ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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16.カハラノークの戦い

 アクターナ軍、銀仮面卿軍の増援部隊が出陣。それを聞いたカーラーンは方針を一転させた。

 近隣の諸侯を攻略、誘降し、彼の掌握する軍は5万近くにまで膨れ上がっている。その占領地をパルハームに任せ、主力を率いて一路ヘルマンドス城へ向かったのである。

「しかし、ヘルマンドス城の守兵は3万はありましょう。わが軍3万8千に、3万の増援としても、攻略は難しいでしょう」

 参謀の意見にカーラーンも頷く。ヘルマンドス城は旧バダフシャーン防衛の要である。常にシンドゥラと対峙する位置にあったこの地は、ペシャワールに次ぐ東方の重要拠点と言っていい。

 おまけに、ヒルメス軍の練度は低く、3万という数を額面通りに考えることはできない。サームやガルシャースフの元部下、アトロパテネの敗兵も多く加わっているから、全くの新兵という訳ではないが…。

 

「問題は、総督のベフラードだ」

 先代の万騎長の一人である。60を過ぎた老人のはずだが、活力は30代と言ってもいいだろう。アンドラゴラスにも直言を憚らない硬骨漢であるが、誰よりも忠誠心に厚いのもこの男だ。

 彼は先王オスロエス王の急死の際、腹心のヴァフリーズに続いてアンドラゴラス即位に賛同したのだ。それで大勢が決まった。ヒルメスにとってはどれほど憎んでも余りある男の一人である。

 万騎長から外されたのは実力のせいではなく、単にバダフシャーンの軍政を任せる総督として彼以上の人物がいなかったためである。それだけに、カーラーンにすれば厄介だ。

 

 彼も勿論カーラーンを迎撃しようと軍を整えていたのだが、ハサの降伏という夢にも思わなかった事態のため機を失った。そのためバルドゥが陥落し、カーラーンは拠点を得てしまった。

 諸侯の誰が味方で誰が敵かもわからない。それでもベフラードは5万を超える兵力を動員しバルドゥを囲んだが、カーラーンは良く守り、流言をばら撒き、敵を疑心暗鬼に陥れ撤退せざるを得ない状況に持ち込んだ。

 なんとか凌いだというだけの戦であったが、カーラーンの武名は大いに高まった。ベフラードは何もかも気に入らないことであろう。

 

(さて、ベフラードはどこまで読んでいるか)

 3万8千対3万なら、ベフラードが出撃することは充分にあり得る。アンドラゴラスに気に入られた男だけあり、積極攻勢型の猛将なのだ。必ず、敵援軍が到着する前にカーラーン軍を蹴散らそうと考える。

 急がねばならないのは、カーラーンも同じだった。シンドゥラの内戦に介入したアルスラーンのパルス軍は、向かう所敵無しという勢いで進んでいた。その先頭を駆けるのは、黒衣黒馬の騎士である。

(ダリューンめ…)

 かつての同僚は、憎悪の対象になっていた。あの男さえいなければ、アトロパテネの野でアルスラーンも屍を晒していたことだろう。そうなれば、パルスの民はヒルメスを仰ぐ他なかったのだ。

 

「………」

 一歩一歩、荒野の中をヘルマンドス城に向かって進みながら、地形を思い浮かべる。ベフラードが出撃するとしたら、どこに陣を布くか。

(2ファルサング先。カハラノークの丘を越えた地点)

 ヘルマンドス城からはかなり遠い。だが合流される前にカーラーンを叩き、その勢いでヒルメスまで屠ろうと考えるなら、そこが最も有力な選択肢となる。

 小高い丘を越えた先に、続けてもう一つ丘がある。その間は谷間というほどではないが、狭い平地だ。カーラーン軍がその平地に差し掛かったところで、逆落としで一気に攻め寄せる。自分なら、そうする。

「偵騎を出せ」

 三騎一組の小隊を、正面と斜め前の三方向に出す。ベフラード軍の影はつかめない。問題の丘の先にも、ベフラード軍の姿はないという。そうなると、ベフラードにしては珍しく自重したのだろうか。

 

「愚将ではない奴の事ゆえ、考えられないことはないが…」

 彼にしたら、いかにも似つかわしくない行動だ。カーラーンも歴戦の万騎長である。その可能性は考えても、そう決めつけて気を抜くべきではない。全身の感覚が、そう告げている。

 カーラーンは前軍を指揮し進んでいた。その前軍が、一つ目の丘を越す。はっとした。後方。今ベフラードが後方から襲い掛かったら、どうなるか。

 

「後軍に伝令!後方に注意せよ!」

 カーラーンの旧部下、すなわちこの軍の精鋭は前軍を形成している。後軍は諸侯の兵だ。カーラーン軍も、内実はヒルメス軍を嗤えない貧弱さなのである。勢いに乗っているうちはいいが、一度崩れたら立て直せない。

 軍を止めた。カーラーンが伝令を発してしばらくして、後軍から敵軍を発見したという報告が入る。舌打ちした。伝令が間に合ったとしても、しっかりした陣を布けたか、どうか。

 

「前軍、反転!」

 前軍が旋回し、下ってきた丘を駆け上がる。後軍が、耐えてさえくれれば。ベフラード軍はおよそ3万。カーラーンの前軍2万弱が駆け付ければ、充分盛り返せる。

 だが、ベフラードの猛攻はカーラーンの予想を超えていた。先の戦の屈辱を晴らそうと、騎兵の先頭を駆け突っ込んできたのである。この気迫に、後軍はあっという間に崩れた。

「駆け下れ!!!」

 丘の上からの、逆落とし。単純だが勢いに乗れば破壊力がある。それに対しベフラードは、なんと臆することなく丘を駆け上がってきた。

 

 激戦となった。逆落としの勢いに乗ったはずのカーラーン軍の方が、劣勢である。ベフラードの狙いは極端な短期決戦。後軍を叩き潰した勢いをそのまま、カーラーンにぶつけてきた。

 不意に、正面の圧力が弱まった。潰走したはずの後軍の一部が、ベフラード軍の側面を突いたのである。およそ3千。これが、挽回の最後の機だ。

「突撃せよ!」

 自ら槍を振るい、敵陣に切り込んだ。ベフラード。憎悪に燃えた目と向かい合う。主将同士が馳せ違った。槍にわずかな手ごたえ。浅い。二度目はなかった。敵と味方の波に、遮られる。

 ベフラード軍はまだ崩れない。あと一息。どちらも、余裕などない。この突撃を凌がれれば、体力の尽きたカーラーン軍の方が崩壊する。

 

 砂塵が見えた。

「新手だ!」

 誰かが叫んだ。先頭に騎馬隊、後方に歩兵隊。パルス旗。だが銀の仮面が、遠目にはっきり見えた。対しベフラード軍はこの新手が敵か味方か、まだ判別付かないでいる。

「援軍だ!勝ったぞ!!!!」

 思わず叫んだ。総大将の言葉に励まされた兵たちが、最後の力を振り絞る。そして後方から、ヒルメスの騎馬隊の突撃。判別に迷った時間が、勝敗を分けた。

 ベフラード軍が、ついに潰走を始めた。

 

「追い撃て!一人たりともヘルマンドス城まで帰すな!!!」

 カーラーンも自軍が限界に近いということは判っている。が、敵にヘルマンドス城にたどり着かれたら、この勝利は何の価値もないものとなる。疲労を感じさせる暇もないほど、兵を追い立てた。

 だが、潰走してもベフラードの勇猛さが消えたわけではない。主将自らが殿軍となり、ヒルメス・カーラーン軍に痛打を与え続けていた。

「……どこまでも、この俺の邪魔をするか」

 ぎりと奥歯を鳴らしたヒルメスが、馬腹を蹴った。近習の数十騎が慌ててそれに続く。それにいち早く気付いたザンデが、数百騎で追い駆けた。

 

「殿下を討たすな!!!!」

 勇猛無比、陣頭に立ち敵に臆することなく戦場を駆ける勇姿は、確かにヒルメスの美点である。が、同時に欠点でもある。ザンデからしたら、毎度毎度背筋が凍る思いをさせられる。

 ヒルメスはたちまち二人の敵兵を槍先に掛け、三人目の体を貫いた。その凄まじさにわずかにたじろいだ敵兵に向かい、槍を棄て剣を抜いて斬り込んだ。

 そこに近習が突っ込み、さらにザンデの騎馬隊が続く。ヒルメスはまだ馬腹を緩めない。後方を振り返ることもせず、ひたすらベフラードに向かい直進する。

 

「どけぃ!パルス国王(シャーオ)の道を塞ぐな!!!」

 この声に一瞬、敵兵の槍の動きが止まった。我に返ったように突き出された槍の柄を、ヒルメスは剣で両断した。次の兵士は、兜ごと頭蓋をたたき割った。

 ザンデが追いついた。ヒルメスの前に出ようと必死で馬を駆る。それを見たヒルメスが、さらに前に出ようと馬を急がせる。

 ベフラードもこの猛火のような小部隊に気付いた。旗下の騎馬隊を駆り、ヒルメスと正対する。およそ五百騎。

 

「邪魔をするなぁ!!!」

 腹の底から叫んだ。16年前、アンドラゴラスの即位に真っ先に賛同した男。何故、俺を認めなかった。何故、今も俺の邪魔をする。

 雄叫び。叫びながら、馳せ違う。馬の手綱も手放し、両手で剣を握った。戦場の喧騒が消えた。ベフラードの剣先だけが、意識の中にある。

 剣に手ごたえを感じた時、馬蹄の音が戻ってきた。背後で、どさりと何かが地面に落下する音。剣を握ったままの、ベフラードの右腕だ。

 ヒルメスの剣は彼の右腕から体まで深々と切り裂いた。致命傷であることは疑いない。ヒルメスの体に、傷はない。

 

「見事」

 静まり返った戦場に、ベフラードの声が響いた。残された左手で、短剣を抜く。それを首筋に当て、一気に引いた。鮮血が飛び散り、ベフラードの体が馬上から崩れ落ちた。

 アンドラゴラスの忠臣だった男は、忠臣として死ぬことを選んだ。だがその死体に馬を寄せたヒルメスは、一瞥して言い捨てた。

「…貴様は国王(シャーオ)にではなく、パルスという国に忠誠を尽くすべきだった」

 この言葉は、意図せずに彼の部下たちを救った。国王に対する背信を、国家への忠誠と置き換えたのだ。

 

 総大将の死で、ベフラード軍の戦意は完全に潰えた。3万弱のベフラード軍の内、戦死3千、降伏8千。残りは逃げ散り、ヘルマンドス城まで落ち延びたのはせいぜい1万だろう。

 だがカーラーン軍も2千近い死者を出した。ヒルメスの援軍が間に合わなかったら、確実に負けていたところである。仕方ないと言えば仕方ないのだが、練度の不足を再認識させられる戦いとなった。

「休息ののち、ヘルマンドス城へ向かう」

 ヒルメス軍の接近はベフラードも掴んでいたはずだ。その予想を超えた速さで駆けてきたからこそ、彼は迷ったのだ。通常なら、ヒルメス軍はまだ1日ほど後方にいたはずである。

 勿論、その差を詰めるには強行軍を行うしかない。昨晩、ほとんど寝ずに駆けてきたのである。ヒルメス軍ももはや限界だった。勝った安堵で、脱力して座り込んだ兵が多い。休息は事後追認でしかなかった。

 

「すべては、ヘルマンドス城を落としてからにいたしましょう」

 サームが言う。パルスの正統な王の軍が、この体たらく。指示の前に座り込んだ兵をどう罰しようかと考えていたのである。その内心を読まれて言われると、ヒルメスも我を押し通すのは憚られた。

「わかっている。ヘルマンドス城を落としたら、一から訓練のやり直しだ。……ただ、注意はしておけ」

 サームが膝を付いて礼を示す。ヒルメスは決して暗愚ではない。自分の正義を疑わない偏屈なところはあるが、理を説いてわからない人ではなかった。

 

「よく来てくれた、サームよ」

 カーラーンが、いかにもほっとしたという表情と声音で話しかけてきた。今回の事だけではない。サームがヒルメスに従ってくれたおかげで、彼の苦労は半減するはずだ。

「うむ」

 おぬしと共に、また轡を並べて戦える。そう喜ぶカーラーンに、サームは内心曖昧に頷く。もちろん、表情には一切表さない。

 

「……カーラーンよ、殿下の事、どう思う?」

 どう、というのは、パルスの王としてどう、という意味である。軍人、あるいは武人としてはアンドラゴラス王を凌駕するやもしれず、王の器量は明らかに上。それがカーラーンの答えである。

「11歳だったから、周囲が理解していなかったのも仕方ないことではあるが…。殿下があと10歳年長であったならば、アンドラゴラスが王位に就く必要などなかった」

 16年前、万騎長になったばかりのカーラーンに、軍部を主導する力など無かった。ヴァフリーズ、ベフラードらアンドラゴラス奉戴派が主流となり、それに流されてしまった。苦い悔恨として、今も胸の中にある。

 

「………アンドラゴラス王より上、か」

 サームには、そこまで明確な思いはない。16年前と言えば、一騎士として戦場を駆け、ようやく勇名が知られるようになったころである。

 それから彼は実力を認められ、騎兵長を始めとし、ついには万騎長にまで昇進した。アンドラゴラスに認められてのことである。アンドラゴラス王は、軍人を見抜く目は持っていたのだ。

 だからサームは、アンドラゴラス王への忠誠を棄ててない。ヒルメスに対する思いも、カーラーンやザンデとは温度差がある。ヒルメスは、それに気付いているのだろうか。

 

 休息と再編ののち、ヘルマンドス城に向かう。ようやくここまで来たが、これはまだ始まりの第一歩に過ぎない。ヘルマンドス城を落としたら、次はパルス再統一の戦となる。

 




カーラーン大活躍の今回。敵のベフラードは「いくらペシャワールがあるからとて、バダフシャーンが無防備のはずがない」という思いで作りました。

一応、原作との辻褄を考えるとこんな感じ。
①東方防衛としてアトロパテネには不参加
②アルスラーンには諸手を上げて従う気になれなかったのでルシタニア討伐の檄文には一部の部下を送る
③アンドラゴラス復帰後は参戦したかったがバダフシャーン防衛に残される
 (アルスラーンがいなくなってラジェンドラとの関係が切れたため)
④アルスラーン即位で隠居してしまった偏屈な爺さんが出来上がる

ちなみに、彼もアルスラーンの器量を「知らなかった」一人で、知っていれば国家の元老として活躍したかもしれない…、という存在です。
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