「シンドゥラまで、駆け通すぞ!」
ここは、馬を潰すのも覚悟である。カーヴェリー河を越えさえすれば、追撃も止まる。ヒルメスもセイリオスも、シンドゥラと火種を抱えるのは避けたいはずだ。
とはいえ、馬を潰し過ぎれば結果的に歩みは遅くなる。その呼吸は、イスファーンも心得ているはずだ。アルスラーン軍の役割は、追撃してくるヒルメス軍を叩くことである。
「
アルスラーンの号令に応え、ギーヴが先頭を駆けた。1万騎が、一頭の獣のように駆ける。ヒルメスの3千騎は、それだけで気を呑まれた。
そこに、カーラーンの5千騎が横合いから突っ掛ける。アルスラーン軍は自ら2つに分かれ、カーラーンを挟撃する態勢を作り上げた。流れるような動きである。
挟撃から、カーラーンが脱出。損害はほぼ出していない。ヒルメスと合わさり8千騎の部隊となる。アルスラーンは5千騎ずつの2部隊という構えを、維持したままだ。
「おのれ…」
小手調べの段階であったが、やはり質の差は大きい、とヒルメスは痛感した。騎馬隊同士の激突は分が悪いと判断するしかない。
イスファーンの部隊はアルスラーンを顧みることなく、大きく先を進んでいる。ただひたすらに、シンドゥラに逃げ込む気だ。アルスラーン軍にとっては、足手まといを切り離した形となっている。
「ヘルマンドス城を、捨ててくるとは」
激情に駆られて出撃してしまったが、その時点でヒルメスの負けであった。敵に翻弄された姿を晒しただけである。それなら出撃させず、悠々かつ堂々とヘルマンドス城を奪取すればよかったのだ。
北に砂塵が見えた。
アルスラーン軍はそれを認めると、素早く軍を纏めた。次の行動は攻撃でなく、撤退。ヒルメス軍も無視して、全力で逃げ去ろうとする。その行動の異様さは、すぐヒルメスも気付いた。
「アクターナ軍か…!」
騎兵5千。ヒルメスは援軍の要請など出してない。アルスラーンがシンドゥラで馬を手にしたという報告だけで、セイリオスは騎馬隊の半数を出撃させた。
5千の騎兵が、2隊に分かれた。アルスラーン軍の撤退を妨害するよう動いている。勝手な救援は不本意ながら、ヒルメスも軍を動かした。サーム隊からも騎馬隊が到着し、彼の騎兵は1万を超えている。
「
ヒルメスが叫ぶ。1万騎が砂塵と共に駆ける。騎馬隊としての動きで敵わない以上、狙うは一点突破である。アルスラーンの首を目掛けて、一直線に奔る。
それに対しアルスラーンは再び部隊を二つに分け、ヒルメスの両側を駆け抜けてやり過ごした。ヒルメスは左に大きく旋回し、右の敵を追う。そちらにアルスラーンがいる。
アクターナ軍の2隊はすぐさま合流し、左の敵を追った。こちらの指揮はダリューンである。
「ちっ!」
振り切れない。そう見たダリューンは、ぶつかるしかないと腹をくくった。アクターナ軍と部隊を率いて戦うのはこれが初めてである。
基本は一小隊が100騎、それが必要に応じて集散を繰り返す。押せば流し、油断すればすぐさま固まって突っ込んでくる。誘いの隙は、的確に見抜いていた。
(強い)
トゥラーン騎馬隊以来の難敵と言えた。だが、アクターナ軍の騎兵はトゥラーンの騎兵とは違う。トゥラーン騎兵の強さは個々の武技と馬術によるのに対し、アクターナ軍は騎兵隊としての組織の強さである。
アクターナ軍の指揮官は二人。大剣を振り回す若者と、片手剣を操る少年。二人とも、パルスの万騎長としても恥ずかしくない武技の持ち主、そして、少年の方が主体とダリューンは見た。
再び、アクターナ軍が二つに分かれた。周囲から削るように動き回る。ダリューンは部隊を分割せず、耐える。こちらの隊列に、緩みができた。アクターナ軍の一隊が、突っ込んでくる。
「突っ込め!」
その瞬間、ダリューンは愛馬の馬腹を蹴った。
敵の騎兵が、方向を変えた。ダリューンの突撃を受け流す気だ。だが遅い。狙いは片手剣の少年ただ一人。セイリオスの名が頭をよぎった。ここで討ち取れば、パルスとルシタニアの形勢は一気にひっくり返る。
ダリューンの渾身の一撃を、相手は受け流した。だが不十分で、剣は兜を吹き飛ばした。そこで初めてダリューンは気付く。ショートヘアの金髪。少年のようにも見えるが、明らかに女だった。
きっと睨みつける目を一瞥し、ダリューンはルキアの騎馬隊を突破して駆け去った。
「ルキア!」
動きを止めた同僚の状況を確認するため、クラッドが駆け寄る。ルキアが戦死したわけではないというのが遠目でもわかり、ほっとしたようだった。
「………大丈夫。ちょっときついのを貰って、頭ががんがん鳴ってるだけ」
この間に、ダリューンの騎馬隊は全力で駆けて戦場を脱している。終わったと感じた二人は軍を纏めた。すぐさま犠牲の報告が入る。
ルキア隊の死傷者は141騎に達した。クラッド隊も合わせて、194騎。与えた損害は、せいぜい100騎という所か。本気でぶつかった戦いではなかったが、明らかに負けである。
「……黒衣黒馬の騎士。あれが、噂のダリューンという奴ね」
アトロパテネの戦場を単騎で駆け抜け、アルスラーンを救った騎士。何人もの同胞が彼の剣にかかって果てた。パルス最強の勇士と言われるのも、誇張ではない。
「……それにしても、私たちが負けるなんて」
ホディールの騎兵とはまるで違った。兵の質が一段上だし、何よりダリューンという指揮官を得て持てる力を十全に発揮している。アクターナ軍であっても、騎兵戦に持ち込むのは賭けとなる。
「どうやら向こうも負けたみたいだが、大した損害は出してないみたいだな」
クラッドの視線の先では、ヒルメスの騎馬隊が後退して軍を纏めていた。山間の地に逃げ込んだアルスラーンを追ったヒルメスは伏兵に遭い、矢と岩の雨を浴びて後退せざるを得なかった。
その間に、アルスラーンも駆け去った。ヒルメスは軍を纏め直し再び追ったが、もう追いつけないだろう。敵は目的を果たしたということである。
「ナ~ル~サ~ス~~!!!」
カーヴェリー河を越えたところで、アルスラーン軍に追いつく一団があった。先頭の少女はぶんぶん手を振り、間延びした声で婚約者とした男の名を叫ぶ。
「………」
目を閉じて無言でいたナルサスを、ギーヴが肘で小突く。それでも動こうとしない彼に、今度はアルスラーンが声をかける。
「アルフリードが無事戻ってきたようだ。ナルサス、出迎えてやろう」
主君にこういわれては黙り込んでいるわけにもいかず、仕方なく馬を返した。ゾット族を動かし伏兵とする策は見事に当たったが、その代償は大きなものであった。ナルサス個人にとって、だが。
「新族長、ご命令通り致しましたぜ」
ゾット族はパルス東部から東南部を縄張りとする遊牧の民であるが、時には傭兵となり、時には盗賊ともなる。定住しない彼らを根絶するのは難しく、アンドラゴラスも国軍を使っての討伐には不熱心だった。
そんな法律も軍隊も恐れない彼らを動かすのは、金か族長の命令だけである。幸いなことにアルフリードは族長の娘で、彼女の言うことならまず通る。もちろん、報酬とてしっかり出したが。
………という訳でゾット族を動かすことに問題はなかったのだが、策を授けたナルサスのことを彼女がどう伝えたかは、察するまでもない。「新たな族長の命に従えないのかい!」とでも怒鳴りつけたのだろう。
あいまいな表情で頷くナルサスであったが、救いの手は砂塵とともにやってきた。ダリューンが合流してきたのである。それを認めたナルサスは、慌ててそちらに駆け寄った。
「遅かったな、ダリューン。やはり…」
「ああ、アクターナ軍の強さは、やはりずば抜けている」
パルス国軍の騎馬隊と互角に戦える騎馬隊など、存在するはずがない。多くのパルス国民はそう答えるだろう。トゥラーン騎兵と言えど、組織戦ではパルスに劣る。その常識は、アクターナ軍によって覆された。
今回は勝ったことは勝ったが、わずかな差であった。一つ指揮を誤れば、結果は容易く覆っていたに違いない。
「同数なら、アクターナ軍はパルス国軍でも圧倒する」
ダリューンは断言した。その意味はナルサスもすぐ理解した。歩兵の差である。パルス軍は騎兵が主戦力で、歩兵は奴隷が主体の二次戦力と考えられていた。騎兵は互角でも、歩兵の質は比べ物にならない。
「……それ以上に、これからはアクターナ軍も本気でぶつかってくる。……俺は、そっちの方が怖い」
ナルサスが重々しく言う。今回の衝突は、まだ小手調べの段階でしかない。だがそれにダリューンが勝ったことで、セイリオスはアルスラーンの力を認め、叩き潰すべき敵と認識したはずだ。
もう一つナルサスが恐れるのは、敵軍の諜報力である。こちらがシンドゥラで何をしたかを素早くつかみ、即応してみせた。その早さは、軍師として脅威とする他ない。
「ま、まあ今はナルサスの策が上手くいったことを喜ぼうよ。とりあえず、勝ったんだし」
「……うむ。アルフリードの言う通り、今は喜ぼう。アクターナ軍も鬼神ではない。人知を尽くせば、勝てない相手ではないとダリューンが証明してくれた」
アルフリードの下手な話題逸らしに、真っ先に賛同したのはアルスラーンであった。とにかく今はアクターナ軍を気にするより、イスファーン隊と合流し、彼らをペシャワールに落ち着かせてやらねばならない。
カーヴェリー河からしばらく進むと、そこに3万ほどの軍を見つけた。イスファーン隊だけではない。シンドゥラの旗に、国王旗まで見えた。ラジェンドラ王が、布陣していたのだ。
ヒルメスがカーヴェリー河に着いたのは、アルスラーンがすでに対岸に逃れ去った後であった。
「ちっ!!!」
川岸で軍を止めたヒルメスの下に、使者と思しき数騎がカーヴェリー河を渡ってきた。シンドゥラ旗を掲げている。
「『カーヴェリー河より東はシンドゥラ領である。境を侵すのであれば、シンドゥラ国王・ラジェンドラがお相手いたそう』。…以上が、我が王の言にございます」
自軍は騎兵だけの1万強、敵は3万から4万はいる。アクターナ軍は撤退してしまった。踏み込むのは自滅以外の何でもないだろう。
「……シンドゥラと事を構えるのは、こちらも望まぬこと。むしろ『正統なる』パルスの王として、ラジェンドラ王とは末永い好誼を願いたいものだ」
沸騰する内心を押し隠して言う。ラジェンドラが出張ってきたのは予想外である。アルスラーンとラジェンドラは、そこまで強い結びつきを得ていたのか。そうだとすると、まずそれを切り崩さねばならない。
仔細は後で書状にしたため届けようと言うと、使者は事情は呑み込めないが満足して帰って行った。
「アルスラーン殿、難儀であっただろう」
ラジェンドラがここにいるというのは、アルスラーンにとっても意外だった。ただし他の者に言わせると、「屍肉を漁りに来た禿鷹」という評になる。それでもアルスラーンは、丁重に礼を述べた。
「まったく、水臭いではないか。盟友たるおぬしのためなら、俺は何でもしてやったというのに。勝手なことだが、俺はおぬしを弟のように思っている。困ったことがあれば、何でも言ってくれ」
勝手に思ってろ、そして口にするな、と眉間にしわを寄せて思ったのはダリューンである。アルスラーンは苦笑いを押し隠したような笑みで答えた。ラジェンドラの腹の内は彼も読めているが、どうにも憎めない。
……もっとも、パルスの群臣に悪く思われるのはラジェンドラの自業自得だ。ここまででやめておけば、ラジェンドラも「厚かましいが悪い奴ではない、まあ同盟者として信を置いていい相手だ」と思われただろう。
その夜、パルス軍の宿営地をシンドゥラ軍が襲った。いくらパルス軍と言えど、ヘルマンドス城からの逃避行で疲労困憊のはずであり、今晩はぐっすり眠りこけているに違いないと判断しての急襲である。
といっても、ラジェンドラにアルスラーンを討ち果たすつもりなど無い。今後、パルスの君臣に侮られないためにも、ここで一泡吹かせてやろう。彼にしてみれば、少々辛辣な悪戯のつもりだった。
しかしそれを予測していたナルサスは逆包囲の態勢を整え、準備万端で待ち構えていた。そこに飛び込んだのだからひとたまりもない。
ラジェンドラ王は捕虜となり、散々脅された挙句、3年の停戦を結ばされ金貨5万枚と良馬2千頭を謝礼として支払うことになった。
そしてアルスラーン軍が去ったヘルマンドス城は、城門を開いてヒルメス軍を迎え入れた。住民に対し略奪、虐殺を行わぬこと。それが条件であった。アルスラーンが言い含めていたのだろう。
勿論、ヒルメスはそれを受け入れた。これから本拠となる地で略奪などするのは、馬鹿か蛮族のやることである。部下たちにも遵守するよう、徹底させた。
城内に入ったヒルメスは即刻布告を出した。パルス第18代
―パルス史上において、ヒルメスの存在をどう位置付けるかは、後世の歴史家にとって悩みの種となる。だがこの時、彼の部下たちと一人の女性にとって希望の光であったことは、疑いようがない。
やはりダリューンは強かった。
そして相変わらずのラジェンドラ王…。
キャラとしては非常に好きな奴なんですけど、ルシタニアと絡ませるのが非常に難しいのが残念なところです。