ルシタニアの三弟   作:蘭陵

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29.第二次オクサス攻防戦

「総督、ねぇ…」

 普通であれば、栄誉であり実利も大きい。だが今は非常時である。グラーゼは、アルスラーンから示された『ギラン総督』という役職を、諸手を挙げて歓迎することはしなかった。

「ギランの解放までは利害が一致しましたし、言い逃れる自信もありましたがね」

 3人の王が並び立ち、しかもその中で一番小さい勢力。そこで重職に取り立てられても、いい事とは言えない。アルスラーンが潰れれば、自分まで誅殺されてしまう。

 アルスラーン陣営の誰もが、その危惧は理解できる。これまでアルスラーンに従ってきた者ならともかく、グラーゼはつい先日知り合ったばかりだ。忠誠心を期待する方が間違っている。

 とはいえ、ギランの港街を任せられる人材となると、グラーゼ以外にはナルサスくらいしかいないだろう。

 

「では、こうしよう。我らはこのままオクサスへ向かう。グラーゼは、ギランの復興を司って欲しい。その後どうするかは、これまで通り商人の会合で決めればよい」

「………そうすると、ギランはアンドラゴラス王に付く可能性が大ですぜ」

 利に敏い商人たちである。最も力のあるアンドラゴラス王に従うのが安全だと判断すれば、アルスラーンなどすぐさま捨てる。ギランを解放してくれた恩など、彼らの方針に与える影響は銀貨一枚にもならない。

「それでも構わない。ギランの港街は、これからもパルスに必要となるはずだ。誰が王であろうとも」

 腹を据えて、アルスラーンはグラーゼを見つめた。負けじとグラーゼも睨みかえす。根負けしたのは、グラーゼの方であった。

 

「参りました。これは降参だ。そこまで言われて、引き受けないわけにはいきませんや。……それと、できる限り国王陛下に従うよう、皆を説得してみましょう」

 アルスラーンがぱっと笑顔になる。ここで彼は、グラーゼという心強い味方を得たのだ。だが、しかし、とグラーゼは語る。

「商人たちの支持を取り付けたいなら、何といっても金次第でしてね」

 それについては、シャガードが残した金貨200万枚分の財貨がある。アルスラーンはこれを、今年の税収分として20万枚を取り、残りをそのままグラーゼに預けたのである。

「元々はシャガードが強奪したものだ。ギランに返すのが筋であろう」

 180万枚の金貨と言えば、小国の年間予算をも凌駕する額である。それに一切手を付けない、というのだ。商人たちも、これには驚いた。

 

 さて、そのシャガードである。

「お、俺はルシタニアの侵略から、ギランを守ろうとしただけだ。俺がいなかったら、ギランは灰になっていただろう。……な、なあ、ナルサス、お前なら信じてくれるよな?」

 いくつか商家を取り潰したりもしたが、それは自分のやることを理解してくれなかったからで、やむなくそうしたのだ。海賊を使ったのも、いつでも切り捨てられるようにと考えてのことだ。

 攻め込んできたのがアルスラーン軍でナルサスがそこに仕えているなんて知らなかったし、ナルサスが認めたのならきっと立派な王となるだろう。俺も、一臂の力をそこに添えようではないか。

「……もう止めろ。今のお前が何を言っても、恥の上塗りでしかない」

 必死で弁解にもならない弁解を行う旧友を、ナルサスは突き放した。刑吏に命じて、外へ連れ出させる。ルシタニアに内通した反逆者として斬首されるその時まで、彼は旧友を罵っていた。

 

「……ナルサス」

「…陛下が気にされる必要はありません。あのような者と交誼を結んだ、自分の不明を恥じるばかりです」

 一体、何がどうしてこうなってしまったのか。ナルサスにも、答えが解らない。運命という言葉は、こういう時のためにあるのかもしれなかった。人の身ではどうしようもないと、諦めるために。

「さて、それよりヒルティゴの軍が向かってくるでしょう。これを撃退せねばなりません」

 ギランが落ちるのは、ヒルティゴにとっても計算内であろう。この状況でアルスラーンを叩き潰せば、シャガードという邪魔者を排除してくれただけで、彼にとっては万々歳で終わる。

「撃退し、一気にオクサスまで取りましょう。……何分、我らは今だ金欠ですので」

 ナルサスが冗談めかして言う。20万枚の金貨は庶民からすれば一生かかっても使いきれない金だが、国家の財源としては不足である。ヒルティゴの財産も当てにしたいところだ。

 ちなみに、平和時のパルスなら、ギランだけで不景気でも20万枚近い税収を得ていた。多い年なら100万枚を超えたという。パルスがどれほど豊かだったのかを示す一例である。

「おう、今度は俺の出番も、ちゃんと作ってくれよ」

 ダリューンが軽く言った。負けるなどとは、微塵も思っていない。

 

 

 ギラン陥落の報は、翌々日にはヒルティゴの元に届いた。それはむしろ予期していたと言える。ここまであっさり落ちるとは思っていなかったが、驚愕することではない。

「何であれ、アルスラーンを叩き潰せばいいのだ」

 それでシャガードという邪魔者がいなくなったギランを支配できる。それは、何一つ変わってない。

「しかし、パルス軍はやはり精強です。……エクバターナに援軍を求めるべきでは?」

 側近が、控えめに意見を出す。ヒルティゴも考えぬでもないが、そうするとギランの支配権はエクバターナに渡さねばならないだろう。自分のものにしなくては、意味がない。

 

「パルス軍は1万だ。ギランを落として多少増えても、今ならまだ1万数千にしかならないだろう。俺の軍は4万。負けるはずあろうか」

 ヒルティゴは麾下のほぼ全軍を率い、オクサス河沿いにオクサスに向かった。道程の半ばを消化したところで、パルス軍とどこでぶつかるかを考える。

(ギランには籠れるような城壁はない。つまり、どこかで野戦を挑んでくる)

 その程度のことは、ヒルティゴにも分かる。しかし、遅かったとしか言いようがない。

 

「………あれだけのんびり行軍されていると、なにやら悪い気がしてくるな」

 ダリューンの独白に、周囲の騎兵が笑う。アルスラーン軍1万は、すでにヒルティゴ軍の進軍路を捕捉し、埋伏していたのである。

 ギランを奪還したことで、アルスラーン軍はささやかであるが騎馬隊を得た。四百騎に過ぎないが、かつてギランの守兵として配備されていたパルス騎兵、その先頭に立つのは戦士の中の戦士(マルダーンフ・マルダーン)、ダリューンだ。

 

 その一撃の凄まじさは、ヒルティゴの想像を絶していた。パルス軍の襲撃はまだ先のことと思っていた彼は、水を得やすい川沿いを縦列で進んでいた。その横腹を、一撃で切断されたのだ。

「ぜ、前後に伝令を出せ!挟撃すれば、勝利は疑いないぞ!」

 それだけ言って、ヒルティゴは逃げ出した。後方に向かって駆けたが、後軍と合流するつもりではない。混乱に乗じてオクサスまで逃げようとしたのだ。

「急げ、急げ!オクサスの財宝を持って、エクバターナまで駆けるのだ」

 結局のところ、ヒルティゴもシャガードも同類に過ぎなかったと言うべきか。それとも不利な状況を見る目だけは卓越していたと言うべきか。とにかく彼らは同じ選択をし、同じ末路を歩むことになるのである。

 

 オクサスが見えた。城門を駆け抜け、門を下ろせと命じる。轟音とともに城門が落ち、ヒルティゴと側近はほっと息を吐いた。あとは、持てるだけの財宝を抱え、エクバターナまで逃げる。

「ふうん、エクバターナに行きたいのか。それならここには立ち寄らず、まっすぐ向かうべきだったねえ」

 女の、揶揄するような声がした。周囲を見回すと、取り囲まれて弓で狙われている。中央にいるのは目つきの悪い青年と、水色の布を頭に巻いた少女だった。

 自分たちの部下ではない。パルスの正規兵とも違う。何が何やらわからず、恐怖に顔を引きつらせて辺りを見るヒルティゴに、少女が現実を突きつけた。

「あたしはアルフリード、こっちは兄貴のメルレイン。この城は、アルスラーン王と軍師ナルサス卿の命により、あたしたちゾット族が頂いたよ」

 

「オクサスが落ちたぞ」

 隣家の住人が転んだ、という程度の気安さでギスカールは言った。セイリオスも「そうですか」と素っ気なく返す。

「ヒルティゴの奴も、もう少しはできるかと思っていたのだがな」

 あまりにあっけない滅亡であった。オクサスに逃げ戻って城門で捕らえられ、呆然自失のまま斬られたらしい。まあ、ヒルティゴごときがどうなろうが、微々たる影響にすぎない。

 

「さて、これからどうするかだな。アルスラーンにはミスルを動かして、牽制するという手もあるが…」

 アンドラゴラスとトゥラーンが激戦を繰り広げる隙に、ヒルメスはエクバターナに向かって勢力を広げていた。かつてセイリオスが陥落させたカシャーン城を制圧し、エクバターナ攻略の最前線としたところだ。

 その兵力はおよそ8万。アルスラーンにオクサスを取られたことも考えると、ルシタニアの伸張は止まり、分裂はしているもののパルスが反転攻勢に出たように見える。

 しかし、ギスカールもセイリオスも焦らない。ヒルメス、アルスラーンとも、独力でルシタニア軍を駆逐するほどの力はない。エクバターナの前で足踏みするしかないはずだ。

 

「結局は、お前とアンドラゴラスの決戦待ちとなるわけか」

 昼は茶、夜は葡萄酒でも飲みながら、ゆっくり待てばいい。最悪、アンドラゴラスに敗北してルシタニア軍が潰えたとしても、マルヤムまで撤退すれば再起できる。…あくまで最悪の場合だが。

「気になるのは、あのフィトナが変な動きをしているようでして」

「愚かな女だ。今更他の三者に勝てるわけがなかろう」

 どうやらエクバターナで自立するつもりでいるらしく、タハミーネ王妃の名を使い陰でレジスタンスに接触しているようだ。もう少し泳がせた後で、叩き潰せばいい。

 

「お前だって大して気にしていないくせに。拾ってきた小僧や聖マヌエル城の小娘をずいぶん気に入っているようで、そっちの教育の方に熱心ではないか」

 ルクールとエステルのことである。セイリオスも暇を持て余している、というところだろう。元奴隷の少年と騎士見習いの少女相手に、シルセスと二人で軍学まで教えていた。

「少々素直すぎますが、二人ともひたむきでいい子です。10年も鍛えれば、一軍を率いさせてもいいかもしれません」

 その表情と声音から、ギスカールは何となく子供の自慢をする父親の姿を連想した。シルセスもまんざらではないのかもしれない。それならさっさとくっ付け、とは、言わないことにした。

 

 

「ケルボガ、そなたが集められる人数は、どのくらいか?」

 2千という返事に、フィトナは眉をしかめた。全く足らない。エクバターナに籠城するなら、最低でもその10倍の軍は必要になる。どれほど軍事に疎かろうが、その程度は理解できる。

「全く足らぬ。ルシタニアはエクバターナを捨てる。パルスの王妃と王女が異国に連れていかれるのじゃ。そなたにはそれを防いでもらわねばならぬ」

 平伏するケルボガに、自分の欲求だけを投げつける。いつの間にか、彼女の物言いは権力者のものとなっていた。パルスの女王となる夢が、現実を侵食してしまったのだろう。

 だがエクバターナ放棄が、その夢を前提から崩壊させた。エクバターナを死守するに違いないと思うのが常識であり、その先に自分がパルスの女王となる画を描いていたのだ。

 

 ジュイマンドでルシタニアの意図を知った彼女は、大いに焦った。このままでは自分はルシタニアに連れていかれてしまう。それでは良くてルシタニアの一諸侯の妻だ。そんな未来など、認められるものか。

「何とかしなくては…、何とか…」

 気ばかり急くが、彼女の味方はタハミーネを除けばケルボガただ一人に過ぎない。彼はガルシャースフ麾下の千騎長だったという。決して無能ではないが、所詮は千騎長だとフィトナは思っている。

 なお、ケルボガを弁護するなら、ルシタニアが多くの奴隷を連れ去り、サームが軍を募ったエクバターナで、千騎長にすぎなかった彼が大軍を集めるのは不可能と言っていい。フィトナの認識は、その辺りが薄い。

 

 ルシタニアの方針を変えたくとも、政治も軍事もギスカールとセイリオスの二人ががっちり握っている。イノケンティスはタハミーネにぞっこんだが、だからと言って弟二人との仲を裂くのは難しい。

「ギスカールとセイリオスに任せておけば、地上のことは安泰じゃ」

 弟二人をどう思うかと水を向けてみても、万事がこの調子で、嫉妬や反感など全く抱いてないのである。何故ここまで弟を無邪気に信頼できるのか。イノケンティスの態度は、フィトナの理解を越えていた。

 普通なら、王位を簒奪されないかと怯えたり、自分をないがしろにしているとか不満を漏らすはずである。それならば扇動のし甲斐もあるが、これではどうしようもない。

 さらにエクバターナを捨てることをどう思うかと聞いてみても、まったく惜しいと思ってないのだ。

 

「このエクバターナに勝る新都を造る、とセイリオスは言っておる。パルスから離れようと、タハミーネもフィトナも、何も不自由させはせぬぞ」

 エクバターナ保持は難事である、と弟二人に言われ、イノケンティスは当たり前のようにそれを受け入れた。彼にとっては、もともと異教徒の首都に過ぎない街だ。死守する意義は、どこにも存在しなかった。

 そう聞いて、フィトナは舌打ちした。だがそれを翻意させるだけの軍略はない。情に訴えようとしても、ナバタイ育ちであるフィトナである。エクバターナから離れたくないと言っても、説得力はまるでない。

 行き詰った、というのは、この時の彼女のことを言うのだろう。

 

 客が来た。パルスが存亡の危機にあるとはいえ、王妃に近付きたい商人は多い。この男は、絹の国(セリカ)と交易し、なかなか良き品を手に入れたので献上に来たという。よくあるご機嫌伺である。

「この鳥は絹の国(セリカ)では大変おめでたいとされる鳥でございまして…」

 半透明の石に、精細な彫刻が施されている。パルスの宝物庫に入れるにしても、美術品としての価値は充分と言えた。

「私はラヴァンと申します。以後お見知りおきを…」

 




シャガード、ヒルティゴの二人があっさり退場。この話だとさすがにシャガードを放免するわけにはいきません。

フィトナも破滅に向かって着々と進んでいます。これは原作通りか?
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