ルシタニアの三弟   作:蘭陵

27 / 55
27.宝剣ルクナバード

 魔の山、デマヴァント。パルス人であれば、その名を聞くと本能的に震え上がる。蛇王ザッハークが封印された土地。常に瘴気が立ち込める、呪われた不毛の山。

「………イアルダボート教の地獄とやらも、こんな風景らしいな」

「存外、蛇王の噂が向こうに伝わり、彼らが忌み嫌う存在の原典となったのかもしれぬぞ」

 パルス一の勇者とパルス一の智者の声も硬い。この荒涼とした世界に身を置くと、言い表せぬ重圧に全身が強張るのである。

 

 歩を進めるごとに暗雲が立ち込め、大粒の雨となった。英雄王の陵墓には、半年に一度、代々の国王が勅使を派遣して祭礼を行う。アルスラーンやナルサスも参加したことがあり、場所を知らないわけではない。

「……ここでよい。皆はここで待機してくれ」

 陵墓は大理石の墓碑を中心に神々の像が立つ聖域である。アルスラーンはその外に部下を止め、ただ一人その中に入った。

 

「……英雄王カイ・ホスロー」

 そこに人がいるかのように、アルスラーンは語り掛ける。

「今のパルスが、蛇王ザッハーク以来の危機にあることは承知であろう。……私は、パルスという国を、民を護りたい。一人のパルス人としてだ」

 はっきり断言されたわけではない。だが、自分はパルス王家の血を引いていないのだろう。父からは拒絶され、母はアルスラーンのことなど気にしているかさえ不明だ。

「私は兵たちに擁立された、父母が誰ともわからぬ者だ。だが、パルスの民を思う心なら、だれにも負けぬ。大事なのは政治がどう行われるかだ。それを理解してくれるなら、力を貸してほしい」

 

 このままアンドラゴラスとヒルメスにパルスを任せればどうなるか。二人の間に、和解の余地はないだろう。早期に決着がつけばいいが、ずるずると内戦が続き、人心が荒廃する最悪の展開になる可能性が高い。

 セイリオスがエクバターナを放棄するのは、まだ人心がパルスを見放していないからだ。逆に言えば、民がパルス王家を見限れば、セイリオスはパルスを滅亡させるために動いてくる。

「あえて、貴方に宣言する。英雄王の血。もはや、そんなものはどうでもいい。英雄王、貴方が自分の血統にしか王位を認めないのであれば、その時は是非もない。私は貴方を倒してでも、パルスの民を護る!」

 雨音が、突然止んだ。墓石のあたりにだけ、日が差し込んできた。雲を刃物で貫いたように、そこだけを照らす切れ目ができたのだ。

 

「………」

 空を仰いだ。眩しい、とアルスラーンは思った。わけもなく、その光をつかみ取ろうと手を伸ばした。空の彼方の光を掴めるはずもない。が、彼の手はずしりと重みを感じた。

「ルクナバード…」

 アルスラーンが剣を掴むと、急に光が消えた。再び、雨を頬に感じる。墓石に一礼し、アルスラーンは去ろうとした。

 

「陛下!」

 ダリューンが駆け寄ってくる。声も表情も、祝賀するものではない。危機を呼びかけるものだ。

 アルスラーンが振り向いた。地上には何もない。空から、黒い影が自分を襲おうとしている。冷静にそれを見て取ったアルスラーンは、ルクナバードの柄に手を掛けた。

「ふっ!」

 閃光が、影を切り裂いた。『太陽の欠片を鍛えた』と詩に謳われた宝剣は、何の苦も無く怪物の体を断ち切ったのである。一つの刃こぼれも、血の曇りすらない。

 

「こいつは…、伝説の『有翼猿鬼(アフラ・ヴィラーダ)』か?」

 アルスラーンを襲った影を見分していた、ギーヴが呟いた。翼をもつが、鳥ではない。四肢を持ち、顔は猿に似ている。それは蛇王ザッハークの眷属として、パルスの暗黒時代の一部として語られた存在である。

「ナルサス様、有翼猿鬼(アフラ・ヴィラーダ)が復活したということは、蛇王も復活したということではありませんか?」

 エラムが血の気が引いた顔で問う。蛇王の名は、パルス人なら誰であろうと恐怖の象徴である。飄々としているギーヴも、いつも冷静なファランギースも、ダリューンやナルサスも例外ではない。

「……いや、それは『まだ』なのだろう。蛇王が復活しているのであれば、もっと大きな騒ぎとなっているはずだ」

 ナルサスが硬い声で答える。動じなかったのはシンドゥラ人のジャスワントと、アルスラーンの二人だけであった。

 

「……カイ・ホスロー、パルスの英雄王よ。私は力の限りを尽くし、ルシタニアからも、蛇王からもパルスを護る。私がその役目にふさわしくないと思えば、いつでもルクナバードを取り上げられよ」

 アルスラーンの夢枕に立ったものが何だったのか、真相を知る者はいない。魔術師の小細工だったのか、単に夢を見ただけだったのか、それとも本当にカイ・ホスローの英霊だったのか。

 しかし、アルスラーン王はデマヴァント山でルクナバードを手に入れ、生涯それを佩剣とした。それは史実として記録される。

 『解放王』の御代の始まりである。

 

 

 兵たちによるアルスラーンの国王(シャーオ)奉戴を聞いて、アンドラゴラスとヒルメスが激怒したことは言うまでもない。さらにルクナバードを手にしたと聞いて、両者の怒りは爆発した。

「軍を編成しろ!王位を僭称し、あまつさえ英雄王の墓を暴くなどという賊徒を、一日たりとも生かしては置けぬ!!!」

 ヒルメスはそう喚き散らした。パルス王位も、宝剣ルクナバードも、どちらもこの手しか持つことが許されない存在なのだ。そう確信しているヒルメスにとって、アルスラーンの行動は反逆以上である。

 

 実を言うと、ヒルメスのアルスラーンに対する思いはだいぶ軟化していた。アンドラゴラスの実の息子ではないと知って、奴もまたアンドラゴラスの犠牲者だったという思いが芽生えていたのである。

 もっとも、こちらから和解の手を差し伸べるような真似は決してしなかったであろうが、もし彼が窮地に陥って頼ってきたとなれば、命ぐらいなら助けてやろうという気にはなったかもしれない。

 そういった思いは、全て吹き飛んだ。今よりは、不倶戴天の敵以外にありえない。

 

 ルクナバードを手に入れ、軍と合流したアルスラーンは南下している。当初の予定通り、オクサスからギランを手に入れるつもりである。もちろんヒルメスも、その行動は読めている。

 ヒルメスはヘルマンドス城を中心に、旧バダフシャーンの全域を制圧している。1万でしかないアルスラーン軍を叩き潰すのは容易いが、正直言って無駄なことはしたくないというのが幹部たちの本音である。

「何といっても、敵はアンドラゴラスでございましょう。アルスラーンごとき小物、しばらくは放っておくのが上策かと」

 発言したのはパルハームである。アンドラゴラス王の復活は、ヒルメスの計算も狂わせた。地下牢から脱獄を許すなど、ルシタニアの大間抜けめと罵ったが、まさかルシタニアが意図的にそうしたとは思っていない。

 

 アンドラゴラスは復帰するや、パルス北部一円に総動員令を下した。王太子の檄文にもあれこれ理由をつけて動かなかった諸侯も、王の勅命となれば動かざるを得ない。無視すれば、諸侯の座どころか命を失う。

「今後、アンドラゴラスの元に集まる兵力は20万を越えましょう。これへの対応が、喫緊の課題です」

 ヒルメス軍は12万というところである。こちらも総動員をかければ20万以上の動員は可能だろうが、諸侯は反感を持つだろう。それを無視できるほど、ヒルメスの王権は強固ではない。

 

「………むぅ」

 沸騰した怒りを鎮めるには、相当の努力を必要とした。だが、今やヒルメスは一国の行く末を考えねばならぬ身である。そう思えば、確かに対アルスラーンより対アンドラゴラスを優先させるべきだ。

 アンドラゴラスをより大きな脅威と考えたヒルメスの判断は、決して間違っているとは言えなかった。それが、この時点での常識だったからである。

「カーラーンよ、アンドラゴラスと戦って、勝てると思うか」

「……勝てないとは申しませぬが、勝ったところで利の薄い戦となりましょう」

 アンドラゴラスとヒルメスが激突する。当然、双方に損害が出る。喜ぶのはルシタニアとアルスラーンである。やはりここは防備を固め、ルシタニアと誰かが激突するのを待つべきだ。

 

「………」

 わかってはいるが、情けないことだ。国王(シャーオ)の座は、夢見ていた頃はどんな願いも叶える魔法の道具のように思えていたが、いざ現実に手にしてみると、思っていたほど万能なものではないと嫌でも解る。

 自分が50万の精兵を持っていれば、と空想してみる。アンドラゴラスもルシタニアもアルスラーンも纏めて叩き潰して見せる自信はある。それは決して大言壮語ではないだろう。

 では50万の精兵を持つにはどうすればいいかとなると、地道に政務に励んで国を富ませ、着実に国土を広げていくしかない。今の国力で50万の軍を動員したら、国は間違いなく破綻する。

 そこに王の威光を振りかざしたとしても、何がどうなると言うわけではない。信望を失うだけだ。その程度の現実は、ヒルメスも充分わきまえていた。

 

「エクバターナだけは何としても奪還せねばならぬ。防衛ばかりを考えるのではなく、北西に勢力を広めるべきだ」

 バダフシャーンで王様ごっこをして満足しているようでは、ヒルメスの矜持が許さない。何としてもエクバターナ奪還を成すのは、自分の軍であらねばならない。

 現状を分析すると、トゥラーンを退けたアンドラゴラスが再びルシタニアと激突する、という可能性が最も高い。20万対20万なら、アンドラゴラスが勝つとヒルメスは見た。

 そしてアンドラゴラスがエクバターナを回復すれば、自分は地方反乱の首魁でしかなくなる。ルシタニアの脅威からパルスを解放した。そうでなくては、人がヒルメスを自分たちの王として認めることはないだろう。

 

 

「アルスラーンめ、血迷ったか!」

 そこまで追い込んだのはあなただろう、と言う言葉を、キシュワードは喉元で押しとどめた。そもそも、アンドラゴラスは何故アルスラーンを愛さなかったのか。あまりにも身勝手すぎる。

 アルスラーンが本当に養子で、王家の血を引いていないというのが問題なら、傍流から王家の血を引く男児を見つけてくればよかったのだ。その子をタハミーネ王妃の婿養子とすれば、王妃の立場も守られた。

 それとも、奇跡的にタハミーネ王妃との間に男児が生まれれば、すぐさまアルスラーンを廃嫡するつもりだったのか。気兼ねせず捨てられると思って縁のない児を利用したなら、批難する資格はない。

 

「………」

 パルス軍の士気は、一気に落ちた。キシュワードからして義務感で従っているようなものだから、それが兵士に伝わらないはずがない。セイリオスの策略は、意図から外れたが絶大な効果を上げている。

「陛下、アルスラーン一党の反逆は明らかでございます。ここは親子の情を捨て、断固たる処分を下すべきです」

 発言した男の名は、誰だったか。諸侯の一人だったはずだ。王太子に付いて甘い汁を啜ろうとして、ナルサスに邪魔された顔の中に覚えがある。彼らにしてみれば、アンドラゴラスの治世が続いた方が都合がいい。

 

「アルスラーンがルシタニアと手を組んだという噂もあります。事実であれば、由々しき事態へと発展しましょう。王よ、ご決断を」

 別の男が言う。ルシタニアがアルスラーンの殿軍にまったく攻撃しなかった、というのがその証拠として語られている。キシュワードが直ちにルシタニアの謀略と判断した噂だ。

「………まずはペシャワールだ。トゥラーンを駆逐せねば、安心して西に向かえぬわ」

 流石に怒りにかまけて戦略上の判断を誤るほど、アンドラゴラスは愚かではない。しかしキシュワードは、大きな舌打ちの音を聞いた。

「シンドゥラだけでなく、何故トゥラーンも片付けておかなかったのか。アルスラーンの阿呆め」

 その舌打ちを、キシュワードはそう解した。

 




ルクナバードの謎が、「ヒルメスは抜くことができたこと」です。
カイ・ホスローも「見込みはある」と思って抜くのは許可したけど駄目だった、ということでしょうか?

とにかくアルスラーンが手にした場合、地震は起きませんでした。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。