東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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喧嘩に火事の鬼の華

 

 

「それで、話とはなんじゃ――人間よ」

 

 洞穴に響く、凛とした声。

 腹の底まで響き、自然と耳に残る。

 自信と強さ、そして、威厳と満ちた――畏の顕現。

 

「わざわざ、儂に用があるとはのう」

 

 総髪を簪で纏め、艶やかで、それでいて動きやすそうな着物にその豊満な体を包んだ女傑。美麗な笑みは浮き世離れに神へと及び、獰猛につり上がった口端でさえ、それを押し上げるための一つの材料として、似合いにその顔を飾っている。

 傾国傾城超えた美しき。男女問わずと骨抜く絶世。

 見た目だけなら、素晴らしきを見せてもらったと、色ぼけてしまう以上に、感涙の念を得て、平伏してしまっても不思議ではない。

 これは、そういった神秘を含む美しさというものだろう。

 

「――なに、どうってことはありません」

 

 そんなものを前にして――それでも、確かな震えを感じてしまうのは、その腹の底にかんかんと照った炎が透けて見えるからだろうか――赤々と焦げ付くような熱が、こちらに響くから、なのだろうか。

 手に汗滲む汗、それを握り潰して己は続ける。

 

「ちょっとした世間話をさせてもらいに、とね――鬼の大将殿よ」

「ほお」

 

 ぱくりと面白げに口が空く。

 真朱な舌と覗く犬歯が獰猛に、角なしながらそれ以上の一本通した芯が、()の魂がかっかと燃えて――見ゆるのは、己を呑み込む器の違い。

 

「わざわざこんなところまでくるとは、ずいぶんな物好きじゃのう」

 

 にたにたと、そこで笑う。態度こそ軽くあるのに、どこまでも空気は重い。

 古き、恐ろしき、強き……なんとでも、いえてしまう存在感が辺りを包み、己を囲う。

 

「――命がいらぬのか?」

 

 ずしりと、それはまた重く。

 面白げに細められた瞳が己を貫く。

 

――……。

 

 そこにあるのは、ただの物珍しさ。

 愉しそうに、興味深げに……奇異なものを珍しがる視線。その僅かな興味がなくなれば、すぐさま己は塵へと変えられる。塵芥と、埃のように払われるのだろうと理解させられる。

 それほどに、高みから見下され――見下す鬼と人の間柄。

 

「……まあ、道楽爺とはよくいわれますがね」

 

 息を吸い、長く細く目をつぶる。

 そうして、息を吐き――いつものように、余計を考え切り替える。

 

――はてさて……。

 

 そんなものにまで、物好きとされる己とは、一体どのような存在なのか。これだけ汗をかいたなら、後で飲む酒は随分美味いだろう……なんてこと。いつも通りと下手に考え、意識を緩める。

 あまり根を詰めすぎても余計に堅くなるだけ。太陽を真正面から見ようとするなど、ただただ自虐の愚考程度にしか実らない――どうせ下手を踏むのなら、それなりに楽しめるように、相手が人を食う鬼ならば、こちらは人を食った無責任な老人態度で。

 相手は己の半分も生きていない若者なのだ。太さは比べものにならずとも、つなぎ合わせた長さでは負けてはいない

 

「まだまだ、そいつ()を投げ捨てにきたってわけじゃありませんよ」 

 

 通りすがりに世間話。すれ違いに挨拶程度。

 気ままで惚け気味の道楽爺がふらりとそこにやってきた。その程度の重さ軽さで十分と。その加減が己程度と。

 

「ただ最近、人里でよく噂になっていますのでね」

 

 へらりにへりと間抜けに笑う。

 ぺらぺら語るはとある内情。へらへら語り、重さも要も考えない。

 ただ、好き勝手に語るのみ。

 

「やれ、鬼が現れた。これ、誰かが拐われただとか……怖ろし恐ろし」

 

 聞いたこと、知ったこと。

 知ったかぶって、予断して――今までの経験に当てはめる。過去の倣いに囚われる。

 語るのは、勝手な老害戯言じゃれ言。とある日々にて食らった悪難苦難と間抜けな失敗。

 その先にあるかもしれぬ勝手な予想。

 

「封印だ、山狩りだ」

 

 だからこそ、そうはなりたくないと身をもち知る。

 

「――鬼退治だ、とかね」

 

 いつもの調子で己は語る。いつもの調子で己を被る。

 そういうやり方しか知らぬのだから、それを必死と語るのだ。相手が何であったのだとしても、それは変わらない。

 ただ、老人は経験を語るのみ。

 

「ほう」

 

 鬼は笑う。

 かかってこい。望むところだ。面白くなってきた。

 戦う(やる)とわかっているならいくらでも。

 

「そいつは面白い」

 

 蹂躙して(けちらして)くれようと、そう勝ち気に。

 戦に燃えて、喧嘩に焦げて、誇りに笑う。

 

――……まったくと。

 

 それが鬼。鬼という存在である。

 逃げずに戦い、まっすぐ闘い、喧嘩の華を散らして生きる。どうしようもなく怖ろしき、気持ちのよい化け物だ。

 だからこそ――己はこうして。

 

「――そのお相手と、少し話をしておきたくてね」

 

 かかかと笑みを。それ(・・)を含めて、己は望むのだ。

 含み込めて、そうであってほしいと願っている。

 

 だからこそ、そう積んできた。

 

――確かにこれは、道楽だ。

 

 己は、己が笑むためだけに……居場所を変えたくないという駄々だけで、こんなことをしている。人の迷惑考えず、ヒトの思惑も考えない。

 ただ、手前勝手に動いているだけ。とんだ笑い話の、はた迷惑な喚き言。

 

「……」

 

 だからこそ、己のみで終わらせられる。

 

「そういうことで、そこな鬼さん」

「む?」

 

 そんな妙な老翁()に、鬼女は訝しげに首を傾げる。

 一体何をしにきたのかと、何を考えてこんな命を投げ捨てるような真似をしているのかと。疑問はあふれて仕方ないだろう。けれど、こんな惚けた老人の考えが判ろうはずもない。

 己ですら、その時々の気分でそれを決めてしまっていることの方が多いのだから、それは当然。

 

「少し、爺の長話にでも付き合ってくれませんか」

 

 今、己が願うこと。今、己が望むこと。

 それを叶えるために――今の気分で気軽に賭ける。

 

「一体なんの?」

 

 賭け事ならば望むところだろう。勝負事なら存分にのってくれるだろう。

 気まぐれに全財産を賭けてくれるのは、鬼なら当然。

 

「……たとえば、少し未来の話など」

 

 己と相手。

 底抜け馬鹿と底なし器量、どちらかどちらとは判りきってはいるが……そこに片足つっこんで、それでどう転がるのだろうかは実際やってみなければ判らないというもの。

 賽は読めずに、運は巡って回るもの。

 

「人と鬼……この先、この幻想郷(ここ)がどうなっていくかっていう、ただの夢見な世間話などとね――そんなことでも、少し話してみませんか?」 

 

 神籤は引かねば当たらない。賭はのらねば見返らない。

 ならば、時には楽観的に泥船乗るのも一興だ――そういう与太を語るのが、昔語りというものだ。そういう―倣いはざらとある《昔話はたんとある》。

 

「それは……どちらが滅びるか、という話しかのう」

「どちらも在ることができるか、という話です」

 

 あるかないかは、訪れなければわからない。

 未来など、幾ら生きても覆される。

 

「ほう、鬼と人が並ぶ先があるとでも?」

「さて、そうならないと決めるには……」

 まだまだ世の中知らぬのだ。

 

 老いた口でそう吐いて、その炎を見返した。

 溶けた岩の前に立ったような感覚が己の芯へ。ぴりぴりと空気が研がれ、辺りが抜き身の刃で埋まってしまったような気分。

 その程度なら、知ったこと。鼻歌くらいは歌えるものだ。

 

「先に手を出したのはそちら(人間)の方じゃろうて」

「ええまあ、そうでしょうねぇ」

 

 相手は鬼の神。

 黒き髪を揺らす美鬼は、天女と見まごうばかりに美しい。人外れ、人離れして美麗に華麗、ついでに苛烈。見物というなら、これ以上の見物はない。

 

「山に入り、人の場所を広げようとしたから、そうなったってところは自業自得でしょう」

 

 その炎に誘われた人間もいる。その恐ろしさに惑った人もいる。

 脅え魅入られ、畏れ憧れ――想いは強く。

 

「恐怖を忘れ、禁忌を犯し――己を過信して」

「鬼を忘れて、その縄張りに踏み入った……ほんに、愚かなことにのう」

 

 踏み犯したのは愚かもの。

 それも、越えただけでなく荒らしていった。好きに勝手にと罅を入れて。

 

 馬鹿をしたのは、人間だ。

 

「それでも、鬼は古来からずっと人を拐い、襲い喰らいてきたでしょう」

 

 そこには積んだ日々がある。

 重ね続けた塵の山。刻み込まれた芯への疵。

 

「それを恐れるというのは、また当然のこと。恐れから逃れようとするのもまた、生きるものとしては真っ当だ」

 

 鬱憤たまり、たまに反抗したくもなる。相手がどれだけ大きかろうと、いつまでも大きい顔をされていて黙ってい続けるというのも難しい。

 特に、己が踏み出そうというときに。

 

「畏れられ、そこまで恐れられきた側としての責任があるとでも?」

貴方たち()は変わらないんでしょう。なら、変わろうとする者たちがそれを疎ましく思うというのも当然――」

 

 変わりたいものにとっては眼の上のたんこぶ。やっと穴蔵から這い出ようというのに、その上にあまりに巨大なものがのっていては立ち上がることすらできない。退いてくれない重石は、壊して進むしかない。

 

「そういうものに、胸を貸してやるのが先人ってものだとも思いますがね」

 

 大人になって譲ってやる。

 それもまた器の大きさというもので。

 

「ああ、そうじゃのう」

 

 けれどもまあ、造りが違えば違うというのもまた当然。

 

「何かを変えようというのなら、今までに打ち勝つまでの力を示してこそ――」

 

 地道に時間をかけて焼き上げる作法もあれば、焼け焦がして、また錬磨するという型もある。

 

儂ら()は喜んでその前へと立ちふさがろう。変えるなら、それだけの覚悟を持ってやってみせいとな」

 

 百獣王は、子を谷底へ。

 百妖の鬼神は、相対すべき敵にすらまた同じ覚悟を求めて。

 

それ(・・)で多少の犠牲がでようとも、ですか?」

「……餓鬼どもへも、そう伝えておるさ」

 

 僅かに揺らぎ、それでも強く。揺らぎを呑んで、なお鋭く。

 鬼は『らしさ』を貫いて。

 

 

「ふむ」

「ふん」

 

 

 沈黙し、息を吐く。

 

 互いに一息、力を抜いて肩を落とし。

 一手間を空けて、また向かい。

 

「この話は無意味じゃのう」

「……まあ、そうなりますか」

 

 愉しそうに笑みと疲れたもう一息。

 やはりと、こういう(・・・・)話し方ではいかぬらしいと。

 

儂ら()は、勝手気ままに生きるもの……その長である儂が、そうでないわけがない」

「らしくあり、らしくあれ――まさに鬼の神である、と」

 

 然もありなん。当然のところ。歴として。

 それはそうであるのだろう。そうでなければ傾げてしまう、首とはいわず全身ごと。信頼確信全幅……ありあまるほど、そんなことは知っている。

 駄目元で、ただ話してみただけなのだから。

 

「人もまたそうじゃろう」

 

 鬼は笑う。

 

「ええ、進んでいくことは止められない……畏れるからこそ、それを越えようとする」

 

 人は怯える。

 

 だからこそ、弱きと強きで噛み合う。相容れぬ、のではない。互いに対立する形でそう成り立っている。

 それが、人と鬼の関係性というもの。積み上げ成った形である。

 

「まったく、これだから鬼という相手は難しい……扱えるものではないということですかねぇ」

 

 やっぱりと、そう上手くはいってくれないものだと頭を掻いた。疲れたように首を振り、さらに大きくため息を――まったく、気が進まない。

 

「当然のことじゃ。お主もわかっていて、こんな茶番を演じようというのじゃろう」

「……まあ、予想はしてましたがね」

 

 ならばどうする。

 かの者の目はそう問いかけて――己は諦めに頭を抱える。

 こうなるとは予想はついていた。予想以上の確信だったのだ。それでも、一縷の望みを込めて切り出したのは、ここには変わり者が集まるという点だが――どうやら、宿は変わることないらしい。

 本当に、諦めるしかないのだ。

 

「では、この(・・)話は終わりとしましょう」

 

 ここで終わり。

 諦めて、受け入れて――そして、腹を括るしかない。

 

「それで、今度はそちら(・・・)に合わせた話し合いと参りましょうか」

「……?」

 

 仕方なく、己は奥の手へと移行する。

 できれば触りたくもない。締まっておきたかった、気の進まぬ方法を試すことにする。

 

「――こちらに合わせた?」

 

 首を傾げる鬼の神。

 どういうことだ、と掴めずに。

 己の次の言葉を待って――己はそれに。

 

「――勿論」

 

 ぱんっと手を打った。

 柏手のように気を入れて、ぱしんっと気合に入れ替えて。

 

「喧嘩と博打――拳で語るが、喧嘩屋(鬼の)話ってもんなんでしょう?」

 

 袖をめくって拳を握り、肩を落として力を抜いて。

 やれやれよっこら、土を払いながら立ち上がる。

 

「武器なし、道具なし……着の身着のまま」

 

 視線を上げれば、上座には鬼の姿。

 背丈はそう己とは変わらない--けれど、そこに凝縮された濃さは天地と。

 己の物好き加減に笑ってしまいそうになりながら。

 

「ここまでお話につき合ってもらったんです――」

 

 向けて誘う軟派な言葉。

 気軽に緩く。

 

「――そういう殴りあい(世間話)があるなら、お付き合いしますよ、とね」

 

 拳を付きだし、そう言った。

 

「……」

 

 鬼はきょとんと目を丸く。

 己を見返し、ぱちぱち瞬き。

 

「くはっ……!」

 

 吹き出すように吐いた。

 火薬のように燃え上がった。

 

「ふはっははは!

 

 剛毅な笑い。怖ろしき笑み。かっ飛ばした哄笑。

 愉しそうに嬉しそうに、炎が揺れる。呑み込まれそうな熱を放つ。

 

「人間風情が何をいうかと思えば――また、わけの判らぬことを」

 身の程知らずにもほどがある。突拍子がないにも限度がある。ふざけているのか、なめているのか、ただただ愚かな狂人であるのか。

 判らず――けれども、鬼は笑む。

 その混乱以上に、騒ぐ血の池抑えられずに。

 

「しかしまあ、挑まれたなら、応えるしかあるまいの」

 

 今日一番の笑み浮かべ、美しくも凶悪に。

 歪み歪んで鬼の貌、笑い笑って侠客大悪党。

 

 畏しきがそのままに姿を重なって――

 

「できるだけ、手抜きを願いますよ」

 

 だらりと汗がこみ上げ、早くも後悔。

 けれども、ここまできてしまってはもはや遅い。

 

「……こっちは、ただの一介老人ですから」

 

 ため息がてらそういって、ゆらりと構えた。

 対して鬼は――

 

「はっ!」

 

 にんまり笑い。

 大層、らしい表情で。

 

 

「気が向いたらのう!」

 

 吠えるように、地面を踏んだ。

 びりりと揺れて、罅入り岩盤。

 

 そうして飛び出す(・・・)間抜けな老人。

 多分、そんな感じであった。

 

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「あなたがそこにいるというだけで、十分に価値はある」

「えらく買いかぶりますねぇ」

 

 

 

「守りの心配はしなくてもいいのよね?」

「さて――せっかく常連と通ってる店をなくしたくはない、くらいには思ってますが……」

 

 

「そう、なら大丈夫」

「――」

 

 

「誠心誠意、精一杯にお願いしますわ」

「……爺使いの荒いことで」

 

 

 

「――そういえば、最近人里の武術訓練に妙な男が出入りしているらしいわ」

「……」

 

 

「妙にこなれた動きをする割に、毎日毎日、まるで一つ一つ最初からやり直しているみたいに、違う動きばかりを訓練する妙な人間」

「……」

 

 

「そりゃ、面白そうなのがいる」

「そうね」

 

 

「一度みてみたいものですわ」

「一度みてみたいもんですよ」

 

 

 

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――……。

 

 妙な男。変な人間。

 鬼に喧嘩を売るような珍奇な輩。

 だからこそ、少し相手をしてやろうなんて気まぐれもわいたのだ。

 

 だから笑ってそれを迎えようとして構えをとる――その一瞬手前に。

 

「……っ!」

 

 一歩。ただ一歩でそれは距離を潰した。

 こちらが初動し始める……そのために、体に力を回す瞬間を見計らい、ぬるりとその体が入り込んできたのだ。

 見えてはいる。だが、動けない。

 動くために、今身構えようとしていたのだから。

 

「……ほう」

 少しだけ、感心が増した。

 

――どうやら、ただの鼠というわけではないらしい。

 

 懐、というには少し遠い。

 それでも、伸ばせば届く位置。

 そこに飛び込む迷いなさは確かな実戦で磨かれたもの。その実力を己相手に発揮できるなら、それなりの修羅場は潜ってきているのだろう。

 

 知らず知らずと、口端が持ち上がる。

 

「――お邪魔しますよ、とね」

 

 男はそういいながらもう一歩を。

 体の移動。

 一番始めに地面に降りた右の爪先がそのままの勢いでぐるりと回る。飛び込みの早さを殺していない。同じ速度のまま、真っ直ぐと男の右腕が伸びてくる。

 拳は握られておらず、掌を押し出すようにした撃。

 それなりの速度と威力はある……が、それは鬼に届かせるには余りに拙く真っ直ぐすぎる。不意を打ち、こちらが整わぬ間に動き出したとして、遅れて余りある隙だ。

 

――すぐに終わらせてしまうのももったいないか。

 

 先ほどの言。

 あれほどの大口を叩いたのだ、よほど自信があるのだろう……だからこそ、そんなものは己たちに対して微塵の価値もないのだと教えてやらねばならない。

 自尊心を叩きおり、かなわぬのだと叩き込み――それから、圧倒的に踏みつぶす。

 それくらいしてやったほうが身のため。

 だから、もう少し時間をかけて――

 

「……」

 

 そう考えたのが、油断であったのか。

 

 相手の右肘の内側にこちらの左腕を入り込ませるように伸ばし、そのまま左へ弾いた。

 肘の間接、腕の曲がりやすい方向へと勢いを修正されたそれは、容易く九の字と曲げ逸れて、こちらに届くことなく勢いを散らした。不意の一手なのだとしても、やはり単純すぎたのだ。

 

――今度はこちらから。

 

 その乱れた身体を小突いてやろう。

 まずは小手調べ程度の力で、弄んでやろう。

 そう思っていたのに――その回転は止まらなかった。弾かれた腕の勢いをそのままに、地面についた足を起点として。

 

「――……!?」

 

 半ば、こちらが弾いた腕にのっかるような形で力をいなされた。右腕を前にした半身の状態であった男の身体が腕が外に引かれたことによって入れ替わった。

 こちらが与えた勢いを軸として、その左腕が前へと飛び出す。そちらも拳は握られていない。同じような形の撃で身体の急所へ……こちらの喉元を狙うように回り飛ぶ。

 

――なかなかじゃのう。

 

 よく考えて、うまく動くものである。

 なかなか面白い――けれど。

 

――まだまだ、足らぬ。

 

 まだはっきりと見えている。

 いくら予想を外れた攻撃とて、己の眼はそれに付いていっている。見えているもの。それがそのまま大将の首に届くわけがない――動くなら、こちらの方が万倍早いのだ。

 同じ時間に届かぬものが己に届くわけがない。

 

 伸びるそれに危なげなく右腕を合わせて、その奇襲を防ごうと……したところで、男の狙いが別にあることに気づいた。

 その手の形は――打ではなく、掴む形。

 

「――なるほど」

 

 それが狙いであったのか。

 

 男の左手が己の防御に回した右腕をがしりと掴んだ。

 投げようというのか、極めようというのか。はたまた、何か別のことを仕掛けているのか。その手は簡単にはふりほどけそうにない。

 巧く後手に回され――男に笑みが。

 

――じゃがのう……。

 

 なかなか頑張った。よくやったと褒めてやろう。

 けれど、まだ笑うには早いだろうに。

 捕まえたように思えても――それは、相手が人であった場合だろうに。

 

「なめるでないぞ!」

 

 そうやすやすとすむのなら、己は鬼をやっていない。狙い通りと駆け引きに負けたとて、それを踏み倒すのが鬼の力技。

 理屈ではなく、単純な暴力で――人が敵うわけがない。

 

「ぬがっ……!」

 

 腕の先で、男の間抜けな声。

 こちらの右腕をぎゅっと握り込んだまま、持ち上げられた男が、こちらを見つめる。

 

「……」

「……」

 

 にこりと笑みを。

 そして――ぶん回す。

 

「ががっぎ!」

 

 蛙のつぶれたような声がした。

 あとは暴風のような風の音。

 己の片腕の力と男の重さ――もちろん己が圧倒して、ぐるんぐるんと男の身体が竜巻にでも巻き込まれたようにはためているのだ。力を入れる隙も、こちらを崩す間もない。

 ただただ、巻き込まれ、かき混ぜられて。

 

「そら!」

 

 それから、一直線。横から縦、そのまま地面へと叩きつける。掴んだまま(・・・・・)、その岩肌へと押しつけて――ぐちゃりと、潰れて。

 

――もう終わりか。

 

 そうがっかりして――のはずであるのに。

 

「……なんだ?」

 

 男の体が飛んでいた。吹き飛んで、宙に浮かんでいた。

 ごろごろと、与えられて勢いに従い転がって、硬い岩の上を、ずいぶんと痛そうにあちこちぶつけながら。

 

 己の手から抜けていた。

 

「っが、ぎっ……」

 呻く男の声。潰れてはいない。

 ちゃんと、形を保っている。

 

――これは……。

 

 男がわざと手を離して、すっぽ抜けた――いや、そうではない。あれほどの勢いが付いてしまったなら、男が手を離そうとした時はすでに遅かったはず。力の方向はすでに決められ、勢いは増しに増していた。

 だというのに、男はそれほど速さを持っていない乗り物から、ただ手を離して離れただけ、といった具合。(乗り物)の方が、途中から一気に失速して止まってしまったようで。

 

「――なにを、した」

 

 ぶらりと、腕が揺れた。

 増していた勢いを終え、ただの己の重さのみを受けるだけのものへと変わった。

 力を入れても、それは動かない。何か重石が繋がっているような感覚だけが身体に伝わる――動かぬ右腕が、ゆらりと垂れ下がり。

 

「……なんとか、うまくいったようで」

 

 地面に擦れて、泥だらけとなったそれ。

 それは埃を払いながら立ち上がりながら、にたりと笑った。

 相変わらず、何の脅威も感じさせない。殺気も闘気もこもらぬままのごくごく自然体。

 

 ゆるりとしたまま、ぽっかりと空いて。

 

「ちょっとした芸事ですよ。どうにか芯まで届いてくれたようでなによりですねぇ」

 

 落とし穴。それも底なし……底抜けな。

 なんとなく掘っていた穴が、いつの間にやら恐ろしいほどに深く、遠くまで繋がって――そのまま、堀り抜いてしまったというような。

 

「片手分……こんな老いぼれで遊ぶにゃ、十分な手抜かりでしょう?」

 

 それでやっと丁度いい。

 それでも、己の負けなのだと――まったく、勝ち気なく、男は構えた。

 

 これでやっと、それなりに戦えるのだと。

 

 

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 あの日、紫と鍋を並べた日。

 あんな会話をしてから、大体十年ほどだろうか。

 はっきりとは覚えていないが、そのようなことを話して、そのままに時間は過ぎて、予想通りにことは運んで――。

 

――……。

 

 問題もまた、あの時のまま。山とあり、山にあり。

 楔は抜けず、凝りはとれず、流れを止める関として大きく儘の形と残っていた。聞かされたとおり、強く猛々しく……畏ろしき限りに。

 

 

「……そら、もう一丁じゃ!」

 

 叫ぶ声に、身をすくませている暇はない。

 

 己が生き残る術。

 それは、群――個ではなく、千と万と覚えた芸事によって作り上げたもの。それを一つ一つ、順番に披露していって、決して絞らせないこと。

 一から学んだ千変万化、十で一つの見聞き覚え。

 重ねたときと経験の数。

 

 そうすることで、当千に迫る軍勢と――。

 

「ああぁぁっ!」

 

 落ちてくる撃に向けて裂帛する。

 一つ目は、腕の回転を使って弾く動き。捻りこみながら、隙間をこじ開けて無理矢理身体を差し込む。

 二つ目は、頭を地面すれすれにまで下げての落下速度から急加速。回り込むように飛んでくる足刀を、さらに下から、かち上げるようにして逃げ場を作る。

 三つ目は、ただただ速く。がむしゃらの素人同然の動きを装うことで、意表と予想を外す。危なげはすれすれに、安牌は大げさに。心を乱すことを主として――予期を外して動く。

 被らぬよう、重ならぬよう、一つに十と百と技術を注ぎ込み、それから逃れる。避けることくらいしかできはしない――いや、避けることぐらいはできている。

 身体全体に擦過傷。打ち身に切り傷、痛みに痺れ、支障と苦痛を喰らいながらも、邪魔にならぬ程度に抑えこみ。

 

「がっ……はっ」

 

 抜けた先で息をする。

 越えた先で命を補給する。

 

「しぶといな」

 

 見据える鬼は片腕揺らし、息も切らさず、傷一つなく。

 己は瀬戸際で――

 

――こりゃ、しんどい。

 

 なんとか、立っていた。まだ、生きている。

 その繰り返し。

 ただ、あれから十年とため込んだ日々の積み重ねで、己をどうにか保っていた。思い出し、思い見い出し、重ねに重ねてやっとのことで掘り出した己の中の闘いに関する記憶。

 その全てを振り絞り、仕上げきって、やっとのことで。

 

 つま先程度には届いて、掴んでいられると。

 飛んでくるのは、空気を焦がすような音。

 

「……ぎぎ」

 

 力を逸らしたしたはずの腕が軋み鳴く。

 触れた指が火傷でもしたように熱く疼く。

 

――きっついな、こりゃ。

 

 泣き言。本音。ぐうの音が腹の中で。

 それでも食いしばって、どうにかこうにかついていく。

 元より、己に才はない。

 達人にはなれようとも天上になることはない。いくら歩み重ねることができようとも、飛翔するための翼などついてはいないのだ。あるのは――ただ、小人が積みこめるだけの永く生きた経験のみで。

 

「……!」

 

 がむしゃらに正確に予想通りと本能のまま――ただただ、総てで動く。

 

 頭をかち割るように振り落ちてきた左手を右に踏み込み、半身となって避ける。続きくる肩、背中と広い面を使ってのぶちかましは、己もそれに沿い、背中を擦らし合わすように身体全体で回転することによって威力を流す。

 そして、すれ違うように通り過ぎ……次の瞬間にはすでに振り抜かれているのを予想して、大きく前へと回転。 

 ちりりと僅かな感触にぶおんという恐ろしげな風音。数本の髪が巻き込まれたのがわかった。

 

「今のは惜しいのう!」

「勘弁してくださいよ、っと!」

 

 浮かんだ走馬燈を押し殺し、一瞬の間に、攻守を入れ替えようと。

 

「――っし!」

 

 地面へ右手を着き、腰を捻なりながら振り向きざまの蹴撃。声からの検討で大体の位置はわかっている。

 その顎を打ち抜くような形を狙って――

 

――……っ。

 

 見えたそれに、慌てて手を弾く。

 己の生み出した勢いに肩が悲鳴を上げ、捻れきった身体が苦痛を訴えるが――それでも流れを壊して、自らの攻撃をなかったことに。当たって(・・・・)しまいそうになった足を僅かと逸らした。

 つんのめった勢いはそのまま己を引きずって地面へとぶつけ、受け身をとった腕に新たな熱さを。

 崩れた体。傷む身体。

 慣れたそれを押し込めて、すぐさま立ち上げる。

 やろうと思えば追い打てただろう。けれど、鬼は堂々と己がを待っていて。その身体能力の違い――格に違いを見せつけるように、愉しげな笑み。

 敗北感は既に腹一杯に。

 

「ははっ、なかなか愉しいのう」

 妙な動きばかりをみせよる。

 

 そんなことを宣って、己を見つめる強き鬼。

 人とは違うもの。

 

――まったく、頭突きと蹴りの相打ち狙いってのは……。

 

 身体の違い。筋力の圧倒的な差。

 こちらが全力を込めた蹴りと相手の予備動作なしの頭突きがぶつかったとして……確実に負けていたのは己の方。

 わずかに掠ったのだろう。その頬には僅かに汚れ、黒く焦げている。けれど、それは皮すら貫ないていない。一滴の血も消費させてはいない。

 ただ、触れただけのようなもの。

 

――おっそろしい以上に差がありますねぇ、こりゃ。

 

 人と鬼の差。人間と神の差。

 ただの人間と鬼の神との隔たり。

 

 届かせるには、命をとしてもまだ足らぬのか。

 当たれば終わる。触れれば終える。吹けば飛ぶのは、己が命の蝋燭。

 

「しかし、見せてもらってばかりというのも悪い」

 

 まだまだ遊び足らぬ鬼。

 

「己にも少しは驚いてもららねば……儂の沽券にも、関わるしのう」

 

 子供のような理屈をかざし、何かを思いついたように笑った。

 

「では――いくぞ」

 

 そして――こちらの身構えた瞬間には、前に。

 

「……っ!?」

 

 それは、自分が初見で見せた動き。

 それを下手に真似て、己以上に。

 

「理不尽、過ぎじゃないですかね、こりゃあ!」

 

 文句を叫びながら、すぐさま飛びのいた。

 後ろ、できるだけ遠くへと――飛んだところに、そのまま付き添うように目の前に。全く距離を変えぬまま、同じ姿が着いてきて。

 

 

「これだけ見ていれば嫌でもわかる」

「な……」

 

 己は逃げる。ならば、それを予想して動く。

 広げられなかった間合いから来るのは、当たってはいけない一撃必死の――貫き手。

 

「そら……よけてみせいよ!」

 

 鋭き爪、指先を伸ばしたままの抜き手。

 こちらが防ごう何かを翳しても、それごと貫くための攻撃。すらりと伸びた手が槍のように己に伸び。

 

――……。

 

 喰らえば、身体に穴が空く。

 避けるにも、ここは中空。地面に脚は着いておらず、手が届くような壁もない。

 それを避けるには――。

 

「……っく」

 

 歯を食いしばり、腹へと力を込めた。

 身体全体に気を充足させ、できるだけの強度を高めて。柔らかく、かつ堅く。何にぶつかろうと、どんな衝撃を被うと、命だけは守れるように。

 

 そうやってから――迫る(おど)ろを前に、力を込めた。

 右手を腹に、内蔵を押し上げ、重要な器官をそこから逃してから――思い切りと、力を込めて。

 

「――っが!」

 

 腹を突いた衝撃。己が通した力が身体を打ち抜いた。

 視界が切れる。胃の腑が返る。呼吸が逆流する。

 大の男一人を吹き飛ばす(・・・・・)ために与えた力が、そのまま中空で己を走らせて、ぐにゃりと折れ曲がった身体が受け身もとれずに地面へと。

 打ちつけた背中に息が止まる。ぶち抜かれたような脇腹に熱さと痺れ。岩の地面に削られた肌が擦過の痛みを訴える。

 

「ぐ、が――っつう」

 

 けれど、それでも。

 

「――残ったか」

 

 何とか残った命の灯火。

 

「やはり面白いのうお主……己が傷むというのに、まるで迷いがない」

 

 こんな真似をした己に呆気にとられたのか、それとも、わざわざそこまですることはないという余裕からか。

 追撃にでようともせず、鬼はこちらへとゆっくりと向く。転がった己を、見下ろすようにじろりと見つめた。

 

「わざわざ己に痛みを与えてまで生き残ろうと――そこまで、強い意志をもった人間には見えなんだのだがのう」

 

 視線の先にあるのは己の腹部。

 普段は、符や針、術具を通して扱う力を無理矢理素手で放って推進力へと変えたもの。

 それは効率を考えれば最悪の手だったといってもいい。

 術式に通し、力を固定化し、決められた方向へと進める。それが洗練された力の法則というものだ。

 それを全て暗算して、己の頭と身体の内のみで実現するというのは、ほとほと愚かすぎる行為である。

 大量の荷物をそのままの形で一つ一つと運んでいくような、伸びた雑草を一本一本素手で抜いていくような、そんな――手押しも鎌もあるのに、わざわざそれを使わない。疲労も等倍、消費も数倍……それでいてごく小規模だけを己の知識と経験全てを動員してなんとか実現できるというだけの、無駄な技術。

 普段は、ただ己を疲労させるだけの大道芸にすぎない。

 ただ、今は――

 

「――そりゃ」

 

 せき込みながら、力を込める。

 まだ動く、まだ動かせると叱咤する。

 身体の文句は――これが終わった後に。

 

「こっちは、話を聞いてもらってる身ですからね」 

 

 息を吐いて落ち着けて、また動くように。

 傷ついた身体、疲労した精神、嫌だ嫌だと叫ぶ心でできる、精一杯の動きを経験から引き出して。

 

「いったでしょう。鬼に合わせての話し合いだと」

 

 余力と気力。実力と運。

 どう転がっても、ぎりぎり生き残る道探し。

 

「なら、このくらいは耐えて当然……泣き言なんかいってても、拳は届いてはくれません(話を聞いてはくれない)とね」

 

 そう結んで、また構え。

 

「っは、ほんに口の減らぬ」

 

 対する鬼は、呆れたように。

 こんな馬鹿な人間に対して、どうにも笑ってしまうというように。

 

 楽しそうに――拳を向けて。

 

「ならばこちらも、ちゃんと話して(闘って)やるのが筋ということじゃな――人間よ」

 

 圧力はさらに増す。熱風はさらに勢いよく。

 また無駄口で己が首を締めたのかと、少しの後悔が。

 

――まあ、仕方ない。

 

 一人ごちて、それを見返す。

 いくら無駄口叩こうが、いくら戯れ言並べて話し尽くそうが――やはりと。

 

――言葉足らずにゃ、違いない。

 

 

 そう諦め心地に笑って、また込めた。

 千手越えても、己は死地だ。

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 

 その妖怪は言った。

 

「理をつくる」

 

 己は聞いていた。

 

「新たな居場所を――そう在れる世界を」

 

 

 己はそれを聞いたのだ。

 

 

「あなたは、それを手伝ってくれるの?」

 

 そして聞かれた。

 そう答えた。

 

「――さてね」

 

 愉しく、楽しく。

 何やら年甲斐もなくわくわくとして。

 

「ここにいるのはただの一介の一般翁。多少長生きしている程度で、何ができるわけでもない」

 

 言い訳を並べながら笑っていた。

 いつも通りの振りをして笑んでいた。

 

 

「できるとしたら、ただの長話だけ……」

 

 そう嘯いて。

 

 

「そいつに、誰かを付き合わせるだけだ」

 

 

 

 心を決めていた。




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