恐らく後悔する駄文。
なんとなしに息を吐いた。この気持ちが治まらぬように。
生きている内にふと気付いたのは完璧と定義している人間が完璧ではないならそれは不完全なものではないかという定理である。おそらくは歯車の再発明ではあるだろうが。
このセンチメンタルな気持ちの抑え所は何処にもないような気がしてきた。
文字を書くそれだけの行いで人は慰む。
人が死んだらしい。
会ったこともない人、彼女はそれが嫌だという。私は感じ得ない。
それほどまでに私は。
輝かしいものではない。私は孤独を背負ったに違いない。私の覇気はなくひたすらに自暴自棄だ。
自伝は己の不甲斐なさを吐き出すことに他ならず、それを吐露できぬ内は私は未熟な証だろう。
楽しくはなかった。
面白いことはあったが、結局は逃げた。続けていたら変わったか?どうだろうか。証明者はここにはいない。
仲の良さというものすら私から消え去っているのだ。私は忘却される側だ。私は人ではない。恐らく周りからすれば。それでよいのか、よいはずだ。
人に愛されず、今の自分が自分だと規定する術はなく時は過去には戻らない。踏んだ轍は二度とやり直せない。記憶はこぼれ落ちる。自らを規定せずに私は孤独へと成り果てた。誰もが知り得ぬ境地に。自ら踏み外したに相違なく。それを心の底で安堵してしまっている。
あの時、私はどうすればよかったのか
あの時、私はどうすればよかったのか
諦めずに苦痛を強いたか?恐らくそれはない。私は意思を捨てている。どうせ折れた。友を捨てた。私からすれば必要だったが、私以外からすれば必要なかったのだ。そうして一人に慣れた。
私は。もうもどりようのなく。
もう駄目だと規定する。
もう無理だと規定する。
それでもセイシュンという一頁は破り捨てた私の責任だ。
変化を拒絶する。
生き恥を晒し続ける。
一体いつまで私は生き続けられるのだろう。
人の輝きを私は拒絶しない。しかし感受は拒む。嫉妬も羨望も唾棄してしまう。
未来は不安だらけだ。
過去は後悔の積年だ。一度たりとも私は正解を引いたことのない人生だ。間違いようもなく。
未来は私を見放すだろう。
私は未来を悔やむだろう。
屈折した思いは壊れて戻らない。
歪んだ時は戻らない。
吐露したところで変わりようもなく不快なまでの人生の搾りかすが残るだけ。
気付いたのだ。私は私が嫌いだ。自己嫌悪ではなく。自身という有り様がどうしようもなく嫌いなのだ。
私を愛する人が不思議でならぬ。私に関わる全てが不思議でならぬ。
私を許容するのは私だけだ。完全なる理解は程遠い。
求めようのない事実なのだ。私の全てを知るシンユウというものは。
数年前の私は今の私を許容できまい。数年後の私を私は許容できまい。変化に耐えられないからだ。