ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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25.脱出

 残されたパルス軍は、たった1万。しかも、騎兵はわずかしかいない。これでルシタニア軍18万を防ぐなど、どう考えても無理に決まっている。

「陣営地を縮小し、防御陣を形成せよ」

 ダリューンもナルサスもいない現状、指揮を執っているのはファランギースであった。唯一アルスラーンにとって幸いと言える状況は、歩兵1万がペシャワールの兵であったことだろう。

「殿下が死んじまったら、俺たちゃまた奴隷に逆戻りかもしれませんからな」

 誰かが冗談交じりにそう言った。アンドラゴラス王の復帰は、奴隷たちに反アンドラゴラスとアルスラーン支持の風を吹かしていた。

 アンドラゴラス王にとって奴隷解放など、絶対に認められない事だろう。王太子が勝手にやったことだと、いつ反故にされるかわからない。であれば、王だろうが支持することはない。

 そんなペシャワールの歩兵隊を指揮下に置けたのはキシュワードのせめてもの好意であり、アンドラゴラスも諸侯の兵を捨て石にするのは躊躇われたからである。おかげで、1万の軍の士気は高い。

 

「……とはいえ、明日、俺たちはみんな骸と化しているかもしれん。ファランギース殿、今生の名残に、どうか俺の想いに応えてくださらぬか」

「今、私は『生き延びたい』という皆の想いに応えねばならぬので忙しく、お主一人の想いに応えている暇はないのじゃ。第一、お主が死ぬとはとても思えん。皆が死のうと、一人ちゃっかり生き残っておろう」

「これは無体な。俺は、少なくとも王太子殿下とファランギース殿は命懸けで助けますぞ」

 こんな極限状態でも、ギーヴとファランギースはいつもと変わらぬ掛け合いを繰り広げていた。それを見て、アルスラーンも自然と頬が緩む。

「それにしても、パルス王太子の旗を敵軍からよく見える様に掲げておけとは…。うちの軍師殿は、何を考えておるのやら、さっぱりわからん」

 表情を一変させたギーヴの言葉に、今度はファランギースも真面目に頷く。敵軍の攻撃を誘うだけではないか。そう思えるのだが、皆ナルサスを信じてその通りにしている。

精霊(ジン)がざわついておるな…。戦場であるというだけでは、なさそうじゃ」

 ファランギースが、不意に呟いた。その視線の先には、ルシタニアの陣があった。

 

 

 闇の中である。セイリオスはすでに天幕の中で、眠りについていた。それが、瞬時に跳ね起きた。手にはすでに抜き身の『アステリア』が握られている。

「………ご安心くださいませ。私はプーラードと名乗る魔導士で、パルスの現体制を憎む者でございます」

 影が、囁いた。セイリオスは警戒を崩さない。「安心しろ」と言われたところで、勝手に天幕に忍び込んでくる輩相手に、安心できるはずがない。

「パルス軍は撤退いたします。ペシャワールに、トゥラーン軍が襲来したとのことであります。殿軍はアルスラーン。……それだけ、お伝えに参りました」

 気配が消え、初めてセイリオスが剣を下した。外に出る。前線まで駆けた。歩哨が王弟と気付き、慌てて敬礼した。それに会釈を一つ返し、闇に沈むパルス軍に向かい合う。

 

「………」

 パルスの陣営地で、火が動いている。人がせわしなく動いているということだ。パルス軍が動くのは明白である。さて、あのうさん臭い魔導士の言ったことは真実であろうか。

 セイリオスが前線まで出てきたという知らせを受けたエスターシュとベルトランが駆けてきた。偵察なら、常から夜目の効く者を選りすぐって出している。が、報告はまだ入らない。

「夜襲にしては騒がしすぎますな。逆に、それが目くらましとも考えられますが…」

 本陣でわざと騒ぎを見せ、注意を引く。その隙に別動隊を動かすのは充分考えられる。だが…。

 

「撤退だ、これは」

 エスターシュとベルトランが頷く。これから戦おうという気が感じられない。パルス軍の動きは、明らかに困惑している。

「追撃いたしますか、殿下」

 撤退する敵を叩くのは、兵法の常道である。パルス軍は夜中もかまわず撤退する気でいるから、こちらも全軍を叩き起こし、すぐさま追撃に移るべきであろう。

「いや、こちらが動くのは、朝になってからでよい」

 

 

「………監視役も、ご苦労なことだ」

 アンドラゴラス王は復帰するや、自分を助け出した者を中心に新たな側近団を編成した。王の身近ですぐ動く近臣は必要不可欠だから、それはまあ妥当であろう。

 だがその基準を、どうやら自分自身の好みだけに置いたらしい。勇猛ではあっても思慮に欠ける者、王の決定に頷くだけの者。そんな連中が王の周りを囲ってしまい、ナルサスもキシュワードも近付けない。

 そしてナルサスの周囲には、その中から数人が付けられていた。王との連絡役という名目だが、それなら自身の近くに置けばいいだけだ。

 

 腰の水筒に手をやり、中身をのんびり味わう。先の休憩の際、エラムが淹れてくれた茶が入っている。その動作すら何かの策謀ではないかと、彼らは目を光らせる。

 アルスラーン、ナルサス、ダリューンの三者を引き離し、誅殺する。どうやらそれがアンドラゴラス王の狙いらしい。

 ルシタニアの追撃で、アルスラーンが戦死すれば良し、しなければ敗戦の責で処刑する。ナルサスは何らかの理由でそれに連座させられる。ダリューンも失態の一つや二つ、考えれば何か出てくるだろう。

「……ナルサス様、茶など飲んでいる時ではありませぬ。何とかしてこの陣を脱し、ダリューン様と連絡を取らなくては……」

 エラムが小声で言う。それに対しナルサスは、「眠気覚ましだ」と言って取り合わない。

 

 夜が明けて、昼が近づいた。まだ後方からの報告は入らない。夜を徹して駆けた結果、本隊は6から7ファルサングほど後退した。もうすぐ、近くの町のアルマドが見えるはずだ。

「………そろそろ来る」

 賭けだったが、どうやら勝ったとナルサスは思った。アンドラゴラス王は、根本的な計算違いをした。ルシタニアの総司令官は、今、アルスラーン王太子が死ぬことを望まない。

 ナルサスは、それに賭けた。博打という、策士にあるまじき行いだった。その上勝っても喜んでいられることばかりではないのだが、とりあえず、今回の難局は乗り切ったということだ。

 

 陣が騒然となった。後方から使者が駆けこんできた。遠くで喚声が聞こえる。最後尾にいるのは、ルッハーム将軍の歩兵隊。そこで騒ぎが起きている。

「何事だ!」

 アンドラゴラス王の復帰で軍内の地位も一度白紙に戻ったようなものだが、ナルサスは王から「参謀を務めよ」と言われている。騒ぎが起きれば、それを誰何する権限はある。

「俺は後方の様子を確認してくる。エラム、ダリューンに知らせよ」

 何を、とは言わなかった。状況が解らず狼狽する王の近臣を横目に、ナルサスは早々と馬を駆けさせた。彼らが我に返った時には、もう前方と後方の人に紛れて見えなくなっていた。

 

 ナルサスには当然、何が起きたのか読めている。パルス軍の撤退速度、殿軍の位置、間道のつながりなど計算すれば、ルシタニアの騎馬隊が迂回して駆けてきたという答えしかない。

 問題は、ルッハーム将軍がどこまで耐えられるかである。

(忠告だけはしておいたが―)

 ルッハームも、ナルサスの言葉を聞き捨てにはしなかっただろう。だが行軍中のことで、防御はどうしても弱くなる。セイリオスは、決してそれを見落とさない。

 しかしナルサスは、それを助けに行くことはできない。何より、自分の身が優先した。アルスラーンの元まで駆ける機は、この混乱の中しかない。

 

「王の命で、後方の確認に向かう。道を開けよ」

 ナルサスは大声で叫ぶ。その声と駆けてくる馬を見て、兵たちは大慌てで道を開けた。陣を抜ける。ルッハームの後軍まで行くことなく、途中で大陸公路から外れ、森の中に逃げ込んだ。

「ナルサスー!!!」

 森の中から、自分を呼ぶ声がする。アルフリードがそこにいた。ゾット族の一団も一緒である。その中には、目つきの悪い青年もいた。アルフリードの兄の、メルレインだ。

 ナルサスもルシタニア軍との対峙中、無為無策でいたわけではない。どうにかして敵の後方を撹乱できないかと、ゾット族を呼び寄せていたのだ。それを、急遽この森に潜ませた。

「…やれやれ、何事も、できることはしておくべきであるということか」

 山や森の移動となれば、ゾット族の得意とするところだ。たとえパルス兵が追ってきても、たやすく撒ける。これで後は、ダリューンとエラムを拾ってアルスラーン殿下の元に帰ればいい。

 

 一方、エラムの急報を受けたダリューンも、すぐさま軍を飛び出そうとした。…が、ちょうどクバードがそこに居合わせた。

「………後方から、ルシタニア軍の襲撃だと?」

 クバードの隻眼が、じっとエラムを睨みつける。歴戦の万騎長の眼光に、彼もわずかに体を引いた。

「…よし、ここは俺が纏めておこう。ダリューン卿、自慢の黒影号(シャブラング)で、一駆け確認してきてくれぬか。後方が危ういのでは、進むに進めんからな」

 勿論、ダリューンにも王の近臣が付けられている。エラムが駆けこんできたときなど、明らかに敵を見る目つきをされた。その彼らは当然反対したが、これもクバードが睨みつけて黙らせた。

 ダリューンはじっとクバードを見た後、一礼して駆け去った。エラムが後に続く。

 

「クバード卿!ダリューン卿が戻るとお思いか!?」

「戻らんだろうな。だがな、ああ言わなかったらどうなっていたと思う?」

 クバードは馬鹿ではない。ダリューンが何を考えているかくらい、百も承知だ。覚悟を決めれば、ここにいる全員を斬り殺してでも、ダリューンはアルスラーン殿下の元に向かおうとするだろう。

「俺とて、ダリューンと斬り合うなど御免だ。止めたいなら、そうしたい奴がやってくれ」

 クバードにそう言われると、近臣たちも黙り込んだ。あのダリューンと斬り合うなど、まったくもって御免被りたい。彼らは王に対してどのように言い訳するか、それに頭を悩ませることになった。

 そんな近臣たちを見て、クバードは呟く。

「やれやれ、面白くなってきたところだったのだがな。……まあいい、キシュワード一人残すのはさすがに気の毒だから、俺は残ってやるとするか」

 

 

 トゥラーンが出張ってきたのは、セイリオスにとっても想定外だった。いや、予想の中になかったわけではないが、このタイミングはない。

(あと1日遅ければ、パルス軍を壊滅させてやったものを)

 せっかくパルスの残党を使嗾してアンドラゴラス王を解放してやったのに、トゥラーンの横やりで台無しになった。まあ次の機会はあるだろう。アンドラゴラス王が急死、あるいは弑逆でもされない限り。

 トゥラーンにしても、ジュイマンドに展開していたパルス軍が潰えれば、ペシャワール攻略も易々たるものだったであろうに。何とも間の悪い連中である。

 

 アクターナ軍の騎兵隊1万が一丸となって突っ込むかと見せた瞬間、4つに分かれた。セイリオス、クラッド、ルキア、アーレンスの4人がそれぞれの指揮を執る。

 1万の攻撃に対する防御を敷いたルッハームは、この急激な変化に対応しきれなかった。どの部隊にも備えようとした結果、全てに間に合わなくなったのだ。その混乱の中に、4隊が突っ込む。

 前線が乱れ、中央までの道が空いた。そこに、さらなる騎馬隊6千が突撃をかけてきた。スフォルツァ、ブラマンテ、モンテセッコの3隊だ。

 ルシタニアの旗が、パルスの陣を駆け抜ける。慌てて遮ろうとした歩兵を蹴散らし、本陣に達した。

 

「敵将の首を取ったぞ!!!」

 叫んだのはブラマンテであった。その声はセイリオスにまでは届かない。だがそれに応えた歓声が、野に響き渡る。

「撤収!!!」

 合図の角笛が鳴らされる。さらに前に出ようとしたブラマンテもその音を聞き、慌てて部隊を纏めて離脱する。司令官を失ったパルス軍の抵抗はまばらで、障害になるほどのものはない。

 パルスに与えた損害は、せいぜい千ほどか。ルシタニアは百も失っていない。さらに追えば、もっと多くの敵を葬れる。そう思ったブラマンテは不満を口にしたが、セイリオスの指示には従った。

「三弟殿下の御指示では、何があろうと逆らえん」

 追撃の意図はパルス軍を討ち取ることではなく、アンドラゴラスの挑発だという。それから外れた行為をすれば、どんな功績を立てようが断罪される。不満があろうと、これで満足するしかない。

 

 アクターナ軍の騎馬隊が駆け、ルシタニアの騎馬隊が続く。パルスの騎兵1万がそれを追う。王の命令で駆け付けたキシュワードは明らかに追いつける敵を前に、馬の脚を止めた。

「何故止まるのですか。王は、撃滅せよと仰せですぞ」

 キシュワードを咎めたのは、王命を伝えに来た近臣である。この時キシュワードが、背負う双剣を意識しなかったと言えば嘘になる。

(王の威を借るだけの戦も判らぬ馬鹿が、この『双刀将軍(ターヒール)』キシュワードに意見するなど、烏滸がましいにもほどがあろう)

 その思いを内心に止めるには、多少の苦労を必要とした。ダリューンやナルサスとは違い、キシュワードには監視役が付けられていない。それでも、アルスラーンとの関係から、警戒されていると見るべきだ。

 

 キシュワード自身、以前のように王に進んで近づくことはなくなった。遠ざけられたのをむしろ幸いと感じているところがある。それでも王に従うのは、パルス歴代の武門という家柄のせいだろう。

「奴らの駆け方には余裕がある。罠に誘い込もうとしているのが解らぬのか」

 讒言でも何でも、したいならしろ。それを王が信じるようなら、こっちもそれ相応の挙に出てやる。そう開き直ったキシュワードは侮蔑を隠さず言い捨て、案の定相手の眉のあたりがひきつった。

 それを無視したキシュワードは、西方を見た。ナルサスが脱走したという。間違いなくダリューンも続くであろう。彼らの行き先は、王太子の元しかない。

 ……その彼らを、内心でうらやましく思っている自分がいた。

 




アンドラゴラスがさらに小さくなってしまいました。
剛毅とか言われていても、「アルスラーンに関して」は狭量、小心にしか見えないんですよねぇ…。

ちなみに、ギーヴとファランギースの二人は作中随一の名コンビ(漫才役として)と思っています。
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