ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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12.アズザルカの戦い・後編

 後方ではボードワンがカラドックとグロッセートを両翼として、カラマンデス将軍と激突していた。だが、ミスル国の誇る歴戦の宿将の顔に、余裕の色はない。

(ルシタニアとは、これほど強かったのか)

 アトロパテネの戦いは、ルシタニアの大勝利に終わった。だがあれは、罠に嵌めた上での虐殺だ。にもかかわらず大損害を受けたルシタニア軍である。正直、弱兵の集まりと思っていた。

 それでもカラマンデスは、ボードワンの攻撃を充分凌ぎ切れるだけの力量を持っていた。彼の失策は、後方にいた軍を気にしてしまったことである。

 

 カラマンデスは、マシニッサよりはるかに視野が広く、慎重である。それゆえ、後方の軍について無視することはできなかった。しかもその軍旗が深緑にルシタニアの紋章となれば、なおさらである。

「アクターナ軍とは…」

 ルシタニア最強の軍団という噂は知っている。パルス軍を鎧袖一触に蹴散らしたという話も聞いた。その軍が後方で静まり返っているのは不気味だった。いつ、どのように介入してくるか、予想できない。

 カラマンデスは2万ほどの軍をどのような状況にも対応できるよう、遊軍とした。アクターナ軍が動いた時には、時間稼ぎとしてぶつけるつもりである。

 だが、神の視点から見れば、カラマンデスはその2万をマシニッサの援護に使うべきだった。あるいはさっさと同僚を見捨てるべきだった。勝手に戦端を開いたのは彼だ。総大将として、糾弾の資格はある。

 

 一方のボードワンにも焦りがある。アクターナ軍の存在が敵軍を掣肘してくれるという期待はあり、その通りになった。

 それが、押し切れない。ルシタニアの名将とか言われても、カラマンデスに劣る程度なのか。たかが、パルス軍との決戦の前哨戦。そんな戦いで軍人としての自分は終わってしまうのか。

 あと一手。もう少しなのだ。山羊座騎士団は、と気になって丘を見上げた。これが、勝敗を決した。マシニッサ軍の動きが、大きく乱れた。

「続け!!!」

 それを見たボードワンは、旗下である第2牡牛座騎士団(トウロ)を従え突撃を開始した。さすがにルシタニア軍の精鋭である。互角だった形勢が、優勢に変わる。

 同時に、カラドックの第7天秤座騎士団(リブラ)とグロッセートの第12魚座騎士団(ペイシェス)も大攻勢に出た。

 

 カラマンデスは迷った。2万の遊軍。これを使うべきなのか。だがアクターナ軍に対する備えはどうする。備えが無くなったところに攻撃を受けたら、全軍崩壊は確実である。

「全軍、防戦に徹しつつ後退だ!マシニッサも合流させろ!」

 アクターナ軍が後方から姿を消していた、というのがカラマンデスの迷いを生んでいた。応戦しつつ後退、一度距離を取り軍を再編する。敵優勢と言っても、一時的に力を振り絞っているだけだ。

(今は守勢を保ち、その後一気に反撃に出る)

 だが、カラマンデスはわずかに気付くのが遅れた。押していたはずのマシニッサ軍が、なんと坂上から崩れ落ちてくるではないか。味方の濁流をまともに受ける形となり、カラマンデスも崩れた。

 

 この状況で、それでもカラマンデスは名将と評するに足る男であることを証明して見せた。潰走を始めた軍の中で近習を叱咤し、踏みとどまらせる。

 核となる部隊があれば、兵も踏みとどまる。ついにはルシタニアの攻勢を、局地的にだが跳ね返した。全軍潰走の危機から、ここまで盛り返したのだ。

(時間さえ稼げば―)

 ルシタニア軍の大攻勢も、いつまでも続かない。敵の攻勢が限界に達したところで、残った力を全てぶつけてやる。死んでもいい。誇りにかけて、最後に一矢報いて見せる。

 

 ルシタニア軍の攻勢が弱まった。カラマンデスが号令をかけようとしたその時―。

「何だと?」

 恐ろしい力がカラマンデスを襲った。それはこれまでのルシタニア軍とは比較にならぬ圧力で、一撃でカラマンデス隊を粉砕した。軍旗は深緑に紋章。アクターナ軍である。

 もう、どうしようもなかった。立ち止まる者のいなくなったミスル兵は、ディジレ川を越えるまでひたすら逃げた。カラマンデスも逃げに逃げた。川を渡って、ようやく軍を再編する。マシニッサの姿も見えた。

 最後のあれは、何だったのだ。カラマンデスは後悔や屈辱より、まずそう思った。

 

 新生ルシタニアとしては幸先のいい門出となった『アズザルカの戦い』であるが、指揮を執ったボードワンに喜色はない。

「………」

 視線の先にあるのは、アクターナ軍だ。最後の介入が不満という訳ではない。最後の最後、敵軍を崩しきれなかったのは自分の力不足だ。あのままでは、勝ったにせよ決死の反撃を受けていた。

 だからボードワンの屈託は、アクターナ軍の圧倒的すぎる強さに対する自軍のふがいなさである。羨望と言ってもいい。司令官の能力、指揮官の資質、兵の練度。全てにおいて、果てしなく遠い。

「……どうすれば、あれに届くのだろうな」

 副将のバラカードに呟いた。答えはない。答えられることではないだろう。他の三将が集まったとのことである。主将としての任を果たさねばならない。

 

「皆、ご苦労だった」

 内心を押し殺し、皆をねぎらう。そうするだけの理由はある。カラドック、セドリウス、グロッセート。この3人は、少なくとも以前のルシタニア軍では考えられない優秀な指揮官であろう。

「勲功第一は、セドリウス将軍だ。敵はミスル軍の猛将マシニッサであったという。その攻撃を跳ね返し、潰走させた」

 セドリウスが誇らしげに胸を張る。マシニッサを逃し画竜点睛を欠いたが、他の連中とてカラマンデスを取り逃がしたのだ。自讃を差し引く必要はない。

「今回の戦いは、パルスと戦う際ミスルが介入せぬよう、大きく叩くためだ。その目的は果たされた。よって、帰還する」

 反対する者は誰もいない。以前なら、このままミスル首都のアクミームまで攻め込もうと言い出す馬鹿が必ずいたはずである。粛々と、帰路に就いた。

 

 だが、無理矢理威厳ありそうな態度を取るのも、また疲れるものだ。ボードワンはそう思った。ギスカールに認められて今の地位に就くほどになったが、どうにもこうにも窮屈この上ない。

 威厳とか礼儀より、粗暴と言われるほどざっくばらんな付き合いの方が、自分には似合っている。

(モンフェラートの奴は、似合っているが)

 自然にそういうことのできる同僚を、うらやましく思った。

 

 エクバターナに帰還したボードワンは、イノケンティス王直々の褒詞を賜った。群臣居並ぶ中で、今度の戦勝を激賞されたのである。

 軍事に疎いイノケンティス王に褒められても、嬉しいのか嬉しくないのか微妙な気分になる。とはいえ名誉には変わりない。ボードワンの屈託も、ようやく晴れた。

 恩賞も満足いく程度には出ている。これまでは戦勝に対する恩賞など、無いも同然だった。聖職者が食い散らかした残り物を投げ与えられていたようなものだったのだ。

「聖職者が戦場で何をしたと言うのだ。我々は命懸けで戦ったのだぞ」

 そう思って不満を溜めていたのは、ボードワンだけではない。大なり小なり、誰もが持つ不平不満であったと言っていい。

 軍人にとっては、いい方向に変わっているようだ。ボードワンは下げた頭の裏で、満足そうに笑った。

 

「ミスルの名将と名高いカラマンデスと、互角か」

 ボードワンは良くやったと思う。他の3将も、ギスカールを充分満足させる働きを見せた。ルシタニア軍が強くなっていることは、間違いない。

 ミスル軍の損害は、討ち取った者およそ7千、捕虜となった者もほぼ同数。失った兵力は優に2万を超えるはずだ。

 一方のルシタニア軍は、主にセドリウスの部隊に損害が出たが、死者重傷者合わせて1千。最後にセイリオスが介入したから、この程度の損害で済んだ。

 

「ホサインにとっては、想定外の大敗だろうな」

 元々、ミスル国王ホサイン三世は戦を好まない王である。平和主義という訳でなく、戦の機を見る目がないのだ。だから充分に準備を整え、利害を見極めた上でしか戦わない。

 その計算が崩れると、こういう男は脆い。次はさらに慎重に慎重を重ね、結果として機を逃してしまう。

 おかげで、ルシタニアはしばらくの安寧を得たわけだ。シンドゥラ遠征が終わり、アルスラーンのパルス軍が攻め込んでくるその時まで。

 

「ついでだ。さらにホサインを惑わすために、捕虜の交換を申し入れるか」

 交換と言ってもルシタニア兵とでは数が釣り合わないので、金銭でだ。別にギスカールががめついわけでなく、身代金を取って捕虜を解放するのはごく普通のことである。

 だが、国交を閉ざしたくはない、全面戦争はこちらも避けたいという意思表示となる。さて、それに対し、ホサインはどう出るか。

(おそらく、中立を保つ)

 ギスカールはそう見た。事実、その通りであった。ルシタニアと全力で衝突すれば、喜ぶのはパルスの残党だけである。機はまたあるだろう。ホサインはそう考え、捕虜交換を受け入れた。

 

 

「……カラマンデス、マシニッサ、敗軍の責を問おう。………捕虜交換に必要な代価の一部を、そなた達の私財から賄うこととする」

 つまりは罰金刑を、少し洒落た言い回しとしたわけだ。そのくらいで済んで、二人ともほっとしたようである。遠い異国のことなど知る由もないが、これがチュルクのカルハナ王なら死刑確定であった。

 それはホサインがカルハナより寛容である、というだけではない。二人を失ったら、ミスル軍は骨の抜けた体のようなものになる。今はまだ、処罰の時ではない。

 それに客観的に見て、この二人は良くやった。マシニッサの武勇、カラマンデスの統率、どちらもミスル一の名を辱めないものであったのは事実だ。

 問題は、この二人が「ミスル一である」ということなのである。このありさまでは、パルスやルシタニアと渡り合うなど、とても覚束ない。

 

(軍を強化せねばならぬ)

 ルシタニアの噂は聞いた。国王派と教会派で分裂し、大きく空いた穴を埋めるため若手や下級貴族だろうがどんどん抜擢したという話だ。そのごたごたで弱体化したと思っていたら、まったくの逆だった。

 何をどうすればそうなるのか、ホサインには全く解らない。埋もれていた人材を掘り出した、と口にするのは簡単だ。では、どうやってその人材を探し当てればいいのか。

(とりあえず、この男は使えぬな)

 ちらりと群臣の端にいる男を見た。ナーマルドであった。オクサス陥落後、パルスを裏切り、ルシタニアに愛想を尽かされた彼は、這う這うの体でミスルに逃げてきたのである。

 

「……パルスの大貴族だからと言うので客分として認めてやったが、とんだ穀潰しであったわ」

 個人的な武勇も軍を統率する力もない。持ってきた情報も大したことがない上、個人的な感情が入りすぎて正確さに欠ける。調べてみれば、オクサスでの人望もない。

(殺して、首だけルシタニアに送ってやるか)

 ほとほと、ホサインも扱いに困っていたのである。今回の侵攻を唆した男、ということで弁明の役に立つかもしれない。少なくとも、無駄な食費を一人分減らせることは断言できる。

 

「………」

 しかし、と思いとどまった。ミスルにいるパルス人はナーマルドだけではない。パルスとはたびたび争った仲ではあるが、交易まで拒絶してきたわけではなく、むしろ奨励していた。

 結果として、国都アクミームを始め、主要な都市となればパルス人のコミュニティが形成されているのである。ルシタニアを恐れてパルスの貴族を殺したなどという噂が立つのは避けたいところだ。

 何より、ルシタニアはナーマルドなどと言う小物を相手にしていない。そんな男の首を送ったところで、感謝されるか、どうか。いくら何でも、もう少し意義のある使い方をしたいところだ。

(……やめておこう)

 結局、ホサインは現状を追認しただけであった。彼の政治は、いつも生温い。

 




書いているうちにカラマンデス将軍がこの戦いのMVPになってしまいました。
まあ、原作では何の活躍できなかった彼なので、ここで多少報われてもいいでしょう。

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