ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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10.軍制改革

 ボダン軍は、東に逃走した。西は王弟派で固められている。南はセイリオスの勢力圏だ。北は泥濘にしてしまった。東しか逃げ道がなかったのである。

「望み通りの展開だ」

 ギスカールは弟と祝杯を挙げた。ボダン軍は討ち減らされ、多数の降伏者を出したものの、それでも5万程度の規模は持っている。戦力としては、ほぼ無力だろうが。

 

「しばらくは、エクバターナに留まりましょう」

 セイリオスがそう言ってくれたので、軍事を弟に任せ、ギスカールは政治に専念することにした。兄の無理解は相変わらずだが、教会からの口出しが無くなっただけでものびのびできる。

「しかし、ルシタニアの国中を掘り起こさねばならなくなるとはな。……情けない話だが、パルスを知ると、奴らがルシタニア人を蛮族と呼ぶ気持ちも解るようになってくるわ」

 下水道が整備されていないルシタニアでは、糞尿などは垂れ流しである。公衆衛生として、まことによろしくない。疫病の原因となることもパルスで知った。まずこれを改善しようと思う。

 同時に、上水道の整備も忘れてはならない。井戸すらなく川の水を汲んで賄わざるを得ない村も多い。新鮮で安全な水の安定した供給はこれまた衛生上大事であり、入浴の習慣を広めるためにも必要だった。

 農業においても、パルスの灌漑技術には学ぶことが多い。ルシタニアに導入すれば、これまで開墾できなかった荒れ地を沃野に変えることができるかもしれない。

 

 こういう思いは、久しぶりである。ルシタニアの国政に関わるようになってから20年。大陸西端の貧乏国だったルシタニアをここまで持ってきたのは、ほぼギスカールの力によると言っていい。

 だが、苦労というより徒労の連続だった。教会と兄の無理解をなだめすかしあるいは脅し、何とか自分の望む方に持っていく。半生を振り返ると、それだけしかしていなかったと思う。

 そして、自分は燃え尽きた。王弟でなかったら、誰がこんな国に留まっているものか。そう思いながら国政を執り続け、ついには周囲が唆すまま自暴自棄的にパルス侵攻を考えた。

 

 はっきり言って、銀仮面卿が現れねば、万に一つも勝ち目はなかったであろう。負けてもよかった。負けてルシタニアが粉微塵に砕け散っても、もういい。

 もちろんパルスを征服し、あの裕福な国の主となりたいという野心もあったが、そんな諦念も同時に持っていたのである。

 それでは、勝ったところで何の展望も見えなかったであろう。そこに指針を与えてくれたのが、弟だ。セイリオスがいなければ、弟があいつでなかったら、今頃どうなっていたことか。

 ギスカールはそれを考え、途中で打ち切った。考えても無意味なことだ。

 

 セイリオスに任せた軍は再編が必要だった。ボダンに味方して降伏した兵に対しては、寛容に接した。そのため部下に恩賞をばら撒かねばならなかったが、その程度の出費は許容内だ。

 しかし、貴族に対しては容赦しなかった。彼らの運命は二者択一。爵位も領地も諦め一兵卒となるか、それが嫌なら追放である。

「ドライゼンとグロッセート?知らん名だな」

 ルシタニア軍の総帥は今でもギスカールである。セイリオスはあくまでギスカールから『委任』されただけだ。その下にボードワンとモンフェラートの二人が並び立ち、他の将官を纏めている。

 その将官として、セイリオスはカラドック、パテルヌス、セドリウス、ドライゼン、グロッセートの5人を推挙してきた。

 カラドックとパテルヌスは、この前の再編でセイリオスが抜擢した二人だ。自分の下で経験を積ませる予定だったのが、今回の将官不足で余裕がなくなったのである。

 セドリウスは名前だけなら知っている。確か男爵で、百程度の兵を率いて参陣していたはずだ。

 残るドライゼンとグロッセートは騎士ではあるものの、ギスカールの視界に入るような存在ではなかった。

 

「……まあいい、セイリオスが名前を出したのなら、見込みはあるのだろう」

 ボードワンとモンフェラートに様子を見させ、使えるかどうか判断させればいい。彼らも含め、7人がそれぞれ1万ずつ。それが、王室直轄の中央軍となる。

「しかしまあ、各部隊には十二星座の名を冠させるとか。『十二宮騎士団(ゾディアク)』とは、あいつにしては珍しい格好付けだな」

 格好付けも、場合によっては必要だ。セイリオスはそれを充分わきまえていたから、こんな名をつけたのだろう。将来的には、名前通り12部隊まで増やす予定である。

 

 ひとまず、何もかも上手くいっている。残った課題というと、まず兄とタハミーネのことだが…。

「……………は?」

 ふと中庭に目をやって、信じられないものを見た。その兄が、中庭の回廊を歩いていたのである。それだけならともかく、息を弾ませながらぐるぐる回っている。

「おお、弟よ。運動じゃ」

 何をしているのか、つい聞きに行ってしまった。それに対し、イノケンティスは汗だくで答える。これまで、体を鍛えるなど全くしてこなかった兄である。一体、どんな風の吹き回しなのか。

「セイリオスに言われたのじゃ。『タハミーネが靡かぬのは、アンドラゴラスに対し兄上が軟弱に見えるからではないですか?』と」

 おそらくだが、セイリオスも苦し紛れに言ってしまったのではないか。ボダンがいなくなり、教会はタハミーネの件でも強権的に出られなくなった。内心では反対する者は多いだろうが、今なら押し切れる。

 

 問題はタハミーネの方で、どうにも靡いてくれない。何と言おうとはぐらかし、するりと逃げてしまう。まあギスカールにとってはいい事ではあるのだが…。

(あの女が何を考えているかだけは、さっぱりわからん)

 アンドラゴラスを愛していたのか、いなかったのか。聞いた話では、アンドラゴラスもちょうど今の兄のように執着していたが、タハミーネは冷淡だったという。息子のアルスラーンに対しても、そうだ。

 

「……そういえば、兄者はタハミーネと結婚した後、アルスラーンをどう扱うつもりですか?」

 ふと、思い至った。冷淡ではあってもタハミーネの子であることは違いない。結婚すれば当然継子という関係になる。まさかルシタニアの王太子に立てようなどとは考えておるまいが…。

「む?……そうじゃのう。……ギスカールよ、どうするべきであろうか?」

 自分で考えてないのか、と突っ込みたくなった。とはいえアルスラーンがルシタニアに降伏するという状況がいざ現実となったら、どうするべきか。それはギスカールも考えていなかった。

(……マルヤムよりさらに西の方で、一諸侯として取り立てやるくらいが妥当か。それともいっそ俺たちが去った後のパルスをくれてやる、というのも手だな)

 まあ、そうなった時に本気で考えればいいだけで、今は案の一つとして持っておくくらいでいい。兄の態度を見ると、タハミーネが夫と息子の助命を懇願しているということはなさそうだ。

 どうやら、パルス王家にも色々あるらしい。歴史の記録に載せられないほどのことが、色々と。

 

 

「気になさらぬようお願いします。運命の導きというものでしょう。エトワールに、イアルダボートの加護があるよう祈りましょう」

 心にも無いことを言う、とシルセスは思った。自分が居たら何が何でも止めていた。混乱が一段落し、余暇を得て王立図書館を訪れたシルセスを迎えた人の中に、エステルはいなかった。

「敬虔な信者であるバルカシオン伯には、教会に矛を向けるなど考えられることではなかったのでしょう。……神の名を騙るボダンといえど、疑うことはできなかった」

 もう一人の祖父とも仰ぐ人と行動を共にする。エステルにとっては当然の選択であろう。それはだれの責任でもない。

 

 ともあれ、自分の力ではどうにもできない。せいぜいがエステルの家が領有している土地をねだることぐらいである。自分が管理し、彼女が降伏してきたら返してやる。それなら何とかなる。

 バルカシオン領は無理だ。シルセスの立場では広大すぎる。セイリオスならどうとでもなるが、下手に口利きなど頼めばアクターナ軍の参謀という立場さえ失う。セイリオスは、そんな甘い主君ではない。

「シルセス、図書館の方はしかるべき人を手配する。お前はこちらに戻ってくれ」

 それに、セイリオスはルシタニア全軍の改良で、そんな些事に構っていられない状態にある。シルセスもそれに付き合って忙殺されていたのである。

 再編した軍の指揮官も決まり、ようやく細かいところに目を向ける余裕が出てきたというところだ。逆に図書館の方はボダンがいなくなり安全となったため、シルセスを置いておくのはもったいなさすぎる。

 

「やはり、まず馬だ。次いで弓。それに鍛冶の技術も向上させねば…」

 一諸侯でしかないホディール軍の騎兵でも、少なくともルシタニア騎兵よりは精強だった。理由は簡単だ。パルスは元々騎馬民族である。遊牧の生活は捨てたものの、その伝統は今だ息づいている。

 必然として、馬の改良が進んだ。弓も同様で、騎射のためより強い弓が求められた。その精強な騎馬軍団により国家を発展させ、文明が発達した。結果としてさらに国富が増し、より軍は精強となる。

 まともな手段では、30年かかろうとルシタニアが追いつくことなどできはしない。

 

「騎馬隊の調練には時間がかかります。今は、敵の騎兵をどう防ぐかを考えるべきでしょう」

 ルシタニア騎兵にもパルス産の良馬を配しているが、当然ながら全軍に配備するとなれば数が足らない。それに馬が良くなったというだけでは、まだまだパルス騎兵には及ばない。

 ここはむしろ歩兵を重視し、騎兵を封じる策を考えるべきだ。それがシルセスの意見である。騎兵さえ封じればパルス軍にも勝てるというのは、アトロパテネで証明された。

 

「弓についてはすでに弓師に命じてますが、製作を急がせましょう。手袋の補強も同様に」

 歩兵は長弓(ロングボウ)に、騎兵は複合弓(コンポジット・ボウ)に換装させる。これは急がねばならない。騎兵を殲滅するには、やはり動きを止めたところに矢の雨を降らせるのが最も効果的だ。

 それはいいが、弓を強くするということは、引く力がより必要になるということである。結果として、指にかかる負担が激増する。手袋に厚く革を貼り指を保護するよう、工夫してみた。

「鍛冶については、今でも敵を斬れないわけではありません。現状は、これで満足なさるべきです」

 教会勢力を一掃したからとて、少し気が急きすぎているのではないか。アクターナ軍と同じ軍が、一朝一夕でできるはずない。むしろ、できたら「これまでの苦労は何だったのか」という話になる。

 

「む…」

 セイリオスが唸り、シルセスが微笑む。同年のシルセスを誰よりも信頼しながら、対抗心を持ち合わせるセイリオスである。そういう時の態度は、実に子供っぽい。

 セイリオスの右の指が、左手の指輪に触れる。これは、シルセスの意見の方が正論だと認めた時の癖だ。この指輪は、愛剣と並んでセイリオスは肌身離さずにしている。

 この剣と指輪については、シルセスも知らない。古代の神殿に隠されていた物を拾っただけなので、セイリオスですら詳細は知らない。

 銘は『アステリア』。その神殿で信仰されていた、星の女神の名だ。当然ながら、ボダンなどは「邪教の剣である、即刻打ち砕くべき」と主張した。ボダンとセイリオスの仲が悪かったのは、これも一因だった。

 

「……わかった、確かに急ぎすぎていたらしい」

 シルセスと二人だけの時は、セイリオスは礼儀を崩す。人生の3分の2を超える付き合いなのだ。これまで二人で駆けてきた時の長さは、アクターナ軍の誰よりも長い。

 6歳のときの話である。ルシタニアの宮廷に出仕したシルセスは、セイリオスに付けられた。彼の側近第一号とされたのだ。とはいえ、当初は裏のある話だった。

 当時から、セイリオスは英邁に過ぎた。表面上、教会の言うことを聞いてはいたが、敬ってはいなかった。教義に疑問を抱く、ルシタニアでは『問題児』とされる王子だった。

 それを見抜いた先王が考えた対策は、同年代で、信仰に厚く、セイリオスの才気に負けない優秀な者を側近として、彼を教導させようというものであった。白羽の矢が立ったのが、シルセスである。

 ……結果から言うと、その狙いは完全に裏目に出た。あるいはシルセスも英明すぎたのだろうか。彼女の方が信仰に疑問を抱き、セイリオスに昵懇することになってしまったというわけだ。

 

「茶を淹れてくれ」

 気が抜けたので休憩、というところであろう。入ってきたのは、カシャーン城でセイリオスが拾った奴隷の姉の方であった。カミナという。弟のルクールは、アクターナ軍で騎士見習いとして特訓していた。

 この姉弟は拾い物であったとシルセスも思う。カミナの淹れる茶は、アクターナ軍の軍議における名物となっていた。

 残念ながら、ルシタニアの気候は茶ノ木を育てるのには難しいとされている。それでも寒さに強いと言われる品種の苗木を送ってみるなど、セイリオスも喫茶の楽しみを棄てられないようである。

 

 茶の香りを楽しみ、しばらくは何気ないひと時を過ごす。尽きると、二人とも真面目な顔に戻った。

「それで、改めて伺いますが、エクバターナはやはり保持できない、と」

 当初は、ボダンたちがもっと暴れると思っていた。わずか二月であっさり彼らの排除が済み、エクバターナの占領行政は完全にセイリオスの手中にある。善政を布けば、保持も可能ではないか。

「可能、と言いたいところだが、そろそろ味方の方が崩れてくる」

 ルシタニアを出発した当初、軍の総数は40万を数えた。だが、職業軍人はその内の10万程度に過ぎない。あとは、志願あるいは徴兵された民衆だ。

 

「マルヤムに続き、パルスを滅ぼして名を上げた。恩賞として幾分の分け前も得た。いい加減、望郷の念が募るころだろう。教会と激突したのも、兵たちにとっては士気を下げる一因だったしな」

 それに、ボダンが用水路を破壊してしまった件がある。なにより、エクバターナを保持するつもりで占領行政をしてこなかった。民心は落ち着いてきたが、ルシタニアに靡くほどではない。

「パルスの軍旗を前にした時、民衆がどちらを支持するかは明白だ。住民が協力、最低でも黙認してくれねば、城を守り抜くなどできるものか」

 パルスが様々な問題を抱えていたのは事実でも、その施政の中で大方の民衆は満足していた。内部から腐って崩壊したわけではないのだ。

 仮にアルスラーンを倒しても、パルスの民衆は王家の血を引く誰かを奉戴して反乱の烽火を上げるだろう。本国からマルヤム、さらにはパルスまでを抑え込む力は、今のルシタニアにはない。

「………」

 その答えに、シルセスは安堵する。ボダンを倒しても、この人に驕りはない。

 




ルシタニア軍の大改革。ですが、さすがに全軍をアクターナ軍と同レベルにする、などということはしませんので安心してください。

ギスカールの内心は、「何故パルスに挑んだのか」と考えていった結果こうなりました。
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