ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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11.アズザルカの戦い・前編

「……アルスラーンが、ついにペシャワールに入ったか」

 普通なら、凶報のはずである。それをこの王弟二人は吉報として受け取った。ペシャワール城からエクバターナには、大陸公路を西に向かうだけである。

 その途中には、ボダン派の残党がいる。彼らは東に流れ、廃墟となっていた砦を改築して使っている。名前だけは(サン)マヌエル城と立派だが、内情は散々たる状況にある。

 それらの情報は、逃亡してきた兵から知った。モンフェラートの弟もさすがに現実に目覚めたのか、先日逃げ出してきて兄と叔父に叱られていた。そんな中で、ボダンは今だ神への信仰を保っているという。

「ルシタニア貴族として、初めてイアルダボート教に帰依した男の名を冠するとはな。ボダンの奴め、その信仰心だけは見上げたものだ」

 ギスカールが呆れたように言う。何が彼をここまで突き動かすのか。ギスカールにもセイリオスにも、ついにそれが解らなかった。

 

 ともあれ、アルスラーンが挙兵すればボダンと噛み合うという、当初の狙い通りの展開である。十中十までアルスラーンが勝つだろう。ボダンが勝てるとしたら、それこそ神の奇跡でも起きた場合だけだ。

「……そしてアルスラーンはお前が叩き潰す。エクバターナの財貨は、ある程度はマルヤムの方へ移しているが、残りも急がせよう」

 アルスラーンの生死にかかわらず、エクバターナは保持しない。ギスカールもさすがと言えた。エクバターナはパルスの象徴である。パルス軍が必死になって奪還しようと考えるのは当然のことだ。

 

 セイリオス率いるルシタニア軍とアルスラーンのパルス軍が激突する。ルシタニア軍はこの一月で、見違えるほど精強な軍へと変貌した。セイリオスはまだ不満そうだが、兵力の差を活かせば今でも充分勝てる。

 アルスラーンが戦死すれば、代わりに誰か王家の血を引く者が立つ。何にせよ、エクバターナが戦場になることは変わらない。ルシタニアはエクバターナを保持する限り、延々と戦わねばならなくなる。

 では、この状況でエクバターナを放棄してしまえばどうなるだろうか。当然、ルシタニアに代わってパルス軍が入る。太陽が東の空から昇るに等しい、当たり前のことである。

「だが、奴らにマルヤムまで追ってくる余裕はない。東方にはシンドゥラ、チュルク、トゥラーンの脅威があり、南ではカーラーンが勢力を扶植している。何より金がなければ軍も政治も動かん」

 エクバターナの奪還で、ひとまず満足せざるを得なくなる。その間にこちらはザーブル城の防御を固め、国境線を確固たるものにしてしまう。

 その後は、和を結ぶか戦うか。こちらは臨機応変に行けばいい。戦うなら、次は本当にエクバターナを占領することも考えられる。

 

 東方には、大量の間者を放っている。ギスカールは居ながらにしてかなり正確な情報を掴んでいた。どうやら、トゥラーン、チュルク、シンドゥラの3か国とも、王位継承の争いで揉めているらしい。

 その内、トゥラーンの覇権はトクトミシュという男の手に落ちることが決定的、と情報が入った。チュルクは今だ混迷している。とりあえず現王のカルハナが優勢らしいが、詳細は不明である。

 シンドゥラはラジェンドラとガーデーヴィという二人の王子が争っているが、どちらも直接の武力衝突は避けていた。ガーデーヴィが優勢だが、ラジェンドラにも逆転の見込みがないわけではない。

 

「そのシンドゥラですが、唆してみたら、おかしなことになったようです」

 セイリオスはガーデーヴィ、ラジェンドラ、どちらの陣営にも『パルスは混乱の極みにある。ペシャワール奪取の好機だ。その功は、王位の継承に決定的な意味を持つだろう』と吹き込んだのである。

 セイリオスが吹き込んだことは嘘ではない。ペシャワール城は東方諸国にとって鋼の壁だった。この城ある限り、パルスの東方を蚕食することはできない。

 仮にペシャワールを無視して別の道からパルスに入っても、ペシャワールとエクバターナから発した軍に挟撃される。故にペシャワール奪取は、どの国にとっても歴史に名前を刻むほどの功なのである。

 

 先に動いたのはガーデーヴィであった。彼はラジェンドラより一月とはいえ早く生まれ、母親の格も上であることもあり、貴族の大方は彼を支持している。

 素直に行けば、王位は彼のものとなるに違いないのだが、名分上の弱点は正式に立太子されてないことである。現王カリカーラ二世が病に倒れ意識不明というのも、複雑さに拍車をかけていた。

 だから彼が動いたのは、ラジェンドラに先を越されないかという不安からである。しかし先鋒の5千が『双刀将軍(ターヒール)』キシュワードに一撃で叩き返されると、怖気づいたのか軍を引いた。

 

 それを見て、今度はラジェンドラが動いた。彼は貴族然とした異母兄とは違い、気前が良く、気さくに庶民や兵士と交わり、その人気を得ていた。策謀家ではあるが、民衆を騙したことはない。

 結果として、シンドゥラの下層部と反ガーデーヴィ派の力を結集し、5万ほどの軍を動かす力を持っていた。その軍でペシャワール城に攻めかかり、あっさり失敗したのである。

 ここまでなら、それほどおかしな話ではない。ペシャワール攻略を失敗したラジェンドラが、どうやらアルスラーンと同盟を組んだらしいのだ。

 

「……まあ、ラジェンドラを助けた方が、パルスの利にはなるだろう」

 セイリオスも同感である。ガーデーヴィは放っておいても勝つ。ラジェンドラに力を貸す方が、大きな恩を売ることになる。

 だが、後方の憂いを断つためとはいえ、他国の厄介事に首を突っ込んだわけだ。少なくとも半年やそこらは、そちらにかかりきりとなる。その間にルシタニア軍は、さらに精強になっていく。

 

「こちらの問題としては、ミスル国が軍を動かしたと」

 ヒルティゴからの報告である。彼には恩賞として、主の居なくなったオクサス領を与えた。オクサス川一円を支配し、パルス南西部の王として君臨しようと考えているらしい。まあ、これは好きにさせておく。

 一方、ミスル国である。国王ホサイン三世は即位してから宮廷内の反国王派を粛清し、以後は内政に専念してきた。パルスとルシタニアの争いにも中立を保ち、軍を出そうとはしなかった。

 それが、ここにきて方針を転換したのは、ルシタニア側の優勢を見たからであろう。これなら、パルスの反撃にも簡単に潰れない。であればパルス南西部に勢力を広げるチャンスである、と。

 

「行くか?」

 セイリオスが頷く。再編したルシタニア軍に、実戦を体験させたいのである。パルス軍との激突の前にミスル軍と戦うというのは、練習相手として悪くない。

「条件がある。指揮はボードワンに執らせろ」

 お前は軍監だ、とギスカールは告げた。ルシタニア軍の重大な欠陥で、大軍の指揮を執れるのはギスカールとセイリオスだけなのだ。軍と爵位を切り離すことは、これまでできなかった。

 だからギスカールとしては、まずボードワンとモンフェラートの二人を育てたい。それに弟以外の人間が指揮を執った時の力を見たいという思いもある。パルス戦役の後のことまで考えれば、必要な措置である。

 ミスル軍は10万弱と見込まれる。ボードワンにも同数の兵力を与えた。セイリオスのアクターナ軍も参加するが、これは本当に危なくなった時に参戦するだけだ。

「…さて、ボードワンはどうするかな」

 モンフェラートが残りの軍を纏めている以上、エクバターナに不安はない。シンドゥラの内紛が片付くまで、パルス軍の出撃もない。ここは、ボードワンのお手並み拝見、と行こうと思う。

 

 

 新生されたルシタニア軍の速さは、ミスル軍を驚愕させるに充分だった。こちらがパルスに攻め込むどころか、相手の方が国境であるディジレ川を越えてきそうな勢いである。

「ルシタニアは、何を考えている」

 ホサインが喚いた。パルスの南西部は、まだルシタニアが支配している土地ではない。競合する地であるのは事実だが、自分が攻めようと思ったのはパルスの残党なのである。

 ルシタニアがここまで迅速に動くというのは、ホサインの予想にはない。

 

「陛下、迷っている時間はありませぬ。ここは全力で迎撃致すべきでしょう」

 勇ましく言ってきたのは、マシニッサという若い将軍であった。ミスル一の勇者と謳われる、ホサイン期待の若獅子である。

 宿将のカラマンデスも、若き同僚の言に頷いた。理由が何であれ、ルシタニアが戦おうとしてくるのであれば、戦うしかないではないか。

 ミスル軍はマシニッサを先鋒にカラマンデス将軍が総指揮を執り、進発した。対するルシタニア軍は、3つの丘に陣を構えた形で待ち受けていた。

 

「本当に何を考えているのだ、ルシタニアは」

 マシニッサが嘲るように言った。ミスル軍から見ると、ルシタニア軍は3つに分裂しているようにしか見えない。正面に突っ込めば三方から敵に包囲される形になるが、そんな愚劣な戦をする馬鹿はいない。

 後ろに3万ほどの軍がいるが、連動するには遠すぎる。気にしなくていいだろう。左右のどちらかから潰していけば、勝利は疑いない。

「よし、攻撃開始」

 左の敵から叩くと決めた。後方のカラマンデス将軍に伝令を出す。残る2軍の連携を断ち切ってしまえば、自分の先鋒だけで叩き潰してやる。マシニッサは迷うことなく、自軍に丘を駆け上がらせた。

 

「………」

 セドリウスは腕を組んだまま動かない。ミスル軍に臆したわけではない。セイリオス殿下のアクターナ軍と対峙した恐怖を思えば、あれは数が多いだけの軍だ。

 第10山羊座騎士団(カプリコルニオ)1万と2万の軍。それがセドリウスの掌握する戦力である。ミスル軍の先鋒も3万程度の軍である。それが丘の中腹まで差し掛かった時、セドリウスは叫んだ。

「射よ!!!」

 号令一下、矢が敵軍に降り注ぐ。ロングボウに換装された弓兵の放つ矢は、ミスル兵の盾や鎧をたやすく貫通した。一月ばかり、この弓の使い方だけを徹底的に教え込んだ甲斐が今発揮されている。

 坂下から駆けあがってくる敵を、坂上から射る。どちらが有利かは言うまでもない。しかも弓の威力は圧倒的にこちらが上だ。ミスル兵が放つ矢は、大型の盾で防げる。一方的な矢戦となった。

 

「騎馬隊と駱駝隊を押し出せ!!!突撃だ!近接戦に持ち込めば、弓は使えぬ!」

 ミスルは砂漠の国である。砂上での移動となると、馬より駱駝の方が強い。それゆえミスルの騎乗兵は馬だけでなく駱駝にも乗る。砂場の戦いであれば、ミスルの駱駝隊はパルス騎兵をも上回る。

 だが、遠距離戦で不利なら近接戦に持ち込もうというマシニッサの判断は短絡的すぎた。彼の頭にあったのは、ここで引いたら自分の面目が丸つぶれになるということだけだったのである。

 駱駝隊は、鎖帷子で駱駝まで武装させている。だがそれを、ルシタニアの弓は穿ち抜く。交代で射かけてくる矢は途切れることなく、ミスルの駱駝隊を傷つける。軽装の騎馬隊は、もっと酷い。

 

 大きな損害を出し、それでも速さで混戦に持ち込んだ。陣頭を駆けたマシニッサが臆病者でなかったことだけは確かである。

 しかし、ルシタニア軍もかつてのルシタニア軍ではない。弓兵が下がると、今度は歩兵が槍衾を並べて待ち構える。

「怯むな!押し切るぞ!俺に続け!!!」

 それは自分自身に対する叱咤でもあった。流れるような敵軍の動きに、一瞬どきりとしたのだ。それを押し隠すように、腹の底から雄叫びを上げる。

「防げ!密集隊形を崩すな!!!」

 セドリウスも声を嗄らす。彼は端くれとはいえルシタニアの貴族であった。爵位も無かった他の奴らに負けてなるものかという矜持がある。

 

 マシニッサの剛勇は、確かにミスル一を名乗るにふさわしいものであった。敵の槍を弾き返し、斬り込む。その一角は、明らかにミスル軍が押している。

「進め!進め!進め!」

 マシニッサとセドリウスでは、単純な力比べとなればマシニッサに分があるようである。現状、損害はミスル軍の方が大きい。だがマシニッサは押し切れると見た。

 ただ、彼に欠けていたのは全体を見る目であった。マシニッサと戦っていたのは、通常軍の2万でしかない。精鋭である山羊座騎士団1万は無傷のまま、機を待っていた。

 

「将軍!」

 副官の、悲鳴に近い声を無視する。今山羊座騎士団1万を投入すれば、劣勢も盛り返せるに違いない。だが、まだ機ではない。

(あの男だ)

 セドリウスはマシニッサだけを見ていた。あの男さえいなければ、ミスル軍を崩壊させるなど容易い。

「俺の弓を持ってこい!」

 叫んだ。慌てて差し出された弓を、一杯にまで引き絞る。アーレンスの強弓には遠く及ばないが、この長弓(ロングボウ)にかけては名手と名乗るに足ると自負している。

 ぶうんと弦が鳴り、放たれた矢はマシニッサの体に吸い込まれるように飛んで行った。

 

 不意に矢唸りが聞こえ、マシニッサはとっさに腕で顔をかばった。小手を貫き、右の臂に矢が深々と突き刺さる。右手が力を失い、剣を落とす。駱駝から落ちそうになるのだけは、必死でこらえた。

「しまった!」

 左手は駱駝の手綱を握らねばならない。右手負傷となれば、戦闘はできないということである。マシニッサの剛勇に引きずられていたミスル軍の勢いが止まった。

「全軍、総反撃!!!」

 セドリウスの号令に、ルシタニア軍の前衛と後衛が入れ替わった。山羊座騎士団1万が前に出てきたということである。その勢いに押されたミスル軍が坂を転げ落ちるように後退を始め、程なく潰走に移った。

 




強化されたルシタニア軍vsミスル軍。
本隊同士の激突は、次回にて。長くなりすぎてここで切るしかなかったもので…。

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