ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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17.ヘルマンドス城の攻防

「ヘルマンドス城は轍鮒の急にある、という状況ですな」

 守兵はカハラノークの敗兵を集めて、およそ1万。敗戦後の事であり、戦意は乏しい。敵軍は6万余。オアシス、というより湖の畔に立つ城は、堅牢ではあっても難攻不落という訳ではない。陥落は必至である。

「イスファーン将軍は半年でも耐えて見せる、と申してましたが、至急の救援をお願いいたします」

 使者も必死だった。ベフラードがいなくなったヘルマンドス城の守兵をまとめたのは、イスファーンという若い将軍である。万騎長シャプールの弟として、ダリューンやナルサスも知らぬ名ではない。

 

「お前でも、救援の目途は立たないのか?」

 ダリューンの問いに、ナルサスは無言で地図に置かれた駒の一つを叩いた。ペシャワールとヘルマンドス城の連携を断つ位置に、その駒はある。

「………恐ろしく邪魔じゃな」

 全員が黙り込む中、ファランギースが呟いた。この駒のおかげで、ペシャワールの守兵は動かせない。下手に動かせば、アクターナ軍がペシャワールを陥落させる。

 アルスラーンの手元にいるのは、シンドゥラ遠征に従った騎兵主体の1万余の兵だけである。これだけで6万余の敵に向かい合うのは、危険が過ぎた。

 

「……寡兵が大兵に勝つのは、天の時、地の利、人の和を全て整え、相手にそれが欠けている場合だけでございます」

 ナルサスが説く。天の時は敵にある。大兵であり、ベフラード軍を大破した勢いに乗っている。地の利も敵にあるだろう。ヘルマンドス城を救援しなくてはならない以上、有利な地に誘い込むことはできない。

 唯一、人の和だけはこちらのものか。将官級なら互角以上、兵の質なら圧倒的に優位だ。だが、それもアクターナ軍が出てくれば、儚く潰える。

 

「この際、ヘルマンドス城は諦めましょう」

 ベフラードが籠城して援軍を待てば、様々な手を打てた。ヒルメスが言った通り、ベフラードはアンドラゴラスに従う男でしかなかった。アルスラーンの真価を知ることなく、彼は旧時代に殉じた。

「友軍を見捨てるというのか?」

 アルスラーンが咎めるように言う。確かに、最も安全な策ではあろう。しかし、ナルサスの言い分は、ベフラードの自業自得なので放っておけ、と言わんばかりではないか。

「殿下、私は『ヘルマンドス城は諦める』と申し上げましたぞ」

 ナルサスが微笑して言う。アルスラーンを始め一同は少し首を傾げ、真意に思い至ると手を叩いた。

 

 

「軍馬を借りられるだけ、だと?」

 まだ即位式も挙げていないシンドゥラ新王・ラジェンドラ二世は、パルス軍からの今ひとつわからない申し出に首を傾げた。

 馬は10日ほど借りるだけで、すぐ返すと言う。もっとも、全頭無事かはわからないので、多少の損失はご容赦願いたいとのことだ。

 パルス軍が軍事行動を起こすとなれば、ヘルマンドス城の救援しかないだろう。しかし、それなら何故「騎兵」と言わないのか。騎兵を貸そうという申し出は、丁重に断られた。

 

「………まあいい。馬なら分捕ったものがあるだろう」

 およそ5千頭。チャンディガルの会戦で騎手を失ったガーデーヴィ軍の馬を鹵獲したものである。調練も装備も一通り整っているから、要望に応えるには充分だ。

 パルス軍が何をする気なのか疑問だが、彼曰く「俺の即位に少しばかり協力してもらった」礼がこの程度で済めば万々歳である。新国王として、国民にあまり弱腰なところを見せるわけにはいかない。

 

 

「ペシャワールの軍勢は一兵たりとも動かしません。下手に出撃させたりすれば、こちらの意図を読まれてしまいます」

 アクターナ軍が介入する前。機はそれしかない。そのためには、ペシャワールが普段と変わらないことが必要である。出撃などさせれば、何かやろうとしていると教えるようなものだ。

「ヘルマンドス城の攻囲軍は6万。包囲網には必ず穴があります」

 単純計算で、四方を封鎖したとすれば各1万5千。広大なヘルマンドス城を囲むには、充分と言える数ではない。城を囲むような防塁を建造するには、時間が足りないはずだ。

 

 残念ながら、アルスラーン軍にペシャワール城とヘルマンドス城の両方を保持する戦力はない。よしんば今回の敵を退けたとしても、次は耐えきれるか、どうか。

『ヘルマンドス城の放棄』

 ナルサスが考えた策はそれだった。イスファーン将軍と賛同する兵をペシャワールに引き取る。そのために馬が必要だったのだ。

「……意地を見せるというだけだ。策と言えるようなものではない」

 ダリューンにはそう語った。アルスラーン王太子は陥落必至の状況でも味方を見捨ず最善を尽くそうとした、その評判を得るだけの戦に過ぎない。

 

 問題は、ヘルマンドス城に残される民であろう。だが、ナルサスは初期のエクバターナのように悲惨な占領下に置かれないかという懸念を、きっぱりと否定した。

「敵軍がヘルマンドス城の民を虐殺する、ということは考えられません」

「何故そう思う?」

 間髪入れず、ダリューンが詰問する。確かに銀仮面の元にはカーラーンに加えて、サームまでが加わっている。従う兵もパルス人だ。同胞をむやみに殺したりはしないだろう。

 だが、ナルサスの断言にはそれ以上の自信がある。

 

「………申し訳ございません。昨年の暮れから、ずっと隠しておりました。あの銀仮面の男の名はヒルメス。父は先王オスロエス。すなわちアルスラーン殿下の従兄に当たるお方です」

 場がざわめいた。アルスラーンも、全く知らない名ではない。確か父アンドラゴラスの即位の前後、事故によって亡くなったとか……。

「オスロエス王、そしてヒルメス王子。二人とも、その死には不審なところが多く、アンドラゴラス王の関与が疑われました」

 王妃タハミーネを巡る一触即発の兄弟仲、まだ若きオスロエス王の急死、そしてヒルメスの命を奪ったとされた火事。多少なりとも宮廷にかかわりがあれば、誰もが知っている話である。

 

「…………何も、知らなかった。………その話は、本当なのか!?」

「真実を知る者は、アンドラゴラス王だけでしょう。…ですが、問題はそこではありません。ヒルメス王子はそれを真実と思い、パルスの王座を奪還するために動いているということ」

 そのためにルシタニアと手を組んだ。パルスの民衆にとって、最も迷惑の掛かる方法が選ばれた。だがそれ以上に問題なのが…。

「ヒルメス殿下はバダフシャーンの地を制圧して自分の旗を掲げ、殿下もルシタニアも倒す気なのでしょう。……ですが、ルシタニアはそうなるように狙って動いているとしか思えません」

 利用しているようで利用されている。ヒルメスも充分感づいてはいるだろう。だが他に道がない状況に追い込まれているのだ。

 

「……………」

 アクターナ公セイリオス。ルシタニアの三弟の名が、全員の頭に浮かんだ。陰で糸を操っている存在は、この男しかいない。

「ルシタニアの狙いは、おそらくパルスに大打撃を与えた後の撤退」

 ナルサスは看破した。ヒルメスを利用しているのは、パルスに追撃の余裕を与えないため。パルスを分裂させ、混乱の坩堝と化させるため。ヒルメスが王子であろうとなかろうと、どうでもいいのである。

「……他に道がないのは、我らも同じじゃな。パルス復興を掲げる以上、エクバターナはどうしても取り返さねばならん」

 ファランギースの言う通り、戦略上の幅はないと言っていい。空のエクバターナを掴まされるところまで、わかっていながら進むしかない。

 

「そしてエクバターナを取りかえしたところで、次はパルスを割っての内戦だ」

 続けたのはギーヴである。アルスラーン、ヒルメス、そして助け出されたアンドラゴラス王。たとえルシタニアに大勝しても、三者の対立は回避できない。パルスは浮かび上がれない混迷の渦に叩きこまれるだろう。

 ヒルメスを先に倒すというのも難しい。必ずや、ルシタニアが介入してくる。それに、そう簡単につぶされない大きさになるよう、ルシタニアはヒルメスの勢力を育てているのである。

 最後に、ヒルメスと協調してルシタニアと戦うというのは論外だ。可能性があるとしたら彼をパルス王と認める事だけだろうが、これまでアルスラーンに従ってきた者たちが、ヒルメスを主と仰げるはずがない。

「……だからと言って、諦めて何もしなければより悪くなるだけであろう」

 アルスラーンが宣言した。現状で最善の手を探り、ルシタニアの、セイリオスの策略をわずかでも崩す。それを続け、活路を見出すしかない。そのために、今はヘルマンドス城に籠る将兵の救援に向かう。

「従兄殿とは、ルシタニアを駆逐した後で、きちんと話をつけるとしよう」

 

 アルスラーン軍の救援は、ヒルメスたちも予想していた。およそ1万。ペシャワールの軍勢は、アクターナ軍に抑えられて手も足も出せないでいる。

「敵が、まともにぶつかってくるとは思えません。各部隊には土塁を造らせ、防御を固めるべきでしょう」

 サームが提案する。アルスラーン軍の狙いは後方撹乱であろう。土塁と柵で騎馬隊の突撃を封じれば、ただ動き回るしかない。こちらの兵糧はパルハームが送ってくれたものが、二月分はある。

 カーラーンもその意見に賛同した。アクターナ軍の脅威がある以上、アルスラーンが長滞陣することはできない。まずは、ヘルマンドス城を確実に落とすべきである。

 また、仮にアルスラーンが城内に入ることがあれば、その時は塁を繋げてしまえばよい。それで包囲網は完璧なものとなり、兵糧が尽きれば降伏するしかなくなる。

 ザンデはアルスラーン軍との決戦を提案したが、父親にぎろりと睨みつけられて黙り込んだ。

 

「………」

 ヒルメスは即答を躊躇った。この策ではアルスラーンを取り逃がす可能性が高い。形勢不利と見れば、すぐ逃げ去るはずだ。騎兵隊の事ゆえ、逃げ足は速い。

 ヒルメス軍の騎兵隊も、かき集めれば1万以上はいる。だが質という点では、とてもパルス正規軍には敵わない。個々人としてはともかく、部隊としての練度が足らないのである。

 それに、この軍には大きな欠陥がある。カーラーンとサームがそれぞれ兵を集めた結果、両者がそれぞれに軍を持つ、という感じになってしまった。

 解決には一から編成を考え直し、訓練をやり直さなくてはならないだろう。そのためには、ヘルマンドス城という拠点がどうしても必要なのである。

「…ザンデの意気や良し。だが今は損害を抑え、バダフシャーンの平定を急ぐべきであろう」

 敵はアルスラーンだけではない。アルスラーンを討ち果たしたものの大損害を出し、ヘルマンドス城を落とせず終わるのが最悪のパターンである。ルシタニアが喜ぶだけだ。

 

 ヒルメスはザンデを伴い、城の東に陣取った。アルスラーンが攻めてくるとしたら、まず東からである。ここに陣取ったのは、彼がアルスラーンの首に幾分か後ろ髪を引かれていたという証明であろう。

 カーラーンは北、サームは西である。東西のどちらかが攻められれば、すぐさまカーラーンが動く。攻められてない方は城を牽制する。北のカーラーンが攻められた場合は、ヒルメスが救援する。

 だがアルスラーン軍が接近するや、ヘルマンドス城内のイスファーンは城門を開き、大兵力で討って出た。カーラーンとヒルメスの、陣の間に向けて。

 

「何だと!?」

 イスファーンが、全軍出撃。ヒルメスの下に入った一報はそれであった。1万ほどの集団。だがよく見れば、その中に女子供まで混じっている。しかも、進んでいる先は包囲網の切れ目だ。

 イスファーンの集団は、アルスラーン軍にたどり着いたものから馬に乗って駆け去る。ここまでくれば、狙いが何かは明白だ。

「騎兵出撃!追撃するぞ!!!」

 慌ただしく、ヒルメスは麾下の騎兵を出撃させようとした。およそ3千騎。歩兵を伴っては追いつけない。が…。

 

「お待ちください、敵は1万騎です。我が方3千騎のみでは、勝ち目はありません」

 止めたのは千騎兵のナセリという男である。そのナセリに、ヒルメスは燃え上がるような憤怒の眼差しを向けた。半ば無意識に、剣の柄に手を掛ける。さすがに抜きはしなかったが…。

「………」

 ナセリはサーム麾下の千騎長だった男である。ヒルメスの眼差しにも臆さず、黙って頭を下げた。

「カーラーンにも騎兵を出撃させるよう、伝令を出せ!至急だ!!!」

 最後は八つ当たりに近い怒号であった。その声に弾かれたように、慌てて伝令が飛んでいく。カーラーンの騎兵は5千近い。合わせれば充分戦える、と読んだ。

 




ようやくアルスラーンに原作と違う動きをさせることができました。
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