ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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28.ギラン奪還作戦

 アルスラーン軍はギランの港町に向かっていた。だが、その中にアルスラーンやダリューン、ナルサスらの姿はない。彼らはわずかな兵を連れ、一気にパルスを南下していたのだ。

 たどり着いたのはコラーフという港町である。ギランを中心とした航路の中で、補給のための基地として機能していた、小さな港である。

「まずはここから、ギランの港町を狙います」

 ナルサスはコラーフに着くと、すぐさま港に向かった。そこに停泊していた商人を見つけ、長く話し込んだ末に、その商人をアルスラーンの元に連れてきた。

 

「商人のグラーゼだ。いつものように絹の国(セリカ)から帰ってきたら、ギランの港町が占拠されていると聞いて、ここに留まっていた」

 別に、ギランの港町が他国に占拠されていようが、どうでもいい事だった。グラーゼは母親が絹の国(セリカ)人で、パルスと絹の国(セリカ)の間の海と各国を渡り歩いてきた男だ。彼の人生に、国境など無い。

「ではなぜこんなところに停泊していたかと言えば、シャガードの野郎が、港に入る船に法外な税を吹っ掛けていると聞いてな。金はあるが、奴に払う金は鐚銭一枚もない。どうするか、ここ数日考えていた」

 まったく困ってなさそうに、「困った困った」と連呼する。アルスラーンはふっと笑った。どうやら悪人ではなさそうで、見識もあり、信用してもいいのではないかと思わせる。

 

「そのシャガードという男について、聞かせてくれぬか」

 真顔で、ナルサスがどんどん問い詰める。年齢、容貌、家族についてなど細かいことまで聞き、得心が行くと「まさか、あいつが…」と呟いた。

「知り合いなのか?」

 ダリューンに問われ、言いにくそうにナルサスが肯定した。遠い親戚で、王立学院で共に学んだ仲だ。奴隷制度を廃止しようと語り合ったこともある。その親友が、何故ルシタニアに寝返ったのか。

 

「……そうか。そういう事情だと言いにくいんだが、俺たちギランの商人の間では、シャガードの評判はすこぶる悪いぞ。裏で海賊を動かしているのは奴だ、と噂されていた」

 その噂は、真実だったようである。ヒルティゴが攻めてきたとき、その手引きをして街に混乱を起こしたのは海賊だった。その海賊たちは今、シャガードの下でギランを支配している。

「………わかっております。かつての親友とはいえ、国を売るような真似をした罪は決して許されるべきではない」

 シャガードは親友であった。何が彼を変えてしまったのかは、今はどうでもいい。もはや過去形で語るしかない相手となったということだ。

 

 グラーゼの商船『勝利(ピールズィー)』は荷を全て降ろし、軍船に一変した。詰め込めるだけ詰め込んで、150人ほどを乗り込ませる。喫水線の深さから、見た目は大量の荷を積んでいるように見える。

「王族になんざ関わり合いになりたくない、というのが信条でしたが、今回は特別です。ギランの港がこのままでは、俺たちはみんな干上がってしまう」

 ギランが使えないなら他の港を、と簡単に済む話ではない。港湾設備、造船所、市場。ありとあらゆる面で、ギランは南海貿易の基点なのである。グラーゼにとっては、死活問題なのであった。

「グラーゼは今まで海の上で様々な体験をしてきたのであろう。良ければ、その話を聞かせてくれないか」

 『勝利(ピールズィー)』号を見ながら、アルスラーンはグラーゼと話し込んでいた。アルスラーンは海を知らない。果てしない海の先にある異国の話を聞く姿は、好奇心旺盛な少年そのままである。

 

「どうです?いっそのこと王族なんて身分を捨てて、海に乗り出すというのは」

「それは駄目だ。私は、パルスの民に対して負わねばならぬ責務がある」

 お固いことで、とグラーゼは苦笑いした。冗談に対する返しとしては、ウィットが不足している。第一、アルスラーンが海に出てしまったら、ここで協力するグラーゼの見返りはひどく小さいものになってしまう。

 さて、アルスラーン軍の作戦は単純だ。陸路からギランに1万の軍を進ませる。敵がそちらに気を取られた隙に、海から奇襲しようというのである。

 

「とはいえ、シャガードの軍は5千、ヒルティゴとやらは3万から4万はいるというぞ。たった1万で、本当に勝てるのか?」

 ナルサスは頷いた。シャガードの軍もヒルティゴの軍も、賊紛いの劣悪な兵である。1万でも、戦いようはある。

「……よし、それに賭けてやる。いい風も吹いて来たから、出航するぞ。まさか王様自ら指揮を執るわけではないよな?」

 勿論、そんなはずはない。奇襲部隊を指揮するのはギーヴとファランギースだ。他の者は馬を飛ばし、自軍に追いつくことになる。

 

 

「敵軍が、ギランを狙っているだと?」

 オクサスの宮殿で、ヒルティゴはどろりと濁った眼を側近に向けた。ふん、と鼻を鳴らし、手直にあった葡萄酒の壺を取ってがぶ飲みした。もはや、聖堂騎士団の団長であった頃の面影はない。

「たかだか1万ではないか。こちらから2万も出せば、屠るのには充分だろう」

 客観的に指揮能力を見れば、ヒルティゴは『平凡より少々上』くらいであろう。彼が聖堂騎士団の団長になったのは、軍事的な能力より政治的な能力のためである。

 

「ギランは俺のものだ。あの港があれば、金に困ることはない」

 ヒルティゴがギランを制圧した際、押収した金貨は50万枚に及ぶ。その内20万枚ほどをエクバターナに送ったが、残る30万枚はオクサスの倉庫に隠した。

 20万枚も送らねばならなかったのは断腸の思いであったが、エクバターナの機嫌を損ねれば10日後にはアクターナ軍に囲まれてしまう。安全を買うための必要経費と考えるしかなかった。

 

 その後はシャガードから四半期ごとに税収として献納されている。ただし、彼はその倍額は着服しているだろう。全体では、どれほどため込んでいることか。

「………」

 好機かもしれない、とヒルティゴは考えた。いい加減シャガードと手を切りたいが、ギランの商人たちを押さえつけているのは彼の海賊部隊だ。この海賊たちは敵に回さず、シャガードだけ排除できないものか。

「……いや、1万とはいえパルス軍は難敵だな。充分な準備と、策がいる」

 そう言い、彼は軍の進発を遅らせた。致命的なミスを犯したことに、彼はまだ気づいていない。

 

 

 間者から報告が入った。いまだ、ヒルティゴの軍はオクサスから出ない。それを聞いて、ナルサスはにやりと笑った。

「やはり、ヒルティゴとシャガードの間に、信頼関係など無かったな」

 ギランを巡って利害が一致していただけの関係に過ぎないのは明らかだった。なお、当然ながらナルサスは他の事態も想定している。アルスラーンは興味本位で、それを聞いてみた。

「ナルサスの考える最悪の状況とは、どんなものだったのだ?」

「いろいろな状況は考えられますが、一例として、ヒルティゴとシャガードが強い絆で結ばれ、アクターナ軍が援軍としてやってくる、というのはどうでしょう」

 そうなったらどうしていたのか。続けて聞くアルスラーンに、ナルサスはあっさり答えた。逃げるしかない、と。

「そもそも、アクターナ軍が出てきたら、勝ち目のない我らは逃げるしかありません。ギランやオクサスを手に入れても、すぐ落とされます」

 逃げるしかない状況まで想定しておけば、事前の準備として充分だろう。そう言うナルサスに、アルスラーンは苦笑いと共に感心する。

 

「…そういえば、一つ聞いてみたいことがありました。陛下が考えるセイリオスの最大の能力とは、何でしょうか?」

 セイリオスの最大の力、と言われて、アルスラーンは馬上で考え込んだ。戦場での能力は圧倒的だ。政治面でも極めて優秀である。個人的な武勇にも優れていそうであった。その中で、最も脅威となるものは…。

「アクターナ軍を創り上げた、その統率力ではないだろうか。……ナルサスはどう考えるのだ?」

「……人に対する洞察力、とでも言いましょうか。アクターナ軍だけでない。彼が抜擢した人材は、皆優秀で、しかも人格的にも高潔です」

 成程、とアルスラーンも頷いた。どれほど優秀であっても、一人ですべてを取り仕切ることはできない。人の上に立つということは、いかに上手く人を使うかということである。

 

「では、ヒルティゴやシャガードはどうでしょうか?」

 セイリオスの話題で沈み込んだ空気を吹き飛ばすように、あえて明るくナルサスが言う。アルスラーンとしては、さて、何と答えればいいものか。

「……油断するのは良くないと解っている。しかし、どうしても怖いと思えない。アクターナ軍と向かい合ったときは、いつ敵が動くかとびくびくしていたのだが」

 その感想を聞き、ダリューンやエラムもふっと笑う。彼らも同じ気持ちだったのであろう。

 

 ギランは商業の町である。建設当初、城壁はあったのだが、今はない。街が発展し、人が増えると郊外にまで家が建てられるようになった。それで、交通の邪魔にしかならないので取り壊してしまったのだ。

 シャガードはそのギランを護るように、砦を築いた。ギラン街道がオクサス川を渡った点である。橋と船を抑えれば、大河オクサスを越えるのは容易ではない。

「問題ありません。さあ、行きましょうか」

 ナルサスが集めさせたのは、日常で使われる甕である。それを縄で繋ぎ、板を乗せて、即席の筏を作ってしまった。それで一部の兵を上流の、敵が予想していない点で渡したのだ。

 

 正面の大軍に備えていた砦のシャガード軍は、いきなり後方に現れた敵に動転してあっさり崩れた。そもそも、それを敵だと思っていなかった。シャガードが派遣した援軍と勘違いしたのだ。

「もう終わりか。手ごたえのない」

 解き放たれた門からダリューンが砦内に乗り込んだ時は、もうほとんど終わっていた。逃げ惑う敵兵を刃にかける趣味はない。珍しく、彼の得物は敵の血に染まることがなかったのである。

 

 敗兵から始終を聞き、愕然としたのはシャガードだ。力攻めで陥落するにしても、計略で落とされるにしても、数日は砦で足止めできると思っていた。それが、半日で落ちたのだ。

「…ヒ、ヒルティゴの軍はどうなっている!?」

 彼はエクバターナから派遣された総督を追い出し、その総督邸をそのまま使っている。ギランの支配者はこの俺だ。そこから、ヒルティゴという邪魔者をどう取り除くか。それが目下の課題のはずだった。

 その彼を、今は当てにしている。その倒錯に気付かないほど、シャガードは動転していた。

 

 先にも言ったが、ギランの港街には城壁がない。総督邸は壁を廻らし、多少の要塞化は成されているが、とても籠城できるほどではない。つまり、敵の侵攻を防ぐ手段は何もない。

「ぜ、全軍で敵に当たるのだ。ヒルティゴの援軍があれば、情勢は逆転する。俺も準備が終われば、直ちに向かう」

 そこまで言って、ようやく現状が見えてきた。ヒルティゴの軍が来るわけがない。来たとしても、それは彼を助けるためではなく、陥れるためのものだ。

 彼の配下の軍は5千程度、質は悪い。主戦力の騎兵がいないとはいえ、正規軍1万に勝てるはずがない。騎兵がいないのはこちらも似たようなものなのだ。

 

(それでも、時間稼ぎはできる―)

 彼は総督邸の地下に隠していた財産の元に向かった。奴隷たちを鞭打ち、それを運び出させる。積み込み先は港で停泊している自分の船だ。行き先はミスル、ナバタイ、いやいや東国のどこにするべきか。

 前の総督は中央の混乱をいいことに、今年の税を着服していた。それに、彼に敵対した商人たちを取り潰して財産を没収したので、ルシタニアに支払った分を差し引いても、隠し財産は金貨200万枚分を優に超える。

「急げ!急がねばこの鞭をくらわすぞ!逆に働き次第では、お前らに金貨をくれてやる!」

 飴と鞭を両方使い、奴隷を急き立てる。しかしその港に、一隻の船が入港しようとしていた。グラーゼの『勝利(ピールズィー)』号である。

 

「おっ、あいつ、シャガードじゃないか?」

 グラーゼの部下の一人が気付いた。シャガードの方は、誰も気に留める者はいなかった。それどころではなかったからだ。

「………なあるほど」

 その姿を見ただけで、ギーヴは状況を理解した。まあ奴隷を急き立てて船に大量の荷物を運びこんでいるのだから、理解するのは簡単である。

「ろくでもない男じゃな。あれが軍師殿の親友であったとは、とても思えぬ。ほんの些細な事でも、人は変わるものじゃが…」

 軽蔑を隠す気はないようだが、ファランギースの声はどこか物悲しい。彼女の過去に似たようなことがあったのかとギーヴは思ったが、さすがにそれをこの場で聞こうとするほどデリカシーのない男ではない。

 

 とりあえず言えることは、シャガードにとっては最悪のタイミングだったということだ。『勝利(ピールズィー)』号からパルス兵が降り立ち、迫ってくる。

 身の危険を感じて逃げ出したのは、奴隷たちが一番早かった。次いでシャガードの部下たちも逃げ出した。何人かは、中身がこぼれた箱から金貨を拝借していくのを忘れてない。

「も、戻れ!戻れ!!!俺を守るんだ!」

 自分自身もいち早く逃げ出すべきだ。それを理解しながら、彼は財貨に後ろ髪を引かれた。結局その場から動かず、ギーヴに剣を突き付けられた時になって、ようやく彼は自分が最悪の決断をしたことを理解した。

 ギランの港街は、およそ半年ぶりにパルス王国の手に戻ったのである。

 




セイリオスの最大のチート能力は「部下の育成力」で、実はこの設定の元になった存在は銀英伝のフリードリヒ皇帝です。

感想で言ってますが、この話は「フリードリヒ皇帝の息子にラインハルト級の存在がいたら」というネタをアルスラーン戦記に移植してまして
フリードリヒ→元ネタの息子に遺伝→それをモデルにしたセイリオスに継承という流れになります。

フリードリヒ皇帝の人物眼は実は銀英伝中最高で、そのため自分の限界を見てしまい、諦めて遊興に逃げたのではないかと思ってます。

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