東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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底と覗く

 

 意識と無意識。

 意識しているものと無意識下にて存在しているもの。

 あるとない。有と無。

 

 字面からすれば、全く逆さの意味を持つもの。

 

 まったく反対側の、完全な対極として、

 別れてしまったもの。離れてしまったもの。

 

 違う存在(もの)として、見做してしまうこと。

 

 とても遠い。

 道を違えて。

 

 そう、感じてしまう――何一つ、そこにある事実(もの)は変わっていないのに。

 

 

 

____________________________________

 

 

 

「――そうですか。いえいえ、どうも手間を取らせまして、ありがとうございます」

 

 男はそういって丁寧に頭を下げる。

 相手は「構わない」とにこやかな表情で微笑んで、気分良さそうに向こうの方へと去っていく。一仕事を終えたという表情で、清々しそうに。

 

――白々しい。

 

 そんな想いが浮かぶ。

 

「さて」

 

 男はその姿が路地の雑踏の中へと消えてしまうのを見届けてから、ゆっくりと歩き出した。教えられた情報通りの方向へときちんと歩みを進め、大通りから細い裏道へと続く横道へとさらにと折れてから……そこで、ぴたりと足をとめた。

 そして、こちらに振り向いて。

 

「――ってことで、この向こうの方には多分いないってことでしょう。天邪鬼っぽい妖怪だったし、きっと本当のことは喋っていない」

 この先は外れってことで。

 

 にこりと悪意の無い表情で笑う。

 先ほどまで、その情報相手とにこやかに談笑していたのと、まったく同じ表情で笑う。

 

「ま、これで北側にはいないってことが判った。順調順調、と」

 

 手製の簡易図に印をつけながら男は機嫌良さそうに呟く。その愉しそうな表情に――少々の、苦い笑いがこみ上げた。

人を騙し、人を食らう妖怪が見事にこの男には食われてしまっている。騙し騙され、手玉に取られてしまっているのだ。

 

――本当に、白々しい。

 

 純朴そうな、素直に人の言葉を信じてしまいそうな雰囲気を見せかけながら、その実、内に孕んだ心算によって相手を誘導、利用する。

 嫌みを感じさせない程度の慇懃さで懐中を探り、必要な情報だけを上手に引き取って、残りの要らない部分は何食わぬ顔で捨て……貰ったふりで通す。巾着の中身だけを奪って、それ自体は元に戻しておくという、慣れたすり師のような真似をする。

 

「……狸か、狐か」

 

 その化けの皮は一体如何ほどに厚いのか。

 私は自分の能力によって視ていることを、この男は自らの洞察と経験で既に処理してしまっているのだ。それも、ごく自然のまま――意識せずとも、身体が勝手に反応してしまうほどの慣れによって、行っている。

 

 どれだけ、それを被ることに慣れているのか――

 

「ん……何かいいましたか?」

 

 悪気もないままに、それが一番の近道だという経験によって行っている。先天的な力によってそれを行っている私とは、まったく違う方法で同じ結果を出している。

 それは、ひどく驚異的な――人間らしからぬ、知りすぎた眼ではある。

 

「――何でもないですよ。私も同じように思っただけです」

 此方の方にはいないでしょう。

 

 男の考えに沿うようにして、自らの確信をぼかしながら答えた。

 

 この男に悪意はない。けれど、確かな怪しさはある。

 何か気付いている様子は見せてはいるが、その考えの全てが見通せない分、こちらの情報の多くを明かすわけにはいかない。そこに、どんな思惑が潜んでいるのか計り知れない。

 そんな相手に、気を許し切ることは出来ない。

 

――けれど。

 

 男の経験と私の能力を併せれば、相手の持つ情報のほとんど全てを引き出せてしまえるということは、確かな益なのである。

 少なくとも、はっきりとした感情の乱れは感じられず、こちらの望みにそう形で、男はきちんと動いているのだ。一癖を含んでいながらも、私に協力しようという考えは確かなものではあるらしい。

 

――今は、都合がいいのだから。

 

 せめて、妹のはっきりとした安否……足取りが確認できるまでは、それを利用させてもらおう。

 ついでに、この変わり者の人間を見極めてしまえばいい。

 

――他に頼るべき寄る辺も無いのだから……私達には。

 

 

 嫌われものの。厭われる者達の住処。

 はみ出し者の流れ着く幻想郷。

 

 その中でも、酷く暗い。深い深い闇の潜む場所。

 地獄へと繋がる妖の都。

 

 それを知りながら、私たちはここに来た。

 それを知ったから、ここに来た。

 

 

――私たちは、そういうもの(嫌われもの)なのだから。

 

 

 それらしく、影に隠れるために。

 今は、泥の橋でも渡ってみせよう。

 

 

 私たちが、乾いて消えて――失われてしまう前に。

 

 

 

____________________________________

 

 

 

――さてさて……。

 

 都の南側。

 大通りに面した屋台を横目に歩みを進める。

 

――そろそろ拙いかね。

 

 賑やかながら、何処かその内に独特の暗さを潜ませた街並み。

 縁起の悪い……不吉な闇が漂い、明るくも濁りを含んだ空気が辺りに満ちている。

 

 そして、その所々で火花が散っている。

 

――抑え……目の上のたんこぶがいなくなって、燻ってたのがざわついているのか。

 

 絶対的な力を持つ者達の不在。

 色々と聞いて回った話によると、どうやら、普段はここにいるはずの実力者たちの大半が、何らかの騒ぎに参加するために地上に出払ってしまっているらしい。

 そのために、ずっとその存在によって抑えつけられていたもの、その力を怖れて好き勝手にできなかった者たちが、この機にとざわついているのだ。

 

 絶好の機会だと。

今がその時、だと。

 その切っ掛けを待っている。

 

――面倒な。

 

 悪い時に訪れてしまったものである。

 ある意味、実力者の不在によって自らの正体が露見する可能性が低いともいえるのだが……その分、何をしていなくても巻き込まれる面倒事に行き会ってしまう可能性は高まっている。

 今はまだ、互いに牽制し合い、自ら積極的に動こうと考えるほどの輩はいない様子だが、それがいつまで続くのかもわからない。いつ爆発するかわからず、その近くにいれば、否応も無く被害をこうむることになってしまうだろう。

 そんな危険地帯と、ここはなっている。

 

「早く抜けないと……」

 

 ぽつりとつぶやく言葉に小さく頷く少女。

 彼女もそれに気づいているのだろう。そういうものに、聡そうな様子でもある――少々、こういう荒くれ場には慣れておらず、浮いているという感も同時にあるのだが……。

そのためにも、早くここを抜けなければ。

 

――……。

 

そういう考え。そういう勘定。

理解もしていて、理想も語る――けれど、現実は上手くいかないことも多々とある。

いくら算盤を弾いて、それを早くと練習しても、世の中金勘定だけは立ちいかず、義理も人情も、悪意も不運もあって合わせてなんぼと降られるものだ。

 

「あーん?  てめえ、何か文句あるってのかよ」

「おうおう舐めてくれんなよ……たったこれっぽっちで俺の気が済むと思ってんのかい?」

 

 まして、そういう切っ掛けに出くわすことが多い己だ。

 こういったとき、うまくいくのは稀のこと――あいにく、今日の幸運というのは先ほどで使い切ってしまった感がある。

 

「あれは……喧嘩でしょうか?」

 

 目を細め、見通すようにしてそれを見つめる同行人。

 騒ぎによって集まってきた人間から何かの情報でも集めようとしているのか。

 はっきりとはわからないが、多分、その能力に関係があるのだろう。この少女は、相手をじっと見つめることをよく行う――その外套を正面へと向けて、両の目でしっかりと。

 

 ただ――

 

「あ!? なに見てんだ」

 

 そういう輩はそっと視線を逸らすのが礼儀だ。

 でないと、いらぬ騒動に巻き込まれることになる。

 

「――あー、と」

 

 その野次馬の中から、絡み対象として選ばれたのは自分たち。

多分、このか弱そうな少女の姿が目に止まったのだろう。

 

 自分より弱い者。より怯えてくれそうな者を選ぶのがこういう輩の常套手段。怖がる相手に愉悦に浸り、自らの優位を示して他人に誇る。

 無駄な矜持の示し方に凝るのが三下作法。

 そういうものだ。

 

「――若い……わりに臆病ってことですかね」

 それとも、だからこそ、か。

 

 ぽつりと呟いて、少女の前に出ようとする。

 多分、この少女(・・・・)の方が格は上だろう。

けれど、自分の口上で上手く治めてしまった方が後腐れなくていい。

 

――年寄りは、頭の下げ方ぐらい弁えてるもんですからね。

 

 この軽い頭ならば、幾ら下げても減ることは無い。

 自らの格の低さなど、ずっと昔に思い知っている。

 悪目立ちするよりも、小さく目立たず治めてしまおう。

 

 そう思って、口を開こうとしたところ――

 

「おい兄ちゃん……何見てんだっていってんだよ!」

「――ありゃ?」

 

 胸倉を掴み捕られたのは己の方だった。

 ぐいと掴まれ、襟が細まる。

 

「何かむかつくんだよ、あんた……ぶっ殺してやろうか」

「いや……あれ?」

 

 殺気立つ小悪党的な妖怪。

 何故か周りの連中も乗せられて、興奮してそれを眺めているのが判る。

 

 というか、その敵意が己だけを狙っているような気すらする。

 

――どういうことですかね、こりゃ。

 

 火種が風も無いのに燃え上がった。

 小さな蝋燭の火が油を注いだように一気に広がった。

 

 そのように、炎が捲いている。

 

――何か、気に障ったのか?

 

 懐中の札は確かに力を循環させている。自分が人間だとばれてしまう心配もないはずだ。妖怪への偽装も暗示も完璧なはずである。

 その点は――逃げ隠れに関しては自分も結構な腕だと自負している。

 

――何か、妙な干渉でも受けて……。

 

 出なければ、こうまで自分に騒ぎの矛先が向くはずがない。

いくら厄介事に巻き込まれることが多くとも、理由もないのに周り中の妖怪の矛先が、ほとんど全部とこちらに向かっている、なんてことはありえない。

 それには、種があるはずだ。

 

「……」

 

 それを探ろうと辺りを見回す。何も妙なものは見つからない――けれど、さっきからずっと感じてはいるのだ。

 あまりに自然で……けれど、少しだけ感じている違和がある。

 

 想う前に、感じている。

 

――何処に……。

 

 その干渉の元。原因を探る。

 

 そこに――

 

「――危ない!」

 

 少女の声が響いた。

 

「……!」

 

 気付くと、目の前に迫っていたのは握りこぶし。

 業を煮やした妖怪がこちらの胸倉を掴んだままに振り下ろした一撃。

 

――何、してるんですかねぇ。

 

 考えることに夢中になって今のことを忘れていた。

 胸倉を掴まれている感触すら忘れて、探しモノをしていたのだ。

 

 おかしな――おかしすぎた話である。

 

「……と!」

 

 それでも。

 不意を打たれたながらも、身体は勝手に反応していた。

 胸倉を掴んだ腕をねじり上げ、相手が手を放した所に懐へと入り込み、くるりと振り向きながら姿勢を低くする。片手を奪い、背中の上へと乗り上げさせて、己の身体を支点として――くいっと、浮かす。

そして、そのまま――

 

「――ぎゃあっ!」

 

 向こう側へと叩き落とした。

 軽い感じに浮き上がり、地面へと叩きつけられる小悪党。背中をしたたかに打ちつけて、飲み込んでいた空気全てを吐き出すような悲鳴を上げる。

 派手に・・・・・辺りに目つけるような目立った姿で、懲らしめて、しまった。

 

――ああ、これは……。

 

 やりすぎ、だろう。

 

 暴れる理由。騒ぐ理由。

 はしゃぎまわるための――大きな合図。

 

「てめえー!」

「やりやがったな!」

「けきょー!」

 

 枷を外す切っ掛けを探していた者たちにとっては、それを始めるのにはとても都合のいい口火と、それはなる。

 

「――逃げますよ」

 

 それを感じ取ったのだろう。

 少女は、自分の手をとってそそくさとこの場を離れようとする。

 

 けれど、もう遅い。

 既に火はついた。

 

 始まるのは――

 

「■■■■――!!」

 

 響く。

 吼え声。猛り。雄叫び。怒り。

 嘲笑。哄笑。爆笑。失笑。

 

 そういう爆発。

 

「こりゃまた……拙い」

 

 ここを中心として騒ぎが広がっていく。

 抑えるもののいない喧騒が、際限なく肥大する。

 

「――!」

 

 振り落ちてくるのは巨大な棍棒。

 此方の三倍はありそうな厳つい顔の妖怪がこちらに向けてそれを振り回す。

 

「右から斜めに!」

 

 少女が叫ぶ。

 それに従って、その斜線の逆脇をすり抜ける。

 

「向こうから火の玉が……脚を止める気よ!」

 

 目の前へと打ち出された低い弾道の火炎を飛び越え、脇の路地へと入り込んだ。

 右には五、六の妖怪、左の道は塞がれていない。

 

「あっちの奥は他ので埋まってるわ……右は、塞いでる分だけよ」

「――了解」

 

 辺りを見渡せるだろう位置に者の方へと視線を向けて、少女は話す。

 理屈はまだはっきりしないが、多分、判っているのだろう。

 それを信用して、右方向へと地面を蹴った。

 

「……おまえ!」

 

 こっちを見た瞬間、その目が敵意へと染まる――わけがわからない。

 けれど、なんとなくは予測していたその現状。「すいませんね」と小さく口の中で謝りながら、その体勢の整っていない間に、そこで一番巨体の者足元へ飛び込んで――その踏み出しかけた脚を後ろから引っかけた。

 

「ぬあっ!」

 

 周りの連中を巻き込んで、すっ転ぶそれを尻目に懐から取り出した符を落とす。

 効力は――いつも通りと煙幕に。

 

「ごほごほっ!」

「なんじゃこりゃー!」

「前が見えん! 足踏んでんじゃねえ!」

 

 小さな爆風によって巻き上げられた土埃と白煙。

 それに巻きこまれて、混乱する追っ手たち。

 

「ああもう……なんでこっちばっかり狙って」

 

 それを飛び越えて飛行してくる幾匹かの妖怪。

 その狙いは少女ではなく、明らかに己の方に。何か、本能のような者に従って、こちらを狙っているよう様子である。

 

「――なんだか、あなたが気に障るみたいね。当人でもよくわかっていないけど、何となく襲いたくなってるみたい」

「――そりゃ、剣呑な」

 

 理由もなく襲われている。

 そんなことがあってもいいものか――いや、確かに妖怪が人間を襲うのは当たり前ではあるのだが、ちゃんと化けているのに。

 

「――とりあえず、街の外……駄目ね。周りの道は塞がれてしまっているみたい」

 土地勘が向こうにある分、抜け出すのは難しいわね。

 

 追ってくる妖怪たちを伺いながら少女が言う。

 先ほどから的確に相手の動きを指摘している。それは確かに真実なのだろう。

 

「じゃあ、何処かに隠れて……ってのも場所がね」

 

 土地勘がない。

 大通りを外れてしまった分、余計に迷ってしまっている。これでは安全な隠れ場所などわかるはずがない。

 

――いや……。

 

「――この匂い……」

 

 ふと、頭を過ぎる記憶。

 仄かに香った感覚に、思い浮かんだもの。

 

「もしかしたら」

 

 ちらりと目に入った目印が、一つの可能性を示す。

 頭に浮かぶ一か八か――可能性があるのなら、それで十分だ――迷うこともなく、それへと飛び込むことにした。

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 

「おい親父……ここらで妙な奴ら見なかったか?」

「しらねえな」

 

 外から聞こえるぶっきらぼうな声。

「何も買わないならさっさといっちまえ」とおおよそ客商売としては考えられないような対応で、相手を追い返している……どうやら、本当に自分たちを匿ってくれるらしい。

 

 信用はしていたが、相手を恐れて裏切ることもある――しかしこれなら、大丈夫だろう。

 

「――何とか、落ち着きましたね」

 

 男はそういって、「ふう」と小さく息をついた。

 何とか上手くいってよかったという安堵が視える。

 

――はあ……。

 

 私も、少し落ち着いた。

 あれだけの騒ぎから無傷で逃げ切れたこと自体、なかなかの奇跡だ。

 よく、あれだけ動けたものである。

 

「すいませんね。何やら巻き込んでしまったみたいで」

 

 私の指示通りに反応し、上手くその場を切り抜けた。

 恐ろしいほど的確に逃げる男の動きには感心してしまった。

 きっと私一人なら、それを知っても(・・・・)避けきれないものも多くあったのに、だ。

 

「――いいえ、それは構わないわ。それより」

 

 多分、話を聞きまわっていたせいで、誰かの皆の目に触れていたということも、男があれだけ追いかけられた原因であったのだろう。

 ならば、手伝ってもらっていた自分にも責がある。

 何の悪意もなかったのだから、ある意味では事故のようなものだ。

 仕方がない部分もある。

 

「よく、こんな場所を知っていましたね」

 

 逃げ込んだのは町外れにある酒屋の蔵の中。

 店主に事情を説明してどうにか匿ってもらっている。

 

「いや、まあ……あの鬼さんに場所を教えてもらってたんでね。こんな地底深くにある酒屋なら自分とこで造る酒蔵もあるだろうと」

 まあ、あとは店主さん次第でしたが。

 

そういってから「良かった良かった」と男は笑う。

 確かに、それは賭けだったのだろう。

 見ず知らずの妖怪が、誰かの紹介だからといっていきなり逃げてきた者たちを匿ってくれるはずがない。何かを話し込み、誰かの名前を出していたようだが――交渉が上手く行かなければ、ずっと逃げ続けなければならなかった。

 

「ええ、助かりました」

 

 本当に、ここの店主が義理(・・)堅い妖怪でよかった、という所だろう。

 男が考えていた策が通じなければ、周り中が敵という状況の真っ只中に放り出されたままだった。

 なんとか、残りの運を振り絞ったというところである。

 

「とりあえず、ほとぼりが冷めるくらいまではここにいて、こっそり抜け出しましょう。俺がいなけりゃ、多分、妹さんを探しててもそうは目立たない。服装でも変えりゃばれないでしょう」

 それまではゆっくりと。

 

 男はそういって倉の端にあった空箱を持ってきた。

 何も言われないままに、そこに座る。

 

「――酒・・・・・はまだ拙いか」

 

 ぽつりと、残念そうに男は呟く――確かに、ここにあるお酒は上物そうだが……今はそんな場合ではない。

じとりと、睨むと申し訳なさそうに笑んで誤魔化した。

 

――……。

 

 そこには、含みはない。

 ただ、自然のままにこちらを見ているだけ。

それが、私にとって疑問となった。

 ここまできて、なぜ――

 

「あなたは、何も聞かないの?」

「うん……?」

 

 男は首を傾げる。

 その頭の中の思考言語は私の知っているものと違いすぎて、はっきりとしたことはわからない。けれど、何も気にはしていないということくらいはわかる。

 

「さっきの私の言葉――行動を見て、何も疑問に思わないの?」

 

 先ほどの逃走劇。

 逃げる途中の、的確すぎた先読み。

 それについて何の疑問ももたないのか。

 

 その疑問に、男は「ああ、そういうことか」と頷いて

 

「ええと、未来予知……というよりも相手の動きの先読みですかね。いや、相手が反射的に動くのは分かっていなかった所を見ると、その思考を読むとか、いくつかの可能性をその事前に知ることができるとか――そういうもの感じの…… 」

 

 何でもないように、男はいった。

 ぶつぶつと、他の可能性もいくつか示しながら、私について思いついた分析を、まるで当たり前のことであるように晒してしまう

 己が私から勝ち取っていたはずの情報を。

 

「何にしろ、相手をじっと見ていることが条件、とか――いやまあ、何にしろ助かりましたよ。上手いこと裏をかいて逃げ込むことができた」

 ありがとうございます。

 

 感謝の言葉を述べて、軽く頭を下げる。

 それで、この話題は終わり。

 

 もう次の話題へと男の思考は移っている。

 

――……。

 

 変だ。この男は変なのだ。

 

 普通は疑問に。

 疑念を抱くことを、そのままそういうものだとして受け止めている。あるべき反応が何処かずれてしまって、いや、擦り切れてしまっているのか。

 

 だから、それを疑問のままに、わからないままに『わからないもの』として受け入れてしまっている。『知りたい』ではなく、これは『知らない』ものなのだと、理解してしまっている。

 どちらでもいいと、曖昧なままに隅に置いて――そのまま、呑み込んでいる。

 妖怪相手――わけのわからないものに対して、あっけらかんと、底抜けに接してしまえるほどに。

 

「――あなたは、何者なの?」

 

 どれだけ生きれば、こんな存在になってしまうのだろうか。

 『わかる』も『わからない』も等価値なものとして、何であっても勝手に反応してしまうくらいの反射が身体に染み付いていて――もし、私の力が未来予知でも、可能性の先読みでも、その全てをその場で対応してしまうのだろう。驚きながら、冷静に処理してしまう。

 矛盾さえも、そういうものか、と。

 

 この男は、揺れても変わらない。

 

「ただの長生きの人間――で、ただの使いっぱしりです」

 言ったでしょう。

 

 何でもないように男はいう。

 その存在ごと矛盾してしまっていることを当たり前のように語る。

 それを自覚していながら、理解していながら――止めたままで、冷静に語ってしまえる。

 

――おかしな……。

 

 

「おかしな人間、ですね」

 

 その言葉に男は笑う。

 「変人とはよくいわれますね」といって愉しそうに。

 

――何度死んで……何度生き返ったのか。

 

 今まで見たことのない種の生き物。

 歪んでいながら、それでいて真っ直ぐ。

 平常なものと変わりないのに全然違う。

 壊れているのに、治っている。

 

 わけのわからない感想しか浮かばない。

 まるで、私たちのように――人間ではないものと同じように。

 

「うん?」

 

 平気そうに笑っている。

 笑えている。

 

――その底は……。

 

 少し、気分が悪くなった。

 

「どうかしましたか?」

 

 気遣う男の言葉。

 疲れたのだろうか、と労わりの思考を浮かべているのがわかった。

 

――悪い人間ではない

 

 多分。きっと。

 その性根は悪いものではない。

 

 それだけは、わかった。

 それだけしか、わからなかった。

 

 けれど――

 

 とても丁寧に片づけられているのに酷く歪で気持ちが悪く。熱く冷たく温くて冷めて、全部あるのに空っぽな。芯は人であるのに、その内には、詰まっているものがない。あるけれど、すぐにくるくる抜けていく。

 宙ぶらりんな自己を、止まっている心臓を――僅かな何かで、無理矢理型と保っているような。化けている、化けの皮しかない、朧気なもの。

 

――……。

 

 それを、覗き込みすぎた。じっと、見つめてしまった。 

 見通そうとして――遠近観が狂ったような、妙な目眩を感じて身体が傾いだ。酒樽を積む棚に僅かに背中が触れて、その堅い感触で、何とか平衡感覚を取り戻す。

今は、こんなことを考えている場合じゃない。

 

 こんなものはどうでもいいのだ。

 今はそんなことを気にしている場合ではないのだ。

 そう考えて、瞳を背け――

 

「――大丈夫、ですか?」

 

 両の目で、それを見た。

 心配そうに、覗き込む――一度も、悪意は持っていない男の顔。

 

「……」

 

 その内にあるものを、私は視た。

 とても人とは想えないほど『おかしな』ものだった。

 けれど、そこから溢れた結果は、どういう過程を辿ったものにせよ、私を手伝おうという想いはもっている。濁ってはいても、確かに覗いてはいる。

 そこに、変わりはない。

 

 それは、わかる。

 

――少なくとも、この人は私のことを見捨ててはいかなかった。

 

 一人ならさっさと逃げ出してしまえただろうに。

 身軽になれば、都の外までも逃げだせただろうに。

 

 それをしなかった。

 

「大丈夫、です」

 

 それは、お礼をいうべき部分であり、信じても(・・・・)構わないところ。

 そういうものを持っている。

 

――内に、何を飼っているのだとしても。

 

 今は関係がない。表には出てこない。

 

――だから、大丈夫。

 

 そう割り切ることで――頭を軽くする。

 今考えるのを止めて、後へと回す。

 

 そして――

 

「それより、ありが……」

 

 礼を言う。

 先ほどのことについて――一応と返そうと。

 

 けれど――

 

 

そこに、どんっという衝撃が響いた。

 この店にではない。近くの何かが爆発でもしたのか。

 ぐらりと、地面が揺れたのだ。

 

「――あ……」

 

 その瞬間に、腕が引っ張られた。

 そのまま男の懐へと引き込まれ、しっかりと受け止められる。

 

――な……?

 

 何事か。

 そう思った瞬間、何かが崩れ落ちる音がした。

 後ろを見れば、重ねてあった酒樽の幾つかが私のいた場所に崩れて転がっている。

 

「あ……」

 

 つまり、私を助けてくれた。

 崩れ落ちる大樽から守ってくれたのだ。

 

「あぶなかっ……」

 

 男の言葉が中途に止まる。

 その顔を見上げれば、訝しげな表情と困惑の感情。訳がわからないと、思考が止まってしまっている様子。

 

 何かと思い、その意識の先を見てみれば――。

 

「いたた・・・・・あぶないなぁ、もう」

 

 私を助けた逆側の腕に、同じような格好で助けられている誰か。

 私と同じ背格好で、私と同じように驚いた様子で。

 

「あれ、お姉ちゃん。どうしたの?」

 

 きょとんとした、どこかずれた表情で。

 

 私達が探していた尋ね人ならぬ尋ね妖怪。

 私の妹が、そこにいた。

 

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 瞳を閉じた。

 

 見えなくなった。

 

 視えなくなった。

 

 

 

 

 変わったものは、それだけだった。

 変わってしまったのは、それだけだった。

 

 

 それ以外は、変わっていないのに。

 

 





 混ざり濁りて底は覗けず。けれど、水面に映り返される光には変わりない。
 ならば、その外に吐き出されるモノは、何時もと何の変わりもないだろう。

 ただ、それが気になってしまうのが――


 とまあ、思いつくままに。
 この後は、ある程度適当に言葉を嵌めてしまっても、結構通じる気がします。
 お好きな言葉を――という冗長を置いて蛇足ということで。


 読了ありがとうございました。


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