ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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この回にはアルスラーンの出生に関する記述があります。
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14.内政改革

「これで、銀仮面も本性を見せるだろう。……さて、宮中のことでも考えるか」

 そう思い、ギスカールは宮廷書記官のオルガスを呼んだ。ギスカールの下で行政の実務を担当している男である。有能ではあるが、セイリオスには遠く及ばない。

「……まず宰相と副宰相を置き、その下に吏部(人事)、民部(民政)、倉部(財政)、礼部(外交)、文部(教育)、兵部(軍事)、刑部(司法)、工部(土木)の大臣を置く」

 これまでのルシタニアは、ギスカールが全権を握り、あらゆる分野を統括することで動かしてきた。だが、広大になった国土を統治するには、官僚組織の整備が不可欠である。

 

「副宰相はセイリオス殿下でございますか?」

 オルガスは内心、にんまりと笑った。言うまでもなく、宰相はギスカール以外にあり得ない。その片腕という自負のある自分は、副宰相は難しくとも、民部か吏部の大臣には任じられるはずだ。

「まあ、当面はそれしかないだろう。できれば、副宰相は複数。その下にも人を置きたいところだ」

 人材不足はルシタニアも抱える悩みである。ホサインがそれを聞けば「あんな弟がいるくせに、なんて贅沢な」と言いたくなるかもしれないが、ギスカールにしたら深刻な問題なのである。

「兵部を預ける者は、デューレンがいいが…」

 兵部は軍政の長である。軍事にも行政にも熟達した者でなければ、到底務まらない。だがセイリオスに対し、やってはならないことがある。アクターナの統治と軍に手を出すことだ。

 ルシタニアのため、という大義がなければ、ギスカールですら火傷では済まない結果となる。それでもデューレンを譲ってもらうとなると、ぎりぎりのところであろう。

 

 そのデューレンは、マルヤムを見事に治めていた。ルシタニアの主力軍にアクターナ軍まで去れば、マルヤムの地に不穏な動きが見えるのは当然のことである。

 彼は、それをことごとく叩き潰した。先日、ついに旧マルヤム王朝最後の反抗拠点であったアクレイアの城を陥落させたのである。これで、マルヤムの反抗はひとまず潰えたと考えていいだろう。

「とはいえ、ボダンの馬鹿はどこまでも祟る」

 城にはマルヤムの内親王二人が籠っていた。降伏勧告には一切応じなかった。当然である。降伏条件を破り両親を焼き殺すなどという真似をした相手を、誰が信じるものか。

 結局、地下を掘り抜き工兵を送り込んで陥落させた。長女は塔から身を投げ、次女はダルバンド内海に逃げたという。ボダンさえいなければ、しなくていい戦だった。

 

 強いて収穫を探すとすれば、改めてデューレンの優秀さが証明されたくらいか。彼はマルヤム兵を率いてマルヤムの内親王を討ったのだ。彼の治政が、民心を得ている証拠である。

 マルヤムも、イアルダボート教を信じる国である。つまり、神が強く人が弱いという、今までのルシタニアと同じ問題を抱えていたのだ。デューレン、すなわちセイリオスの治政は、それをぶち壊した。

「マルヤムの地は、着々とルシタニアのものとなりつつある。そう思わないか、オルガスよ」

 ギスカールが楽しげに笑う。オルガスとて、そう頭のめぐりが悪いわけではない。いい加減、不自然さに気付いていた。ギスカールもセイリオスも、パルスよりマルヤムの統治を重視しているのだ。

「そうだ。我らの真の目的は、パルスの征服ではない。ボダンのような害毒にしかならぬ輩を棄て、ルシタニアを一新させること。そのための廃棄場が、パルスという地よ」

 オルガスは寒気がした。この王弟二人は、やはり自分など及ぶ存在ではない。教会との対決も、全てこの二人の手の内のことであったのだ。

 

「官学もどんどん立てねばならぬな。形だけ作っても、ふさわしい人材がいなければ何にもならん。政治、経済、法学などは当然として、建築や造船など工学系、それに天文学や芸術、料理の学部も作ろう」

 ルシタニアでは、学問とはすなわち神学であり、教育は教会の独占であった。例外中の例外がアクターナであり、この地だけはイアルダボート教から離れた純粋な学問が奨励されていた。

「……となれば、教鞭を執る学者はアクターナから集めるのでございますか?」

「別にアクターナにこだわる必要はない。パルスでも、マルヤムでも、ミスルでも…。シンドゥラ人が自国の建築や料理を教えたとしても、構いはせん。そういった者が喜んで集まってくる。その環境を作るのだ」

 ちなみに、シンドゥラ料理は香辛料をたっぷりと使う、食べ慣れない者にはかなり強烈で刺激的な味である。それが遠征中のアルスラーンらパルス兵を辟易させていることなど、ギスカールが知るはずもなかった。

 

「それに、民に与える爵位の創設を行う」

 全ての人民を貴族にしようというのではない。ギスカールが考えているのは、階級に流動性を持たせたいということである。

「実力さえ発揮すれば、大貴族にもなれる。今後のルシタニアは、そうあるべきだ」

 仮に、最下級は第十五等としよう。ルシタニアに生まれた自由民は、全てこの第十五等の爵位を得る。そこからは実力次第だ。例えば兵役を務め切れば、二等上がる。軍で抜群の功績を立てるごとに、一等上がる。

 もちろん文官にも評価基準を設けるし、国家の慶事の際に与える場合もある。あとは親の爵位によって最初に与えられる爵位に差を設けるなどといった制度も考えねばならないだろう。

 

「これは明確な基準を設け、権力者の恣意で行えないようにしなくてはならぬ。有能はどんどん上に、無能はどんどん下に行く」

 そして爵位の上昇は官職に連動する。例えば大臣になるには第五等以上の爵位が必要、という具合だ。また任官は、爵位が上の方が優先される。もちろん、上級の爵位になれば領地を授けることは、今と変わらない。

 ここで大事なのは、降格も当たり前である、ということだ。今までのルシタニアは生まれですべてが決まった。よほどのことがない限り、貴族に生まれれば貴族として終わる。

「実力もない、堕落した、血胤だけを誇るしかないような奴がのうのうと生きていける時代は終わったのだ。これからは真に実力のある者が評価され、国を動かすことになるだろう」

「はあ………」

 オルガスの理解力が及ばなくなってきた。実務家として優秀ではあるのだが、やはり国家百年の計を図る相手としては物足りない。

 

「並行して、農奴や奴隷解放の制度も考えるぞ。まず地代(小作料)に制限を設け、彼らの生活を安定させる。そして一定額の金銭を国家に収めれば、その身分から解放するのだ」

 イアルダボート教において、奴隷制度は禁止されている。それは事実だが、イアルダボート教の教えが有効なのは信者に対してだけだ。つまり、異教徒なら奴隷にしてもいいのである。

 そしてイアルダボート教にしても、その土地の所有者に使役される小作人、すなわち農奴は禁止していない。後世の道徳観で比較すれば、奴隷と農奴の差は言い方が違うだけである。

 現状では、一度奴隷なり農奴まで落ちたらまず這い上がることはできない。パルスでさえ、奴隷から解放されるにはよほどの能力と運に恵まれねば難しかった。簡単に言えば、主人に目を掛けられることである。

「奴隷制度を廃止するのは政治ではない。それはただの憐憫だ。自分は情け深い存在だと陶酔しているに過ぎん」

 アルスラーンがまさにそれを考えていると知ったら、ギスカールもセイリオスも大笑いするだろう。奴隷を廃止する。人道的に、全く正しい行いであるのは疑いようがない。

 だが、それによって損をするのは誰なのか。アルスラーンは単純に奴隷を所有する裕福層だと思っている。それが間違いなのである。本当に損をするのは、自由民(アーザート)の、それも下層に位置する人たちだ。

 

 奴隷という身分を廃しても、奴隷が行っていた仕事がなくなるわけではない。当然、誰かがそれをやらねばならない。しかし強制されることのなくなった奴隷たちは、より良い職場を求めるだろう。

 結果として、元奴隷と下層自由民の間で、仕事の取り合いになる。それに負けてあぶれた者が、貧困層を形成して奴隷がいなくなった穴を埋めることになる。元奴隷の仕事だ。待遇がいいはずがない。

 一方で、勝った解放奴隷たちも決していい思いをするばかりではない。まず間違いなく、それまでの自由民より安い賃金で雇用される。労働力が一気に溢れるのだから、嫌なら他の奴を雇うと言われるだけだ。

 

 荒れ地に入植させるにしても、農業に携わる自由民はどう思うだろうか。自分たちが独力で苦労して行ってきたことを、国家の保護の元でやっているのである。不満に思わないはずがない。

 それに農作物が過剰になれば、値崩れを起こすのは当然のこと。そして奴隷がいなくなった都市部では、労働力が不足する……。

 なお、すでにエクバターナには、その弊害が現れていた。入植先のマルヤムで値崩れを起こすほどではないが、エクバターナの労働力は不足していた。これもまた、エクバターナを保持できない理由であった。

「故に、奴隷なり農奴身分に落ちても、そこから抜け出す道を作る。それが政治の役割である。解放され自由民になった者には、一定条件をクリアすれば爵位を与える。あとの出世はその者次第だ」

 奴隷でさえ、才覚次第では貴族にもなれる国。あくまで理論上であり、現実には難しいだろう。だが、夢見ることはできる。子孫に夢を託すこともできる。ギスカールの語る未来像を、オルガスは無言で聞いていた。

 

 ただ、一つだけ大きな問題があった。国王の立場だ。実力で評価される時代となれば、イノケンティス王は統治者として失格とする以外にない。だが、廃位という手段は悪手だ。

(臣下が王を廃位できる、としてしまうと、必ずや禍根となる)

 いつか必ず、簒奪を目論む輩が現れる。未来の野心家に道を開いてやっただけの馬鹿な政治家として名を残すのは、真っ平だった。王家の権威は不可侵であると確立しなければならない。

「………」

 ふと、苦笑いした。つい先日まで、その簒奪者になろうとしていた自分であったはずだ。セイリオスが賛同していたら、躊躇なく立ったであろう。

 変わったな、と実感する。ルシタニアも、自分もである。

 

「そろそろ時間か。……兄者ではどうにもならんから、俺が行かなくてはならん」

 この程度のことで面倒くさい、と思いながら、ギスカールは腰を上げた。この時、ミスル国のさらに南方、ナバタイ国から使者が来ていたのである。

 ヒルティゴがシャガードという商人と結託し、ギランの港を制圧した。それによって海の道で繋がることとなったナバタイとしては、ひとまず様子伺いでもしておこうというところであろう。

「ヒルティゴは俺たちに金貨を貢いでいれば、それでいい。…ナバタイか。海の向こうまでわざわざ出向くことはないだろうが、来た者は追い返すまでもない。適当に礼の品でも与えてやればいい」

 ギスカールはこれまでと変わらぬ通商を約束し、使者には礼を持って遇した。双方が贈り物を交換し、友好的に終わったことを喜んで帰すだけのはずだった。

 献上品の中に、一人の少女がいた。その少女は見事な細工が施された銀の腕輪を身に着けていたが、ギスカールは気にも留めなかった。

 

 

「アルスラーンは、誰の種だ」

 蝋のような横顔に、ヒルメスは言葉を叩きつけた。魔性の美というものであろう。16年前の、ヒルメスの記憶にある横顔と、何も変わっていない。

「………」

 タハミーネは無言のまま。もっとも、ヒルメスとてあっさり答えてくれるとは思っていない。アンドラゴラスよりかは与しやすい、と思っているだけだ。

 

「…答えぬか。…では、貴様の子について、何も知りたくないということでよいな」

 確証など全くない、山勘である。だが見事に当たった。タハミーネは慌ててヒルメスの方を振り向き、すぐ罠だと気付いて逆を向いた。図星だと白状したのと同義である。

「やはりそうか。アルスラーンは、貴様の子の代品ということか」

 タハミーネは何も答えないが、肩が震えている。アルスラーンがパルス王家の血を引かない可能性。両親から愛されていなかったという噂。似ていない容姿。様々なことから、導き出された仮説の一つである。

 何らかの理由で、アルスラーンとタハミーネの本当の子が取り換えられた。バフマンはそれを知っており、動揺の中でつい口走ってしまったということだ。

 

「勘違いするな。俺はアンドラゴラスが憎いだけで、その妃個人には何の思いもない。……むしろ、そういう事情なら味方にもなる存在だ」

 タハミーネの本当の子を探し出す。アルスラーンの正統性を否定する、この上ない政略の道具だ。ルシタニアも喜んで協力してくれるだろう。

「………わたくしの子は、女の子でした。わたくしにとって、たった一人の子でした」

 アンドラゴラスとタハミーネの間には、確かに子が産まれた。だがその子は女子だった。パルス王家では、女子は継承権を認められない。

 その出産でタハミーネは身体を害い、二度と子を望めぬ身になった。アンドラゴラスは彼女の立場を守るため、どうしても男子を必要としたのである。

 聞きたいことを聞き終えたヒルメスは、すぐさま次へ向かった。視界から消えた先でにやりと笑った表情の邪悪さを、タハミーネが知ることはない。

 

 

「……銀の腕輪、のう。ここしばらく顔を見せなんだと思っておったら、手土産はパルスの宮中で拾った噂話とな」

 嘲るように、老人らしい口調を使う男が言う。外見から歳を判断すれば、ヒルメスとさほど変わるところはない。だがそれが、まさに上面だけのものであることを、ヒルメスは知っている。

 エクバターナの王宮の、地下である。『尊師』と呼ばれる魔導士と、7人の弟子のねぐらであった。ヒルメスにとっては知己であり、間柄は同盟関係にある相手というのが近い。

「アルスラーンはタハミーネの子ではない。本当の子は女子で、生まれてすぐ神殿に捨てられた。その際、銀の腕輪が添えられたそうだ」

 ヒルメスは、タハミーネから聞き出した話を隠さず伝えた。それを探してほしい、というのが、この男に対する依頼である。

 

「自慢の魔導の中に、そのくらい容易く片付ける力はないのか?」

「……やれやれ、勘違いしているのではないかと思うが、わしは何でも屋ではないぞ。アトロパテネは、それができるから引き受けたのじゃ」

 アトロパテネ会戦にて、カーラーンの裏切りと並ぶルシタニアの勝因が濃霧であった。前線どころか目の前ですら何が起きているか判らないほど濃い霧がなければ、パルス軍が罠にかかることはなかったであろう。

 だが、パルスの気候からすると、あれほどの濃霧は滅多にない。数年に一度もあるかどうかである。それが、あの日は図ったように起きた。その理由は、ここにあった。

 

「まあ良い。なかなか面白い話であるが故に、助言ぐらいはしてやろう。アルスラーンと取り換えられたということは、その子は現在15歳程度、ということじゃな」

 笑いを堪えているように言う。真面目な話をしているのだが、とヒルメスは不快を覚えたが、事情を聞いたらその態度も納得である。

「つい先ほど、ナバタイからの使者が献上していった贈り物の中に、そのような少女がいたという話じゃ」

 なるほど、そういうことであれば笑い出したくもなるだろう。自分も失笑したくなるのを堪えながら、ヒルメスは急いで階段を駆け上がった。

 

「…ふむ、アルスラーンの秘密を知ったか。自分の事は知らぬくせに、いい気なものじゃて」

 ヒルメスが置いていった金貨を無造作に引き出しに投げ込み、今度は隠す様子もなく嘲った。まだ、金目的だと思わせておいていい。利用価値はまだある。

「尊師…」

 闇の中から、控えめな声がした。不満と言えるほどではないが、弟子たちが疑念を抱いているのは判っていた。このところ、自分たちは情勢を傍観しているだけである。何故、動かないのか。

「…正直に言おう。ルシタニアが、ここまでやるとは夢にも思わなんだ。まあ、悪いことではない。パルスをさらなる混沌に陥れてくれるのだからな」

 ルシタニアが勝って、パルスを完全に制圧してしまうのは少々困る。やることは変わりないのだが、どうにも気分が乗らない。相手にしたいのはパルスであってルシタニアではないのだ。

 

 そんな思惑と、さらなる混沌を求め、弟子の一人にルシタニアの大物を一人殺させてみた。その犠牲となったのがペデラウス伯だったが、狙いは大きく外れ、ルシタニアはまるで別の国へと生まれ変わってしまった。

 だが、そのルシタニア首脳部に「エクバターナ放棄の意思がある」と知ってから、『尊師』と呼ばれる男は傍観を決め込むようになった。

「望ましい方に向かっているのであれば、手を出すまでもなかろう。『蛇王』様の復活までは、もう少し時間が必要。奴らは、我らのためにその時間を作ってくれるのじゃからな」

 すべては、パルスをあるべき姿に返すために。『尊師』は小さく笑った。

 




先に釈明しておきますが、アクレイアの籠城戦について原作は「2年」としていますが、これは明らかに不自然なのでこの話では「半年ぐらい」になってます。

以下理由。
1.原作でも「ルシタニア軍はマルヤム大半を1か月で制圧」とある(光文社文庫4巻「汗血公路」の69P)
2.イリーナ王女がアクレイアから逃れてダイラムに逃れ着いたのが321年の4月末
3.となると「2年籠城」の記述に従うと、ルシタニア=マルヤム開戦は319年の春あたりとなり、アトロパテネの1年半ほど前
4.つまり
 ・マルヤムは1年半も籠城しながらパルスに援軍を求めなかった
 ・パルスは友邦が滅亡したのに1年半も無為無策でいた
 となります。
 一応考えてみましたが
 ・大軍の編成に手間取った→いくら何でも1年も手間取るわけがない
 ・他に戦争中で余裕がない→年表を見てみると5年前の3国侵攻以来記述無し
 ・アンドラゴラスが余裕ぶっかまして放置→パルスに侵攻してきたときは国境で迎え撃っている(=マルヤムからパルスに向かった敵軍の動きを掴んでいる)
 ・カーラーンの情報封鎖→商人なり何なり、他の情報源まで防ぐのは無理
 と理由になりそうなことは思いつかず、設定ミスとしか思えませんでした。

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