ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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1.三弟・セイリオス

「マルヤムに留まりたいだと?何故だ、セイリオス」

 誰何したのは、ルシタニアの王弟にして、事実上の国王と言っていい男、ギスカール公爵であった。故国ルシタニアを発した40万の大軍はわずか一月でマルヤム王国を滅ぼしたものの、ここはまだ通過点に過ぎない。

「パルスに攻め込んだ時、マルヤムは本国とパルスを繋ぐ重要な地となります。誰か、信頼できる者を残すべきでしょう」

 セイリオスと呼ばれた男が答える。言っていることは、一応の道理が通っている。ただ、こいつがそんな程度の男か、と考えれば、答えは否である。

 

「これからパルスに向かう。お前の軍が抜けるのは、正直痛い」

 ギスカールはこのマルヤムの地に、聖堂騎士団(テンペレシオンス)を残すつもりでいた。教会直属の軍団である。はっきり言って、勝った後に残った敵を虐殺するしか能のない軍だ。

 もちろん大司教ボダンを始め、反対の声は大きいだろう。しかし宗教的指導者と軍事力が結びつくのは、はなはだまずい。だから何としてでもこの地に聖堂騎士団を残すつもりでいたのだが…。

 

「私としては、あの聖堂騎士団は何としても連れて行ってほしい」

 何だと、とギスカールが身を乗り出した。あんな連中と一緒では、勝ってパルスの首都エクバターナを占拠しても、その後の占領行政が上手くいくはずがない。

「パルスの占領は、どうせ失敗しますよ、兄上」

 13歳年下の弟にあっさり言われ、ギスカールはしばらく静止したのち、乗り出した身を元に戻した。

 

 現国王イノケンティス七世が当年40歳、ギスカール公が5歳下で35歳、その下のセイリオスは22歳。三人兄弟の次男から見て兄とは両親は同じだが、弟は母親が違う。

 母が亡くなった後、父と継母の間に産まれたのがセイリオスである。とはいえあまり気にしたことはない。末弟として二人の兄を立てるわきまえがあり、何よりイアルダボート教に狂信的でないのがいい。

「兄者よりずっと話が分かる」

 とはギスカールの評である。末永く自分の片腕として活躍してくれるであろうし、弟として長兄を支える苦労を分かち合ってくれる存在となるはずであった。

 問題があるとすれば、長兄にも同じ思いを抱いていることか。長兄が自然死なり事故死したなら次兄の即位に誰よりも強く賛同してくれるだろうが、簒奪したとなれば話は別となるだろう。

 その点だけが厄介で、ギスカールがこれまで力ずくで王位を得ようとすることを躊躇った、大きな理由となっていた。

 

「………」

 その弟に「パルスの占領は失敗する」と断言され、ギスカールは渋い顔で考え込んだ。勝てる見込みはある。あの銀の仮面をかぶった男が提案した策が上手くはまれば、いくらパルス軍相手でも負けるはずがない。

 戦場は国境付近となるであろう。その後、首都エクバターナを陥落させる。そこまではいい。だがその後はどうなるのか。予想できないほど、ギスカールは馬鹿ではない。

「聖堂騎士団が居ようが居まいが、ボダンの奴が騒ぎ立て、兄者はそれに従う。兵士はただ信じるだけ。避けようがない、ということか」

 

 ボダン大司教は宗教家としてはともかく、人としては狂人に分類するしかない男だ。とにかくイアルダボート教のことしか頭にない。イアルダボートの教えこそ正義であり、それ以外はすべて悪だと考えている。

 異教徒、異端者など、彼にしてみればこの世に存在することが罪なのである。殺して殺して殺し尽くすまで、彼が止まることはない。そんなことはできるはずがないと理解しようともせず、ただ突っ走る。

 そして一般の兵士には、ギスカールの苦労などわからない。政治とか軍政などというものは、彼らには何の関係もない話である。教えに従って異教徒を討伐することだけしかないのだ。

「この国では、兄上がいかに善政に心を砕こうと無駄に終わるでしょう」

 気の毒そうにセイリオスが告げる。ギスカールも、苦く笑った。

 

 パルスの占領は失敗する。一時的にはともかくとして、長続きするはずがない。その点はギスカールも認めた。認め、パルスを諦めた。諦められるのがギスカールの優秀さであろう。さて、であればどうするか。

「パルスの富と人と技術とで、ルシタニアからマルヤムまでを開拓するのです」

 弟はあっさり言った。パルスをボダン達狂信者にしゃぶらす飴とし、その間にマルヤムまでの地を我らにとっての金城湯池と変える。そのためには、聖堂騎士団など残されてはたまったものではない。

 同じイアルダボート教を信奉する国であるが、ルシタニアは『西方教会派』、マルヤムは『東方教会派』である。狂信者にしてみれば、むしろ『異教』より『異端』の方が許しがたいという面がある。

 聖堂騎士団を残したりすれば、命令など無視してマルヤムの住民を虐殺して回るのは間違いない。現にボダンは、ギスカールが助命を約束したマルヤムの国王と王妃を焼き殺してしまったのだ。

 

「ふむ、それで、お前が残るか」

 この弟なら、上手くやってのけるに違いない。15歳で戦場に立ち、18歳で軍の指揮権を手にした。そして19歳のときにはルシタニアの東南にあった小国アクターナを征服したのだが、そのやり方は皆を驚愕させた。

「アクターナ領内においては、いかなる教えであろうと、その信仰を認める」

 軍事的に制圧した後の、第一声がそれであった。当然ながらボダンなどは怒り狂ったが、先にアクターナを征服した時はその地を領地として認め、統治は一切を任せると『神の名の下に』誓言させておいたのである。

 同時にマルヤムに侵攻した本隊が援軍として駆け付けたパルス軍に蹴散らされたこともあり、彼の赫赫たる武勲の前には、誰も何も言えなかった。

 

 以後、アクターナ公セイリオスと呼ばれる彼だが、特に異質なのは麾下に持つ2万5千の軍である。騎兵5千の歩兵2万という編成のこの軍は、3倍のルシタニア軍をも打ち破る精強さを持っている。

 そして、それ以上に、この軍は極めて宗教色が薄い。ルシタニア人、アクターナ人を中心に、マルヤムやミスル、果てはパルス出身の兵までいて、しかもイアルダボート教を強制してないのだから、当然と言える。

「とはいえ、2万5千ではマルヤムを治めるに不足ですから、いくらか本隊からも割いていただきたい」

 希望として出してきた将軍の名は、当然ながら彼の息がかかった者だけである。兵力にして、およそ4万。

「理由は何とでも付けられるでしょう。…例えば、『奴らは、異教徒とも妥協しかねない』とか」

 にや、と笑う。本当にやる奴であり、ボダンにしてみれば邪魔者が消えたと思うであろう。

 

「…話は判ったが、一つだけ不満がある」

 ギスカールの不満は、パルスに向かうのが自分だということ。あの兄やボダンなど、狂信者のお守りをさせられること確定の立場だ。胃がいくつあっても、足りそうもない。

「……1年で、マルヤムの安定に目途をつけます。あとはデューレンとハルクを残し、できるだけ早く駆け付けます故」

 デューレンはセイリオスの腹心の一人だ。前線に立つ勇猛さはないが、軍政どちらにも対応できる、視野の広い知将である。彼と4万の軍がいれば、マルヤムも抑え込めるだろう。

 もう一人のハルクは、セイリオスに拾われた、元アクターナの小役人である。文官としての能力は、ギスカールから見ても悪くない。彼が、細かい実務を担当する。

 

「……仕方ない。では、パルスで俺にしてほしいことは、何だ?」

 半ば諦念から、ギスカールは不満を抑え込んだ。ルシタニアの全軍を指揮する立場の自分が、マルヤムに留まるわけにはいかなかった。

「富のいくらかと、我が軍に協力した奴隷(ゴラーム)をこちらに送っていただきたい」

 エクバターナはパルスの首都であり、巨大な要塞である。力攻めで攻め取るのは難しい。城内の奴隷に蜂起を呼びかけ、内応させるべきだ。

 

「恩賞として彼らを自由民(アーザート)とし、土地を与えると言えば、乗ってくるでしょう」

 そこまではギスカールも考えている。反故にするのは簡単だが、マルヤムに集団で入植させてしまえるなら、そうすればいい。そちらの方が名声が高まることは、言うまでもない。

「パルスの奴隷は我らを解放軍として受け止めるだろうな。悪くない」

 同時に自由民も移せるだけ移してしまう。特にパルスの文明度を支える技師たちが欲しい。ついでに書物や工芸品も避難させよう。そうしないと、気狂いどもが跡形もなく破壊してしまうからだ。

 

「そして最も重要なことは、パルスの西方を我らが抑えることです」

 パルスの残党は東に逃げる。西からルシタニア軍が攻め込むのだから、当然のことである。厄介なボダンや聖堂騎士団をそちらに向け、西の要衝には自派の将軍を派遣する。

「そして機を見て、我らはエクバターナの財宝を抱え、マルヤムまで撤退する。……ボダンたちは置き去りにして、な」

 弟の台詞を先読みしたギスカールが哄笑する。事有るごとに神の名を持ち出して統治の邪魔をしてくるボダンたち聖職者がいなくなれば、さぞさっぱりすること疑いない。

 

「……問題というか不確定要素ですが、もう一人」

 ギスカールの非公式な参謀となっている、銀の仮面をかぶった男である。マルヤムを制覇中のルシタニア軍にいきなり現れ、パルス侵攻の作戦を提案してきた。

 以後、ルシタニア軍に留まり、銀仮面卿と呼ばれているが、一体何者で何が目的なのか、知るのは本人だけである。

「お前はどう思っている?」

「さて…。アンドラゴラスを深く憎んでいる、という点からすると、バダフシャーンの公族というあたりとも考えられますが…」

 バダフシャーン公国は、17年前にパルスによって滅ぼされた。その時パルス軍を率いたのは、即位前のアンドラゴラスである。恨みを残した公族の一人や二人、生きていてもおかしくない。

 ただし、言った本人も当たりとは思ってない。銀仮面卿はパルスの将軍を内応させたと言ってきた。バダフシャーンの公族に、そんなことができるだろうか。

 

「銀仮面のことは、尻尾を見せるまで泳がせておく。………それより、俺にとっては銀仮面以上に胡散臭い奴がいるぞ。ずばり、お前は、何を考えている?」

 これまで、面と向かって聞いたことはなかった。この弟の目は、どんな未来を見ているのか。ただ、ルシタニアの王として君臨する、などという小さなものではない。それは感じ取っている。

「……兄上、イアルダボートの教えにおいて、人は禁断の果実を口にしたため楽園を追放された。………おかしいと思いませんか?」

 ギスカールは内心で身構えた。聞いたのは失敗だったかもしれない。これ以上喋らせると、自分は聞いてはいけないことを聞くことになるかもしれない。わけもなく、そう思った。

 

「禁忌を破り、神の怒りを買った。それはまあいいでしょう。ですが、神は何故それほど大事なものを、人の手が届くところに放置したのでしょうか?」

 しかし、ギスカールはその思いを行動には移さなかった。興味の方が勝ったからである。

「……ボダンなら、神の思慮は人の考えが及ぶところではない、とでも言うだろうな」

 考えてみれば、確かにそうだ。本当に禁忌とするなら、口頭で禁止するだけでなく、絶対に人の手が届かぬ所へ隔離してしまえばよい。神にできないはずないだろう。何故、そうしなかったのか。

 放置せざるを得なかったのなら、全能ではない。人がそうする可能性に思い至らなかったのなら、全知ではない。そうなる可能性を知りつつ何もしなかったのなら、それは罪を容認していたということでないか。

「………」

 恐ろしい奴だ、とギスカールは思う。ルシタニア内で、イアルダボート教を信奉する国の中で、こんなことを考える奴など他にいないだろう。

「…私は、ルシタニアをイアルダボートから解放したいのですよ、兄上」

 

 ―パルス歴320年10月16日、パルス王国に攻め込んだルシタニア軍は、アトロパテネの地で大勝を収めた。

 ―パルスの、そしてルシタニアの歴史を一変させる勝利であった。

 




禁断の果実については、本当にキリスト教の信者に質問したことがあります。
確かその時の答えが「神は人の自由な意思を尊重し、人はその意志で神に背いた」というものでした。
………神は何をしたかったのか、いまだ理解できません。

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