ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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13.アクターナ軍の訓練

「引くな!引くな!」

 カラドックが、声を嗄らして叫ぶ。が、敵軍の勢いを止めることはできない。モンフェラートはそれを見て、ぎりと奥歯をかみしめた。

「強すぎる…」

 以前は、3倍の兵力でも打ち破ると言われていた。そのころから見れば見違えるように強くなったはずのルシタニア軍だが、依然としてアクターナ軍には遠く及ばない。

 

 第7天秤座騎士団(リブラ)の潰走を何とか食い止めようと、パテルヌスの第4蟹座騎士団(カンセル)が横合いから突きかかろうとした。

 アクターナ軍は二つに分かれ、一隊を蟹座騎士団に向ける。わずかだろうと自分に対する圧力が弱まるはずだ。そう考えたカラドックは後退しながら軍を再編しようとした。

 しかし、それが陥穽だった。アクターナ軍は敵の後退に合わせて加速し、カラドックを粉砕した。及び腰で、アクターナ軍の突撃を防げるはずがない。カラドックは唖然とする他になかったであろう。

 カラドックが討ち取られ、天秤座騎士団が崩壊した。副将が素早く敗兵を纏め軍を再編しようとする。蟹座騎士団の奮戦で何とか危機を脱し、それは成功するかに見えた。

 

 その瞬間―。

「敵襲だ!」

 誰かが絶望の悲鳴を上げる。騎馬隊が、後方から突っ込んできた。およそ2千。だが腰の据わってない天秤座騎士団の敗兵に、この突撃を受け止めることはできない。今度こそ、完全に四散五裂する。

「………」

 モンフェラートには手の打ちようがない。天秤座騎士団を崩壊させた敵軍は、蟹座騎士団を包囲殲滅する。パテルヌスは仲間を救おうと突出しすぎていた。

 パテルヌスも、そんなことは承知の上である。天秤座騎士団が壊滅したのを見るや、即座に後退を命じている。だが問題は2千の騎馬隊。あれに背後を扼されれば、それで終わりだ。

 モンフェラートの第1牡羊座騎士団(アーリス)とグロッセートの第12魚座騎士団(ペイシェス)は、対峙している相手の対応をするだけだ。とても、他を救う余裕などない。

 

 モンフェラートの部隊から、騎馬隊が奔った。およそ五百。命令など出していない。先頭を駆けるのは、銀の仮面で顔を隠した男である。従う者は、パルスの騎兵。

 五百とはいえ、カーラーン麾下の精鋭である。銀仮面卿の武勇も並外れていた。アクターナ軍の騎馬隊に、横合いから突っ掛ける。

 だがアクターナ軍はすぐさま騎馬隊を二つに分け、銀仮面卿とすぐ後ろにいる男を避けてパルス騎兵に突っ込んだ。銀仮面卿はすぐさま方向転換、アクターナ軍を突き破り、部隊を纏めて脱出する。

 その間にパテルヌスは、多大な損害を出しながらも後退に成功した。銀仮面卿の援護がなければ、包囲されていたであろう。

 

「部隊を再編しろ、急ぐのだ!」

 モンフェラート軍の残存兵力は、およそ3万。アクターナ軍は今だ3万8千はあるだろう。4万同士の激突で、こうも差がつくのか。挽回の策など無い。できる事はただ一つ、ひたすら粘るだけだ。

 損害が少ない分、再編はアクターナ軍の方が早いはずだ。だが急ぐ中で鐘の音が響き、モンフェラートは肩を落とした。

 どうやら、イノケンティス王が空腹を覚えたらしい。アクターナ軍も気が抜けたのか、張りつめていた緊張を解いた。模擬戦は終わりである。

 

「いやはや、セイリオスは強いのう」

 イノケンティスに王として美点があるとすれば、弟たちを全く疑わないことであろう。普通なら、嫉妬や簒奪の不安からろくでもない手に出るものだ。それが、全く無い。

 今も、アクターナ軍の強さを無邪気に喜んでいた。珍しく、軍を見たいと言い出したのである。どんな風の吹き回しかは不明だが、最近は運動を始めたり、砂糖水の量も減らしているらしい。

 もっとも、ルシタニア料理の質が向上したため、食べる量が以前より増えている。そのため、腹回りの方はほとんど変わってないとのことだ。

 

 十二宮騎士団(ゾディアク)の四騎士団4万と、アクターナ軍4万の模擬戦。ただ一人、完膚なきまでに打ち砕かれたカラドックは俯いていた。

 ただしこれは、最初に狙われた不運というだけであろう。終了の鐘が鳴らなければ、次はだれがやられていたことか。同数の激突だったにもかかわらず、モンフェラートは常に圧倒されていた。

 一応、理由はある。4万の内、アクターナ軍の騎兵は1万。対し十二宮騎士団はそれぞれが1千強、全体で5千程度と、半分しかいない。機動力で劣るのは当然だ。

 だが、パルス軍を相手と考えれば、騎兵戦力の劣勢は必然である。それをどうするか考えねばならぬ立場であるモンフェラートには、言い訳にすることはできない。

 唯一、互角と言える働きを見せたのは、銀仮面卿の五百騎だけだろう。さすがはパルスの騎馬隊、と言うべきか。その彼は仮面のせいで表情が解らないが、ただアクターナ軍を睨みつけていた。

 

 アトロパテネの会戦が、10月16日。エクバターナ陥落が11月6日。ボダンたちを追放したのが、12月の半ばだった。1月の下旬にミスルとの戦いとなり、今は2月に入ったところである。

 いまだ、4か月に満たない。その間にルシタニア軍は大きく変わった。もはや別物と言っていい。そしてアクターナ軍も、2万5千を4万に拡大したのである。

 ただ、対峙して感じたことであるが、急速に4万に規模を拡大した結果、古参兵と新兵の間に壁が生まれた。新兵の動きが、1段劣る。2万5千と1万5千の二軍団、という感じである。

 もっとも、その新規の1万5千でも十二宮騎士団より強いのだ。セイリオスはこの1万5千に、2か月に亘ってモンフェラートが内心引くほどの苛烈な訓練を施した。

 

 今日は、その最後の訓練だということだ。朝から始まった実戦さながらの模擬戦が終わり、少し早いが昼食となった。

「………」

 新兵は、無言で食事を胃に押し込んていた。最後なのだから、午後はより苛烈な訓練になるのだろうと皆が思う。少しでも体力を回復させ、温存しておきたい。

 確かに強いが、暗い軍である。負けた自分が言える立場ではないが、これでいいのだろうかとモンフェラートは思う。

 昼食の間に、午後の訓練が伝達された。それを聞いて、新兵は耳を疑った。

 

「まず、川で躰を洗え。馬もだ。次いで馬を休ませ、武器や鎧の手入れだ。終わったら昼寝するなり好きにせよ。ただ、宿営地から出てはならない」

 古参の2万5千はにやりと笑い、新参の1万5千は呆然とした。昼寝どころか夜の睡眠すらとれるかわからない生活だったのだ。本当に、それが訓練なのだろうか。

 モンフェラートたちは解散である。十二宮騎士団の兵士たちは、胡散臭そうな目をして帰って行った。モンフェラートも、何が始まるのか全く理解できない。

「貴公らも一度やってみろ。これが、最も大事な調練だ」

 セイリオスはそう言っただけだ。そのまま、夕暮れが近づいた。

 

 漂う匂いに昼寝から目覚めた新参兵たちは、目を見張った。宴会の準備が整えられていた。古参兵が、「よう、寝過ごさなくて良かったな」と軽口をたたく。彼らが用意してくれたのは明白だった。

「諸君らは、よく耐えた。私の麾下に諸君らを迎えられたことを、誇りに思う。これは、歓迎の宴だ」

 今日ばかりは、肉も酒も惜しみない。各所で牛が丸焼きにされており、削いだ肉を好みの野菜と一緒にパンに挟んで齧り付く。米もあった。大鍋で、羊肉と一緒に炊いたものだ。

 酒の方は葡萄酒、麦酒の壺が数えきれないほど並んでいる。やめろと言われたのに蒸留酒に手を出した痴れ者がいて、一口飲んでむせ返り、皆の笑いものになった。

 アクターナ軍は決して質素倹約に努めているわけではない。戦中や訓練中はともかく、宿営地での食事は兵たちの憩いであることを充分わかっていたからだ。が、ここまでの大盤振る舞いは、例がない。

 

「おい、そこの小僧、うちの名物も食っていけや」

 新兵の歓迎のために、古参兵は部隊ごとに何か作るのがこの宴の恒例となっている。この部隊は魚介類と芋や野菜の煮込みである。奴隷だったルクールからすれば、贅沢極まりない。

「お前さん、殿下が拾ったってガキだろ。まったく、災難だったな。…今、いくつだ?」

「15です」

 短く答えた。災難、だったのだろうか。姉弟そろってセイリオスに拾われた。旧主の仇だったはずの男に、痺れるような思いを受けた。そして、今やアクターナ軍最年少の兵士である。

 

「ほらよ、たっぷり食っていきな。……実を言うとな、新兵の評判の良かった部隊には褒美が出るんだよ」

 先輩に手ずからよそってもらった煮込みを口にする。パルスの味とは違う、素朴だが豊かな味が口中に広がった。美味いと言い、夢中で匙を口に運ぶ。

「おいおい、食うの速すぎだろ。…たく、まだまだガキだなあ」

 奴隷であったこの前までと、今。どちらがいいかと問われれば、今と答えるしかない。少なくとも、こういう心の触れ合いを感じたことはなかった。

 だから、嬉しかった。奴隷でしかなかった自分が、こうして認めてもらえる。確かにこの2か月は辛かったが、それに耐えきった自分は殿下も認めるアクターナ軍の兵士なのだ。それは誇りとしていいと思う。

 似たような光景はあちらこちらで散見され、夜は更けていった。

 

「……これが、彼の軍の強さの秘訣なのでしょうな」

 宴会が始まったと聞いてアクターナ軍を見に来たヒルメスに、サームが言う。ただ厳しい調練を積んだというだけではない。士卒の心を掴んでいる。軍の真の強さは、そこにある。

 サームの言葉は、アクターナ軍を誉めているだけでなく、ヒルメスに対する諫言でもあった。ヒルメスは確かに勇敢だ。指揮官としての能力も十二分に持っている。だが、士卒の心を掴んでいない。

 何故か。ヒルメスの血に対する執着が悪いのである。自分がパルスの王であるのは当然である、と思っているのは、まあいい。だが王に民も兵も従うのは当然、と思っているのは、教導しなくてはならない。

 

(殿下の視野が広まれば、王や王太子とも和解できるやもしれぬ―)

 それがサームの理想であり、ヒルメスに降った理由でもある。このままでは、この人はパルスという国に厄災をもたらしただけの存在になってしまう。王家に対する忠誠心が、それだけは許さない。

「パルス人による部隊を設立したい、だと?」

 翌日、サームは早々にギスカールに謁見を申し込んだ。エクバターナにはかつて―と言ってもわずか4か月にしか過ぎないのだが―自分に従った部下たちがいる。ガルシャースフの部下もいるはずだ。

 

「その者たちは、エクバターナの闇に潜み、パルス軍の旗幟が迫れば内から呼応することを考えているでしょう。…ですが、私なら説得する自信があります」

 まるきりの嘘、というわけではない。将校が生き残れば、そのくらいは当然に考える。そしてサームは部下から慕われていた。いくつかの部隊とはすでに接触しており、感触は悪くない。

「銀仮面卿を将軍と仰ぎ、ルシタニアのために戦いたいと思います」

 銀仮面卿の強さに惚れた。降伏した理由を、サームはそう説明している。下手な演技がどこまで通用するか不安なところではあったが、ギスカールもセイリオスもあまり頓着しなかった。

 

「よかろう、ボダンのような輩ならともかく、俺もセイリオスもその必要性は感じていたのだ。貴公がやってくれるのであれば、3万の軍を編成するための費用を出そう」

 そしてまた、今回もあっさりと認められた。こうなると逆に不安になってくる。イノケンティス王はともかく、王弟二人は間違いなく傑物だ。この甘さが、ただの油断や好意であるはずがない。

「ただし、急いでもらう。アルスラーンと戦う時はそう遠くない。その際は、先鋒となってもらわねばな」

 そのくらいのことは、覚悟の上である。もっとも、従う気などサームにもヒルメスにもない。3万の軍を編成したらバダフシャーンに奔り、カーラーンと合流する。ヘルマンドス城を攻略できるかが山だ。

 

 ギスカールの元を辞すとすぐさま布告を出し、軍の編成を始めた。数千の兵が集まった。サームの人望と根回しのおかげであろう。

(数だけなら、3万は難しいことではない―)

 数千もの人が集まると、時流が生まれる。様子見をしていた者も心が揺れ動いて、参加しようという気になるだろう。それを、限られた時間でどこまで精強にできるか。

 そして3万の軍を持つことで、ヒルメスが成長してくれればよい。部下の命を預かることの重みを、彼には理解してもらわねばならない。

 

 そのヒルメスは、3万の手勢を持てることを単純に喜んだ。もちろん彼とてギスカールに何かしらの狙いがあることぐらい気付いている。

「だが、カーラーンの軍と合わせて7、8万。ヘルマンドス城を落とせば10万を優に超える。ギスカールの狙いが何であれ、ルシタニア軍がいくら精強になろうとも、充分対抗できる力だ」

 問題はただ一つ、上手くエクバターナを脱出できるか、だ。だが、カーラーンと共にヘルマンドス城を攻略せよという命令が下り、ヒルメスもサームも耳を疑った。

 

「何を考えているのだ、ギスカールもセイリオスも」

 まるで、虎を野に放つようなものではないか。あまりにも出来すぎている状況に、ヒルメスも疑心の方が先に立った。

「アルスラーンの反攻が予想より早くなりそうな一方、カーラーンのバダフシャーン攻略が一向にはかどらない。このままでは、ペシャワールから出た軍を西と南から挟み討つという戦略が成り立たないのだ」

 ルシタニア軍を送ろうにも、カーラーンの指揮下に入るのを肯ずる将軍はいない。カーラーンとしても、パルス人の方が連携しやすいであろう。

 ギスカールの主張はざっとそのような事であり、一応全く道理が通ってないわけではないのだが…。

 

「乗るしかないことを見越して言ってきた、としか思えませんな」

 そう、確かに乗るしかない。ギスカールの狙いが何であれ、拠って立つ地を得ない限り、先の展望は開けないのだ。

 そして、ヒルメスがバダフシャーンの地で独立するのは、決してルシタニアにとって不利なことではない。上手く使えばアルスラーンとヒルメスが噛み合うことになろうし、最悪でも牽制にはなる。

「だが、奴らは俺の正体を知らん。そこに付け目がある」

 ヘルマンドス城を落としたら、すぐさまパルス全土に檄文を送る。それで集まる兵力は、ルシタニア側の計算にはないはずだ。

 

「……そうだ。サームもザンデも、アルスラーンについて、噂でも何でもいい、何か変な話を聞いたことがないか?」

「…は?」

 いきなり脈絡のないことを聞かれ、サームがつい間抜けな声を漏らしてしまった。だがヒルメスにしてみればちゃんと繋がっていることなのである。檄文の文面を考えているうちに、ふと引っかかったのだ。

「バフマンが奇妙なことを口走った。俺の窮地に『その方を殺せば、パルス王家の正統の血は絶えてしまうぞ』と」

 アルスラーンを追い、ペシャワール城に単身潜入した時のことである。天の情けかアルスラーンと一対一で向かい合ったが、辛くもアルスラーンは生き延びた。

 そして逆にヒルメスがダリューン、ナルサス、キシュワードらパルスでも屈指の勇者に囲まれ、さすがに覚悟せざるを得ない状況となった。バフマンの声に動揺した皆の隙を突き、城壁から水堀に飛び込んで逃げた。

 

 今までさほど気にしなかったのは、「アンドラゴラスとその息子のアルスラーンは傍流に過ぎない」と思っていたからである。

 正統とはすなわち嫡流であるとヒルメスは考える。故にヒルメスが死ねば正統の血が絶えるのは当然至極。傍流の血は残るが、それは『正統』と認めることはできない…。

 だが、バフマンもそう考えていたのだろうか。あの言葉は、もっと単純に考えるべきではないのか。すなわちアルスラーンにはパルス王家の、英雄王カイ・ホスローの血が流れてないから……。

 そういえば、アルスラーンの追跡中にナルサスも変なことを口走った。「たとえパルス王家の血をひかぬ者であっても、善政をおこなって民の支持をうければ、りっぱな国王だ」と。

(もしかしたら、ナルサスは知っていたからこそ、そう言ったのかもしれん)

 これは邪推のし過ぎであったが、ヒルメスにとっては魅力的な仮説であった。アルスラーンはパルス王家の血を引いてなく、ナルサスはそれを承知で王として擁立しようとしている…。

「調べる必要があるな」

 向かった先は、地下牢ではない。アンドラゴラスに聞いたところで口を割ることはないであろう。だから、出生の秘密を知るに違いない、もう一人の存在のところへ。

 




バフマンの失言について、漫画版ではヒルメスはすぐおかしいと気付いてますが、小説では王都奪還の時まで気付きません。
そこに理由付けをしてみたらこんな結果になりました。

ちなみに十二宮騎士団の名前はスペイン・ポルトガル語の発音を参考にしています。

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