ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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20.後方の謀略戦

「…こちらがアルスラーンの檄文、こっちはヒルメスの檄文。間に合ったな」

 にや、と二人して笑う。二通の檄文を手にした諸侯は戸惑っているであろう。ルシタニアにとってなお都合がいいことに、アルスラーンの檄文にはルシタニア追討令の他、もう一通付随していた。

「奴隷解放宣言…。アルスラーンも、夢見る小僧に過ぎなかったということか」

 ギスカールもセイリオスも、全奴隷の解放など現実を無視した理想の暴走でしかないと思っている。ルシタニアに味方した奴隷を解放し、マルヤムに入植させていることへの対抗と見ることもできるが…。

「明らかにやりすぎですね。これで、果たして奴隷たちが戦う気になるでしょうか」

 この奴隷解放宣言には「アルスラーンが王として即位したら」という前提が付いている。しかし、それ以外に条件はない。つまりアルスラーン即位まで生き延びれば、ここで戦わずとも、何もせずとも自由民になれる。

 

「………まあ、所詮他国のやることだ。どうしようが、俺たちには関係ない。マルヤムに入植させた奴隷たちが故郷に帰りたがるのではないかというのが懸念だが…」

 それに対し、弟はあっさり答えを出した。彼らに奴隷を持たせてやればいい、と言うのである。

「奴隷制度の旨味を知れば、無くなった国に帰ろうとする気も薄れるでしょう。……その奴隷が、パルスの自由民なら、なおいい」

 こんなことを言い出すということは、絶対に何かを企んでいるということである。さて、それは何か。ギスカールもたまには、この弟の鼻を明かしてやりたい。

「パルスの西部で反乱を起こさせるのだな」

 さすが兄上、とセイリオスが微笑した。アルスラーンとヒルメスの名を騙った偽の檄文で、パルス西部の不穏分子を扇動しようと言うのである。

 

「ザーブル城他、絶対に渡せない拠点は避けます。各城塞の調査は終わり、弱点も判明していますから、片手間で落とせるような城に烽火を上げさせ、それを叩き潰せばいい」

 パルス西部から反ルシタニアの火種を一掃する。協力した住民は奴隷として売り払う。ルシタニアに逆らえばどうなるかという見せしめにもなる。空いた地には、ルシタニア人を入植させてもいい。

 さて、それに対し敵軍はどう動くか。諸侯がどちらに付くか帰趨を決め、軍を率いてペシャワールなりヘルマンドスに向かう。4月中は軍の編成で忙殺されるはずだ。出陣は、早くて5月初め。

 

「ペシャワールにせよヘルマンドスにせよ、通常の行軍で一月余りというところか」

 歩兵を伴うとなれば、どうしてもそのくらいは必要になる。対し、ルシタニア側の備えはどうなっているかと言うと、主力をエクバターナに集結させただけで、東には防塁の一つも新設していない。

「敵軍の規模を分析すると、どちらも十数万の兵は集まるはずです。1万や2万を派遣して要塞に籠らせたところで、各個撃破の的になるだけでしょう」

 セイリオスはそう言い、エクバターナ以東の防御には全く無関心であった。

 

 ルシタニア軍の内訳は、アクターナ軍4万、十二宮騎士団(ゾディアク)7万、その他諸侯軍15万というところである。15万の諸侯軍もセイリオスが課した調練のおかげで、かつての精鋭に勝る練度になっている。

 その内、20万は対パルス軍に動員できる。西方の守りに2万余、エクバターナには1万も置いておけば問題ないだろう。捨てるエクバターナは、「守っている」ふりができればいい。

 他に数えられるものとして、ボダン軍が一層減って2万ほど、オクサスからギランを切り取ったヒルティゴが掌握する軍が4万。ただし、ギスカールもセイリオスも、これらは味方とすら考えていない。

 真にルシタニア軍26万に連動する戦力となるのは、マルヤムでデューレンが鍛えた軍である。およそ10万。デューレンが、前線に出られない鬱憤をぶつける様に訓練したらしい。

 

「檄文は、このような文面で」

 パルス軍10万を率いて西に向かう、諸君は各地で敵の後方を乱すことに専念せよ、という内容である。後方撹乱は当然の戦略であり、不自然な命令ではない。

 にや、とギスカールが笑う。反乱を起こす連中は、せいぜい数万の討伐軍を送られる程度と予想しているだろう。そう思い込ませる文章になっている。

 デューレン軍10万は、すでに旧マルヤム―パルスの国境付近に展開している。烽火が上がり次第、急襲して叩き潰す。そのことまで考慮できる奴がいるなら、そもそも反乱など起こさない。

「よし、やれ」

 ギスカールは短く命じ、セイリオスも小さく頷いた。

 

 

 パルス西部だけで、連鎖的に蜂起が起きた。ナルサスが放っていた間諜はその情報と、セイリオスが偽造した檄文を持ってペシャワールまで駆けつけてきた。

「どういうことなのだ、ナルサス?」

 アルスラーンが戸惑った声で問う。怒気は含まれていない。ナルサスが無断で、『住民まで巻き込んだ』蜂起を画策したのではないかと疑わないところは、この王子の美点であろう。

「………やられた」

 ナルサスとて、パルス西部での後方撹乱を考えなかったわけではない。だがルシタニアの力を考えれば無謀と言う他なく、むしろ抑制していたのである。

 とはいえ、全ての反抗組織に接触できたわけではない。それにルシタニアはエクバターナの公文書館を握っている。それらしい命令書を偽造してばら撒けば、信じる者も出るだろう。

 

「……ルシタニアが、意図的に蜂起させたのでしょう」

 それだけ言うのが精一杯だった。助けに行く余裕などない。ペシャワールのパルス軍がエクバターナを奪還するまで自力で粘れればいいが、そんな可能性は皆無に等しい。

 最初に蜂起したのは、サーダートという国境付近の町である。もちろん城壁をめぐらした城塞都市だ。それを手始めに3つの町で蜂起が起きた。ルシタニア軍がエクバターナに集結した隙を突いた、という形である。

 王都からサーダートまで、強行軍でも10日以上。10日は絶対に安全だと思っていたサーダートの町は6日後にルシタニア軍に包囲され、防備の整わぬうちに1日で殲滅された。

 いくら扇動した張本人だとしても、早すぎる。そのからくりはもちろん、襲ったのが王都から出た軍ではないということである。

 

「動いたのは、マルヤム軍…」

 サーダートを叩き潰され浮足立った蜂起軍は次々とデューレンによって鎮圧され、協力した民衆は容赦なく奴隷として売り払われた。その後、徹底的な反乱狩りが行われているという。

 幸いと言えるのかわからないが、デューレンもセイリオスの腹心の一人だ。民衆を見境なしに殺して巡るという話は、伝わっていない。だが密告は奨励した。

 奴隷として売られたくない民衆は、これまで少なくとも黙認はしてきた反抗組織を次々と見捨て、ルシタニアに売り渡しているという。

 一方、王都を発したルシタニア軍2万はザーブル城を中心に展開した。混乱した西部に睨みを利かせる態勢と見えるが、実際は退路を万全とするための配置だ。

 

「ナルサス、今すぐ出陣する。パルスの民が奴隷とされるのを、放ってはおけぬ」

「………もはや、手遅れでありましょう」

 東の端のペシャワールから西のザーブル城まででも、およそ250ファルサング(1250キロメートル)あり、通常の行軍なら2か月近くはかかる。しかもエクバターナを突破せねばならない。翼でもない限り、無理だ。

「……くっ!」

 アルスラーンが、地面に拳を叩きつけた。何もできないことを言い訳にせず、力が足らぬことを悔やむ。やはり、この王子には良き王となる素質がある。

 

 アルスラーン軍の戦力は、まず騎兵2万。これはキシュワードとシンドゥラ遠征で戦死したバフマンの軍をダリューンが引き継いだもので、精強を誇ったパルス国軍の騎馬隊である。

 それに、歩兵が2万。かつてペシャワールには6万の歩兵がいたが、アルスラーンはその歩兵隊を構成する奴隷たちを自由民にして、入植させた。その彼らの一部が、仲間に開拓地を任せて戻ってきたのである。

 加えて、ヘルマンドス城の残兵が4千。この軍はイスファーン将軍がそのまま率いていた。

 最後に、集まった諸侯の軍と義勇軍が7万ほどいる。奴隷解放宣言が受け入れられないのではないかと思っていたアルスラーンにしてみれば、意外とも思える数だった。

 

 ペシャワールに充分な守兵を残したとしても、10万の軍を編成できる。アトロパテネの頃と同じ情勢であれば、これはルシタニアを叩き返すのに充分な戦力と言えた。

「……だが今では、10万では辛い」

 ルシタニア軍20万余。西部からマルヤムに展開している軍も含めれば35万以上。セイリオスによって精鋭と化した軍である。国軍が壊滅したパルス軍と同等の力は持っていると考えておいた方がいい。

「と言って、これから急激に兵が増える見込みはあるのか?」

「無い」

 ナルサスが真顔であっさり言いきり、問うたダリューンの表情の方が苦くなる。パルスの西半分はルシタニアの占領下、東南部のバダフシャーンでヒルメスが勢力を扶植している現状、事実ではあるのだが…。

 

 しばらく無言でいたところ、ナルサスの元に一人の初老の男が駆け寄ってきた。集まった諸侯の一人で、レイの城主ルーシャンという男である。

「ナルサス殿、ここにおられたか。諸侯の中から、訓練が厳しすぎるという声が上がっている。いや、私は必要な事なのだとわかっているのだが…」

 ルーシャンは中書令という役職についている。王太子の補佐役で、国王に代わって王太子が政務を執る、つまり今のような状況では、実質上の宰相と言っていい地位にある。

 最初はナルサスがその地位に就いていたのだが、年長者であり、思慮分別に富み、諸侯からの人望も厚いルーシャン卿が適任だと譲ってしまった。守旧派から忌まれていることを、ナルサスは自覚していたのだ。

 

「ザラーヴァント将軍の隊から、特にそういう声が多い。故郷と亡父を思う気持ちは充分理解できるが、焦りすぎではないだろうか。ナルサス殿からも、少し言い聞かせてやってもらえぬだろうか」

 アクターナ軍にオクサスを落とされた後、ザラーヴァントはわずかな人数を連れてペシャワールにたどり着いた。丁度、アルスラーンのシンドゥラ遠征軍が出発したばかりであった。

 戦功をを立てる機会を逃したザラーヴァントは悔しがったが、キシュワードはすぐさま実力を認め、一隊を任せたのである。それからの訓練は、鬼気迫るものだった。

「……アクターナ軍と実際戦ってみれば、理解できましょう」

 本当の意味でアクターナ軍と戦ったのは、ザラーヴァントだけと言っていい。城に籠り粘る事しかできなかった。オクサスの敗戦を、彼はそう総括した。

 

「しかし、我が軍にはダリューン卿、キシュワード卿、クバード卿の武勇に、ナルサス卿の智謀がある。それにイスファーン、ザラーヴァント、トゥースらの将軍もいて、正直、これで負けるなど思えないのだが…」

 ルーシャンもアクターナ軍のことは話に聞いていた。だが、どうにも実感が湧かない。常勝無敵のパルス軍が負けるはずない。その常識を捨てるのは、なかなかに難しい。

「半分の兵力で勝てるなどと己惚れれば、アトロパテネの二の舞ですぞ。ルシタニアごときに負けるはずない。自信が過信となり、慢心に至った結果、アトロパテネであれほどの惨敗を喫したのです」

 むう、とルーシャンが唸った。つくづく、あの戦いさえなければと思う。アトロパテネの負債を必死で取り返そうとしているのが自分たちであり、それを元手にさらなる利を積み重ねているのがルシタニアなのだ。

 

「わかり申した。諸侯の不満は、何としてもこのルーシャンが抑えましょう。ところで、クバード卿に対しては、いかんせんダリューン卿以外意見できる者はいないと思うのですが…」

「あれはああいう男だ。放っておくしかない。…一度、戦場での姿を見せれば不満も消えるだろう」

 クバードはマルヤムの王女一行と別れた後、特に何もなくペシャワールにたどり着いた。アルスラーンがただの傀儡なのか、それとも本当にナルサスほどの曲者を心服させたのか、それを見極めるつもりである。

 …それはいいのだが、毎日毎日酒を呷っているばかりでは、威厳も何もないではないか。もう少し万騎長らしい振る舞いと言うものを心がけてもらわねば、下の者に示しがつかない。

 常々そう思っていたルーシャンだが、どうしようもないと言われて渋々引き下がって行った。

 

「……さて、私たちの戦略ですが、これはシンドゥラで話した通り、基本的に余地はありません」

 大陸公路を西に向かい、ルシタニアとの決戦に臨む。セイリオスは、一戦して勝った後の撤退を望んでいる。パルスの力を削り、また戦略的な撤退であって敗北ではないと示すためだ。

「機会があるとすればここだけでしょう。ルシタニアに大勝し、奴らが態勢を立て直す前にパルスを殿下の元に再統一する。それでようやく、アトロパテネ以前の情勢を取り戻せるというところです」

 言うのは簡単だが、敵にあのアクターナ軍がある限り、実現は極めて難しい。ダリューンの肩を「期待しているぞ」と叩き、嫌な顔で頷かれた。

 

 ただ一つ、これが上手くいけば、という策がないこともない。暗殺だ。セイリオスが消えれば、ルシタニアの力は半分以下に落ちる。その上ギスカールもいなくなれば、ルシタニアは戦う前に崩壊するだろう。

 ただし、アルスラーンは絶対に喜ばない。暗殺という手段の有効性は理解しても、そういう陰湿な手段を取ったナルサスに対して、むしろ悲しむに違いない。

(アンドラゴラス王に対してなら、無感情に進言したかもしれんな)

 大分毒されたな、とナルサスは思う。勝利を得るために極めて有効な選択肢を、アルスラーンが嫌う手段だと思えば捨ててしまう。自分自身がまず、この王太子に正道を歩んでほしいと思っているということだ。

「…ナルサス、5月になったらすぐ出陣する。パティアスと共に、そう準備してくれ」

 はっ、とナルサスは一礼した。しかし、ルシタニアは次にどんな手を打ってくるのか。

 




つくづく思うこととして、原作のルシタニアもこのくらいのことはやれ、と。
チャスーム城なんてエクバターナから900キロも先に急造の城を拵えて何の戦略的意義があったのやら。
(アルスラーン軍の見せ場という物語上の意義はありましたけど)

それはともかくこの話、評価は高いし結構読まれているようですけど感想が少ないのが気になるところです。

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