃないかなと思う次第です。


セージ【知恵、尊敬、家庭の徳】
なめくじ事件


 これはハンターがベッドから起き上がれるようになってすぐ。まだ私がハンターを怖がっていたころのことだ。

 

 

「せっかくだもの、ハンターさんも一緒にごはんを食べましょう? ね?」

 

 そんな提案を受けて、はじめて食堂に案内された時、ハンターの表情の薄い顔に明らかな戸惑いが浮かんだ。

 

 ルーリンツがよそったシチューをハーマンとニルスがテーブルに運び、その隣ではマリーが焼きたてのバケットを切り分けている。ロージャも手伝いたそうにしていたけれど、足の怪我があるから、一人で先に席についていた。いつもと変わらない朝の光景だ。

 

「あ、おはよう。ハンターさん」

「……ああ」

 

 ハンターに気づいたみんなが、口々にあいさつする。それにあいまいな返事をして、ユーリヤに案内されるままに奥の方へ座った。

 配膳を終え、席に着いたみんなが食事の前のお祈りをしている時も、お祈りを終えてスプーンを持った時も、ハンターはうつむいてお皿をじっと見ていた。

 

「? どうしたの?」

 

 ユーリヤの問いかけにハンターは顔を上げた。けれど、すぐに伏せてしまう。

 

「……行儀が分からない。恐らく、経験がない」

 

 誰かとごはんを一緒に食べたことがない、ということなのかな。それとも、校長先生との話の時に昔の記憶がないと言っていたけれど、そういう思い出も全部なくしてしまったのだろうか。

 みんなが言葉をなくして見つめる中で、ハンターはテーブルに置いた手を握りしめ、腰を上げてしまった。

 

「君達を不快にさせる。私は後でいい」

「あ、待って!」

 

 ロージャの制止に、ハンターは立ち上がった姿勢で止まった。無言でじっと見つめ返されて、ロージャは言葉に詰まりかけたけれど、ぐっとこらえて口を開く。

 

「あのね、ハンターさん。ルーリンツのシチューはね、できたてもすごくおいしいのよ」

 

 ユーリヤとルーリンツもハンターに声を掛けた。

 

「ロージャの言うとおりよ。それに私たちだって、あまりお行儀には詳しくないわ」

「食器を乱暴に扱ったり、食べてる最中に遊び出したりした時は、さすがに怒られたけどね。……?」

 

 ルーリンツが冗談めかして付け足す。なぜか不思議そうに目をしばたいたけれど、すぐにいつもの穏やかな表情に戻った。

 

「最初の日くらいの勢いなら、誰も怒ったり気分を悪くしたりなんてしないさ。それに作った身としては、おいしいうちに食べてくれた方が嬉しいよ。ほら、座って座って」

 

 ルーリンツに促されて、ハンターは席に戻った。

 

 みんながかたずを呑んで見守る中で、スプーンを手に取り、不器用にかちゃかちゃと音を立てながらシチューをすくって口に運ぶ。

 まるで最初にお粥を出した時みたいだ、とひとり食堂の入り口で眺める私をよそに、シチューを飲み込んだハンターはぽつりと呟いた。

 

「……うまい」

 

 思わずぽろりとこぼれた、といった様子だった。それを聞いたみんなは表情を明るくして、テーブルから身を乗り出す。

 

「良かった。おかわりもあるからたくさん食べてよ」

「パンにつけてもおいしいのよ。私のぶん、分けてあげる!」

「あ、ああ」

 

 そんな風にみんなでいろいろと勧めるものだから、そしてハンター自身も量が入らないのにうまいと言いながら食べ続けるものだから、食べ過ぎで動けなくなってしまって、ハンターも含めた全員が校長先生にこんこんとお説教されていた。

 

 でも、それからというもの、ハンターは食堂でごはんを食べるようになった。

 ごはん時のハンターの表情は、普段よりほんのり柔らかい。おいしいっていうのは、それだけで人を幸せにするんだろうな。

 

 

 

 

 また、ある時。

 

「ハンターさん。はい、これ」

 

 マリーが差し出した黒い輪っかのペンダントを見て、ハンターはフードの下で目を丸くした。

 

 一拍おいて、音がするほどのすごい勢いで自分の胸元を触る。シャツの下を覗き込み、ズボンやベストのポケットをあさり、軽く手を振って(今思えば、あれは()()しようとしていたのだろう)、表情の薄い顔にかすかな苦々しさをにじませた。

 

「それは、どこに」

「洗濯物のズボンのポケットに入りっぱなしだったのよ。大事なものなのでしょう?」

「……ああ」

「なら大切にしなくちゃ。なくしたら、きっと後悔するわ」

 

 ペンダントを受け取ったハンターはズボンのポケットに入れようとして、途中で思いとどまったようだ。いったんフードを下ろして首に掛け、服の下にしまう。シャツの上から、そっと手を当てた。

 

「あと、それとね」

 

 マリーは小さな手帳を取り出した。

 

「気をつけてることとか、なんとなく習慣になってる決まりごととか、みんなから聞いてまとめてみたの。良かったら参考にして」

 

 と、いうのも、ハンターはたびたび小さな失敗を起こしていたのだ。脱いだ服をしわくちゃのままにしたり、食器を片づけようとして重ねて割ってしまったり。お風呂場の使い方も知らなかったし、食事の前とかにやる日々のお祈りについては、そもそも祈ること自体を嫌がっている節があった。

 

 ハンターは手帳を受け取り、表紙にじっと視線を落とした。表情は相変わらず薄いけれど、口元は引き結ばれている。

 

「……迷惑ばかり、掛ける」

「気にしないで。少しずつ、慣れていけばいいのよ」

 

 マリーの笑顔は柔らかい。見ている人をほっと安心させるような微笑みは、ユーリヤにそっくりだった。

 

 

 

 

 そんな風に、ハンターは失敗を経て、少しずつみんなの生活に溶け込んでいった。

 

 ハンターがどれだけ弱っていたか、みんな覚えている。きっとつらい思いをしてきたのだろう、って、校長先生から聞いている。

 なにより、ハンター自身が自分のふがいなさを許せないことを知っている。マリーから渡された手帳にたくさん書き込みをしているのを、洗濯物のポケットに入れっぱなしだったせいでマリー本人が見つけたのだ。

 

 みんなの手助けもあって、ハンターの日々の暮らしぶりはどんどん良くなっていった。

 

 脱いだ服は軽く畳んで、シャツとズボンやベストは分ける。ポケットの忘れ物はまだ起きるけれど、それだってだんだん減ってきている。

 

 ご飯を食べる時の所作も、不器用に音を立てたりこぼしてしまっていたのが、静かで落ち着いたものに変わってきている。お祈りについては、ハンターにとっては馴染みのない聖母さまじゃなくて、ごはんを作るルーリンツたちへの感謝の気持ちを込めたら、という提案に一も二もなく頷いていた。

 

 今でも用事がなければお祈りの川のほとりに座っているのは相変わらずだ。前と違うのは、みんなに声を掛けられた時に断らずに付き合うようになったことだろうか。

 

 あのぼや騒ぎから何日か経ったころには配膳も手伝うようになって、右手の包帯が取れた今ではキッチンで野菜の皮むきをやっているのも見かける。ルーリンツによると、丁寧かつ仕事が早くて大助かりなんだそうだ。

 

 そんな風に日々がおだやかに続いて、ハンターがこの学校にやってきてから、もう一カ月が過ぎようとしてた。

 

 

 ……私は、まだハンターに、あの時のお礼を伝えられていないままだ。

 

 

 

 

 

 

 ちりり、と鳥かごの中で小鳥がさえずった。

 

 この子はこまどりという、歌うのが得意な鳥の仲間だそうだ。曇り空のような暗い灰色の体の中で、頭から胸元にかけての鮮やかな夕焼け色が目を惹く。

 怪我をしていたという右の翼もすっかり良くなった。跳ねるように止まり木に飛び乗って、またちりちりと鳴く。声を出せない私としては、ちょっとうらやましい。

 

 ちゅりーちゅりー、ちりちりりと楽しそうな小鳥に手を振って、テーブルへと視線を戻す。ルーリンツがチェス盤に駒を並べ終えたところだった。

 

「……よし。じゃあ昨日の続きだ。まず序盤の展開についておさらいしよう」

 

 相向かいに座ったハンターは、眉根を寄せて盤面を見つめている。最近なんとなく分かってきたけれど、眉間にしわを寄せている時は悩んでいるか考え込んでいるらしい。

 

 ルーリンツに誘われてチェスの手ほどきを受けてから、ハンターは遊び方を熱心に勉強している。始めて一週間、まだまだ勝負をするところまではいかないものの、飲み込みが早いらしくて教える側も楽しそうだ。

 

 押さえるポイントをおさらいしたあとは、実際に駒を動かしてみる。初心者の練習とはいえ、脇の甘い手を指せばルーリンツは指摘しながら容赦なく突いてくるので、気を抜くことはできないみたいだった。

 

「……うん、課題は全部こなせたね」

 

 ルーリンツにそう言われて、ハンターは息をつきながら肩にこもっていた力を抜いた。

 

「……やる事が多いな」

「自分の駒をきちんと連携させながら、攻め入りやすい陣地を押さえて、相手の駒ににらみを利かせて、王様を安全な場所に移して、だからね。もちろん相手も基本的には同じことを狙ってくる。相手の動きに応えるように、一つの手に複数の意味を持たせられるようになると、できることがどんどん見えてくるよ。最初は難しいけど、そのうちにね」

 

 言いながら、駒を最初のように整列させる。

 

「今日は序盤の定跡をいくつか見ていこうか。暗記する必要はまだないけど、どんな展開があるのか知っておくと動かしやすくなる」

 

 そうやっておだやかに時間が過ぎる部屋に、少し強めのノックが響いた。

 

「ごめん、誰かいるかな? 開けてもらえると、助かるんだけど」

 

 席を立とうとした二人を手を振って止め(ルーリンツにはハンターが伝えてくれた)、手に意識を込めてノブを回す。扉の向こうにいたハーマンの腕の中には、ひと抱えほどの箱があった。

 

「わっ……って、アレクシスか。開けてくれてありがとう」

 

 一緒に部屋に入ってきたティアを蹴飛ばさないように気をつけながら、ハーマンはテーブルの空いた場所に箱を降ろした。

 

 それを追うようにティアもテーブルの上に飛び乗って、催促するように尻尾を揺らす。耳の後ろを撫でてやると、目を細めて喉をごろごろ鳴らし始めた。なんだか妖精だったころに比べてずいぶん優しいけれど、理由は分からない。ティアやダニーともお話できたらいいのになぁ。

 

「お疲れさま。ずいぶんと大荷物だけど、それは?」

「焼けてしまった本の、新しい表紙を作ろうと思ってさ。第一教室は、ニルスが使ってるから」

「表紙に使えるような布はあったのかい?」

「それが、今は端切れもないらしい。丈夫な紙はあったから、それを代わりに使うつもりだ」

 

 色とりどりの丈夫な布に、細かな刺繍ときらきらした箔押し。本の表紙はどれもきれいで、だけど材料がない以上、作ることはおろか、補修することも難しい。

 もちろん、大切なのは中身のページだ。けど、眺めるだけでわくわくさせてくれる表紙がなくなってしまったのは悲しい。それを一番感じているのはハーマンなのだろう。笑った横顔はどこか寂しそうだった。

 

「布、か……」

 

 ハンターは小さく呟いた。それから、テーブルの厚紙を見つめる。

 

「その大きさがあればいいのか」

「? いいや。これは芯紙だよ。欲しい大きさはこっちの紙なんだけど、布はあまり余裕がなくてさ――」

 

 突然、ティアががばりと顔を上げた。

 

 

「――きゃあああああっ!」

 

 

 悲鳴。

 それも、すぐ近くで。

 

 体をこわばらせた私。椅子を蹴倒したハンター。なんだときょろきょろするルーリンツ。真っ先に動いたのはハーマンだった。

 

「……っ、マリー!」

 

 ハーマンは部屋を飛び出した。我に返った私たちも後を追う。

 廊下に出て、すぐに角を曲がってお風呂場へ急ぐ。開けっ放しの扉の奥で、マリーがぺたりと座り込んでいた。

 

「マリー! 大丈夫かい、何があったんだ?」

「ハー、マン……」

 

 ハーマンはマリーの前にひざをついて、そっと肩に手を添える。まなじりに浮いた涙のしずくもそのままに、マリーは震える手で洗濯物を指さした。山になった洗濯物が、もぞり、もぞり、と小さく動いている。

 

 ……なにか、いるのだろうか。思わず隣にいたハンターの腕にしがみついた。

 

「は、ハーマン。不用意に近づかない方が……」

 

 ルーリンツの忠告に首を振り、ハーマンは洗濯物をひっくり返す。

 そうして露わになったものは。

 

「……なんだ、これ?」

 

 ハーマンは思わずといった様子でぽつりと呟いた。

 

 たぶん、生き物、だと思う。

 

 私の手のひらと同じくらいの大きさだろうか。手足はなく、半透明の細長い体の中で、きらきらと細かな銀の光がきらめいている。私が知るどんな生き物ともかけ離れた見た目だけれど、動いているから生き物だ。たぶん。

 

 ハーマンの後ろからルーリンツが恐る恐る覗き込んで、「あれっ?」とすっとんきょうな声を上げた。

 

「……なめくじ? もしかして、なめくじ、かな」

「ルーリンツ、知ってるのか?」

「体の色が全然違うけど、たぶん。でも何年ぶりだろう。もうずっと見てなかったからなぁ……」

 

 その変な生き物はきょろきょろと二本の角を動かして、ハーマンを見て()()()と身を縮こめた。恐る恐る顔を覗かせ、今度は耳を寝かせて唸るティアに怯えたのか服の山に隠れる。

 

「…………あ」

 

 頭の上からそんな声が聞こえた。私は視線を上げて、ぎょっとしてしがみついていた袖を離した。薄いなりに気持ちを読み取れていたハンターの顔から、すとんと表情が消えている。なんだか、すごく怖い。

 

「マリー! だいじょ……きゃっ!」

「っう、うええぇん、ユーリヤぁ……!」

 

 駆けつけたユーリヤを見て、マリーは泣き出しながら腰にぎゅっと抱きついた。ユーリヤはびっくりしたみたいだけど、すぐに抱きしめ返して、しゃくりあげる背中を優しく叩いた。

 

「あのさ、マリー。もしかして、この子に驚いて叫んだのかい?」

「っ、だって、見たこと、ないもの。生き物が、いるなんて、ポケットに隠れてる、なんて、思わない、もの……!」

「うん、まあ、そうだねぇ。でも、棚が倒れたとか、転んで頭を打ったとかじゃなくて、本当によかった……」

 

 ハーマンは力なく笑って、その場にどかりと座り込んだ。安心したように深くため息をついて、また笑う。

 

「こっちの子も、怪我とかはしてないみたいだね。君はどこから来たんだい?」

 

 人差し指で生き物をつつくハーマンと、それを後ろから興味深そうに覗き込むルーリンツ。ユーリヤはよしよしとマリーを慰めているけれど、落ち着くにはまだまだ時間が掛かりそうだ。ティアは相変わらず唸っているし、遅れてやってきたニルスは、マリーを見て、ハーマンを見て、またマリーを見て、さっぱりわけが分からないという顔をした。

 

「ハンターさん、これはいったいなにがあったの?……ハンターさん?」

 

 ニルスの問いかけに答えることなく、ハンターは一歩前に出てルーリンツの肩を叩いた。

 

「ハンターさん? ほら、見てごらんよ。この子、体が透けてて、まるで雨だれが生き物になったみた……」

「退いてくれ。駆除する」

「くじょ? 駆除、って……ちょっと、ちょっと待とう! 落ち着いて! そんなのかわいそうだ……!」

「私の不手際だ。責任は取る。すぐに終わる」

「ど、どういうことだい?」

 

 ルーリンツが宥める間に、ハーマンが生き物を手ですくい上げてかばう。当の生き物はぺったりと落ち込んでいて、逃げる気力もないみたいだ。

 

「この子、もしかしてハンターさんが連れてきたのかい? と、とにかく落ち着いて……わぁっ!?」

 

 ルーリンツを片手で押しのけたハンターの背中に、震える声が掛けられた。

 

「っ、うぅ……ポケットに、生き物、入れてたの?」

 

 ハンターはびくり、と肩を震わせた。

 

「それは……分から、ない。だが、入っていたなら、恐らく、は……」

「なんでっ、なんで、そんな、危ないこと、するの……水に、漬けちゃっ、たら……そんなの……!」

 

 また泣き始めてしまったマリーを前に、ハンターはさっきまでの勢いを失って立ちすくむ。フードの下で唇は白く噛みしめられていた。

 

 

 

 

 

 

 男子の寝室にはさんさんと陽の光が差し込んでいる。けれど、部屋の一角はまるでどんより曇ったように暗く感じられた。

 

 椅子に座り込んでうなだれるハンターに、そっとハーマンが声を掛ける。

 

「……ハンターさん、大丈夫?」

 

 返事はない。ハーマンとニルスは困ったように顔を見合わせた。

 

 フードで顔は隠れているけれど、がっくりと落ちた肩や投げ出された足を見れば、どんな気持ちかは分かる。

 

 間違いなく、ものすごく、落ち込んでいる。

 

 お風呂場から連れてきた生き物も、テーブルの上で同じようにしんなりしている。耳を寝かせっぱなしのティアが怖い目で睨んでいるのもあって、完全に萎縮してしまっていた。

 

 ……それにしても、ポケットに入っていたというけれど、服に生き物を入れてそのまま気づかない、なんてことはあるのかな。

 

 小鳥のさえずりばかりが響く部屋の中、キッチンに向かったルーリンツがお盆を持って戻ってきて、ハーマンたちは小さくほっと息をついた。お盆の上にはポットとカップ、それからちぎったキャベツの外っ葉が載っている。

 

「お待たせ。紅茶にセージを入れて蒸らしたんだ。口の中がすっきりするよ」

 

 ハンターはルーリンツからカップを受け取って、だけど口をつけずに膝の上に置いた。ルーリンツは苦笑して、自分の分を注ぐと、隣の席に腰を下ろして向かい合う。

 

「この子、どこで見つけたんだい? なめくじなんて、本当に久しぶりに見たよ」

「……前にいた、街で」

「え?……もしかして、これくらいの小さな生き物なら、()()で隠して連れ歩けるのかい?」

 

 ハンターは力なく頷いた。へぇ、じゃあ命のないものしか隠せない妖精より、ずっと融通が利くの……え、待って。

 

 もしかしなくとも、ルーリンツにも()()のことがばれてしまっているの?

 

 ハーマンとニルスを見ると、特に不思議がる様子も驚いた様子もない。それってつまり……いや、チョークを削ってくれた時のあの様子なら、それこそポケットから出し入れするのと同じ調子でやってしまっていても、おかしくない、かも。

 

「じゃあ、この子もハンターさんと一緒に外から来たのか。紹介してくれれば良かったのに」

 

 キャベツの外っ葉を目の前に置くと、生き物は二本の角をそっと上げてルーリンツを見た。遠慮がちにふちに口をつければ、銀の星が散った体に、するすると緑色が混じっていく。見れば見るほど不思議な生き物だ。花びらとか食べたらその色に変わるのかな。

 

 もそもそとキャベツを食べていた生き物が、ふと顔を上げてこちらを見た。角を傾げて、鼻先をこちらに差し出して、ティアの低いうなり声にびっくりしてころんと転がった。

 もう、さっきからどうしたんだろう。妖精だったころの私にだって、こんなに強く威嚇したことなんてなかったのに。

 

「こら。驚かせたらだめだろ、ティア。……それで、どうしてこの子が洗濯物に紛れていたのか、ハンターさんはなにか分かるかい?」

「……裏庭にいる時に、いつも外に出して遊ばせていた。最後に出したのは昨日の夕方だった。恐らく、その時に」

 

 その時、生き物が頭を上げた。こけた状態から起き上がり、ハンターに向けて角をぴこぴこ動かす。ハンターが手を差し出すと、銀の光を散らしながらぐりぐりと頭を擦り寄せた。

 

「はは、けっこうかわいいものだね。でもなめくじって、こんなに人に懐くものなのかなぁ……」

「……木箱に一頭だけ閉じ込められていたのを、たまたま拾った。確か、その時からこうだった」

「閉じ込められてた? じゃあ、この子にとってハンターさんは、外に連れ出してくれた恩人なんだね。なおさら大切にしてあげてよ。ハンターさんのこと、大好きなんだろうから」

「……ああ」

 

 ハンターは生き物をそっとつまみ上げてキャベツの上に乗せ、指先で額を撫でた。生き物は離れる手に角を伸ばしたけれど届かなくて、寂しそうにキャベツをかじる。

 

「その子のことだけど、きちんと説明すればマリーも分かってくれるだろうから……」

 

 ルーリンツはふと言葉を切った。心配そうにハンターの顔を覗き込む。

 

「ハンターさん? どうしたんだい?」

「……ルーリンツ。私は、どうすればいい」

 

 ハンターは膝の上に置いたカップを握りしめた。

 

「マリーを、あれだけ気に掛けてくれたというのに、泣かせて、しまった。私のせいだ。また。だというのに」

 

 絞り出すように、苦しそうに、ハンターは言う。

 

「記憶を失えど会話は行えた。そういう知識は残った。だが、こういう時にどうすればいいのか、分からない。分からないんだ。……私は、何も知らない。君達が当たり前に知っている事を、何一つとして」

 

 その背中はなんだか小さく見えた。フードに隠れた、普段は表情の薄い顔には、思い詰めた色が濃く浮かんでいる。

 

「……そっか」

 

 ルーリンツは紅茶を一口飲んだ。静かに目を閉じて、それから相手を安心させるような、優しい笑顔をハンターに向けた。

 

「ハンターさんは、仲直りするの、はじめてなんだね」

「……仲、直り」

「ああ。こつは、まずは自分の悪かったところを謝ることから、かなぁ」

 

 謝る、とハンターは繰り返した。ルーリンツは頷いて、だけど、と言葉を続ける。

 

「謝るっていうのはさ。ごめんよって口で言うだけならすごく簡単だ。大切なのは、謝った相手とこれからどうなっていきたいかを、きちんと伝えることなんだ」

 

 ハンターはフードの下で目を見開き、そして伏せる。

 

「……謝って、許されるのか」

「うーん、それは時と場合で変わってくるものだけど、でも、そうだなぁ……どうせ許してもらえない、なんて諦めるのは絶対にだめだ。きっと許してくれるはずだ、なんて思いながら謝るのと、同じくらい失礼だからね」

 

 ルーリンツは紅茶をまた一口飲む。ほっと息をついて、柔らかい、だけど真摯な声でハンターに語りかけた。

 

「もしかしたら、嫌われてしまったかもしれない。許してもらえないかもしれない。それでも、また笑ってほしい。一緒に笑い合いたい。……大事なのは、その気持ちなんじゃないかなって、思うんだ」

 

 ……ああ。もしかして、だから、あの時のルーリンツは。

 耳を元に戻したティアがそっと私に鼻先を擦り寄せて、のどの奥で細く鳴いた。そんなに落ち込んで見えてしまったのだろうか。ありがとうの気持ちを込めて、あごの下をそっと撫でた。

 

「えらそうなことを言ってごめんよ。でも、ハンターさんが慣れない中で頑張ってきたの、知ってるからさ。僕も、それからマリーも。……できれば、これからも仲良くしてほしいって、思うんだ」

「……いい、のか」

「もちろんだよ! だって、せっかく友達になれたんだから」

「…………友達、か」

 

 ハンターは小さく呟いて、手元に視線を落とす。そしてカップに口をつけてゆっくりと飲み干し、腰を上げた。

 生き物に右手を差し出すと、生き物は小さくなったキャベツを咥えたままいそいそと這い上がる。手のひらに収まった生き物を軽く握り込めば、キャベツごと溶けるように消えてしまった。

 

「いってらっしゃい、ハンターさん」

「ああ。……ルーリンツ、感謝する」

 

 ルーリンツに軽く頭を下げて、ハンターは部屋から出ていく。静かに閉められた扉を少しの間見つめて、ルーリンツはベッドや椅子に座っていたほかの二人に向き直った。

 

「さあ、洗濯物を片づけてしまおう。僕はこれをキッチンに下げてくるから、先に始めててくれないか」

「分かった。行こう、ニルス。……やっぱりすごいな、ルーリンツは」

「なんだいハーマン、突然そんなことを言って」

 

 ハーマンは笑いながら首を振る。

 二人も部屋から出て、扉が閉まって、足音が遠ざかってから、ルーリンツは椅子にぐったりともたれかかって深く息をついた。

 

「き、緊張したぁ……」

 

 さっきまでのしっかりした姿から一変して、ルーリンツは弱りきった顔で額の汗を拭う。

 

「お風呂場でのハンターさん、すごく怖かったなぁ……あんな風に怒るんだ、はじめて見た……話の前に落ち着いてくれててよかった……本当によかったよ……」

 

 カップに紅茶をなみなみと注いで、ぐいっと呷り、また深く息をつく。

 

「それにしても、仲直りの仕方を知らない、か……」

 

 ルーリンツは寂しそうな顔で、テーブルのチェス盤を見た。

 

「でも、うん……これで大丈夫、かな? あとはマリー次第だけど、きっと……」

 

 視線がふっと私に向いて、まるで止まった時の中みたいに固まった。何度かまばたきして、ぎしぎしと動き出す。

 

「……え、あ、アレクシス? いる、のかい? ハーマンたちについて行ったんじゃ……」

 

 ルーリンツのことが気になったから残ったのだけれど、当人としては恥ずかしがったみたいだ。眉尻を下げて、ごまかすように笑う。

 

「はは、情けないところ見せちゃったかな……」

 

 情けなくなんか、ない。

 

 さっきまでハンターが座っていた椅子に腰掛けて、ルーリンツの手に手のひらを重ねた。

 

「アレクシス? えっと、どうしたんだい?」

 

 ルーリンツはいいお兄さんだ。

 みんないなくなって、苦しい中で、もう応えることのできないユーリヤに謝りながら、みんなを助けるための(すべ)を探して、私を信じて待っていてくれた。

 

 諦めなかった。謝ったその先を、ずっと目指し続けた。

 なかったことになっても、私は覚えている。

 

 ルーリンツは、本当に、いいお兄さんだ。

 

「うーん、ハンターさんみたいに、僕にもはっきり見えたらいいんだけど」

 

 困ったように笑って、ルーリンツは私の顔がある位置を見つめた。

 

「もしかして、ハンターさんのことが心配かい? 大丈夫だよ。あのなめくじの子が懐いてたの、見ただろう? 不器用で少しうっかり屋だけど、真面目で優しい人だから」

 

 直後、少し乱暴に扉が開いた。

 戻ってきたハンターは、ふらふらとおぼつかない足取りでこちらへ向かってくる。慌てて立って椅子を譲ると、がくりと力なく座り込んだ。

 

「は、ハンターさんっ? どうしたんだい? ま、まさか……」

「…………今は会えない、と……」

 

 ルーリンツはきょとんとして、それから苦笑を浮かべた。

 

「そっか。今は、会えない、か。……そうだ、ハンターさんも洗濯手伝ってよ。体を動かしていた方が、きっと心も少しは楽だからさ。せっかくだし、アレクシスも」

 

 

 

 

 洗濯を終えたあと、庭に張ったロープに並んだ白いシャツを眺めながら、ハンターはぽつぽつと話してくれた。

 

 応対してくれたユーリヤは、マリーを呼びに行ったあと、すぐに申し訳なさそうに戻ってきたという。

 

「ごめんなさい。マリー、まだ今はハンターさんと会えないって……」

 

 でも、とユーリヤはそっと微笑んだそうだ。

 

「今はまだだめだけど、落ち着いたら、きっとあの子と話してあげてね。仲直りしたいって思ってるのは、マリーも同じだから」

 

 結局その日は会えなくて、次の日の朝もマリーは部屋から出てこなかった。

 

 

 

 

 

 

 すうすうと規則正しい息の音を立てて、マリーはお昼寝用のまくらに顔をうずめていた。

 

 礼拝堂の二階は静かだ。廊下のホールクロックの振り子の音を、時折吹き込む風がさらっていく。

 耳を澄ませばみんなの声や仕事の音が聞こえてくるけれど、どこか遠くの出来事みたいに感じられて、しじまはいっそう深い。

 

 ユーリヤによれば、マリーが朝ごはんに出てこなかったのは単なる寝坊らしい。午前のうちからここで伏せているあたり、昨日はよく眠れなかったみたいだ。

 

 ハンターの落ち込みっぷりを知っている身としては、早めに話してあげてほしいと思う。でも、赤みの残る目元を見ると、ゆっくり休んでほしいとも思う。

 マリーを見つけてから、誰かを呼びに行くでもなく相向かいに座っているのも、どうするか決めあぐねているからだった。ハンターは仲直りの仕方を知らないって言ってたけれど、私だって似たようなものだ。

 

 ……どうするのが、二人にとって一番いいんだろう。今の私にできることなんて、果たしてあるんだろうか。

 

 ぼんやりと時間は過ぎ、やがて廊下の軋む音がした。だんだんと大きくなるその音に振り返ると、うつむいたハンターが歩いてきているところだった。

 ハンターは顔を上げて、フードの下で目を見開いた。立ち止まって、足が少しだけ下がる。だけどすぐに、ゆっくりした足取りでこちらへやってくる。

 

 もし今から謝るなら、私は席を外した方がいいかな。

 

 椅子から降りて、がんばれという気持ちを込めてハンターの右手を握る。ハンターは弱った顔に少しだけ驚きを浮かべて、静かに握り返してくれた。

 

 私はそのまま廊下に出て、なんとなく心配になって振り返る。

 

 ハンターはマリーの肩に手を伸ばして、あと少しで触れそう、というところで、引っ込めてしまった。

 視線を開け放たれた窓に向け、それから右手を軽く振る。空中に灰色のさざ波が走って、茶色いケープがふわりと現れた。広げて、マリーにそっと掛ける。

 

「……、……」

 

 口元が小さく動いたけれど、呟いた声は風に紛れて消えてしまった。そのまま、マリーに背を向ける。

 

 その腕をマリーが掴んだ。

 

「……ッ!」

「行かないで」

 

 枕に顔をうずめたまま、マリーはぼんやりと眠そうな声で言った。腕を放すと、ハンターはよろめくように数歩後ろに下がる。

 

 マリーは目元をこすりながら体を起こした。まだ眠気の残る、ちょっとだけむっとした顔でハンターを見つめる。

 

「そこに、座って」

 

 ハンターはぎくしゃくと椅子に腰を下ろした。私は入り口に隠れて、中の様子を窺う。背中しか見えないけれど、ハンターはかちこちだ。本当に大丈夫かな。ルーリンツ、呼んできた方がいいのかな。

 

 マリーはハンターをじっと見た。こぼれたあくびを手で隠す。そして、柔らかな笑顔を浮かべた。

 

「……ふふっ」

 

 軽やかな笑い声に、ハンターはびくりと肩を揺らした。

 

「ごめんなさい。でも、干してある洗濯物にじゃれて、落としてしまった時のダニーと同じ顔してるんだもの」

 

 後ろ姿からも分かるくらい、ハンターはうろたえている。マリーはまだ少し眠そうに目元をこすった。

 

「私ね、きちんと怒るつもりだったのよ? でも、それだけ反省してる人のこと、叱れないわ」

「だが、それでは……私は君を傷付けた。本当に済まなかった。君には罰する権利がある」

「ハンターさん。それは、少し大げさすぎるわ」

 

 マリーは困ったように笑う。

 

「そうね、すごく驚いた。またハンターさんが忘れ物してるって思ったら、ぬるぬるして柔らかい、見たことのない生き物が出てきたのだから。驚きすぎて取り乱して、あんな風に泣いてしまって、落ち着いた後ですごく恥ずかしかったのは確かだし、昨日まだ会えないって伝えてもらったのもそのせい。ごめんなさい、せっかく来てくれたのに」

「謝る事など……」

「いいえ。だってハンターさんのこと、振り回してしまったみたいだから。……それにね。私が怒りたかったのは、泣いてしまったことじゃないのよ」

 

 笑顔を引き締めて、まっすぐで真剣な眼差しで、ハンターを見つめる。

 

「最近はハンターさん、ポケットに忘れ物をしなくなってたから、私もあまり気にしてなかったの。もしかしたら確認せずに、気づかないまま水に浸けて、あの子を溺れさせてしまっていたかもしれない。……命が失われるようなことにならなくて、本当によかった」

「……命が」

「ええ。間一髪だった。危なかったのよ」

 

 マリーは眉尻を下げた。

 

「あの子をポケットに入れて、そのままにしてしまったことは、間違いないの?」

「……恐らく、は」

「そう……。私も今度からしっかり確認する。だからハンターさんも、ポケットの中に生き物なんて入れないこと。ハンターさんが()()をなるべく使わないようにしてるせいで、ずっと戸惑って、そのせいでポケットに忘れ物をしてたのも知ってるわ。でも、こんなことが起こるようなら、気にしないで使ってもいいと思うの。それにもう、なんだかみんな知ってるみたいだし」

「……グレイブズの前では、まだ」

「それって、校長先生以外の前ではやってしまった、ってことでしょう?」

 

 ハンターは無言で頷いた。マリーは小さく笑って、茶色のケープの前を合わせる。

 

()()のこと、秘密にするわ。誰にも言わないし、訊いたりもしない。みんな知ってる以上、もう秘密とは言えないかもしれないけれど……秘密を分かち合ってる人の前なら、気を張りつめなくても大丈夫だから」

 

 しばらく、ハンターはなにも言わなかった。肩はこわばったまま、うつむいて下を向いていた。

 

「……何故」

「え?」

「何故、私などの為に、君達はここまでやってくれる?」

 

 窓から風が吹き込んで、マリーの金の髪を揺らす。流れた後れ毛を耳に掛けて、そっと口を開いた。

 

「……私ね。ハンターさんに、とても感謝してるのよ」

「それは、どういう」

「ハンターさんが来る少し前まで、ユーリヤ、ずっと寝たきりだったの。体調を崩して、ベッドから起き上がれなくなって、心も弱ってしまって……。妖精さんから贈り物を貰って、それから見違えるくらい元気になったのだけど、でもやっぱり、もの思いに沈むことがあって。それが、アレクシスが黒板に絵を描き始めたころから、さっぱりなくなったの」

 

 名前を出されて、思わず背筋が伸びた。

 

「私は知らなかったけど、ユーリヤはアレクシスと会ったことがあるみたい。ずっと会いたかった、やっと再会できたって、本当に喜んでたわ。それに、アレクシス自身のことも」

 

 マリーの顔から笑みが消える。寂しそうな、悲しそうな表情で、どこか遠くを見つめた。

 

「もし私たちが知らないくらい昔にユーリヤと会ってて、見えなかっただけでそのころから学校にいたのなら……あの子、ハンターさんが見つけてくれるまで、何年もずっと独りきりだったはずだから」

 

 ……それは、誤解なのだけれど。でもハンターが来なければ、誰にも気づいてもらえなかったのは確かだ。

 マリーは首を小さく振り、ハンターへ笑いかける。

 

「だからね、恩返し。それだけのことよ」

 

 ハンターはかすかに身じろぎした。フードに隠れた頭が少しだけ下がり、どこか弱々しい声が漏れた。

 

「……謝罪に来て、逆に礼を言われるなど。一体どうすればいい」

「それはそれ、よ」

「だが……」

「もう、頑固なんだから。……そうだわ、それなら一つ、お願いを聞いてくれるかしら?」

「ああ、どのような事でも。……?」

 

 マリーはハンターへ手を伸ばして、フードをそっと払った。あらわになったハンターの顔へ、柔らかく微笑んだ。

 

「部屋の中では、フードは脱いで、顔を見せて。ね?」

 

 たっぷりと黙り込んだあと、ハンターは首を傾げた。

 

「……それだけ、か?」

「それだけ、じゃないわ。すごく大事なことよ。だってほら、ハンターさんの目が泳いでるの、はっきり見えるもの」

「え、な……」

 

 ハンターの手がさっと顔の前に伸びて、フードを降ろそうとして空振りする。楽しそうに笑うマリーに、ハンターは肩に入っていた力を抜いた。

 

「……敵わないな」

 

 その声は、今まで聴いた中で一番優しい響きをしていた。マリーは笑い声を止めて、きょとんとしてハンターを見た。

 

「どうした?」

「その、ね。今、とってもすてきなものが見られたから。……ふふっ、みんなに自慢しなくちゃ」

 

 嬉しそうに顔をほころばせたマリーに、ハンターはまた首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

 こうして、ちょっとした大事件は幕を下ろした。

 

 ハンターとマリーが二人で歩いているのを見て、ルーリンツもユーリヤもほっと安心していた。それからハンターがフードを脱いでいることにびっくりして、顔が見えた方がやっぱりいいと笑っていた。

 

 ()()のこともみんなの秘密になった。校長先生だけには内緒だけれど、そのうちハンターが校長先生の前でうっかり手品したら教えることになった。いつになるのかはハンターのうっかり次第だ。

 

 ただ、一つだけ。

 やっぱり、いくらなんでもポケットに生き物を入れてそのまま気づかない、なんてことはあるんだろうか?

 

 そんな質問を連絡ボードに描いて見せると、医務室でひなたぼっこしていたところを連れてきた当事者のエビー――本当の名前はもっと長いけれど、呼ぶのにちょっと不便なので、本人に断ってあだ名をつけた――は、あのね、と角を伏せた。

 

 

  じつはね もっと いろいろあったの

 

 

 エビーの体から漂う銀色の光をそっと触ると、そんな思いが伝わってくる。思い出の言霊に似ているものの、みんなの声と同じように、すぐに薄れて消えてしまう。

 

 

  おようふくに おいてけぼりにされたのは ほんとうだけど

 

 

 連絡ボードの絵を消して、棚の上で待たせていたエビーをそっと左手で持ち上げた。

 意識しなくとも触れるのは、ハンターと同じだ。ただ、温かくて節ばったハンターの手と違って、ひんやりしていて、ぷにぷにと柔らかい。この子と一緒にいるところをティアに見つかると、どういうわけかものすごく怒られるので、棚の隣にしゃがみ込んでこそこそと。

 よし、とあらためて話を聞こうとしたその時、部屋の入り口からハンターの声が届いた。

 

「ここにいたのか」

 

 フードも丈の短いマントも脱いで、腕をまくったシャツにベストという格好だ。こうやって顔がはっきり見えると、最初のころよりずいぶん顔色が良くなったことが分かる。

 

「少し時間を貰え……なんでそれがここにいる」

 

 ハンターは途中で言葉を切り、しらっとした目でエビーを見る。

 手を挙げた私にため息を一つついて、ハンターはエビーをつまみ上げた。またね、と尾を振って消えるエビーに手を振り返して、ハンターの顔を見上げる。

 ハンターは視線をさまよわせた後、深々と頭を下げた。

 

「お前に、謝罪を」

 

 ……えっと。

 謝られるような心当たりがなくて、私は首をかしげた。ハンターは顔を上げ、だけど目は伏せたまま、言葉を続ける。

 

「お前の事情など考えもしなかった。たとえ神秘の側の存在であっても、あの継ぎ接ぎ男や檻頭の気狂いと同類だなどと、考えるべきではなかった」

 

 つぎはぎ男に、檻あたまの、ええと……。よく分からないけれど、ハンターの言い方からして良くないもののようだ。

 

「私はあの時、場合によってはお前を狩るつもりでいた。命を、奪おうとした」

 

 ……もしかして、最初の、医務室での時のこと?

 たしかにすごく怖かった。だけど、あの頃でもハンターがそんなことをしたなんて思えない。不思議な力を持っていてもハンターは人間で、人でないもの(妖精)とは違う。

 

「だから、私、は……」

 

 言葉の続きはあいまいに消えてしまった。

 苦しそうな顔なんてしてほしくないのに。それにハンターが謝るなら、私だって。

 

 私は持ったままのチョークに視線を落とした。簡単な文章が精いっぱいのつたない言葉で、ルーリンツみたいに励ますことができるだろうか。……いいや、やらなくちゃ。このままずるずる先延ばしにするのは、きっと良くないから。

 

 腕を伸ばして、ハンターの手を握る。それからちょっとだけ引っ張って、連絡ボードの前に一緒に立った。

 目を瞬かせたハンターを横目に、私はチョークを握り直した。

 

 

 "I do not mind it"

 "you made a burn I am sorry"

 "you helped me thank you for shared chalks"

 "you gave me a chance I met everyone again"

 

 

 ……これで伝わるのかな。この前みたいに間違えてないかな。

 

 ハンターは言葉もないまま、ボードを見つめた。その顔には確かに感情が浮かんでいるけれど、苦しそうで、悲しそうで、でも全然違うもののようにも見える。

 やがて、握っていた手が小さく揺れた。

 

「……ここは、優しすぎる」

 

 声は湿り、震えていた。

 

「私は、恐らく、ろくな人間ではなかった。その記憶を失った今も。いつも思い知らされてばかりだ。皆の優しさと、己の浅ましさを」

 

 うつむいた顔から、床に雫が落ちた。……ああ、泣いてなんてほしくないのに。間違えてしまったの、かな。

 手を離そうと力を抜いた瞬間、ハンターの手に力がこもった。ぎゅっと強く、だけど壊れ物を扱うようにそっと。

 

「だが、それでも。獣を狩る以外の能などなく、まして誰かを助けるなど叶わぬ夢だとしても。……必ず、恩を、返す」

 

 手の甲で頬を拭い、ハンターは確かな声で言う。

 

「絶対に。絶対にだ」

 

 私を見つめる瞳の奥には、強い光があった。




"******"
Lv70
過酷な運命“それには意味があったはずだ”
体力:25
持久力:18
筋力:25
技量:29
血質:8
神秘:15


 以下補足。今更ですが、校長先生の名前について。
 この作品では校長先生の名前はLouis Graves、日本語表記はルイス・グレイブズとしています。校長先生の名前をゲーム内で確認できるのが一カ所のみ+筆記体で日本語表記もなしなので、綴りや読みが間違っている可能性もあります。ご容赦ください。
 ただ、Louisはドイツ名のLudwigに対応しており、grave(墓)は地下死体溜りから充分連想できる単語なので、多分これでいいんじゃないかなあと。
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