東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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旧題「花の宴」


泡沫の花宴

 自らが違う存在だと知っている。

 自らが異なる存在だと理解している。

 それは偶然の産物。万象が彩る世界で、天然に生まれた不自然の形。

 足りず、過ぎた。欠けて、超えた。

 凡とは隔てた、普遍とは掛け違えたもの。

 

 

 怖いのだろう。恐ろしいのだろう。

 近寄らないで。触れようとしないで。

 誘われたものは、消えてしまう。

 魅せられたものは、越えてしまう。

 

――だから。

 

 いくら美しくとも。どんなに魅せられようとも――近づくな。

 

 此岸のままには味わえない。

 彼岸を踏まずに覗けない。

 

 美しくも、儚い最期の色に。

 どうか。

 

――吞まれてくれるな。

 

 

 

 

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 ふらりと、少女の身体が傾いた。

 まるで、糸の切れた人形のように、ふっと力が抜け、慣性のままに崩れ落ちたのだ。

 

「――とっ」

 慌てて駆け寄り、そのまま地面とぶつかってしまいそうな身体を受け止める――それは見た目以上に、本当に中身ががらんどうの人形でもあるかのように、軽い。

 

――これは……。

 

 骨が透けて見えてしまうほどに、痩けた身体と白い病的な肌。閉じられた瞳の下には深い隈が刻まれ、か細い腕に青い血の管が覗く。

 薄く透明な――生を感じさせぬ姿。

 その重みに、思わず自らの両腕を疑ってしまうほど――。

 

「姫様っ!」

 抱きとめた形になったこちらへ、侍はすぐさまに反応した。

 真っ直ぐにこちらへ駆け寄って――刀に手をかけてはいるが、主を抱えられている分迷いがあるのか、そのまま切りかかってくるという様子ではない。

 考えながらも、思わず駆け寄ってしまったといった調子だ。

 

「――寝かすところは?」

 これ幸いと、そのまま少女の身体の下へと手を回し、抱き上げながら尋ねる。

 侍は少しためらったようだが、屋敷の奥を指し、こちらに先導するように走り出した。その後に、なるべく少女の身体に負担が気をつけながらついていく。

 

「……」

 

 僅かに胸を上下させる以外、身じろぎ一つせぬ少女。

 その身体は軽い。

 小さな子どもほどにも感じず。時より口からもれる吐息の浅さは、本当に息をしているのかすらも怪しく感じさせるもの。

 それほどに、そんな希薄な命しか、そこには含まれていないような。

 

 まるで、この世から半ば消えかけてしまっているような、その儚さに――なぜか、あの柔い美しさを連想してしまう。淡く、ゆるやかに咲いた――その散り際を。

 

 

 

 

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 妙なことになっている。

 

 自分が守るべき姫は、奥の寝所にある布団に寝かされて――なんとか、落ち着いたようである。浅く、苦しげに続いていた呼吸も、平常のものへと戻り、顔色も少しはよくなった。

 やはり、あれは急激な運動からくる疲労によって、身体が限界をこえたというものだっただろう。ほんの僅かな、あの数分の攻防において、すでに姫様の体力は尽きてしまっていたのだ。

 そんな僅かなさえ、今の少女には残っていない・

 

――ろくに食事すらとっておられないのだ。当然のことだろう。

 

 そのような御身体の姫を戦わせなければならなかった自らの未熟さに憤りを覚えてしまう。まるで、修練が足りていない。力不足にも程がある。どこまで愚鈍なのだと、この役に立たない己を切り捨ててしまいたい。

 そんな自嘲と嫌悪。腹でも掻っ捌いてしまおうかと、情けなさに気が狂いそうになる。本当に、穴あれば身を投げてしまいたい気分だ。

 

――が……。

 

 

 しかし、それよりもやるべきこと――目の前にある状況を見据えなければ、己は本当に従者失格となってしまう。現実を逃避していても意味がない――いくらそれが理解に及ばぬ状況であっても、それが主に害なすものかどうかを見極めなければならない。

 だから――

 

「ううむ……これとこれ、あとこれか」

 

 そう呟きながら何やら書き物をしているのが、後から現れた下手人の方である男。

 自らの攻撃を捌ききり、姫様と先の妖怪の攻撃を義のわからぬ力で桁違いの無力化してしまった――今現在の様子からは、そんな強者であることを微塵も窺わせない男である。

 確かに妙な雰囲気を持ち、気配も少しは変わってはいるが、どう見ても、ごく当たり前の人間にしか見えない。

 そして――

 

「なんで私が……」

「審議の結果だ」

 

「全面的に悪い方に罰をってことですよ」と、そう言って、にっこりと笑む男と、「なんのことかしら」と笑って返す先の妖怪。

 

 どうにも薄ら寒いやり取りで、それらの者が前にいる。

 姫様の眠る部屋の隅で、胡坐をかいて座っている。

 

「まったく、面倒ねぇ」

 

 何の反省の色も窺わせない妖怪の女。

 こちらは、異様な風貌ではあるものの、姿形は年端の行かぬ少女。しかし、感じる気配は妖怪そのもので、しかも、信じられないほどの力を持っている。

 

――それが、なぜ……?

 

「へええ、一緒に食事をとる相手がいなくなって残念ですね」

「あらあら、冗談じゃないの」

 軽口を叩き合うような、そんな胡散臭いやり取りをしながら――姫さまの世話を行おうとしている。

 正確には、男の方が姫さまの状態を調べ、必要だといったものを、女の方が何処からか取り寄せるという形だが――まず、姫さまが倒れる原因になったはずの者達がその介抱をしている時点で、随分とおかしな状況なのである。男に最近の姫さまの状態を尋ねられ、勢いのままに答えてしまった己も己だが――見る限り、そこらの下手な医家よりも手際のよい様子で男は対応したのだ。

 妙に熟れた応答によって、今朝までの姫様の調子を確認し、手早く対処した。それは確かなもので、姫様の容態が落ち着いていくのが理解できたのだ。

 呆気にとられていた所もあったとはいえ、確かに害は感じられなかったのだ。

 

――それに……。

 

「――まあ、こんなもんか……それじゃ、これを頼む」

「はいはい」

 

 あの妖怪は男のいうことに従っているのだ。

 面倒だ面倒だと文句をいいながらも、男の出す指示に素直に従っており、先ほどまでのあれほど勝手にしていた振る舞いも、今はある程度身を潜めている。

 今も、男の指示が書かれた紙片を受け取って、しぶしぶといった印象に、空に開けた妙な穴に潜っていった――立場としては、男の方が上にある、そう考えてしまってもおかしくはないのかもしれない。

 とにかく、あの妖怪を大人しくさせている。それだけで、十分に価値はある。

 

「あとは、湯か――すいませんがお勝手を借りますよ」

 どこでしょうか、と屋敷を見回す男――そこに、何かを企むような邪気は感じられない。極めて丁寧に――姫様を解放する姿。

 

「あ、ああ」

 

 元々、最初のうちからこの男の行動に悪意が覗く様子はなかった。頭に血が上っていた先程までならともかく――その程度のことは、今なら理解できる。

 そもそも、あれほどに隙を見せたというのに、一撃ももらっていないというのも解せない。実力差は歴然のものであり、一応の不意をうったとはいえ、その前に己を打ちのめしてしまうことが出来る力を持っていた。

 なのに、それをしなかったのだ。

 

――むう。

 

 信用……できるほどのものではないが、害があるという部分も見えてこない。男の対応は適切であり、姫様の体調が介抱に向かっているというところもある。すでに、ここまでのことをやらせておいて、今さら邪推をしていても仕方がないともいえよう。

 

――それに……。

 

 この状況。

 今のこの屋敷の状態を考えれば、満足に医家にもかかれない姫さまにとって、もし医術の知識がある者が世話をしてくれるというのなら、それは願ってもないことだ。己の不器用さでは雑用程度にしか手伝いにならず、その苦労も苦しみを和らげることはできていない。

 精々、外敵を追っ払う程度――それも、今回失敗してしまった。

 

――妖怪の方は信用ならないが……。

 

 どうにか、このゆるゆると落ちていく時間に変化を与えられるなら――その切掛けとなるのなら、毒も薬といえるのだろうか。

 どちらにしても、ここまでくれば、もう、どうなっても似たようなもの。なるようにしかならない。

 

 ならば――

 

「……」

 

 毒を食らわば皿まで、そう考えて、腹を切る覚悟を決める――何かあれば、己の命で償うと。

 

「こっちだ――案内しよう」

 

 

 その男を、懐へと招きいれた。

 

 

 

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――脈が弱い。

 

 細い身体。

 目を瞑るままの少女を布団に寝かせてしばらく様子を見た後、多少呼吸も落ち着いてきた所で手首を取った。そこから伝わる鼓動はどうにも、細いもの。

 これは先程のやり取りでの消費――というだけでなく、それが元々弱っていた身体に拍車をかけた故に、というように見られた。

 

「――食事は?」

「な、なんだ?」

 

 急に声をかけられて驚いたのか、侍は驚いたように問い返す。

 多少、その症状が軽減されてきたために、少し気が抜けていたのだろう。改めて、少女の方を指して質問を重ねた。

 

「最近の食事――あと、どれくらいの頻度でそれをとっていたか……それがわかりますか?」

「あ、ああ――」

 

 少女の方を心配そうに見る侍。

 現状に吞まれ、未だ混乱が抜け切っていないようにも思えたが、一応ちゃんとした答えをくれた。

 どうやら、予想は中っているらしい。

 

「――最近は食も細く、多分、汁物を少々のみ。一口二口程度にし、めしあがっておられないだろう」

「なるほど」

 

 苦渋の見える侍の表情に――少女の現状を理解する。

 栄養不足からくる貧血。身体に巡る力を消費しすぎた上での防衛反応。

 ろくな食事を、この場合は、食事をとろうという意志自体が欠如しているのかもしれない。

 

――身体的には……あんまり悪いとこは診られませんしね。

 

 多少、感じられる不調な部分も、その不摂生な生活からくる体力不足からくるものだろう。不足した力を補おうと、身体自体が必要以上の消費を省こうとし、ほとんどの機能が停止、もしくは僅かにしか動いていない。

 だからこそ、それを超えた過剰に耐えられなかった。

 

「しばらく眠れば多少回復するだろうが……まあ、良くはないな」

 

 現状を確認するように呟いて――その身体に、しっかりと布団をかけた。そして、寝かせている頭から枕を抜き、頭の位置を少し低くする。多少寝苦しくはあるが、頭に血が巡るようにしたほうがいいだろう、というところだ。

 季節柄、気温は温かいため、体温の低下は掛け布団のみで防げるだろうし、あとはよく眠っておくだけである。

 

――ついでに何か用意しておいた方がいいか。

 

 加えて、睡眠補助のための方法をいくつか頭に思い浮かべ、必要そうなものを考える。いつもなら、自分ひとりでは調達が難しく、必ずしも揃えられないというものも多くあるが、今は(・・)その手立てがあるのだ。

 なんでも、使えるものは思い浮かべておくことにしよう。

 

「――あとは、と」

 

 対処療法。

 起きたときの栄養補給し、その消費分の力を補うこと。

 長らくちゃんとした食事もとっていないということで、臓腑の方も多少弱っているだろうために、摂取しやすいものを考えておかねばならない。

 自分の記憶と少女の様子。それを照らし合わせながら、最適な処置を思いつくだけ考えておく――ついでに、それが拒否されるという場合も鑑みて、その対応も。

 

「随分と殺風景な部屋ねぇ……折角広い屋敷なのに勿体無いわ」

「……」

 

 ある程度の対応を考えたところで、一端思考を止めた。

 後方からかかる声に、その前に把握しておくべきことを思い出したのだ。

 

――まあ、眠ったばかり。

 

 多少、時間はあるだろう。

 急いては損じる。無理に起こしてこれ以上負担をかけることはない。

 だからこそ――

 

「それじゃ――」

 

 先に、その原因を聞きだしておく。

 自分たちの後方。何だか面白そうにこちらを観察していた誰かさんの――その思惑を。

 

「事情を聞かせてもらいましょうか、八雲のお嬢さんよ」

「あらあら」

 

 一緒に屋敷の中へと上がり込んでいた紫の妖怪に、にこりと笑いながら振り向いた。

 そこにある笑顔は、どうにも自他共に胡散臭い――そこはかとなく感じる己の影響は、まあ、気にしないことにしよう。

 

――これだけ付き合っていれば、多少は似てくるってもんだ。

 

 長年生きていれば、人への対応など、それなりに似たものとなる。随分と長く関わり合っている分、それなりに影響しあっていてもおかしくはない。

 どちらにしても、ある程度の年を過ぎれば近寄っていくものである。

 そういうことにしておいて――己に罪はないとの弁解を済ませておいて。

 

「大体事情は察っするがね――一応、弁解の機会はありますよ」

 

 反面教師は、それを問う。

 

 

 

 

 

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「全面的にお前が悪い」

 

 事情を説明して、返ってきたのはそんな答えだった。

 まあ、そうだろう。都での噂を聞いて、興味本位で私はここに訪れたのだ。ただの暇つぶし。何かあるのではないかという見物気分。

 その程度の意志で訪れた。

 途中から少々それは、強いものとなったが、ほとんど気まぐれで行動し、この屋敷の者へ害を与えたのだ。

 どちらが悪いといえば、当然私が悪いのだろう。

 

 頭を抱え、肩を落とすようにしながら、男は後ろで眠る少女の方へと目を向ける。いつも通りの溜め息が、どうにも心地よい。

 

「まったく、暇つぶしで人に迷惑をかけなさんなよ」

「それが妖怪というものではなくて」

 

 その本分に従ったまで、とにこりと微笑みながら返す言葉に、男は再び溜め息をつく。いつもはこちらが驚きを見せられることも多い分、それなりに胸のすく気分を味わえたが――少々、やりすぎたというところだろうか。

 

「仕方ない――後始末はしてあげますからお前も手伝え」

 前半は丁寧に、後半は端的にそういって、じろりと向けられた視線。

 そこにあるのは――呆れと叱りの感情。

 老人が若者に対して苦言をなすといった感じの、ちょっとした怒り。含まれるのは、逃げたらこの先何も手伝わないぞ、という脅しだろうか。

 

「わかってますよね?」

 

 念を押すように囁かれた一言。

 浮かぶ笑いは――目だけは笑っていない。

 

――まったく、面倒ねぇ。

 

 正直、私が手伝う理由などないのだが、この男に悪印象をもたれるのはあまり良いことではないのだ。これから先に何があるかもわからないし――何をされるかもわからない。

 力でこそ負けることはないだろうが、この男には何をしてくるかわからないという底抜けの底知れなさがあるのだ。敵に回すのに得はない。

 

――それに……。

 

 間もおかずに戦闘に入ってしまったが、この屋敷の主には少し興味がある。

 話をしてみたい。もっと詳しく観てみたいという想いもある。

 

「仕方ないわね」

 

 眠る少女を一瞥し――ふっと息を吐き出しながら肯いた。

 

 少々の打算は――いつか食べた男の手料理か。

 

 

 

 

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――さて

 

 ぐつぐつと煮立つ鍋に良く洗った薬草を放り込む。

 滋養、疲労回復、栄養補給、様々な種類のもの、あまり変な配合をすれば毒にもなるものだが、その辺りは経験と知識によって体験している。

 妙なことにはならない。

 加えて、枯れる前――新鮮なうちでなければ使えないものと、しばらく乾燥させなければならないものなどもあるのだが、紫の力を使えば、それをどこか遠くからもってくることやそれを極めて近い状態へ変化させることもできる。

 

――まったく便利な能力だ。

 

 そんなことを考えながら。ある程度の成分が染み出たところで、放り込んだ薬草を取り出す。本当は刻んでこれ自体も食べた方が効果は高いのだが、身体が弱っているところに固形物はあまり受け入れられないだろう。

 肉体的にも、精神的にも、幾分心配がある。

 

――あとは、と。

 

「八雲の、頼んだのは?」

「はい、こんなもの何に使うの?」

 差し出されたのは目の粗い清潔な布。

 それを先に沸かしておいた湯につけてから。

 

「なるべく不純物をとっておく」

 そういって、用意しておいた空の鍋に蓋をするようにかける。ずり落ちないように固定しから、その煮立った方の鍋を持ち上げ、中身をひっくり返した。

 

「……なに?」

 

 湯気に当てられ、「あつっ!」と飛びのいたこちらに、紫が不思議そうな顔を向けた。

 

「ああ、この薬草。こうして細かく漉してやらないと苦味が強いんだ」

 

 良薬口に苦し。

 その分効力も高いといえるが、苦くて吞めないというのでは、完全に意味がないというものだ。

 

 それに――

 

「――食うこと自体を嫌になってる場合もありますからね、と」

 

 鍋の中身が漉される様子を見ながら、あの少女の軽さを思い出す。

 細く痩せた腕、青白い顔色。そして、あの侍の様子。

 

――精神の類からくるものなら……まず、食べることを考えることだ。

 

 それを考えての調理。少々、手はかかるが、美味しく食べてもらうのが作り手としては嬉しいというものだ。そのためになるべく努力はしておく。

 

「なるほど――だから、こんなに良い匂いのするものばかりを作ってるのね」

「ちゃんと人数分用意してありますから――摘まみ食いしないでくださいよ」

 

 失礼ね、とこちらに不満気な表情を向けてくる紫。

 だが、自分の分がなければ盗っていった可能性が高い。それが妖怪というものだ。

 

――まあ、それにしては物好きだが。

 

 人間と関わろうとする。人を見下しながらも、どこかしらの部分で認めてもいるようにも感じられるところがある。

 微妙におかしな印象を受ける妖怪。

 だからこそ、己は色々な災難に巻き込まれながらも、彼女と長く付き合っているのだろうか。

 

「何かいったかしら?」

 

 少々、考えた己の嗜好に。

 わずかに漏れた呟きに反応した由縁に対して――

 

 

「いや、何でもない――それより」

 運んでくれませんか、という言葉には、嫌よ、という返事が返ってきた。

 

――これはまあ……。

 

 仕方ない。

 

 

 

 

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 温かい香りが鼻腔をくすぐり、ぼうっとした頭に、僅かに光が差し込んだ。

 胡乱に目蓋を持ち上げて見て、己が眠っていたことに気づくが、一体いつ意識を失ったのか、それがいまいち思い出せない。

 

「んぅ……」

 

 少しの違和を感じて起き上がると、頭の後ろにあるはずの枕がなかった。

 代わりに薄い布が畳んでおいてあり、香か何かしみこませているのか、心地よい香りがしている。この優しい香は、花かの何かだろうか。

 

――こんなもの、用意していたかしら。

 

 不思議に思って回りを見渡すと、何やら考え込んでいる様子の侍――己の従者である妖忌が目に入った。

 なにやら、ぶつぶつと呟きながら、頭を抱えている。

 

「大丈夫なはず――いや、しかし相手は妖怪……だが、姫様の体調を考えると」

 

 その妙な様子。

 多少、回復してきた思考を巡らせて――重い身体を持ち上げた。

 

「姫さま!? お目覚めに……」

「妖忌――」

 

 慌てて居住まいを正し、心配そうな声を出す妖忌。

 僅かにぐらついた頭を片手で支えながら、それに問う。

 

「大丈夫よ。それより、一体何が?」

 

 何かがあった気がする。

 うまく思い出せない記憶を探りながらの質問に――

 

「あら、目が覚めたのね」

 襖の向こうから現れたのは金色の髪。

 紫の異装に身を包む――先ほどの妖怪。

 

「貴女!」

 自分が何をしていて気を失ったかを思い出し、急いで立ち上がろうとする。

 けれど――

 

「あ……」

 

 身体に力が入らない。

 神経が弛緩し、鈍くにか反応してくれないのだ。

 

「これは…?」

「あら、よく眠れるように仕込んでおいた薬草に当てられたようね」

 ふふふ、と優雅に微笑む妖怪。

 

 それが、ゆっくりとこちらに近づいて――隣へ腰掛けた。

 

「――何を、する気?」

「あらあら、何をして欲しいのかしら」

 胡散臭く微笑む妖怪の少女。

 一瞬の油断もせぬように、今の身体でできるだけの霊力を集めて――なけなしの意志を振りしぼる。

 

 そこへ――

 

「ふふ、あなたは……」

「何やってんだ」

 

 コンっという間抜けな音。

 頭の上にのった湯気の漂う器。

 

「え?」

 

 女の沈む少女の顔。

 視線をあげれば、呆れたように顰められた顔があった。

 

「病人に対して――何をしているんだお前は」

 

 右手に少女の頭にぶつけた器をもち、左手に小さな鍋を抱えている男――先ほど、少女と一緒にいた、妙な雰囲気の男である。

 妖怪の少女は、それを不満気に見上げて「何をするのよ」と睨みつけていると呟いた。その仕草は、妙にこどもっぽい。

 

「こっちの言葉だ。こっちの」

「妖怪は人を怖がらせるのが仕事でしょう?」

「相手は病人だ」

「だからこそじゃない」

 

 はあ、と手に持っていた器を置きながら、男は疲れたように息を吐く。

 妖怪の少女はその様子を面白そうに眺めながら、湯気の立つ鍋に視線を向けた。

 

「――食事はいらないんだな?」

「それは嫌ね」

「なら、大人しくしといてくれ」

 

 目の前で行われる妙なやり取りに呆気にとられていると、目の前ではテキパキと膳の準備が整っていく。汁物に、焼き魚、漬物に煮付け……様々に香りたつ美味しそうな食事たち。

 

「侍さん、勝手に器借りましたから」

「む――ああ、構わん」

 

 こんなとき、一番に反応するはずの妖忌は、なぜか反応が鈍く、男の言葉に小さく頷いて――それを手伝っている。

 少々、複雑そうな顔をしながら、それでも軼書になって――

 

「さて、食欲はあるかい」

「あるわ」

「……そっちじゃない」

 

 あら、そうだったの、とクスクスと笑う妖怪。

 はあ、とまた溜め息をつきながら頭を抱える男。

 貴様ら姫の御前で失礼を……と、やっといつもの調子で怒り出す妖忌。

 

――……。

 

 なんだか、不思議な空間だった。

 

 笑う妖怪。

 呆れる人間。

 怒鳴る半人半霊。

 

 ちぐはぐで

 滑稽で

 

 おかしな光景。

 

「まったく――子供みたいな奴ですいませんね」

 妖忌の説教をそ知らぬ顔で無視をしている妖怪を指しながら男がいった。

 本当に呆れているようなその姿に――妖怪を、まるでただの少女のように扱うそんな言葉に。

 

 妙に、心がざわついた。

 

「あなたたちは……これは、一体?」

 

 この状況、目の前の者たちの正体。

 そんな疑問が頭の中をぐるぐるとまわって、理解が追いつかない。

 そんなこちらの様子に、男は「ふむ」と小さく呟いて、口元に手を当てた。

 何かを考えるような仕草だ。

 

「まあ――あっちは妖怪で、こっちは人間です」

 

 そして、そんな説明にもなっていないことを端的に言う。 

 わけがわからない。

 

「真っ当なもんじゃありませんが、とりあえず、悪さはしませんので――」

「勿論、向こうにもさせません」とこちらの警戒を解かせるようにか、男はにこにこと笑って話す。

 害意は……感じられない。

 

「貴様!言うに事欠いて――」

「うるさいわね」

 

 小さな力の高まりを感じ、妖忌のいる場所に何かが生じる気配が生まれた。

 そして、その力が発動する前に――

 

「食事はいらないんだな」

 そんな男の言葉に、何事もなかったかのように、その力の気配が消えた。

 不満があるのか、妖怪の少女は恨めしげに男の方を睨みつけている。

 

「やれやれ」

 それに対して、面倒そうに頭を抱えて首を振りながら、男は少女と妖忌の方へと近づいていった。

 その様子は苦労性に悩む人間の――赤子に手を嫉く親のような姿で。

 

「侍さんもそのへんにしといてください。食事が冷めちまう」

 そんなとりなしで妖忌の溜飲を下げようとし、何か言おうとする少女に「飯は美味い方がいいだろう」と先んじて、の口を塞ぐ。

 

「食事は美味いうちに――行儀良くね」

 あっちのご主人もお待ちですよ。

 

 そんな言葉に促され、ばつの悪そうに膳の前に座る二人も――それは随分と滑稽なもので。

 

――これは、何……?

 

 ますます、混乱する。

 よくわからないと、惑ってしまう。

 

「それじゃ、用意もできましたし――」

 

 そして、その状況の元凶はゆっくりとこちらに振り向いて、私の前にも一つの膳を差し出した。そこにのるのは、他のものとは違う、一つの椀のみ。

 けれど、その温かい湯気は美味しそうな香りに包まれて――なんだか、ひどく。

 

「そんなに待ち遠しそうな顔しなくても、すぐにいただきますですよ」

「え……?」

 

 戯けたように笑う男。

 そう言われて気づいたのは、自らの頬が緩んでいたこと――口角が上がり、なんだか笑っているような顔になっていたこと。

 本当に――本当に呆れて、笑ってしまうほどに、可笑しな状況だった。

 理解できない――何一つわからないけれど、こんな、こんな温かな。

 

「それじゃ、食べましょうか」

 

 まるで、昔に戻ったような世界。

 

 

 笑えたのも――とても久しぶりな気がした。

 

 

 

 

 

―――

 

 

 

 

 

「さて――食べられますか?」

「ええ、いい香り」

 

 湯気のたつ温かい液体をほんの少量ずつ口に含む。いつもは食べることすら拒んでしまうような状態であったものが――食欲をそそらせる美味しそうな香りに誘われて、とてもゆっくりとだが、喉は動いてくれた。

 水のように滑らかな液体は、身体に負担を思わせることもなくその身に染み込んで、弱った身体に柔らかく活力が満ちさせてくるように感じる。

 

「おいしいわ」

「そいつは重畳」

 そういって微笑む男。

 それでも「ゆっくりと、少しずつ食べなさい」という注意も忘れない。

 

「少し水っぽくない?」

「――病人食だ。他にも用意してあるだろう」

 きっと私用なのだろう鍋から液体を掬い、自分の椀からすする妖怪の少女。確かに、用意された自分以外の膳には形のある野菜や魚などの固形の食事がちゃんとのっている――今は食べられないが、きっとそちらも美味しいのだろう。

 食欲のわかない状態でも、それを食べてみたいという興味がわく。

 

「妖忌、あなたも食べていいのよ」

「し、しかし、姫さまを差し置いて――」

 

 私に遠慮しているのだろう。

 自分の分も用意されている食事の膳に、妖忌は手をつけていない。

 

「そうさね」

 私の勧めにも渋る妖忌に、横から男が口を出す。

 

「飯食ってないと肝心なときに力も出ませんよ。姫さんのためにも食っといた方がいい。それに――美味しそうに食べて羨ましがらせてやった方がいい。『食べたい』って思えれば、その分身体も急いで回復しますよ」

「ふふっ――そうね。その通りよ、妖忌」

 

 随分な言い草に思わず笑ってしまう。

 確かに、向こうで美味しそうに食事を頬張っている妖怪の少女を見ていると、私もいくらか羨ましくなってくる。

 

「ですが……」

「早くしないと、あの悪い妖怪が全部食べちまいますよ」

 男がいった言葉に、向こうの少女は眉を顰め「失礼ね」と文句をいっている。

 けれど、それでも箸を止める様子は見せないのは、余程あの食事が美味しいからなのだろうか。

 

「冷めてしまうわ。さあ妖忌」

「は、はあ」

 

 しぶしぶといった印象で、妖忌が自分の膳の前へと座る。

 あまり気は進まないようだが、箸を手に持ち――その野菜の浮かぶ煮込み汁を口に含んだ。

 

「む……」

 何やら難しい顔。けれど、その手は漬物、魚の焼き物と次々と伸びていく。

 顔こそ仏頂面のままだが、その表情のままで素早く箸を動かしていく様は、見ていて面白い。

 

――あの妖忌が……そんなにもおいしいのかしら。

 

 食べてみたい、そういう感情が自分の中に広がっていく。

 これでは、この男の言っていた通りだと、また笑ってしまいそうになる。

 そんな想いに、包まれる。

 

「――なら、早く良くなればいいんですよ。お嬢さん」

 そんな私の視線に捉え、男は微笑みながらいった。

 細められた目は、楽しそうに少女と妖忌と眺めてから――こちらへと言い聞かせるように向けられる。

 

「美味しいものを食べる――それが大勢でなら、特に楽しめるってものですよ」

 だから、さっさと参加できるように。

 

 そうぶっきらぼうに言い放ち、男は自らの分であろう膳の方に歩いていく。

 その後姿に向けて――

 

「そうね……そう、できたらいいわね」

 

 そう呟いた。

 

 

――そうなれるはずがない。

 

 

 そう想いながら、呟いた。

 

 

「おかわりはあるの?」

「ちゃんと用意してる……だから人のものには手を出すなよ」

 

 この妙に温かな情景に。

 

「これは……一体どう料理しているのだ」

「簡単ですよ。よければ教えときましょうか」

 

 ゆるやかで、優しげな時間に。

 

「……」

 

 風が吹く。

 開いた襖の間から、一枚の花びらが入り込む。

 

 

 薄桃色の、その色に。

 

 

「――ほんとうに美味しいわ」

 

 ぽつりと言った。

 

 おだやかに。ゆるやかに。

 心底、和んだ気持ちで。

 

 

 

 その僅かばかりの時間――幻を見たように。

 

 

 

 

 

 

 浮かぶ心には――花が咲いている。

 

 

 そう出来ればいい。

 そうなれればいい。

 

 けれど、そんなことが――そんな資格が、私にはあるのだろうか。

 白く揺れる水煙の温かさに触れながら、自らの冷たい指先の――その先にある、薄紅の色。

 伸ばされた手を、失う未来。

 思い浮かんだその重さ。

 

 

 

 

 私は、散り逝く花に笑んでいる。

 ほんのひと時の温かさに、頬笑んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

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 たとえ

 

 誰かが認めてくれたとしても

 誰かが隣に居てくれたとしても

 きっと私は許せない。

 

 大事だからこそ 大切だからこそ

 それを失いたくない。ずっと一緒にいたい。

 

 それと、同じくらい。

 私のためだけに生きてほしくない。

 その重荷となりたくない。

 

 私には、何も返せない。

 

 そして

 あなたが弱さを見せれば――きっと、誘ってしまう。

 

 それが、とても怖い。

 己の命を失うことよりも、ずっと――

 

 

 

 




泡のように消えるもの。
命と願いと楽しさと。

僅かな時の宴の日。
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