ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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19.亡国の王女

「………そうか、大義だった。席に戻れ」

 クラッドとルキアが頭を垂れながら報告した内容を聞き終え、セイリオスは厳しい表情を崩さずにいた。席に戻れと言われた二人も、悄然として場に戻る。

「殿下、二人の処罰はいかがするつもりですか」

 小競り合いに過ぎなくとも、常勝不敗のアクターナ軍にとって、初めての敗北と言えた。それで平静を失ってないかと、シルセスが試すように口を開く。

 

「何を言っている。今回の敗因は、パルス軍を侮りすぎたことである。敗戦の責は、ここにいる全ての者が負うべきだ。第一に私、その次に参謀たるお前、そして諸将」

 失礼しました、とシルセスが引き下がる。彼女が何でそんな的外れなことを言ってきたのかは、セイリオスにも充分伝わっている。自分に言わせることで、皆が聞きにくいことを言わせたのだ。

 クラッドとルキアの二人。従わせた騎兵は古参の5千騎である。それが1万騎全てを相手にしたのならともかく、同数の5千騎相手に敗北。

 この辺りで、少しばかり叩いておこう。シンドゥラ遠征を予想以上に見事に果たしたアルスラーンに対し、セイリオスはそう思ったのだ。

 

「……アルスラーンは、良い臣下を持っているようだ」

 本気で叩く気があるなら、全軍で向かうべきだった。少なくとも騎兵は全て出すべきだった。それをしなかったのは、騎兵5千で充分と侮っていたからとしか言いようがない。

 改めて、アルスラーンの存在を考える必要がある。ボダンたちの処刑役として残しておいたのは、失敗だったかもしれない。

 ボダンたちはもう放っておいても消滅する。アルスラーンは全力で討ち滅ぼし、傀儡として誰かを擁立するか。それでもパルスの分断はできる。あのフィトナなど、使えそうではあるが…。

(無理だな)

 セイリオスはあっさり諦めた。それをすると、極めて弱体な政権となる。つまりルシタニアが護ってやらねば立ち行かない。それでは何の意味もない。手を引けば、パルスをヒルメスにくれてやるようなものだ。

 となればやはり、アルスラーンの力を弱める方向で行くべきだろう。軍事も謀略も含めた、あらゆる手で。

 

「任務は果たした。撤退する」

 多少のアクシデントはあったとはいえ、ヘルマンドス城はヒルメスの手に落ちた。彼がパルス先王オスロエスの嫡子で、第18代王を僭称したという報告も、続けて入った。

 ヒルメスの正体は、まあ予想の中の一つにあった。王立図書館の中にヒルメスについての記録はあり、生きていたとすれば年齢は合致するしアンドラゴラスに対する憎悪も理解できる。

 彼がアルスラーンと結ぶ可能性は皆無に等しいとはいえ、アクターナ軍の存在は邪魔だろう。アルスラーンにとっては言うまでもない。自分たちは、敵地に孤立していると考えるべきである。

 アクターナ軍はすぐさま北西へ向かい、大陸公路に出ると疾風のごとき速さでエクバターナへ向かって駆けた。その姿を見ていた一行がいたが、彼らは上手く隠れていたため、気付かれることはなかった。

 

 

「行ったぞ」

 二人を除いて、一行の皆がほっと息を突く。マルヤムの内親王と女官、それを護衛する騎士たち、さらにはパルスの元万騎長にゾット族の男という、奇妙な面々であった。

「異様な精鋭だな。あれだけの速さで行軍していたのに、全く乱れない。ダイラムで戦った連中とは、まるで違う」

 ゾット族の青年が言う。軍旗は深緑にルシタニアの紋章。そう聞くと、騎士たちの顔が青ざめた。王家自慢の精鋭が一戦で蹴散らされ、難攻不落と信じていた城がたちまち落ちる。現実で悪夢を見せられた相手だ。

「噂のアクターナ軍という奴だな」

 水代わりに麦酒を飲みながら、動じなかった一人が言う。だがその表情は酒に馴染んだ酔っ払いのものではなく、歴戦の武人のものであった。アトロパテネ会戦以降放浪を続けている、元万騎長のクバードである。

 

「…アクレイアの城も、奴らに落とされた」

 一人の騎士が、ぼそりと呟く。いくら何でも、アクレイアの城を落とせるはずがない。王と王妃のことは痛恨の極みであったが、ここで耐えているうちにパルスの援軍が来れば、マルヤム復興だけは易々と出来よう。

 その楽観はアトロパテネ会戦で崩れ、アクレイア陥落で叩き潰された。アクターナ軍のデューレン相手に半年ほど粘ったというのが、戦果と言えば戦果か。

 かろうじてイリーナ内親王だけ連れてダルバンド内海に逃げ出したものの、櫂の漕ぎ手すらいなかった。何とか帆を張り、風に恵まれてダイラムにたどり着けたのは、幸運だったと言うほかない。

 

 クバードの方は放浪中、奇妙な噂を拾い、ペシャワール城へ向かおうとしていたところだった。アルスラーン王太子の元に、ダリューンとナルサスが仕えているのだと言う。

「………ほほう」

 ダリューンはともかくとして、ナルサスである。自分以上に宮廷勤めなんぞ嫌っていたはずなのが、どういう風の吹き回しであろう。そうしたアルスラーンには、自分が気付かなかった器量があるということなのか。

 クバードも、アルスラーンについては深く知らない。ヴァフリーズから剣の稽古を嫌々受けていた姿を知っているくらいである。パルスの次代は大丈夫なのか、まあ自分の責任ではないが、と思っていたものだ。

 見込み違いなら、また放浪すればいい。とりあえずペシャワールに行ってみようと思ったが、気分と馬の足の向くまま進んでいったところ、ダイラム地方に出てしまったのである。

 

 最後の一人が、メルレインという、いつも不機嫌そうな表情をした若者だ。ゾット族の族長の息子で、妹を探して旅をしている途中であった。妹の名は、アルフリードという。

「昨年の秋、略奪に出た親父が殺された。遺言では妹が婿を迎えて族長になれとあった。妹を探し当てるか、死んだことを確認するまで、新たな族長を決められん」

 人相と違って義理堅い奴だ、とクバードは思った。少し気を悪くすると、ぐいっと唇を引き結ぶのがメルレインの癖である。それがいかにも、不平不満を抱えて謀反でも企んでいるように見えてしまう。

 だが、彼が本当に野心家なら、馬鹿正直に妹を探すことなどせず、自分が新族長を名乗るはずだ。非常時の措置と考えれば、納得する者は多い。妹が生きていたとしても、それまでに一族を掌握すればいい。

 それはともかくとして、妹を探しにダイラム地方を訪れた。それだけだったのにこんな一行の仲間になるとは、夢にも思ってなかったに違いない。

 

 三様の理由が偶然重なったが、すれ違うだけのはずだった三者を繋げたのは、ルシタニア軍の襲撃だった。かつてギスカールからダイラム地方の切り取り勝手を約束された、ルトルド侯爵の手勢である。

 ルトルド侯爵は喜び勇んでエクバターナから出陣したものの、その後すぐギスカールとボダンの衝突の噂を聞いて軍を止めた。ひとまず敗走してきたボダン軍に合流したが、蜜月は非常に短かった。

 当初は、ルトルド侯爵の合流をボダンも心から喜んだ。「神の尖兵」などと持ち上げられていい気分でいたが、すぐに何に対しても神の名を持ち出して命令してくるボダンに愛想が尽きた。

「……ギスカールはよくあんな輩と一緒で、ここまでルシタニアを興隆させられたものだ」

 聖マヌエル城を出奔した時、彼は心底からギスカールを称賛した。といって、降人として頭を下げる気にはなれない。考えた末、当初の予定通りダイラム地方を制圧することにしたのである。

 

「ダイラムで自立しよう。豊かな地方であると聞くし、ギスカールも認めたことだ。その後、俺の地位を認めさせてやる」

 ヒルティゴがパルス南西部の王となりつつあるなら、俺は北東部の王となってやろう。幸い、ボダンと違ってギスカールとの関係は完全に断たれたわけではないから、交渉の余地はある。

 ルシタニア屈指の大貴族であった彼の手勢は、与党も含めておよそ1万。ダイラム地方にパルス軍はいないと言われているが、念のため先遣隊を派遣した。その間、彼は軍を止めた。それが運の尽きとなる。

 聖マヌエル城からダイラムへ向かうのに、彼は山越えの道を選んだ。パルス人なら赤子でもない限りだれもが名を知る、デマヴァント山の近くを通ったのである。

 3月28日、パルス国の東部一帯を、20年ぶりと言われる大地震が襲った。震源地であったデマヴァント山では特に被害が大きく、落石や崖崩れで山容が変わるほどであった。

 しかし、いくら大きな地震とはいえ、生存者が一人もいないというのはありえない。それなのにルトルド侯爵の軍勢は、忽然と姿を消した。先遣隊の300騎を除き、誰一人としてダイラムにたどり着けなかった。

 

 一方、そのルトルド侯爵の先遣隊を全滅させたクバードたちは、山岳地帯を大きく迂回してペシャワール城を目指すことにした。偵察に出ても本隊の姿が全く見えず、ひとまず安全だと判断したのである。

「目の見えないお姫様が、あんな大地震があった後の山道を歩けるはずないだろ」

 そう言って真っ先に山越えの道に反対したのは、メルレインであった。イリーナ内親王は生まれつき目が見えない。足手まといになるのは目に見えている。遠回りでも、平野を行った方がいい。

 イリーナ内親王個人としては、アルスラーンではなくヒルメスを頼りたかった。ヒルメスは亡命中、マルヤムに滞在してイリーナの知己を得た。それだけでなく、どうやら二人とも思うものがあったらしい。

 しかし、ヒルメスの行方を知る者は誰もいない。当てもなく流浪を続けるのは危険すぎる。マルヤム復興のためには力が必要だ。次善の策として、やむなくアルスラーンに協力を求めることにしたのだ。

 

「この先にルシタニアの城がある。内紛で負けた連中が流れ着いたという噂だ。南に下がり、バダフシャーンを抜けていった方がいいだろう。それなら、ゾット族の援助も受けられる」

 目的地が一緒では捨てていくわけにもいかず、渋々行動を共にしているクバードとは違い、メルレインは無愛想ながら案内役としての任を果たす。現状、旅路を裁量しているのは彼であった。

「………」

 クバードもマルヤムの騎士たちも何も言わないが、すぐ気付いた。どうやらメルレインは繊細でおしとやかな女性が好みらしい。ゾット族なら女も荒くれぞろいだろうから、その反動だろうかと同情しないでもない。

 

「確か、ルシタニアの王と大司教が争い、大司教が負けたという話だったな。大陸公路の真ん中に居座り、通りかかる者や近くの村を見境なく襲うという話だから、見下げ果てた奴らだ」

 ゾット族も同じようなものだろう、と言われたら、メルレインは激怒していただろう。ゾット族は剽窃するし、必要があれば殺人も行うが、決して好んで人を殺すわけではない。

「………」

 急に黙り込んだメルレインに、どうしたとクバードが声をかけた。何でもないとだけ、メルレインは答えた。もう一つ、吐き気のする噂があるが、それはわざわざ言わずともいい。

 とにかくアクターナ軍をやり過ごした一行は、さらに南に向かった。安全を考えれば、遠回りをするのも仕方ない。

 だがその途中で、ヒルメスの名を聞いたのである。第18代パルス国王(シャーオ)としてルシタニアを討伐し、パルスに正統を回復する。その檄文が、パルス東南部一円にばら撒かれていたのだ。

 

「ヒルメス様は、ヘルマンドス城というところにいらっしゃるのですね」

 イリーナの声が弾む。マルヤムにいた頃でも、こんな明るい声を出したことはあっただろうか。少なくともルシタニアの侵攻が始まってからは、絶えて無かった。

「………あー、俺はペシャワールに向かうから、行き先を変えるならここで別れさせてもらうぞ」

 厄介事が片付きそうだという内心の期待を隠し、クバードは告げた。マルヤム王女一行の境遇には同情するが、自分の都合を捨ててまで協力しなければならない義理はどこにもない。

(俺はまず、ナルサスがどうしてアルスラーン殿下に従うことにしたのか、それを確かめたいのだ)

 ヒルメスの補佐をしているのはカーラーンとサームだと言う。二人を従えているヒルメスと名乗る男にも興味がないわけではないが、それを確かめるのは後でいい。

 一人、クバードは馬の向きを変え、ゆっくりと歩み去った。

 

「ヘルマンドス城までは、どれほど距離があるのでしょうか」

 イリーナもマルヤムの一行も、パルス東部の地理など全く分からない。ヘルマンドス城の名なら、かつてバダフシャーン公国の首都であったということで聞いたことがあると言う程度だ。

「さほどでもないが、いつになるかはあんたたちの足しだいだ」

 自分一人、馬を駆けさせれば一両日で着く、と思いながらメルレインは答えた。目の見えないイリーナを荷車に載せ、敵を避けながら進んでいるのである。

 当初、イリーナのために輿を使おうと考えていたらしい。馬鹿かとメルレインは一喝した。輿など担いで歩いていたら時間がかかって仕方ないし、いかにも貴人の一行に見えてしまう。

 そのせいもあってか、イリーナがたびたび体調を崩した。マルヤムの滅亡からここまで、極度の緊張と不安の中を綱渡りしてきたと考えれば仕方ないかもしれないが、ゆっくり休ませてやる暇はなかった。

 

「で、お姫さんはそのヒルメス殿下にお会いして、どうするつもりなんだ」

「まずは、皆の安全を。それからマルヤムの復興に、力を貸していただきたいと思ってます」

 そううまくいくものかな、とメルレインは思う。まず第一に、ヒルメスとイリーナが知己であると言っても、10年以上前にわずかな期間会っただけだ。相手は忘れているかもしれない。

 次いで、仮にヒルメスがイリーナへの好意を忘れずにいて、快く皆を受け入れてくれたとしても、果たして彼にマルヤムを奪還するような力はあるだろうか。

 宮廷内の事情なんざ知らないが、メルレインとてパルスの現王がアンドラゴラス三世であることは常識として知っている。となればヒルメスとやらは、ただ王を自称しているだけの存在に過ぎない。

「……まあいいさ。行くだけは、行ってやる」

 どうなるかは、このお姫様の運次第だろう。それは自分の力が及ぶ物でもない。

 




ヒルメスが原作より強大化したためイリーナ王女の運命も変わりました。
アクレイアの籠城戦については、以前後書きで書いた通り。
その他原作では輿を使うとか阿呆な真似をしていたので細かい所も変わってます。

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