ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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2.長兄の恋

「一体、何が起きたというのだ?」

 セイリオスが、いぶかりながら兄からの使者に問いかける。書簡には「大事勃発、すぐ来い」とあるだけだった。予想では、そろそろエクバターナの攻囲戦が佳境となるころだが…。

「アトロパテネ以降の情勢を報告いたします。わが軍はエクバターナを包囲、10日余りの攻囲ののち、陥落させることに成功しました。ところが―」

 この時、11月の13日である。10月16日にアトロパテネの地で大勝したルシタニア軍は、なんと10日で100ファルサング(約500キロメートル)の道を走破し、27日に攻囲を開始した。陥落が11月6日。

 いくら整備された大陸公路であっても、異常な速さであった。欲望が疲労を消したとしか思えない。パルスが態勢を整え直すより先に、という戦略上の意義はあったが、人の浅ましさを如実に見た思いである。

 

 さて、ここまでは良かったが、問題はこの先に起きた。

「……その、国王陛下が、パルス王妃のタハミーネを妃にする、と言い出しまして」

 セイリオスが頭を抱えた。成程、予想もしていない事態である。ギスカールの書簡があれだけだったのも納得だ。書く気力もなかったのだろう。

 それにしても、「あの兄が?」である。10歳の時に大病を患い、「異教徒の大国を滅ぼしその都にイアルダボートの神殿を建立するまで結婚しない」と宣誓し、40歳になる今まで独身を貫いてきた。

 確かにパルスという大国を征し、誓いは守ったと言えるのだが…。

 

「……わかった、すぐ出よう」

 その返答に、使者はほっとしたようだった。何としてもセイリオスを連れてこい、とギスカールから厳命されていたのである。

 すぐさま側近を集めた。デューレン、エスターシュ、ベルトラン、アーレンス、クラッド、グリモアルド、シルセス、ルキアの8人。そのうち、シルセスとルキアは女性である。

「デューレン、マルヤムは任せたぞ」

 はっ、と40代半ばの男が恭しく頭を下げた。軍事も政治も判るのは、デューレンとシルセスくらいのものだ。シルセスは参謀としての役割があり、外せない。

 デューレンには苦労を掛けることになるが、ギスカールが窮状を訴えてきている以上、行かざるを得ない。麾下の軍をエスターシュとグリモアルドに任せ、疾走を開始した。

 

 マルヤムからパルス首都エクバターナに向かう道は、大陸公路一本で済む。しかし、この時、国境とエクバターナのほぼ中間にあるザーブル城は、まだ陥落していなかった。

「これは殿下。戦場のことにて、何のもてなしもできませんが…」

 ザーブル城は大陸公路から半ファルサングほどの距離にあり、パルスとマルヤムを繋ぐ重要な拠点である。ギスカールはここを、信頼するモンフェラート将軍に攻略させていた。

 しかし、難しい城である。荒野の只中にある岩山の上に建てられ、攻囲軍の動きは丸見えとなる。城壁に取り付こうにも、断崖を上ることなどできそうもない。攻め口は、長い傾斜路と階段が続く道のみ。

 

「エクバターナの陥落は喧伝しましたが、降伏の意志はまったく見えませんな」

 理由は二つある。一つは、まだその情報が信じられないため。もう一つが、降伏してもルシタニア軍は許さないであろうと思っているためである。

「……まったく、ボダンたちのせいで、大変な目にあってます」

 セイリオスになら、大司教の悪口も言える。讒言であればすぐさま見抜かれるが、これは事実だ。ボダン派の将軍たちは、目をそむけたくなるような非道を繰り返し、大陸公路を進んでいったのだから。

 しかし、犠牲となった異教徒は彼らが思った数には程遠い。ギスカールは極秘裏に、避難を呼びかける使者を発していたのだ。逃げ遅れた、あるいはその情報を信じなかった者だけが犠牲となった。

 

「この城は、気長に攻めるしかない。それは、しっかり伝えておく」

 城の構造も分からない現状、むやみに攻めても犠牲を出すだけであり、包囲戦に持ち込んだモンフェラートの考えは正しいと思えた。

「ありがとうございます。……して、殿下。どうにも腑に落ちぬのでありますが、マルヤムからエクバターナの西にかけての配置を、穏健な者ばかりで固めておりますな」

 そうなると当然、エクバターナ以東は、ボダンの影響力の強い強硬派ばかりとなるだろう。明らかに偏っている。その指摘に、セイリオスはにやと笑った。

「……だから貴公がこの城に必要になる、ということだ」

 モンフェラートも感ずるものがあったのか、その言葉に「御意」と返した。

 

 パルス王国首都・エクバターナ。セイリオス一行はマルヤムからの道を6日で駆け抜けた。騎馬だけの少数行であれば、難しいことはない。

「おお、我が愛する弟よ」

 ギスカールの第一声に苦笑いする。長兄イノケンティスが無理難題を吹っ掛けてくるとき(本人にその自覚はないが)、使われるのがこの一言なのである。勿論、それを踏まえた冗談だ。

「意外と元気そうですな、兄上」

 こちらも、冗談で返す。ボダン達に振り回されて、胃を抱えている姿を想像していたのである。

 

「はっはっは、ボダンなどが、俺たちの真意に気付くはずないからな。そう思っていれば、猿の戯れを見ている気でいられる」

 しかし、問題はいくつかある。まず、パルスのアルスラーン王太子を取り逃がしたこと。アトロパテネの戦い後、北のバシュル山方面に逃げ込んだらしい。包囲網は敷いたが、それ以降情報は入ってない。

 実は11月13日にアルスラーン一行は包囲網を突破して、エクバターナに向かっていた。ちょうどセイリオスがエクバターナへ向けて出立した、その日だ。

 生涯の敵となる二人が、この時、わずかな時間の差で、同じ道を進んでいたのである。

 

 第二が、エクバターナの奴隷たちのことである。ルシタニアの扇動に乗り、主を殺したものも多い。早く彼らに土地と当座の資金を与えねば、今度はこちらが恨まれる。

「すでに、マルヤム内に何か所か、開墾に適した土地を見つけてあります。また王室所有で小作者のいなくなった土地も抑えてあります」

 マルヤム移住を躊躇うようなら、自由民になる事を諦めるんだなと言ってやればいい。選択の機会は与えたのだから、ルシタニアの行為にも正義は立つ。

 

「よし、それはそれでいい。なるべく早く実行に移す。……で、お前を呼んだ理由だ」

 パルス王妃タハミーネの件である。ギスカールも頭を抱えたこの件に、弟はどう答えるのか。

「あれこれ考えてみましたが、兄上の気まぐれとして、放っておけばいいのではないでしょうか」

 周囲に賛成したものなどいないだろう。特にボダンたち聖職者は強硬に反対したはずだ。いずれ諦め、今まで通りになるのではないか。

「…それが、なかなか厄介でな」

 イノケンティスの恋は本物であるらしい。一方通行の片思い、ではあるが。

 

 そもそも、ルシタニア首脳部が国王とタハミーネの結婚に難色を示すのは、まず何といっても異教徒である点である。次いで敵国の王妃であったという点であり、最後にタハミーネの履歴の不吉さだ。

 彼女は元々、パルスの東南方にあるバダフシャーン公国の宰相の婚約者だった。それを、主のバダフシャーン公が奪った。宰相は自殺したらしい。

 その後、バダフシャーン公国がアンドラゴラスによって滅ぼされ、彼はその恩賞としてタハミーネを望んだ。ところが、内諾を得ていたにもかかわらず、今度は兄のオスロエス王が奪ってしまったのだ。

 それで兄弟は決裂し、あわやパルスが二分されるところであったのだが、その事態はオスロエス王の急死によって免れた。晴れてアンドラゴラスはタハミーネを正妃とし、アトロパテネ会戦に至る。

 

「…兄者は、『不幸な男どもとやらは、すべて異教徒ではないか。敬虔なイアルダボート教徒の妻になることこそ、彼女の運命かもしれぬ』と言ってな」

 その上、震えながらも聖堂騎士団相手に「タハミーネを妃にする」と言ったのである。当然反対、というより強迫されたが、最後まで諦めるとは言わなかった。そう聞いて、ふむ、と弟は考え込んだ。

「……そうなると、むしろチャンスと思いましょう。偏執的な教会の牙城を突き崩す、きっかけになるかもしれません」

 我らの理想のためには、ボダンのような輩は切り捨てねばならない。と言ってイアルダボート教までただちに捨てたら、ルシタニア国内で大混乱が起こるだろう。

 防ぐには、代わりが必要だ。ボダンのような狂信的でない、異教徒にも寛容な教えを広める存在が。

 

「お前、ボダンの代わりに兄者を立てる気か!?」

 とんでもないことを考えつく奴だ、と改めて弟を見直した。ボダンの教えを異端とし、新たな教義を制定するというのである。確かにルシタニア国王なら、権力は充分だが…。

「まあ、上手くいったら儲けもの、程度で考えましょう」

 軽く言って、弟は席を立った。長兄にも挨拶せねばならない。去り行く姿を、ギスカールは複雑な表情で見送った。

 

「おお、我が愛する弟よ」

 次兄と同じ第一声に、再び苦笑いする。違うのは、こちらは冗談ではなく本気であるということだ。弟二人に言わせれば、「愛情を注いでいるのはこっちだ」となるであろうが。

「すでに聞き及びましたが、兄上、パルス元王妃のタハミーネを妃にしたいと…」

「うむ。じゃが、皆が反対しおる。………お主も、そうなのか?」

 この末弟なら賛成してくれるのではないかという期待と、反対されたら味方は誰一人としていなくなるという不安の混じった声で、イノケンティスは問いかける。

 

「私個人としましては、反対するものではありません。しかし、問題は多いでしょう。特に、教会の承認を取り付けられるかが…」

 うむうむとイノケンティスが頷く。セイリオスは「反対しない」と言っただけだが、彼の頭の中では「弟が賛成してくれた」と変換されているらしい。

「セイリオスよ、よき思案はないであろうか?」

 問題に直面した場合、思案することもなく弟を頼るのがイノケンティスの悪い癖である。だが、これは何だかんだ言って結局助けてしまい、兄を甘やかしてきたギスカールが作ってしまったものなのだ。

 そしてその関係が成り立っているのは、イノケンティスに邪心がないからである。純粋に弟を頼りにしているだけで、無理難題を吹っ掛けられ憤慨しながらも、心のどこかで憎めない。結果、甘やかしてしまう。

 

「特に大司教が頑固での。『異教徒はすべからく、即刻火刑に処すべきである。改宗するなどとは口先だけの出まかせに決まっておる。信用してはならぬ』と、まあ、こんな調子でな…」

 ため息をつきながら言う。イノケンティスはこれまで教会のために様々尽くしてきた。ルシタニアの国政全てに彼らの意を迎えてきたと言っていい。我が儘の一つくらい、聞いてくれてもいいではないか。

 セイリオスに言わせれば、そんなことは期待するだけ無駄でしかない。奴らは自我の抑制を知らない猿…、と言ったら猿に失礼な程度の存在なのである。狂信者とは、すべからくそんなものだ。

 しかし、言うことは思っていることとは別のことにした。ボダンを斬るなどたやすいが、まだ機ではない。

 

「……まず、『異教徒は殺さず、イアルダボートの教えを説くべきである』と大司教に認めさせましょう」

 あのボダンにそんなことができるのか、とイノケンティスは身を乗り出した。セイリオスの言うことは簡単である。聖典の中にそれを正当化する記述を見つければ、聖職者という立場上、ボダンは納得せざるを得ない。

「そもそも、イアルダボート教は発祥と同時に広く普及したわけではありません。現にルシタニアの国教となったのは、最初の布教から500年も後のことではありませんか」

 古代の司教たちは、『異教徒』に粘り強く教えを説いたのである。聖人とされた者の中には、異教から改宗した者もいる。それらの記録は、聖典の中で讃えられている。

 

「さすがじゃ、我が愛する弟よ。パルスの民はイアルダボートの教えを知らぬから異教の神などを信じておったにすぎぬ。我らが正しき教えを広めることこそ、真に神の御心に適うと言えよう」

 イノケンティスは決して悪人ではない。弟二人に比べれば、はるかに純真な心の持ち主である。純真ゆえに、きっかけ一つでどんな色にもたやすく染まる。

「今にして、目が覚めた思いである。ボダンたちは御心を理解しておらなかったのじゃ。我が使命はイアルダボートの教えを広めること。異教徒を一人正しき道に導けば、一人神の子が増える。ああ、そうであった…」

 きわめて単純なことであるが、彼にとっては神の啓示に匹敵するものであったのだろう。感極まったように天上の神に祈りを捧げ、これまでの自分の行いを懺悔した。

 

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