ルシタニアの三弟   作:蘭陵

23 / 55
23.パルスの正義、ルシタニアの正義

「奥方様、エステルです!」

 聖マヌエル城は、ほとんど抵抗なくパルス軍の手に落ちた。シャフリスターンの敗北を聞いたボダンは、わずかな側近だけを従えて逃げだしたのである。

 残された者は、尖塔や倉庫などに籠り、最後の時を迎える覚悟を固めていた。その時である。見知った声が、扉の向こうから響いた。

「おお、エステルよ。もはやこれまでと思っていたところじゃ。最後に、そなたの顔を見れてよかった。共に、神の御許に行くとしよう」

 いけません、とエステルは奥方に抱き着いた。自害などされては、これまでの苦労は何だったのか。とにかく生きることを、この人に納得してもらわねばならない。

 

 エステルが必死で奥方を説得している頃、ナルサスはわずかな部下を連れて離れの一棟を占拠していた。

「こ、これは…」

 ナルサスは無言であったが、声を漏らした部下は表情がひきつった。一人はこらえきれず、外に飛び出して胃の中の物を全て吐いた。

 中は血で汚れている。得物を解体して肉にする場として、この建物を使っていたのは明白である。おそらく、城内の主食はこれだったのだろう。残された骨は、鹿や猪ではない、それでいてよく知っているものだ。

「………すべて燃やせ。お前たちも、ここで見たことは忘れるんだ。いいな」

 ナルサスの迫力に、青ざめながら皆が頷く。これは誰にも知らせるべきでないだろう。アルスラーンは当然、エステルにもだ。自分が何を食べていたか。知らない方がいいことなど、世の中には山ほどある。

 

「あ、ナルサスー。どうしたの、そんな怖い顔して?」

「いや、兵糧はほとんどないから、どうしようと思ってな。……シャフリスターンの動物も、だいぶ狩られているし」

 元貴族のくせに、食べ物の事ばかり気にする。それはナルサスには誉め言葉である。食わねば生きていけぬのは、奴隷も貴族も同じではないか。

「でも、ここの人たち、馬も矢もろくにないのに、よく草原で獲物を狩ってたねえ」

 アルフリードは無邪気に言う。ナルサスは、それに適当に合わせた。自分も早く忘れよう、と思う。……忘れられることでは、ないだろうが。

 

「ドン・リカルド卿、貴方はこれからどうするつもりだ」

 さて、どうしようかとドン・リカルドは考え込んだ。降伏して捕虜となった場合、身代金を払って解放されるのが普通である。その金がなければ、奴隷として売られる。

 しかしアルスラーンはどちらもせず、無条件でルシタニアに返そうと言うのである。異教徒と言えど、恩には何かで返さねば、騎士の名が廃る。

「何か、今日の恩義に報いるだけの功を立て、その上でルシタニアに帰りたいと思いますが……」

 そうは思っているが、歯切れが悪い。自分は戦う以外に能はない。だが、この先パルス軍が戦う相手はルシタニアだ。同胞たちを討ち取る以外に、功を立てる場がないのである。

 

「無理をしなくていい。私たちは、見返りが欲しくてそなたたちを助けたわけではないのだから」

 アルスラーンは笑顔で告げる。その表情を見て、ふっと心が和んだ。ここ半年ばかり、忘れていたような感情である。

「ダリューン卿、良い主君だな」

 通訳を通さず、エステルに習ったパルス語で言った。まだ片言のパルス語でも何とか通じたらしく、アルスラーンとダリューンが顔を見合わせて笑い合った。

 

「ドン・リカルド卿、まずはエステル卿と共に、一団の警護に当たって欲しい」

 降伏した者は七十名。逃げ遅れた女子供と老人に、わずかな傷病者。エステルやドン・リカルドの説得を受け入れず、死を選んだものが多い。それどころか、説得する者が襲われる始末であった。

 幸いと言えるのか、エステルの必死の訴えで、バルカシオン伯の奥方は生きることを承諾した。彼女もまたエステルを孫のように思ってきたのだ。孫への愛情が、殉教の喜びをわずかに上回った。

 捕虜とした一団を乗せた荷車を牛に牽かせ、パルス軍はさらに西に向かう。

 

 

 聖マヌエル城陥落―。その知らせは、ただちにエクバターナに届いた。ボダン軍の敗北は予想通りであり、動揺する者は誰もいない。

「神の名を騙るボダンである。敗北は、当然のことだ」

 教会は、もはや完全に彼を見放していた。そしてそう教会から言われると、兵士たちはある程度納得してしまうのである。不審を持つ者はいても、それが声として燃え広がるということはない。

 問題は、ついにパルス軍がエクバターナ奪還に向けて動いたということである。さて、それに対しルシタニアの首脳部はどう考えていたのだろうか。

 

「ギスカールとセイリオスに全ての軍権を与える。予は、勝利を神に祈らねばならぬのでな」

 イノケンティス王は(彼の中で限り)あっさりと答えを出した。ギスカールも予想済みのことである。だが、まったく、兄者は、と内心で毒づいた。

(まあいい。下手に口出しされるより、はるかにましだ)

 ついにこの時が来たのである。ボダンを排除したのも、ルシタニア軍を作り替えたのも、全てはこの戦いに勝つためだ。兄の無定見に振り回されるのだけは、勘弁願いたい。

 

「アルスラーン軍、公称8万。これをどう見るか、諸将の意見を聞かせてもらおう」

 ギスカールはまず諸侯に問いかけた。セイリオスも、十二宮騎士団(ゾディアク)の将軍たちも何も言わない。意見を出させて、能力を測る。ギスカールがそうしていることくらい、誰もが解る。

「公称8万ということは、実数は4万から5万程度ではないでしょうか」

 さすがに1万程度の軍を出して様子見しよう、などという馬鹿な意見を出す者はいなかった。しかし、まだまだ甘い。

「いや、8万は8万として見るべきであろう。そう思わせることが、敵の狙いと考える」

 ほう、とギスカールが頷いた。ゴドフロワという貴族であったな、と記憶を探る。ギスカールやセイリオスは敵の内情も把握しているが、彼は噂程度にしか知らないはずだ。

 

「ゴドフロワ卿、その根拠は?」

 ギスカールの問いに、ゴドフロワは明確に答えた。まずペシャワールの兵力である。カーラーンから聞き出した情報はあるが、彼が真実を言ったかは不明である。だが二人の万騎長がいたのは事実だ。

 パルスの軍制から、騎兵2万は確実となる。それに付随する歩兵が数万はいるだろう。そこに諸侯の軍が集まれば、10万を超えてもおかしくない。そこからペシャワールの守兵を差し引けば、答えは出る。

「正鵠を射ていると思う。敵の戦力は8万以上、むしろ10万と俺は見た。敵軍を過大に見積もるのは悪いことではない。10万と思って、こちらは全力で当たるべきだ」

 しかし、これはなかなか使えそうだ、とギスカールは思った。ゴドフロワは、ボードワンとモンフェラートに並ぶ存在となるかもしれない。

 

 ギスカールも軍部に無関心でいたわけではない。スフォルツァ、ブラマンテ、モンテセッコの3騎士に、騎兵隊を創設させた。それぞれ2千騎。それなりの軍には育ってきている。

 ただ、やはり3人とも目の前の戦闘しか見えない連中だ。広い視野を持つ、大軍の指揮を執れる逸材が欲しいというのは、ギスカールをずっと悩ませていることである。

「出撃する軍は22万。そのうち18万を前衛とする。前衛の総指揮権は、セイリオスに託す」

 とはいえ、今回はセイリオスに任せるしかない。ギスカールは後方で軍政を担当することにした。それをセイリオスが拝命したことで、ギスカールはほっとした。一つ、提言を却下していたからだ。

 

 以前、セイリオスはアンドラゴラスを釈放するべきだと言った。アルスラーンよりアンドラゴラスの方が与しやすい、というのがその理由である。ギスカールはここまで、ついにそれを実行しなかった。

「いや、お前の能力を疑うわけではないが、やはり若年のアルスラーンの方が与しやすいと思える。それにアンドラゴラスは大切な人質だ。それをただ解き放つというのは、難しい」

 ギスカールが弟の提言を退けるのは珍しい。やはり彼はアンドラゴラスが怖かったのだ。不敗の王として大陸公路に君臨した男である。アトロパテネでは勝てたが、次も勝てるかと言われると自信がない。

 それが果たして正しかったのか。出陣前の弟は何も言わない。こちらから聞こうかと迷ったが、結局やめにした。

 

 ルシタニア軍18万、パルス軍10万。この規模の戦闘となるのはアトロパテネ以来である。アトロパテネからマンジケルト、オクサス、ヘルマンドス城とパルス軍は負け続けている。今度こそ、と思う者は多い。

 両軍はエクバターナの東方20ファルサングの地、「ジュイマンドの野」で対峙した。先に着いたのはルシタニア軍である。セイリオスは運んできた木材を結い、柵を作らせた。

「騎馬隊の突撃を阻害できれば良い」

 適当な間隔を空けて立てた材木を横木で繋ぎ、後ろに支えを入れる。それを互い違いに3重にし、射手を配する。それを弧を描くように並べ、ルシタニア軍の前面を覆うようにした。

 

 遅れて到着したパルス軍もこの防御陣地の構成を見て、軍を止めた。その中から、二人だけが進んできた。ルシタニアの国旗を掲げている。

「私たちはボダンに従って聖マヌエル城にいた者たちだ。降伏を認められたい」

 叫んだのはドン・リカルドであった。エステルがそのすぐ後ろに控えている。ルシタニア軍が、どう動くか。降伏する者には寛大だったが、この土壇場ではわからない。

 ドン・リカルドも、生唾を飲み込んで行方を見守っていた。ルシタニア陣は静まり返ったままだ。が、柵の裏で弓兵が臨戦態勢なのは見て取れた。セイリオスの指示一つで、自分たちは針鼠になりかねない。

 騎兵が5騎、駆けてきた。先頭に立つ人を見て、エステルは助かったと思った。鎧姿だが明らかに女性、兜を外した顔は、ずっと希望として胸に抱いてきたものだ。

 

「シルセス様!」

 思わず叫んだ。相手もこちらに視線を向け、一つ頷いた。だが、その後ドン・リカルドに向けた視線は冷たいものだった。

「今までボダンに従い、パルス軍に降伏した上、ここにきてルシタニアに戻りたいなど、虫が良すぎるのではありませんか」

「私たちがボダンに従い、パルス軍に降伏したのは事実です。しかし、それは全て、ボダンに騙された人々を助けるためでありました」

 逃げ出そうにも逃げられなかったのだ、と事情を説明する。ふっとシルセスが微笑んだ。エステルがほっとする。いつものシルセスの表情に戻ったからだ。

「ボダンから同胞を助けた、ということであれば、その功を認めましょう」

 捕虜の一団がルシタニア軍に迎え入れられる。柵を越えるとき、エステルはパルス軍の陣を振り返った。

 

「エステル、よく戻ってきましたね」

 シルセスから優しく声を掛けられ、エステルは感涙に咽んだ。エステルとドン・リカルドの所有する土地は、何とか返還の手続きをしようと言う。騎士の立場を保証された、ということだ。

「………」

 報告を聞き終えたセイリオスは、何を思ったのかパルス軍に軍使を送った。直接アルスラーンと会談したいという内容である。

「ルシタニア軍から、軍使が?」

 条件は参謀が一人と、従者が一人のみ。両軍の中央で会おうというものである。少し考えた上で、アルスラーンは了承した。

 

 セイリオスが選んだ供はシルセスと、カシャーン城で拾ったルクールであった。対しアルスラーンはナルサスとエラムを連れて、両軍の真っただ中で向かい合った。

「……まず、礼を言おう。あのエステルという少女は、シルセスと個人的な好誼があった者だ」

 アルスラーンとセイリオス。二人が直接向かい合ったのは、これが最初となる。セイリオスの眼光に、アルスラーンは負けじと睨みかえした。

「さて、会談を求めた理由は、和議を求めたいということである」

 ルシタニア側が出した条件は、ザーブル城以西の正式な割譲と賠償の放棄。エクバターナやオクサス、ギランなどからは撤退する。ヒルティゴが反対した場合は、ルシタニアの手で討ち取ってもいい。

「そしてルシタニアは貴公を正当なパルス王として認め、ヒルメスとは手を切る。アンドラゴラスは貴公の意思次第だが、こちらで処刑してもかまわない」

 

「………やはりそれが、あなたの狙いか」

 ほう、とセイリオスが感嘆した。ザーブル城以西の割譲はあくまで副次的。真の狙いは賠償の放棄で、奪った財宝と人を正式にルシタニアの物とすることである。

「あなたの目的は、ただの略奪だ。そんなことのために、パルスに攻め込み、人々に塗炭の苦しみを味わわせたのか!!!」

 アルスラーンは本気で怒っていた。エステルは純粋に教えを信じていただけだ。だが、この男はイアルダボート教すら利用する。何もかもを利用して、自分の欲望を果たそうとする。

 その憤怒の表情を見て、セイリオスは表情を変えた。そこにいたのは柔和さなど欠片もない、敵を見据えた冷厳な支配者だ。

 

「……なるほど。では、お優しいアルスラーン殿下は、我らルシタニアの民にパルスの民が繁栄を謳歌する様を、指をくわえて見ていろ、と仰るのだな」

「…何だと?」

 ルシタニアは貧しい。ルシタニアの貧農よりパルスの奴隷の方がいい暮らしをしている、というのは笑えない冗談である。ギスカールの富国強兵策で大分ましになったとはいえ、依然パルスとは比較にならない。

「結果として、そういうことだ。ルシタニアに生まれたというだけで、何故貧困に喘がねばならぬ。パルスと同じ裕福な暮らしをしたいと思って、何が悪い」

「そうではない!パルスに攻め込まずとも、ルシタニアを繁栄させることはできたはずだ」

「パルスとて、周辺諸国を切り従え、富栄えてきたではないか。我らはそれと同じことをしているだけだ。パルスが行うのは良く、我らには許さぬと言うのか」

 アルスラーンが言葉に詰まった。詩では蛇王を倒した後、列王が英雄王カイ・ホスローに心服したと謳うが、実際はそんなことはない。パルスの歴史は、血と鉄の歴史でもある。

 

「それに何もしなければ、パルスはこれまでに得た富で、ますます豊かになっていったであろう。広がる一方の差を縮めるには、こうする他ない。……それなら、パルス以外の国を攻め取ってくれ、と言うのか?」

 揶揄するように言うセイリオスに、アルスラーンは怒りの眼差しを向けた。だが反論できない。セイリオスの言う事は、間違いではないのだ。アルスラーンには決して納得できないことであっても。

「………」

 ナルサスとエラムも何も言えず、沈黙が場を支配した。最後に、セイリオスが宣言する。それは二人の道が、交わることはあっても重なることはないと宣言するものだった。

「……貴公の言はパルスの王太子として誠に立派なものだ。だが私には何の感銘も与えない。何故なら、私はルシタニアの王弟だからだ」

 




サブタイを言いかえると、先進国のエゴ vs 途上国のエゴ。

それと前回の後書きの意味は解りましたでしょうか?
(もろに書くとらいとすたっふルールやR-15に引っかからないかな、と思ってぼかしましたが…)

真実を知りたい人は、Wikipediaで「マアッラ攻囲戦」を検索してみてください。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。