ルシタニアの三弟   作:蘭陵

15 / 55
15.銀の腕輪

 フィトナという少女は、冷酷に自分の存在を計算していた。彼女の目的はただ一つ、 自分の幸福を自分の力で手にしたい、というだけである。

 彼女は実の両親を知らない。養父母はそれなりに裕福な商人で、彼女を慈しんでくれたから、別に気にすることもなく幸福に生きてきた。それが崩れたのは、商船が難破して、家が破産してしまってからである。

 別に、養父母がフィトナに辛く当たるようになったわけではない。借金に追われているということもなく、三人でつましい生活を送るだけなら何とかなったであろう。

 しかし、養父母はかつての栄華を忘れらなかったようだ。残された唯一の財産と言っていい、美貌の養女を有力者に嫁入りさせ、それで自分たちも復活しようと考えたのである。

 

「女の幸福は男次第だよ」

 養母はそう口にした。彼女は少し違う考えを持った。男次第だと言うのなら、男を視る自分の眼次第ではないか、と。

 その眼から見て、ナバタイにはそれにふさわしい男はいなかった。あのパルスを崩壊させたと、ルシタニアの名を知り、そこに潜り込んでみることにした。気に入らなければ、逃げ出す機もあるだろう。

 なお、その時の身代は、全て養父母に渡した。商いの元手としては充分な額のはずである。

「三人…」

 前々から拾い集めた噂で、ルシタニア内での力関係は大まかに理解していた。その中で考えると、彼女が合格点を与えていいと思えるのは三人に絞られる。

 

 一人目はギスカールである。影の国王と言ってもいいこの男の持つ権力は、三人の誰よりも上になる。問題はさすがに年齢が上過ぎる事と、冷酷な狡猾さを持つ男であるということだ。

 政略のためとあらば、即座に捨てられる。あるいは一時の寵愛を得ても、利用価値がないと判断されれば途端に放り出される。そんな危険と隣り合わせというリスクの大きい相手であった。

 

 二人目は銀仮面卿ことヒルメスだ。動きを見るに、どうやらルシタニアの手先で終わる気はさらさらないらしい。虎視眈々と、独立の機を窺っている。人間性から見た場合、最も理想的な相手である。

 しかし、いかんせん彼の持つ力は小さすぎる。軍事に疎いフィトナでも、ルシタニアの力が圧倒的であることくらい理解できた。賭けのリスクは、非常に高い。

 

 そうなると、やはり三人目かと考える。セイリオスである。権力では兄のギスカールに少々劣るが、誠実さは比較にならない。小国でありルシタニアの属国に過ぎないとはいえ一国の主であり、その点も望ましい。

 セイリオスの問題は、その野心がフィトナの望むものとは少々違うということだ。実は三人の中で、彼の野望は最も大きい。それをしっかりフィトナは見抜いていた。

 だが、それが高潔すぎるのである。セイリオスの野心はルシタニアの国王になるなどという低俗なものではない。理想的、模範的な王弟として、清名を千載に残すことである。

 それに寄り添って自分の名も残る、というのは悪くないが、さぞ息苦しい思いをすることだろう。

 

 理想を言うと、ギスカールより誠実で、ヒルメスより実力があり、セイリオスより低俗な男であればいいのだが、そんな男がそう都合よく存在するわけがない。

 さて、どうしようか、と考えていた彼女は、いきなり後宮から呼び出されたのである。正確にはかつてパルスの後宮があった場所で、ルシタニアの物となった今でも主は変わっていない建物から、であるが。

 …彼女の計算に抜け落ちていた要素が一つあった。彼女の理想に合致する『男』はいなかったが、『女』ならいたのである。

 

「そなたについて話を聞きたいのじゃ。歳は?生まれは?両親は何をしているのか?その腕輪は、どうした物じゃ?」

 矢継ぎ早に質問が浴びせかけられる。フィトナは内心唖然としながらも、全ての質問に恭しく答えた。

「歳は15くらいでありましょう。生まれはパルスらしいですが、詳しくは解りません。というのも、私は本当の両親を知らないのです。この腕輪と共に、赤子だった私は捨てられたと聞いております」

 フィトナの一言一言に、タハミーネがいちいち頷く。その姿に、フィトナも事情を察した。

「……お母様、………なのですか?」

 震える声で尋ねる。タハミーネは感極まったのか、フィトナを抱きしめた。

「…で、あって欲しいと思う。フィトナよ、これからは、ずっと傍におるのじゃ。その中で、見極めたいと思う」

 はい、と殊勝げにフィトナは頷く。胸に埋もれた口端がわずかにめくれ上がったことなど、タハミーネが気付くはずもなかった。

「……陛下、ありがとうございます」

 タハミーネが、初めてイノケンティスを真正面に見て言った。その様子を見て、ヒルメスは内心でにやりと笑った。

 

「銀仮面卿よ、此度の事は、エクバターナ陥落に劣らぬ大手柄であるぞ。なんぞ、褒美に欲しいものはないか?」

 ヒルメスはイノケンティスに全てを伝え、フィトナをタハミーネに引き合わせる役を譲ったのである。それでタハミーネは、イノケンティスが探し出してくれたのだと信じ込んだ。

 ヒルメス自身も、そう思うよう差し向けたところがある。タハミーネの好感を得たイノケンティスが舞い上がったのは当然であろう。これまで、何を言おうが素っ気なくされていたのだから。

 

「……だからといって、エクバターナ陥落に劣らぬは言い過ぎだろう」

 ギスカールがそっと弟に囁く。まあ、大手柄なのは間違いない。兄の私的な思いとは別に、アルスラーンの正統性を否定するネタとして、政略的な価値は大きい。何しろ、王妃がそう言うのだから。

 故に、褒賞を与えるのは構わない。しかし、あまり大きすぎるものであっては困る。まったく、そのくらいの配慮はしてほしいものだとギスカールは苦々しく思った。

 

「では、セイリオス殿下にお願いがございます。ヘルマンドス城を攻略するまで、アクターナ軍にペシャワールの軍勢を牽制してもらいたいのです」

「……なんと、そのような事で良いのか?セイリオスよ、頼むぞ」

 何も考えず決めてしまった兄に困ったものだとは思うが、そのような事なのはギスカールも同感である。もはやボダンはおらず、教会の頭は完全に抑えた。軍もモンフェラートとボードワンの二人が纏めている。

 セイリオスがしばらく留守にしたところで、ギスカールの覇権は揺るがない。

「………」

 弟もこちらを見て、わずかに頷いた。軍事上において、心配することなど何もないであろう。たとえ銀仮面とアルスラーンが手を組んだとしても、セイリオスなら何とでもするはずだ。

 

(となると、問題は…)

 あのフィトナという少女を、どう扱うべきか。アルスラーンの正統性を否定する手札としては使える。その後、どうするべきかに名案がない。

 今度の一件で、ギスカールは思わぬ副産物を得た。タハミーネがもう子供を産めない体である、ということだ。

「……諦めぬ。余は決して諦めぬぞ。真のイアルダボートの神ならば、きっと我が望みも叶えてくださろう」

 イノケンティスはまだタハミーネと結婚し、二人の間に生まれる子に王位を継がせたいと考えている。が、もう神頼みしかない、ということは彼も解っているらしい。

 

「……フィトナは、ルシタニア王家の血を一滴たりとも引いておりませぬぞ。それどころか、タハミーネの本当の娘かも定かではないのです。腕輪など、どうとでもなりますからな」

 やんわりと、釘を刺しておいた。タハミーネを喜ばせるために、フィトナを養女にするなどと言い出されたらたまった物ではない。

「ううむ…、やはり、セイリオスと結婚させ、ルシタニアを継がせるというのは難しいかのう?」

 それこそ冗談ではない。まったく、そのくらいの常識は持ち合わせてくれ。そう怒鳴りつけたい思いを堪えながら、ギスカールは断固として大反対した。

 

(セイリオスを養嗣子とするなど、俺の立場を何と考えてやがる)

 国としてはいい。おそらく、ルシタニア史上最も英邁な王を頂くことになるだろう。だが、これまで散々苦労してきた自分を差し置いて弟が王位に就くなど、簡単に納得できるはずないだろうが。

「…………セイリオスもセイリオスだ。シルセスでも誰でも、さっさとくっ付いていればこんなことに思い煩うこともなかったのだ」

 つい、愚痴が声に出た。6歳の時からの付き合いだというのに、二人に男女の関係はない。そのくせ、シルセスに近寄る男がいると激怒するのである。

 

 とある大貴族のドラ息子が彼女に言い寄った時など、最後にはギスカールが出張り調停しなければならなくなった。抜き身の『アステリア』を持った弟は、完全に目が据わっていた。

 兄でなければ、ギスカールでも斬られていたかもしれない。その一件で、理性の箍が外れた時のセイリオスの怖さを知った。その男を諦めさせて何とか収めたが、あと少しで内戦勃発の危機だった。

 ちなみに、そう言うギスカール本人とて正妻を持たず、ルシタニア、マルヤム、パルスと三国の美女をそれぞれ侍らせている。あまり兄弟のことを批難できる立場ではないのだが…。

 

 しかし、何でそんなことを言い出したのかと思ったら、吹き込んだのはタハミーネらしい。どうやら養女として引き取りたいという意向で、パルス王女にふさわしい婿をとねだったとか。

「……まあ、セイリオスは駄目ですが、それなりの貴族をあてがい、嫁入りの世話をしてやるくらいはよいでしょう」

 しょぼくれたイノケンティスを慰めるように、妥協案を出す。養女にしたいと言ったのはタハミーネでも、セイリオスの嫁にと言い出したのはフィトナ本人だろう。そのくらい、ギスカールにはすぐわかる。

(ろくでもない女だ)

 タハミーネの事だけでも頭が痛かったというのに、また厄介者が増えた。どちらも殺すか、と思わないでもないが、発覚した時が怖い。

 タハミーネを殺せば、兄は怒り狂うだろう。その時、セイリオスがどう出るか。弟が自分に付くという確証がない限り、良策とは言えない。早い所誰かに押し付けるのが、一番いい。

 

「………そういえば、本国からの使者も来ていたな」

 これも頭が痛いことである。王族、貴族、重臣たちに40万の軍が遠征に出たルシタニアは、一応10人の貴族と聖職者に摂政会議で国を運営させていたが、1年もせずに底が抜けた。

 些細な意見の対立から派閥抗争に至り、今や何も決められない状況にある。武力衝突の一歩手前に、最後の自制心で「次弟殿下か三弟殿下のお帰りを願おう」と使者を寄越したのである。

「………まったく、ルシタニアに人はいないのか」

 ギスカールがいなければどうにもならない。それがルシタニアの現状なのである。セイリオスの登場で持ち直したが、そうでなければギスカールの心は修復不能なまでに折れていたであろう。

 

「放っておくわけにもいかんが、俺もセイリオスもルシタニアに帰っている暇はさすがに無い。誰かを派遣するしかないのだが…」

 ギスカールが使者として選んだのは、姻戚であるボノリオ公爵であった。権威ある名門の貴族で、王家に対する忠誠心も篤い男である。ただし、才覚の方はこの混乱を裁けるかと考えると疑問符が付く。

「とりあえず王家と教会から正規の代人とする証明書を持たせ、あとは補佐の人材に優秀な奴を入れるしかないだろう」

 その補佐の中に、ギスカールはトゥリヌスという若者を入れることにした。ギスカールにとって母系の縁戚となる。オルガスの後を継ぐ人材として、期待をかけている男だ。

 いずれ、セイリオスが武官を、トゥリヌスが文官を纏める日が来るに違いない。さて、その時のルシタニア王は誰なのか。

「………」

 長生きする程度の努力はしようか。そう、ギスカールは思った。

 

 

「………」

 さすがにギスカールもセイリオスも、単にねだっただけで許してくれることなど無かった。タハミーネは先走り過ぎたと言える。

「……思いもかけない事態ですね」

 パルスの王女。仮ではあるが、フィトナとしてはいい立場を手に入れたと思う。タハミーネはフィトナのことを娘だと『信じたい』のである。大した苦労もなく、彼女の理想の『娘』を演じ続けることができた。

 あとは、自分の立ち回り次第だ。タハミーネを通してイノケンティスを動かせば、ルシタニアの国政に口出しできる。展開によっては、このエクバターナの主になれるかもしれない。

(そうなると―)

 邪魔なのは、アンドラゴラスとアルスラーン。まずはルシタニアの力を使い、この二名を滅ぼす。幸い、タハミーネの愛情は二人より自分に向いている。二人を殺したところで、『娘』の立場は失わない。

 パルスの主になってやろうか。そう思っている自分を、自分らしくないと彼女は思った。




フィトナが早々に登場。パルスのカオス化がさらに進行しました。

なお、この話でのルシタニア、西欧方面の設定。
・地理はほぼ現実と同じ
・ルシタニアの領土はイベリア~フランス南部で西欧一の大国
 首都はフランス南部にある。リヨン辺り?
・アクターナの領土はナポリ~シチリア辺り
・フランス北部~ドイツは群雄割拠で統一政権はない。
 神聖ローマ皇帝ほどの力を持った盟主はなく、いくつかの有力諸侯が小諸侯を従え、争っている状態。
・マルヤムの領土はアナトリア半島。ギリシア方面は別の国。
 そのためコンスタンティノープルは史実ほど発展していない。
・アフリカ方面は小国乱立。西欧の人が知っているのはモロッコ近辺まで
・もちろん新大陸(アメリカ)は未発見

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。