東方幻創録―永人行雲譚   作:鳥語

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 遅れて申し訳ありませんでした。


話し話して、また語る

 

 

 

――こういうのは、随分と久しぶりかねぇ……。

 

 見通せぬ水の流れ。

 遙か彼方まで続く水面の原をぼやりと眺め――それでも、その向かいには対岸が存在し、この流れは大海のものではなく、大河のものであるということを思い起こす。

 ごつごつ、こつこつ、大粒小粒に転がる丸石を眺めながら、それが積み上げられた石塔がないところを見るに、この辺りは幼子のいない辺りなのだろうか、となんとなくに考えた。

それは生きた歳によって、進む場所がいくらか違うということなのか。それとも、たまたま偶然そういう場所にきたというだけなのか……もしかしたら、互いには認知できぬもの、ということなのかもしれない。独りではないことが判らぬようにするために。

 少なくとも、己が今までここに訪れたとき、同じ立場にある誰かと出会うことはなかった……もし、それが年齢別で振り分けられる場所が決まっているというのなら、それはそれで筋は通ってもいるのだが。

 

――……。

 

 それはそれで寂しいものがある。

 いやまあ、そんな一人ぼっちが寂しいなどという歳でもないし、そういう幼子等を見て愉悦に浸れるほど、心の深みなど得てはいないが……一人きりは寂しいものだと思う程度には、歳寄りではあるだけで。

 

「……さてはて」

 

 相も変わらず、中途半端な己が身。いや、今はその身から抜け出た魂ではあったのか……つまりは、こんな馬鹿なことをつらつら考え続ける思考癖が芯まで染み憑いているということなのか。

 長き時間に滲み込み、馴染み慣れたその色。たとえ千歳万年過ぎようとも一度着いた汚れは落としきれるものではなく、ふとしたときに、ふっと返った時に、顔を出して染み渡る。それが、殺し切れぬ性根というものなのか。

 いくら年寄りぶってはみても、やはりと残る幼心ともありなんと。

 まったくと愚かに回る老人の戯言――そして、その懐中の間に。

 

「――あら、珍しい顔だわ」

 

 不意に射したは知ったもの。

 ひゅるんゆるんと緩んだ声で……それでも何処か涼含み、死出の案内を任されながら、何処吹く風と己本位な拍子は楽しげで。

 

「でも、よく知った顔ね」

 

 ふわりと隣に降りたって、冷えた空気が背中を撫でた。

 見目麗しい薄桃ぼんやりふわり。幻のように揺らめいて。

 

――……。

 

 漂う香は死出の香りか。

 いや、これをもっと現実的な……そこらの屋台で買うような甘辛な匂い。醤油と砂糖に出汁入れ味付け、こんがり焼いて、絡めてまぶす――そんなものがありあり浮かび。

 どうにも息つく惨状で。

 

「――どうも、お勤めご苦労さまで」

 

 溜息交じりの労い共に、向けばあるのは血色良きの亡霊姫。

 見目麗しき高貴な器量と……片手のみたらし。なんともやらと微妙な姿で現れた、ぼんやり浮かぶ知った顔。

 

「ええ、お疲れさま」

 

 ふわりと笑んだ澄まし顔がそこにあった。

 片手の串がゆらゆらと揺れている。

 

 加えて――少し。

 

「それで――あなた、ここでなにをやってるの?」

 

 じろりと、瞳は絞られた。

 いささか低く、色落ちて――笑ってるのにおどろ混じり。

少しの温度が、失せて散る。危険の予知が鳴り喚く。

 

「……そちらさんこそ、おさぼりですか?」

 

 誤魔化すように、にこりと返してみた。

 見るのは勿論、多分ここにくるまでの屋台で買ったのだろうその品で。役目とすれば、ここらにいるのはおかしいだろうという確信上での誘導で。

 

「……」

 

 けれど、そんな冗談めいた言葉も今は通じず。

 冷えた空気だけが己を蝕む。温もりなき身体に、その感覚だけが忍び寄り。

 

なにを(・・・)、しているのかしら?」

 

 少しだけ、ぞっと強くなって放たれた。

 声の深さに応じるように背筋を障る蝶の温もり……四方山思考は、どうやらここまで。

でなければ、手加減しないと。見ゆる視線は、涼から寒へ。

 

「……」

 

 怖い怖いと、諸手上がる。

 これはまずいと頭を抱えて困った息を。

どうやら語らねばならぬらしい。

こういうものは、ばれぬからこそ浸っていられるというのに、なんていう陶酔の味以上にこの少女が怖いという臆病風が。

 

――まあ……。

 

格好付けて命を落としてしまっては意味がない。ただでさえ、危ない状況であるというのに、この少女の機嫌までを損ねてしまっては二人(・・)がかりでどんな嫌がらせをされてしまうのかどうか――想像するだけでも、ぶるりと震え。

 逃げ道あるならば全力で逃げるべきだと。

 

「……ちょいと、ドジを踏みましてね」

 

年寄りの矜持など僅かにでも守れれば十分だろう。後の安全のためにも、ここは素直で正直に。圧に負けるが打たれ弱き老人というものである。

 

「少しばかり、命の危機といったぐらいです」

 

 あっけらかんと明かして酌量を。

 老い先長き爺がそこらでおっ()にかけていると、ごくごくありふれたドジ話を。

 

「一体、どこで……」

「運悪く鬼に出会ってしまいましてね」

 

 動じた少女を右手で制す。

まだ、ちゃんと繋がっていると、左手で()を指し。

 

「そして、これまた運悪くそのご機嫌を損ねてしまい、さらにさらに運が悪いことに、肝心なところで小石に足をとられて転んでしまいと――まあ、どてっぱらに穴があいたくらいですんだんですが」

 

 わき腹を指しながらそれを説明する。

 ありのまま、ほんの偶然によってそれは起こったのだ。

そのままの意味、そのままの事、必要以上の修飾描写を抜いた話で語る。

ただただ、そんなことがあったのだと。もう、ちょうど終わりに差し掛かったところだと。

 

「まあ、大丈夫だろう。これくらいなら」

 そこまで焦ることはない。

 

 経験に基づいた断言にて太鼓判。

 これくらいなら慣れたもの――そう言える自分が少し恨めしくも感じはするが。

 

「そう、ね……ちゃんと、繋がってはいるようだから」

 

 その操り少女はそう確言してくれた。

 ちゃんと戻れる範囲なのだと、どうやら理解してくれたようで。固さが解れていつもの柔さがそこに戻る。背中の寒さも……割り方ましに。

 

「致命ってのからは一応、外れてました……少し使いすぎて、片足突っ込んだって程度でしょう」

「……」

 

 まあ、そういうこともある。

 そう語る己に、少女は瞳を細くして。

 

「慣れてるわねぇ」

まるで、何度もそうなったことがあるみたい。

 

 呆れを含んだ声音に……少し共感してしまうのは気のせいだろう。

 そう信じたい。

 

「まあ……」

 

 ここまで生きていればそういうこともある。

 こんなに生きていれば、一度や二度、百や万などざらとあるはず、である。

 だから、己がそれを好んでやっているわけではないのだ――勝手にやってくるのだから、仕方ないのだ。そう諦めて、呑みこんでいるわけで。

 

「……あまり繰り返したくはない経験ですがね」

 

 逃げ切れぬ思考に胸中複雑になりなりながらも、疲れた言葉で返す。

 いくら慣れたとしても、気持ちのよいものではない。

 

「永く生きていれば、それなりに?」

「ええ、それなりに」

 

 体験したこともあり、体験したくないことまでもあり、なんでもござれといくらでも。それだけ生きて、それだけ生き続けてきた……生かされ、殺され、生に塗れて死を綱渡り。

ぎりぎりきりきり、踏み外してはどぼんと返ったものである。

 

「あったことだけで語るなら、もう半分くらいは死んでるくらいですかねぇ」

「……もう、八割くらいは死人のようなものなんじゃないかしら」

 

 翁の想いに、正真はどぎつく返す。

 

「まあ、気になるなら――一度ちゃんと死んでみる?」

 それなら、もう少しわかりやすくもなるわ。

 

 冗談めかして少女が笑った――半ば、本気の顔で。

 多少、柔らかくなったような気もするが、やはりと棘は残っている。心配だったのか、甲斐がないじゃないかという嘆きなのか……確かに、己が逆の立場であったなら一つくらいは文句をいいたくもなるだろう。

 大丈夫(いつものこと)だと思って(判って)はいても、納得()はいかぬ。ずっと続いているからこそ、いつ終わるのかもしれないと知っている。隣に並ぶその影が、いつの間にか消えることも。

 

「……大丈夫」

 

 生きているからこそ、よく知っている。

 それが訪れるのは突然で。いつの間にかと、終わるのだと。

 なればこそ――後悔は少なくしていたいものだと。

 

「最期っていうなら、ちゃんと一言ぐらいは言ってくよ」

 紫にも、幽々子にも――今の己の、内にいるものたちへと。

 

 ちゃんと挨拶程度は遺していこう。

 立つ鳥跡を濁さぬように、翁は精々死に際程度は飾ってすまそう。

 そう、できることなら――消える己に笑い零れる程度に。

 

――なんと、ね。

 

 そんなことを考えるのはますます老け込んだ証拠であるのか。

 まあ、馬鹿なドジに最後を飾れば、笑い転げてこちらの棺桶すらひっくり返しそうな連中だ。少しは悲しめと説教したさに眠れなくなるのは御免であるというもの。そのために反魂などしてしまったとすれば目も当てられない。

 まだしばらくは……死にたくはないものだ。そう思えるのは多分良いことで。

 

「まあ……こちらのもんを食べなければ、帰り道は失わないでしょう。それとも、そのお団子わけてくれるんですか?」

 

 そう前向きに考えて、こちらも軽く。

 冥土の食に恵みを求め。

 

「だめよ。これは私のだから」

 

 すげなく消える頬の内へとを見送った。

 少女は口端の甘い汁を上品に拭って、また笑う。

 

「あなたにはまだまだ(・・・・)早い――そうでしょう?」

 

 ついと串が円描いて己に向いた。

 美味しいものは後の楽しみに。まだまだ、美味しいものを食べさせて。

 いつかの――食べられなかった彼女が過り――

 

「まあ、あなたが大丈夫って言ったんだから、大丈夫」

 信頼しているから。

 

そういって、先ほどまでのことになど既に過ぎたというように。

軽い身体が浮いている。薄い身体が凪いでいる。

徘徊う儘のその姿――己も噛んだ一つの話。

 

「……」

 

 いつかのことは今でも続く。

 続きの先で、今も残っている。

 

「……私たちの断りもなく、勝手にここから先に行ったなら――山ほど文句をいってあげるわよ」

 だから。

 

 柔らか沁みる、散った桜の色。

 思い過ったいつかの日――死んでもなおと続く時間。

 

 

――――

 

 

「大丈夫よ。こっちには私……あっちには紫がいるんだから」

「ああ、そりゃ」

 

 くすりと笑って語られた。

 たとえ死んでも生き返さそうな、その布陣。

 

――そりゃ、大丈夫でしょうねぇ。

 

 ふっと肩から抜ける。垣間見た、その白昼夢のような一時に――ゆっくりと瞼を開く。

 見ていた景色、夢幻のような刻が閉じ、鈍い時計が再び音を。

 

「……」

 

 開いて滲んだ視線が徐々に合う。

 ぼんやりとした頭ではその間が一瞬であったのか。それともそれなりの時間を浮いたままとなっていたのか。それはわからない。

 けれど――

 

「まだ、生きてはいるようだのう」

 

 そのお相手は待っていてくれたようだった。

 膝立ちに崩れ落ちた己を見下ろして、だらりとさがった両腕(・・)をそのままに。

 

「しぶとい人間――いや、人間というものはしぶとい、といい直すべきか?」

 

 こちらの意図を判っていったのだろうか。

 告げた鬼神の声はなおも底知れず。

 

「――さて」

 

 間抜けな顔をしていただろう己に喝入れて、大きく吐いて言葉を戻す。

 未だ流れる腹穴の痛みは、いつかの調子で慣れたもの。

 

「まあ、そういう人間もいるということは確かでしょう」

 

 そう食いしばって、再開の話。

 血は止まっていない。けれど、すぐに致命となる傷とはなっていないのだ。まだまだ、口を回すには十分程度の余力あり。

 

「待たせて申し訳ありませんでしたね……それじゃ、続きと参りましょうか」

 

 垣間によぎったそれらに背中を預け、生まれた分の余裕ぐらいには語って見せよう。向かう矛はなおも強大。けれども、こちらの後ろに並んだ盾も一筋縄ではいかぬもの。

 気紛れありで、癇癪恐し。

 

「仕舞いではなかったのか?」

「ええ、一段落……して、また続きと」

 

 合間の己は、ただの人。

 ただの人を、語るだけ。

 

「繰り返すのが人でしょう」

 

 挟まれ人はそれなりを。

 嘯き傾き、我欲を語る。

 

 

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「……」

 

 

 立ち上がったそれは何やら笑んだ。

 腹に空いた傷を片手で押さえながら、それども、大して気にした様子もなく。ごくごく当たり前というように、痛みながらも普通に動き出す。

 

「……ええと、どこまで話しましたかね」

 

 ぼうっとした感覚を振り払うように頭を振って、座り込んだままの姿勢。立ち上がる気力がないのか、それにも気づかないほどに消耗しているのか。

 片手で押さえ、片手をついて「どっこいしょ」とでも気を抜けるような力の調子に。

 

人と鬼(・・・)喧嘩(会話)でしたか」

鬼と人(・・・)会話(喧嘩)じゃよ」

 

 吐いた言葉に妙は残ったまま。

 一貫して男は変わらない。あるのかないのか判らぬ程度の存在感を放ちながら――いくら叩きつけても、踏み散らしても、決して消えない火種程度。

 温いまま、同じ温度のままにそれは己に手傷を負わせ――今なお。

 

「まあ、続きをするにしても……この体たらくですから」

 

 形を保ったまま、爺臭く肩を叩いている。

 疲れた疲れたと、緩い形のまま。

 

――……。

 

 己がつけた傷は見た目ほど深くはないのだろう。貫いた感触も、その内にあるはずの臓物を感じることはなかった――貫いた感触すら、すぐになくなった。

 それでも、それは深くないというだけで障らないというわけではないだろう。もはや、男に勝ちの目はないといってもいい、はずなのだが。

 

そちらさん(・・・・・)も、少しきついくらいじゃないですか? なんせ、腕二本(・・・)共が動かないってんですから」

 

 片手で腹を押さえたまま、もう片手がそれを指す。

 ぶら下がったまま、微動だにせぬこちらの両腕を。

 

「はて、な」

 

 とぼけるように頬を押さえようにも、その腕は動かない。力を入れても、意志を込めても、ぴくりともしない。

 それは、最初の片腕と同じ感覚――未だ氷は溶けていない。

 

「確かに、初めての感覚じゃがの」

 

 両腕共に、それがあるのかということすらわからないのだ。ぶらりと垂れ下がったまま、重みだけが体に響いて邪魔をする。

 確かに、このまま闘うのは少しおっくうなものだ。

 

「まあ、お大事に……無理はされずにご自愛をお願いしますよ」

 無茶をされて後に引くのは心配だ。

 

 にこりと男はわざとらしく笑う。

 このまま続ければ――無理をすれば、後々まで引く痛手になるぞ、と言外にいやらしく忍ばせて。

 

――いや、そう見えるだけか。

 

 己がそう見ているだけで、実際はそんなことを思ってはいないのかもしれない。ただの忠告、それだけにすぎぬのかもしれない。

 この人間……人間のように見える男は、未だに敵意を持っていない。ただ、わけのわけらぬ感触のまま、それを成し……遂げた。

 

――まさか、そうくるとはのう。

 

 力を込めた。けれど、握れない。

 指は重みに伸びたまま、拳にならず俯瞰のままで。

 

「捨て身、とは……な」

 

 今までの全てを、芸術的なまでの潔癖さで逃げ通していてからの、それ。

 偶然だったのか、予定通りであったのか。そもすれば、命を失うだろうその瀬戸際のもたつき、それを見事に利用いて男は通して見せた。こちらの腕が己の腹を貫いた瞬間に、同時にそれを掴みとったのだ。

 そこからは先と同じ。最初と同じように、何かを行ってこの腕の感覚を奪い去った。まるで、最初(はな)からそれだけが目的(狙い)であったように自然な動きで――血反吐を吐きながら、にたりと笑んだ。

 

「……捨ててた訳じゃありませんよ」

 

 命と両腕。それを引き替えにする綱渡り。

 こちらの手が貫ではなく撃であったなら、そこで終わっていたとしてももおかしくはない……いや、確実に終えていた。

 だというのに、男はにへらと笑う。

 未だに脳天気に、軽い調子で。

 

「まあ、それでも……賭ける程度には頑張らないと、届きもしないってのはわかってはいましたが、ね」

 

 こほっという、軽い咳。

 腹の血は止まっていないのだ。時折、息苦しそうに片目を瞑る。じわじわと男の力が抜けていくのが見えている。

 

「では――()はどうする?」

 

 それだけ見れば、既に終わっているようなもの。

 けれど、男はまた続きをと宣った――では、何をする気なのか。これ以上、何を重ねてくれるのか。

 

「こちらはまだ、たかが両腕動かぬ程度」

 蹴り殺すことも、踏み潰すことも――喰い殺すこともできる。まだまだ、十分に戦える。

 今までと同じ戦に、さらに苦みと辛みが加わっただけ。それら全てを平らげて、呑み喰らって愉しめばいい。。

 血沸く肉踊るなら、遺ってしまっても構わない。

 

 そう考えるのが、鬼の常。

 

「――とはいっても」

 

 けれど、今の相手。

 目の前にいるものは。

 

「そちらがそう簡単にはいかんようじゃがのう」

「……ええまあ。これでもこちらは、たかが人間ですのでね」

 

 ゆるく笑い、疲れたように肩をすくめる。

 わざとらしくもあるが、本当にくたびれてもいるようで覇気は感じられない。

 

「使えるものは全部使ってしまって万策尽きたといったところです」

 

 ほとんど死んでいる。

 死んでいるのに、生きている。

 

「――その、たかが人間に儂は両腕をとられたということかのう」

 

 そんなものに躓いた。

 だからこそ、足を掴まれた。

 

「言ったでしょう。何もしなけりゃ、明日にも動くようにはなる……この爺の細腕じゃ、その程度」

 

 ひらひらと片手がはためいた。

 鍛えられてはいる。それでも人間以上ではない――あくまで、その延長線上。

 

「それでもまあ、今この瞬間(とき)は動かないってことですが」

 

 それは深く息を吐く。

 見た目に会わぬ年寄り臭い仕草……けれど、なぜだか似合いの老練さをもって。

 

「……さて、こういうものに鬼さんってのはどう考えるのですかね?」

「む?」

 

 ぬらりと、口に出す。

 

「――たかが人間一人。ただ、他より少しばかり長生きしただけの爺さんにここまでの手傷を負った」

 

 それは確かなことで。

 己の手は一人(群勢)によって塞がれて。

 

「――この程度か、と?」

「いえ、不意を打ってこの程度……流石、鬼神殿ともいえましょう」

 ただ、それでも。

 男は続ける。

 

 傷は付いた――手傷を負って、矛は欠けている。

 

「人は考える……考えに考えて工夫し、策を弄し……そして、数に任せる」

 

 考えて、工夫して――己の右腕を止めた。

 考えて、策として――己の左腕を封じた。

 相手は一人。中には数千。数をもって、こちらを翻弄して――今回は足りずに終わってしまっただけ。

 

「この一人を百千、億万と重ねなれば……いつかは、鬼にも届くかもしれない――それを倒すことすらできるのかもしれぬ」

 そう希望をもっても仕方がない。

 男はそう語る。

 

――……。

 

 そうまとまれることなど余程とないだろう。それほどに人というものが一貫合わさることなど、万に一もありえぬことだろう。

 けれど、億が一にはありえるのかもしれぬと。

 

「そういう可能性は、在る(・・)ものですよ」

 いつかは訪れる。そんなこともあるのかもしれない。

 

「そういう現実に、何を思うのか、とね」

 ただの興味だと、語る。

 

 確かに、あるのかもしれない。

 こんな見たこともない人間が在るのだ。ならば己が予想えぬことが起こることも在りうるものなのかもしれない。

 

「――負けて、なくなる」

 

 己が力が敵わぬものが――叶ったとして届かぬものが。

 この先も訪れる――訪れて、いつかは終わる。

 

「消えて、無かったことに――最初からなかったものとして」

「忘れられてしまう、とでも?」

 

 散らばった瓦礫の中から男は小石を拾った。

 何の変哲もないただの石。この洞穴全てを構成しているものの、その欠片。

 

「名の知れた英傑も後の世では路傍の岩石にも及ばぬ名無しとして――読み人知られず、露へと消える」

 

 ふっと手が上下に振られた瞬間、それは跡形もなく消えた。ちょっとした芸だと知れて……けれど、それでも想う。

 そんな未来もありえるのだと。

 そんな夢のような幻想も、現実となりえるのだと。

 

「あなたも、よく知っているでしょう?」

 そう語るのは、たかが人間。

 生きぬはず、短き命しか持たぬはずの――のらくら爺。

 

「知った口を――」

 

 それだけの時間を。

 

「――生きてます、ので」

 

 見てきたのだと――嘘には聞こえぬ声で。

 本当に、そうなのだろう。

 

「……しかしな。一華さかさば、それでよいという生き方もあるだろうて」

 それでも、そうやって生きてきたのが己たちだ

 

「華火と散るなら、それでもよいとな」

 

 大火となって全て被い――焼けて尽くさばそれで無量と。どうせ消えてなくなるならば、億千歳と刻む傷を遺してきえてやろうと。

 そう開き直る大悪党もいる。

 己を通して、消えれば存分だと――先を求めれば切りがない。ならば、短き太さ。美しくと炎と灰に。

 

「ここで、今を続けよう――そういえばどうする」

「……」

 

 そう願うのならば。そう決めているならば。

 覚悟の前に立つのなら――男はどうするのか。

 

「――まあ、それならそれで」

 仕方がないでしょう。

 

 それを否定しはしない。そう男はゆるりと笑う。

 

「腹には遺るが――仕方ない」

 

 ずしりと何か、重いもの。 

 その襤褸雑巾となった身体を動きだし、穴空きの脇腹を押さえながら立ち上がる。

 ふらりにゆらり。くらりとのたり。

 今にも倒れそうに、白目を剥いて意識を飛ばすのではないか、という半分は屍のような雰囲気で。

 その足だけは地面に根付く。

 

「それなら、あと少しぐらいは踏ん張ってみましょうかね」

 

 先ほど消えた石が空から落ちてきて、男がそれを掴み取った。それはそれで予想のうち。それならそれで、それなりに仕立ててみせよう。

 工夫と策でどうにかこうにか。

 

「あと足の指一本分ぐらいなら……この襤褸翁()と引き替えでどうにかなりそうなものですよ」

 

 片手は傷口を押さえたまま、片手が上がる。

 死んだ身体に力無き瞳。けれど、その深さだけは底抜けていて――引き吊り込もうと伸びた泥中の腕。

 とどめを刺しても、残りを奪っても、それと同時に何かを遺される。しつこき遺志の、まとわり権化。薄れて消えぬ翁の念。

 どろりと、それは滲みだし。

 

「なら――」

「あ、でも、できるなら……」

 

 手の平返して、一息をつく。

 ぽかんと時を止めて、感覚がたたらを踏んで。

 

「少しだけ、待ってくれませんかね」

 

 ゆるりと笑うは、始めと同じ。

 どこ吹く風と。底抜け風と。飄々ぬらりとひょんな顔。

 おかしなままに。おかしな拍子に。

 

「そろそろ――お客さんもくるころだ」

「……客?」

 

 既に援軍を呼んでいたのか。

 いや、それとも今まですべてが予定調和であったのか。

 己もやっと、その確かな気配に気がついた――薄れたものが濃くなって、ずしりと重みが現れて。

 

「――いや、帰ってくる、でしたかね」

 

 それは、首を傾げてしまうこと。

 また、わけがわからないという事態。

 

 

「おや、やってるねぇ」

 

 知ったものの声が来た。

 

「うひゃあー、これまた派手にやったなぁ」

 

 よく知っている気配が現れた。

 

「……」

 

 それはもう、よく知っている。

 二つのおてんばな姿形。

 

 一つは地面を気持ちよさげな音で踏みながら、もう片方はふわりと風のように音もなく。空気を割って明るき声。竹を割って踏み抜く加減なし。

 

「お、いたいた」

 

 相変わらない。

 己と同じ立ち位置にいるはずの、同胞が。

 

「これでよかったかい。一応、あったの全部もってきたけど」

「それで大丈夫。ありがとうございました――そこらへんに適当に広げといてくださりゃいいんでね……なんなら先に始めといてもいいですよ」

 

 己ではなく、その客の方に声をかけながら現れた。

 親しい友人のように楽しげに会話して――緩んだ雰囲気でそこに並ぶ。

 

「いや、どうせなら待つさ」

「そうだね。前祝いの肴としちゃ上等だ」

 どうせなら最初から見たかったよ。

 

 そやつらはこの会話(戦い)があることは知っていたのか。

 大して驚いた様子も見せずに辺りの惨状を見回してから、こちらに軽くと手を振った。大変面白そうに、己が両腕をぶら下げたままであるという姿を眺めて。

 

「なるほどのう。そういえば誰かが仲介したとかいっていたか……まさか、お主らの仕業じゃったとわな」

「ええ、大将。ちょっと縁があってね」

「ま、楽しかったでしょ?」

 

 それで許してくれ、といっての軽い笑み。

 悪戯好きの小さな百鬼とお祭り好きの怪力乱神。

なるほど、ここまでこられるはずだと一人納得して。

 

「まあ、知り合いってほどじゃありませんが――縁があったのでね。少し、頼みごとを引き受けてもらいましてね」

 助かりましたと、人が言う。

 

 別に内通していたわけではない、という一応の釈明だろう――勿論、それは己も疑ってはいない。餓鬼どもは、己にちょっとした余興を楽しんでもらおうと、何もいわずにこの男を寄越した。そういうことなのだろう。

 そういえば前に、面白い人間がいたと語っていたこともあった気がする。妙ちくりんな、珍奇な人間に出会ったと。

 

「頼みごと?」

 

 鬼と縁を結ぶ人。

 なるほど人間ならば、そういうこともあるだろう。

 これは多分、そういう奇縁に恵まれた存在なのだろうから。

 

「ええ、少し」

 

 見た目にはわからぬ程の年月を生きている。それは大体のところ理解できた。そして、それほどに長い年月を生きた――生き残れたというのなら、それなりの何かを持っているのか、余程の幸運に恵まれているということも予想がついたのだ。

 一筋縄では、容易く切れる。

 今まで見せた程度だけならば、一歩気が向いただけで終えていた。いつ終わってもおかしくはなかった。それが、どうやって生きてきたのか……いや、今こそ、その選択が訪れているということなのかもしれないが。

 

――さて……。

 

 今、男の命を握っているのは己。

 命を握った鬼を目の前に。

 

「挨拶代わりに手土産を用意したんですが、一人じゃとても運べないほどでしてね」

 

 誤れば、そこで終わる。

 百も承知しているだろう。

 鬼の住処に人一人。その綱渡りの歩みも、一度踏み外せば逆さと終わる。どこまで順調であっても、ここ立った一つ失敗するだけで全てはなかったことになる。

 ならば――ここが正念場。

 

「土産、か」

 

 この選択が、多分最後となる。

 ここまでは上手くやったものだと賞賛してやってもいいだろう。

あとはここから……どう(・・)魅せてくれるのか。

 

「……五十ほどでしたかね?」

「ああ、私らのも持ってきたから百はあるよ」

「なるほど」

 鬼相手には足らぬかもしれませんから、ちょうどよかった。

 

 どこ吹く風と、何やら呟き、くるりとこちら。

 見世物多き男は、ゆるりと口を回して――今生最期の語りになるかもしれぬそれを語る。鬼へと差し出す宝物。命と交わす己が選択を。

 

「まあ、時間かけて集めたもんですから……ちょっと時期がまちまちで、それぞれ度合いも違ったりするかもしれませんがね」

 

 握った片手が辛夷を開き、ひゅんと小石を空へと上がる。

 暗い天井に当たる間際までゆるりひゅるり――釣られた視線も上がって下がり。

 

「どうせなら消える(死ぬ)なら末期の水を――じっくりと酔いを楽しんでからにしたい」

 ぱしんと掴まれ――同時に広がった。

 

 散らされていた虚ろが剥げて、小さな子鬼のにやりと笑う。

肩に乗せられていた何かが、どしんと力強くそれが地面へ投げ置かれた。

 

「……」

 

 並びに並び。置かれに置かれ。ずらり広がり一面。

 樽たるタルと――酔い廻る。

 

「はっ……なるほどのう」

 

 ぷんとあらわる濃い香り。木組みの円筒、内はとぷんと揺れている。

 透明白色、濃いに辛いに甘いに苦い。香りからでも千差万別。

 

「止めとするなら、せめて、それからに願いますよ」

 その方が、未練が少なくてすみますから。

 

 言った言葉と同時にぱかん。

 抑えが割れて、蓋が沈んだ。

 

 

 香りはとくと、芳醇に。

 

 

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 堰を切ったように溢れ出る。

 

「かは、はははは!」

 

 噴き出すように熱い湯(笑い声)が洞穴を震わせる。

 

「なるほど、酒好きか……ならば、呑めずに死ぬのはさぞや無念じゃな」

 

 気持ちは分かると同好の士。

 判り合える際の想い。

 

「呑ませてやらねば、化けて出そうなものだ」

「ええ、夜長に現れ、酒を呑む度、小言をぶつぶつ呟くぐらいには」

 

 恨みます、とそう告げて、また笑う。

 いつもと同じように、道楽賭けた命だと。

 

「なるほど、そいつは勘弁じゃ。酒が不味くなる」

「ええ、だから今のうちに」

 

 かかかとこみ上げる笑い。

 けけけとふざけたように笑み。

 

「そうじゃのう……では」

 

 上がらぬ両腕の代わりに顎でくいと描いて見せた。

 仕切りなおして、また始め。

 言葉も拳も交わして後は。

 

 

()としようか」

会話(呑み)としましょうか」

 

 

 再び話と語りにくだを。

 酒を交えてもう一下り。

 

 

 






 読了ありがとうございました。
 次はなるべく早くに……。
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